2016年12月29日木曜日

おそらく経済的な意味でのフロンティアではないミャンマーが、フロンティアである理由 (3)

 前章、「2. ミャンマーが経済的なフロンティアではないのは、ミャンマー国内の問題以外の要因も大きい」の続きです。

3. 経済的フロンティアではないミャンマーは何のフロンティアなのか?〜それでもミャンマーに来る理由(上)

(1) 経済成長という神話

政治家は成長戦略を、企業経営者は前年比増の営業益達成を目標として語りますが、そもそも経済成長はいかなる時代、環境においても可能な目標なのでしょうか?、あるいは目標となるべきテーゼなのでしょうか?

広井良典著『ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来』(岩波新書、2015年)によると、人類は20万年の歴史の中で拡大・成長の時期と定常化の時期を繰り返してきました。

それまでの狩猟採集に加えて、「人類は約1万年前に農耕という、新たなエネルギーの利用形態を始める」(前掲書P4)ことになりました。農耕の始まった1万年前から、ローマ帝国最盛期のBC200の間に人類の人口は、400万人から2億人の50倍に拡大しています。

その後、「農耕が土地の有限性等の資源・環境的制約にぶつかって成熟・定常化する(それが大づかみに言えば私たちが”中世”と呼ぶ時代に重なることになる)」(前掲書P4)になります。

石器による狩猟採集時代を第一の「拡大・成長期」、農耕による人口増・都市化の時代を第二の「拡大・成長期」、中世を経た工業化・産業革命により飛躍的な生産性が向上した時代を第三の「拡大・成長期」とすると、「人類の歴史の中でこの第三の拡大・成長と定常化サイクルの全体が、(近代)資本主義/ポスト資本主義の展開と重なるというのが、本書の基本的な問題意識となる」(前掲書P6)という見立てを著者はしています。

つまり、今現在を第三の拡大・成長期(資本主義)が終わり、定常化サイクル(ポスト資本主義)が始まった時期と著書はみなしています。

第三の拡大・成長期の資源的限界が広く意識されたのは、1972年ローマ・クラブが『成長の限界』を発表し、翌73年にオイルショックが起きた時期です。
このような”外的な限界”の他に、先進国内では「『高度大衆消費社会』が現実のものとなる中で、言い換えれば”モノがあふれる”ような社会が浸透していく中で、人々の需要が徐々に成熟ないしは飽和し、かつてのように消費が際限なく増加を続けるという想定が維持できなくなるという、いわば”内的な限界”とも呼ぶべき状況」が起こっています。
大前研一氏のいうところの低欲望社会の到来ですが、この現象については、次の(3)項について、別の視点から肯定的な側面を論じます。

経済成長がそのものが政府の目標となったのは、比較的新しく「アメリカでは第二次世界大戦後になってはじめて、景気循環の抑制や大量失業の回避といった長年の優先事項に代わって、成長の主要目標となった」(前掲書P50)とのことです。

第二次世界大戦後から70年代初頭のオイルショックにいたる期間は、資源・環境的制約は広く意識されませんでしたし、戦後の強烈な需要といった状況では、達成可能で、魅力的な目標に見えたかもしれませんが、企業の過剰生産力と消費の飽和状態といった外的・内的な限界に突き当たった時代の我々からすると、いささか説得力に欠けます。
では、あるべき次の時代のイメージはどんなものになるのでしょう?

(2) 中世への回帰、あるいは新しい中世

中世から近代への移行期のルネサンスの時代、新しいモデルの雛形として参照されたのは、古代ギリシャローマ文化でした。
それまでの宗教的価値観に代わる、合理性・現世的欲求を求める反中世的精神運動の論拠として、当時より約1000年前以上前の地中海文化が召還されました。ルネサンスはフランス語で「再生」を意味します。
いま我々が立ち戻って、現在地から未来への見取り図を描くためのヒントを探す過去の参照点があるとすれば、いつの時代になるのでしょう?

そう言えば、『逝きし世の面影』という明治初期の江戸時代の文化を色濃く残す東京を、鮮やかに掬いとって、描出した本がしばらく前に話題になりました。当時、訪日した外国人(主に欧米人)によって書かれた旅行記・日記などの多岐にわたる文章を丹念に猟集し、テーマ毎に編集した形式で構成されている労作です。あの本が話題になったのも、現代に暮らす日本人が、効率性や社会に規定された労働や時間とは無縁の前期代的な価値観のもとに暮らす江戸の庶民にノスタルジーと共にある種の共感を持ったためではないかと思います。
逝きし世の面影』の舞台となっているのは近世ですが、前章で引用した水野和夫氏の書籍でも、本章で上に引用した広井良典氏も現在と未来を見通すための参照点として、中世を持ち出しています。



以下に両者の中世に対する認識を述べた箇所を引用します。

1450年〜1650年のおおよそ200年間は、中世が終わり近代が始まる大きな歴史の転換期で、『長い16世紀』(ブローデル)と呼ばれています。
この『長い16世紀』も21世紀も、どちらも投資先がないという点で共通しているのですが、現在の状態には『長い16世紀』のときとは決定的に異なる点があります。それは地球が閉じたことです。したがって、日独のマイナス金利は今後、米英、そして中国へと伝播していくと考えられます」(P186)『株式会社の終焉』(ディカヴァー・トゥエンティワン、2016年)

(世界人口の増加率が減少に向かいつつあることについて)「21世紀の後半には、年0.28%しか増えない。これは産業革命期の(1500〜1850年)の人口増加率年0.29%と同じです。アフリカを除いた場合には、マイナス0.12%となり、ついに人口減速の時代を迎えることになります。
<中略>
人口減少社会を資本側からみれば、購買者が減少する社会ということです。同じことがローマ・カトリック教の世界でも起きました」(前掲書P188-P189)

『二十一世紀に向けて世界は、高齢化が高度に進み、人口や資源消費も均衡化するような、ある定常点に向かいつつあるし、またそうでなければ持続可能でない』という認識ないし展望は、ある意味で不可避のものと言えるのである」(P62)広井良典著『ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来』(岩波新書、2015年)

『新しい中世』論のポイントの一つは、国民国家が中心的なアクターとなっていった近代世界システムに代わって、これからの時代は、これからの時代は主体が多元化し、(ちょうど中世において教会やギルド、都市国家など多様な主体が幅広い活動を行っていたのと同様に)NGO・NPOや企業など様々な非国家的主体が活躍するようになるという点にある」(前掲書P63)

なぜ世界が『新しい中世』に向かい、またそこでの主体が多元化していくのかの背景ないし根拠を考えると、それは本書で見てきたような。十六、十七世紀から続いた『市場経済プラス拡大・成長』としての資本主義システムが、成熟化ないし定常化する時期を迎えつつあるからに他ならない。つまり、拡大・成長の”急な坂道”を上る時代には、国家を中心とした集権的かつ一元的なベクトルのもとで社会が動いていくが、そうしたベクトルが後退する定常化の時代には活動主体も多元的になり、また地球上の各地域も一様の方向に向かうのではなく、むしろ多様化していく」(前掲書P63)

21世紀後半には人口増加が止まり、人類全体が高齢化するため、市場はそれ以上の拡大は望めないという見通しは、両者に共通しています。
広井氏の場合、ポスト資本主義を予想するという著書の性格上、社会システムも定常化に適応したシステムが採択されるという部分まで踏み込んだ予測がされています。
考えてみれば江戸時代も精緻に組成された定常社会でした。そうした社会の風俗や日常を扱った書物が話題になったのも、日本の人々の意識が定常的な社会システムへと向かっている兆しかもしれません。
ミャンマーにおいては、中世の教会や寺院がそうであったように、僧院やパゴダがコミュニティの中心にあり、強い求心力を持っています。
また、各国のNGO・NPOなどの「多様な主体が幅広い活動を行って」いることを鑑みると、かなり中世的な社会のありようだと言えるかもしれません。
もし、水野、広井両氏の主張するように、これから世界全体が定常化すなわち「新しい中世」に向かうのであれば、現代のミャンマーにはその萌芽や可能性が数多く存在する。
次項では、私が気がついた限りにおいて、そうした事象を掘り起こしてみることにします。


  

これから先に進むのは、思考を整理する必要があるため、時間がかかりそうなので、ここでいったん中断します。
近所のWifiを使えるカフェで書いていますが、あまり長時間居座るのも気が引けるので。

次回
3. 経済的フロンティアではないミャンマーは何のフロンティアなのか?〜それでもミャンマーに来る理由(下)
に続きます。

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