2015年11月11日水曜日

【幸せ】ミャンマーで断捨離【Happy】

11月9日午後3時半から午後4時半くらいの間、激しい豪雨があった。雨期はすでに終わったというのに。
約一ヶ月前に自宅が浸水したこともあり、少しばかり心配になる。あの時は、蔵書が泥まみれになって泣く泣く50冊以上の本を捨てたし、カバンにも靴にも服にもあらゆる持ち物に泥が入り込んだため、大変な思いをして復旧した。
まさか、あんなことが二度も起こるわけがない。しかも、すでに雨期は終わっている。

甘かった。ここはミャンマー。
いつも想定外のことが起こる国。

仕事帰りにビールを引っ掛けて、ほろ酔い気分でサンチャウン通りを歩いていると、自宅が近づくにつれて、住民が家の中から水を掃き出す光景が目に入るようになる。
不安でだんだん動悸が激しくなる。


自宅の門前に立つと、もの凄く嫌な予感がする。
恐る恐る鍵を開けると、暗くてよく部屋の中が見えないものの、異様な状態になっているのが臭いや雰囲気で分かる。
とりあえず玄関口に戻って、入口に5分程座って、動揺した気持ちを落ち着かせる。
それから覚悟を決めて、中に入ることにする。
膝まで水に浸かって、壁伝いに移動して、手探りで電気のスイッチを入れた。


果たして部屋は、再びウォーター・ワールドと化していた。


よしツイている。前回とは違って、キャビネットが濁流に倒されてテレビが水没していない。キャビネットとテーブルの上に置いた物も、無事のようだ。
今は、水が引いて水深30cmくらいだが、壁に残った泥の後を見ると、最大時70cm程度だったことがことが分かる。要するに70cm以下に置いた物は、すべて濁流に呑まれている。洗濯機と冷蔵庫はベッドは、今回も濁流に流されてひっくり返っている。
前回同様、本棚の二段目までに置いた本は泥まみれになっていた。 ビジネス本は二段目に置いていたので、今回の浸水でほぼ全滅した。DVDは今回もけっこうやられた。
文芸書は三段目以上に置いていたので、無事だった。よしツイている。


大量の泥水で部屋が満たされいて、一人ではとても復旧できないので、人を呼んでもらって、四人掛かりで復旧の作業をする。バケツで泥を掬い、外へ出す。3時間くらいで、汲み出しは完了。思ったより、早く済んだ。ツイている。


人が帰った後、2時間くらい一人で作業をしてると日付が変わっていた。
なんとか座れるようになった部屋で、ミャンマー・ラムを飲みながら、この出来事は何を自分に教えてくれているのかをつらつらと考えた。

物が損なわれて、気持ちが落ち込むのは、物に執着しているから。
仏陀が言うように、形ある物は必ず変質する。物はいつしか壊れる、人は必ず死ぬ。
そして、人間は形ある物にとらわれるから苦しむ。
二度の浸水は、物への執着を捨てることを促しているのではないか。
前回もそう思ったが、それ以降も新たな本や服を買ったりして、相変わらず物を増やしていたので、季節外れの豪雨が起こした浸水で、執着を捨てることをもう一度思い起こさせてくれたのか。
いわば、天から贈られた断捨離。
流石、上座部仏教の国。自然現象が起こす具体的な体験で、仏の道へと導いてくれるのか。
よし、もう物を買うのは止めよう。
生活に必要な最小限の物だけで、生きて行こう。今風の言い方をすると、これからはミニマニストとして生きて行こう。
積ん読本ももう買うまい。冷蔵庫も壊れたけど、どうせビールを冷やす以外の使い方をしていないから、修理もすまい。
残された本だけを読みながら、これから生きて行こう。
ビジネス本が全滅した後に残っている本は、カフカとかニーチェとかボルヘスとかで、こんな本ばかり読んでいるとさらに偏向した人間になりそうだけど、それが仏の教えなら仕方あるまい。
良かった。物への執着を捨てて、自由になる道筋ができた。

 

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2015年11月6日金曜日

ミャンマーで暮らすことは幸せなのか?

ミャンマーは外国人にとって、住みやすい国ではないことは多くの人が認めることでしょう。
ミャンマーのローカル新聞Mynamar Timesに、外国人居住者向けのSNSInternationsが、様々な国に住む外国人居住者に対して、住みやすさを調査し、レポートを作成したことが、記事として掲載されていました。 記事によれば、ミャンマーは設問者が設けたそれぞれの指標で、64カ国中「レジャー(61位)、交通機関(61位)、健康・安全(60位)」となっています。
ただし、住みやすさや生活のしやすさと、個人の幸福度は、必ずしも相関性がないようです。「個人的な幸福度」については、64カ国中8位と上位グループに入っています。
幸福かどうかは、客観的な指標というより、個人の主観的な心持ちですから。
他者から見て、どんなに劣悪な環境や苦痛に満ちた状態にあっても、本人が幸福と感じることは可能だし、あり得ます。
そして、記事中の調査回答者の一人が言うように、「冒険と挑戦を好み、ここでしか感じられない現在進行形の変化を楽し」める人にとっては、ミャンマーは住んでいて面白い国です。
母国と同様の生活ができないことを嘆く、文化的なキャパシティの狭い人や、異文化の中で生活する中で、これまでと違った視座を持つことに面白味を感じない人にとっては、確かにここに住むのは苦痛だと思います。
私もミャンマーで日本食レストランに行ったら負けだと思っているので、ミャンマー国内では、少なくとも2年以上は日本食レストランに行ってません。 何と戦っているのかは、自分でもよく分かりませんが(笑)。

『Myanmar Times』ISSUE 33 | OCTOBER 30 - NOVEMBER 5, 2015 より記事転載(原文は英文)
What are the best countries for living abroad [Hint: Myanmar isn't one of them]? 
外国人がいちばん住みやすい国はどこ?(ヒント:ミャンマーは入ってません)
Text by Charlotte Rose 


たとえインターネット環境が改善して、メキシカン・レストランの突然のブームが起きて、食事の選択肢が増えても、ミャンマーで外国人が暮らすことは容易とは言い難い。
交通渋滞や、午後11時に店が閉まるため、タコスを慌ててお腹に詰め込まなければいけないことはともかくとして、Internationsが今月の始めに発表した、外国人居住者によるレポートによると、事態はもっと深刻なのかもしれない。
外国人居住者の2015年版インサイド・レポートは、すべての大陸に暮らす外国人の生活全般を記録し、生活水準・住みやすさ・労働環境・家族生活・収入・生活コストといった海外での様々な日常生活の項目について、回答者の満足度に基づき、外国人が住むのに最高の(そして最低の)国をランク付けしている。14,000人を越える国外居住者による、170カ国を代表した195カ国の国外居住者が、2月23日から3月9日に実施された、同種の調査の中で世界的にも大規模となったオンライン調査に参加した。
どの国が国外居住者にとってトップだったか? すべての国のランキング中、2014年に勝利を収めたエクアドルがトップの座を守った。生活コストの低さ、医療費の安さ、人々の友好度、友人の作りやすさ、社交のしやすさが評価されたのは明らかである。 「驚くべきことに、エクアドルの94パーセントの外国人居住者が、現地で楽しめるレジャーに満足している。そして、91パーセントの外国人居住者が、生活コストに満足している」とレポートは述べている。メキシコとマルタが2位3位とエクアドルの後に続き、4位に生活水準の高さ、医療水準の高さ、交通機関の発達、言語による障壁の低さで知られるシンガポールがランクされる。
今年初めて調査対象に含まれたミャンマーは、芳しい成績を収めていない。全体の成績一覧の中では、64カ国中48位となっている。評価項目によっては、レジャー(61位)、交通機関(61位)、健康・安全(60位)と最下位グループに属している。だが、こうした傾向は、調査に回答したミャンマーに住む71人の外国人居住者にとって、必ずしも重要でないことが見て取れる。サブカテゴリーの「個人的な幸福度」については、64カ国中8位にランクされているからだ。
今年始めにミャンマーに移住した、チェコ共和国出身のコマーシャル・マネージャーMartin Zdarekは、ミャンマーが誰にとっても移住先の第一候補となる国ではないことを認めるが、「個人的な幸福度」の項目について、高いスコアを出したことについて、驚きはないと言う。
「ミャンマーはどんな人にとっても暮らしやすい国とは言えません。インフラの整備も入手可能なサービスや商品も、大抵の国より遅れています。もし、リラックスできて、家族が暮らしやすい、秩序がしっかりした先進国に住みたいのなら、ミャンマーはお勧めできません。でも、この国にやって来た人たちは、冒険と挑戦を好み、ここでしか感じられない現在進行形の変化を楽しんでいるように見えます」。
しかし、 生活水準については高い評価を得ていないものの、ローカルの人々の友好度については、他の国を上回っている。ミャンマーは、人々の友好度については一位で、昨年一位だったメキシコよりも高い。
ヤンゴンでヨガのインストラクターとして働く、アメリカからやって来たTaylor Harveyは、ローカルの人々の友好度の高さは、外国人居住者がミャンマーで感じる幸福度の高さの主な要因だと語る。
「私がここで体験していることは、大抵は素晴らしいことです。くたくたになるほど活気に満ちていて、インスパイアされて、ダイナミックで、美しく、興味深い(少なくとも退屈はしません)。そして、私の出会ったにローカルの人々の多くが、創造性に富み、起業家精神と勤勉さと継続性を備えていることに感銘しています」
外国人居住者によれば、ミャンマーの人々は世界で最も友好的かもしれないが、ここで友人を作るのはそんなに簡単ではない。ミャンマーは、「友人の作りやすさ」では39位、「受け入れられている感覚」では48位だ。この一因は、言語習得の困難さにあるのかもしれない。「暮らしやすさ」の指標の中で、調査の回答者は現地の言語の習得のしやすさを質問されているが、ミャンマーは64カ国中45位である。
また、ミャンマーでの生活コストについては、 外国人居住者にとって最悪の部類にランクされている。レポートによれば、外国人居住者の家賃の高さについては、香港、モザンビーク、ルクセンブルクに次ぐ4位だ。一方、隣国のタイは、エクアドルに続いて家賃が最も安い国の2位にランクされている。
しかし、どの国が外国人居住者にとって最低の国なのだろう? クエートが全体のランキングの最低の場所、64位を占めている。特に、「暮らしやすさ」の項目の評価が低い。実際のところ、53パーセントの回答者が、ローカルの人々の友好度について不満を感じている。ギリシャは全体の63位で、15パーセントの外国人居住者が、そこでの生活に不満を感じている。ナイジェリアは「生活水準」の項目で最低で、全体では62位となっている。回答者は、特に旅行の機会と、交通機関のインフラや政治的な安定性、個人の安全性について不満を感じている。
Internationsの創業者で共同経営者のMalte Zeckは、レポートは海外で新しい生活を始めることを考えている人々にとって有益なガイドになると語っている。
「外国人居住者のインサイド・レポートは、海外での彼らの生活や、仕事をつまびらかにしている。より詳細な、家族生活、仕事満足度、総合的な幸福度は、外国人居住者の生活への広範囲に渡る洞察を与えてくれる」。

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2015年10月30日金曜日

日本の問題点、そしてミャンマーに不足しているもの

先日、日本へビザ更新のため一時帰国していました。
今回の申請では、ビザ取得の必要書類が、新たに追加されていました。
現在のミャンマーのビジネス・ビザの取得申請には、ミャンマーへの航空チケットと、招待状を交付したミャンマー企業の会社登記の写しも必要とされます。例によって、在日本ミャンマー大使館でのWeb等では周知されていません。
大使館へ必要書類とパスポートを郵送して手続き行いましたが、追加で上記の書類を大使館へFAXで送るように指示されました。急いでFAXで送った書類も職員に見落とされていたようで、それだけで処理に3~4日の遅延が生じました。ミャンマーへ帰る日が決まっているので、間に合うかどうかヒヤヒヤしました。

久々の日本でしたが、感じたことの一つとして、少子高齢化が本当に進んでいることを実感しました。ミャンマーでの街角の風景に目が馴染んでいるので、通りに子供が少なく、一部の繁華街を除いて若者より中高年やお年寄りが多い風景が異様に映ります。多くの人は、加齢と共に新しい分野への好奇心や挑戦する意欲を失う傾向があるので、こうした人口構成だと新しい流行やムーブメントは日本では生まれにくいと感じました。

フェーズが違う事柄なのですが、日本で提供されているAirbnb物件のレベルが一般に低いことにも落胆しました。
私が滞在した福岡市では、アジアからの観光客が増えてホテルが満室もしくは高騰しているため、Airbnbで提供されている物件を複数利用したのですが、そのうち一軒が非常にお粗末でした。
部屋にある家具は、安っぽいちゃぶ台のみ。椅子も机もソファもベッドもなし。座布団や座椅子がないため、固い床に直接座るとお尻が痛くなる。さすがにこの状態では、部屋でくつろげないので、座椅子はホストに頼んで用意してもらいました。Wifi環境と冷蔵庫はありましたが、このレベルの物件で一泊4,000円は高過ぎます。
バンコクのAirbnb物件だと、一泊35~50USD程度で洗濯機・乾燥機などの電化製品、テーブル・ソファ・ベッド等の家具完備のプール付きの50平米クラスのコンドミニアムが利用できます。もちろんタイと日本では、物価水準や不動産事情が違うので、一概に比較はできませんが。
それを考えても、日本では単に賃料の安いアパートを借りて、必要最低限の初期投資やサービスレベルの維持を怠ったまま、収益を得ようする安易なAirbnb物件が多いような気がします。
ホストとして宿泊先を提供するなら、最低限の設備投資を実施し、客観的なレベルで満足できる利便性や快適さを担保すべきでしょう。利用者の多くはホテルの代替として、Airbnbを利用しているので、同じ宿泊料のホテルと同等のグレードか、もしくはそれ以上の利便性や快適さを求めています。
同等の金額で利用できるAirbnbのグレードでは、タイと日本では格段の格差があり、当然、それはその国に滞在して感じる快適さにも影響します。
観光で訪れるなら、文化やエンターテインメント等の他の要素も加味されますが、私の場合、ビザの関係で必要に迫られてミャンマーから一時出国して、宿泊先でPCで作業する時間が長いので、日本の宿泊施設の貧弱さが特に気になりました。
どうも観光立国とか言う割には、唱導する理念に、現実のオペレーションが追いついていないように感じます。
少子高齢化が進む中、観光業は日本で伸びしろがある数少ない産業なので、観光地の整備と共に宿泊施設のレベルアップも重要な課題です。 Airbnbのホストは、そうした日本の課題を背負った問題解決者であるべきことを強く自覚すべきでしょう。
日本国内でさかんに喧伝されている「おもてなし」や「クールジャパン」も、国外から見ると内輪の自己満足・自画自賛に過ぎないと、率直に指摘している本や雑誌を本屋で見つけたので、以下にご紹介します。





また、日本におけるミャンマー・ブームもそろそろ終わりつつあることを感じました。
「アジアのラストフロンティア」などと喧伝されて、ミャンマーへの進出・投資ブームが 一時は起こりましたが、大半の企業は一年余りで撤退を余儀なくされていると聞きます。事務所を構えたものの、現地法人の設立さえできずに同地を去る企業も多いようです。
さらに、ミャンマーで一番期待され、必要とされている製造業の進出はなかなか進んでいません。
代わりに目立つのは、日系企業の進出を当て込んだ、日系の弁護士事務所や会計事務所です。製造業に代表される実質的な産業の進出が少なく、それをサポートする補助的なサービス業の数の方が増えているという不思議な現象が起きています。実質的な産業をミャンマーに事業を立ち上げ、運営するのは、法的・人的・インフラ的にもかなりハードルが高いので、資本リスクが少ないサービス業の進出が目立つのは、ある意味必然かもしれませんが。
最近は、ミャンマー進出の実態が日本でも共有されつつあるようで、一時のような経済フロンティアとしてユーフォリア的な幻想を抱かなくなってきたようです。
おそらく、これは日系企業に限った現象ではないと思います。
近隣ASEAN諸国との比較の中で、ミャンマーが真に投資や進出に値する国なのかが、これから本質的に問われる局面に入ったのことを感じます。

今回、日本で10日余りを過ごして、ミャンマーでの生活で足りないものをありありと実感した瞬間がありました。
ミャンマーで足りないもの、それはブルックリン・パーラー
ご存じない方に説明すると、ブルックリン・パーラーは、剥き出しのレンガの壁を使用したブルックリン風の内装のカフェで、趣味の良いJAZZかR&BのBGMが大きめな音量で流れ、食事はそこそこ旨く、ワインもビールもカクテルも飲めて、ウェイターもウェイトレスも普通の店より垢抜けていて、ライブラリーとしてサブカル本やアート本が置いている飲食店です。

ライブラリーにあるのは、この種の本。



さきほど店のWeb見たら、店のコンセプトが「人生における無駄で優雅なもの、ぜんぶ」となっていました。
自分が何を求めてこの店に行くのかが、腑に落ちました。
そしてミャンマーには、「人生における無駄で優雅なもの」があまりにも不足しています。
これは人間の生存にとって必須の精神的な栄養素なので、私はミャンマー滞在が2ヶ月を越したあたりで、毎回、精神的な栄養失調のような状態に陥ります。
ビザの関係で、70日に一度はタイに一時出国しているので、なんとか乗り切ってますが。
正確に言えば、ミャンマーにも「人生における無駄で優雅なもの」は存在します。
多くのミャンマー人にとって、仏教行事への参加やお坊さんの法話を聴くことがそれに該当します。ただし、コミュニティやバックグラウンドの違う外国人には、それを共有できないため、どうしても「人生における無駄で優雅なもの」の不在を強く意識せざるを得ません。

やっぱり、ミャンマーにも「人生における無駄で優雅なもの」を体現した店が欲しい。
付随的なサービス業ばかり増えて実質的な製造業が少ないと書きながら、なぜか自分が一番現実的ではないという、謎の展開になりました(笑)。

ただ、ミャンマーで娯楽の選択肢の少なさを嘆く外国人は多く、つまり「人生における無駄で優雅なもの」を求める在ミャンマー外国人は少なくないので、実現したい方はご一報ください。

人生における無駄で優雅なものに興味があればクリック
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2015年10月5日月曜日

【悲報】自宅が水没した -->【朗報】悟った(少し)

10月1日の午前中、豪雨が30分あまり続きました。
ミャンマーの雨期特有のバケツをひっくり返すしたような、激しい集中豪雨です。
雨期の終わりの最後の豪雨かな、となごり雪を見るような気分で、オフィスの窓越しに雷を伴う激しい雨を眺めてました。
甘かった。ここはミャンマー。
外国人の甘っちょろいロマンティシズムを、完膚なきまで叩きのめす土地なのを忘れていた。2、3時間して自宅の1階が水没しているとの報。

定刻になって自宅に帰ると、果たして部屋は濁流に飲み込まれていた。
本も衣服も電化製品も泥の中に沈んでいた。
私が帰宅したのは、部屋から水が引いた後だったが、壁や棚の泥の後で測るとおそらく70~80cmの高さまで浸水した模様。

家の中から見た外の後継。この泥水が、玄関を乗り越えて、流れ込んで来ていた。

本棚2段目までに置いた物は、すべて泥まみれになっていた。
テレビも洗濯機も冷蔵庫も水流に押されて横倒しになっている。


いちばん泣けたのは、本が泥水の中に没していたこと。
乾かして何とかなりそうな本を必死で選んで、天気が回復した外で乾かすことにする。
人から嫌われても大して気にかけないが、本が汚れるとかなり気になる偏愛的な愛書家なので、これは本当にこたえる。

救いだったのは、コンピュータ関係の物とアウターの衣服は2階に置いていたので、被害がなかったこと。

とにかく、こんなところまでと驚く部分まで、泥が入り込んでいる。スーツケースの中、靴の中、カバンの中、食器の中、電化製品のケースの中。


使えそうな物は、洗ったり、干したりして、無理そうな物はどんどん捨てる。
3日かけて、なんとか住めるように部屋を復旧した。

本も被害が軽いものを選んで、外で乾かす。
しかし濡れた本はなかなか乾かない。3日間、外で天日に晒してしたが、まだ湿っている。


初日はショックで寝れないほどだったが、なぜこんなことが起きたのか、因果をよくよく考えてみた。
ここは上座部仏教の国。
仏教の基本は、執着を捨てること。人は、こうあらねばという執着があるから苦しむ。
執着を捨ててしまえば、人は自由になり、苦からも解放される。
物への執着も同様。
形あるものは、すべて変質する。物は壊れる、人は死ぬ。仏教用語で謂うところの無常ですね。 それを忘れて、物への過度な愛着を抱くことは、煩悩の一形態に他ならない。
気に入った本を本棚に並べて、悦に入っていた私は物に囚われていなかったか?
物に執着していなかったか?
否定するのは、難しいですね。

これは、執着や我執を捨てよという、御仏の有り難い思し召しと思うことにしました。
御仏は、物への執着を断つ、断捨離の機会を与えてくださった。
嗚呼、有り難い。これで一歩、悟りに近づいた。
もちろん、部屋の惨状を見た時、思わず激昂して、泥まみれの本を床に叩き付けて、跳ね返りを浴びたことは、誰にも言っていません。

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2015年9月9日水曜日

サンチャウンでSoulとR&Bについて考えた

私が現在住んでいる場所は、ヤンゴンの住宅地サンチャウンです。
ヤンゴンに住み始めて、3回引っ越ししましたが、すべてサンチャウン区内の半径200m以内のエリアで移動しています。
かれこれ、サンチャウン歴も4年近くになります。
サンチャウンは、ローカル向けの住宅地で、地元民向けの飲食店、衣料品店、食料品店、コンビニなどが軒を連ねる賑やかな街です。
ただし、外国人向けのカフェやバーはありません。
休日に本持って、趣味の良いBGM聴きながら、座り心地の良い椅子に座って、読書に没頭できる場所がないのが残念です。
4年経ってもその手のお店ができる兆しがないので、これは自分達で作るしかないのかな、と近所の仲間と話し合っています。

前に誰かの文章で、「バンドをやる人間には二種類いる。バンド組んだら楽器の練習したり、曲作ったりする現実的な努力をするタイプ。もう一つは、ステージ衣装考えたり、サインの練習したり、音楽と関係のないことに入れ込むタイプ」(大意)というのを読んだ覚えがあります。
私はどうも後者のようです。
市場調査したり、収支計画練ったりするより、店のインテリアとか、VIとか、BGMの選曲とか、派生的な部分のことばかり気持ちが行く(笑)。

そんな訳で、とりあえず、先だってサンチャウンのロゴを作ってみました。
ソウル史上最も有名でメジャーなレーベル、MOTOWNに敬意を表したデザインです。



MOTOWNは、ブラックミュージックとしては、初めて人種の垣根を越えた大ヒット曲を生み出した偉大なレーベルとして、ポップ音楽史上に極めて大きな功績を残した偉大なレーベルです。
ビートルズがデビューアルバムで、そのヒット曲をカヴァーしたことでも知られています。

こういうのは知ってる人は異常に詳しいし、知らない人はまったく知らなかったりする事柄なのですが、もしご存じない人で興味があれば、映画『ドリームガールズ』を観れば、レーベルの歴史をダイジェストで辿ることができます。



音楽的にはこちらの映像が感動的。
↓↓↓


そんなわけで、SANCHAUNGのロゴ作った勢いで、頭がソウル方向に引っ張られていたので、しばらくIllustratorとPhotoshopで、ソウルぽい画像つくって遊んでいました。

ロンジー女性のファンキー・ヴァージョン。

タナカ塗った、ソウル・シスター。

で、懐古厨なのもどうかと思って(MOTOWNの黄金時代は、60's前半~70's前半だし)、今はR&B何が流行ってるのかとチェックしたら、こんな記事が。

ザ・ウィークエンド、新作が今年2番目の初動セールスで全米チャート初登場1位に
人気シングル“Can’t Feel My Face”が先週、2週目の全米チャート1位を獲得するなど勢いのあるエチオピア系カナダ人シンガー、 ザ・ウィークエンド(The Weeknd)のニュー・アルバム『Beauty Behind The Madness』が、今週の全米アルバム・チャートで2位以下に大差をつけて初登場1位を獲得した。

年二回の日本への帰国時に、その時々で面白そうな本とかCD買って、ミャンマーに再入国しているのですが、ウィークエンド(The Weeknd)の自主制作だった1stを2年前に買っています。何だか、ずいぶんダークなR&Bでした。マクスウェルから、エロさを抜いてさらに暗くした感じの。

このアルバム持っているので、サンチャウンまで借りに来れる方なら、お貸しします。
↓↓↓


そういえば、ミャンマーにはソウルバーもありません、
サンチャウンで、ソウルバー開業するのも面白いかもしれません。

よろしければ、ウチでソウルバー大会やってもいいので、参加希望の方はご連絡ください。
参加条件は、マーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダー、カーティス・メイフィールド、ダニー・ハザウェイのいずれかのアルバムを一枚以上聴いたことがある人で。

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2015年8月27日木曜日

ミャンマーで『マッドマックス 怒りのデスロード』について考えた

先週末に近所のDVD屋で買った『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観て以来、毎晩のように、この映画を見返しています。
また、この映画についての感想や評価について検索してみると、夥しい数のWebに行き当ります。視点や評価のポイントも多種多様です。
趣味性の高いアート系映画の場合、世間ではマイノリティの見巧者(もしくは自らを見巧者と任ずる人)が書く衒学的な批評が、ネットに出回ることがありますが、この映画はそうしたタイプの映画ではありません。ビックバジェットのハリウッドの娯楽作品です。映画の構造はシンプルで、小難しいところは何もありません。
なぜ、この映画が趣味嗜好を越えた、多様かつ多くの人(自分も含めて)たちの心を揺さぶり、多義的な論議を起こしているのかを考えてみました。

自分が気がついたポイントを以下に列挙します。

ネタバレになりますので、ご了承ください。というか、あらすじの説明はしていないので、観ていないと、書いてることが分かりません。


1. 神話の変奏としての『マッドマックス 怒りのデスロード』

まず、『マッドマックス 怒りのロード』がこれだけ多くの人たちを引き付けて離さないのか、何が人をこの映画について語ることへと駆り立てるのかについて触れます。
それは、この映画が古典的な神話の変奏であり、人間の意識の奥底に沈んでいる記憶の古層を刺戟するからではないでしょうか。

映画のストーリーは、父王殺し、放逐された貴種の故郷への帰還、英雄の遠征からの凱旋といった、神話のフォーマットを忠実に踏襲しています。
また、主人公のマックスが前半の気狂いのような状態から、放浪を重ねる中で正気と人間性を取り戻していく過程は、『アーサー王と円卓の騎士 (福音館古典童話シリーズ (8)) 』に出てくる騎士のエピソードを思い出しました(読んだのが小学生の時だったので、記憶が定かでありません)。

実際に監督自身も、インタビューでストーリーが神話と通奏していることを認めています
皆が共鳴したのは、ジョゼフ・キャンベルの著作「千の顔を持つ英雄」に見られる古典的な英雄神話と通じるものがあったからだろう。

2. エクストリーム・アクション映画としての『マッドマックス 怒りのデスロード』

とてつもなく凶悪な面構えの改造車とか、お手製の原始的な武器とかのデザイン・造形が緻密かつリアルで、作中の世界観が見事に統一されています。
また、そうした精巧な大道具・小道具を惜しげもなく横転、炎上、爆発させます。
スタントで驚いたのは、車の後部に立てた、左右にしなるマスト状の棒の先端にぶら下がった敵の戦闘員が逆さまになって襲いかかって来るシーンです。
よくこのアイディアが実現できたな、スタントマン怖かったろうな、と思いました。
とにかくエクストリームで、一画面あたりの情報量の密度が異常と言えるほど高い。




3. 文明批評としての『マッドマックス 怒りのデスロード』

荒廃した世界の中で、貴重な水を独占することで、独裁者として君臨している王イモータン・ジョーが支配する砦は、様々なメタファーとして深読みすることが可能です。
たとえば、男性原理が支配し成員に過剰な束縛を強いる家父長制、または、少数の利権参加者のみが富を独占するグローバル資本主義、あるいは役職に代表される権威によって不合理が罷り通るヒエラルキー的なシステムの企業や役所など、人は砦に対して様々なメタファーを投影することができます。
実際、原始的な社会集団では、イモータン・ジョーの砦のシステムのように、王や酋長が女や財産を独占している形態も珍しくないので、社会的生物としての人間の存在そのものを問うているとも言えます。
アマゾンの熱帯雨林で暮らすインディオの探査旅行の体験を綴った文化人類学者レヴィ=ストロースの名著『悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス) 』でも、多くの部族が酋長が女や財産を独占するシステムを作り上げていることが記述されています。


4. フェミニズム映画、もしくはガーリー映画としての『マッドマックス 怒りのデスロード』

今回のマッドマックスが、普段はアクション映画に興味を示さないタイプ(私もそうです)の人々、とりわけ女性から、数多く語られているのは、この点が大きいと考えます。
砦の中で、産む機械として扱われている女性達(劇中ではワイヴス)が 、稀少財であるが故に享受できている特権的で、ある意味居心地の良い状態から逃れ、自由を求めて荒野の中に飛び込んで行きます。
監督はこのプロットが必然的に、フェミニズム的な視点を映画が内包することになったとインタビューで語っています

ただ、『「マッドマックス 怒りのデスロード」には中年のオバチャンが出てこない 』というブログを読んでから気になっているのは、女戦士フュリオサが救済を試みるのは、若く美しい女たち(ワイヴス)だけです。


そう言えば、冒頭で乳牛扱いされている中年女性のグループが出てきます。
飲料となる母乳を搾乳機で絞りとられている彼女たちも、十分に抑圧され、搾取されているだろうに、救済対象になっていない。


いろいろと理由を考えてみたのですが、 ワイヴスが逃亡した後の部屋のシーンで、積み上げた本やグランドピアノが映ります。劇中で書物が登場するのは、この場面だけです。
ワイヴスは、稀少財として特権的なポジションにいたため、自由意志を育む教育機会と教養を持ち合わせていたので、隷属的な状態から逃れることを選んだのではないかと。


ワイヴスたちの森ガール的(いまでも、この単語使われているのか?)なヒラヒラしたガーリーな存在感は、ソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイド』を彷彿とさせます。『マッドマックス』と『ヴァージン・スーサイド』って、いままで内容も客層も対照的な映画だったはずですが、この『マッドマックス』最新作では、ヒャッハー!なテイストとガーリーな感性が、奇跡的なマリアージュを成就しています。
ワイヴスに、蒼井優や二階堂ふみとか入ってても違和感ないくらいに。


5. ミャンマー在住外国人としての『マッドマックス 怒りのデスロード』

上述の論点は、おそらく全部誰かが言ったり書いたりしていることでしょうから、ミャンマー在住者としての視点を加えてみます。
在ミャンマー日本人にとって、イモータン・ジョーの砦は何を指すのでしょう?
政府高官とクロニーが利益を独占する歪な経済体制?、出自による貧富の差が固定化した閉鎖的な社会システム?、客が日本人だけの日本食レストランで群れるミャンマー社会から隔絶した微温的な日本人村社会?
考えていますが、答えは出ていません。

独裁者を倒したフュリオサたちは、砦の麓に住み、イモータン・ジョーが時折、自分の権威を示すために水を与えていた襤褸を着た下層民を何人か砦に引き上げています。



こんなことして大丈夫なのでしょうか?
前例ができると、他の人々も砦に上がる権利があると考えるのではないでしょうか?
冒頭のシーンで見ると、下層民の群衆は数万人単位ですが、これだけの人口を養うだけの食料生産力や水の供給量が砦にあるのかは疑問です。

不合理な独占状態からの解放や貧困からの自由は、基本的に豊富な資源や生産力を背景として成立します。平等に分配するリソースが不足している場合、国家や権力者が強権的にリソースを分配しないと、混乱と紛争が多発する状態に陥いる可能性が高いです。そして多くの場合、イモータン・ジョーの組織や、かつてのミャンマーのように、権力者がリソースを独占する専制的なシステムが採用されます。
独裁制からの解放による民衆の祝祭的な気分が去った後、フュリオサは砦とそれを取り巻く下層民に対して、現実的な資源配分を実現できるのでしょうか?
フュリオサの姿が、アウンサンスーチ女史の姿に重なりました。

最後にマックスは、仲間と共に砦に入らずに、一人荒野の中に歩み出て行きます。
魅力的で優れた作品は、「これは私(俺)だけに宛てて作られた作品だ!」という誤解を受け手に与えます。
若きウェルテルの悩み (新潮文庫) 』を読んで、「ウェルテルは俺だ」と思った、当時のドイツの若者が、作中のウェルテルを真似て黄色のチョッキ着て、相次いで自殺したように。『風と共に去りぬ 第1巻 (新潮文庫) 』を読んで「スカーレットは私よ」と感じ、因習に縛られた南部の白人社会から出奔する南部女性が後を絶たなかったように(想像)。『ノルウェイの森 上 (講談社文庫) 』が、日本でベストセラーになった時は、ワタナベ君気取りのナルシスティックな男子が大量発生したように(事実)。
「マックスは俺だ」と映画から宛てられた啓示に(ちなみに主演のトム・ハーディーとは1ミクロンも似てません)、 どう応えれば良いのでしょう?
再び荒野の中に彷徨い出たマックスに、安住の地はあるのでしょうか?
まだ、答えは見つかっていません。
もしかすると、それを求めて毎晩DVDを観ているのかもしれません。

おまけ

この視点は自分にはなかった。マドッマックスは深い。
水耕栽培農家の視点から見る「マッドマックス 怒りのデス・ロード」


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