2018年10月8日月曜日

【YANGON CALLNG】Vネック Iラインのタイトフィット・ワンピース再入荷しました

サイズ切れになっていた、Vネック Iラインのタイトフィット・ワンピースを再入荷しました。
インレー地方のロンジー生地を使用しています。
涼しげな薄手の生地ですが、裏地付きなので透けません。


内側に裏地が付いています



サイズや価格などの情報は、オンライン・ショップでご覧になれます。
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ロンジー生地で作ったドレス
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2018年10月4日木曜日

【長文】ミャンマーで50年前に起こった革命と今起こっている革命について考えた

私はミャンマーの素材を使用して、ミャンマーで製造した服を、ミャンマーで販売しています。
縫製産業はミャンマーの製造業において、最大にして、唯一といってもよい輸出部門です。
ただし、多くはファースト・ファッション・ブランド向けの縫製請負業で、海外(主に中国)から輸入した素材を縫製して、完成した商品を消費地の欧米や日本に輸出するというビジネスモデルを取っています。
ミャンマーは、現地の低廉な労働力を提供しているに過ぎず、商品にミャンマー独自の布文化や、制作者の美意識などが反映される余地はありません。そもそも、それらの商品を製造しているミャンマーの地で消費されることすら想定されていません。
こうした地域文化と乖離した大量生産システムや経済活動への違和感が、ミャンマーの素材を使って、 ミャンマーで製造して、ミャンマーで販売するアパレル事業をはじめる契機のひとつとなっています。
私はデザイナーでもなく、デザインに関して独創的なビジョンがあるわけではないので、自分の足で市場を回って、魅力的な現地の素材を見つけたら、その素材に合いそうなデザインを当て嵌めることで商品を企画しています。
ここのところ、イメージのソースを得るため、ファッション史や文化史を調べていたところ、1960年代中頃から後半にかけての文化的な影響力の強さと、それが今なお継続していることに改めて気付かされました。

第二次世界大戦後、世界のファッションに大きな影響力を与えたのは、1960年代中頃から後半にかけて起こった、スィンギング・ロンドンあるいはスィンギング・シックスティーズと呼ばれた英国発のムーブメントでした。
この戦後ベビーブーマーを担い手とした文化革命は、その後、文化的なスタンダードとなる新たなアート・音楽・ファッションを生み出しました。特に音楽はこの文化運動において大きな位置を占め、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、フー、キンクスといったバンドによる、今となっては準古典となったポップ音楽は、この時代に産み落とされました。
戦後生まれのベビーブーマー世代が消費を担う年齢に達したこと、戦後復興期であったための好景気、男性の兵役が免除されたことにより、若い世代が自由で享楽的なライフスタイルを謳歌することが可能となったことなどが重なり、この時代のロンドンは、ポップ音楽とファッションの発信地として世界に名を轟かせました。
ネットのない時代の極東の地日本にさえ、数年遅れで、このムーブメントに影響を受けたグループサウンズという音楽形態が現れています。

この時代に登場したファッションの特徴として、カラフルでポップな色使い、ミニスカート、タイトなAライン・ドレスがあげられます。
ムーブメントを代表するデザイナーの一人マリー・クワントのデザインした服を着たTwiggyJean Shrimptonが、当時のファッション界における文化的なイコンでした。
このムーブメントから派生した、モッド呼ばれたサブカルチャー・グループの音楽やファッションは、今なお周期的にリバイバル・ブームが英国でも日本でも起きています。
ムーブメントが起きてから、50年以上経った今でも、復元性と今日性を維持しているのは、われわれが現在日常的に触れている文化的創造物のフォーマットが、この時代に生み出された証左でしょう。

映画『ナック』や『さらば青春の光』で、この時代のファッション、音楽、雰囲気を映像として確認できます。



こうした文化背景を顧みて、マリー・クワントのロゴに似たミャンマーのロンジー生地を見つけたので、モッド的なタイトなAライン・ドレスを制作しました。





さて、流行の輸出基地となったロンドンから、ビートルズを先兵として多くのバンドが、大西洋を渡ってアメリカ市場のヒット・チャートを席巻することになりました。この現象は、「ブリティッシュ・インヴェーション(英国からの侵略)」と呼ばれました。

ビートルズが1964年にアメリカ上陸して以来、アメリカのポップ音楽の市場はビートルズと後に続く、ローリング・ストーンズ、キンクス、アニマルズといった英国のバンドに占領され、音楽的にも強い影響を受けました。

潮目が変わったのは「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれた、1967年にサンフランシスコで起きた文化革命からです。
同年に、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、そしてドアーズのデビュー・アルバムが、それぞれリリースされています。後年から見ると、途方もないロックの当たり年だったことがわかります。
北米各地、ヨーロッパなどから10万人もの若者がヘイトアシュベリーを中心としたサンフランシスコに押し寄せ、ヒッピー・カルチャーを形成した1967年の運動は、「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれました。
この現象は、1964年以来ユースカルチャーの分野で、イギリスから押されぱなしだったアメリカからの回答とも、反攻とも取れます。
このあたりを境に、ユースカルチャーの震源地は、ロンドンのキングス・ロードやカーナビ・ストリートから、サンフランシスコのヘイトアシュベリーに移行しはじめます。
単純に言い切ってしまうと、流行の主役がロンドンのモッドから、アメリカ西海岸のヒッピーへと移った時代とも言えます。日本で喩えると、アイヴィー・ファッションに身を固めた銀座のみゆき族から、新宿の風月堂にたむろするフーテンへの移行期と相似をなしています。

このムーブメントの支持した、ドアーズなどの米国のロックバンドの音楽は、先行する英国のバンドに比べて、よりヘヴィーで、ドラック・カルチャーの影響の強いものでした(そもそもドアーズのバンド名自体、オルダス・ハクスレーによる、幻覚剤によるサイケデリック体験の手記と考察の書『知覚の扉』(The doors of perception)から取られている)。
これらの音源を現在聴くと、時代的には数年古いはずのイギリスのビート・バンドより時代性を感じさせます。両者ともアメリカのブルースやリズム&ブルースなどの黒人音楽を母体としていたのは共通していますが、イギリスのバンドがそれらをポップとして解釈したことで、結果的に時代を越えた普遍性を獲得したのに対して、アメリカの場合、多くはLSDなどの薬物による幻覚体験などの、同時代の特定地域で共有された文化と経験を色濃く反映した表現だったからではないでしょうか。

この時代のファッションは、当時のヒッピー・カルチャーの影響を受けて、ゆったりとしたフォークロア調のものが目立ちます。
ヤンゴンのダウンタウンのマーケットで、フォークロア調のカラフルなテープを見つけたので、これとシャン州産のコットン合わせて、当時のヒッピーが着ていたフォークロア調のドレスを再現してみました。



FacebookグループのYangon Connectionに、このドレスを投稿したところ、コスプレ魂を刺戟されたのか、複数のヤンゴン在住外国人からの問い合わせが入りました。
問い合わせをしてきたのは、トルコ人やスウェーデン人のご婦人で、北米以外の人々にもこの時代のファッションや風俗が、文化的記憶として共有されていることは興味深いです。

当時は、ベトナム反戦運動が最も激しかった時期でもあり、音楽による革命で、愛と平和に満ちた未来が到来するという幻想が流布した時代でもありました。

こうした幻想は、肥大化したムーブメントが、ドラッグの過剰摂取による事故の多発や、カルト化したコミューンが極端に反社会化するなどの弊害を生みだしたことで、急速に剥がれ落ちていく結果となりました。
幻想を終焉させた象徴的な事件として、チャールズ・マンソンの主催するコミューン”ファミリー”を実行犯として起きた1969年8月9日、映画監督ロマン・ポランスキーの妻で当時妊娠8ヶ月だった女優のシャロン・テートら5人の無差別殺害や、1969年11月7日カリフォルニア州オルタモントの、ローリング・ストーンズ主催のフリーコンサートで黒人青年が会場警備をまかされていたヘルス・エンジェルスのメンバーにより殺害された事件『オルタモントの悲劇』が有名です。
2019年には、マンソン・ファミリーによる事件をモチーフとした映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が公開予定になっています。この事件が、愛と平和による理想郷の実現という幻想の果ての悪夢として、事件から50年を経た現在も生々しい記憶として刻印されていることが窺えます。

60年代後半のサンフランシスコを拠点に活動した、黒人・白人の混成ファンクバンドで、愛と平和と人種統合の理想を高らかに歌い上げて、時代の寵児となったスライ&ザ・ファミリー・ストーンは、1971年に、潰えた理想を鎮魂するかのようなダウナーなアルバム『暴動(There's a Riot Goin' On)』をリリースします。


このアルバムは鬱ファンクの名盤として、ダウナーなブラック・ミュージックのマスタピースとなり、時代を経る毎にその評価を高めています。
80年代のプリンスの一連のアルバムも、2000年代以降のR&Bの方向性を決定付けたディアンジェロの『Voodoo』もこのアルバムなくして誕生しませんでした。


スライの"There's a Riot Goin' On(暴動は続いている)"のRiot(暴動)"を"Revolution(革命)"と置き換えると、その後の時代を予見したいのではないかと思わせます。
サマー・オブ・ラブやヒッピーカルチャーの終焉の後、元の学校や職場や故郷に戻ったことで、反権威的な精神や、魂の自由の探求という精神的な種子は、様々な地域、分野に蒔かれることになりました。

あなたが今このブログを読むために使っているパーソナル・コンピュータやスマートフォンも、この時代の精神が生んだ産物です。

パーソナル・コンピュータは、もともとIBMやAT&Tのような巨大企業が独占する情報を人民へ奪還するという、極めてカウンター・カルチャー的、反権威的な思想の元に生まれました。

こうした思想をベースに1975年にシリコンバレーで結成された初期のコンピュータを趣味とする人々の団体(ユーザーグループ)ホームブリュー・コンピュータ・クラブ(Homebrew Computer Club)には、元ヒッピーの青年スティーブ・ジョブズと、後にジョブズと共にアップルコンピュータを創業するスティーブ・ウォズニアックが参加していました。
アップルは、ジョブズ在籍時においては、"Power to the people"というスローガンや、クリエイティブで自由な精神を持つ個人のためのツールといった、ロック的な哲学、ヒッピー的な理想の実現を目指した企業です。これから先はどうなるかはわかりませんが。

"There's a Revolution Goin' On(革命は続いている)"の結果として、われわれはテクノロジーの恩恵を受けているわけですね。
話が長くなるので割愛しますが、インターネットもGNUやLinuxなどに代表される、アイディアやコードの共有という、ある意味ヒッピー的な共産的文化に基づいて発展した技術的産物です。そういえば、一時「IT革命」というフレーズがよく使われていました(20年くらい前?)。

革命は続いているものの、現在進行中の革命と約50年前に起きたサマー・オブ・ラブとは、革命の質が異なっていることを近年実感しています。
革命の質の変化に意識的になったのは、3年前に『ヒップな生活革命』を読んだときからです。


50年前の革命のテーマは、反戦、反資本主義、反帝国主義などの、既存の秩序やシステムへの反対運動でした。
現在起こっている革命は、 もっとソフトで洗練された形で進行しています。
『ヒップな生活革命』で紹介されている、ブルックリンやポートランドの新たな地産地消的な地域経済の担い手は、ことさら反グローバリゼーション的なスローガンを打ち出すのではなく、地域の文化や特性に根差した上で、グローバル企業が提供するそれよりも、より洗練され、質の高いサービスや商品を提供することで、顧客の支持を集めています。
あくなき効率性と収益性の追求の帰結として、環境や地域文化や地域経済を破壊するグローバル企業を、教条主義的に糾弾するのではなく、それとは別種の経済活動を自ら実践して、しかも提供するサービスや商品が、より魅力的であるため顧客に選択され、結果的に環境保護や地域経済、あるいは地域文化の保全に寄与するというあり様です。
地元で採れた食材で調理した人気の自然食レストランは、グローバル・チェーン店の出す料理より安全で美味しく、しかもインテリアが洗練されていて、居心地が良いから選ばれているわけで、必ずしも経営理念に共感しているからではありません(少しはそれもあるでしょうけど)。
つまり革命の質が、50年前のアンチ(既存のシステムへの反対)から、オルタナティブ(別の選択肢を提案する)へと変化しています。
近年、メディアで伝えられるようになった若者の地方回帰や帰農などに見られる、脱資本主義的な運動も同様のエートスに根差しているのでしょう。


私も成り行きで、ミャンマーで、現地の素材を使用して、現地で製造した服を、現地で販売していますが、微力ながら世界で同時多発的に興っているこうした運動の一員となれればと願っています。

最後に、もういちどスライに話を戻します。
今年の8月に、FM放送の特別番組として、作家の村上春樹氏がラジオでDJをした時に、スライの言葉が引用されていました。
「最後に僕の好きな言葉を。スライ・ストーンの言葉なんですけどね。『僕は音楽を作りたい。誰にでもわかる、バカにでもわかる音楽を。そうすればみんなバカじゃなくなるから』良い言葉ですよね」

これを自分のやっていることに当てはめると、こうなるのかな?
 「僕は服を作りたい。誰にでも着れる、ダサくても着れる服を。そうすればみんなダサくなくなるから」

うーん、ちょっと違うかも。
地域に根差したローカル・ビジネスをやりたいだけで、みんなが着れるようになるほど規模を拡大する気はないから。
ただ、「ダサい」の言葉の定義を、狭義の「ファッション・センスがない」ではなく、「自分の消費のあり方に無意識で、無関心」と広義に解釈すれば、成り立つかもしれません。

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2018年9月29日土曜日

ミャンマーは不況だというけれど

最近、ミャンマー国内は不況だという話をよく聞きます。
たしかに、3ヶ月前までは常に満席だった近所のビアステーションWin Starも、ここ1月ほどは週末でも八割くらいの客入りとなっています。

先日ブログにも書いた、ミャンマー初の屋内型ナイトマーケットのUrban Villegeはやはり一年を待たずに廃業したようです。先週、見に行ったところ、ゲートは閉鎖されたままで、特に工事や改築をしている様子はありませんでした。


ヤンゴン国際空港のボーディング・エリアがガラガラだという投稿がFacebookにも上がっています。


こうした不況は、海外投資の鈍化、ラカイン問題による欧米を中心とする観光客の減少、ミャンマー国内通貨のチャットの急激な通貨安などの複合的な原因に拠ります。
5、6年前のミャンマー投資ブームの時に、国際社会や海外企業のミャンマーへの期待が、おそらくそのポテンシャル以上に高まった時とは、市場のセンチメントが様変わりしました。

ただ、過去のミャンマー投資ブームの時に活況だった商取引は、不動産売買と輸入中古車売買がその中心で、安く仕入れたものを高く売るブローカー中心の投機的な鞘取りに関心が集まっていました。このようなバブル的な経済活動は、産業の高度化や、成熟され洗練された消費者層の形成には寄与しませんでした。
通貨安は輸出産業にとって好都合なはずですが、天然資源、農産物、労働集約的な縫製過程のみを請負う縫製工場以外に輸出部門を持たないミャンマーでは、現在の通貨下落は経済に大きな打撃を与えています。潤沢に外資が流入した5、6年前に、もの作りの基盤を整備して、国内消費を賄える分だけでも製造できる技術力と生産力を蓄えておけば事情は違ったはずです。今のように、スーパーマーケットで売っている商品の約八割が輸入品という状況だと、通貨安が物価上昇と消費停滞に直結します。消費材よりも高度な製造技術を要する生産材においては言わずもがなです。

しかしながら、過去のような投機的な経済活動で利鞘を稼ぐことが難しくなったことで、地に足が着いたベンチャー企業がミャンマーにも現れはじめたようです。こうしたベンチャー企業の多くは、20代、30代の若手経営者によって創業されています。

今月の『Myanmore magazine』では、こうした不況下で着実にビジネスの基盤を固めつつある若手起業家たちが紹介されていました。
人材マッチングのテックベンチャー、外国人旅行者をターゲットにする旅行会社、複数のカフェ・レストランを経営する外食産業のオーナーの三組です。


二人の姉妹により創業されたテックベンチャーのChate Satは、フリーランスの通訳・技術者などとクライアント企業を、マッチング・サイトとアプリを通じて橋渡しをしています。姉は元Huaweiのエンジニアだったとのこと。
不況下では、企業は人を雇用するよりもフリーランサーに外注する傾向が高まってくるので、現在の経済環境は追い風です。


外国人旅行者を主要な顧客とするPro Chitは、ラカイン問題でこれまで顧客の中心だった英米人の客数が二割近く減少したことで、マーケットをウクライナやリトアニアといった東欧にシフトしています。SEOを活用して検索エンジン上位に表示されるよう工夫したり、英文のブログでミャンマーの観光地を積極的に紹介することで、減少した従来のマーケットの穴埋めを図っています。


Rangoon Tea Houseの共同創業者のHtet Myet Oo氏は、より低価格帯で若者向けのレストラン・チェーンMr Wokとインターナショナル・スクール向けの学食Buthee事業を拡大しつつ、Rangoon Tea Houseのメニューを顧客の反応を確かめながら改訂したり、新しい料理を追加するなど、リピーターを離さない施策を地道に続けています。

2012年の年末にイギリスから帰国して、4年前にRangoon Tea Houseを開業し、一躍ミャンマー外食産業界の寵児となった現在28歳のHtet Myet Oo氏は「経済環境について不満を言うのは簡単だけど、そういうことを言う人は、景気は自分のやり方次第で良くもなるし、悪くもなるということを知らないのかもね」という内容のことをインタビューで語っています。


こうした記事を読むと、バブルに湧いた5、6年前よりも面白い若手起業家が現れてきて、産業界もタレントを輩出しつつあるように見えます。
現在の不況下は、投機的な経済活動には不向きですが、実業的な新規事業やテックベンチャーなどにとってはむしろ有利なような気がします。外資の流入が細り、競合も出てきにくい環境の上、ミャンマーには革新的な事業を興すアイディアやビジョンを持つ、資金力のある中堅以上の実業家がほぼいないので。

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2018年9月24日月曜日

【YANGON CALLNG】ボヘミアン・ドレスとVネック・ドレスを入荷しました

この2年間試行錯誤して、だんだんミャンマーのアパレルでできることと、できないことがわかってきました。最近は、ミャンマーでできることを最大限に活用したデザインを採用するように工夫しています。
ミャンマーの小規模工房で製造する最大の利点は、個別に手間のか掛かる手仕事を頼めることです。
なので、ファースト・ファッション向けの大規模な縫製工場では対応できない、もしくは生産効率が悪いため商品化できない、細かい工程や手間の掛かる手作業が製造過程に入った商品を手頃な価格帯で提供することを念頭に置いて商品企画をしています。

今回は、シャン州産のコットン生地を使ったドレスを2点制作しました。

襟ぐり、袖口、裾をカラフルなテープで縁取ったボヘミアン・ドレス。
フジロックやサンセット・ビーチなどの野外の音楽フェスに着ていくのにぴったりな一枚です。60年代後半から70年代前半に英米で開催されたロック・フェスの写真に映った観衆のファッションを参考に、同じテイストのルックをミャンマーの素材を使って再現しました。



シャン州産の風合いの生地を使った、襟付きのVネック・ワンピース。
フォーマルにもカジュアルにも対応できる着回しの効くドレスです。



サイズ、価格などの詳しい情報は、こちらのYANGON CALLINGのオンライン・ショップのサイトでご覧になれます。

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2018年9月17日月曜日

雨期の終わりに近づくと大雨が降る

晴れ間の見える日も多くなり、雨期もそろそろ終わりも近づきつつあります。
ただ例年、雨期の終わり頃に大雨があり被害に遭っているので、油断はできないなと思っていたところ、やはり今年もありました。
先週の金曜日の正午頃、ヤンゴンで集中豪雨がありました。
その時はミニゴンのローカル料理屋にいたのですが、豪雨で通りから溢れた水が店内に少し入ってきていました。
私の家の周辺は水が集まる浸水エリアで、しかも物件が半地下なので、これはヤバいなと思いつつ帰宅すると、やはり部屋は通りから流れ込んだ泥水に浸かっていました。


雨期の豪雨による浸水は今年三回目ですが、水位は今年最高で、机やテーブルの高さ以上に達していて、机の上に置いた本も泥だらけになっていました。
私は愛書家で、読んだ本も綺麗に保管しておくのが常でしたが、ミャンマーに来てからは、日常の生活で本が泥まみれになるので、この習慣は果たせていません。
ミャンマーに来た頃は、渡される文書が泥だらけだったりすると、どうして書類をちゃんと保管しないんだと首を傾げたものですが、住んでからは環境的に無理だということに気付かされました。


とりあえず、いつもやってる通りに家具を部屋の外に出して、泥水をバケツで汲み出しました。今回は水位が高かったため、汲み出し終えるのに5時間くらい要しました。
何冊か本が泥まみれになったのは痛かったですが、電化製品等は過去の水害で散々やられてもはや所有しなくなっているので、経験を重ねる毎に被害は少なくなっています。
ミャンマーに暮らしていると、自然に仏教的な持たざる生活にシフトしていきます。


雨期になると毎年起こることなのですが、ここには基本的に改善という概念がないので、排水溝を作るなどの抜本的な対策は取られません。
車に轢かれたネズミの死骸や犬の糞の散乱する通りから流れ込んだ水なので、とても清潔とは言えず、半日汚水に浸かって作業したせいか、いまは体に発疹が出て、全身に痒みがあります。
昨今のニュースで、ミャンマーへの海外投資が減少していると伝えられていますが、生活水準や投資環境の向上はおそらく当分ないでしょう。
そのため、新たな外国人居住者や新規の競合企業が出てきにくい環境なので、何らかの分野でこの国のパイオニアになりたい人や、逆張りを目指す人には進出をお勧めできます。

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2018年9月13日木曜日

【YANGON CALLING】フロント・フリルのドレス、スリット・スリーブのチュニックの新色を入荷しました

品切れになっていた、シャン州の生地で作ったフロント・フリルのドレスを再入荷しました。ネックラインに大きなフリルが入ったデザインが特徴です。シックな色合いのざっくりしたシャン州産の生地を使っているため、フリルを使っていても甘さを感じさせません。大人のコーディネートを楽しみたい方へオススメです。




また、スリット・スリーブのチュニックの新色も入荷しています。
こちらはラカイン州で作られた、クオリティの高いメンズのロンジー生地を使用しています。
袖口をリボンで結ぶ作りになっています。単品で着てもいいし、スパッツとの組み合わせもできる、幅広い着こなしが楽しめるデザインです。




サイズ・価格などの詳しい情報は、こちらのオンライン・ショップでご覧になれます。
購入もオンライン・ショップでできます。ご注文後に、ご希望の場所と日時を確認して、商品をお届けします。
YANGON CALLING Online Shop
https://www.ygncalling.com/shop

サイトは英語表記ですが、お問い合わせや、ご注文は日本語で記入されても大丈夫です。
配達で受け取ってから、サイズが合わなかったり、商品がイメージと違った場合は、その場で返品ができますので、お気軽にご注文ください。

雨期もそろそろ終わり、
ミャンマーでしか手に入らない服を着て
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2018年9月9日日曜日

ミャンマー初の屋内型ナイトマーケット Urban Villageが閉鎖?、それとも縮小?

ミャンマー初の屋内型ナイトマーケットとして、昨年末に鳴り物入りで開業した商業施設Uraben Villageを先日訪れたところ、建物内のそのエリアがゲートで遮られており、営業を停止していました。


ここは当初Urban86という名称で開業し、その後、Urban Villageと改称しています。
開業当初は飲食店ブースは八割方埋まっていたものの、物販ブースは最大時で三割くらいの入居率でした。集客力のあるテナントもいないためか、入場者も少なく、今年の7月時点で、飲食店スペースは九割方撤退、物販スペースのテナントはわずか3、4店という有様でした。
事業不振のため開業2ヶ月くらいで、マネジメント層の入れ替えがあったようです。
運営主体はシンガポール資本で、バンコクのナイトマーケットの運営経験のあるミャンマー人も参加していると、以前のMyanmar Timesの記事にありましたが、その間に運営主体も変わっている可能性もあります。
ミャンマーの商業活動の現況をベンチマークする施設の一つとして、定期的にここを訪れて定点観測しています。
開業当初の昨年12月の状況を当ブログに書きましたので、当時の状況にご興味があればお読みください。

今のところ完全閉鎖なのか、規模を縮小して事業継続なのかは定かではありません。
運営者のオフィスはまだ残っていましたが、残務整理のためかもしれません。


立ち上がりから上手く行かなかった要因は、いろいろと考えられますが、前回のこの施設についての投稿で述べたので、改めて触れません。
ひとつ書き加えると、運営者の説明不足や不親切さも考えられます。
数字を書いた張り紙をした展示用カートが建物の入口近くに置かれていましたが、これでは何を意味してるのか分かりません。
ここで物販する時のレンタル費なのか、それなら何日単位のレンタル費なのか、それともカートその物を販売しているのかなど。しかも同じカートなのに、置いている場所によって貼り紙の数字が異なります。


この辺の運営者の説明能力の低さや不親切さも、この施設が振るわなかった理由の一つでしょう。

ミャンマーへの観光客数も頭打ちなので、ミャンマー人、在緬外国人を問わず在住者にとって魅力的で、集客力のある商業施設でないと継続は難しかったのは確かです。

飲食スペースのビア・ステーションのカウンターだった場所

飲食スペースだった場所

物販スペースだった場所

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2018年9月2日日曜日

サンチャウンのヘアサロン BN Hair に YANGON CALLING の商品を置いています

先日、当ブログに書いたサンチャウンのヘアサロン BN HairにYANGON CALLINGの商品を置かせていただきました。



1Fメンズのバーバー、2Fレディスのヘアサロンにそれぞれラックを置いています。
商品については、こちらのリンクをご覧ください。



サロンで髪を切るついでに、商品のチェックもしていただけると嬉しいです。
また、商品を見るためだけに来店しても大丈夫とオーナーが言っていましたので、お近くにお寄りの際は、お気軽にご覧ください。

お店のFacebook Pageは、以下のリンクでご覧になれます。
BN Hair 
No. 17, Paing Condo, Myaung Mya Road, Kyun Lal Quarter, Sanchaung Township, Yangon

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