2016年12月31日土曜日

おそらく経済的な意味でのフロンティアではないミャンマーが、フロンティアである理由 (4)

本章の前半「3. 経済的フロンティアではないミャンマーは何のフロンティアなのか?〜それでもミャンマーに来る理由(上)」の続きです。
 

3. 経済的フロンティアではないミャンマーは何のフロンティアなのか?〜それでもミャンマーに来る理由(下)

(3) 脱グローバリゼーション、あるいはポスト資本主義の拠点としてのミャンマー

a) よりゆっくり、より近く、より寛容に

水野氏は上掲の著書で、近代を特徴付ける原理を「より速く、より遠く、より合理的に」と定義しています。そして21世紀の原理は「よりゆっくり、より近く、より寛容に」になると予測しています。

これを株式会社にあてはめれば、毎年毎年、増益計画を立てるのではなく、減益計画で充分だということです。資本を『過剰』なまでに蓄積して『より遠く』行動することは、将来の不良債権を積み上げていることに等しいからです。
企業が利益を確保するのは、消費者があれもこれもほしい、しかも早くほしいといっているときです。そこでは『より多くの利益を計上して』、大工場を建設、大量生産して、大規模店舗であれもこれも品揃えすることが、国民の幸せにもつながりました。しかし、もはや多くの人は、あれもこれもほしいとはいっていないのです」(P226)水野和夫著『株式会社の終焉』(ディカヴァー・トゥエンティワン、2016年)

先進国の消費者が「あれもこれもほしいとはいっていない」ため、グローバル企業は新たな市場を探して、ミャンマーを含む開発途上国へ進出していますが、前章「2. ミャンマーが経済的なフロンティアではないのは、ミャンマー国内の問題以外の要因も大きい」で論じたように「“低開発化”された“周辺”は“中核”とは異なる道を歩んでいるので、同じような成長をすることはできない」可能性が高いため、先進国と同様の市場が開発途上国に立ち上がることはおそらくないでしょう。単価が安いマス向けの消費材以外の市場展開は難しいのではないかと思います。
途上国向けに、機能や性能を絞り込んだ安価な医療機器や農耕機を開発して販売するという手法(リバース・イノベーション:従来製品の20%の価格で、70~80%の性能を実現する)もありますが、先進国市場に比べて利益率は相当に低くなります。その分、大量に販売して売り上げの増加を図る戦略になりますが、物流・商流のインフラが整備されていない地域では、販管費も上昇するため利益を上げるのは容易ではありません。費用対効果を考えるとこうした制約の多い市場では、株式会社よりも、投資リターンに対する縛りの少ないNGO・NPOのような組織に適した活動領域のように思われます。

そもそも、ミャンマーのような自給自足的な村落共同体がまだ存在する国へ、資本主義的な市場競争原理を導入することが、この国の人々にとって本当に幸せなことなのか疑問です。
むしろ21世紀の原理が「よりゆっくり、より近く、より寛容に」になるなら、いたずらに資本主義的な市場競争原理を導入するより、現存するコミュニティを生かした、新しい時代の社会モデルや経済システムへ改変・整備していく方が建設的ではないでしょうか。
ミャンマーは、まだ多くの地域が資本化されおらず「よりゆっくり、より近く」が実現されているため、他の先進諸国よりは21世紀の原理への適応が容易いはずです。

ミャンマーは、他の先進諸国に比べて「より寛容」でもありますが、今のところ「より非合理的」な側面が強いので、教育や法律等の社会制度で修正すれば、21世紀の原理に適合した新たな社会モデル・経済システムが構築できる可能性があります。
2章(2)項で引用したように、「これからの時代は、これからの時代は主体が多元化し、(ちょうど中世において教会やギルド、都市国家など多様な主体が幅広い活動を行っていたのと同様に)NGO・NPOや企業など様々な非国家的主体が活躍するようになるという点にある」ならば、現在でも多数の国からNGO・NPOが活動しているミャンマーでは、多様な活動主体によって分散的な(中央集権的ではない)手法や技術で、インフラ(流通、電力等)やシステム(教育、医療等)を改善・整備していく可能性が開かれているかもしれません。
この辺は門外漢なのですが(他者への奉仕の精神の薄いエゴイスティックな人間なので、ミャンマーに来るまでNGO・NPOで活動する人を一人も知らなかった)、途上国の都市化が難しい僻地で、ローテクな技術で水質改善や夜間照明等を実現するNGO・NPOの近年の試みについて、読んだことがあります。



b) 低欲望社会の実現は悪なのか?〜解脱という認知の転換

消費者が「あれもこれもほしいとはいっていない」状態を大前研一氏は低欲望社会と名付け、消費を活性化させるために、新たな欲望を喚起することを呼びかけています(実は読んでないのですが、たぶん氏の立場からはそうだと思います)。
しかし、企業によって欲望を駆り立てられて、消費に励み、その消費を賄うことを目的に働いていた、近代の消費システムが普遍的で、21世紀も存続するとは限りません。

ミャンマーで最も影響力があり、かつ多くの人々(約九割と言われています)に信じられているのが、上座部仏教です。この仏教の教義の中に、脱グローバル資本主義的なライフスタイルのヒントが眠っているかもしれません。
上座部仏教の教義について、以前、仏教について書いた投稿を引用しながら説明します(詳しくはこちらの投稿をご覧ください)。
仏教の世界観として「人生は苦である」というテーゼがあります。これを聞くと一般的に苦痛を連想するのですが、「苦」は上座部仏教ではより広い射程を持つ概念です。英訳では「unsatisfactoriness(不満足)」と訳されているそうです。「不満足」を「欲望を抱えた状態」と言い換えてもよいでしょう。
仏教的な概念で「苦」は、「己の快感原則(=快感を追い求めて不快を避けるという生物の基本傾向)にしたがって欲望の対象を恋い求め、その衝動に条件付けられて行為している」(P56)状態にあり、その行為によって欲望が満たされ、欠落感が埋められれば、自分の「渇愛(タンハー、喉の渇いた人が水を求めるような強い欲望)が満たされる」という、欲望と代償行為の無限ループの内側にいる状態(不満足に終わりがない状態)を指します。
具体的言えば、「『同僚のあの女は素敵なバックを持っていて悔しい』と思って、一生懸命に働いた給料でバックを買う。バックを買うことができたら『やった~』と思って喜ぶかもしれないけど、徐々にその喜びも薄れてきて、今度はまた『あの女はあんな素敵な服を着ていいて悔しい。畜生、私も買わなきゃ』みたいな感じになること」ですね。

ゴーダマ・ブッタによれば,苦の根本原因は『渇愛(喉の渇いた人が水を求めるような対象への強い希求)』である。そして、その渇愛を滅尽させることができれば、私たちは『無為』、即ち、条件付けられておらず、世間を超出した境域に達することができますよと、彼は教えているわけです。この『世間を超出した境域』のことを、仏教用語では『出世間(ロークッタラ)』と呼びます。
いうなれば、上座部仏教の修行僧は、『世間を超出した境域』し、「脱欲望」あるいは「滅欲望」が達成された涅槃の境地へ至るために修行しています。
もちろん、すべての人間が解脱する必要はないし(私はたぶん無理)、すべての人間が解脱してしまうと人類は滅亡します(解脱すると、労働も生殖もしなくなるから)。

ただし仏教が、紀元前五世紀頃のインドで、中国の老荘思想、ギリシャ哲学、中東の旧約思想らと共に、「普遍的な原理」すなわち「特定のコミュニティを超えた『人間』という観念をもつと同時に、何らかの意味での”欲望の内的な規制”あるいは物質的要求を超えた価値を説いた点に特徴をもつ」思想として生まれたことは注目に値します。(P5)広井良典著ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来(岩波新書、2015年)

また、異なった地域で同時多発的にこうした仏教を含む普遍性を持つ思想が生まれたことについて「その背景ないし原因は何だったのだろうか。興味深いことに最近の環境史(enviromental history)と呼ばれる分野において、この時代、中国やギリシャ、インド等の各地域において、農耕と人口増加が進んだ結果として、森林の枯渇や土壌の浸食等が深刻な形で進み、農耕文明がある種の(最初の)資源・環境制約に直面しつつあったということが明らかにされてきている」(前掲書P8)と要因が述べられています。

現在でも地球上の人類すべてが先進諸国同様のライフスタイルを送るためには、地球があと2つか3つ必要になると議論があります。ならば、2500年前に資源・環境制約に直面した農耕文明から生み出された仏教の智恵に学ぶところは大きいはずです。
上述したように、仏教の「”欲望の内的な規制”あるいは物質的要求を超えた価値を説いた点」は、出世間・解脱・涅槃という概念で表されていますが、”外的な限界”(資源・環境制約)が意識されている現在、「低欲望」であることは決して悪いことではないと思われます。
先進諸国の”内的な限界”(欲しいものがない)という心的な状態も、仏教的な価値観からすれば、むしろ望ましいはずです。日本でも昔から「足るを知る」という言葉がありますし。
すべての人が「脱欲望」あるいは「滅欲望」を達成した涅槃の境地に至る必要はありませんが、「欲望の内的な規制」に対して肯定的な仏教的な価値観を見直して、「物質的要求を超えた価値」を再認識・再評価する時代に入ってきたような気がします。
そして、ミャンマーその種の気付きに最適の地です。スピリチュアル関係の愛好者の多いアメリカでも、今では禅よりも上座部仏教の方が人気があり、ワークショップ等の受講者が多いとの記事をどこかで読みました。

c) 地域への着陸〜家内生産工業の復権

これから定常化する時代に入り、広井氏の言うように「”地域への着陸”という方向が進み、また『経済の空間的なユニット』がローカルなものへシフトしていく時代において重要になってくるのは、地域においてヒト・モノ・カネが循環し、そこに雇用やコミュニティ的なつながりも生まれる」(前掲書P100)ような「コミュニティ経済」が生成するならば、過去50年間にわたり鎖国していたため、グローバリゼーションから取り残されていたミャンマーは「(資本主義システムにおいてひたすら”離陸”していった)市場経済の領域を、その土台にあるコミュニティそして自然につないでいく経済」(前掲書P100)を作り上げる場として、ミャンマーは最適ではないでしょうか。
(上座部仏教を中心とする)宗教的なつながりや小規模な家内生産工業が存続するミャンマーは、こうした新しい社会・経済モデルを構築する場所になりうる可能性があります。

家内生産工業について、衣服の文化を例に取れば、ミャンマーでは生地屋で購入した民族衣装(ロンジー)用の生地で、街にたくさんある仕立て屋で民族衣装を仕立てて着ることが、いまだに主流です。日本では近代以降失われてしまった着物文化とよく似た衣服の文化が、リアルタイムに息づいています。

日本にも、ポートランドやブルックリンの新しい地産地消のビジネスモデルがクールな生産・消費形態として紹介されることが多くなりましたが、こうしたムーブメントも社会・経済の「地域への着陸」が可視化されてきた表れだと考えられます。

手前味噌になりますが、私も現地のNGOに縫製をお願いして、ミャンマーで生産された生地を使用した衣服や雑貨を製品企画して、ミャンマーで販売しています。
縫製請負業は、天然資源・農産物の輸出を除くとミャンマー最大の輸出産業です。ただし、発注元がファースト・ファッション企業のため、ミャンマーで生産されているにも関わらず、生地等の素材はすべて他国から輸入されており、デザインもミャンマーの文化や地域性を反映されたものではありません。
こうした事象への問題意識が、ミャンマー製の生地を使用した、衣服を製造・販売するきっかけの一つになりました。
個人を含む多様な主体(NPO・NGO・中小企業)による小さな実践の積み重ねが、多様な産業の「地域への着陸」ひいては「コミュニティ経済」として結実するのはないかと考えています。

私のささやかな実践について詳しくは、こちらのFBページをご覧ください(”いいね”してくださると嬉しいです)。

(4) 精神的フロンティアとしてのミャンマー

広井氏は資源・環境に直面した人類の定常化の時代を「物質的生産の外的拡大から内的・文化的発展」(前掲書P236)をする時代として、積極的に捉えています。
実際、過去の定常化の時期において、加工された装飾品、絵画や彫刻なのどの芸術作品(約五万年前)、旧約思想・儒教・ギリシャ哲学・仏教といった「普遍思想」が現れました(紀元前五世紀)。こうした現象は、人類学者や考古学者の間で「心のビックバン(意識のビックバン)」と呼ばれています。(前掲書P7)
今後、これまでの定常化時代同様に同時多発的に「心のビックバン(意識のビックバン)」が発生するなら、(3)項に述べたように、新たな時代に対応する条件が整ったミャンマーもその発火点の一つとなる可能性が高いでしょう。

歴史の中で価値観が転換するまで、約100年間かかると言われていますので、実際にそうした現象が確実に可視化されるのは、ローマ・クラブが『成長の限界』を発表した1972年から起算すると2070年あたりになるのでしょうか。同時期に地球人口も定常化に転じますので、この時代前後に新しい「内的・文化的発展」が現れても不思議ではありません。
おそらくその頃私は生きていませんが、先駆け的なムーブメントも現れると思います。
たとえば、18880年代のイギリスでは、産業革命の結果、工場で粗悪な商品が大量生産されることになったことへの問題意識から、労働の喜びや手仕事の美しさの復権を目指した、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動(モリスは中世に憧れていました)が起きました。アメリカでも、1950年代には文学運動ビートニク、1960年代にはロック等のカウンターカルチャー連動したヒッピー・カルチャーが生まれています。

これから起こるであろう「心のビックバン」のプロセスをかぶりつきの場所で見たい方は、ミャンマーにいらっしゃるのも魅力的な選択肢の一つとしてお勧めできます。
ミャンマーは、経済的なフロンティアとしては、かつて喧伝されていたほど魅力的な場所ではないかもしれませんが(少なくともここ5年間の成果を見る限り)、精神的なフロンティアとしては、大きな可能性を持った場所であると個人的には感じています。

書き出すと思ったよりも長くなりました。ある程度の論証を入れないとトンデモな結論としか見えないので(入れてもトンデモかもしれませんが)、かなり最近読んだ本からアイディアを借用し、引用することになりました。論拠となる本を執筆された、水野・広井両氏に深く感謝いたします。自分がミャンマーでやっているプロジェクトを改めて歴史的な文脈や世界的なムーブメントの中で位置付けする意味でも良い機会になりました。
末筆ながら、最後まで読んでいたただいた読者の方(いらっしゃいますか?)に感謝の念を捧げて、今年最後のブログを締めくくりたいと思います。

2016年12月31日 ヤンゴンのサンチャウン通りにて

いつもサンチャウン通りのWin Starでビールを飲んでばかりなので、久々に思考力を使いました。
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