2018年11月27日火曜日

【12月2日(日)】メーカーズ・マーケットに出店します【Kawaweik Gardens】


今度の日曜日の12月2日に、The Makers Marketに出店します。
ミャンマー・ローカルのクラフト・アート・フード・音楽などの関係者が一斉に集うイベントです。
ミャンマーのローカル・ブランドは、小規模な業者が多く、店舗を構えていない場合が多いため、こうしたローカル・ベンダーに参加者を絞ったイベントでしか見ることができないオリジナル・ブランドが一望できます。


開催地はKawaweik Gardensで、毎週土曜日にYangon Farmers Marketが開かれているのと同じ場所です。

参加条件がけっこう厳しくて、ベンダーは以下の条件を満たしていないと参加できません。
  • ユニークか?(クリエイティブで、規格化された大量生産品ではない)
  • ハンドメイドか?(機械ではなく、人の手によって作られいる)
  • クオリティは高いか?(作りが良くて、長持ちする)
  • マーケットに多様性をもたらすか?(たとえば、5つのブースで同じ物を売っているのは不可)
  • エシカルか?(生産者は適切な労働条件で働き、委託者は生産者へ適正な労賃を払っている)
  •  持続可能性があるか?(パッケージも含めて、プラスチックの使用は不可)
参加条件が厳しい分、ユニークなローカル・ブランドが集まりそうなので、こうしたローカルの文化・物産に興味がある方にはオススメです。

今回が最初の開催となりますが、ベンダーとして参加する私も、どんなブランドが見られるのか楽しみにしています。

The Makers Marketに行きたくなったらクリック!
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

2018年11月22日木曜日

バンコクで静養してきた

雨期の間に体調を崩したので、一週間バンコクで静養してきました。
我が家は、サンチャウンの増水エリアの目の前に立地していて、しかも半地下の物件のため、豪雨があると部屋が貯水槽と化します。こうなると部屋から水をバケツで外へ汲み出すしかないのですが、何しろネズミ礫死体や犬の糞が散乱する通りから流れ込んだ汚水なので、半日作業すると、しばらく体の痒みや発疹や発熱に悩まれることもあります。
雨期の間は、こうした浸水が月一二回は起こります。
特に雨期が終わってやれやれと思っていた、11月の中旬になってからの浸水は、心身ともに堪えました。


ミャンマーのビジネス・マルチビザの滞在日数のルールが変わったため、70日に一度国外へ出る必要がなくなったのですが、雨期の浸水や過酷な生活環境のダメージの蓄積で、肉体的にも精神的にも限界が近かったので、今回、バンコクに行くことにしました。
這うようにしてヤンゴン空港に行き、Airbnbで借りたバンコクのコンドミニアムからはあまり外へ出ない日々を送っていました。
泥だらけになった服を熱水の出る強力な洗濯機で洗濯したり、コンド内のプールサイドでビール飲みながら本を読んで過ごしました。
まだ、体調が完全に戻ってないので、もう少しバンコクにいたかったです。

基本的に外に出たのは、人と会う時のみで、今回はミャンマーに時々来ているタイ人の女の子に会いました。自分のやっている事業を説明して、何か協業できないかを話し合うためです。




初めて会ったタイ人のKさん。彼女は、ヤンゴンにも時々来ています。買ってもらったドレスを着てポーズを取ってもらいました。なかなかファンキーな女の子でした。

彼女に案内してもらって、商品を置いてもらえそうなホステルやギャラリーへ連れて行ってもらいました。











上の本屋はかなりこだわったセレクト本屋でした。イタロ・カルヴィーノとかガルシア・マルケスとか世界文学のスタンダードとになっているセレクションも揃っていました。当然、村上春樹も抑えています。ジュノ・ディアスも置いていました。
村上春樹の盟友でもある翻訳家の柴田元幸さんは、外国文学のヘヴィー級チャンピオンはマルケスの『百年の孤独』で、ミドル級のチャンピオンはカルヴィーノの『見えない都市』だと講演でおっしゃってました。
この2冊は、文学好きなら必読書なので、未読の方は是非。




Passport Book Shopにも置いていた、21世紀文学の必読書、ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)』。タイ人もわかってます。
ドミニカ系アメリカ人の日本のサブカル・オタクが主人公という、現在のハイブリッド文化を体現したような設定の物語です。日本人が読んでも共感できる部分は多いのでは。

改めてバンコクは外国人の数が多い分、ヤンゴンより文化的に洗練されていると実感しました。
本日、ヤンゴンに帰りますが、 次回はもうちょっと体調の良い時にバンコクを再訪して、いろいろと見て回りたいです。
今回、少し伝手はできましたが、私のブランドの顧客は外国人が大半なので、洗練された消費性向の外国人が多いバンコクに販路を作ることは、重要な課題だと再認識しました。

バンコクいいなと思ったらクリック!
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

2018年11月7日水曜日

ミャンマーで経営と美意識の関係について考えた

少し前に日経ビジネスオンラインで、西武百貨店の経営者であり、無印良品などを世に出した故堤清二氏についての特集記事が組まれていました。
生前堤氏と社内、社外で仕事関係にあった諸氏や社会学者や著述家に、堤氏が残した業績や迎えた蹉跌、そして経営や意思決定の基盤をなしていた哲学や思想について各人の視点から語る形式で、堤氏の多面的な人物像を様々な角度から浮き彫りにするという企画です。
読んでいて、かなり早い段階から現在では個人消費の主流となっている自己実現型の消費について意識的で、非常に先見性の高い人だったことを再認識しました。

1980年代前半にコピーライターの仲畑貴志氏との協業で生み出された「なーんだ、探していたのは、自分だった。」といったセゾンカードの広告コピーは、消費による自己実現という現在の消費形態を早い段階で見抜いていたことを直裁に示しています。


こうした消費形態のあり様は、フランスの思想家ジャン・ボードリヤールが1970年に発表した著書『消費社会の神話と構造』で明示的に言及されたことが嚆矢とされています。
ボードリヤールは、先進国の消費をその商品がまとうコード(記号性)を他者に示すことで、「自分らしさ」(オリジナリティ)を主張し、他者との差異及び個人のアイデンティティを社会の中に位置づける行為と定義しました。

私が最初にこういった消費形態を自覚したのは、高校生の頃に雑誌『POPEYE』の創刊のエピソードを何かで読んだ時です。
同誌がアメリカのサーフカルチャーを中心とした西海岸のサブカルチャーを紹介する雑誌として創刊を準備していた時に、周囲の出版関係者の反応は冷ややかだったそうです。その時代に日本のサーファーの数は3000人程度で、そんな小さなマーケットを対象とした雑誌が売れる訳がないというのが大方の関係者の予想でした。
しかし、いざ1976年に『POPEYE』が創刊されると大方の予想を裏切る形で売り切れする書店が続出し、その後の日本のユースカルチャーのあり方を大きく変える契機とさえなりました。
この成功は、読者が実際にサーフィンをやっているとかアメリカ西海岸的なライフスタイルを送っていることとは関係なく、その時代の若者が求めていた無意識の欲望や、なりたい自己像の要求に応えたことに起因しています。『POPEYE』を読んで、こんなことを知っている自分は、こういう人というアイデンティティ形成の道具として購入されたからこそ、当時のサーフィン人口の数十倍の規模で雑誌が売れることになりました。

通常のマーケティング的な視点を無視して同誌を創刊した初代編集長の木滑良久氏には、これが当時の日本の若者の多くが求めている自己像(アイデンティティ)だという確信があったのでしょう。

このような論理を超えた意思決定の基盤を成す事象を、一般に美意識とか審美眼とか哲学と呼ばれています。そして、こうした感覚の礎となるのは、アート、哲学、音楽、文学などの人文科学の素養です。先に述べた日経ビジネスオンラインの特集で、堤氏について以下のように語られています。

今の経営者はなぜ「月」の夢しか抱けないのか
でも、(筆者註:今の経営者は)一様に文学的、社会科学的な想像力が脆弱すぎる。 堤清二と今の経営者の違いは何だろうと考えながら、改めて彼の本を読み直して痛感したのは、マルクス主義とロマン主義(文学)の素養です。現代の経営者はそこをちゃんとやって来ていない。
今年の二月にビザの申請に一時帰国した時に読んだ山口周著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)』にも同様の指摘がありました。


以下は、この本を底本にして論を進めます。
著者の山口氏は、近年、欧米諸国のエリートがアートの勉強を熱心にしていることを冒頭で述べています。
これは、別に彼らが単に教養を身につけたいからというわけでなく(多少はそれもあるでしょうけど)、業務の遂行上必要だからです。

必要である理由は、次の3点に要約されます。

1) MBA的な論理的な方法論から導かれる解のインフレ化が著しい
昔と違い今や論理的な思考や経営理論はコモディティ化しています。もちろん論理は必要ですが、論理だけをベースにして競争すると導かれる解が競合他社と同じになるため、必然的に過当競争の中に身を投じることになり、価格競争や営業力に過度に依存する体力勝負のビジネスとなり社員が疲弊します。
国民の平均年齢が若くて、相対的に賃金の安い国ならその戦略もしばらくは有効でしょうが、少子高齢化が進み成熟国家となった今の日本では無理です。
今の日本に蔓延する閉塞感は、老馬に鞭打って馬車馬を早く走らせようとするような旧態依然とした経営スタイルに依るところが大きいです。
近年相次ぐ、東芝、三菱自動車、電通などのコンプライアンス違反は、他社と差別化した有効な経営戦略を打ち出せない経営陣が、現場に実現不能な目標を突きつけて達成を求め続けた結果、現場が不正に手を染めざるをえなくなったということに原因があります。
同様な事件が何度も後に続いていることからも、多くの日本企業に共通する問題だと言えます。
高度成長期には、アメリカという目に見えるお手本があったため、日本企業にはヴィジョンなど必要なかったわけですが、成熟国家となった1990年代から途上国・中進国と同様のキャッチアップ戦略を取ることは難しくなりました。
そのため、美意識や哲学をベースとしたヴィジョンから生み出される、独自性を備えた付加価値の高い財やサービスを市場に提供することが求められて久しいです。

2) 世界的な規模でボードリヤールが言及した自己実現市場化が進んでいる
技術のコモディティ化、製造業のモジュール化が進み、それによって人件費の安価な途上国でも工業製品が製造できるようになったことも相まり、便益や機能で差別化して価格に反映させることが難しくなりました。
そのため、「現代社会における消費というのは、最終的に自己実現的消費に行き着かざるを得ないということであり、それは消費されるモノやサービスはファッション的側面で競争せざるを得な(P104)」くなっています。
「アップルが提供している価値は『アップルを製品を使っている私』という自己実現要求の充足であり、さらには『アップルを使っているあの人は、そのような人だ』という記号(P104)」であるなら、アップルはもはやIT企業というより、むしろファッション企業に近いとも考えられます。実際にアップルは、2013年に英国のバーバリーのCEOだったアンジェラ・アーレンツを小売・オンラインストア部門のヘッドとして抜擢しています。
こうした社会で必要となるのは「何がクールなのか」という分析的な知性よりも、「これがクールなのだ」と宣言するような創造的な態度です。
現代の経営で「リーダーの美意識」言い換えればヴィジョンが問われる場面が増えたのは、このような背景があります。

3) 環境の変化に法等の社会的ルールが追いつかない
もちろん、ヴィジョンには人を共感させるような真・善・美が含まれていなければいけません。
日本のネットベンチャー企業(?)がコンプガチャなどのサービスで、事後的に社会的に指弾され追求されたのは、経営陣に収益性以外の審美的・倫理的な価値基準を持っていなかったからです。
対して、Googleは、「邪悪にならない(Don't be evil!)」という社訓を掲げています。AIの研究に関しても「人工知能倫理委員会(AI ethics board)」を設けています。
著者は視座・見識の高さで、日本のネットベンチャーとは「『格が違う』と感じずにいられません(P136)」と述べています。

現代の経営には、真・善・美に基づくヴィジョン、あるいは創造的な財やサービスを生み出す基盤となる美意識が必要となっている。しかし、多くの日本企業はそうした環境変化に対応できていない。そして、それは社会を覆う閉塞感の原因ともなっている。

こうした事情は、日本の大企業や役所に身を置いた経験がある人は経験則で知っていることとも言えます。簡単に言えば、そうした組織には「勉強のできるバカ」が多い。
ここでは、「勉強のできるバカ」を「偏差値の高い大学を卒業しているが、アート・文学・音楽などの人文科学的な教養のバックグラウンドのない人」と定義しています。
自分が学生時代に勉強ができなかったひがみを差し引いても、私もサラリーマン時代に日常的にそれを感じていました。日本の会社組織には、体系的な教養を下敷きにした審美眼・美意識の高い人が少ないし、仮にそうした人がいても重要な意思決定ができるポジションまで上りつめることは滅多にない。
著者は戦略系コンサルティングファームに属していた時期に、高学歴の同僚がほとんど文学に親しんでなかったと述べています。また、オウム真理教の元信者達にインタビューした作家の宮内勝典氏が、世間的には高学歴である彼らがほとんど古典文学を読んでいなかったことに異様さを感じたことについての記述を宮内氏の著書からも引用しています。
著書によれば、戦略系コンサルティングファームとオウム真理教は、組織が「極端に階層的でシステマティック」という点で極めて類似していると指摘しています。

では、創造的な事物を生み出す基礎となる美意識なり審美眼とはどういったものなのでしょう?
本書では、カントの著書『判断力批判』の以下の言葉が引かれています。
美とはなんらかの対象の合理目的性の形式であるが、それは当の合理目的性が目的の表象を欠きながら、その対象について知覚されるかぎりのことである。
超訳すれば、「美意識は意思決定に役立つ感覚だけど、それはこれという理由や裏付けがなく、それについて何となく感じられる概念のこと。」とでもなるのでしょうか?

かなり曖昧な概念で、これを基として重要な意思決定をするのは非常に難易度が高いです。「アート(=美意識、審美眼)」と「サイエンス(=ロジック、データ)」が議論すれば、サイエンス側が有利なのは当然です。過去の事例もデータもなく、「何となくこれがいいから」、「これが美しいと感じるから」という感覚で他者を説き伏せることはほぼ不可能です。
そのため、著者は組織において「アート」を「サイエンス」の上位に置く必要性を説いています。スティーヴ・ジョブズにしても盛田昭夫にしても、創業者であった経営者は、たとえ自社の役員が反対しても、自らの美意識に基づく大胆な意思決定ができたわけですが、サラリーマン経営者だとそれは難しい。それを実現するためには、CEOに直属するCCO(チーフクリエイティブオフィサー)のポジションを組織内に設ける等の何らかの組織的な仕組みが必要となります。
同時に、やはり経営陣自らの美意識も鍛えなければならない。世界のエリートがアートなどを体系的に学んで美意識を鍛えているのは、こうした理由があります。
著者は、「ごく日常的な日々の営みに対しても『作品を作っている』という構えで接することが必要」だと説いています。

また、著者は侘び茶というコンセプトで茶の湯を体系化した千利休は世界初のCOO(チーフクリエイティブオフィサー)であり、世界が巨大な「自己実現欲求の市場」になりつつある現在、こうした人物を生み出した日本の高い美意識は強力なアドバンテージだと論じています。
私はサラリーマン時代に、自分が属する組織内で高い美意識の持ち主を見たことがほとんどないのでそこまで楽観していませんが。もちろんこれは私がエリートでなかったため、そのようなレベルの人たちとしか接し得なかったこととも関係しているでしょうけど。

そんなの途上国のミャンマーには関係ないじゃないかという向きもあるかもしれませんが、iPhoneの最新型を欲しがるミャンマー人の若者などを見ると「自己実現欲求の市場」の波はミャンマーにも押し寄せていることが、住んでいると皮膚感覚で伝わってきます。
いや、市場環境に合わせることを考えるのではなく、自らの美意識の発露として「『作品を作っているという」志を持って市場に臨むことが、むしろ本稿の提示する結論として正しいでしょう。

最後に、無印良品のアートディレクターとして堤清二氏とも協業した原研哉氏の著書から引用して、本稿を結びます。
センスの悪い国で精密なマーケティングをやればセンスの悪い商品が作られ、その国ではよく売れる。センスのいい国でマーケティングを行えば、センスのいい商品が作られ、その国ではよく売れる。商品の流通がグローバルにならなければこれで問題はないが、センスの悪い国にセンスのいい国の商品が入ってきた場合、センスの悪い国の人々は入ってきた商品に触発されて目覚め、よそから来た商品に欲望を抱くだろう。しかしこの逆は起こらない。(中略)ここに大局を見る手がかりがあると僕は思う。つまり問題は、いかに精密にマーケティングを行うかということではない。その企業が対象としている市場の欲望の水準をいかに高水準に保つかということを同時に意識し、ここに戦略を持たないと、グローバルに見てその企業の商品が優位に展開することはない。
原研哉著『デザインのデザイン』


こちらの本は読んでないのですが、同じような内容と思われる本。
たぶん美意識を鍛える必要性が、日本のビジネスパーソンに急速に広がってきているのでしょう。


なるほど、美意識を鍛えようと思ったらクリック!
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

2018年10月30日火曜日

Working House Cafeはサンチャウンのカフェ難民の救世主となるのか?

約一ヶ月前にオープンした、サンチャウンのWorking House Cafeが近所の在緬外国人の間で話題になっています。
The rough cutが去年の10月に閉店して以来、開放的で、リーズナブルで、趣味の良いカフェがサンチャウンから消えて久しいので、サンチャウン・カフェ難民の一人である私も店の建設中から注目していました。





Myanmar Timesの週末号にこのカフェについて、やけに力の入ったレビューが載っていたので以下に翻訳します。
何でこんなに力が入っているのかとも思いますが、それだけヤンゴンに雰囲気が良くて、フードとドリンクの質が高く、かつローカル価格のカフェやレストランが稀少だからでしょう。
ダウンタウン周辺には、小洒落れたカフェ・レストランが増えましたが、ほとんどが観光客もしくは駐在員向けの価格帯の店なので、ローカル・ライフを送っている外国人の足はあまり向きません。
メニューの料理が、5,000チャット以下で、衛生的で、開放的で、インテリアの趣味が良く、Wifiも提供しているというお店は、これまでのミャンマーの飲食店ではかなり画期的です。
あと下記の文中でBGMの趣味の悪さについて、評者が苦言を呈していますが、これはオーナーの選曲ではなく、オーナーがいない時に、勝手にスタッフが自分の好きな曲を店内で流していたのだと思われます。
ミャンマーではこれはよくあります。店の選曲センスが、店内の雰囲気を決定付け、客が店の美意識を推し量る一つの要素であることに、普通のミャンマー人スタッフは無頓着なので。


サンチャウンは記者がよく訪れる街で、そこには、さりげないクールさとリラックスした雰囲気と楽しげな美学が息づいているからだ。ふんだんなローカル・フード・カルチャーとWin Starのように夜に飲み歩きができる場所があり、ローカル的かつ陽気で、いつも小さなローカル店が新たに開店している。すべてが特筆すべきとは言えないまでも、こうした活況は、この街が進もうとしている方向性に貢献している。ヤンゴン政府がサンチャウン・ストリートを歩行者専用にしたら、この場所はナイトライフの中心として発展することだろう。いつものように、勇敢なる記者は、サンチャウン・ストリートをバンパーとバンパーの間をすり抜け、縫うように歩きながら、満足できるローカル・カフェ文化の基準を作ったと皆が薦める店に向かった。そう、Working House Cafeだ。

Working Houseは、目抜き通りの中心からはやや離れているものの、入口の前に立つと、その店構えに印象づけられるであろう。外観はビジネス的だが、一歩店に足を踏み入れると、味のあるモダンな家具とお洒落な照明器具に彩られた、よく考えられた趣味の良い、明るい空間を目の当たりにする。ローカル店が「クール」であろうと頑張り過ぎたときにありがちな、細々とした小物で雑然とした、悪趣味な折衷主義とは一線を画している。中央にはタイルが貼られた台を素敵な木枠で囲った、ウエイターのための基地が設えられている。部屋の空間は非常に効果的に使われているため、実際より広く感じる。それは、快適な照明効果にもよるのだろう。だが、オーナーの紛うことなき趣味の良さからかけ離れた奇妙なBGMが流れていたため、いささか雰囲気を損なっていたことは指摘しておかねばなるまい。

心地よさを感じつつ、記者はメニューを一覧した。鉄板焼き、イタリアン、世界の料理から、選り抜いたアジア料理や軽食まで、ヴァラエティに富んでいて興味深い。最初に目についたのは、ほとんどの料理が5,000チャット以下で、低価格だということだ。このカフェが、幅広い層のローカル客を惹き付け満足させようとしているのか、料理の量と質を反映した結果なのかは、この時点では不明だ。かくして試みに記者とデートのお相手は、焼き飯付きの串焼き鶏、ビーフスープ、キノコをソテーしたガーリックトースト、フルーツドリンク二種類を頼むこととする。

程よい時間を経て、焼き飯付きの串焼き鶏、ビーフスープがやってきた。料理の量に関する懸念はすぐに一掃された。適切な量であるにのみならず、盛り付けにも工夫の跡が見えた。串焼きは、キノコが巻かれた焼鳥だった。添えられた焼き飯は、黄金色に香ばしく炒められ、過度に油ぽくもなく、熱い状態で届けられた。スィートコーンがまぶされ、新鮮な卵がトッピングされていた。 これは注文して正解だった。ちょっと薄味だったので、ミャンマー・ソースで味を足した。リクエストすればチリソースを持って来てくれて、料理と相性が良かった。

ビーフスープは、新鮮で、軽い口当たりで、食しやすく、過度に脂でベトベトしていることも、脂肪の塊が入っていることもなかった。かといって、物足りないというわけでもなく、極めて適切に調理されていた。塩加減も申し分なかった。甘さがある割に、バランス良い後味が舌に残った。記者とデート相手は、この料理に非常に満足したが、入念に重ね合わされたように見える、愛らしい小さなスナックも試すことにした。キノコをソテーしたガーリックトーストだ。

トーストが届くまでの間、評者とお相手は飲み物について論じ合った。
一人は、レモンミント・ジュース、他方はアイス・レモンティーを楽しんでいた。双方とも、フレーバーもフレッシュさも料金に見合っていた。甘過ぎないのは、大変有り難かった。リフレッシュのために頼んだソフトドリンクを気持ち良く飲むための必要条件だ。

そうして、それが到着すると、それは評者がこのところ食した中でもベストと言えるスナックであった。カリカリしていて、薄く、エレガントにスライスされたガーリックトーストの上に、薄切りの揚げたキノコがふんだんに載っている。これは驚きの逸品で、記者とお相手の食欲は再びぶり返すこととなった。あっさりしたキノコの肌理の細かい食感とカリッとしたトーストとこってりしたガーリックバターの組み合わせは、やみつきになりそうだ。

かくして、結論はくだされた。Working House Cafeはおそらくサンチャウンで最高のレストランだ。おそらくヤンゴンでも最高のレストランの一つと言えるであろう。驚くべき満足度の高さに加えて、Wifiも提供している。評者は、残りのメニューもテストすべく必ずここへ戻ってくるであろう、この店が提供しうるサービスの全容を掴むためにコーヒーも試すつもりだ。そして、彼らはデイタイムのオプションもはじめるという。Working House Cafeの食事は、記者には、素晴らしく、ヴァラエティに富んでいて、満足のいくものだった。お時間を取って、ここを訪れることを自信を持ってお勧めする。

Working House Cafe is located at No. 13 A Shae Gone St, Yangon. Reservations: 09 953 388081


Working House Cafe行ってみたいと思ったらクリック!
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

2018年10月19日金曜日

ミャンマーでポストカードを印刷したらもの凄く疲れた

販促用のポストカードのデータをAdobe Illustratorを使って作成しました。
表がカラーで、裏がモノクロの両面印刷のポストカードです。
リーズナブルで、質がそこそこ高いプリント屋をヤンゴン市内で探しましたが、どこも横並びでほぼ同じ価格のようです。だいたい日本の1.5倍くらいの値段で、正直割高感があります。
ならば近所で一番繁盛している店なら安心だろうと、データを持ち込みました。
結果として、もの凄く疲れました。
ミャンマーの仕事の大雑把さを改めて思い知らされました。



持ち込んだのは、上のような折りトンボ(印刷位置のガイド)付きのAdobe Illustrator(ai)データです。原稿サイズはポストカードサイズ。

データを渡してプリント屋のオペレーターの女の子の作業手順を見ると以下のようでした。

1) Adobe IllustratorのデータをAdobe Photoshopのファイルにコピペ
2) コピペ先のPhotoshopのファイルはA4サイズ。ポストカードサイズの画像をA4サイズのファイル上に、一段目は横向きに一つ、二段目は縦向けに二つの計三つを並べる。
3) 2)の手順で作ったPhotoshopデータをPDF形式に変換して、A4サイズの印刷データとする。
4) 上記のPDFファイルのデータは、上述したように一段目は横向きに一つ、二段目は縦向けに二つの計三つの画像があり、A4サイズに印刷された3つの画像を厚紙から手作業で切り抜き

ここでどういう問題が起きたかというと、
1)の作業途中でミスって画像を鏡面反転させる。
2) で、ポストカードサイズの画像をA4サイズに配置する時に、きちんと折りトンボ(印刷位置のガイド)をトレースして合わせないので、3つの画像のポストカード枠内の中の印刷位置がズレる。
また、両面印刷なので、そうした不正確な位置合わせだと、3種類のポストカードの画像・文字の両面の印刷位置がそれぞれ異なる。

DTPについての詳しい説明は省きますが、私の入稿データは、文字データ(ソフトウェア、OS、プリンター依存の描字形式)を全部アウトライン化(画像データ化) しているので、このようにPhotoshopでビットマップデータに変換する必要はありません。
たぶんミャンマーでは、文字データをアウトライン化することが知られていないか、一般的ではないのでしょう。
そのままIllustratorからPDF化しても問題ないと言いたかったですが、作業している女の子がDTPの理屈を理解しているようには見えなかったので、言っても混乱するだけだと思い改善提案は断念。
A4サイズに、画像をコピペして、3つポストカード・サイズを配置するのは、プリント屋にポストカードの用紙がないからでしょう。


鏡面反転のミスは、下のプリントです。
データ作った後に、印刷テストをさせて良かった。
こちらがチェックして、気がつかなかったらこのデータを大量印刷して、後で揉めたはずです。
試し刷りでミスったこのカードにも、その時点で課金しようとしたので、軽くキレました。
訂正させようとすると、一番上のフォントだけ反転させたりします。
違うだろ。このデータ全部が反転してるだろ、人物の向きが逆になっているだろ、と指摘しながら、ああこれはまともに話が通じる相手ではないなとわかる。
ミャンマーあるあるです。
 
とにかく作業が雑で、後ろから見てるとイライラします。きちんと印刷表示されるように折りトンボ(印刷位置のガイド)付けているのに、ガイドラインを付けてきちんと並べない。
時間を掛けて作り込んだデータを、こんな風に粗雑に扱われるのは非常にストレスが堪ります。
いくら周到に事前準備しても、最終工程や実作業がいい加減で、出来上がりの完成度が低くなるのも、ミャンマーあるあるです。

データ渡して、しばらく様子を見て、大丈夫そうなら、昼ご飯食べてから完成品を取りに来ようと考えていましたが、これは無理。

とにかく上の2)の印刷データ作成作業が雑なため、3回試しても3種類の画像データの印字位置が異なり、特にそのうち一つの表面は美観上許容できないほど上に寄っていました。

このオペレーターの子に、これ以上修正させるのは能力上無理だと判断し、とりあえずこのデータで印刷して、4)の切り抜き作業のとき、表面の画像が中央に来るように調整するように注文する。


その結果、裏面に切り抜き用のガイドの枠が残る結果となりましたが、表の写真が中央から大きくズレるよりは、こちらの方がマシなので、妥協しました。


私が指示を出している間にも、他の客が割り込んで来て、オペレーターがその客の名刺データ作りはじめて、何度もこちらの作業が中断しました。こちらとしては、先客である私の作業に集中して欲しかった。並行作業できるほど、能力高くないわけだし。
また、プリントの終わった客のおばさんが、狭い店内のカウンター上で、ホッチキス留めを時間をかけてやりはじめて、申し訳ないけど邪魔でした。それは家でやれば良くない?、と思いましたが、何かあの場所でせざるえない、特別な事情があったのでしょう。
ミャンマーあるあるです。

とりあえず、プリント屋には、ポストカード・サイズの用紙がないのがわかったので、次回ポストカードを作る時は、A4サイズにポストカード・サイズのデータを3つ並べたデータを作成すべきとわかったのが、今回の収穫です。

あと救いだったのは、リーダー格の女の子がしっかりしていて、こちらの要望を理解して、最終工程の切り抜きで、なんとか見れる完成品を作ってくれたことです。
だいたいどんなグループにも、一人だけはしっかりした子がいるのも、ミャンマーあるあるです。

いろいろと書きましたが、この店が近所で一番繁盛しているので、おそらく地域で一番信頼できる店だとミャンマー人には認識されているはずです。
私も以前同じ通りの他の店に行ったことがありますが、そのときはUSBスティックを編集作業中に引き抜かれました。
たぶん、ここが一番サンチャウン周辺では、しっかりしたプリント屋なのではないかと。

このお店の名誉のために書いておきますと、ネットで調べたら、今はaiファイルよりもPDFファイルで入稿するのが一般的だそうです。
2018年度版 イラストレーター(Illustrator)入稿のポイント 
勉強になりました。常に情報をアップデートしておかないと、持っている知識が陳腐化してしまいますね。
あのお店に感謝します。

ああそれから、いま指摘されて、ミススペルを二か所発見しました。
もう、印刷したのに。 本当に人には偉そうにできません。

因果応報と思ったらクリック!
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

2018年10月14日日曜日

ミャンマーの謎のファッション雑誌『POSH』について考えた

ミャンマーで発行されている季刊のファッション雑誌『POSH』には、いろいろと謎が多いです。
『POSH』は、ミャンマーで最も洗練されかつ尖ったファッション・グラビアを掲載している雑誌です。日本だと『GINZA』や『Nuero TOKYO』のようなハイファッションに焦点を当てたファッション雑誌にあたります。
コム・デ・ギャルソンのデザイナー川久保玲についての記事が掲載されたことがあるのは、ミャンマーではこの雑誌だけでしょう。
何でこんなハイファッションを扱った雑誌が、ミャンマーで発刊されていること自体が謎です。



昨日、最新号を書店で見つけました。


まず、この雑誌は置いている書店があまりありません。
以前は、ダウンタウンにあるヤンゴンで最大の書店Bookworm Booksで入手できましたが、最近は扱っていません。
新刊が出たと思しき時期に、ヤンゴンのあちこちの書店を探して回りますが、なかなか置いている店がありません。
今回は、レーダン・センターの中の書店で見つけました。
おそらく発行部数が少ないのではないかと推察します。
その割には、ファッション・グラビアにお金がかかっています。
広告もそんなに載っていないのに、どうやって雑誌を発行する経費を賄っているのかが見えません。



ミャンマーにもこんな服を作るようになったんだ、と思ってクレジットを見たらPRADAとMiu Miuでした。
通常、ファッション雑誌にブランドの服を掲載する時は、スタイリストがブランドのプレス(広報)を通じて服を借りて、モデルに着せて、撮影します。
PRADAもMiu Miuもミャンマーでは売ってないので、商品を借りるルートや窓口はないはずです。
まさかこの撮影のために一着20万円を越えるハイブランドのドレスを買うはずもないし、どうやって撮影する服を調達しているかが分かりません。




最新号では、ミラノでロケしたグラビアページが載っています。その経費はどこから出てくるのでしょう?
繰り返しますが、発行部数も少なそうだし、しかも広告収入もそんなになさそうなのに。



毎回エスニシティを強調したグラビアの特集があります。今回は、京劇がテーマとなっています。
他の雑誌を見る限り、ミャンマーのアートディレクターはレベルが高いとは言えないのですが、この雑誌だけクリエーションのレベルが飛び抜けているのは何故でしょう?


ミャンマーの民族衣装とイッセイミヤケ風のデザインをミックスしたと思われる特集。
80年代に『VOGUE』で発表された、ファッション写真の大家アーヴィン・ペンとイッセイミヤケのコラボレーションを彷彿とさせます。
毎回、引用している元ネタからも、かなりファッション史に詳しい人物が関わっていると思えますが、私はそういう人にはミャンマーで会ったことがありません。
どういう人物が、何の目的で、この雑誌を作っているのでしょう?




カックー遺跡をロケ地に選んだグラビア・ページ。
毎号、テーマ毎の特集が、五つくらい掲載されていますが、通常のファッション雑誌だと、制作費がかかるので雑誌独自の企画はたいてい一つです(ブランド側が広告主となって特集ページを作る場合を除く)。
デザイナー、スタイリスト、カメラマンのチームをそれぞれ特集毎に用意する、そうとう贅沢な作りになっています。これを3,000チャットで販売して元が取れるとは思えません。
季刊とはいえ、採算性のない雑誌を約二年間に渡って発行し続けている理由は何でしょう?



これは、前号のページですが、なんでメンズになるとこんなにいきなりレベルが落ちるのでしょう?
何か、メンズのページだけ別の目的で作っているようにさえ思えます。

そんなわけで、いろいろと謎の多い雑誌の『POSH』です。
もし、この雑誌の発行者や制作背景についての情報をお持ちの方いれば、お知らせください。

POSHのことが気になったらクリック!
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村