2013年7月27日土曜日

【Myanmar News】ミャンマーでのネットビジネスの可能性(1)

ミャンマーでのインターネット普及率は、総人口の1%以下と言われています。
携帯電話の普及率は10%以下です。
ヤンゴンに住んでいると、20代以下の若者はみんなFacebookのアカウントを持っているように思えますが、これは都市部に住み、PCにアクセスできる比較的高学歴層の傾向で、人口比からすれば3%以下ではないかと推測します。おそらく、現在20代で大学まで進学すれば、主に在学中に同級生とFacebookで繋がることができるでしょうが、それ以外の階層だとネット上で仲間を見つけるのは、難しいのではないかと考えられます。
この状況が、先日の政府入札で外資系2社(ノルウェイのTelnorとカタールのOoredoo)の携帯電話事業への参入が決定したことで、大きな変化がありそうです。
途上国のインターネット普及の特徴として、PCをスキップして、スマートホン経由でネットへのアクセスが一般化するからです。
ここでも、抜け目ない外資系企業が、各種事業設立の準備を始めている模様です。
これらの動向に関連して、タイムリーな記事があったので、ご紹介します。

『mizzima BUSINESS WEEKLY』30号 2013年7月25日号 より記事転載(原文は英文) 
 ミャンマーのネット難民
ソーシャルメディアは、負の側面を乗り越えて、ミャンマーのコミュニケーションを変えるか?
Text by Cate Cadell



ミャンマーのネット環境はどれだけ変化しただろう?
たとえば5年前まで、ミャンマーでFacebookにログインするのには複雑な手続きが必要だった。活動的なネチズンは、政府規制をかい潜り、プロクシーサーバを乗り換えるイタチごっこのゲームに精通していた。彼らはネットエリートの代表だ。主にヤンゴンに住む、人口比で0.2%以下の小さなグループが、政府が設置したファイアーウォールを潜り抜けていた。
2010年の政府規制の緩和を受けて、ソーシャルメディアと娯楽に対する消費活動は急激に拡大し、ミャンマー市場のネット接続への欲求が明らかになった。ところが、政府があまりに貧弱なネット接続率に言及するようになると、ソーシャルメディアに対する限界が浮上してきた。
Facebookが、ネチズンにとって、デジタルの足跡が残さずに済む、唯一のアクセス先なのだ。
「ミャンマーの若者はオンラインにやって来た。でも、彼らは行き先を持たない」今月立ち上げたばかりのミャンマーのソーシャルメディア・サイト"Squar"の共同創業者でCEOのRita Naguyenは言う。「Facebookは、ネット上にいる人を知っている場合はとても便利です。でも、ミャンマーのような国では顔見知りや友人はネット接続をしていないので、友人を見つけられません。Facebookは、誰も知合いのいない、からっぽの場所なのです」。
これは活動家と投資家が共に同意する意見だ。
オンラインの消費者サービスは、生まれたばかりのミャンマーのネチズンには提供されていない。この問題は、前政権のインターネット規制に端を発するのだろう。 

オンラインの先に
政治犯の経歴があり、活動家とブロガーとしての受賞歴を持つNay Phone Lattは、最初の検閲抜きのインターネット体験を「奇跡的だった」と表現する。
「シンガポールで目が覚めて、 コンピュータに向かった。一日中ネットに繋がったまま、コンピュータの前を離れなかったね」。
Nay Phone Lattはこの時も、ミャンマーのネチズンが、オンラインで向かう先が大きな問題だった、と語る。彼の言うには、民主化が始まる前のミャンマー人の活動的なオンライン・コミュニティは非常に少数で、ほんの一握りのブロガーのグループで構成されていた。
「この時期には、国外に住む多くのミャンマー人コミュニティがあり、ミャンマー語はインターネット上には存在せず、彼らは自力で我々ブロガーを見つけてくれた」。 
ミャンマー語のフォントを使って書いたブロガーは、みんなお互いに繋がり合い、結びつこうとした。我々は非常に少数派だったからね」。
「ミャンマーにいる人達は、我々のブログを見ることができたが、プロクシーサーバを通してのことだった。だから、それをミャンマーの人々にも教える必要があった(訳注:おそらく政府設置のプロクシーサーバのため、アクセス履歴が政府の検閲担当者に知られることを指している)。プロクシーサーバは、Gmail、G-talk、Facebook、そしてすべてのブロガーのサイトを見るのに必要だ」。
2008年1月、ミャンマーで最初にブログ上のフォーラムを開いた数ヶ月後に、Nay Phone Lattは逮捕され、政治活動の咎で20年の禁固刑を言い渡された。政治犯に対する恩赦を受けた一人として、彼は2012年に出獄した。自分が刑務所の中で4年過ごしていたにも関わらず、依然としてミャンマー市民は、オンラインでの行き先を持たないと、彼は主張する。

Facebookを取り込む
"Squar"は、ミャンマー語で最初のソーシャルメディア・サイトであり、ミャンマーのネット難民で溢れる市場に切り込み、ニーズに応えることに挑戦するスタートアップ企業の一社だ。
今、もしあなたがヤンゴンに居るなら、ベトナムの投資チームが市内でWifiスポットを巡っているに気がつくだろう。多数のフリーのジャーナリストとコンサルタントを伴って、彼らは電波帯域とオフィススペースを求めて街を彷徨っている。こうした彼らの慎ましい有り様の一方で、投資家から十分な資金提供を受けたプロジェクトは、最初の12ヶ月で100万を越えるユーザを獲得するつもりだ。これは今のミャンマーのインターネット人口よりも多い。シリコンバレーで経験を積んだCEOのRita Nguyenは、ミャンマーでオンラインのスタートアップ企業が、ユーザから選好されることは非常に容易だと言う。
「取組むべき問題は山ほどあります。いつも資金調達は、もっとも難しい仕事のひとつです。問題がなかったとは言いませんが、ミャンマーは私達にとって信じられないくらい投資資金を集めやすい場所でした」。
これから新しいユーザ・インターフェイスへ注力し、今まで無かったチャットやグループ機能を実装する。
Ritaが言うには、「(ミャンマー語のソーシャル・ネットワークは)これまでのオンラインには存在しませんでした。これからユーザを見つけ、新しいユーザと出会うことになります」。
彼女は「私達のユーザはみんな、Facebookのアカウントを持って欲しいです」とまで語った。この主張の根拠は、"Squar"が新しいネット・ユーザにとって、これから増加するであろうアクセス先へ、最初の足場を提供すること念頭に置いているからだ。
「これまでとは違った挑戦になるでしょう。外国人はオンラインの友人をネットワーク上に持っているし、実生活で会ってるいる人を見つけることも簡単です。でも、ここでは違います」。

ブームの最中で
ミャンマーのネット接続は、二つの外資系携帯電話事業者が事業権を落札したことで、飛躍的に上昇することが予想されている。政府の設定した目標は、2015年までにカヴァーエリアを現在のわずか1.5%から、80%まで引き上げる野心的なものだ。ターゲットとして、ミャンマーのオンライン消費者がどう反応するかは誰も予想できない。仮に選考段階で入札に参加した会社の市場への信認を基準とするならば、見通しは明るい。
初期のミャンマーのソーシャルメディアに対する報道は、「969運動」(訳注:仏教徒による反イスラムの運動)の排他的な民族運動や、オンラインでテロ・グループと目された団体で占められていた。ヘイト・スピーチを通して大きくなる負の側面への懸念もさることながら、ミャンマーのソーシャルメディアには違った面もある。ミャンマーの若いネチズンによるエネルギーに満ちた市場は、うんざりするような政治的な領域には背を向け、以前は手が届かなかった消費文化のきらびやかさに魅了されている。
「今年の3月に出来た最も知られた『969』のサイトと、一ヶ月後に出来た(ミャンマーの)セレブリティやタトゥーのサイトを比べてみれば、後者のサイトが2倍の数の『いいね!』を集めている」、ANUカレッジ・オブ・アジア・アンド・パシフィックの博士号取得候補者のDavid Gilbertは指摘する。「はっきりしているのは、ミャンマーの人々がマスレベルでオンラインに魅了されるのは、最新の映画、音楽そしてセレブのゴシップだ」。
GDPが1,000USD以下(訳注:マッキンゼーのレポートでは1300USD)で、インターネットの普及率は北朝鮮と並ぶ程わずかなこの国で、オンライン販売のブームを予測することは難しい。そもそも、eコマースの選択肢が存在しない以前に、それは一般にソーシャル・メディアの消費文化と共に形成される。しかしながら、最近の傾向は、生まれたばかりの電子コミュニティに対して、消費者の態度と規制の緩和が取りざたされる中で、コミュニケーション方法の改善に大きな潜在的な利益を認め、投資家はリスクを取ろうとしていることを示している。
「大変な時もあります」Ritaは言う。「私達はネットへ接続すること、それ自体が正しいという哲学で、この市場に参入しました。私達は、とにかく自分達で取り組むことが出来る問題に集中します。それ以外の部分については、解決されるのを望むだけです」。

ここまでで、2ページ半。
あと4ページほど記事がありますが、長いので今日はこの辺にしときます。

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2013年7月24日水曜日

ミャンマー的映画生活

娯楽の少ないミャンマーで、夜を過ごすのに欠かせない娯楽が映画鑑賞です。
近所にDVD屋があり、ブルーレイディスク1枚が2,500チャット(約250円)とレンタル・ビデオ屋感覚で買えるので、時々利用しています。
そのDVD屋の様子が、最近非常に怪しい。
夜になっても、店先の電灯を点けず、入口は南京錠で施錠してます。


前もってここがDVD屋だと知らないと、何の店だか分りません。


そもそも営業しているかどうかも分らないのですが、内側から仄かに明かりが漏れているので、開いているのだろうと踏んで店の前に行くと、見張り(?)をしている女の子が鍵を開けて入れてくれました。


外の怪しさとは裏腹に、店内はそれなりに賑わってました。
著作権絡みで、当局から注意でもされたのでしょうか?
ミャンマーには、著作権法があるにはあるけど、まったく機能してないので、そういう懸念はなさそうなのですが。遊園地行くと、ミッキーマウスとミニーの着ぐるみとか、ガンダムのオブジェとかあるし(笑)。

せっかくなので、ここ最近観た映画の紹介をします。

寺山修司が激賞したというのも納得のシュールなキング・オブ・カルトムービー。
感情や情緒を排した、乾いた暴力と死が延々と続く。
メキシコ映画ですが、作家のロベルト・ポラーニョが長編『2666』で実際にあったメキシコでの連続女性殺人を、作中で一章を割いて描写していたのと同質の荒涼とした映像です。
ポラーニョの作風は、この映画に影響されている可能性が高いですね。
登場人物が無意味に鬼畜なのは、タランティーノへの影響も大ではないかと。

売っているDVDは中国製なのですが、中国では岩井俊二が人気があるのか、彼の監督作品をよくDVD屋で見かけます。
日本の国内に移民や流民で構成されるインナーシティがあって、治外法権の解放区になっているというアイディアとイメージの原型は、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』に端を発すると思います。それを最初に映像化したのは石井聰亙の映画『爆裂都市』ですが、この映画もその系列に連なる作品です。
ところどころ魅力的な映像はあるのだけど、何か足りない。荒涼としたエリアでサバイブしている登場人物にあってしかるべきの、漲るような生命力とか圧倒的な暴力性が画面から伝わってこない。言い換えれば、エルトポ度が低い。
考えてみれば日本人のエルトポ度が低いから、メキシコのような残虐で無慈悲な大量殺人事件が起こらないわけで、それは喜ぶべきことですね。というわけで、日本人の幸福さと、文化的な限界を示す作品だと感じました。
『エルトポ』観た後に、この映画観たから、たまたまそう感じただけかもしれませんが(笑)。

素晴しい。ビキニ --> おっぱい --> お尻 --> ビキニ -->と映像がサブリミナルのように無限ループする眼福映画。ソフィア・コッポラを暴力的にしたようなガーリーな映像も最高。蛍光色を強調した人工的な色彩が美しい。映像はガーリーなんだけど、ストーリーはエルトポ度高し。言ってみれば、『ヴァージンスーサイズ』と『スカーフェイス』を足して割ったような映画。私は両方とも好きななので、この映画も当然好きです。

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2013年7月23日火曜日

【Myanmar News】偽托鉢僧の問題

ミャンマーに住んでいると、托鉢僧を頻繁に見かけます。
僧衣、剃髪で小脇に托鉢された食物を入れる壷を抱えて、裸足で近隣の家々や、市中のカフェ・食堂の客席を回って、食物(お米)やお金を集めます。
家庭では食物、飲食店のお客からは、お金を受取ることが多いようです。
ところでこのお坊さん達の中には、偽物がいます。托鉢を装った職業的な詐欺師とでも言うのでしょうか。彼らは、別に僧院で暮らして修行している訳でもないのに、僧衣・剃髪の姿で、カフェや食堂のお客からお金をせびって回ります。
本物と偽物の区別は、凡そ時間帯・服装・態度でつきます。
本物が現われる時間帯は、早朝5~7時と午前中の9~11時の2回です。その他の時間帯に托鉢をしているのは、偽物の可能性が高い。
服装については、托鉢時は本物は裸足。これは足が痛いのでー特に舗装状態が良くないミャンマーではー手を抜いて草履を履いている偽物もいます。
カフェで過ごしている時に、よく僧侶がお客のテーブルの前に立って托鉢を促しますが、本物は数秒待つだけで立ち去りますが、偽物はお金を渡さないと、なかなかその場を離れません。特に外国人は金蔓と思われているので、しつこいです(笑)。
こうした偽物の僧侶による托鉢を苦々しく思っている僧侶達もいるようです。
今回は、偽僧侶の摘発に、僧侶の団体が自主的に取組み始めたというニュースをご紹介します。

『Myanmar Times』 2013年7月22~28日号 より記事転載(原文は英文) 

偽托鉢僧の摘発への取組み
Text By Cherry Thein 

エーヤワディー地方の仏教組織が偽托鉢僧の取締に取組みはじめた。この教団のリーダーは、国家公認による仏教組織が、仏教のイメージを守るために適切な処置を取らないことを批判している。
Gonesaung Yahantaw教団は、現在まで7人の偽托鉢僧と、Maubin地区で有名な僧侶の名前を騙り募金活動を行った30人の名前を明らかにした。
教団の代表 Sayadaw U Weiseitaは『ミャンマー・タイムズ』に、このプログラムは仏教の貪欲を戒める価値観を守るために開始したと伝えた。
彼は、僧侶の振りをして、街中で物乞いをするのは仏教に対する侮辱だと語った。
「僧侶は物乞いをすることはない。なぜなら彼らは自分の僧衣と仏陀への畏敬の念を持っているからだ」と彼は言う。
「だが、仏陀に対する畏敬の念を持たない者もいるようだ。あまつさえ、僧衣と教団の名を詐欺のために利用している。地獄をも畏れない所行だ」。
彼はまた、国家公認の教団Maba Nayakaコミッティがこの問題を放置していることを批判する。
「私は15年間、こうした詐欺行為を止めさせることを試みてきた。教団のリーダーや政府高官にも何らかの措置を取るように働きかけたが、彼らは私の申し出を無視した。彼らがどんなに忙しいのか知らないが、これ以上、現状を座視できないため、自ら行動を起した」と彼は語った。
Gonesaung Yahantaw教団は地区の教団と60人の僧侶の協力のもと、7月8日に設立された。構成員は約50人である。
U Weiseitaは、僧衣を纏い托鉢を装った物乞いが始まったのは、ここ40年ばかりのことだと言う。
「その数は都市部において、年々増加している。詐欺師達は、昼間は僧衣を纏い、夜になると這いつくばって物乞いをする。彼らは自らの生計のためにしている場合もあるが、一家総出で、組織化しているケースもある」と彼は指摘する。
寺院の宿泊施設や病院の建設等の宗教的な活動を装って、集金活動を行っているグループの例もある。これらの見せかけのプロジェクトは、通常、有名な僧侶の名を騙って運営されている、とU Weiseitaは言う。
彼は彼の組織が偽僧侶の名を公表すれば、彼らは僧衣を着て活動できなくなるだろう、と語る。 彼らは、何度か偽僧侶を警察署まで連れて行ったが、U Weiseitaによれば警察はいつも拘留を拒否するという。
Gonesaung Yahantaw教団は、近隣地区の他の教団と協力して、さらに詐欺行為の疑いのある者を特定するつもりだ。
「7月22日のWaso祭の後、エーヤワディー地区内のネットワークを強化する」と彼は語った。
彼によれば、仏教を保護する法律は貧弱で、実効性に乏しい。「国家公認の教団を別とすれば、教団の設立は公的にされたものではない。我々の教団を含め、自発的に創立されている。我々の活動は、法に則っていない。しかし、公的な機関が適切な処置を取らないのであれば、我々でやるしかない」と主張する。   

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2013年7月20日土曜日

ミャンマーのお酒事情

アフターアワーズの娯楽の少ない国ミャンマーでは、夜一人で酒を飲む機会も必然的に多くなります(酒呑みに限る)。
スーパー・マーケットで売られている現地の酒類は、一通り飲んでみたので、おススメの銘柄をいくつかご紹介します。

ミャンマービール 1,200チャット(約120円)

まずは、ミャンマーに来た外国人が、必ずといっても良いほど飲むミャンマービール。
ラガー味がやや強いですが、軽い飲み口。こちらの気候に良く合った、ご当地ビールの定番です。

 シュエイそば焼酎 3,450チャット(約350円)

シャン州で各種麻薬の原料となるケシに代わる作物として栽培されたソバを原料に作られた焼酎。クセのない味で、オンザロックで普通に飲めます。

 セイラーズ・ラム 3,450チャット(約350円)

ミャンマーでいちばん銘柄数が多い酒類は、ラムだと思いますが、数あるラムの中で私のお気に入りは、このセイラーズ・ラムです。雑味がなく、やや重厚な深い味わい。
他の国でこのクオリティのラムを飲むとなると、かなり高くつくと思われます。

ロイヤル・ジン 1,100チャット(約110円)

プレーンな味わいのジンです。家でジンライム飲む時は、このジンをいつも使ってます。
タンカレーとかビフィーターもこちらのスーパーで売ってますが、10倍くらい値段が違います。

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2013年7月13日土曜日

ミャンマーでの情報収集の方法

ミャンマーに外国人が滞在していて、なかなか難しいことのひとつが情報収集です。
メディアもご多分に漏れず未整備(というか去年の8月まで検閲が施行されてた)なので、ミャンマー国内のニュースにもなかなかアクセスできません。
TVを点けても、大抵、お坊さんの法話が延々と流れているか、ミャンマー人歌手の歌謡番組が主なプログラムなので、あまり役には立ちません。
ミャンマー人にとって、最も大きな影響力があるメディアは口コミ・噂なのですが、いわゆる風説の流布が多くて信憑性には欠けます(笑)。
ただし、民間の参入規制がされていた産業分野の自由化、一等地にある国有地の借款などのビジネスに直結した、お金になる情報も、政府高官に近い場所にいると早く入手できるのも事実です。
そういったインフォーマルな情報源を別にすれば、この国で外国人がニュースを得るのにいちばんお手軽な方法はジャーナル(雑誌、主に週刊誌)です。
ミャンマーでは、 まだ新聞の発行が認可されていないため、ジャーナルが新聞の替わりのメディアになっています。
外国語のジャーナルは英語版のみなので、ミャンマー語のできない外国人は英語版のジャーナルを読むことになります。残念ながら、今のところ日本語版のジャーナルは存在しません。現在、ミャンマー在住の日本人は1,000人弱くらいなので、仕方ないことではありますが。

今回は、私が情報収集のため読んでいるジャーナルをいくつかご紹介します。
政治・経済・社会・文化の、バランスが取れた誌面作りをしているジャーナルを選んだつもりです。

Myanmar Times(週刊) 1,200チャット(約120円)

50、60ページとヴォリュームがあり、政治・経済以外にもアートやグルメ欄等の生活情報も豊富。
ミャンマー人のスタッフライターから、外国人記者の寄稿まで、多様な立場からの記事が読める。
質量ともに一番お薦めできるジャーナル。








Myanmar Business Today(週刊)1,000チャット(約100円)

誌名とおり、ビジネスの記事が主体。
外資系企業のミャンマー参入をチェックするのに便利。ミャンマー語の抄訳付。










Mizzima Business Weekly (週刊)1,500チャット(約150円)

ミャンマー人経営者へのインタビューが掲載され、ミャンマー企業の経営方針等を知ることができる。号によってはアート等の生活面の情報も掲載される。オールカラー。
掲載される記事数が少ないのが難点だが、ひとつの記事についての記述が詳細で、ミャンマーでは数少ない対象を掘下げた内容の記事が読める。  







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2013年6月25日火曜日

【Myanmar News】ミャンマーの人材問題

ミャンマーの投資環境の問題点として、ニュースメディアで常にあげられるのは、貧弱なインフラ設備です。
たしかに電気の供給は不安定で乾期は毎日のように停電があります。道路もある程度整備されているのは、ヤンゴン市内のみです。排水設備が整った空きの工場用地もありません。
これらの問題は、在住者でなくとも簡単にわかるので取り上げられやすいのでしょう。
これに加えて、ある程度の期間をミャンマーで過ごしたことが人ならば、誰もがインフラの未整備に勝るとも劣らない問題があるのを知っています。
人的資本の問題です。
工業化・産業化を発展させるためには、一定の水準に達した均質な労働力を安定的に供給する労働市場が必要となりますが、ミャンマーにはそうした労働市場は存在しません。
ミャンマー投資の魅力を語る枕詞に、「仏教徒が大多数を占め真面目で勤勉」、「石油、天然ガス、鉱物を産出する、豊かな天然資源」、「6000万の人口を擁する豊富な労働市場」、日本のメディアだとこれに加えて「親日的」と続くわけですが、必ずしも正確な表現とは言えません。
「真面目」と「勤勉」がこの国では別の概念であることは、以前このブログに書きました。
「豊かな天然資源」はその通りとして、「親日的」も文化的には、韓国のエンターテイメントのソフトパワーの影響下にあり、日本に対するイメージは市場の95%以上を占める日本車くらいしかないと思いますが、ここでは関係ないので触れません。
特に再考の余地があるのが「豊富な労働市場」です。
労働市場については、求職人口は多いものの、工場やオフィスを稼働するのに必要な、一定レベルの問題解決能力や事務処理能力を持つ人材が極端に不足しています。
マッキンゼーの調査によると、「2030年までに、その時の経済規模を考えた場合、それなりのスキルを備えた人の不足分は1300万人」と試算しています。

数字をあげられても実感が湧かないと思いますので、日常的に私が体験していることを以下に列記します。

(1)ホッチキスで角を留めた資料のコピーを頼む--->返って来たのはホッチキスを外さないまま、無理矢理、コピー機に当てたため折り目だらけ原本
頼んだコピーも、当然ななめにズレていて、正常に読める状態とは言い難い。

仕事の完成度や精度といった概念を教わったことも、要求されたこともないので、注意しても何が問題になったのかが分らないようです。

(2)いつも空港でのお客様の送迎の手配を頼んでいるスタッフに、「今度来るお客様の予定ね」と旅程表を渡す--->渡したのは「いつものように、お客様を送迎する車両の手配をしてね」という意図だったのですが、まったく伝わっておらず。したがって、当日になっても何も用意がされていない。

気を回すとか、メッセージの意味を読み取るという習慣がないので、「何月・何日・何時に、○○空港行きの車を○台手配してね」と明示的に伝えないと、こちらの要求することが理解されない。


 まだまだありますが、切りがないので止めときます。

彼らの名誉のために書き添えると、彼らはミャンマーの大学卒業者で、進学率の観点から見ても上位10%の教育を受けた選良です。
「廉価な労働力」を期待して、労働集約的な分野で、彼らのような高等教育を受けていない人々を雇用して工場等を稼働すれば、彼らをマネジメントする何倍もの労力が必要になるでしょう。
最近のミャンマーに関する報道で、人材の質と教育の必要性について言及されることが多くなったのは、実際にミャンマーに駐在所や支店を開設した外国人ビジネスパーソンが現地で採用活動をした結果、人的資本の脆弱さが多くの人々に知られることになったからでしょう。
もちろん、これはこの国に住む善男善女の皆さんの責任ではありません。
1962年以来、ほぼ鎖国状態を貫いていた上、1988年に学生を中心とする大規模な民主化運動が起こった際には、当時の軍事政権が反体制運動の再燃を防ぐため、教育レベルを意図的に下げ、学生が物事を考えないように教育制度を誘導してきました。
こうした、長きにわたる教育システムの結果として、今の人材不足は生じています。
今では、教育制度の改革は、この国への投資を考える外資系企業にとっても、この国自身の発展にとっても、最も大きな課題のひとつであるという共通認識に達しているようです。

今回は、ミャンマーの未来予測について、「教育」についての部分を抜粋しました。
その他、「政治」、「経済」、「環境」などのトピックについて論じられいますが、それらすべての根幹を成す、最も重要な問題が教育ではないかと思います。

『mizzima BUSINESS WEEKLY』25号 2013年6月20日号 より記事転載(原文は英文)

ミャンマーの未来予測
世界経済フォーラム東アジア会議(WEF:World Economic Forum on East Asia)が終わった今、ミャンマーが成すべきこと
Text by Theodore Cleph 



教育環境について

明るい見通し
ミャンマーの学生たちにとって、80年代、90年代は学校が開いていたとしても困難な時期だった。この時代、学生たちは民主化運動の中でも大きな影響力のあるグループを形成した。国境付近まで逃走したグループは、反政府勢力とも手を組み、しばしば武装化した勢力の中心にもなった。権力側は、過去の歴史を繰り返すように、激しくこれを弾圧した。大学は閉鎖され、再開したときには、ヤンゴン市内のいくつかの大学は、反政府勢力の組織化を阻むため、郊外へと移転させられた。大規模な民主化運動があった1988年に先立つ数十年においてさえ、権力側が設定した慣行が支配的なルールであり、教育現場では当然のように政治的な教化がなされていた。政府への忠誠心を計るためのアンケートも実施されていた。
それも今は昔。今では、ミャンマーは、数世代にわたり続いた教育の空白をとりもどそうとしている。ミャンマー政府は教育改革を、人的資本の底上げを喫緊の課題としている大統領の強力な意思のもと、押し進めようとしている。アウン・サン・スーチー女史は、英国がミャンマーの大学教育の改革を支援するという提案に同意している。ミャンマーの教育予算は劇的に増え、専門知識を持った海外に在住しているミャンマー人も、祖国の復興のため帰国し始めている。
改革の課程において、個人の意識はより前向きになった。外国語を学ぼうとするミャンマー人にとって、職業選択の可能性が広がったからだ。語学学校が都市部では急増し、英語、中国語、日本語、韓国語、お望みならどんな言語でも学ぶことができる。Linux、サーバーネットワーク、MySQL、それともウェッブデザイン?お金と時間があれば、学ぶのは難しくない。そして、昨今では、都市部の家庭は教育資金も持ち合わせている。もっと豊かな家庭では、海外に留学するという方法もある。

先行き不透明

経済環境については、道路の補修、安定した電力供給といった物的なインフラ設備が整備される間だけ、大規模な資金が投下されそうだ。教育部門は、ローマが一日にしてならなかったように、短期間での立て直しは不可能だ。教育改革は時間がかかり、困難な課題であるだけではなく、人的資本への資金と投資が必要となる。単純な例として、教師の再教育も十分ではない。また、政策担当者は、学校側へこれまで以上に管理と運営について支援する必要がある。学校設備は、近年発達した情報技術が利用できるように更改される必要もある。教科書にいたっては、信じがたいほど時代遅れなものが使われている。
プラスの面としては、教育改革の必要性を誰もが認識し、やるべきことに熱心に取組んでいることだ。質の高い教育システムという目的地へは道半ばだとしても、誰もがそれに関心を持ち、そちらに向かって進もうとしている。
  

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2013年6月19日水曜日

【Myanmar News】ポエトリーとアートに彩られたヤンゴンの夜

ミャンマー(ヤンゴン)に住んでて、何がツライかと言えば、外国人でも気軽に楽しめる娯楽や文化施設がないことです。公営の美術館も図書館もなければ、世界的なレベルのエンターテイメントが定期的に開催されるコンサートホールも、この国には存在しません。個人的には、まっとうな本屋とジャズクラブがないのが一番きつい。
ローカルの人々の主な娯楽は、みんなで集まって飲み食いすることですが、この国のコミュニティに属していない大部分の外国人には、そうした集まりとは縁がありません。 それ以前に、ミャンマー語ができるのか、ローカル向けのコアなミャンマー料理を食べれるのか、という問題がありますが。
そうした状況の中でも、国外から帰って来たミャンマー人や外国からの駐在員の増加にともない、少しづつ文化的なコミュニティが立ち上がりつつあるようです。公営の美術館がないのを補って、個人経営のギャラリーなどが、アートの振興や新しいアーティストの紹介などの文化支援の機能を担っています。
今回はそうした、おそらく一部のミャンマー人と外国人にしか知られていないミャンマーのギャラリーの活動についての記事をご紹介します。

『Myanmar Times』682号 2013年6月17~23日号 より記事転載(原文は英文) 

ポエトリーとアートに彩られたヤンゴンの夜
Text By Manny Maung  

 Nawaday Art Galleryの地下に足を踏み入れた途端、会場内の激しい熱気に体を包まれる。最前列の客たちは、後からつめかけてきた客に押し込まれるのではないかと心配して、周囲を窺っている。オープンマイクの会場では、前方へ押し込まれたら最後、自分が出たい時に外へ出れなくなることがよくあるからだ。その夜が、会場の熱気に見合うだけの文化的な刺戟に満ちたものになるのか、あるいは混雑の中で、汗だくになりながら、退屈な詩の朗読を聴いて時間を浪費する羽目になるのかは、始まってみないとわからない。
その夜、つめかけた客たちは、どうやって会場の外へ出るかの心配はしなくとも済んだようだ。 ミャンマーのバイオリン奏者が最初にステージに上がり、2、3曲のニューオリンズ風のダンス音楽で会場を沸かせると、しばらくの間、拍手が鳴り止まなかった。続いて親子で結成されたバンドが、エリック・クラプトンとリチャード・マークスの曲をしっとりとしたアコースティックで演奏する。
夜を切り裂くようなポエトリー・リーディングでは、報われぬ愛について人に思いを巡らせ、マスータベーションと(報われた)愛についての奇妙だが機智に富んだ表現で、聴く者を魅了させた。その詩は、良識ある人の眉をしかめさせるタイプの表現かもしれないが、大胆かつクリエイティブで、自由であるという、その夜の雰囲気をよく表していた。
曲芸師がスーツケースの中から這い出て来るパフォーマンスは、私にとってこの夜のハイライトだった。
ほんの少し前まで、こんなイベントをミャンマーで開催するのは難しかったし、こうした変化に合わせて国外からミャンマーへ戻ってくる人もいる。創造的な表現がこの国から溢れ出してきたのは、本当に喜ばしいことだ。
Nawday Tharlarを運営するKo Pyay Wayは、人々が安全に、自分たちがやりたいことを表現する場を作りたくて、この夜のために場所を提供していると語った。
「ここは、みんなが自分の思いやアイディアや才能を分ち合う場所だ」と彼はe-mailに書いた。
彼は、アーティストたちの表現方法もずいぶん変わって来たと言う。
 「いまでは、彼らは自分たちの思うように表現し、創作することができる」と彼は現状についての意見を述べる。「彼らは何の懸念もなく、詩を書き、絵を描き、写真が撮れるようになった。そうして、多くの作品が発表されるようになった。中には物議を醸すようなものもあるが、2、3年前は、とても発表できなかったものだ」。Ko Pyay Wayは、ミャンマーの文学についても、若い世代が自分たちが書くこと、話すことへ対する情熱を保ち続けていると考えている。「若い世代が、文学に関する関心を失っているとは考えていない」と彼は語った。「古典的な作品への関心ではないだろうが、文学そのものに対する関心は強いはずだ」。
熱気で汗まみれになった私は、夢中のあまり、いつ終ったのかも気がつかないほどだった。心から楽しめたという気持ちと、ミャンマーで起こり始めた新しい表現の波をおこしている人たちのレベルへの畏敬の念が後に残された。

次のオープンマイク・セッションの日程は、まだ決まっていないため、Nawday Tharlarで直接聞くか、www.nawadaytharlargallery.comでご確認ください。

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2013年6月17日月曜日

【Myanmar News】裏通りの起業家たち

ミャンマーのローカル雑誌・ジャーナルから、海外にはなかなか伝わらないタイプのニュースを紹介します。
今回は、女性起業家によるレストラン開業に関する記事です。女性経営者そのものはミャンマーでも珍しくありませんが、ほぼ全員が富裕層の家系の人です。ミャンマーでは、今まで出自がその後の人生の収入や経済状況を決めていました。軍事政権時代の政商(クロニー)の子弟には、フェラーリーやランボルギーニーを乗り回し、自分と仲間が集まるための会員制のバーやレストランを所有している者もいます。
その一方、赤子を抱えた四、五歳くらいの年頃の子供が通りで物乞いをしたり、夜にはやはり同じ年頃の子供達が、籠を頭に載せて酔客相手にツマミを売る光景も当たり前のように見かけます。ローカル客相手の飲食店で働くウェイトレス・ウェーターは、概ね小学生・中学生くらいの年頃の子達です。当然、学校教育は受けていないでしょう。
もし学校へ行けたとしても、真っ当な教育を受けることは容易なことではありません。ミャンマーでは軍事政権時代に、反政府運動の芽を潰すことを目的に学校教育を意識的に弱体化したため、学校教育のレベルにも大きな問題があります。そのため、経済的に余裕のある富裕層は、国内で受けられるレベルの低い教育を嫌い、その多くが子女を国内のインターナショナルスクールから、アメリカ・カナダ・シンガポールなどの海外の大学へ進学させるケースが多いようです。
生まれた家系により、その後の教育機会や経済状況がほぼ決ってしまう超格差社会、というより前時代的な身分制・階級制が適用された社会だったわけですが、外国との国交の回復にともない変化の兆しもあらわれ始めているようです。
今回の記事は、そのモデルケースの一つと言えるでしょう。


『mizzima BUSINESS WEEKLY』681号 2013年6月13日号 より記事転載(原文は英文)

Back Street Entrepreneurs
紛争地域カチン州出身の二人の女性起業家が、新天地を求めてヤンゴンのレストランシーンへ登場
Text by Kasper Stengaard

ここが彼女達にとっての農園だ。汗ばんだ手がノコギリでベニヤ板を引き、塗り立てのペンキの匂いが鼻を突く。未開封の冷凍機器と、落ち着いてはいるものの隠し通せない興奮。 来るべき日は足早に近づいてきている。Sanchaung区(訳注:ヤンゴンの住宅地区。中産階級のミャンマー人が多く住み、スーパーマーケットなども他のエリアに比べて多い)に、新しいレストラン「Lady Finger」がもうすぐ開業する。二人のオーナー、Nue Nue 29歳とAh San 28歳は、店の掃除をし、メニューを考え、スタッフを雇用して来た。彼女達のレストランを、長期的なビジネスモデルを採用しながら、周囲から際立ったものにすることに、ずっと頭を絞っている。

最大の難題
ミャンマーでのビジネスは、エアコンが効いた、ベルベット敷きの部屋での豪華な会食では済まされない。笑顔が絶えないカチン出身(訳注:ミャンマー北部で最も少数民族紛争の激しい地方。イギリス統治時代の政策の影響で、キリスト教徒が多い)のコンビは、創意工夫をもってすれば、たとえ控えめな投資であっても、すぐれたサービスの料理店が、同業者の競争が激化しているヤンゴンで開業できることを証明すべく奮闘している。
「私たちにとって最大の難題は、適正な値段で立地の良い場所を見つけることでした」 Nue Nueは、3平方メーターの段ボールが「Lady Finger」の本社戦略室だった頃を振り返る。数週間の間、できるだけ早く足がかりを作ろうと、案を練り続けていた。不動産雑誌を読みあさり、数え切れない程の物件を見た末、劇場を建設中で、オーナーが観覧客への食事を提供する店子を欲しがっている物件に行き当たった。

地の利を生かす
高校時代からの友人である、共同経営者のAh Sanは、ビジネスにはーそれが、どんなビジネスであれー場所が大切だと語る。
「ここSanchaungは、私たちが提供する、手頃な値段の食事を気軽に楽しめる中産階級の人がたくさん住んでいて、しかも近所にカチン料理を出す競合店はない。そういった意味で、最高の場所だと思う」と彼女は言う。
ミャンマー最北部の州の郷土料理は、その美味しさの特徴として、ミャンマー人でも汗ばむほどの大量のトウガラシで味付けされている。

夢を叶える
ニンニクの束とプロパンガスのタンクの脇に立つ、二人のオーナーは料理人でもある。Ah Nanは、夢の実現のため、遠く離れたミッチーナー(訳注:カチン州の州都)からスカウトされてやって来た。二人のオーナーにとって、「Lady Finger」は単なるビジネスではない。「レストランか洋服屋を開くのが、ずっと夢でした」Nue Nueの声が、六つの真新しいテーブルと、客の到来を待つ二十四脚の椅子が並ぶ、まだ、がらんとした部屋に反響する。
誰もが夢を実現する手段を持っているわけではない。事務員の給与が、週80時間働いて、月100 USドル程度のミャンマーで、必要な資本金を工面するのは並大抵のことではない。

試練に耐える
鮮やかな色彩でレストランの壁が満たされている。二人のカチンのアーティストへ「Lady Finger」に相応しいトレードマーク作りが委ねられた。メッカのカアバ神殿と同じ役割を果たすように、カチンの祝祭のもと、ステージのような巨大なダイニングの周りを踊る人々が取り囲む。カチンについて人々が思い浮かぶものが、竹で作られた兵士のカムフラージュのための扮装から、居心地の良い、落ち着いたレストランへと変わりはじめている。
二人の女性は新しい旅立ちへの興奮を隠せない。だが、時には忍耐力を試される局面もあった。レストランの営業許可を取得するのは、本当にうんざりすることの連続だった。役所の担当者は約束を二回反故にした。雨期にレストランを開業するために、担当者の承認を取付けるのは不可能に思えた。その最中、カチンからの到着を待ちわびていたウェイトレス達は、直前になってヤンゴン行きの列車に乗るのを取りやめた。二三日して、彼女達はやっぱり行くことにしたと伝えて来た。もっとも、おそらく他の東南アジアの国に比較しても、ミャンマーでビジネスをするには、いろんな障害に出くわすことを覚悟しないといけない。
このような地域独特の予想外の出来事への挑戦は、起業家のダイナミクスとして、間違いなく世界共通のものだ。ビジネスを成功させるためへの挑戦は、ヤンゴンであろうがワシントンであろうが変わりない。Ah Sanは彼女達が、これからも大きな試練が待ち受けていることを認める。
「私達は、雨期の始まる時期に開業します。お客さんを集めるのは、正直大変だと思う。でも、この時期を私達のLady Fingerを知ってもらうために使わなければならない。そのために全力を尽くします」と彼女は言う。認知度の低いカチン料理の美味しさを知ってもらうために、パンフレットをスタッフに配ってもらうとも教えてくれた。
Nue Nueは、彼女もまた、自分のレストランを経営する夢の実現に向かっているところだと強調した。「もちろん、やるべきことは山ほどあるわ。でも、私達はきっとやりとげる」。


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