2021年9月24日金曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーヴァードライブ』4 (2)

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 調べてみると、瞑想センターによってメソッドや指導法にかなり違いがあることがわかった。瞑想のメソッドはサマタとヴィパッサナーの二つに大きく分けられる。サマタは呼吸などの対象へ一点集中することによって禅定の状態に達することを目指している。ヴィパッサナーは集中力を使わずに、心身の観察によって気づきを得る瞑想法だ。ただし、ヴィパッサナーから枝分かれして、サマタのような集中没頭型の瞑想法を開発した比較的新しい分派もある。伝統的な指導法として、サマタ瞑想によって禅定の状態に達し、意識にニミッタと呼ばれる光が現れるようになった後に、次の段階としてヴィパッサナー瞑想に入るメソッドを採る瞑想センターもある。このメソッドでは、光が現れるようになるまで次の段階に進めないため、何年も先の見えない修業を続ける瞑想者もいるようだ。
 いずれの瞑想法も最終的な目標は解脱して涅槃に達することを目的としている。
 解脱とは、条件付けられた欲望や本能から超出した、認知の転換を意味する。人間も生物として、他の生物と共通する欲望や本能を備えている。自己保存を図るため快を求め不快を避ける欲求や、自らの遺伝子のコピーを増やす衝動に基づく生殖本能は他の生物と変わりない。進化の自然選択によって獲得されたこうした形質は、個体の自己保存と遺伝子の拡散を目的とするもので、それは必ずしも個人の幸福とは結びつかない。

 最初期の仏教は、通常の世間の人々の考える、欲望により形作られた世界を解体し、そこから超出するラディカルな理論と実践の体系として出発した。これは仏教が、古代インド北部の王国の王子として生まれ、容姿にも才能にも恵まれ、物質的には何不自由ない環境で暮らしていた青年、ゴータマ・シッダールタによって開かれたことに由来している。世俗のレイヤーでは悩みようのないこの青年ですら逃れられなかった「苦」–––パーリ語の「ドゥッカ」の翻訳に漢字のこの文字が当てられた。単なる苦痛というよりもより射程の広い意味を持つ。英語では「不満足(unsatisfactoriness)」と訳されいる–––から解放されるため、六年に及ぶ思索と修行の果てに証得したのは、「世の流れに逆らう」智慧だった。ゴータマが達したのは、生物的な本能に根ざした、快適な状態を望み、いとおしいものを愛で、危険や不快から遠ざかる感覚を「苦」を形作る煩悩として滅尽し、世俗のレイヤーの価値観が織りなす世界から別の次元、涅槃へと超出することで、真の自由を獲得できるという結論だった。
 「覚者」仏陀となったゴータマが完成させた、欲望や本能による条件付けから解放された領域、涅槃に到達するための理論と実践の体系である仏教の、実践の分野を担う修行が瞑想だ。
 こうしたオリジナルの仏教が持つ、反直感性やラディカルさは、五百年から千年あまりの歳月をかけて伝播し、それぞれの地域の固着の習俗や宗教と習合した東アジアでは薄められたり、変質したりしているが、南アジアの上座部仏教では、その原初の特質を色濃く残している。私が南アジアの仏教に興味を持ち、瞑想センターへの滞在を決めたのもそうした部分に惹かれたからだ。

 どの瞑想センターに滞在するかについては、ずいぶんと考えた。
 対象を一点に絞って集中するサマタ瞑想や、観察の対象を瞑想時の足の痛みに集中するヴィパッサナー瞑想の分派である集中没頭型のメソッドを採用する瞑想センターは、指導者が攻撃的なことがよくあるようだ。一つの対象に集中没頭して、力づくで思考や感情を無効化するこのメソッドは、精神的な消耗度が高いため、それに耐えられるのは偏執的な性向の人物である場合が多い。そして外部の環境や内的な思考・感情を無視して一点に集中する修行を続けた結果として、ある種の不寛容さや独善性を招きやすいようだ。ミャンマーで、第二次世界大戦後に開発されたヴィパッサナー瞑想の分派である集中没頭型のメソッドは、短期間の修行で解脱者を続出させたことで、一躍注目を浴び、一時はミャンマーの仏教界で瞑想法の主流をなすまでになった。しかし、独善的な傾向をもつ指導者を多数輩出し、異なるメソッドを採用する瞑想センターを激しく批判したため、ミャンマーの仏教界を混乱させる弊害も生んだ。そして、このメソッドを採用する瞑想センターには、外国人の修行者に評判が良くないところが少なからずある。勝手がわからずまごつく初心者の外国人が、指導者から怒鳴られることも珍しくないからだ。
 一方、伝統的なヴィパッサナー瞑想のメソッドを採用する瞑想センターは、穏やかな雰囲気で、指導者も温厚なようだ。ヴィパッサナーとはパーリ語で明確に観ることを意味している。ヴィパッサナー瞑想は、集中力を使わずに、心身の状態をニュートラルに観察する瞑想法だ。この瞑想法は集中没頭型のように短期の瞑想修行で解脱することはない代わりに、人格的な成熟を促す副次的な効果も期待できるという。仏陀は、瞑想法についての経典『大念住経(マハーサティパッターナ・スッタ)』を残しているが、この経典に最も忠実と言われているシェ・ウ・ウィン瞑想センターを選ぶことにした。この瞑想センターの創設者のシェ・ウ・ウィン師は、もともと集中没頭型の瞑想法を学んだ人物だった。しかし、このメソッドで解脱した指導者の多くが攻撃的で、その排他性から他の瞑想法を批判したことで、ミャンマーの仏教界の混乱と民衆の困惑を招いたことを深く憂慮した。ミャンマーは、人口の八割以上が仏教徒であり、敬虔な上座部仏教の信徒が多いため、僧侶とりわけ解脱者である指導者の社会的な影響力が強い。こうした状況を省みて、シェ・ウ・ウィン師は、戦後に主流となった集中没頭型の瞑想法を封じ、伝統的なヴィパッサナー瞑想を伝える自らの名を冠した瞑想センターを創立した。
 ヴィパッサナー瞑想は、観察による気づきの実践を主眼としているが、この「気づき」はマインドフルネスと英訳されている。二十一世紀になって西洋社会で注目されているマインドフルネス瞑想もヴィパッサナー瞑想がベースとなっている。ただしシリコンバレーの1T企業の経営者などが推薦している世俗的なマインドフルネス瞑想は、判断力の向上などの現世的な実利を目的としているため、瞑想の基盤となる仏教経典の教えとの結びつきは弱い。オリジナルの仏教では、ヴィパッサナー瞑想により得られた気づきにより、瞑想者は三相–––無常、条件付けられた苦、無我–––といった世界の真理を認識する智慧へと到達するとされているが、西洋で流行しているマインドフルネス瞑想の多くは、こうした現実をメタ認知するという視座の獲得は目指していない。このような測定可能な効果を求める世俗的なマインドフルネスは、仏教的マインドフルネスにあった真理との関係を切り離し、世俗的な価値基準へと矮小化しているとの仏教界からの指摘もある。そもそも解脱つまり涅槃への到達を目標とする瞑想の実践は、「役に立つ」とか「人格がよくなる」のような世俗の世界が織りなす物語の中で上手に機能することを求める文脈から超出することを本質としている。修行により解脱の最終段階に達した阿羅漢は、欲望により形作られた世界から完全に逸脱した存在となる。そのため、世俗の生活を営むことはもはや不可能となり、選択肢は出家して残りの一生を瞑想寺院・瞑想センターで送るか死ぬかしかない。それを肯定するのが仏陀の説いた仏教と、そのエッセンス受け継ぐ南アジアの上座部仏教のラディカルなところだ。

 五月の上旬の福岡発––バンコク着とその一週間後のバンコク発––ヤンゴン着の航空券をネットで検索して購入した。シェ・ウ・ウィン瞑想センターに五月中旬からの滞在は可能かどうか尋ねるため、Webサイトで連絡先やeメールを調べたが、センターでは予約の受付はしていなかった。直接現地へ行って滞在できるかどうか尋ねるしかないようだ。
タイもミャンマーも三十日以内ならビザ無しで滞在できる。
 福岡南アジア美術館の学芸員、山本良恵からeメールで返信があった。送ったレポートについての礼に将来性のありそうなアーティストやギャラリーがあれば繋いで欲しいと書き添えてあった。こちらの情報収集力も少しは認められたようだ。

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2021年9月20日月曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーヴァードライブ』4 (1)

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 重野が帰った後、もう一杯ボウモアのソーダ割りを飲んだ。ターンテーブルの上の音盤は、ディアンジェロのライブ盤になっていた。「Brown Sugar」が店内に流れている。 
 店を出て、大名から大濠公園のマンションまで歩いて帰った。福岡城の城址を囲む堀に沿って植えられた桜は若葉を茂らせていた。堀の水面は睡蓮の葉に覆われている。睡蓮の花が咲く頃には、タイかミャンマーにいるはずだ。

 それからの十日間は、リサーチに時間を費やした。タイとミャンマーの現代美術の動向を調べた。
 東南アジアの国の中で、この二つの国を選んだのには理由がある。アジアの国々でアートマーケットが活況なのは、アートバーゼル香港が開催される香港と東南アジアで最も富裕層が居住するシンガポールだが、これらの国では、すでに有力ギャラリーが進出しているため新規参入は難しい。
 タイは一九九七年のアジア通貨危機でのタイバーツの下落を経た後、着実に成長を続け、一人当たりの実質GDPは二〇〇〇年代になってから八五パーセント近く伸びている。生活水準と可処分所得の向上に比例して文化的な関心も急激に高まっている。二〇〇八年には、現代美術を扱う大規模な美術館バンコク・アート&カルチャー・センターが開業している。また二十年にわたる経済成長の中で生まれたニューリッチの二代目や三代目が続々と首都バンコクにギャラリーを開設して、現地のアートマーケットは活況を呈している。街のDVDショップには、ジャン=リュック・ゴダール、ウォン・カーウァイ、ソフィア・コッポラらの作品が目立つ場所に置かれ、バブル経済が崩壊した後、一時的に文化的な爛熟が進んだ一九九〇年代後半の日本を思わせた。巨大なショッピングモールが次々と建設され、ヨーロッパやアメリカのラグジュアリーブランドのショップが中を埋めている。バンコクの商業都市としての規模は明らかに東京より大きい上、国際化もより進んでいる。外国人の居住者や観光客が多いため、ロンドンやニューヨークなどの先端文化や風俗が伝播する速度も東京よりも早い。
 ミャンマーはタイと対照的な国だ。長らく軍政で、経済停滞が続いたこの国では、ハイブランドで埋め尽くされたショッピングモールなど望むべくもない。二〇一一年に民政移管が実施され、二〇一五年の総選挙の結果、翌年、五十四年ぶりの文民政党による与党が誕生した。二〇一一年の民政移管後、海外からの投資が一気に拡大した。世界に残された数少ない経済フロンティアとしての注目を浴びたためだ。だが、その外国投資も二〇一五年をピークに減少傾向にある。電力や交通などのインフラが脆弱で、外国企業を保護する法律が未整備なことで、進出したものの事業が立ち行かずに撤退する企業が相次いだ。隣国のタイが一九八〇年代からODAを通じてインフラの整備を推進し、海外から企業の誘致に成功したことで、工業化と輸出の拡大が進み、目覚ましい経済発展を遂げたのとは異なる歴史を歩んでいた。少数の例外を除き、外国人や外資系企業がこの国で経済的な成功を収めるのは困難であることは明らかになりつつある。それでも、この国に惹かれる外国人はいた。未開拓で未整備な荒野のようなフロンティアの広がりを目にして、利得を超えた好奇心やある種の冒険心をくすぐられるのだろう。アート関係者からほぼ無視されているこの国に関心を持つ私もそうした人間の一人なのかもしれない。
 そしてこの対照的な両国は国境を接しており、首都バンコクと商都ヤンゴンは飛行機で一時間半足らずで移動できた。まず、福岡からバンコクへの直行便のあるタイに行って、それからミャンマーに移動することにした。最終目的地のミャンマーで、瞑想センターにしばらく滞在してみることにした。ネットの情報や上座部仏教の解説書を読むと、多くの瞑想センターがミャンマーに存在することがわかった。

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2021年9月2日木曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーヴァードライブ』1 2019年4月 福岡市大名(2)

3 二〇一九年四月 福岡市大名(2)

 ターンテーブルの音盤がまた切り替わった。今度は山下達郎のライヴ盤『IT'S A POPPIN' TIME』だった。
「話は変わるけど、山下達郎と村上春樹って似てないか?」と私は言った。
「なんだそれ? 少なくとも、顔は似てないぞ」
「そうじゃなくて、キャリアの進め方に共通するものを感じる」二杯目のギムレットを飲み終えた私は、ボウモアのソーダ割りに切り替えた。「達郎の初期のアルバムからは、カーティス・メイフィールドやアイズレー・ブラザーズの直接的な影響が聴き取れるし、春樹の初期の作品も、カート・ヴォネガットやリチャード・ブローディガンとの近似性を、発表当時は、批評家から指摘されていた。二人とも、リズム&ブルースやカウンターカルチャー小説といったアメリカの都市文化からの影響を出発点に、キャリアを重ねる中で、日本的な文脈を織り込んだオリジナリティを確立している。そうした意味で二人とも極めて日本的なクリエイターともいえる。この国の文化の基層は、外来の文化や文物をローカライズして、習合させることで成り立っているからね。漢字にしても、仏教にしても」
「なるほどな」重野が応えた。「経済学者のケースだと、宇沢弘文があてはまるかな」重野が二杯目のブラントンのオンザロックを頼んだ。「新古典派の理論経済学者として出発した宇沢は、シカゴ大学で頭角を現し学派を形成するまでになったが、ベトナム戦争が激化する中で右傾化するアメリカの政治経済に対する失望と反発からアメリカを去ることを決意する。日本への帰国後、今度は社会問題として先鋭化していた公害の問題に直面する。当時の高度成長期の日本では、水質汚染や大気汚染などの公害が引き起こす、健康被害や環境問題が深刻な社会問題となっていた。そうした被害が起こった現地に足を運び、被害者の支援グループや市民運動にコミットメントする過程を経て、宇沢は従来の経済学が無視していた外部不経済–––市場の取引外で生じる不利益–––をも包括する経済学の理論を構想した」
「主流の新古典派経済学では、私有されていない自然環境は、企業や個人が利潤追求のため制約なしに使ってよいとされていた?」
「そう、宇沢はその前提に疑問をもったはずだ。そこで市場経済の外にある環境や制度を経済学の対象に取り込もうとした。具体的には、海や山や大気などを自然資本、交通や電力などを社会的インフラストラクチャー、教育や医療などを制度資本と定義した。そしてこれらを市場原理が適用されるプライヴェート・セクターとは別の体系で運用されるべき社会的共通資本として概念化した。参照されたのは、人類のあらゆる文化や地域で観察されるコモンズの存在だ。たとえば、イランのボネー、スペインのエルタ、インドネシアのスバクなどの灌漑用水や、日本の入会制度、イタリアのヴァーリ、西アフリカのアカディアなどの沿岸漁業についての共有管理システムだ」
「『見えざる手』に導かれて、市場が調和的に均衡するという伝統的な経済学のもつ一神教的な価値観を、市場の外にあるものを取り込むことで多神教的なそれに展開させたともいえるな」
「面白い逸話が残っている。一九九一年に時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世に経済学者として、この社会的共通資本を御進講した宇沢を、後に法王は、宇沢のことを『あの仏教徒』と呼んでいた」
「神の意思において市場が常に均衡するという一神教的な経済学に、市場以外の概念を導入したことに多神教の仏教的な世界観を感じたのかもな。仏教には、ユダヤ・キリスト教のような超越的な唯一神は存在しない。
 仏教的な世界観だと、お前が今飲んでいるバーボンも大麦や水などの原料だけに還元できない。太陽、大地、空気、木、雨、風などのウィスキーの原料以外の宇宙のすべてがそれに含まれている。仏教の縁起や因果という概念では、森羅万象のネットワークの中で、様々な要素や事象が交差し、切り結んだ結果として、我々の目の前の世界は構成されている」
「単純な要素還元主義では世界は説明できないということか。ケネス・アローとジュラール・ドブルーは、エレガントな数学的な手法を使って、世の中すべての生産と消費が一致する一般均衡のモデルを定式化したが、それは極めて限られた条件のもとでしか成立しない。そこでは人間は、経済的な利益を最大化すること以外の関心を持たない。言ってみれば、贈与もボランティアも恋愛も友情も存在しない世界だ。行動経済学の分野でも、そうした経済人の実在は疑われている。
 さらに完璧な市場の存在が前提とされている。つまり、すべての消費者は購入する製品やサービスについて完全な情報を持っていて合理的に行動するし、市場には寡占や独占は存在しない」
「完璧な市場などといったものは存在しない。 完璧な絶望が存在しないようにね」と私が返すと、重野が鼻で笑いながら応えた。
「ケインズは大恐慌の時代に、市場の不完全性を明らかにした。たしかにあの時に、新古典派の主張するような完璧な市場は存在しなかった。そうした状況で、政府支出などを通じて人為的に需要を作り、市場を安定させるというケインズの示した経済に対する処方箋は、当時は革命的とも言えた。ポール・サムエルソンは『南海島民の孤立した種族を最初に襲ってこれをほとんど全滅させた疫病』にたとえてるし、ポール・クルーグマンは『世界の見方をまるっきり変えてしまい、いったんその理論を知ったらすべてについて違った見方をするようになってしまう理論』と言っている。二人ともノーベル経済学賞の受賞者だ」
「『見えざる手』のような超越的な力に頼らず、自助努力で問題を解決すると言う点では、ケインズ革命は仏教と似ているかもしれない。もっとも仏陀の説いた仏教は、瞑想によって解脱して、欲望を消滅させることを目的にしているから、解脱者が増えたらその分確実に需要も供給も減る。解脱者は、労働も生殖もしないし、喜捨で施される以外の自発的な消費もしないからね」
「ケインズは『孫たちの経済可能性』という一九三〇年に発表したエッセイで、百年後の世界を予想している。ケインズの予想では、今から約十年後の二〇三〇年の世界では、技術革新によって物質的な要求は満たされ、日々の生活を保証するレベルの経済的な問題は解決されている。これは今の先進国には、ほぼ当てはまる状況だな。
 今のところ当たってないのが、そうした社会では一日三時間も働けば十分なため、人々は余暇をどう過ごすかに頭を悩ませるだろうという予想だ。『特別な才能もない一般人』が趣味や余暇を見つけるのは大変だろうと、彼は心配している。一世を風靡した経済学者で、有能な財務官僚で、やり手の投機家で、芸術家との親交が深かった、貴族的なエリートを自認していたケインズならではでのご心配だろうが。今後、そうした世界が訪れるなら、瞑想に没頭する人間が増えるのも悪くない。みんなたいして働く必要がないわけだからな」
「俺もタイとミャンマーにリサーチに行ったら、ついでにミャンマーの瞑想センターにしばらく滞在してみようかと思っている」
「お前は働く必要があるだろ」と重野がまた笑った。「そういえば、ジョン・スチュアート・ミルも、経済成長の時代が終わった後の人口や資本ストックが一定となる定常経済を予想している。十九世紀半ばのことだから、ケインズより一世紀近く前になる。
 ミルが予想した定常経済では、資本や人口が定常状態にあっても、技術革新の進歩や文化活動の停滞は起こらない。むしろ利潤の追求という成長経済の中で求められる目標から解放されることで、より高次の発展が期待できると考えた」
「経済成長そのものは普遍的な価値観ではありえないからね。いつの時代も考えられてきた真・善・美や幸福の追求とは位相が違う」
「そうかもしれないな。経済成長が政府目標となったのは、第二次世界大戦後のアメリカからだ」グラスのブラントンのオンザロックを飲み干して重野が言った。「そろそろ帰るよ。明日も朝から役員会だ。少なくとも、うちの古参の役員たちは、五十年前の日本の高度成長期を体験しているから、経済成長の神話をいまだに信じている。俺も社外取締役として残るためには、彼らの意向に沿う提案をしないといけない。それが現実的かどうかは別として」
「また連絡する。ミャンマーから帰ってきた後になるだろうけど」
「ああ、またな。次に会う時は、お前は解脱してるのかもな。涅槃の世界がどんなものか教えてもらえるとありがたいよ」

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