2016年12月28日水曜日

おそらく経済的な意味でのフロンティアではないミャンマーが、フロンティアである理由 (2)

前章、「1. たぶんミャンマーは経済的な意味でのフロンティアではない」の続きです。

2. ミャンマーが経済的なフロンティアではないのは、ミャンマー国内の問題以外の要因も大きい

そもそも投資先としてミャンマーが注目されるようになったのは、約5年前に事実上の鎖国を解除した政治的な転換の他に、先進国諸国が過剰生産力(過剰資本)に見合う市場を見つけられなくなっているから(需要不足)という理由があります。
もちろん、こうした過剰生産力の行き着く市場として途上国が注目されたのは、ミャンマーが最初ではありません。ゴールマン・サックスがBRICSレポート(「Dreaming with BRICs The path to 2050」)を2003年10月に発表したのを嚆矢とするのが一般的な認識でしょう。
さて約15年間にわたって展開された、資本主義経済から隔離されていた国の市場をグローバル企業の新興市場に転換するある種の社会実験だったのですが、成果はどうだったのでしょう?
詳細は分かりませんが、どうもインドの一部の地域と中国の沿海部以外はぱっとしないのが実態ではないしょうか。それ以外の地域が発展して、独自の産業を生み出したとは聞きませんし。
考えてみれば歴史の発展過程が、単線的・直線的に発展するというマルクス経済主義的な進歩史観は、社会や(経済を含む)制度は環境や民族固有の神話を変数とした方程式の解に過ぎず、すべての現象は相対化して評価すべきという構造主義的な分析方法に塗り替えられて久しいので、途上国がG7やOECD参加諸国同様の発展段階を経るという仮定はかなり厳しいような気がします。

以下に同様の主張のリンクを貼ります。

ブラジル・ロシア・インド・チャイナという“周辺”が成長して、世界経済をけん引するというシナリオなのですが、このシナリオは、単線的発展段階論の考 え方で、遅れた国がいずれ進んでくるということを前提にしています。インドはいずれイギリスになるというような考え方です。最初は鳴物入りだったこの議論も、最近は思ったような成長発展が見られず、ずいぶんと旗色が悪くなってきています。結局、“低開発化”された“周辺”は“中核”とは異なる道を歩んでいるので、同じような成長をすることはできないのです

ミャンマー(ビルマ)に限って言えば、1886年に王制から英植民地になり、第二次世界大戦中の一時的な日本軍占拠時代を経て、1948年独立国家、1962年社会主義国家化、1988年の軍政期以来2011年末まで事実上の鎖国という歴史を辿っていて、そこに資本主義的なシステムの痕跡を探すことは困難です。
ミャンマーへの進出を検討する海外企業は、自国同様のマーケットがミャンマーに存在するという前提を捨てるのが妥当でしょう。それぞれの国・土地には固有の歴史や文化があり、それが海外からの投資に不向きだからと言って文句を言う筋合いは基本ありません。

なぜ、この5年間多くの海外の個人投資家や企業がミャンマーに押し寄せていたのか、最近読んだ水野和夫著『株式会社の終焉』(ディカヴァー・トゥエンティワン、2016年)に準拠して、論を進めます。

日本の10年国債利回りは2.0%以下という超低金利が20年近く続いていました。それは、先述したように『地理的・物的空間』における利潤率が低下したことに起因しています。別の言い方をすれば、設備投資をして製品を作っても儲からない低成長の時代が続いているからです」(P44)

日本とドイツは、10年国債利回りもマイナスとなっていますが、これは、日本とドイツが世界で最も『資本係数』が高い国だからです。資本係数とは民間資本ストックを実質GDPで割った比率です」(P49)

(資本係数が年々上昇していることについて)「資本係数の増加率がプラスだということは、実質GDPより資本ストックの増加率が高いことを意味します

(フォルクスワーゲン、三菱自動車のデーター改ざん問題、東芝の不正会計問題に触れて)「この2つの産業で不祥事が起きたのは、決して偶然ではありません。
近代においては、自動車産業と電気機械産業は特別の産業でした。『鉄道と運河』の時代に実現した『より遠くは』、自動車の出現によって、いつでもどこでも行きたいという個人レベルの『より遠く』、『より早く』の欲求の実現へと進んでいきました。さらに家電産業は、個人に『より合理的に』を付加してくれました。最初はTV、そして次にPC、最近ではスマホが、どこに行けば何があるかを教えてくれます。
つまり、この二つの産業は、個々人が自由に欲望を追求していくことが認められる民主主義の時代にあって、それをかなえてくれる特別な産業となったのです。
そして、日本とドイツという、その産業において最も成功を収めた特別な国(マイナス利回りの国)で、不正事件が起きた。これは近代の限界を示す、何よりの証拠です」(P142-P143)



先進国企業は、国内へ投資しても利潤率が極めて低いか、場合によっては過剰設備となって負の資産になり得る。特に日本やドイツなどの自動車や産業機械の生産・販売が盛んな国では、市場の成長率より設備の増加率の方が高くなる傾向にある。そうした過剰生産力の行き先として目指したのが、2000年代のBRICsであり、近年のミャンマーだったわけですね。グローバリゼーションの帰結と言っても良いでしょう。これは先進国企業側の都合であって、ミャンマー側には関係のない事由です。
ただ、先行指標としてBRICsを見る限り、新興国市場から多大の利益を上げることには、あまり大きな期待はしない方が良さそうです。
むしろ最後発の進出国となったため、ミャンマーは進出してくる企業にとって問題が先鋭化しているような気すらします。実質的な産業基盤が育成されていないのに、土地投機だけが先行して地価が高騰したり、外資系企業で働くスキルのある人材が稀少なため採用条件に見合う人材の人件費がコストに見合わないレベルに上昇したり、といった問題はミャンマーにいる人には広く知られています。
そもそも上述の著書で、著者の水野和夫氏は、経済成長を前提とするシステムの資本主義や株式会社といった制度が限界に突き当たっているため、成長を目指さない新たな定常的なシステムに移行すべきと主張しています。もし氏の言うとおり、現在の利潤率の低下が、グローバル資本主義的なシステムの限界に起因するならば、ミャンマーに(もしくは他の新興国に)投資しても根本的な問題が解決することはありません。

それでも、というか、だからこそミャンマーに来る理由があります。少なくとも、ある種の人間にとっては。
次章以降では、それについて記述します。

次章は、
3. 経済的フロンティアではないミャンマーは何のフロンティアなのか?〜それでもミャンマーに来る理由
です。

続きが気になったらクリック!
  ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓  
にほんブログ村 海外生活ブログ ミャンマー情報へ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿