2015年2月28日土曜日

もうミャンマーに慣れたなと思う瞬間

ミャンマー在住アイルランド人のブロガーMareK Lenarcikさんが滞在3年目を記念して書いた、ミャンマーに長く居過ぎたと思う36の理由(滞在一ヶ月につき一つの理由)というのを見つけたので紹介します。
これからミャンマーに住む人に対する、ある種のガイド(警告?)として役立つかもしれません。

ミャンマーに長く居過ぎたと思う36の理由
  1. 停電が起こっても動じず、何事もなかったように、今までやっていたことを続ける。
  2. 二つ以上の飲み物や食べ物を頼んだ時、ウェイターが注文を覚えていることを期待しない。
  3. レストランやバーでウェイターやウェイトレスが注文を書き付け、確認していても注文通りに来ることを期待しない。
  4. キンマ(噛みタバコ)をくちゃくちゃさせないミャンマー人と話すのは無理だと知る。
  5. オンラインでYoutubeやビデオを見るのを、ネットが遅過ぎるので無理と最初から諦める。
  6. ストランド・ホテルのハッピーアワーが、最大のナイトライフ・イベントなのを思い知る。
  7. ホテルのバーと通りのビアステーションのみが、街で盛り上がっている場所だと悟る。
  8. 乾冷期の気候を楽しむより、その期間が短いと文句を言い、 夏には雨期の到来を待ちわび、雨期になると早く乾冷期の季節になるのを恋焦がれる。
  9. 一方通行の道を渡るのに、四方向を見るようになる。
  10. ちょっとした違反でミャンマー人警官が車を止めたとき、自然に財布取り出す。
  11. 車を運転するときに、とにかく空いてる場所を見つけて走り出す。
  12. 交差点に侵入するときハザードランプを点滅させる。
  13. 他のドライバーが自分に警告し、道を開けるようクラクションを鳴らすと、とりあえず腹を立て、悪態をつく。
  14. 他の車や歩行者へ警告し、道を開けるようクラクションを鳴らす。
  15. ハンドルが正しい側に付いた車を所有するのは特権だと知る(訳注:ミャンマーは右側通行だが、輸入車はほとんど右ハンドル)。
  16. 誰にも交通ルールを守ることを期待しない。
  17. 普段は温厚なミャンマー人ローカルが、どうして車の運転に関してはすぐ激昂するのか不思議に思う。
  18. 高速道路でバイクが逆走していても驚かなくなる。
  19. 牛の群れが高速道路の車線を塞いでる時、何事もなかったかのように同乗者と会話を続けながら、車線を変える。
  20. 時計よりカレンダーの方を当てにする。
  21. もはや水掛け祭りは楽しめなくなり、この時期はミャンマー国外に脱出することにする。
  22. 数百キロ先で紛争が起こっていても気にしなくなる。ミャンマーの交通事情では紛争が自分の住む場所まで及ぶことはなく、地方の紛争はその地域から広がらない。
  23. 事態がより悪化するので、外国人のトラベルアドバイザーの言うことを無視するようになる。
  24. まともな住宅の家賃が自分の国と変わらない、もしくはより高いことに驚かなくなる。
  25. サンダル、ゆるいシャツ、(性別によらず)ロングスカートが正装と思うようになる。
  26. オフィスが変わっても、鍵を新しく作ってもらうことを期待しない。 
  27. 何かにつけ「あそこよりマシだよ」と言うようになる。
  28. ローカル女性が大きな音を出してゲップをしても、まあ可愛いもんだと思うようになる。
  29.  支払いも、受け取りも、みんな現金。
  30. 銀行口座を持たずに生活する。
  31. 海外でクレジットカードやデヴィッドカードで買い物するときに興奮する。
  32. ビザランでバンコクに行くのは文明への逃避と考える。
  33. 「イエス」は、「イエス」か「たぶん」もしくは「ノー」を意味すると知る。
  34. 心臓病の診断なしにニトログリセリンを処方されたので、ローカル病院へは行かなくなる。
  35. シティマートではアスピリンもStrepsilsもバイアグラでも売ってるし、ローカル薬局では処方箋なしに抗生物質でもバリウムでも買えるので、ローカル病院へは行かなくなる。
  36. ローカルには記憶をリセットする特別なボタンがあって、彼らに頼んだことは何でも5分後には忘れられることができる、と考えるようになる。
以上です。
この人、ミャンマーで車を運転してるみたいで、車・交通関係の記述が多いですね。

自分の経験から付け加えるなら、

37. 街灯の少ない暗い夜道を歩くときは、野良犬の糞やネズミの礫死体を踏まないように気をつける。
38. ビアステーションで飲み食いしている時に、野良犬や野良猫が残飯をあさりに店内を徘徊してても気にしない。
39. ウェイターが器にがっつり指を入れて持って来ても、見なかったことにする。

くらいでしょうか。

別に誇張なしに、上記のことは日常的に起こっていることなので、魅惑の国ミャンマーにいらっしゃる方は、前もって知っておいても良いですね。

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2015年2月19日木曜日

ミャンマー進出がうまくいかない会社の特徴

久々にビジネスぽい投稿です。
こちらに来て約3年経ちますが、日本からミャンマーに来て、営業活動をしたり、パートナー探しをしても、なかなかうまくいかない会社に共通する傾向が見えて来ました。
ここは海外、文化も習慣も日本とは大きく異なり、しかも進出に関連する法律が未整備な場所です。日本と同じ感覚でやって来ても、当然、うまくいきません。
そうした会社に概ね共通する特徴を、以下に列記します。

1. 用意してくる資料が日本語のみ

ここは外国です。当然、日本語で作成したパワーポイントの文書を読める人はあまりいません。
ミャンマー語とはいいませんが、せめて英語の資料は準備すべきです。
取引先やパートナーを日本語話者に限ると、取引や業務提携の対象先が非常に限定されます。

2. 業務・技能がシステム化・形式知化されていない

日本のメディアではよくミャンマー人を「敬虔な仏教徒が多く、親日的で、穏やか、日本人と気質が似ている」と評しています。否定はしませんが、やはり文化や習慣が根本的に異なるので、ビジネス・労働観に関しては共通の基盤はないと見た方がよいでしょう。
受けて来た教育や、育った環境が違うため、仕事に関する知識や経験、業務の完成度に対する感覚等、日本とは前提がまったく異なります。
そのため業務に必要とされる技能や手順が、マニュアル化・システム化されていて、文章や図ですべて理解・習得できるよう、形式知として体系的に整備されている必要があります。
日本の中小企業にありがちな、習って覚えろ的なOJT方式では、教える側の負荷が高く、効率が悪い上、多人数に対応できません。
そもそも従業員の定着率が低いため、OJTで個々に対応するのは無駄な人的投資になりがちです。
現地での研修・教育が難しいため、ミャンマー人を日本に送り、OJTで研修させて、本国に戻すという方法も問題を生みやすいです。日本で研修を受けても、帰国後すぐに離職する、ミャンマーで日本と同水準の賃金・待遇を要求する、最悪、研修期間中に脱走して難民申請するなどのケースが有り得ます。
やはり、業務・技能がマニュアル化・文書化されていて、暗黙知に頼らずに、文化が違う海外でも理解・習得できるよう、研修・教育のシステムが普遍的に形式知化されていることが必須です。

3. 他国への進出経験がない

最後はややハードルが高い条件かもしれませんが、敢えて書き置きます。
メディアで「アジア最後のフロンティア」などと喧伝されるミャンマーですが、言い換えれば、同国内にビジネス・サービスのインフラがほとんどないということを意味します。
電力や物流等の物的なインフラが未整備なのは見れば分かりますが、見落としがちなのが、現地の人的な問題や法律が未整備なことです。
現地企業と提携・取引をする際、相手側からの文書による資料・情報の提示、双方の合意に基づく契約等、段階的に安全なプロセスを踏んで進出することは難しいです。同国では、これまで多くの場合、政府高官とのコネ、商売勘と口約束で仕事が完結していたので、国際的に通用する、透明度の高いビジネスのプロセスの知識や経験の蓄積がありません。そもそも、その必要性さえ認識していないふしがあります。
率直に言って、他のASEAN諸国と比較しても、ミャンマーは企業体力と海外進出のノウハウを要する国だと思われます。最初の海外進出ならば、ミャンマーが本当に自社に取って適正な国かどうかを再考することをお勧めします。
可能であれば、海外企業進出に対するインフラが整備された隣国タイあたりで経験を積んでから、ミャンマーへの進出を検討した方が良いかと思われます。海外で起きるトラブルへの免疫や対処のノウハウがない状態で、広い意味でのビジネスに必要なインフラ(一定の知的水準を達成する教育システム、要求水準に対応するスキルを保有する人材を選べる労働市場等々)や法が未整備な国へ進出するのは、相当の困難を伴います。

補項: 表敬訪問はもうやめましょう

2011年にアメリカの経済制裁が棚上げになった後、多くの日本の都道府県の商工会議所の代表団が、ミャンマー商工会議所連合会(UMFCCI)を表敬訪問しています。 
ミャンマー商工会議所の会議室で、意見交換、記念撮影、帰国後、会議所会報・社内報にその集合写真を掲載、実質的な業務提携や取引実績は残さない、というのが典型的なパターンです。
こうした日本のビジネスパーソンの行動は、ミャンマー人からNATO (No Action, Talk Only)と揶揄されています。
ミャンマーも他の東南アジア諸国と同様に、短期的な利益を追求し、現金収入や実利に直結しない稼働を嫌う気質があるため、この種の表敬訪問は、日本企業や日本人に対するイメージの低下を招いています。
また、儀礼的な訪問の中で、意見交換をしても、得られる情報の質が表面的なものに留まります
それより、ミャンマーに進出して、単独または合弁で現地法人を立ち上げた会社の方から話を聞いた方が得るものが多いでしょう。現地でミャンマー人を直接マネージメントしている人たちからの経験談を聞くことも重要です。 
できることなら、仮に進出した場合、雇用する水準の所得階層のミャンマー人たちと直接に接することをお勧めします。こちらへやって来たものの、要求水準に達する能力を持つ人材が得られず、苦労している企業も多いようです。
ホテルとJETROのオフィスミャンマー商工会議所を、大名行列よろしく、集団で移動しても、進出にあたって必要となる、現地のリアルな情報は得られません。
街へ出て、ローカルのレストランで食事し、現地のサービス水準や衛生観念を知ることも、ミャンマーの民度や市場の成熟度を測る方法のひとつです。

いろいろと書きましたが、外国人でもミャンマーが好きで、ミャンマーに住むこと自体がプライオリティになってる方は、楽しくやっているように見えます。
そうした経済合理性や得失損得を越えた価値観の人の方が、結果的にビジネスも軌道に乗ることが多いようです。山師的で、話の大きいタイプの人は、ここに長くはいられないようで、いつの間にか姿を消していきます。

とにかくミャンマーが好きで、ここで何かを成し遂げたい、この国の発展に貢献したい、そのための苦労は厭わない、今のミャンマーはそんな外国人のために開かれた国です。

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2015年2月3日火曜日

ミャンマーでトートバッグ作ってます2

前の投稿で書いたとおり、昨年末からミャンマーの伝統的な布素材を使用したトートバッグを製作しています。

サンプル製作時点では、思ったより完成度が高く、強度が必要な部分の素材を丈夫な布に変更したり、若干の縫製方法の改善で、本製品の製作にかかれそうに思われました。

しかし、ここはミャンマー、やはり問題が生じます。

ある程度の価格で、値段相応の品質を求められるトートバッグには、撥水性があり、摩耗に強いキャンパス布を使用されていることが多いです。
ミャンマー製のトートバッグでも、このキャンパス布を強度が必要となるバック底部に使用するつもりだったのですが、このキャンパス布がミャンマーでは入手できません。
生産委託先の工房に該当する生地を探してもらっているのですが、なかなか使えそうな生地が見つかりません。
製作するバックの要求水準を満たす生地が見つかるまで、いましばらく時間がかかりそうです。

欲しいのはこういうタイプの布です。
http://www.hide-aci.com/textile/special_canvas.html
もし、ミャンマーで入手できるお店等の情報をお持ちの方がいれば、お知らせください。

以前製作したサンプルは、日常の普段使いで使っています。ミャンマーらしい色使いが気に入っています。

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2014年12月17日水曜日

ミャンマーでトートバッグ作ってます1

ミャンマー製の雑貨で、デザインや品質の良いものを見つけるのは、なかなか難しいです。縫製や作りが雑で、商品として要求される完成度に達していない、デザインが我流で先進国のトレンドやライフスタイルとマッチしていない。そんなモノが大半です。
当然、作り手はミャンマー人ですが、ミャンマーで生活していると、先進国のライフスタイルや、トレンドの傾向など、知りようがないので、仕方がないと言えばそれまでなのですが。
私はモノが好きなので、ローカルの土産物屋や雑貨屋を良くチェックしていますが、なかなか、これと言ったモノに出会うことがありません。
おそらくミャンマー在住の外国人の多くが、同様に感じていることでしょう。

一方、ミャンマーの伝統的な布工芸は、日本人には思いつかないような大胆な配色、洗練されたパターンの配置で、目も綾な美しさのみならず、見る者を楽しませる、新鮮な驚きをも感じさせます。

こうした素材を使ったレベルの高い雑貨を探して、そろそろ2年経ちますが、未だに見つかりません。どうも待っていても誰も作ってくれそうもないので、重い腰を上げて、実際に自分で企画・製作することにしました。

最初に作ることにしたのは、トートバッグ。

日常的に使うことが多く、モノとして実用性を備えている上、素材とする布のデザインをそのまま生かすことが出来るという理由で、トートバッグを選びました。

実際に取り掛かったのは、半年程前で、近所の雑貨屋でサンプル作成を頼んでみたのですが、やはり縫製や作りが雑で、これでは、とても商品化には漕ぎ着けられそうもないと諦めていました。
その後、障碍者の自立支援をサポートする日本のNGOにより運営されている、研修所を兼ねた工房をご紹介いただき、ようやく製品化に目処が立ちました。
縫製も丁寧だし、こちらの要望も把握して聞いてもらえるので、仕事が進めやすい。なかなかミャンマーでは得難い工房です。



昨日、最初のサンプルの上がりを見たのですが、予想外の完成度の高さでした。
基本的な仕様や作りは、世界標準に達しています。
これに若干の修正や改善を加えれば、実用性・耐久性が高く、素材の持つミャンマー的な色彩感覚やパターンが見た目に楽しいバックが出来上がります。


 一つの柄の布から製作できるバックは5個。ミャンマーの流通事情では、安定的に同じ柄の布が手に入らないので、各パターン5個の限定品になりそうです。

もし、ご興味のある方がいれば、お早めにご連絡ください。
製作と平行して、予約販売も受け付けます。

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2014年12月1日月曜日

World Music Festival in Yangon

Inatitut Franc Ais de Birmanieというフランス文化センターのような場所で、11月28日、11月29日の二日間に渡り無料のジャズライブが開催されたので行って来ました。

ミャンマーは基本的に外国人が楽しめるような娯楽やイベントがないので、たまにこういうイベントがあると、外国人が総出でやって来ます。こんなに沢山、外国人がヤンゴンに住んでいるのかと改めて驚きます。
しかも普段の自分の生活圏では見かけないタイプの外国人。ファッション雑誌の街角おしゃれスナップに出て来そうなパリジェーンヌッ!!!とか、ウーピー・ゴールドパークみたいな黒人のオバさんとか、スペイン語を話している国籍不明のグループとか。

会場は敷地内の前庭で、キャパシティは1000人くらい。客層はミャンマー人と欧米人がほぼ半々。ミャンマー人以外のアジア系外国人はあまり見かけませんでした。


初日は、ライブが始まる前から満席で、ずっと立ってるのは辛いなと思ってたら、最初のバンドの演奏が始まって三曲くらいすると二割くらいミャンマー人が帰ってしまい、無事座れました。60年代にウェイン・ショーターがやっていたタイプのジャズで、リズムセクションの間をソプラノ・サックスがピロピロ浮遊するような演奏でした。
これはミャンマー人にはウケないだろうと思ってたら、案の定退屈したようで、どんどんミャンマー人が席を立って行きました(笑)。
モード・ジャズとかミャンマーではまず聴く機会はないし、この種の音楽は学習機会や予備知識のない人が聴いても面白くないですからね。


二日目になると、結構空席が目立ちました。初日は開演前は満席でしたが、この日は七割くらいの客入りです。初日がつまらなかったという噂がミャンマー人の間で、広まったのでしょうか?

二日目の二番目に出たバンドが、このイベント中のハイライトでした。このバンドならお金払ってもでも観たい。
Eliane Amherdというスイスのシンガーソングライターで、歌もギターも上手い。リズム・アンド・ブルースやジャズを基本に、アフリカ的なポリリズムな要素も絡んで、聴いててとても気持ちいい。テイストが近い有名なミュージシャンを挙げるとノラ・ジョーンズあたりか。



何曲かやったカヴァーも秀逸。聴いてて曲名分かったのは、Tom Waitsの"Jockey Full Of Bourbon"、Tamba Trioの"Berimbau"とか。
個人的に一番盛り上がったのは、Ann Peeblesの"I can stand the rain"のカヴァー。
選曲センスもグッドです。


リズムセクションもボトムが太くて、迫力がある上、ファンキーでした。このバンドだけ、明らかにセンスも演奏力も次元が違ってました。
スイスって音楽のレベル高いのかなと思ったのですが、パンフレット読むとEliane Amherdさんはスイス人であるものの、活動拠点はニューヨークで、アメリカのラジオチャートにチャートインしたこともあるそうです。バックのリズムセクションの人たちも、ニューヨークで活動するスタジオ・ミュージシャンみたいです。
やはり層が厚くて、競争率の高いところで活動している人はレベルが高い。

Youtubeにも結構動画があるようなので、ご興味がある方はどうぞ。


ともかく野外で音楽聴きながら、ビール飲むのはとても気持ちが良いものです。このイベントの主催者の方たちに感謝します。ミャンマーにミュージシャンを招聘するのは、ヴィザや機材の輸送等、手続きや準備が大変そうですし。
ミャンマーにもこんなイベントが増えたら、在留外国人の一人として嬉しいですね。

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2014年11月22日土曜日

ヤンゴンで注文家具を作った

"男には二種類いる。女を愛する男と物を愛する男だ"

と、のっけからハードボイルド風の箴言で始めてみましたが、私は圧倒的に後者です(笑)。要するにオタク気質なわけです。なので、気がつくとモノがどんどん増えている。
そういう訳で、2年程前にミャンマーで買った本棚がすでに一杯になり、これ以上、収納ができなくなりました。

そのため以前このブログでご紹介したヤンゴンの注文家具屋さん sir. bo ni で本棚を購入しました。  竹の支柱と木の棚板の自然素材を組み合わせた、ミャンマーらしいデザインの本棚です。
作製依頼してから約1週間で完成。気になるお値段は60USD。他の国の注文家具と比べれば、かなりリーズナブルではないでしょうか。


買って1ヶ月程で、もうかなり中身が詰まってます。これ以上モノを増やさないようにせねば。


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2014年9月23日火曜日

【Column】ヤンゴンは女のロマンを打ち砕く街?

前回、男のロマンについてのブログを書いたので、今回は女のロマンについて。

ヤンゴンの街を歩くのは、かなりの注意を要します。吐き捨てられたばかりの真っ赤なキンマの痕、車に轢かれてぺしゃんこになったネズミの死骸、犬の糞などの数々の障害を周到に避けながら、歩く必要があります。視察などで来た人は、ホテルと視察場所や会議場等の間を点で移動するので、それほど目の当たりすることはありませんが、ローカルエリアに住んで、実際に生活するとなると、毎日嫌でも目にします。

それ以外にも、舗道の側溝が塞がれていないことがあるため、よく注意して道を見ておかないと排水溝に落ちる危険もあります。下を流れるのは、生活排水やらゴミがヘドロ状に溜まった汚水です。

今回は、デートの途中に排水溝に落ち込んだ経験を書いた、アメリカ人女性(おそらく)のコラムをご紹介します。詳しくは書いてませんが、それがきっかけでボーイフレンドとは別かれたようです。どうもヤンゴンは、女性のロマンスを育むのに向いた街ではないようです。

記事の紹介の前に、いくつか補足しておきます。

文中にある「あなたの目をめがけて揺れる窓からぶら下がった危険なクリップ」とは、アパートの各部屋の窓からぶら下げた連絡及び買い物用のクリップを付けたヒモです。
ミャンマーはエレベーターのない物件が多いので、このクリップに挟まれたメモや新聞を住人が引き上げる仕組みになっています。こうすると、いちいち階段を昇降する必要がありません。
個人的には、あまりアパートの真下を歩くことがないので、実際、これで危険を感じたことはありません。そもそも、ゴミやら生活排水やらが上から何か降ってくる可能性があるので、アパートの真下は歩きません(笑)。


コラムを書いた、Fiona Macgregorさんが落ちたと思しきDhammazediロードにある側溝です。私の通勤路でいつも跨いでいる場所なので、読んでて場所が分かりました(笑)。サボイホテルから50mくらい東の場所ですね。ヤンゴンには、このように剥き出しなった側溝が結構あります。周囲に街灯がほとんどないので、夜歩くときはかなり注意しなければなりません。


まぁ、ここに足突っ込んだら泣きますね。ミャンマーには水処理施設がないため、汚水処理とかいっさいしていないし。悪臭がするときもあるし。


とりあえずヤンゴンはロマンティックな気分が盛り上がる街ではないので、そういう場所が好きな方にはオススメできません。まぁ、自分が知らないだけで、本当はどこかにあるのかもしれないですが。今まで住んでて、ロマンティックになる必要性が生じたこともないですし(笑)。もし、ご存知の方がいれば、後学のためお教えください。

『Myanmar Times』2014年9月22日~28日 より記事転載(原文は英文)

Hole Story 堕ちた女 Text by Fiona Macgregor 


いつも私は誓っていた。もしそれが起こったら、もうおしまい。ここで起こりうる最低の屈辱にあったなら、私はすぐに自分の国に帰るつもり。「堕ちた女」にちゃんとした補償がされる国へ。
大西洋を隔てた同胞スコットランド議会が、好ましからぬと見なされても動議を諮ったように、彼もしくは彼女が、会話の最中に舗道の真ん中で突然穴に落ちたら、地方政府を訴える権利があるだろう。
その出来事がボーイフレンドとの仲を裂くきっかけとなった場合、追加の弁済を定める法があるのかどうか知らないが、私はその義務はあると思う。
不注意な歩行者が見落としがちな危険や、歩くのに注意を要する舗道といった、街中に潜む恐怖を考えると、ヤンゴンの街を長く歩けなくなってしまう。アメリカ人的な視点から言わしてもらうと、ガタガタのコンクリートの瓦礫の集まりを舗道と呼ぶことは、舗装という概念を貶めることを意図しているようにさえ思える。
いくつかの面で、ヤンゴン市内の舗道を改善する施策がなされていることは疑いようはない。だが、ヤンゴンでは、意図せずコンピュータ・ゲームの世界に投げ込まれたプレイヤーになったような気がしばしばする。
「ストリート・オブ・ヤンゴン」。
そこではプレイヤーは、隠れた穴や裂け目を避けながら舗道を進み、戸口から自分に向かって吐き出される真っ赤なキンマ(訳注:噛みタバコ。ヤンゴンの道は、吐き捨てられたキンマの後で赤い斑になってます)の唾や、あなたの目をめがけて揺れる窓からぶら下がった危険なクリップを避けなければならない。死んでしまえば(あるいは3回死ねば)、排水溝に落ちてゲームオーバー。望まぬ状況でも、ボーナスポイントが得られたら、あなたは平静さと清潔さを保ったまま無傷で目的地に到達する。
運命が私にそれまで考えたことがない恥辱を与えるまで、舗道に関するトラウマで最悪なのは、開いた排水溝の不潔な汚水に体を浸すこと、おぞましいネズミ達が這い回る、都市が吐き出す、悪臭の漂う不快な排出物の中に身を沈めることだと想像していた。
確かに私の不名誉な経験は、大きな恐怖として私の中に刻み込まれている。だが、私が不格好に品位を失った瞬間は、決して癒すことのできない傷を私に残した。
それが起こった夜は、今は元彼となった男性との最初のソーシャル・ミーティングだった。 とても大事な時期で、だから私は知的洗練と無防備な魅力をもって彼に接するように心掛けた。どうやら私は無防備な部分だけを上手くやってのけたようだ。
私が来るべきスコットランドの国民投票の微妙さについての気の利いた意見を述べて、彼を魅了した(と私は信じたい)瞬間もあったが、次の瞬間、私の右足はあるべき道の上になかった。穴に落ちたのがあまりに急のことだったので、英国議会の何人かのメンバーが企てたマキャベリ的陰謀ついての私の意見は宙に浮いたままだった。そして、穴に落ちなかった残りの体の部分をコンクリートに打ちつけた。
彼は、悲惨な状況へ、英雄的な勇気をもって立ち向かった。私の右足をそっくり飲み込んだ、不気味な裂け目に降りてまでして、私を助けてくれた。近くのサボイホテルへ私を連れて行って、血まみれの私の足をいたわり、ワインを振る舞い私の高ぶった感情を慰めた。
私は、ただ、言うもおぞましい、病原菌に満ちた穴に落ち、助けられたのだが、流れる血と打撲が不名誉な事態をさらに大袈裟にしていた。
そして、こんな経験をしたのは私だけではないし、私がこの街の通りに潜む陥穽に(肉体的に)最も傷つけられた犠牲者だったわけでもない。
もっと深刻な事故は起きている。「ヤンゴンで穴に落ちた、酔っぱらいの欧米人についての記事を書くべきよ」と、ある友人は最近メールを送ってきた。
数日前、友人の同僚が酔って夜の街に繰り出した時に、ダゴン区で穴に落ちたと聞いた。彼はしばらくの間、意識不明になった。幸運にも、彼の脳震とうによる後遺症はなかったが、その夜は、彼が予定していたようには終えられなかったに違いない。
だが、私の場合、穴に落ちた後に飲んだワインが、その夜最初の一杯だったことは確かだ。素面で用心深い歩行者も、大きなリスクにさらされている。
しかし、穴に落ちたという事実は、何かしら人を笑わせるものらしい。ある種の本能的な反応として、危険な瞬間を体を張ったコメディに変えてしまう。これは世界的に同じ現象らしい。
だが、別の反応もある。これは私が東南アジアに来てから気がついたものだ(エジンバラ地方議会御中、私が「道中にある、偽りのおとし穴」について、皆さんへお手紙を送りした時に理解していなかったことをここに認めます…)。
そう第二の反応は、「競争」だ。
「おっ、ヤンゴンの穴に落ちたことを書いてるんだって? 俺にも穴の話をさせてくれ…」。
そして文字通り、穴だらけのホラーストーリーが始まる。誰もが人よりすごい話をしたがり、 しまいには、誰かが拉致されて、一年間ドロドロした穴に閉じ込められて、クモとウジ虫を食べて生き延びたと言い出す始末だ。
私の経験には多くの教訓があるはずだが、おそらく、ほとんどは既に知っていたものだ。「いつも道をよく見てなさい」、「政治とワインと元彼の組み合わせは、何らかの失敗が起こりやすい」といった教訓だ。
ヤンゴン市内の舗道がすぐに歩きやすくなることはないだろう。だが、私は絶望の淵に沈んだままでいる気はない。
冒頭で、それが起こったら、ここを去ると誓ったものの、私はまだヤンゴンに留まっている。私は、自分では気づかないまま、私の隠された部分が、失った品位を、再び取り戻すことを期待しているのではないかと訝っている。それは、今のところ、Dhammazediロードの地獄の淵に、人知れず沈んでいるのだが。

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2014年9月22日月曜日

【News】ミャンマーは男のロマンが通用しない国?

最初にミャンマーに来た外国人の多くは、この国の何もなさに限りない可能性を感じます。
この国で、自国には当然のようにある、あんな事業やこんなサービスを提供したら、競合のないこの国での成長は天井知らずではないか?、と夢を見てしまうわけですね。

でも、そうした事業やサービスがないのには、それなりに理由があります。外国人にはとうてい理解不能の規制当局の対応や、合理性や効率性を重んずる資本主義的な労働観に馴染んでない労働者、貧弱なインフラ等々、思い描いた夢の先には多くの障害が現れます。あまりメディアでは表立って語られませんが、この国で多くの外国人が、こうした環境の中で日々苦闘しています。

夢見た事業が実現できず、この国を去りたいのだけど、それも理由不明の出国禁止でかなわない、手持ちの資金は尽きる寸前で、どうにもならないという状況のコスタリカ人起業家のニュースがあったので、ご紹介します。
この人は、たぶんロマンチストだったんだろうと思います。自然が残された手付かずのミャンマーのビーチを見て、小さな自分の王国の建設を夢見たのでしょう。
この人の悲劇は、自分の夢を追うあまり、地元の有力者とのコネクションや、噂好きの地元民と良好な関係を築くという、ミャンマーで生きていくために必須となる現実的な側面を見落としていたことが原因ではないかと推測します。

夢を見る気持ちは良く分かるのですが、 勝手に外からやってくる外国人に気持ち良く夢を見させてくれる程、この国も甘くないです。
外国人の描く理想や夢は、そこで暮らす人々の日常や生活とは関係ないのですから。
このコスタリカ人起業家は、本当に気の毒だと思いますが。

『Myanmar Times』2014年9月15日~21日 より記事転載(原文は英文)

Business dream turns to nightmare for stranded Costra Rican entrepreneur 

夢見た起業が悪夢に 囚われのコスタリカ人起業家

Text by Thomas Kean, Ye Mon

Gunter Oteroが2012年に初めてガパリビーチに行った時、彼は夢心地となった。
「それはまさに僕が少年時代を過ごした、旅行業界がブームになる前のコスタリカそのものだった」。
世界中の旅行業界で10年程働いた後に、彼はこの場所こそが自分が腰を落ち着けて、自らのビジネス ー 旅行者向けのレストランとロッジ ー を始める場所だと心を定めた。
彼に先立つ多くの起業家同様、Otero氏の夢は早々に潰えた。100,000 USドル以上を事業につぎ込んだが、もう彼はこの国を出たいと願っている。そうしていない理由はただ一つ、彼の出国が許可されないからだ。

彼は、7月に偽造文書作成の疑いで裁判にかけられた。彼によれば、罪状は今年の初めに、彼の息子が生まれたThandweの病院での出生証明の発行に関わる誤解から生じている。
判決は区の裁判所で8月28日に結審したが、彼の名前は入国管理局のブラックリストに載ったままで、出国ができない状況だ。 それと同時に、Thandweの地域入国管理官は、なぜ彼はオーバステイしているのかの説明を求めている。彼のマルチプルビザは、9月8日で約70日の滞在になっている(訳注:ビジネスビザでの最大滞在日数は70日)。
出国ができないため、Otero氏は自分の海外にある銀行口座からの引き出しもできず、シンガポールやバンコクのコスタリカ人コンサルタントの支援も受けられない。この状況を彼は理不尽極まりないと憤る。
「僕は疲れ果てた。肉体的にも、精神的にも、経済的にも」と、先週、彼はミャンマータイムズに語った。「どうすることもできない。友達みんなからお金を借りた。でも、これ以上は無理だ。こんなに追い込まれたのは、人生で初めてだ」。
彼の問題は、自分で建てた浜辺を望む丘の上の家に住もうとした時から始まった。2013年8月に入国管理管の深夜の訪問があり、その家に住むことも、居住地として登録することもできないと告げられた、
それ以来、 彼はガパリビーチのホテルに泊まっている。状況は、彼がThandweに住むラカイン出身の女性との結婚が、地元の活動家の目を引くことでさらに悪化した。彼らは、Thandweを移動する彼をつけ回し、彼の妻へ迷惑電話による嫌がらせを行い、地方政府や地方裁判所の役人へ、彼へさらなる法的措置を取るように働きかけた、と彼は言う。
「これは明らかな人種差別だ。彼らは、僕がローカルの女の子と結婚したことが気に食わないんだ」。 

ラカイン国民党Thandwe事務所のスポークスマンのU Myint Ooは、Otero氏の問題について憂慮しているが、ラカイン国民党の党員は誰もこの件に関わっていないと語った。彼は、ラカイン国民党が政府の役人にプレッシャーをかけたり、Otero氏をつけ回したという意見を否定した。「彼のことについて、党のいかなる会合でも話題にしたことがない」。
入国管理局Thandwe事務所のトップU Aung Tunは、当局がOtero氏の出国を許可しないことに関知していないと語った。
「もし、外国人が犯罪を犯せば、政府は国外退去させるだろう。しかし、Otero氏は罪を犯していないから、自由に国を去ることができるはずだ」と、U Aung Tunは9月8日に語った。
Otero氏のThandweを拠点とする弁護士Daw Nway Nway Nyeintは、同じく彼の移動が禁じられていることに当惑していると語った。
「もし係争中の外国人であれば、出国は許されないでしょう。しかし、Otero氏はいかなる犯罪にも手を染めていません。なぜ、政府が出国を許可しないのか理解できません」。
ラカイン州の外にある地方の、ある入国管理官は、出国禁止をネピドーの政府が取り下げないのは、判決のコピーをまだ受け取っていないからかもしれないと語った。 Otero氏は係争のあった裁判所に、入国管理局の責任者に対する推薦状の発行を依頼したが、裁判所は、それは通常の手続きではないと拒否した、と語る。ネピドーにいる入国管理局の責任者は、多忙のため、この件についてのコメントはできないと答えた。

いたずらに時間と費用を費やす中で、Otero氏の手持ちの資金が尽きようとしている。彼は自分に降りかかったこの一年の災難は、この国への投資、とりわけラカイン州での事業を考える外国人への注意を喚起すべき事例だと言う。
「これが、最初に起こったことでないことは分かっている。僕の望みは少しでもお金を取り戻し、妻と子供を連れて出国することだ。僕はここでスモールビジネスを立ち上げたかった。それは地元に雇用を生んだはずだったのに」。

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