2022年1月3日月曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーバードライブ』12

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   Soe Mayに別れを告げてギャラリーを後にした。ここからマハバンドゥーラ通りを二キロメートルばかり西に進むとボージョー・アウン・サン・マーケットがある。宝石、骨董品、民芸品などを扱う店が一〇〇〇軒あまり密集する観光客向けのバザールだ。ここにもギャラリーがいくつかあると聞いていたので、覗いてみることにした。
 英国植民地時代から続くコロニアル様式のアーケード状の建物は歴史を感じさせるものの、マーケットで売られている商品は雑多で、これといった工夫もなく、食指の動くものはなかった。施設内に点在するギャラリーを何軒か回ったが、ミャンマーの風景を印象派風に描いた絵画、僧侶やパゴダなど外国人にとってエキゾチックなモチーフを描いた旅行者向けの作品が主流で心動かされるものはなかった。さしずめチャイナ・トレード・ペインティング–––十八世紀末から十九世紀後期の清朝で描かれた西洋への輸出用絵画–––のミャンマー版といったところだ。
 早々にボージョー・アウン・サン・マーケットを出て、裏口の石畳の舗道伝いにローカル環状線の鉄道を跨ぐ木製の陸橋を登った。橋の片側に露店がいくつか出ていた。地べたに敷いたビニールシートの上に川魚や鶏肉・豚肉、野菜や果物が無造作に並べられている。魚や肉の生臭い匂いが鼻を突いた。四十度近い気温の中を歩いてきたので、体は汗まみれになっていた。今は五月の中旬で本格的な雨季に入る前だが、空気は湿気を孕み始めていた。街を行く現地の人々の半分程度は男女とも民族衣装である巻きスカート、ロンジーを穿いていた。トップスはTシャツが多い。この気候の中で一番過ごしやすい服装なのだろう。
 陸橋を降りた先はヨーミンジー通りに通じていた。ブティックホテルや外国人向けのカフェ、レストランが集まるエリアだ。何か目新しいものはないかと付近を散策していると、入口にカラープリントされたビニールシートの横断幕が張られた建物が目に入った。
「An Exibition by Chu Chu Khine」という
個展を告げるキャプションとその文字を挟んで、髪を高く結い、片手に尖塔のような形をした何らかの儀式に用いられる壺を片手に抱えた同じ女性の絵が左右対称に配されていた。女性はエンジーと呼ばれる長袖のブラウス状の民族衣装を上に着ているがボトムスはショーツ一枚だった。
 描かれた絵の奇妙なコントラストに惹かれて中に入ってみることにした。敷地内には木造二階建ての建物を改装したギャラリーがあった。交差した木製の格子により菱形の幾何学模様を形作った窓が二階に並んでいるのが見える。ミャンマーの伝統的な意匠を持つ古民家だった。少しばかり京都の町屋を連想させる。木製のアーチ状のポーチをくぐってドアを開けると、中は白く塗られた壁にアクリル絵の具で描かれたカンヴァスが等間隔に架けられた空間だった。私の他に客はいなかった。
 展示されている作品はすべて外の横断幕と同じ顔の女性像だった。皆髪を高く結っている。記録写真などで見る、日本の正月の鏡餅のように円形が二段重ねになった形状のビルマ王朝時代の女性のヘアスタイルだ。正面を向いた女性達の視線はカンヴァスの中からこちらに向けられているが、そこからは何の表情も読み取れない。伝統的な衣装を身につけた女性像は、半裸だったり、はだけた衣服から乳房が覗いていたりした。性的なタブーの強いミャンマーで裸婦像の作品は珍しい。背景は民族衣装のロンジーに使われる柄が描かれているか、作品によってはロンジーの布が直接カンヴァスに貼られているものもあった。
 絵の中の同じ顔をした半裸の女性達は、足を組んだり、広げたり、腕を組んだり、頬杖をついたりしていて、どことなく挑発的な態度のように見える。同じ人物が異なった衣装を着て、様々なポージングを取るという表現手法はシンディー・シャーマンの「アンタイトルズ・フィルム・スティール」を思い出させた。ステレオタイプ化された女性像に対する問題意識が作品の核となっていることも共通している。現代美術の分野では、いささか定型化されたテーマだが、それを補ってあまりあるだけの強度とオリジナリティが作品を世界的な水準にまで押し上げていた。スマートフォンで作品の写真をいくつか撮って、作家の名前をアプリのメモに記入した。
 展示スペースは二部屋で、奥の部屋から入り口に通じる部屋に戻って外に出ようとしたところ、若いミャンマー人の女性から作品がカラー印刷されたパンフレットを渡された。丈の短い上衣のエンジーと巻きスカートのロンジーというミャンマーの伝統的な民族衣装姿だった。上下とも光沢のある白地のシルクに金の刺繍が施された高級感のある生地で仕立てられていた。ミャンマーで着られている民族衣装は、仕立て屋に客が気に入った生地を持ち込んで作らせた、一点物のオーダーメイド品だ。テーラーの看板は、ヤンゴンの街角の方々にあげられている。ミャンマー人女性は、行きつけのテーラーを必ず持っていると言われている。他の国の女性が、気心の知れたスタイリストのいる美容院に通うのと似ている。
 パンフレットを受け取ると、「私の個展はどうだった?」と訊かれた。
「これ君が描いたの?」と私は驚いて尋ねた。こんなに若い女性の作品だとは思っていなかった。
「そう」と彼女は微笑んで答えた。笑うと丸みのある頬にえくぼができた。真紅のリップが引かれた口元から綺麗な歯並びが覗けた。くっきりと弧を描いた太い眉の下の大きな瞳は意思的な眼差しを宿している。褐色の肌と彫りの深い顔立ちの典型的なビルマ美人だ。
 虚を衝かれて咄嗟に言葉が出てこなかった。言うべきことを考えながら改めて彼女の姿を眺めた。タイトなエンジーとロンジーが細身の体にぴったりと張り付いている。長く伸ばされた黒髪は背中まで達し、室内の照明を反射してひそやかな煌きを放っていた。数秒間の沈黙の後、彼女に訊いた。「描かれているのは同じ女性に見えるけど何か理由はあるの?」
「女性達はマンダレー王朝の女官をイメージしてる。イギリスの植民地になる前の最後の王朝ね。私はマンダレー出身なの。私の地元では、この時代の女官がいまだに理想の女性像だったりするわ」。彼女は絵の一枚を指差しながら答えた。
「女性が半裸だったり、下に身につけてるのがショーツだけだったりするのは何か意味があるの?」
「民族衣装を着た女性達がセクシャリティを強調しているのは、この国の女性に求められるステレオタイプの女性像に対する違和感から来ている。女性達が現代的なポーズを取ってるのも、女性を縛るそうした過去の因習めいたものが現代へと繋がっていることを表しているの」
「背景がロンジーの柄なのもそうした意図が反映してる?」
「そう」と彼女は頷いて、再び微笑んだ。
「日本で展覧会に参加したり、作品を販売することに興味がある? 君の作品は海外でも受け入れられそうだ。ミャンマー固有の民族的なモチーフとテーマの世界性が共存してるから」
「ありがとう。去年パリで個展を開いたわ。評判も上々だったし、絵も何枚か売れた」
 彼女は若いけど、まったく無名の作家というわけでもないようだった。すでに目を付けている海外の画商もいるのだろう。気付くのが遅かったかなと少しばかり後悔した。
「日本の福岡という都市に南アジアの現代美術に特化した美術館があるんだ。そこの学芸員へ君の作品を紹介してもいいかな?」
「もちろん。他の国で私の作品が認められるのは嬉しいわ。今のところ海外ではヨーロッパとシンガポールでしか個展をしたことがないから」
「君の作品を見せて、先方に関心がありそうなら連絡する。展示とか購入とかにつながればいいけど」
「ありがとう。今までギャラリーでの経験しかないから、美術館で作品を展示できる機会があれば嬉しいわ」
 渡されたパンフレットにも書かれていたが、Facebookのアカウントとメールアドレスを念のため確認してギャラリーを出た。エアコンの効いた室内から外に出ると、湿気を含んだ熱帯の空気が体にまとわりついた。湿度の高さが雨季の到来が近いことを告げていた。

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