2022年1月10日月曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーバードライブ』13

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 午前中に〈Bodhi Taru〉のカフェで、MacBookを開いて福岡南アジア美術館の学芸員、川奈梨沙へSoe MayとChu Chu Khineの作品の写真にキャプションを付けてメールを送信した。
 昼前になって今年最初のスコールが降った。大粒の雨が灼けたコンクリートの舗道を激しく叩きつけた。荷車にココナッツを山積みした行商人や自転車の横に車輪の付いた座席を取り付けた人力車の車夫がずぶ濡れになりながら、庇や屋根を求めて通りから走り去った。来月六月になれば本格的な雨季に入る。それからは、ほとんど晴れ間の見えない空の下、断続的な豪雨で腰の高さまで路面が泥水で冠水する日々が雨季の明ける十月末まで続く。
 ビル・ブラックがテーブルに近づいてきた。「紹介するよ。共同経営者のプーだ」。そう言って、隣の小柄なミャンマー人女性へ手をかざした。
「あなたはアートの仕事をしてると聞いたわ。私も〈グリーン・エレファント・ギャラリー〉というこちらの作家を扱うギャラリーを経営してる。海外とも取引してて、昨夜シンガポールから戻ってきたばかりよ」。短髪の女性はそう語った。無地の黒のTシャツとグレーのショートパンツを履いている。年齢はおそらく三十代後半で、化粧気はなかった。
「東南アジアの現代美術をリサーチしてます。いい作家や作品があれば日本の美術館やコレクターに紹介するつもりです」
「有望な作家は見つかった?」と彼女は訊いた。
「Soe MayとChu Chu Khineという二人の作家は日本でも評価されそうです」と私は答えた。
「あの二人は最近注目されてる作家ね。他のギャラリーの専属だけど」。彼女は、そう言って肩をすくめた。「うちで扱ってるのは主にミャンマーで長く活動している現代美術家なんだけど、関心があるなら紹介するわ」
「ええ、ミャンマーの現代美術の歴史に詳しいとは言えないので、興味があります」
「じゃあ、ちょっと待って」。そう言うと彼女は別のテーブルの上に置いたスマートフォンを手に取って電話をかけた。通話先とミャンマー語で話しながら、私の方を向いて尋ねた。「明後日の午後三時は空いてる?」
「大丈夫です」と返事した。ここに泊まっている間は、街のギャラリーを見て回るつもりだったが、行き当たりばったりに回るより紹介者のいた方が効率が良いだろう。
 彼女は電話を切ると傍のナプキンにボールペンで文字を書き込んだ。「明後日の午後三時にここへ行って」ナプキンにはミャンマー文字の住所とKhin Suという名前が書かれていた。

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