2013年9月3日火曜日

ヤンゴンにホテル作って〼

ただ今、ヤンゴン市内にホテルを建設中です。
日本の建設会社とミャンマーのローカル企業とのジョイント・ベンチャーによる事業です。
設計・施工管理を日本の会社にお願いしているので、電気や水の配管・排気等を日本の品質基準で設計・工事した、ミャンマーでは珍しい高い品質基準の建物になります。
まだ、詳細をお知らせできる段階ではありませんが、完成前の工事現場をお見せします。


こちらは客室のリビングルーム。キッチンを備えているので、簡単な料理もできます。この奥にベッドルームがあります。部屋をリビングルームとベッドルームの2区画に分けた、ゆとりある空間設計です。


こちらはバスルーム。ミャンマーでは温水でシャワーを浴びる習慣は一般的ではありません。そのため、ホテルのボイラーの容量が小さくて、熱いお湯が出ない所が多いです。このホテルは、日本と同じ基準で計算して、十分お湯が供給できる大型のボイラーを設置しています。まだ、取付けていませんが、シャワーヘッドは日本から、輸入しました。トイレはウォッシュレットの予定。


水の配管、電気配線、換気は、日本の設計基準。施工管理もジョイントベンチャーの日本人の方に監督していただいています。ミャンマーの建物の弱点である水回り(多くの建物が、排水を考慮していないため、バスルームが水浸しになる)、 排気(臭いがこもる、隣の部屋の臭いが流れ込む)の心配はありません。


1階のレストラン。空調ダクト完備です。日本では当たり前ですが、ミャンマーでは珍しいです。オープンキッチンなので、調理の過程も見えて安心。現在、日本からシェフを派遣してもらって、メニューを作成中です。


屋上のペントハウスにはバーがあります。ヤンゴンの夜景を眺めながら、一杯やるのが楽しみです。屋上庭園を設けた、ムーディーな空間になります。

ホテル・レストランのオープンは、10月下旬の雨期明けの予定です。
これから進捗状況に合わせて、情報をアップして行きますね。

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2013年8月29日木曜日

【Myanmar News】不動産価格の上昇が止まらない

ミャンマーの不動産価格の上昇が続いています。
ここ一年半で、賃貸料は3倍近くになったと伝えられています。
現在のヤンゴンのダンタウンの不動産価格は、マンハッタンと同程度ということです。
不動産業者の中には、需給で価格が決まる以上、現在の不動産価格は妥当と言っている業者もいますが、当然、ポジショントークと見るべきでしょう。
電気・ガス・上下水道のインフラが未整備な上、近隣地区から得られる文化的なアメニティがほぼ皆無という環境の現在のヤンゴンの一画が、図書館・美術館等の公営施設が充実し、様々なジャンルのクラブ・書店等が文化的な刺戟や情報を与えてくれるNYCの中心地の不動産と金銭的に等価であるのは、誰もが直感的に適正ではないと感じます。
不動産価格の高騰からインフレが進行していることや、中低所得層の人々が賃貸料の上昇に悩んでいることが、ミャンマー国内で大きな問題になっているため、不動産関連のニュースはメディアにもよく登場するトピックのひとつです。
今回は不動産市場の加熱ぶりを伝える、かなり詳細な記事があったので、ご紹介します。結構長い記事なので、時間の合間を見て訳していたら4日かかりました。ご参考になれば幸いです。

『mizzima BUSINESS WEEKLY』34号 2013年8月22日号 より記事転載(原文は英文)

不動産価格上昇の憂鬱
Text by Alex Palmer and Naomi Ng


2013年5月、ヤンゴンPyay Roadにある高級住宅地Golden Valleyの一区画が1スクエア・フィート(psf)あたり972USドルで売却された。2ヶ月後に、地主が土地を二つに分け、分割された半分の土地に付けた価格は1,228USドル psfだ。
今のヤンゴンでは、この種の話にこと欠かない。近年の政治・経済の改革は、ミャンマーを国際的に孤立した国家から、アジアの有望な開拓地へとその評価を転換させ、とりわけ不動産市場へ大きなインパクトを与えた。ほんの18ヶ月前には、ヤンゴンのダウンタウンにさえ賃貸市場がほとんど存在しなかった。外国人は土地の所有や賃貸を禁じられていたし、軍部による締め付けが、この国への投資の魅力を減じていた。単に市場を形成するだけの十分な需要がなかったわけだ。
ところが昨年以来、不動産市場はにわかに活気づき、価格は高騰し、外資系企業は最高の商業地を求めて駆け回っている。ヤンゴンの不動産コンサルティング企業 Scipio Servicesのマネージング・ディレクター Brett David Millerによれば、昨年月額2,000USドルで借りられた物件が、今では通常月額8,000USドル、中には30,000USドルになっている物件もある。
今年始め、Scipio Servicesは、ミャンマーの不動産市場を分析したレポートを発行した。その調査によると、「供給の少ないビジネスタワーの商業オフィスはすぐにテナントで埋まり、2011年中頃の相場の4USドルは、2013年5月に8USドルに上昇した。こうした物件は、リフォームなし、家具なし、維持費や電気・水道等は別途請求の条件だ。にもかかわらず、賃貸物件の相場は100%近く上昇した」。
不動産市場の急速な成長は 、外資系企業が急にミャンマーに押し寄せて来たことに、多くを負っている。外国人は一年間の賃貸契約に制限されているが、外資系企業がミャンマー企業の証明を使って、ヤンゴンのダウンタウンの一等地を取得するために、ローカルパートナーと提携することはそれほど一般的でない。
香港に本拠地を置く国際企業、Chevalierグループはそうした企業のひとつだ。彼らはミャンマーのローカルパートナーと組んで、不動産開発のプロジェクトを開始するための話し合いをしているところだ。Chevalierグループのエグゼクティブ・ディレクター Horace Ma Chi Wingは、不動産価格の高騰が外資系企業にとって、どんな障害になるか、本誌に語った。
「今の相場には驚かされます。あまりにも高すぎる。商業地の高い相場を払うだけの余力のある中小企業は、そう多くありません」。
彼は、ローカル企業は、土地を提供して、外資系企業と提携すべきだと付け加えた。その見返りにChevalierグループは、建設費用に資金を投入するだろう。しかしながら、現状では、対話は止まったままだ。法外な不動産価格が原因だ。
「土地の価格について、総意を得られるかどうか分りません。もし、我々が納得できなければ、プロジェクトは頓挫するでしょう」とMaは語る。

 上昇する市場

こうしたミャンマーへの進出ラッシュは、おしよせてくる最初の波だ、とMillerは語る。
企業は、大きな投資をする前に、ミャンマーの市場をテストする。そして、この国でビジネスをする上で、安定して収益が上げられると証明できれば、もっと多くの企業が押し寄せてくるだろう。
テナント価格が一定レベルまで達し、価格上昇のスピードも下がってくるだろうが、旺盛な需要に支えられて、価格は上昇し続けるだろう。
しかしながら、価値の高い物件の売買は、ほとんどし尽くされ、高層建築向けの土地は、市場に出回た途端に買い占められている。20年以上不動産業界にいる、Myanmar Real Estate Dealsのマネジメント・ディレクター Ma Pho Phyuaは、こうした場所の価格は、2006年から政権が変わった2010年まで緩やかに上昇していた、と言う。
その後、価格は新たな高みにまで跳ね上がった。Pyay RoadのGolden Valleyは、2011年600USドルpsfだったが、今の相場は1,228USドルpsfになっている。この傾向が続くなら、テナントは別のオプションを探すことを強いられるか、価格が下がるのを期待して様子見をすることになるだろう、と彼女は言う。
すでにいくつかの業者が住居をリースし、ニーズに合うようにリノベーションを施している。Aクラスの商業スペースはあまりにも割高だからだ。より安価な商業スペースと住居が混在したビルが、街には広がっており、価格の上昇もこのような物件の供給に伴い落ち着いてくるだろう。だが、質の高い物件が不足しているため、最高の物件の価格は、これからも上昇を続けるだろう、とMillerは予測する。
Heritage Capital Investmentのマネジメント・ディレクター Olivier Dananは、高い価格は、物件の価値を考慮すれば納得がいくものだと言う。
「ずっと国交を閉じて来た第三世界なのに値段が高すぎると、みんな考えています。だが彼らは農業をするためにやって来るわけではない。将来のビジネスのポテンシャルを考慮すれば、納得のいく価格だ」と彼は言う。

ヤンゴンの歴史との価値あるリンク

多くの地主が高層ビルへの投資を望む中で、Dananは歴史的な建造物が最も価値のある投資だと見ている。Yangon Heritage Trustは、ダウンタウンの巨大なヤンゴン庁舎のような、歴史的な建造物が200棟ほど存在すると見積もっている。歴史的な建造物は、すべて19世紀後半のイギリスの植民地時代に建設されている。
「こうした建造物がヤンゴンの顔になるべきです。高層ビルなら誰でも建てられますし、ヤンゴンを香港やシンガポールのような都市にするのは誰にでもできます。我々がこれらの建造物を保存して、商業向けに転用し、高層ビルと軒を連ねることになれば、ヤンゴンは都市としてのアイデンティティーと魅力を兼ね備えることになります」。
Dananによれば、ヤンゴンの歴史的建造物の建つ土地は、5,000万USドルまで価格が上がっている。一方、歴史的な住宅は — 高層の歴史的建造物よりは小さく、目立たないものの、風格やスタイリッシュさでは負けていない — 600万USドルまで上昇している。
ヤンゴンのダウンタウンのイギリス大使館の裏にある、Strand Mansonはそうした歴史的な住居のひとつだ。Heritage Capital Investmentは、商用と居住用の両方の用途に向けて、内装やリノベーションを手掛けてきた。1平方フィートあたり最低3USドルから4USドルの料金を設定している。もっとも、Strand Mansonの一部はまだ工事中だ。物件の内部には、スコットランドから輸入した鉄製の梁を備えた、6mの壁が聳える。
「ヤンゴンは世界で最も美しい都市のひとつとして、地図に記されるでしょう。適切な処置を取れば、そうなると信じています。天然資源が豊富で、ドバイやアラブ首長国連邦と同じ道を歩む可能性があります」。
だが、Dananは、頑固で、歴史的な建造物の本当の価値を認めようとしない地主に問題があると言う。法律では、地主はYangon City Development Committee(YCDC)が構造的に不適切と見なさない限り、取り壊しが許可されない。
Dananが言うには、歴史的な建造物を所有する地主は、物件が朽ち果てるのを待っている。YCDCが不適切と宣告してしまえば、建築物を取り壊すことが出来る。そして、地主は同じ場所に高層ビルを建設する。このやり方は、極めて危うい上に、(地主にとっては)効果的だ。地主は、ヤンゴンの苛烈なモンスーン気候が引き起こす、建物劣化に感謝すべきだろう。
結局、Dananと他の歴史的な建造物の買い手は、頑迷な地主を回避する方法を採ることになる。「土地を購入する代わりに、我々は建物内の部屋を購入する。我々が建物の60%を所有すれば、建物を良好な状態に修復する権利を取得できる」。
現時点でYCDCは189棟の建物を歴史的建造物としてリストアップしている。しかし、それれらを良好な状態に維持する、法的な拘束はない。
「政府は法を制定する必要がある。そうすれば、こうした建物は保護される。地場の業者には、そういう発想がない。古い物件には、威信と美を感じさせる。これはニッチな市場だ。多くの大企業は高層ビルのペントハウスを求めている。こうした傾向は、威信と信用を望んでいるからだ。現在の価格においてさえ、歴史的な建造物は宝の山だ。リノベーションの費用もそうはかからない」。

成長する都市

市場の凄まじい拡大は、価格が暴騰している高層建築や歴史的な建造物が並び立つ、ヤンゴンの伝統的な一画にも表れている。Ma Pho Phyuaは、ヤンゴン川の南にある水田が広がる未開発地帯Dalaでは、1年前に1エーカー700USドルで取引されていた土地が、現在70,000USドルで売られている、と語る。投機がこのエリアに押し寄せているのだ。多くの地元業者が土地の購入や開発で、利益を上げようと注視している。
熱に浮かされたような不動産投機は、政府がこの一画とヤンゴンのダウンタウンを繋ぐ橋の建設を計画しているという噂が頻繁に出ることで加速している。噂が駆け巡った2009年と2010年には天井知らずの暴騰を見せたが、何も具体的なアナウンスがないと値を下げた。だが、ここに来て、政府が本当に橋の建設を計画しているという断片的なニュースが流れると、再び価格は上昇した。その結果として、Dalaの土地を所有していた農家へ、土地の購入を持ちかける業者が殺到し、売却を選んだ者には突然の大金が流れ込んだ(訳注:その後、土地価格の高騰に業を煮やしたソーテイン大臣が、現政権中には橋の建設をしないことを明言した)。
外国資本の流入が加熱する中で、とりわけ成長が著しい、電気通信、石油、天然ガス、サービス業などの産業が、不動産価格を押し上げている。それに伴い、法律事務所、投資銀行、投資組合等の、それら会社をサポートする副次的なサービスを扱う会社が進出して来ている。各国大使館や、ミャンマーでのビジネスを求める国の貿易当局も同様だ。
ミャンマーで投資先として急に土地に人気が出たのは、他の代替的な投資先がないのが一因となっている。お金は国に溢れているが、株式市場は現在のところ存在しない。通貨価値の変動が激しいため、お金を銀行に預金するのは危険だと見なされている。
政府は、ヤンゴン不動産市場の関心が、長期的な都市計画の戦略の一部となるよう図って来た。YCDCによるとヤンゴン市の人口は、2040年までに100%増加する。そして、土地や建物の開発に対する外国資本の投資は、1,000万人が住む都市へ拡大する上で欠かせない。
政府はヤンゴン周辺に経済特区を計画しており、Millerによれば、ミャンマーに進出した様々な国の企業が、このエリアに強い関心を示している。信頼性の高い電力や他のインフラがこの国には大きく欠けているが、政府のヤンゴンにおける経済特区の開発への強い関与は、外国企業の信頼を得ることに繋がる。

未来のヤンゴン

Cheavalierグループのエグゼクティブ・ディレクターのMaは、政府がヤンゴンの開発に対して、未来を見据えた、柔軟な姿勢で取組むべきだと言う意見に同意する。彼は今の状況を、中国の最も重要な経済的なハブの一つ、珠江デルタに位置する東莞の20、30年前に例える。
東莞は、道路も電力供給も適切な下水施設も存在しなかった。政府はデベロッパーへ無償で土地を提供し、デベロッパーはインフラを自分達のコストで建設した。その見返りとして、数年後、デベロッパーは3分の1の土地を所有することが出来た。
ヤンゴンへの投資に対する需要が高まっているのは疑いがない。しかし供給が極めて限られている。Maは、もし政府がデベロッパーに土地を供与することで、市場が十分な土地を利用することが可能なら、不動産価格は、たちまち適切な水準へ落ち着くだろうと考えている。
「この方法は、中国では一般的です。政府が、十分な開発資金を持ち合わせないなら、デベロッパーが対処する、そうすれば、たちまち新しい開発区が拓かれる」と彼は付け加えた。
Maは、ミャンマーの開発ペースは中国よりも早くなると予測する。ミャンマーは他国からのベストプラクティスを採用できるからだ。ミャンマーの6,000万人近い人口という、恵まれた優位性もある。 
「我々は懸念しているものの、ミャンマーの未来に対して楽観的です。2、3年以内に政治的に安定が維持できるとはっきりすれば、さらに多くの外資系企業が、参入したいとやって来るでしょう」。
ヤンゴンの急速な成長と開発は、何をもたらすのだろう?「バンコクの高層ビル群を見てください。そして、ここミャンマーの空を眺めれば、この業界に我々が感じている興奮がお分かりでしょう」とMillerは語る。たった18ヶ月前まで不動産市場が存在しなかった都市が持ちうる可能性が、投資家達と住人達を同様に引き寄せている。

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2013年8月20日火曜日

変わらない東南アジア観


20年程前に手に取って、途中で放り出した金子光晴の『マレー蘭印紀行』を最近読み終りました。最初に読んだ時は、あまりに文章が格調高い美文過ぎてリーダブルでないので挫折したのですが、今は年食ったせいか、舞台となっている東南アジアの一地域に住んでせいかは分りませんが、最後まで楽しんで読み通せました。
詩人の金子が、1928年から1932年の間に訪れたシンガポール、マレー半島、インドネシアでの見聞を書き留めた紀行文です。東南アジアの亜熱帯の倦怠と、繁茂する植物の暴力的なまでの生命力、そこに暮らす現地の人々の悲しさと楽観が、詩人の巧みな筆致で精緻に表現されています。
約80年前のことを記録した紀行文ですが、現在とほとんど変わっていない事象も多いです。
無聊に嘆くゴム園や鉄鉱山で働く日本人達。どんな辺境でも逞しく商売を営む華僑達。仕事で訪れた外国人達の東南アジア人観。これらは、往時とあまり相違がありません。

たとえば、こんな一節

馬来(注:マレー)人をかたるものは、かれらを、蓄積心のない、遊惰な民だという。
短智で、享楽的で、鼻っぱしらが強く、怒りっぽいくせに、潔癖をもっていない。概して天寿が短く、衛生的観念が少い。たかい精神生活への希求がない。銭使いが荒く、あすはあすまかせの、無成算である。食欲が多くて、信用できない。システムのある大きい仕事ができない。道徳観念が荒廃している等、等である。それに対してかれらを弁護するものはいう。馬来人は、いっぽん気で、はらがうつくしく、金銭利害に恬淡としている。同宗旨の人間は、一家とみなしているので、一飯の饗応は誰にでも惜しまない。かれらほど、生をたのしんでくらしている人間はない。仕事は午前中で、あとはたいていは昼寝をしたり、よりあつまって楽器を鳴らしたり、おどりの稽古をしてあそびくらしている。そのほか、愛情がこまやかで、気がさくい。

さすがに東南アジア諸国も、当時よりは近代化・資本主義化しているので、今では先進国とここまで極端な差はありませんが、ミャンマーでも地方の農村とかに行くとこんな感じですね。

第一次世界大戦が終結後、各国がブロック経済政策を採るまでの数年間は、近代史の中でもでグローバル化が進んだ時代だったので、ゴム農園等を経営する外国資本が現地に進出している状況は、現在と通じる部分も多いですね。
そして東南アジアの圧倒的な自然と、そこで暮らす外国人が不定形な生活に対して感じるよるべなさは、当時も今も変わりありません。
東南アジアで暮らす外国人の気分を追体験するには格好の本です。

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2013年8月9日金曜日

【おススメ】カチン料理のレストラン

以前、ブログで翻訳したニュースで取り上げられたカチン料理店「Lady Finger」に行って来ました。
記事にはSanchaung区にあると書いていたので、住んでるところの近所だと思ってたのですが、表通りからちょっと入ったところにあったので、今まで見つけられませんでした。


ニュースの記事にあるように、カチン州出身の女性達によって経営されてます。


カチン料理はヤンゴンに住むミャンマー人にとっても馴染みがないようです。
カチンという場所が、少数民族の武装勢力がミャンマー政府へ抵抗して来た歴史があるので、他のミャンマー人にとって好戦的、野性的というイメージがあるようです。現地で使われている言語もカチン語で、公式語のビルマ語とは異なります。
そういうエキゾチックな土地柄なので、カチン料理どうなんだろう?という興味がありました。


で、注文してみたら意外に普通でした。これはピータンみたいな料理。


これは牛肉のミンチに青唐辛子とパクチーを混ぜた料理。辛いのがカチン料理の特色みたいです。


ミャンマーのローカル・レストランで苦労するのが、ほとんどのレストランがミャンマー語表記のメニューしかないことです。ここは英語表記があるのが、ありがたい。しかも一皿1,500~2,000チャット(約150~200円)でリーズナブル。
味付けもクセがなくて、普通に美味しいので、このレストランおススメです。
昨日行った時に、このレストランを知るきっかけになった記事を書いたデンマーク人がお客として来ていました。彼はヨーロッパ人向けの旅行会社に務めているそうです。何だか寄寓で面白かった。

レストランの住所は、
No.61 Ground Floor, War Khae Ma Street, Sanchaung Township, Yangon
表通りからちょっと奥まったところにあるので、少し見つけ難いです。

まだ、アルコール販売の免許が取れていないのでビールがメニューに載ってませんが、頼んだら出してくれます。辛い料理が多いので、ビール飲みたくなりますからね。   

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2013年8月6日火曜日

【Myanmar News】ミャンマーのソーシャルビジネス

今回は、ミャンマーのソーシャルビジネスの記事をご紹介します。
NGOの活動はいくつか聞いたことがありますが、ミャンマーにもソーシャルビジネスの起業家が活動しているのは、知りませんでした。
ご存知のように、NGOは寄付や支援金が集まらないと、活動が立ち行かなる場合があります。社会的な問題を解決するために、運営しているのはNGOもソーシャルビジネスも同様です。ただ、ソーシャルビジネスの場合、利益が出るシステムを作り、それを活動資金として再投資するので、その点で組織としての持続性が高いと言えます。
といっても、安定的に利益を上げるシステムを構築するのが、難しいところなんでしょうけど。
ミャンマーには、貧困、教育機会の問題、就業の困難さ等、解決が望まれる問題には事欠きませんので、 こうしたNGO、ソーシャルビジネスを問わず、問題解決のために活動する組織の存在価値は大きいですね。
この手のニュースを読むと、精力的に活動しているのは外国人の場合が多いです。願わくば裕福なミャンマー人もこの種の活動や支援に力を入れるようになって欲しいですね。パゴタや僧院への喜捨を求めるパレードはよく見かけますが、もうパゴダ十分過ぎるほど立ってるし、お坊さんの数も生産人口比で見ると世界一の可能性があるわけだし。

『mizzima BUSINESS WEEKLY』31号 2013年8月1日号 より記事転載(原文は英文)

ベイカリーでソーシャルビジネスを
Text by Naomi Ng


挽きたてのコーヒーの香ばしいアロマの匂いが漂い、チョークで手書きしたキッシュやブラウニーといったメニューが目に入る。ヤンゴン・ベークハウスは、遠く故郷を離れた人達にとって、郷愁を呼び起こす場所かもしれない。
ランチアワーには、 いつものコーヒーやお気に入りのサンドイッチを求めてやって来る外国人達で賑わう。カウンターの奥では、オープンキッチンの中で女性ばかりのスタッフがパンの生地を練ったり、サラダの盛り付けをしたりと忙しく立ち働く。単に美味しいものを食べに来ているお客もいれば、ソーシャルビジネスの支援を目的に来ている人もいる。
ヤンゴン・ベークハウスはソーシャルビジネスとして、刑務所歴があったり、2008年に起こったサイクロン、ナルギスで家を失ったり、それが原因で生活が困窮したりした女性達に雇用とトーレーニングを提供している。
4人の共同経営者の一人である(残りのメンバーは外国人)Phyu Phyu Tinは、「私達は就学年齢にある人や、過去に災害遭った人に支援を限定していません。支援が必要な人は、みんな受け入れます。私達が求めるのは、彼女らのコミットメントだけです」と語る。
2012年11月に彼女らは、5人の研修生を受け入れ、衛生、調理、資産管理について10ヶ月のトレーニングを実施した。
36歳のNandaは、最初の研修生のグループの一人だった。彼女は、自分で商売を始めるには、資金的にも能力的にも難しいと思っていた。 彼女によれば、ヤンゴン・ベークハウスは、今まで思ってもみなかった恩恵をもたらしてくれた。
「毎月のお給料で、息子と娘を学校に行かせられます。今では、これから先どうすればいいのか見通しが立ちます。私は、キッチンにいることも、お客さんのために食事を作ることも好きですから」。
ヤンゴン・ベークハウスはカフェとしてスタートしたわけではない。最初はインターナショナル・スクールの教師へのランチのケータリング事業として始まった。今では、ヤンゴンのバゴン区にあるパール・コンドミニアムに、オープンキッチンのあるカフェを持つまでになった。それは、ニューヨーク発でもロンドン発でもない、健康志向のアッパー層向けのカフェといった趣だ。
事業は、彼女らの理念に賛同するサポーターと企業スポンサーのサポートのもと、順調に推移している。 しかし、Phyu Phyu Tinは、ミャンマーにソーシャルビジネスのアイディアを導入するには、立ちはだかる障害を乗り越える必要があると主張する。
「このお店を持つまで、私達がやっていることを理解してもらうのは大変でした。ミャンマーの会社は、私達がNGOなのかと聞いてきます。そうではなくて、私達は営利団体ですと答えると、じゃあ何で支援活動なんかやってるの?と聞かれたものです」。
彼女はさらに、持続可能なビジネスについて、それが同時に研修生に給与を支払い、トレーニングを施すことで、コミュニティを支えていることを説明しなければならなかった。
「私達は、NGOとは異なり、研修生に給与を払って、トレーニングをしています。彼女達には定期収入が必要です。もし、トレーニングが無料でも、収入がなければ、彼女達はやって来られません。だから、正当な対価を払っています」。こうした態度は、自らのウェッブサイトでは、「損失も、配当もないビジネス」と表現されている。
「加えて、私達の生活支援プログラムでは、それを接点としてサプライヤーと繋げることで、地球環境を破壊しない、環境への負荷が少ない計画を立てています。環境や健康に留意した安全な食材を生産している小規模な農家や栽培者を探し出し、私達の理念に賛同したサプライヤー同士を繋いでいます。私達はお店を、地域の社会起業家の活動の発表、NGOの活動、みんなが問題意識を持っていることについてのイベントなどを通じて、お客様同士を繋ぐ、コミュニティのための場所として利用しています。お店はミーティングや読書会で集まる場所にもなって欲しいです。将来は、ここで提供している料理や素晴しい料理を教えるクリエイティブな料理教室も開きたいですね」。
現在は、12人の研修生がトレーニングを受けて、社会に出る準備をしている。最初にトレーニングを受けているうちの4人は、もうすぐ料理人になったり、ヤンゴン・ベークハウスを支援しているホテルやレストランで飲食業に就職する。
4人の共同経営者は、ソーシャルビジネス事業を運営するために、マーケティング、レストランオーナー、NGO活動、別の地域でのソーシャルビジネスなど、バックグランドの異なる専門領域を互いに活用している。各人が専門性を持ったエキスパートだったことが、一年経たずにヤンゴン・ベークハウスを軌道に乗せることに役立った。Phyu Phyu Tinは、ビジネスではあるけれど、女性の支援にプライオリティがあることを強調する。
 「たしかにビジネスではあるけれど、女性が自らの人生をより良いものに変えられたと感じた時の満足感は、お金や利益とは比べものになりません」。そう言って、カウンターの奥で働く女性達を指し示した。
もうすぐ研修を終えるNandaは、「自分が何でもできるんだと、以前より自信がつきました。海外で学位を取って、プロの料理人になることが夢です」と語った。
ソーシャルビジネスは、まだミャンマーでは目新しいコンセプトだ。だが、ヤンゴン・ベークハウスが新鮮な食事を提供し、もっと多くの常連客のお腹を、上質なサンドイッチとキッシュとコーヒーで満たし続けるなら、このコミュニティはきっとより良い未来へ向かうためのチャンスを掴み取るだろう。   

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2013年7月29日月曜日

【続き】ミャンマーでのネットビジネスの可能性(2)

前回の投稿の続きです。
先月の6月27日に発表された、ミャンマーの携帯電話事業の入札結果については、いろいろと裏を憶測する向きもありますが、選考過程は概ね公平・透明に運営されたのではないかと思ってます。
個人的には、選考委員会に提出した事業計画書の投資規模が決め手になったと感じています。
今回選ばれた二社(ノルウェイのTelnorとカタールのOoredoo)が提示した投資計画の金額は、日系の通信会社が提示した金額の6倍以上だったと関係者の間で囁かれています。共に約1兆円規模をこの国の通信事業に投資する計画は、日本政府が債権放棄した5,000億円を遥かに越える金額です。選ばれた二社が今回の入札に賭ける意気込みと覚悟を感じさせますね。
もうひとつ考えられる要因は、多くの日系大企業でありがちのことです。決定権を持っている職責の有職者が積極的にコミットしていなかったと思われます。現地に来て活動するのが課長や課長代理クラスの社員なので、満足なロビイングが出来ない。他の外資系企業では、全権委任を受けた役員クラスが、現地で陣頭指揮を執るのが一般的です。現地での広報活動に、いちいち本社にお伺いを立てないと動けないのでは、熾烈なロビイング競争を勝ち抜くのは難しいです。また、中間管理職クラスの役職者では、ミャンマーの担当大臣にお目もじするのは不可能でしょう。
それでは、記事の続きです。

『mizzima BUSINESS WEEKLY』30号 2013年7月25日号 より記事転載(原文は英文) 
 ミャンマーのネット難民(後編)
ソーシャルメディアは、負の側面を乗り越えて、ミャンマーのコミュニケーションを変えるか?
Text by Cate Cadell 



eコマースという選択肢
途上国で、オンライン販売のトレンドを予測することは難しい。
Squarのチームは、他の企業と同様に、銀行システムが機能していない現状を予測するために近隣のベトナムや中国のモデルを参考にしている。
「eコマースの見通しは明るいです。中国では通常の銀行振込は全体の僅か20%ですが、eコマースや電子決済は数百億円規模になります」Ritaは語る。
ミャンマーのオンライン消費市場にとってポジティブな指標は、中国の先行事例だけではない。オンライン・ゲーム雑誌をミャンマーで発行する業界のリーダーMMgamers.comの創業者Waye Tun Myintは、毎日10,000人を越えるローカル・ユーザがWorld of Warcraftをプレイするために、プロクシーサイトにアクセスすると語る。
「問題はお金ではなく、ネット接続環境です。私はいつも、たとえ第三世界の住人でも、やっぱりダイヤモンドとゴールドは好きだよと言ってます。ここでもみんなゲームにたっぷりお金を使うと断言できます」とWaye。
今のところWorld of Warcraftは国内でブロックされている。つまりユーザは、ミャンマーでのみアクセスできる7つの海賊サーバにアクセスしている。ユーザはたとえお金を払いたくても、払うことはできない。ミャンマーの銀行システムは、オンライン決済をサポートしていないからだ。「ユーザは30時間無料でプレイし、それからアクセス先のサーバを変えます」。
ネット接続の環境は、増加するオンライン・ゲーマーとって最大の問題だ。そもそも、World of Warcraftは比較的使用する帯域が少ないから普及した。「お金を持っているユーザにとっては、ネット環境が悪いことが制約になっている」Wayeは言う。「ヤンゴンのミャンマーITCパーク(訳注:IT開発企業があるミャンマーを代表するIT開発拠点)へ事務所を置いているが、それでも接続状態は良くない」。 

規制の下で
ネットの接続環境が改善されたとしても、オンライン・ゲームが他国から孤立しているという問題がある。これはミャンマーのソーシャル・メディア共通の問題だ。
「プライベート・サーバでは、我々はミャンマー国内のユーザとだけ対戦できる。選択肢は他にない」とWayeは言う。 政府規制をかい潜る代償に、ユーザは国外のサーバではプレイできず、ミャンマー国内の限られたユーザを対象にするしかない。Wayeによれば「我々の多くは海外のゲーマと腕試しをしたいが、その方法がない」。
 スタートアップ企業やネチズンが、政府による入札で事業権を得たTelenorやOoredooといった大企業がミャンマーの通信市場へ信認を示したことに勇気づけられている。 この二社は9社間で争った最終選考を制し、一般的に疑念をもたれている市場へ、驚くほど大胆な投資を表明している。電気通信事業法が未だ成立していないにも関わらず、二社は数百億のインフラ投資計画を大胆にも実行しようとしている。
「法規制の大枠さえ存在しないところに、政府が事業認可を出したことは大きな懸念事項だ」ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア地区ディレクター副理事Phil Robertsonは指摘する。「今回この二社は、非常に大きなリスクを取ったことになる」。「彼らは携帯電話利用者の使用状況について、政府が求める監視、検閲へ協力することを求められるだろうが、それは個人情報を保護する会社の方針と相容れないはずだ」。
World of Warcraftのようなプラットフォームで監視と規制が適用される一方、ミャンマーではインターネットが比較的新しいことが有利となっている業者もいる。
「私達は政府と交渉したことはありません」Ritaは語る。「当面のあいだ規模が小さいため、その必要はなさそうです」。
「それと同じで、今のところみんな気楽にネットで好きなことを書いている。彼らは政府について、考えが及んでいない。彼らは、私に20年の実刑を言い渡した法律がまだ生きているのを考えていないみたいだ」とはNay Phone Lattの発言だ

ヘイトスピーチの問題
これからは、ソーシャルメディアに対して、政府機関の関わりが強化されることが予測される。だが、政府による監視が、規制の中に盛り込まれるかどうかはまだ分らない。
先月、ヘイトスピーチ防止のワークショップが、アメリカ大使館で開催された際、情報省副大臣のYe Htutは「政府は検閲の再開は考えていないが、法を犯す者を抑止する用意はある」と語った。現在のオンライン上の活動を禁じるミャンマーの法律は、2004年に制定された。
政府はソーシャルメディア対策の不備を取りざたされることを懸念している。最近の仏教徒とイスラム教徒との衝突が起こった時には、一部で批判が声が上がった。Ye Htutは、政府はオンラインでの通報システムを確立する意思があると語った。「有害な情報」を発見した場合は、政府により監視される。
「検閲で問題視されるのは、政治的な信条よりも、Webサイト上のセックスやポルノ的な情報に関連したモラルの問題だ」 ANUカレッジ・オブ・アジア・アンド・パシフィックの博士号取得候補者のDavid Gilbertは解説する。「モラルの問題に関する規制と検閲が緩和されるサインはない」。
「これからの規制と検閲は、新しく、より洗練させた方法が取られるだろう。時期が来れば、政府はアメリカのブルーコート・システムのような、先進的な検閲技術を採用するだろう」とDavidは語る。
「今の政府は少しばかり、迫り来る車のヘッドライトを見つめる大鹿みたいに見える。立ち止まったまま、それが何だかも分っていない」ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア地区ディレクター副理事Phil Robertsonは言う。「インターネットの規制に関して、ミャンマーが見習うべきベスト・プラクティスはある。しかし政府は今のところ、こうした概念が理解できていないようだ」。
政府がスピーチとヘイトスピーチの線引きが上手くやれれば、投資家とネチズンはミャンマーのインターネット・ユーザのアクセス先を増やし続けることだろう。
「Twitterでミャンマーのハッシュタグを見ると、みんな"CNN"か"Time"かミャンマーの問題に関する話題なの。でも私達には、語るべきもっといい話題があるはずだわ」Ritaは言う。「私達はプロパガンダのための機械を作る訳じゃない。ミャンマーの若い人が発言できる機会を作りたいの」。

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2013年7月27日土曜日

【Myanmar News】ミャンマーでのネットビジネスの可能性(1)

ミャンマーでのインターネット普及率は、総人口の1%以下と言われています。
携帯電話の普及率は10%以下です。
ヤンゴンに住んでいると、20代以下の若者はみんなFacebookのアカウントを持っているように思えますが、これは都市部に住み、PCにアクセスできる比較的高学歴層の傾向で、人口比からすれば3%以下ではないかと推測します。おそらく、現在20代で大学まで進学すれば、主に在学中に同級生とFacebookで繋がることができるでしょうが、それ以外の階層だとネット上で仲間を見つけるのは、難しいのではないかと考えられます。
この状況が、先日の政府入札で外資系2社(ノルウェイのTelnorとカタールのOoredoo)の携帯電話事業への参入が決定したことで、大きな変化がありそうです。
途上国のインターネット普及の特徴として、PCをスキップして、スマートホン経由でネットへのアクセスが一般化するからです。
ここでも、抜け目ない外資系企業が、各種事業設立の準備を始めている模様です。
これらの動向に関連して、タイムリーな記事があったので、ご紹介します。

『mizzima BUSINESS WEEKLY』30号 2013年7月25日号 より記事転載(原文は英文) 
 ミャンマーのネット難民
ソーシャルメディアは、負の側面を乗り越えて、ミャンマーのコミュニケーションを変えるか?
Text by Cate Cadell



ミャンマーのネット環境はどれだけ変化しただろう?
たとえば5年前まで、ミャンマーでFacebookにログインするのには複雑な手続きが必要だった。活動的なネチズンは、政府規制をかい潜り、プロクシーサーバを乗り換えるイタチごっこのゲームに精通していた。彼らはネットエリートの代表だ。主にヤンゴンに住む、人口比で0.2%以下の小さなグループが、政府が設置したファイアーウォールを潜り抜けていた。
2010年の政府規制の緩和を受けて、ソーシャルメディアと娯楽に対する消費活動は急激に拡大し、ミャンマー市場のネット接続への欲求が明らかになった。ところが、政府があまりに貧弱なネット接続率に言及するようになると、ソーシャルメディアに対する限界が浮上してきた。
Facebookが、ネチズンにとって、デジタルの足跡が残さずに済む、唯一のアクセス先なのだ。
「ミャンマーの若者はオンラインにやって来た。でも、彼らは行き先を持たない」今月立ち上げたばかりのミャンマーのソーシャルメディア・サイト"Squar"の共同創業者でCEOのRita Naguyenは言う。「Facebookは、ネット上にいる人を知っている場合はとても便利です。でも、ミャンマーのような国では顔見知りや友人はネット接続をしていないので、友人を見つけられません。Facebookは、誰も知合いのいない、からっぽの場所なのです」。
これは活動家と投資家が共に同意する意見だ。
オンラインの消費者サービスは、生まれたばかりのミャンマーのネチズンには提供されていない。この問題は、前政権のインターネット規制に端を発するのだろう。 

オンラインの先に
政治犯の経歴があり、活動家とブロガーとしての受賞歴を持つNay Phone Lattは、最初の検閲抜きのインターネット体験を「奇跡的だった」と表現する。
「シンガポールで目が覚めて、 コンピュータに向かった。一日中ネットに繋がったまま、コンピュータの前を離れなかったね」。
Nay Phone Lattはこの時も、ミャンマーのネチズンが、オンラインで向かう先が大きな問題だった、と語る。彼の言うには、民主化が始まる前のミャンマー人の活動的なオンライン・コミュニティは非常に少数で、ほんの一握りのブロガーのグループで構成されていた。
「この時期には、国外に住む多くのミャンマー人コミュニティがあり、ミャンマー語はインターネット上には存在せず、彼らは自力で我々ブロガーを見つけてくれた」。 
ミャンマー語のフォントを使って書いたブロガーは、みんなお互いに繋がり合い、結びつこうとした。我々は非常に少数派だったからね」。
「ミャンマーにいる人達は、我々のブログを見ることができたが、プロクシーサーバを通してのことだった。だから、それをミャンマーの人々にも教える必要があった(訳注:おそらく政府設置のプロクシーサーバのため、アクセス履歴が政府の検閲担当者に知られることを指している)。プロクシーサーバは、Gmail、G-talk、Facebook、そしてすべてのブロガーのサイトを見るのに必要だ」。
2008年1月、ミャンマーで最初にブログ上のフォーラムを開いた数ヶ月後に、Nay Phone Lattは逮捕され、政治活動の咎で20年の禁固刑を言い渡された。政治犯に対する恩赦を受けた一人として、彼は2012年に出獄した。自分が刑務所の中で4年過ごしていたにも関わらず、依然としてミャンマー市民は、オンラインでの行き先を持たないと、彼は主張する。

Facebookを取り込む
"Squar"は、ミャンマー語で最初のソーシャルメディア・サイトであり、ミャンマーのネット難民で溢れる市場に切り込み、ニーズに応えることに挑戦するスタートアップ企業の一社だ。
今、もしあなたがヤンゴンに居るなら、ベトナムの投資チームが市内でWifiスポットを巡っているに気がつくだろう。多数のフリーのジャーナリストとコンサルタントを伴って、彼らは電波帯域とオフィススペースを求めて街を彷徨っている。こうした彼らの慎ましい有り様の一方で、投資家から十分な資金提供を受けたプロジェクトは、最初の12ヶ月で100万を越えるユーザを獲得するつもりだ。これは今のミャンマーのインターネット人口よりも多い。シリコンバレーで経験を積んだCEOのRita Nguyenは、ミャンマーでオンラインのスタートアップ企業が、ユーザから選好されることは非常に容易だと言う。
「取組むべき問題は山ほどあります。いつも資金調達は、もっとも難しい仕事のひとつです。問題がなかったとは言いませんが、ミャンマーは私達にとって信じられないくらい投資資金を集めやすい場所でした」。
これから新しいユーザ・インターフェイスへ注力し、今まで無かったチャットやグループ機能を実装する。
Ritaが言うには、「(ミャンマー語のソーシャル・ネットワークは)これまでのオンラインには存在しませんでした。これからユーザを見つけ、新しいユーザと出会うことになります」。
彼女は「私達のユーザはみんな、Facebookのアカウントを持って欲しいです」とまで語った。この主張の根拠は、"Squar"が新しいネット・ユーザにとって、これから増加するであろうアクセス先へ、最初の足場を提供すること念頭に置いているからだ。
「これまでとは違った挑戦になるでしょう。外国人はオンラインの友人をネットワーク上に持っているし、実生活で会ってるいる人を見つけることも簡単です。でも、ここでは違います」。

ブームの最中で
ミャンマーのネット接続は、二つの外資系携帯電話事業者が事業権を落札したことで、飛躍的に上昇することが予想されている。政府の設定した目標は、2015年までにカヴァーエリアを現在のわずか1.5%から、80%まで引き上げる野心的なものだ。ターゲットとして、ミャンマーのオンライン消費者がどう反応するかは誰も予想できない。仮に選考段階で入札に参加した会社の市場への信認を基準とするならば、見通しは明るい。
初期のミャンマーのソーシャルメディアに対する報道は、「969運動」(訳注:仏教徒による反イスラムの運動)の排他的な民族運動や、オンラインでテロ・グループと目された団体で占められていた。ヘイト・スピーチを通して大きくなる負の側面への懸念もさることながら、ミャンマーのソーシャルメディアには違った面もある。ミャンマーの若いネチズンによるエネルギーに満ちた市場は、うんざりするような政治的な領域には背を向け、以前は手が届かなかった消費文化のきらびやかさに魅了されている。
「今年の3月に出来た最も知られた『969』のサイトと、一ヶ月後に出来た(ミャンマーの)セレブリティやタトゥーのサイトを比べてみれば、後者のサイトが2倍の数の『いいね!』を集めている」、ANUカレッジ・オブ・アジア・アンド・パシフィックの博士号取得候補者のDavid Gilbertは指摘する。「はっきりしているのは、ミャンマーの人々がマスレベルでオンラインに魅了されるのは、最新の映画、音楽そしてセレブのゴシップだ」。
GDPが1,000USD以下(訳注:マッキンゼーのレポートでは1300USD)で、インターネットの普及率は北朝鮮と並ぶ程わずかなこの国で、オンライン販売のブームを予測することは難しい。そもそも、eコマースの選択肢が存在しない以前に、それは一般にソーシャル・メディアの消費文化と共に形成される。しかしながら、最近の傾向は、生まれたばかりの電子コミュニティに対して、消費者の態度と規制の緩和が取りざたされる中で、コミュニケーション方法の改善に大きな潜在的な利益を認め、投資家はリスクを取ろうとしていることを示している。
「大変な時もあります」Ritaは言う。「私達はネットへ接続すること、それ自体が正しいという哲学で、この市場に参入しました。私達は、とにかく自分達で取り組むことが出来る問題に集中します。それ以外の部分については、解決されるのを望むだけです」。

ここまでで、2ページ半。
あと4ページほど記事がありますが、長いので今日はこの辺にしときます。

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2013年7月24日水曜日

ミャンマー的映画生活

娯楽の少ないミャンマーで、夜を過ごすのに欠かせない娯楽が映画鑑賞です。
近所にDVD屋があり、ブルーレイディスク1枚が2,500チャット(約250円)とレンタル・ビデオ屋感覚で買えるので、時々利用しています。
そのDVD屋の様子が、最近非常に怪しい。
夜になっても、店先の電灯を点けず、入口は南京錠で施錠してます。


前もってここがDVD屋だと知らないと、何の店だか分りません。


そもそも営業しているかどうかも分らないのですが、内側から仄かに明かりが漏れているので、開いているのだろうと踏んで店の前に行くと、見張り(?)をしている女の子が鍵を開けて入れてくれました。


外の怪しさとは裏腹に、店内はそれなりに賑わってました。
著作権絡みで、当局から注意でもされたのでしょうか?
ミャンマーには、著作権法があるにはあるけど、まったく機能してないので、そういう懸念はなさそうなのですが。遊園地行くと、ミッキーマウスとミニーの着ぐるみとか、ガンダムのオブジェとかあるし(笑)。

せっかくなので、ここ最近観た映画の紹介をします。

寺山修司が激賞したというのも納得のシュールなキング・オブ・カルトムービー。
感情や情緒を排した、乾いた暴力と死が延々と続く。
メキシコ映画ですが、作家のロベルト・ポラーニョが長編『2666』で実際にあったメキシコでの連続女性殺人を、作中で一章を割いて描写していたのと同質の荒涼とした映像です。
ポラーニョの作風は、この映画に影響されている可能性が高いですね。
登場人物が無意味に鬼畜なのは、タランティーノへの影響も大ではないかと。

売っているDVDは中国製なのですが、中国では岩井俊二が人気があるのか、彼の監督作品をよくDVD屋で見かけます。
日本の国内に移民や流民で構成されるインナーシティがあって、治外法権の解放区になっているというアイディアとイメージの原型は、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』に端を発すると思います。それを最初に映像化したのは石井聰亙の映画『爆裂都市』ですが、この映画もその系列に連なる作品です。
ところどころ魅力的な映像はあるのだけど、何か足りない。荒涼としたエリアでサバイブしている登場人物にあってしかるべきの、漲るような生命力とか圧倒的な暴力性が画面から伝わってこない。言い換えれば、エルトポ度が低い。
考えてみれば日本人のエルトポ度が低いから、メキシコのような残虐で無慈悲な大量殺人事件が起こらないわけで、それは喜ぶべきことですね。というわけで、日本人の幸福さと、文化的な限界を示す作品だと感じました。
『エルトポ』観た後に、この映画観たから、たまたまそう感じただけかもしれませんが(笑)。

素晴しい。ビキニ --> おっぱい --> お尻 --> ビキニ -->と映像がサブリミナルのように無限ループする眼福映画。ソフィア・コッポラを暴力的にしたようなガーリーな映像も最高。蛍光色を強調した人工的な色彩が美しい。映像はガーリーなんだけど、ストーリーはエルトポ度高し。言ってみれば、『ヴァージンスーサイズ』と『スカーフェイス』を足して割ったような映画。私は両方とも好きななので、この映画も当然好きです。

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