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待ち合わせの場所は、ダウンタウンのギャラリー〈Burm/art〉だった。マハバンドゥーラ通りの東端にあるそのギャラリーは、現地に住むアメリカ人女性が運営していると聞いた。
ギャラリーでは個展が開催中だった。磁器の立体作品がいくつかの台座の上に置かれていた。壁に取り付けられた作品もある。台座の上の作品群は、植物と女性像や人体パーツが融合した不思議なフォルムのものだった。ぱっくり開いた大きな傷口を持つトルソーには、内部から伸びた枝が複雑に交差し、葉を茂らせ、棘を尖らせ、花を咲かせていた。壁に取り付けられた蛇をモチーフにした作品群も胴部から触手のような突起が飛び出し、葉と花が絡みついた内臓を備えていた。
面会の約束をしていたSoe Mayの作品だった。彼女はアメリカのアート誌に「注目すべき三〇歳未満の三〇人のアーティスト」の一人に選出されたこともある。日本でその記事を読んだ私は、今回の面会を申し込んでいた。アメリカとミャンマーを行き来している彼女は折良く私のミャンマー訪問時に一時帰国していた。
ギャラリー内の壁で仕切られた事務スペースから二十代後半の中国系の女性が現れた。
「Soe Mayさん?」と私は声を掛けた。
「連絡してくれた日本の人?」と彼女は言った。
「そうです。お会いできて嬉しいです」
背は高くないが恰幅が良い体型で、セミロングに伸ばされた髪は額で横分けされていた。化粧気はない。Vネックのシンプルな黒のワンピースを着ていた。
彼女の促すままに傍のテーブルを挟んで向かい合わせてに腰掛けた。
初対面の挨拶を済ませると展示されている彼女の作品について尋ねた。「磁器の立体作品ばかりなのは何か理由はあるの?」
「私は中国系ミャンマー人の三世としてここで育ったの。私の実家は、ここの近所のチャイナタウンにある。家には先祖の代から伝わる花瓶や茶器があって、磁器は身近な素材だった」
「自分の民族的なアイデンティティを反映させるためにこの表現を選んだ?」
「最初はそんな深い理由はなかった。創作を始めたのも化学を学ぶつもりでシアトルに留学したんだけど、定員いっぱいで入れなくてファインアートの学科に入ったのがきっかけ。いろいろと試してみたけど、絵筆でカンヴァスをなぞるより、手で直接粘土を捏ねる方がしっくりきたの」
「人体のパーツと蛇が作品のモチーフになってるけどこれはなぜ?」
「人体パーツの作品はある種の自己像ね。伝統的なミャンマーの社会が求める女性性に対する違和感や自分の内側にある他者性が表れている。蛇はいろんな意味に表彰化されることに惹かれるの。邪悪さの象徴とも吉兆とも見られる。ミャンマーの神話では守護神のひとつでもある。そしてわたしの干支は蛇なの」
「二つとも君のアイデンティティに根ざしてるんだ。どちらのモチーフにも内部が露出してて中に植物のようなものが見えるね」
「自分の経験や精神性のいろんな要素が出てきたみたい。受けた傷と生命力、死と再生、儚さと永遠性、どうとでも解釈できるけど自然に湧き出てきたものなの。作ってるうちに自分のアイデンティティが自然に現れた感じ」黒めがちな瞳を真っ直ぐに向けて彼女は答えた。「故郷を離れて創作を始めたアメリカでの孤独感や疎外感、それ以前にも、ビルマ人がマジョリティであるミャンマー社会に、中国系ミャンマー人として完全に溶け込めなかったことも関係してるかもしれない」
対立する多様な要素を含みながら、それらを一体化した彼女の作品は彼女の出自や経験も反映されているようだ。「君の作品にはミャンマー的な土着性と同時に世界に繋がる普遍性も感じさせる。閉じられた部分と開かれた部分が両立している。それは君が中国系ミャンマー人であることやアメリカでの経験が反映されたからなんだ」
「おそらくそうなんだろうけど、あまり自己分析はしないことにしてるの。それが足枷になって作品の幅が狭まるのを避けたいから」
「それもそうだね」と私は答えた。「ところで僕は日本の福岡というところに住んでる。あまり知られてないけどヤンゴンの姉妹都市でもある。ここに福岡南アジア美術館という南アジアの現代美術に特化した市営の美術館がある。ここに作品を収蔵することに興味がある?」
「その場所もその美術館のことも知らないけど、公営の美術館に私の作品が展示されるのは魅力的ね」
「それにASEAN各国からレジデンス・アーティストも招聘している。一定期間住んで、創作活動のためのアトリエが提供されるし、ワークショップを開催することもできる。よかったら向こうに、いま受け入れ枠があるかどうか確認してみるよ」アメリカのアート誌に取り上げられた実績のある新進アーティストなら美術館側も受け入れに積極的だろうと予想して提案してみた。
「制作拠点にしてるアメリカとASEANで最大の現代美術のマーケットのあるシンガポールでの活動で手一杯だから日本のことは考えたことがなかった」と彼女は戸惑いがちに答えた。「ミャンマーには条件に合う窯と粘土素材がないからシアトルの工房を借りて制作してるんだけど、そうした制作に必要な環境は用意してもらえるの?」
「大丈夫だと思う」
「考えてみるわ。アメリカよりも日本の方が近いから制作拠点としては便利だし」
「それに東京より福岡の方が南アジアに立地が近い分、文化的な親和性がある。日本で初めてアジアの現代美術展が開かれたのも福岡だし」さらにひと押ししてみた。彼女の創作するユニークな立体作品を東京よりも先に紹介したかった。「帰国したら担当の学芸員と相談してみる」
「わかったわ。まだ、決めてたわけじゃないけど。日本に行くことは考えたことがなかったし」
「できるだけいい制作環境が準備できるよう交渉してみる」
「ありがとう。条件次第で考えてみるわ」
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