2017年5月11日木曜日

ミャンマーのテーラワーダをもっと知ってもらうためにマンガの原作を考えた

前回の投稿を書くために、手持ちのテーラワーダの入門書・解説書を何冊か再読してたら、脳内が仏教情報でパンパンになって、しばらく他のことが考えられなくなりました。
以前も書きましたが、大乗仏教の経典は二次製作で、あらまほしきゴータマ・ブッダ像を宗派の教義に沿うように、あるいは作者の好みで、ブッダ入滅後に同人誌的に創作されたものです。
こう脳内に仏教情報が溢れていると、大乗仏教の経典みたいに自分もスピンアウト的にミャンマーの仏教関連のコンテンツを製作してみたくなります。とはいっても、入門書・解説書の読みかじり程度の知識しかなく、瞑想寺院での修行経験もない私に、本格的な仏教関連本などは書けるわけがないので、何か別の切り口を考えてみました。

最近ネットでスクール・カーストを扱った記事を読んだ時に、スクール・カースト最下層にいた男子のトラウマを慰撫すれば売上げが見込めるので、アキバ系二次元コンテンツは、そのような方向性で製作されているといった内容のことが語られてました。
だったら、アキバ系二次元コンテンツの学園物のフォーマットを借りつつ、ミャンマー仏教の世界観を提示するマンガがあれば面白いかも、とストーリーを考えてみました。
主人公は、成績もスポーツもぱっとせず、容姿も凡庸なため、スクール・カースト最下層に属する男子高校生です。彼がミャンマー仏教と出会い、モテやリア充に対するコンプレックスを超克していくというビルディングスロマンが、基本的なストーリー展開です。
ただし、「瞑想したらモテるようになるのではなく、瞑想をしたらモテなくても気にならなくなる」というテーラワーダの基本線は外せないので、アキバ系二次元コンテンツのように、巨乳美少女に囲まれるハーレム状態が到来するといった卑俗レベルでの問題解決のカタルシスは得られません。その代わりに、仏教の非人間性や反自然性のような、(少なくとも日本人には)あまり知られていない、初期経典の教えに忠実なミャンマーのテーラワーダのアナーキーな魅力が伝わる内容を目指します。

<主な登場人物>
面井紋次郎(おもいもんじろう):
学校の成績は中の下、スポーツは苦手、容姿は中の中の平凡な男子高校生。これといった長所や強みがないので、スクール・カーストは、最下層に属する。帰宅部。趣味は、二次元コンテンツの鑑賞。好きな音楽は、アニソン、ヘビメタ、ベビメタ。友人は少なく、基本的にぼっち。
学校一の美少女 姫島マヤにほのかな思いを抱いているが、カースト最下層の自分が相手にされないのは自覚しているので、とくに何の行動も起こしていない。

世渡充太郎(せとじゅうたろう):
紋次郎のクラスメイト。学校の成績は常に学内10位以内、イケメン、バスケットボール部ではシューティングガードとして活躍。典型的なリア充で、スクール・カーストの頂点に君臨している。趣味は、サーフィンを中心にアウトドア全般。好きな音楽は、ケンドリック・ラマーとかアンダーソン・パックとかのヒップホップ及びヒップホップぽいR&B。リア充の友人達との付き合いは忙しいが、カーストの異なる紋次郎とは、まったく接点がない。

姫島マヤ(ひめしままや):
学校一の美少女で、充太郎のガールフレンド。演劇部所属。父親は、地域を代表する老舗企業の経営者。充太郎との関係は、お互いの両親公認。趣味は、スウィーツ巡り。好きなブランドは、ケイト・スペード。仏教とか哲学とか、そういうのまったく興味なし。

ウ・コミンダ師(仮称):
ミャンマーの瞑想寺院の指導者。講演や瞑想指導等で海外へ出張することも多い。
日本からやって来た二人の修行僧、紋次郎と充太郎を暖かく見守っている。

<タイトル>
『サーマネーラ紋次郎』
サーマネーラは、修行僧の一番最初の段階です。シリーズ化したら島耕作みたいに、グレードが上がるごとにタイトルが変わります(笑)。
最初は、『魔太郎がくる』のオマージュとして、『紋次郎がいく』というのを考えましたが、魔太郎をググって見直したら記憶していた以上に内容が禍々しかったので(そこが面白いんですけど)、『サーマネーラ紋次郎』にしました。


<あらすじ>
帰宅部の紋次郎は、下校時に立ち寄った本屋でいつも通り二次元コンテンツの新作チェックをした後、文庫本コーナーを通った時に見かけたある本が、なぜか心に深く突き刺さる。「ニートになれ。世界を終わらせろ。」と帯に書いた文庫本『講義ライブ だから仏教は面白い! (講談社+α文庫)』に、「もしかして、今の自分に必要なことが、この本に書かれているかもしれない」と直感し、その本をレジに持っていく。
一方、充太郎は、お気に入りのヒップホップ・グループのリーダー伊田丸のポッドキャストを聞いていた。サブカルにも明るい伊田丸が「夏の課題図書」として『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』をあげていたのを聞いて、「ふーん、なんか面白そうじゃん」とAmazonでポチる。
同じ学校の同じクラスにいながら、まったく接点のなかった二人に機縁が生じた瞬間だった…

たまたま、ネットでスクール・カースト関連記事を読んだので、物語の背景にスクール・カーストを入れることになりましたが、考えてみればブッダの作った仏教はカーストを否定、無化する教えだったので、仏教とカーストの関係が教義と物語内の展開において相似をなすこととなり、物語に重層性・多層性を生み出す効果を与える効果が期待できます。

作品化に際しては、監修者として魚川祐司氏をお迎えしたいです(引き受けていただけるかどうかは分かりませんが)。
印税の分配は、監修者の魚川氏、作画者、原作者の私で三分の一づつとします。

これウチで出版してみたい、という大手出版社の編集者のご連絡お待ちしております。

 

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4 件のコメント:

  1. いつもながらの考察に脱帽。
    ミャンマーの現実(深層)を文にするのは難しいと思うのですが…
    最高です。連載を期待しております。

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    1. コメントどうもありがとうございます。ミャンマーでどういうロジックや思考回路で、その結論に達したり、行為に及んだのかが分かるようになるのには、ある程度長く住んでみないと理解できませんね。

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    2. 擦り切れるほどの交流と、ルーツまで掘り下げる探究心がないとみえてこないですもんね。でも、たとえ理解出来たとしても自身にとっては、希望なのか絶望なのか…(笑)

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  2. 私は、神経擦り減らすほどミャンマー人とは接してませんね。直接雇用したことがないので。知れば知るほど、自分には向いてないと思うので、今後もミャンマー人を雇うことはないと思います。

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