2013年6月17日月曜日

【Myanmar News】裏通りの起業家たち

ミャンマーのローカル雑誌・ジャーナルから、海外にはなかなか伝わらないタイプのニュースを紹介します。
今回は、女性起業家によるレストラン開業に関する記事です。女性経営者そのものはミャンマーでも珍しくありませんが、ほぼ全員が富裕層の家系の人です。ミャンマーでは、今まで出自がその後の人生の収入や経済状況を決めていました。軍事政権時代の政商(クロニー)の子弟には、フェラーリーやランボルギーニーを乗り回し、自分と仲間が集まるための会員制のバーやレストランを所有している者もいます。
その一方、赤子を抱えた四、五歳くらいの年頃の子供が通りで物乞いをしたり、夜にはやはり同じ年頃の子供達が、籠を頭に載せて酔客相手にツマミを売る光景も当たり前のように見かけます。ローカル客相手の飲食店で働くウェイトレス・ウェーターは、概ね小学生・中学生くらいの年頃の子達です。当然、学校教育は受けていないでしょう。
もし学校へ行けたとしても、真っ当な教育を受けることは容易なことではありません。ミャンマーでは軍事政権時代に、反政府運動の芽を潰すことを目的に学校教育を意識的に弱体化したため、学校教育のレベルにも大きな問題があります。そのため、経済的に余裕のある富裕層は、国内で受けられるレベルの低い教育を嫌い、その多くが子女を国内のインターナショナルスクールから、アメリカ・カナダ・シンガポールなどの海外の大学へ進学させるケースが多いようです。
生まれた家系により、その後の教育機会や経済状況がほぼ決ってしまう超格差社会、というより前時代的な身分制・階級制が適用された社会だったわけですが、外国との国交の回復にともない変化の兆しもあらわれ始めているようです。
今回の記事は、そのモデルケースの一つと言えるでしょう。


『mizzima BUSINESS WEEKLY』681号 2013年6月13日号 より記事転載(原文は英文)

Back Street Entrepreneurs
紛争地域カチン州出身の二人の女性起業家が、新天地を求めてヤンゴンのレストランシーンへ登場
Text by Kasper Stengaard

ここが彼女達にとっての農園だ。汗ばんだ手がノコギリでベニヤ板を引き、塗り立てのペンキの匂いが鼻を突く。未開封の冷凍機器と、落ち着いてはいるものの隠し通せない興奮。 来るべき日は足早に近づいてきている。Sanchaung区(訳注:ヤンゴンの住宅地区。中産階級のミャンマー人が多く住み、スーパーマーケットなども他のエリアに比べて多い)に、新しいレストラン「Lady Finger」がもうすぐ開業する。二人のオーナー、Nue Nue 29歳とAh San 28歳は、店の掃除をし、メニューを考え、スタッフを雇用して来た。彼女達のレストランを、長期的なビジネスモデルを採用しながら、周囲から際立ったものにすることに、ずっと頭を絞っている。

最大の難題
ミャンマーでのビジネスは、エアコンが効いた、ベルベット敷きの部屋での豪華な会食では済まされない。笑顔が絶えないカチン出身(訳注:ミャンマー北部で最も少数民族紛争の激しい地方。イギリス統治時代の政策の影響で、キリスト教徒が多い)のコンビは、創意工夫をもってすれば、たとえ控えめな投資であっても、すぐれたサービスの料理店が、同業者の競争が激化しているヤンゴンで開業できることを証明すべく奮闘している。
「私たちにとって最大の難題は、適正な値段で立地の良い場所を見つけることでした」 Nue Nueは、3平方メーターの段ボールが「Lady Finger」の本社戦略室だった頃を振り返る。数週間の間、できるだけ早く足がかりを作ろうと、案を練り続けていた。不動産雑誌を読みあさり、数え切れない程の物件を見た末、劇場を建設中で、オーナーが観覧客への食事を提供する店子を欲しがっている物件に行き当たった。

地の利を生かす
高校時代からの友人である、共同経営者のAh Sanは、ビジネスにはーそれが、どんなビジネスであれー場所が大切だと語る。
「ここSanchaungは、私たちが提供する、手頃な値段の食事を気軽に楽しめる中産階級の人がたくさん住んでいて、しかも近所にカチン料理を出す競合店はない。そういった意味で、最高の場所だと思う」と彼女は言う。
ミャンマー最北部の州の郷土料理は、その美味しさの特徴として、ミャンマー人でも汗ばむほどの大量のトウガラシで味付けされている。

夢を叶える
ニンニクの束とプロパンガスのタンクの脇に立つ、二人のオーナーは料理人でもある。Ah Nanは、夢の実現のため、遠く離れたミッチーナー(訳注:カチン州の州都)からスカウトされてやって来た。二人のオーナーにとって、「Lady Finger」は単なるビジネスではない。「レストランか洋服屋を開くのが、ずっと夢でした」Nue Nueの声が、六つの真新しいテーブルと、客の到来を待つ二十四脚の椅子が並ぶ、まだ、がらんとした部屋に反響する。
誰もが夢を実現する手段を持っているわけではない。事務員の給与が、週80時間働いて、月100 USドル程度のミャンマーで、必要な資本金を工面するのは並大抵のことではない。

試練に耐える
鮮やかな色彩でレストランの壁が満たされている。二人のカチンのアーティストへ「Lady Finger」に相応しいトレードマーク作りが委ねられた。メッカのカアバ神殿と同じ役割を果たすように、カチンの祝祭のもと、ステージのような巨大なダイニングの周りを踊る人々が取り囲む。カチンについて人々が思い浮かぶものが、竹で作られた兵士のカムフラージュのための扮装から、居心地の良い、落ち着いたレストランへと変わりはじめている。
二人の女性は新しい旅立ちへの興奮を隠せない。だが、時には忍耐力を試される局面もあった。レストランの営業許可を取得するのは、本当にうんざりすることの連続だった。役所の担当者は約束を二回反故にした。雨期にレストランを開業するために、担当者の承認を取付けるのは不可能に思えた。その最中、カチンからの到着を待ちわびていたウェイトレス達は、直前になってヤンゴン行きの列車に乗るのを取りやめた。二三日して、彼女達はやっぱり行くことにしたと伝えて来た。もっとも、おそらく他の東南アジアの国に比較しても、ミャンマーでビジネスをするには、いろんな障害に出くわすことを覚悟しないといけない。
このような地域独特の予想外の出来事への挑戦は、起業家のダイナミクスとして、間違いなく世界共通のものだ。ビジネスを成功させるためへの挑戦は、ヤンゴンであろうがワシントンであろうが変わりない。Ah Sanは彼女達が、これからも大きな試練が待ち受けていることを認める。
「私達は、雨期の始まる時期に開業します。お客さんを集めるのは、正直大変だと思う。でも、この時期を私達のLady Fingerを知ってもらうために使わなければならない。そのために全力を尽くします」と彼女は言う。認知度の低いカチン料理の美味しさを知ってもらうために、パンフレットをスタッフに配ってもらうとも教えてくれた。
Nue Nueは、彼女もまた、自分のレストランを経営する夢の実現に向かっているところだと強調した。「もちろん、やるべきことは山ほどあるわ。でも、私達はきっとやりとげる」。


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