2017年12月29日金曜日

ミャンマーの本屋で書籍文化について考えた

ひさびさに激しい下痢を患っています。
2ヶ月前は謎の足の激痛で歩けなくなり、1ヶ月前は激しい咳で眠れない夜が続きました。今年は年末近くになってから、連続していろんな症状がやって来て、なかなか大変です。

今までサンチャウンに籠りきりで、ダウンタウン方面には滅多に足を運ばなかったのですが、ダウンタウンに屋内型ナイトマーケットのUrban86ができて以来、出店の可能性を探るため、11月以降、視察にダウンタウンを訪れることが増えました。

せっかくなので、ダウンタウンに行った時は、周辺の本屋をチェックしています。
一昨日はPansodan通りにある大型書店、Bookworm Booksに行ってみました。



平日の昼間でしたが、そこそこの数のミャンマー人の本好きが店に集っていました。
平積みの本を眺めていて、目についてたのがこの本。パンクロック・カルチャーのガイドブックです。


開いてみると、ベルベット・アンダーグラウンド、パティ・スミス、テレヴィジョンなどのNY勢から、ピストルズ、クラッシュらのロンドン勢まで、ひととおりの関連バンドを網羅しています。
この手のロック・バンドをミャンマーでちゃんと紹介したのは、この本が初めてではないでしょうか?

ベルベット・アンダーグラウンド


パティ・スミス


テレヴィジョン


セックス・ピストルズ


クラッシュ


このタイプの音楽にハマっていた10代の頃を思い出して、なんだか懐かしかったです。
ミャンマーの本屋で見かける本も、以前に比べて多様性が出てきました。
最近、本屋で見つけた本を以下に紹介します。

チェゲバラの伝記本

不良老人詩人チャールズ・ブコフスキーの詩集

ガルシア・マルケスの『百年の孤独』

『百年の孤独』は、日本の翻訳界の大家、柴田元幸氏をして、外国文学のヘヴィー級チャンピオンと言わしめる、外国文学愛好家にとってマストの本ですが(ちなみにミドル級チャンピオンは、イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』)、とうとうミャンマーにも上陸しました。
インテリ層のミャンマー人と話す時の話題の書になりそうです。


村上春樹のエッセイ集『村上ラヂオ』
ベストセラー・コーナーにあったので、結構売れているのでしょう。

これから日本人が、読書好きのミャンマー人とお友達になりたい時の必読書になるかもしれません。

ミャンマーで昔から安定の人気のシャーロック・ホームズ・シリーズ。ミャンマーでは珍しく全集化されています。


こちらは同じく、Pansodan通りの古本屋が集まるエリア。
30年前以上に出版された本が、陳列された本のほとんどを占めています。


『はだしのゲン』の英訳版の古本がありました


東南アジアの他国同様に、ディズニーやジブリ的な、分かりやすくて、ベタなものが好まれるミャンマーですが、少しづつではあるものの、書籍文化に多様性が増してきています。
サンチャウンには新たにブックカフェ The Plant House Cafeができたのも、本を巡る文化環境が変わりつつある証左かもしれません。
もともと、他の娯楽が少なかったため、読書人口が他の東南アジア諸国と比べて多いと言われていたミャンマーなので、ここからASEANを牽引する多様な出版文化や、文芸運動が興ることをこの国に住む一人として祈っています。

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2017年12月27日水曜日

ミャンマーらしいTシャツをデザインしてみた

ミャンマーには、旅行者や外国人が欲しくなる、気の利いたお土産や商品がなかなかないと言われていますが、土産物屋のTシャツに関してもそれは当て嵌まります。

街を歩いていると、現地企業がプロモーション用に制作したと思しきTシャツを建設労働者が着ていて、たまに、それがすごく恰好良かったりする時がありますが、商店で買える物で洗練されたミャンマー産のものはほとんどありません。
その国らしいテイストが入いりつつも、普段使いできるデザインのTシャツは、観光客にも需要が高いはずですが。

昔から、チェ・ゲバラやボブ・マーリー的に、アウン・サン将軍のグラフィックをプリントしたTシャツがあれば良いのにと思っていました。
ミャンマー人にとってアウン・サン将軍は、キューバ人にとってゲバラ、ジャマイカ人にとってマーリーに匹敵する建国の英雄ですから。
時々、Tシャツプリント店の店先などで、アウン・サン将軍がプリントされた見本は見かけますが、観光客向けの商品としては見たことがありません。



待っていても誰も作ってくれそうもないので、自分でプリント用のグラフィックをいくつか試しに作ってみました。




カラーバリエーション の豊富な無地のTシャツを売っているお店と、小ロットでTシャツのプリントを請負ってくれる業者をご存知の方がいればお知らせください。

条件が合えば商品化して、販売するかもしれません。

ミャンマーらしいテイストのクールなTシャツが
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2017年12月22日金曜日

ミャンマーで読むべき雑誌(2)〜POSH

前稿に引き続き、ミャンマーで読むべき雑誌についての記事です。
今回は、ファッション・グラビア誌の『POSH』を紹介します。

ファッション雑誌自体は、ミャンマーにも数多くありますが、他の雑誌に比べてこの雑誌は、アートディレクションもスタイリングも、ずば抜けて独創的で、アイディアがよく練られています。
他のファッション雑誌は、『VOGUE』等のグラビアをミャンマー流に安易に翻案して、たいていの場合、おかしなところに着地していますが、この『POSH』については、ミャンマー流の新たな美意識の提案をするという意思が、誌面から伝わってきます。
この雑誌は季刊で、年四回の発刊ですが、新刊が出るたびにヤンゴンの本屋を探し回っています。私が普段行くシティマート内の大手書店には置いていないので、ヤンゴン内の独立系の本屋を巡り歩いて、探すことになります。たぶん大手流通の配本系列に入っていないのだと推測します。ミャンマーの書籍の取次ぎや流通・配本のシステムについてがどうなっているのかは知りませんが。


他のミャンマーのファッション雑誌が『VOGUE』等のグラビアを表層的に模倣しているのと比較して、先行する表現手法をかなり研究して、ミャンマー流に昇華するための工夫が随所に伺えます。

アーヴィング・ペン風のモノクロ写真

元ネタはコレ? ファッション写真の大御所アーヴィング・ペンによる有名なショット


上のビッグショルダーのドレスは、今、パリコレで最も旬なデザイナー、デムナ・ヴァザリアの作品にインスパイアされたのか?

 ハイファッションと日常風景の共存という手法も、今ではモード雑誌で一般的ですが、ミャンマーで上手く使われることは珍しいです。







CGを利用したグラビア・ページも、ミャンマーらしいグラフィックのエフェクトが効果的です。




このページを制作したのは、おそらくイギリスでCGを学んだミャンマー人。

スタイリングのクレジットを見ると、タイ人らしき名前が多いので、おそらくタイ人や他の東南アジア人のスタッフが、クリエーションに関わっているのではないかと推測します。
近代化が先行するタイなどのASEAN諸国では、欧米のファッションが浸透して、日常的な場面で民族衣装を着る伝統が途絶えているため、民族衣装の文化が今なお残るミャンマーで、西欧とは異なる東南アジア的な美意識の確立や、伝統的な民族衣装を現代化するという志を持ったクリエイターが、他の東南アジア諸国からも参加しているのかもしれません。

ミャンマー的な色彩感覚を生かしながら、民族衣装をモダナイズすることを意図したと思われるページ。こうした方向性で、今後、ミャンマーのファッショが進化すると、外国人にとっても魅力的な国になると思います。







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2017年12月20日水曜日

ミャンマーで読むべき雑誌(1)〜Myanmore magazine

私は、本フェチであると共に雑誌ジャンキーなので、何か面白い雑誌がないかと、常に本屋を徘徊しています。
これまでも、中学生の時は『ミュージック・マガジン』『POPEYE』、高校生の時は『宝島』『rocking' on』など、その時代ならではの旬な情報を発信する勢いのある雑誌に惹かれてきました。

ミャンマーに移住してからは、そうした雑誌になかなか巡り会えなかったのですが、ここ一年程前から新刊が出るたびに探す雑誌が出てきました。
そのような雑誌は今のところ2誌ですが、今回はそのひとつの『Myanmore magazine』を紹介します。

この雑誌はフリーペーパーですが、アート・ディレクションがしっかりしていて、ヴィジュアルの完成度が高いです。ミャンマーの市販の雑誌でも、このレベルのヴィジュアルのものはなかなかありません。
内容もミャンマーの新しいカルチャーを紹介した記事が含まれていて、この地の新しい文化動向を知るソースのひとつとして使えます。

最新号では、ミャンマーで有名なゲイのファッション・デザイナー、Pauk Pauk氏のロング・インタビューが掲載されていました。
ミャンマー・セレブ御用達のデザイナーであると同時に、テレビスターであるという、ミャンマーのマツコ・デラックスのような立ち位置の有名人のようです。


インタビュー読むと、この人なかなか苦労人です。
ゲイだったため学校ではイジメに遭い、ルビーを扱っていた実家の家業が傾いたため、大学進学を諦め、モゴクからヤンゴンに出てきています。ヤンゴンでは、映画産業に潜り込みヘアメイクとして働きながら、実家の弟と妹を経済的に援助しています。
映画界でヘアメイク・アーティストとして頭角を現した後、ウェディングドレスのデザイナーとしてマンダレーで経済的に成功しています。
イタリアでファッションの勉強ができる機会を得ると、マンダレーの事業を人に譲り、単身ミラノへ向かっています。



「彼女」がイタリアに着いた時の感慨は、次のように描かれています。
彼女がミラノに着いたとき、すべてのタクシーがストライキに入っていた。そのため、スーツケースを持って地下鉄を昇り降りするはめになった。ぐったりしてベンチに座った彼女の前に、カフェやホームウェアの店やブティックがあった。彼女の目は、アルマーニの看板に吸い寄せられた。

「お前はミャンマーでは有名かもしれないけど」
彼女はその時の思いを振り返る。
「ビジネスマンでもあり、起業家でもあり、アーティストでもある彼と比べてごらんなさい。お前は何者でもないわ」
彼女の目は、天井の一点を見つめている。
「最初に気がついたのは、私は何者でもないってこと」
ミャンマーでは、世界的な評価基準の中で自分がどの位置にいるかを考える人は少なく、ミャンマー国内の序列でしか物が見れない人がほとんどなので、こうした感覚の持ち主は珍しいです。

正直に言って、写真を見る限り彼女のデザインセンスは微妙なのですが(少なくとも私からすると)、独力で今の地位と立場を築き上げたのは立派としか言いようがありません。

このインタビューを読んでいる時、ルー・リードが歌った「ワイルドサイドを歩け」が脳内で鳴っていました。こんな歌詞の曲です。
"Holly" came from Miami, F.L.A.  
Hitch-hiked her way across the USA   
「ホリー」は、フロリダ州のマイアミから N.Y.に出てきた
ヒッチハイクで 彼女はアメリカを横断した

Plucked her eyebrows on the way
Shaved her legs and then he was a she   
道すがら 眉毛を抜いて
すね毛を剃って 彼はいまの「彼女」になった

She says, Hey babe   
Take a walk on the wild side   
Said, Hey honey Take a walk on the wild side      
彼女は言う、ねぇ、坊や
ワイルドサイドを歩きましょうよ
ハニー、危ない方を行きましょうよ
名盤「トランスフォーマー」に収められています。未聴の方は是非聴いてみてください。いい曲がたくさんあるので、できればアルバム単位で聴くことをお勧めします。なお、アルバムのプロデューサーは、デヴィッド・ボウイです。


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