2014年9月23日火曜日

【Column】ヤンゴンは女のロマンを打ち砕く街?

前回、男のロマンについてのブログを書いたので、今回は女のロマンについて。

ヤンゴンの街を歩くのは、かなりの注意を要します。吐き捨てられたばかりの真っ赤なキンマの痕、車に轢かれてぺしゃんこになったネズミの死骸、犬の糞などの数々の障害を周到に避けながら、歩く必要があります。視察などで来た人は、ホテルと視察場所や会議場等の間を点で移動するので、それほど目の当たりすることはありませんが、ローカルエリアに住んで、実際に生活するとなると、毎日嫌でも目にします。

それ以外にも、舗道の側溝が塞がれていないことがあるため、よく注意して道を見ておかないと排水溝に落ちる危険もあります。下を流れるのは、生活排水やらゴミがヘドロ状に溜まった汚水です。

今回は、デートの途中に排水溝に落ち込んだ経験を書いた、アメリカ人女性(おそらく)のコラムをご紹介します。詳しくは書いてませんが、それがきっかけでボーイフレンドとは別かれたようです。どうもヤンゴンは、女性のロマンスを育むのに向いた街ではないようです。

記事の紹介の前に、いくつか補足しておきます。

文中にある「あなたの目をめがけて揺れる窓からぶら下がった危険なクリップ」とは、アパートの各部屋の窓からぶら下げた連絡及び買い物用のクリップを付けたヒモです。
ミャンマーはエレベーターのない物件が多いので、このクリップに挟まれたメモや新聞を住人が引き上げる仕組みになっています。こうすると、いちいち階段を昇降する必要がありません。
個人的には、あまりアパートの真下を歩くことがないので、実際、これで危険を感じたことはありません。そもそも、ゴミやら生活排水やらが上から何か降ってくる可能性があるので、アパートの真下は歩きません(笑)。


コラムを書いた、Fiona Macgregorさんが落ちたと思しきDhammazediロードにある側溝です。私の通勤路でいつも跨いでいる場所なので、読んでて場所が分かりました(笑)。サボイホテルから50mくらい東の場所ですね。ヤンゴンには、このように剥き出しなった側溝が結構あります。周囲に街灯がほとんどないので、夜歩くときはかなり注意しなければなりません。


まぁ、ここに足突っ込んだら泣きますね。ミャンマーには水処理施設がないため、汚水処理とかいっさいしていないし。悪臭がするときもあるし。


とりあえずヤンゴンはロマンティックな気分が盛り上がる街ではないので、そういう場所が好きな方にはオススメできません。まぁ、自分が知らないだけで、本当はどこかにあるのかもしれないですが。今まで住んでて、ロマンティックになる必要性が生じたこともないですし(笑)。もし、ご存知の方がいれば、後学のためお教えください。

『Myanmar Times』2014年9月22日~28日 より記事転載(原文は英文)

Hole Story 堕ちた女 Text by Fiona Macgregor 


いつも私は誓っていた。もしそれが起こったら、もうおしまい。ここで起こりうる最低の屈辱にあったなら、私はすぐに自分の国に帰るつもり。「堕ちた女」にちゃんとした補償がされる国へ。
大西洋を隔てた同胞スコットランド議会が、好ましからぬと見なされても動議を諮ったように、彼もしくは彼女が、会話の最中に舗道の真ん中で突然穴に落ちたら、地方政府を訴える権利があるだろう。
その出来事がボーイフレンドとの仲を裂くきっかけとなった場合、追加の弁済を定める法があるのかどうか知らないが、私はその義務はあると思う。
不注意な歩行者が見落としがちな危険や、歩くのに注意を要する舗道といった、街中に潜む恐怖を考えると、ヤンゴンの街を長く歩けなくなってしまう。アメリカ人的な視点から言わしてもらうと、ガタガタのコンクリートの瓦礫の集まりを舗道と呼ぶことは、舗装という概念を貶めることを意図しているようにさえ思える。
いくつかの面で、ヤンゴン市内の舗道を改善する施策がなされていることは疑いようはない。だが、ヤンゴンでは、意図せずコンピュータ・ゲームの世界に投げ込まれたプレイヤーになったような気がしばしばする。
「ストリート・オブ・ヤンゴン」。
そこではプレイヤーは、隠れた穴や裂け目を避けながら舗道を進み、戸口から自分に向かって吐き出される真っ赤なキンマ(訳注:噛みタバコ。ヤンゴンの道は、吐き捨てられたキンマの後で赤い斑になってます)の唾や、あなたの目をめがけて揺れる窓からぶら下がった危険なクリップを避けなければならない。死んでしまえば(あるいは3回死ねば)、排水溝に落ちてゲームオーバー。望まぬ状況でも、ボーナスポイントが得られたら、あなたは平静さと清潔さを保ったまま無傷で目的地に到達する。
運命が私にそれまで考えたことがない恥辱を与えるまで、舗道に関するトラウマで最悪なのは、開いた排水溝の不潔な汚水に体を浸すこと、おぞましいネズミ達が這い回る、都市が吐き出す、悪臭の漂う不快な排出物の中に身を沈めることだと想像していた。
確かに私の不名誉な経験は、大きな恐怖として私の中に刻み込まれている。だが、私が不格好に品位を失った瞬間は、決して癒すことのできない傷を私に残した。
それが起こった夜は、今は元彼となった男性との最初のソーシャル・ミーティングだった。 とても大事な時期で、だから私は知的洗練と無防備な魅力をもって彼に接するように心掛けた。どうやら私は無防備な部分だけを上手くやってのけたようだ。
私が来るべきスコットランドの国民投票の微妙さについての気の利いた意見を述べて、彼を魅了した(と私は信じたい)瞬間もあったが、次の瞬間、私の右足はあるべき道の上になかった。穴に落ちたのがあまりに急のことだったので、英国議会の何人かのメンバーが企てたマキャベリ的陰謀ついての私の意見は宙に浮いたままだった。そして、穴に落ちなかった残りの体の部分をコンクリートに打ちつけた。
彼は、悲惨な状況へ、英雄的な勇気をもって立ち向かった。私の右足をそっくり飲み込んだ、不気味な裂け目に降りてまでして、私を助けてくれた。近くのサボイホテルへ私を連れて行って、血まみれの私の足をいたわり、ワインを振る舞い私の高ぶった感情を慰めた。
私は、ただ、言うもおぞましい、病原菌に満ちた穴に落ち、助けられたのだが、流れる血と打撲が不名誉な事態をさらに大袈裟にしていた。
そして、こんな経験をしたのは私だけではないし、私がこの街の通りに潜む陥穽に(肉体的に)最も傷つけられた犠牲者だったわけでもない。
もっと深刻な事故は起きている。「ヤンゴンで穴に落ちた、酔っぱらいの欧米人についての記事を書くべきよ」と、ある友人は最近メールを送ってきた。
数日前、友人の同僚が酔って夜の街に繰り出した時に、ダゴン区で穴に落ちたと聞いた。彼はしばらくの間、意識不明になった。幸運にも、彼の脳震とうによる後遺症はなかったが、その夜は、彼が予定していたようには終えられなかったに違いない。
だが、私の場合、穴に落ちた後に飲んだワインが、その夜最初の一杯だったことは確かだ。素面で用心深い歩行者も、大きなリスクにさらされている。
しかし、穴に落ちたという事実は、何かしら人を笑わせるものらしい。ある種の本能的な反応として、危険な瞬間を体を張ったコメディに変えてしまう。これは世界的に同じ現象らしい。
だが、別の反応もある。これは私が東南アジアに来てから気がついたものだ(エジンバラ地方議会御中、私が「道中にある、偽りのおとし穴」について、皆さんへお手紙を送りした時に理解していなかったことをここに認めます…)。
そう第二の反応は、「競争」だ。
「おっ、ヤンゴンの穴に落ちたことを書いてるんだって? 俺にも穴の話をさせてくれ…」。
そして文字通り、穴だらけのホラーストーリーが始まる。誰もが人よりすごい話をしたがり、 しまいには、誰かが拉致されて、一年間ドロドロした穴に閉じ込められて、クモとウジ虫を食べて生き延びたと言い出す始末だ。
私の経験には多くの教訓があるはずだが、おそらく、ほとんどは既に知っていたものだ。「いつも道をよく見てなさい」、「政治とワインと元彼の組み合わせは、何らかの失敗が起こりやすい」といった教訓だ。
ヤンゴン市内の舗道がすぐに歩きやすくなることはないだろう。だが、私は絶望の淵に沈んだままでいる気はない。
冒頭で、それが起こったら、ここを去ると誓ったものの、私はまだヤンゴンに留まっている。私は、自分では気づかないまま、私の隠された部分が、失った品位を、再び取り戻すことを期待しているのではないかと訝っている。それは、今のところ、Dhammazediロードの地獄の淵に、人知れず沈んでいるのだが。

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2014年9月22日月曜日

【News】ミャンマーは男のロマンが通用しない国?

最初にミャンマーに来た外国人の多くは、この国の何もなさに限りない可能性を感じます。
この国で、自国には当然のようにある、あんな事業やこんなサービスを提供したら、競合のないこの国での成長は天井知らずではないか?、と夢を見てしまうわけですね。

でも、そうした事業やサービスがないのには、それなりに理由があります。外国人にはとうてい理解不能の規制当局の対応や、合理性や効率性を重んずる資本主義的な労働観に馴染んでない労働者、貧弱なインフラ等々、思い描いた夢の先には多くの障害が現れます。あまりメディアでは表立って語られませんが、この国で多くの外国人が、こうした環境の中で日々苦闘しています。

夢見た事業が実現できず、この国を去りたいのだけど、それも理由不明の出国禁止でかなわない、手持ちの資金は尽きる寸前で、どうにもならないという状況のコスタリカ人起業家のニュースがあったので、ご紹介します。
この人は、たぶんロマンチストだったんだろうと思います。自然が残された手付かずのミャンマーのビーチを見て、小さな自分の王国の建設を夢見たのでしょう。
この人の悲劇は、自分の夢を追うあまり、地元の有力者とのコネクションや、噂好きの地元民と良好な関係を築くという、ミャンマーで生きていくために必須となる現実的な側面を見落としていたことが原因ではないかと推測します。

夢を見る気持ちは良く分かるのですが、 勝手に外からやってくる外国人に気持ち良く夢を見させてくれる程、この国も甘くないです。
外国人の描く理想や夢は、そこで暮らす人々の日常や生活とは関係ないのですから。
このコスタリカ人起業家は、本当に気の毒だと思いますが。

『Myanmar Times』2014年9月15日~21日 より記事転載(原文は英文)

Business dream turns to nightmare for stranded Costra Rican entrepreneur 

夢見た起業が悪夢に 囚われのコスタリカ人起業家

Text by Thomas Kean, Ye Mon

Gunter Oteroが2012年に初めてガパリビーチに行った時、彼は夢心地となった。
「それはまさに僕が少年時代を過ごした、旅行業界がブームになる前のコスタリカそのものだった」。
世界中の旅行業界で10年程働いた後に、彼はこの場所こそが自分が腰を落ち着けて、自らのビジネス ー 旅行者向けのレストランとロッジ ー を始める場所だと心を定めた。
彼に先立つ多くの起業家同様、Otero氏の夢は早々に潰えた。100,000 USドル以上を事業につぎ込んだが、もう彼はこの国を出たいと願っている。そうしていない理由はただ一つ、彼の出国が許可されないからだ。

彼は、7月に偽造文書作成の疑いで裁判にかけられた。彼によれば、罪状は今年の初めに、彼の息子が生まれたThandweの病院での出生証明の発行に関わる誤解から生じている。
判決は区の裁判所で8月28日に結審したが、彼の名前は入国管理局のブラックリストに載ったままで、出国ができない状況だ。 それと同時に、Thandweの地域入国管理官は、なぜ彼はオーバステイしているのかの説明を求めている。彼のマルチプルビザは、9月8日で約70日の滞在になっている(訳注:ビジネスビザでの最大滞在日数は70日)。
出国ができないため、Otero氏は自分の海外にある銀行口座からの引き出しもできず、シンガポールやバンコクのコスタリカ人コンサルタントの支援も受けられない。この状況を彼は理不尽極まりないと憤る。
「僕は疲れ果てた。肉体的にも、精神的にも、経済的にも」と、先週、彼はミャンマータイムズに語った。「どうすることもできない。友達みんなからお金を借りた。でも、これ以上は無理だ。こんなに追い込まれたのは、人生で初めてだ」。
彼の問題は、自分で建てた浜辺を望む丘の上の家に住もうとした時から始まった。2013年8月に入国管理管の深夜の訪問があり、その家に住むことも、居住地として登録することもできないと告げられた、
それ以来、 彼はガパリビーチのホテルに泊まっている。状況は、彼がThandweに住むラカイン出身の女性との結婚が、地元の活動家の目を引くことでさらに悪化した。彼らは、Thandweを移動する彼をつけ回し、彼の妻へ迷惑電話による嫌がらせを行い、地方政府や地方裁判所の役人へ、彼へさらなる法的措置を取るように働きかけた、と彼は言う。
「これは明らかな人種差別だ。彼らは、僕がローカルの女の子と結婚したことが気に食わないんだ」。 

ラカイン国民党Thandwe事務所のスポークスマンのU Myint Ooは、Otero氏の問題について憂慮しているが、ラカイン国民党の党員は誰もこの件に関わっていないと語った。彼は、ラカイン国民党が政府の役人にプレッシャーをかけたり、Otero氏をつけ回したという意見を否定した。「彼のことについて、党のいかなる会合でも話題にしたことがない」。
入国管理局Thandwe事務所のトップU Aung Tunは、当局がOtero氏の出国を許可しないことに関知していないと語った。
「もし、外国人が犯罪を犯せば、政府は国外退去させるだろう。しかし、Otero氏は罪を犯していないから、自由に国を去ることができるはずだ」と、U Aung Tunは9月8日に語った。
Otero氏のThandweを拠点とする弁護士Daw Nway Nway Nyeintは、同じく彼の移動が禁じられていることに当惑していると語った。
「もし係争中の外国人であれば、出国は許されないでしょう。しかし、Otero氏はいかなる犯罪にも手を染めていません。なぜ、政府が出国を許可しないのか理解できません」。
ラカイン州の外にある地方の、ある入国管理官は、出国禁止をネピドーの政府が取り下げないのは、判決のコピーをまだ受け取っていないからかもしれないと語った。 Otero氏は係争のあった裁判所に、入国管理局の責任者に対する推薦状の発行を依頼したが、裁判所は、それは通常の手続きではないと拒否した、と語る。ネピドーにいる入国管理局の責任者は、多忙のため、この件についてのコメントはできないと答えた。

いたずらに時間と費用を費やす中で、Otero氏の手持ちの資金が尽きようとしている。彼は自分に降りかかったこの一年の災難は、この国への投資、とりわけラカイン州での事業を考える外国人への注意を喚起すべき事例だと言う。
「これが、最初に起こったことでないことは分かっている。僕の望みは少しでもお金を取り戻し、妻と子供を連れて出国することだ。僕はここでスモールビジネスを立ち上げたかった。それは地元に雇用を生んだはずだったのに」。

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