ミャンマー製の雑貨で、デザインや品質の良いものを見つけるのは、なかなか難しいです。縫製や作りが雑で、商品として要求される完成度に達していない、デザインが我流で先進国のトレンドやライフスタイルとマッチしていない。そんなモノが大半です。
当然、作り手はミャンマー人ですが、ミャンマーで生活していると、先進国のライフスタイルや、トレンドの傾向など、知りようがないので、仕方がないと言えばそれまでなのですが。
私はモノが好きなので、ローカルの土産物屋や雑貨屋を良くチェックしていますが、なかなか、これと言ったモノに出会うことがありません。
おそらくミャンマー在住の外国人の多くが、同様に感じていることでしょう。
一方、ミャンマーの伝統的な布工芸は、日本人には思いつかないような大胆な配色、洗練されたパターンの配置で、目も綾な美しさのみならず、見る者を楽しませる、新鮮な驚きをも感じさせます。
こうした素材を使ったレベルの高い雑貨を探して、そろそろ2年経ちますが、未だに見つかりません。どうも待っていても誰も作ってくれそうもないので、重い腰を上げて、実際に自分で企画・製作することにしました。
最初に作ることにしたのは、トートバッグ。
日常的に使うことが多く、モノとして実用性を備えている上、素材とする布のデザインをそのまま生かすことが出来るという理由で、トートバッグを選びました。
実際に取り掛かったのは、半年程前で、近所の雑貨屋でサンプル作成を頼んでみたのですが、やはり縫製や作りが雑で、これでは、とても商品化には漕ぎ着けられそうもないと諦めていました。
その後、障碍者の自立支援をサポートする日本のNGOにより運営されている、研修所を兼ねた工房をご紹介いただき、ようやく製品化に目処が立ちました。
縫製も丁寧だし、こちらの要望も把握して聞いてもらえるので、仕事が進めやすい。なかなかミャンマーでは得難い工房です。
昨日、最初のサンプルの上がりを見たのですが、予想外の完成度の高さでした。
基本的な仕様や作りは、世界標準に達しています。
これに若干の修正や改善を加えれば、実用性・耐久性が高く、素材の持つミャンマー的な色彩感覚やパターンが見た目に楽しいバックが出来上がります。
一つの柄の布から製作できるバックは5個。ミャンマーの流通事情では、安定的に同じ柄の布が手に入らないので、各パターン5個の限定品になりそうです。
もし、ご興味のある方がいれば、お早めにご連絡ください。
製作と平行して、予約販売も受け付けます。
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2014年12月17日水曜日
2014年12月1日月曜日
World Music Festival in Yangon
Inatitut Franc Ais de Birmanieというフランス文化センターのような場所で、11月28日、11月29日の二日間に渡り無料のジャズライブが開催されたので行って来ました。
ミャンマーは基本的に外国人が楽しめるような娯楽やイベントがないので、たまにこういうイベントがあると、外国人が総出でやって来ます。こんなに沢山、外国人がヤンゴンに住んでいるのかと改めて驚きます。
しかも普段の自分の生活圏では見かけないタイプの外国人。ファッション雑誌の街角おしゃれスナップに出て来そうなパリジェーンヌッ!!!とか、ウーピー・ゴールドパークみたいな黒人のオバさんとか、スペイン語を話している国籍不明のグループとか。
会場は敷地内の前庭で、キャパシティは1000人くらい。客層はミャンマー人と欧米人がほぼ半々。ミャンマー人以外のアジア系外国人はあまり見かけませんでした。
初日は、ライブが始まる前から満席で、ずっと立ってるのは辛いなと思ってたら、最初のバンドの演奏が始まって三曲くらいすると二割くらいミャンマー人が帰ってしまい、無事座れました。60年代にウェイン・ショーターがやっていたタイプのジャズで、リズムセクションの間をソプラノ・サックスがピロピロ浮遊するような演奏でした。
これはミャンマー人にはウケないだろうと思ってたら、案の定退屈したようで、どんどんミャンマー人が席を立って行きました(笑)。
モード・ジャズとかミャンマーではまず聴く機会はないし、この種の音楽は学習機会や予備知識のない人が聴いても面白くないですからね。
二日目になると、結構空席が目立ちました。初日は開演前は満席でしたが、この日は七割くらいの客入りです。初日がつまらなかったという噂がミャンマー人の間で、広まったのでしょうか?
二日目の二番目に出たバンドが、このイベント中のハイライトでした。このバンドならお金払ってもでも観たい。
Eliane Amherdというスイスのシンガーソングライターで、歌もギターも上手い。リズム・アンド・ブルースやジャズを基本に、アフリカ的なポリリズムな要素も絡んで、聴いててとても気持ちいい。テイストが近い有名なミュージシャンを挙げるとノラ・ジョーンズあたりか。
何曲かやったカヴァーも秀逸。聴いてて曲名分かったのは、Tom Waitsの"Jockey Full Of Bourbon"、Tamba Trioの"Berimbau"とか。
個人的に一番盛り上がったのは、Ann Peeblesの"I can stand the rain"のカヴァー。
選曲センスもグッドです。
リズムセクションもボトムが太くて、迫力がある上、ファンキーでした。このバンドだけ、明らかにセンスも演奏力も次元が違ってました。
スイスって音楽のレベル高いのかなと思ったのですが、パンフレット読むとEliane Amherdさんはスイス人であるものの、活動拠点はニューヨークで、アメリカのラジオチャートにチャートインしたこともあるそうです。バックのリズムセクションの人たちも、ニューヨークで活動するスタジオ・ミュージシャンみたいです。
やはり層が厚くて、競争率の高いところで活動している人はレベルが高い。
Youtubeにも結構動画があるようなので、ご興味がある方はどうぞ。
ともかく野外で音楽聴きながら、ビール飲むのはとても気持ちが良いものです。このイベントの主催者の方たちに感謝します。ミャンマーにミュージシャンを招聘するのは、ヴィザや機材の輸送等、手続きや準備が大変そうですし。
ミャンマーにもこんなイベントが増えたら、在留外国人の一人として嬉しいですね。
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しかも普段の自分の生活圏では見かけないタイプの外国人。ファッション雑誌の街角おしゃれスナップに出て来そうなパリジェーンヌッ!!!とか、ウーピー・ゴールドパークみたいな黒人のオバさんとか、スペイン語を話している国籍不明のグループとか。
会場は敷地内の前庭で、キャパシティは1000人くらい。客層はミャンマー人と欧米人がほぼ半々。ミャンマー人以外のアジア系外国人はあまり見かけませんでした。
初日は、ライブが始まる前から満席で、ずっと立ってるのは辛いなと思ってたら、最初のバンドの演奏が始まって三曲くらいすると二割くらいミャンマー人が帰ってしまい、無事座れました。60年代にウェイン・ショーターがやっていたタイプのジャズで、リズムセクションの間をソプラノ・サックスがピロピロ浮遊するような演奏でした。
これはミャンマー人にはウケないだろうと思ってたら、案の定退屈したようで、どんどんミャンマー人が席を立って行きました(笑)。
モード・ジャズとかミャンマーではまず聴く機会はないし、この種の音楽は学習機会や予備知識のない人が聴いても面白くないですからね。
二日目になると、結構空席が目立ちました。初日は開演前は満席でしたが、この日は七割くらいの客入りです。初日がつまらなかったという噂がミャンマー人の間で、広まったのでしょうか?
二日目の二番目に出たバンドが、このイベント中のハイライトでした。このバンドならお金払ってもでも観たい。
Eliane Amherdというスイスのシンガーソングライターで、歌もギターも上手い。リズム・アンド・ブルースやジャズを基本に、アフリカ的なポリリズムな要素も絡んで、聴いててとても気持ちいい。テイストが近い有名なミュージシャンを挙げるとノラ・ジョーンズあたりか。
何曲かやったカヴァーも秀逸。聴いてて曲名分かったのは、Tom Waitsの"Jockey Full Of Bourbon"、Tamba Trioの"Berimbau"とか。
個人的に一番盛り上がったのは、Ann Peeblesの"I can stand the rain"のカヴァー。
選曲センスもグッドです。
リズムセクションもボトムが太くて、迫力がある上、ファンキーでした。このバンドだけ、明らかにセンスも演奏力も次元が違ってました。
スイスって音楽のレベル高いのかなと思ったのですが、パンフレット読むとEliane Amherdさんはスイス人であるものの、活動拠点はニューヨークで、アメリカのラジオチャートにチャートインしたこともあるそうです。バックのリズムセクションの人たちも、ニューヨークで活動するスタジオ・ミュージシャンみたいです。
やはり層が厚くて、競争率の高いところで活動している人はレベルが高い。
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Yangon, Myanmar
ミャンマー ヤンゴン
2014年11月22日土曜日
ヤンゴンで注文家具を作った
"男には二種類いる。女を愛する男と物を愛する男だ"
と、のっけからハードボイルド風の箴言で始めてみましたが、私は圧倒的に後者です(笑)。要するにオタク気質なわけです。なので、気がつくとモノがどんどん増えている。
そういう訳で、2年程前にミャンマーで買った本棚がすでに一杯になり、これ以上、収納ができなくなりました。
そのため以前このブログでご紹介したヤンゴンの注文家具屋さん sir. bo ni で本棚を購入しました。 竹の支柱と木の棚板の自然素材を組み合わせた、ミャンマーらしいデザインの本棚です。
作製依頼してから約1週間で完成。気になるお値段は60USD。他の国の注文家具と比べれば、かなりリーズナブルではないでしょうか。
買って1ヶ月程で、もうかなり中身が詰まってます。これ以上モノを増やさないようにせねば。
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ミャンマーでの生活
Yangon, Myanmar
ミャンマー ヤンゴン
2014年9月23日火曜日
【Column】ヤンゴンは女のロマンを打ち砕く街?
ヤンゴンの街を歩くのは、かなりの注意を要します。吐き捨てられたばかりの真っ赤なキンマの痕、車に轢かれてぺしゃんこになったネズミの死骸、犬の糞などの数々の障害を周到に避けながら、歩く必要があります。視察などで来た人は、ホテルと視察場所や会議場等の間を点で移動するので、それほど目の当たりすることはありませんが、ローカルエリアに住んで、実際に生活するとなると、毎日嫌でも目にします。
それ以外にも、舗道の側溝が塞がれていないことがあるため、よく注意して道を見ておかないと排水溝に落ちる危険もあります。下を流れるのは、生活排水やらゴミがヘドロ状に溜まった汚水です。
今回は、デートの途中に排水溝に落ち込んだ経験を書いた、アメリカ人女性(おそらく)のコラムをご紹介します。詳しくは書いてませんが、それがきっかけでボーイフレンドとは別かれたようです。どうもヤンゴンは、女性のロマンスを育むのに向いた街ではないようです。
記事の紹介の前に、いくつか補足しておきます。
文中にある「あなたの目をめがけて揺れる窓からぶら下がった危険なクリップ」とは、アパートの各部屋の窓からぶら下げた連絡及び買い物用のクリップを付けたヒモです。
ミャンマーはエレベーターのない物件が多いので、このクリップに挟まれたメモや新聞を住人が引き上げる仕組みになっています。こうすると、いちいち階段を昇降する必要がありません。
個人的には、あまりアパートの真下を歩くことがないので、実際、これで危険を感じたことはありません。そもそも、ゴミやら生活排水やらが上から何か降ってくる可能性があるので、アパートの真下は歩きません(笑)。
コラムを書いた、Fiona Macgregorさんが落ちたと思しきDhammazediロードにある側溝です。私の通勤路でいつも跨いでいる場所なので、読んでて場所が分かりました(笑)。サボイホテルから50mくらい東の場所ですね。ヤンゴンには、このように剥き出しなった側溝が結構あります。周囲に街灯がほとんどないので、夜歩くときはかなり注意しなければなりません。
まぁ、ここに足突っ込んだら泣きますね。ミャンマーには水処理施設がないため、汚水処理とかいっさいしていないし。悪臭がするときもあるし。
とりあえずヤンゴンはロマンティックな気分が盛り上がる街ではないので、そういう場所が好きな方にはオススメできません。まぁ、自分が知らないだけで、本当はどこかにあるのかもしれないですが。今まで住んでて、ロマンティックになる必要性が生じたこともないですし(笑)。もし、ご存知の方がいれば、後学のためお教えください。
『Myanmar Times』2014年9月22日~28日 より記事転載(原文は英文)
Hole Story 堕ちた女 Text by Fiona Macgregor
いつも私は誓っていた。もしそれが起こったら、もうおしまい。ここで起こりうる最低の屈辱にあったなら、私はすぐに自分の国に帰るつもり。「堕ちた女」にちゃんとした補償がされる国へ。
大西洋を隔てた同胞スコットランド議会が、好ましからぬと見なされても動議を諮ったように、彼もしくは彼女が、会話の最中に舗道の真ん中で突然穴に落ちたら、地方政府を訴える権利があるだろう。
その出来事がボーイフレンドとの仲を裂くきっかけとなった場合、追加の弁済を定める法があるのかどうか知らないが、私はその義務はあると思う。
不注意な歩行者が見落としがちな危険や、歩くのに注意を要する舗道といった、街中に潜む恐怖を考えると、ヤンゴンの街を長く歩けなくなってしまう。アメリカ人的な視点から言わしてもらうと、ガタガタのコンクリートの瓦礫の集まりを舗道と呼ぶことは、舗装という概念を貶めることを意図しているようにさえ思える。
いくつかの面で、ヤンゴン市内の舗道を改善する施策がなされていることは疑いようはない。だが、ヤンゴンでは、意図せずコンピュータ・ゲームの世界に投げ込まれたプレイヤーになったような気がしばしばする。
「ストリート・オブ・ヤンゴン」。
そこではプレイヤーは、隠れた穴や裂け目を避けながら舗道を進み、戸口から自分に向かって吐き出される真っ赤なキンマ(訳注:噛みタバコ。ヤンゴンの道は、吐き捨てられたキンマの後で赤い斑になってます)の唾や、あなたの目をめがけて揺れる窓からぶら下がった危険なクリップを避けなければならない。死んでしまえば(あるいは3回死ねば)、排水溝に落ちてゲームオーバー。望まぬ状況でも、ボーナスポイントが得られたら、あなたは平静さと清潔さを保ったまま無傷で目的地に到達する。
運命が私にそれまで考えたことがない恥辱を与えるまで、舗道に関するトラウマで最悪なのは、開いた排水溝の不潔な汚水に体を浸すこと、おぞましいネズミ達が這い回る、都市が吐き出す、悪臭の漂う不快な排出物の中に身を沈めることだと想像していた。
確かに私の不名誉な経験は、大きな恐怖として私の中に刻み込まれている。だが、私が不格好に品位を失った瞬間は、決して癒すことのできない傷を私に残した。
それが起こった夜は、今は元彼となった男性との最初のソーシャル・ミーティングだった。 とても大事な時期で、だから私は知的洗練と無防備な魅力をもって彼に接するように心掛けた。どうやら私は無防備な部分だけを上手くやってのけたようだ。
私が来るべきスコットランドの国民投票の微妙さについての気の利いた意見を述べて、彼を魅了した(と私は信じたい)瞬間もあったが、次の瞬間、私の右足はあるべき道の上になかった。穴に落ちたのがあまりに急のことだったので、英国議会の何人かのメンバーが企てたマキャベリ的陰謀ついての私の意見は宙に浮いたままだった。そして、穴に落ちなかった残りの体の部分をコンクリートに打ちつけた。
彼は、悲惨な状況へ、英雄的な勇気をもって立ち向かった。私の右足をそっくり飲み込んだ、不気味な裂け目に降りてまでして、私を助けてくれた。近くのサボイホテルへ私を連れて行って、血まみれの私の足をいたわり、ワインを振る舞い私の高ぶった感情を慰めた。
私は、ただ、言うもおぞましい、病原菌に満ちた穴に落ち、助けられたのだが、流れる血と打撲が不名誉な事態をさらに大袈裟にしていた。
そして、こんな経験をしたのは私だけではないし、私がこの街の通りに潜む陥穽に(肉体的に)最も傷つけられた犠牲者だったわけでもない。
もっと深刻な事故は起きている。「ヤンゴンで穴に落ちた、酔っぱらいの欧米人についての記事を書くべきよ」と、ある友人は最近メールを送ってきた。
数日前、友人の同僚が酔って夜の街に繰り出した時に、ダゴン区で穴に落ちたと聞いた。彼はしばらくの間、意識不明になった。幸運にも、彼の脳震とうによる後遺症はなかったが、その夜は、彼が予定していたようには終えられなかったに違いない。
だが、私の場合、穴に落ちた後に飲んだワインが、その夜最初の一杯だったことは確かだ。素面で用心深い歩行者も、大きなリスクにさらされている。
しかし、穴に落ちたという事実は、何かしら人を笑わせるものらしい。ある種の本能的な反応として、危険な瞬間を体を張ったコメディに変えてしまう。これは世界的に同じ現象らしい。
だが、別の反応もある。これは私が東南アジアに来てから気がついたものだ(エジンバラ地方議会御中、私が「道中にある、偽りのおとし穴」について、皆さんへお手紙を送りした時に理解していなかったことをここに認めます…)。
そう第二の反応は、「競争」だ。
「おっ、ヤンゴンの穴に落ちたことを書いてるんだって? 俺にも穴の話をさせてくれ…」。
そして文字通り、穴だらけのホラーストーリーが始まる。誰もが人よりすごい話をしたがり、 しまいには、誰かが拉致されて、一年間ドロドロした穴に閉じ込められて、クモとウジ虫を食べて生き延びたと言い出す始末だ。
私の経験には多くの教訓があるはずだが、おそらく、ほとんどは既に知っていたものだ。「いつも道をよく見てなさい」、「政治とワインと元彼の組み合わせは、何らかの失敗が起こりやすい」といった教訓だ。
ヤンゴン市内の舗道がすぐに歩きやすくなることはないだろう。だが、私は絶望の淵に沈んだままでいる気はない。
冒頭で、それが起こったら、ここを去ると誓ったものの、私はまだヤンゴンに留まっている。私は、自分では気づかないまま、私の隠された部分が、失った品位を、再び取り戻すことを期待しているのではないかと訝っている。それは、今のところ、Dhammazediロードの地獄の淵に、人知れず沈んでいるのだが。
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Yangon, Myanmar
ミャンマー ヤンゴン
2014年9月22日月曜日
【News】ミャンマーは男のロマンが通用しない国?
最初にミャンマーに来た外国人の多くは、この国の何もなさに限りない可能性を感じます。
この国で、自国には当然のようにある、あんな事業やこんなサービスを提供したら、競合のないこの国での成長は天井知らずではないか?、と夢を見てしまうわけですね。
でも、そうした事業やサービスがないのには、それなりに理由があります。外国人にはとうてい理解不能の規制当局の対応や、合理性や効率性を重んずる資本主義的な労働観に馴染んでない労働者、貧弱なインフラ等々、思い描いた夢の先には多くの障害が現れます。あまりメディアでは表立って語られませんが、この国で多くの外国人が、こうした環境の中で日々苦闘しています。
夢見た事業が実現できず、この国を去りたいのだけど、それも理由不明の出国禁止でかなわない、手持ちの資金は尽きる寸前で、どうにもならないという状況のコスタリカ人起業家のニュースがあったので、ご紹介します。
この人は、たぶんロマンチストだったんだろうと思います。自然が残された手付かずのミャンマーのビーチを見て、小さな自分の王国の建設を夢見たのでしょう。
この人の悲劇は、自分の夢を追うあまり、地元の有力者とのコネクションや、噂好きの地元民と良好な関係を築くという、ミャンマーで生きていくために必須となる現実的な側面を見落としていたことが原因ではないかと推測します。
夢を見る気持ちは良く分かるのですが、 勝手に外からやってくる外国人に気持ち良く夢を見させてくれる程、この国も甘くないです。
外国人の描く理想や夢は、そこで暮らす人々の日常や生活とは関係ないのですから。
このコスタリカ人起業家は、本当に気の毒だと思いますが。
『Myanmar Times』2014年9月15日~21日 より記事転載(原文は英文)
Gunter Oteroが2012年に初めてガパリビーチに行った時、彼は夢心地となった。
「それはまさに僕が少年時代を過ごした、旅行業界がブームになる前のコスタリカそのものだった」。
世界中の旅行業界で10年程働いた後に、彼はこの場所こそが自分が腰を落ち着けて、自らのビジネス ー 旅行者向けのレストランとロッジ ー を始める場所だと心を定めた。
彼に先立つ多くの起業家同様、Otero氏の夢は早々に潰えた。100,000 USドル以上を事業につぎ込んだが、もう彼はこの国を出たいと願っている。そうしていない理由はただ一つ、彼の出国が許可されないからだ。
彼は、7月に偽造文書作成の疑いで裁判にかけられた。彼によれば、罪状は今年の初めに、彼の息子が生まれたThandweの病院での出生証明の発行に関わる誤解から生じている。
判決は区の裁判所で8月28日に結審したが、彼の名前は入国管理局のブラックリストに載ったままで、出国ができない状況だ。 それと同時に、Thandweの地域入国管理官は、なぜ彼はオーバステイしているのかの説明を求めている。彼のマルチプルビザは、9月8日で約70日の滞在になっている(訳注:ビジネスビザでの最大滞在日数は70日)。
出国ができないため、Otero氏は自分の海外にある銀行口座からの引き出しもできず、シンガポールやバンコクのコスタリカ人コンサルタントの支援も受けられない。この状況を彼は理不尽極まりないと憤る。
「僕は疲れ果てた。肉体的にも、精神的にも、経済的にも」と、先週、彼はミャンマータイムズに語った。「どうすることもできない。友達みんなからお金を借りた。でも、これ以上は無理だ。こんなに追い込まれたのは、人生で初めてだ」。
彼の問題は、自分で建てた浜辺を望む丘の上の家に住もうとした時から始まった。2013年8月に入国管理管の深夜の訪問があり、その家に住むことも、居住地として登録することもできないと告げられた、
それ以来、 彼はガパリビーチのホテルに泊まっている。状況は、彼がThandweに住むラカイン出身の女性との結婚が、地元の活動家の目を引くことでさらに悪化した。彼らは、Thandweを移動する彼をつけ回し、彼の妻へ迷惑電話による嫌がらせを行い、地方政府や地方裁判所の役人へ、彼へさらなる法的措置を取るように働きかけた、と彼は言う。
「これは明らかな人種差別だ。彼らは、僕がローカルの女の子と結婚したことが気に食わないんだ」。
ラカイン国民党Thandwe事務所のスポークスマンのU Myint Ooは、Otero氏の問題について憂慮しているが、ラカイン国民党の党員は誰もこの件に関わっていないと語った。彼は、ラカイン国民党が政府の役人にプレッシャーをかけたり、Otero氏をつけ回したという意見を否定した。「彼のことについて、党のいかなる会合でも話題にしたことがない」。
入国管理局Thandwe事務所のトップU Aung Tunは、当局がOtero氏の出国を許可しないことに関知していないと語った。
「もし、外国人が犯罪を犯せば、政府は国外退去させるだろう。しかし、Otero氏は罪を犯していないから、自由に国を去ることができるはずだ」と、U Aung Tunは9月8日に語った。
Otero氏のThandweを拠点とする弁護士Daw Nway Nway Nyeintは、同じく彼の移動が禁じられていることに当惑していると語った。
「もし係争中の外国人であれば、出国は許されないでしょう。しかし、Otero氏はいかなる犯罪にも手を染めていません。なぜ、政府が出国を許可しないのか理解できません」。
ラカイン州の外にある地方の、ある入国管理官は、出国禁止をネピドーの政府が取り下げないのは、判決のコピーをまだ受け取っていないからかもしれないと語った。 Otero氏は係争のあった裁判所に、入国管理局の責任者に対する推薦状の発行を依頼したが、裁判所は、それは通常の手続きではないと拒否した、と語る。ネピドーにいる入国管理局の責任者は、多忙のため、この件についてのコメントはできないと答えた。
いたずらに時間と費用を費やす中で、Otero氏の手持ちの資金が尽きようとしている。彼は自分に降りかかったこの一年の災難は、この国への投資、とりわけラカイン州での事業を考える外国人への注意を喚起すべき事例だと言う。
「これが、最初に起こったことでないことは分かっている。僕の望みは少しでもお金を取り戻し、妻と子供を連れて出国することだ。僕はここでスモールビジネスを立ち上げたかった。それは地元に雇用を生んだはずだったのに」。
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この国で、自国には当然のようにある、あんな事業やこんなサービスを提供したら、競合のないこの国での成長は天井知らずではないか?、と夢を見てしまうわけですね。
でも、そうした事業やサービスがないのには、それなりに理由があります。外国人にはとうてい理解不能の規制当局の対応や、合理性や効率性を重んずる資本主義的な労働観に馴染んでない労働者、貧弱なインフラ等々、思い描いた夢の先には多くの障害が現れます。あまりメディアでは表立って語られませんが、この国で多くの外国人が、こうした環境の中で日々苦闘しています。
夢見た事業が実現できず、この国を去りたいのだけど、それも理由不明の出国禁止でかなわない、手持ちの資金は尽きる寸前で、どうにもならないという状況のコスタリカ人起業家のニュースがあったので、ご紹介します。
この人は、たぶんロマンチストだったんだろうと思います。自然が残された手付かずのミャンマーのビーチを見て、小さな自分の王国の建設を夢見たのでしょう。
この人の悲劇は、自分の夢を追うあまり、地元の有力者とのコネクションや、噂好きの地元民と良好な関係を築くという、ミャンマーで生きていくために必須となる現実的な側面を見落としていたことが原因ではないかと推測します。
夢を見る気持ちは良く分かるのですが、 勝手に外からやってくる外国人に気持ち良く夢を見させてくれる程、この国も甘くないです。
外国人の描く理想や夢は、そこで暮らす人々の日常や生活とは関係ないのですから。
このコスタリカ人起業家は、本当に気の毒だと思いますが。
『Myanmar Times』2014年9月15日~21日 より記事転載(原文は英文)
Business dream turns to nightmare for stranded Costra Rican entrepreneur
夢見た起業が悪夢に 囚われのコスタリカ人起業家
Text by Thomas Kean, Ye MonGunter Oteroが2012年に初めてガパリビーチに行った時、彼は夢心地となった。
「それはまさに僕が少年時代を過ごした、旅行業界がブームになる前のコスタリカそのものだった」。
世界中の旅行業界で10年程働いた後に、彼はこの場所こそが自分が腰を落ち着けて、自らのビジネス ー 旅行者向けのレストランとロッジ ー を始める場所だと心を定めた。
彼に先立つ多くの起業家同様、Otero氏の夢は早々に潰えた。100,000 USドル以上を事業につぎ込んだが、もう彼はこの国を出たいと願っている。そうしていない理由はただ一つ、彼の出国が許可されないからだ。
彼は、7月に偽造文書作成の疑いで裁判にかけられた。彼によれば、罪状は今年の初めに、彼の息子が生まれたThandweの病院での出生証明の発行に関わる誤解から生じている。
判決は区の裁判所で8月28日に結審したが、彼の名前は入国管理局のブラックリストに載ったままで、出国ができない状況だ。 それと同時に、Thandweの地域入国管理官は、なぜ彼はオーバステイしているのかの説明を求めている。彼のマルチプルビザは、9月8日で約70日の滞在になっている(訳注:ビジネスビザでの最大滞在日数は70日)。
出国ができないため、Otero氏は自分の海外にある銀行口座からの引き出しもできず、シンガポールやバンコクのコスタリカ人コンサルタントの支援も受けられない。この状況を彼は理不尽極まりないと憤る。
「僕は疲れ果てた。肉体的にも、精神的にも、経済的にも」と、先週、彼はミャンマータイムズに語った。「どうすることもできない。友達みんなからお金を借りた。でも、これ以上は無理だ。こんなに追い込まれたのは、人生で初めてだ」。
彼の問題は、自分で建てた浜辺を望む丘の上の家に住もうとした時から始まった。2013年8月に入国管理管の深夜の訪問があり、その家に住むことも、居住地として登録することもできないと告げられた、
それ以来、 彼はガパリビーチのホテルに泊まっている。状況は、彼がThandweに住むラカイン出身の女性との結婚が、地元の活動家の目を引くことでさらに悪化した。彼らは、Thandweを移動する彼をつけ回し、彼の妻へ迷惑電話による嫌がらせを行い、地方政府や地方裁判所の役人へ、彼へさらなる法的措置を取るように働きかけた、と彼は言う。
「これは明らかな人種差別だ。彼らは、僕がローカルの女の子と結婚したことが気に食わないんだ」。
ラカイン国民党Thandwe事務所のスポークスマンのU Myint Ooは、Otero氏の問題について憂慮しているが、ラカイン国民党の党員は誰もこの件に関わっていないと語った。彼は、ラカイン国民党が政府の役人にプレッシャーをかけたり、Otero氏をつけ回したという意見を否定した。「彼のことについて、党のいかなる会合でも話題にしたことがない」。
入国管理局Thandwe事務所のトップU Aung Tunは、当局がOtero氏の出国を許可しないことに関知していないと語った。
「もし、外国人が犯罪を犯せば、政府は国外退去させるだろう。しかし、Otero氏は罪を犯していないから、自由に国を去ることができるはずだ」と、U Aung Tunは9月8日に語った。
Otero氏のThandweを拠点とする弁護士Daw Nway Nway Nyeintは、同じく彼の移動が禁じられていることに当惑していると語った。
「もし係争中の外国人であれば、出国は許されないでしょう。しかし、Otero氏はいかなる犯罪にも手を染めていません。なぜ、政府が出国を許可しないのか理解できません」。
ラカイン州の外にある地方の、ある入国管理官は、出国禁止をネピドーの政府が取り下げないのは、判決のコピーをまだ受け取っていないからかもしれないと語った。 Otero氏は係争のあった裁判所に、入国管理局の責任者に対する推薦状の発行を依頼したが、裁判所は、それは通常の手続きではないと拒否した、と語る。ネピドーにいる入国管理局の責任者は、多忙のため、この件についてのコメントはできないと答えた。
いたずらに時間と費用を費やす中で、Otero氏の手持ちの資金が尽きようとしている。彼は自分に降りかかったこの一年の災難は、この国への投資、とりわけラカイン州での事業を考える外国人への注意を喚起すべき事例だと言う。
「これが、最初に起こったことでないことは分かっている。僕の望みは少しでもお金を取り戻し、妻と子供を連れて出国することだ。僕はここでスモールビジネスを立ち上げたかった。それは地元に雇用を生んだはずだったのに」。
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Yangon, Myanmar
ミャンマー ヤンゴン
2014年8月20日水曜日
センスの良いヤンゴンの家具工房
ミャンマーに住んでいて問題になるのが、センスの良い家具屋さんがなかなか見つからないことです。ミャンマーはチーク材の大産地であるので、家具の材質は非常に良いのですが、デザインや使い勝手にかなり問題があります。
ローカルの家具店に置いている商品は、やたら大きくて場所を占有する、過剰に装飾的で概してシンプルなインテリアを好む外国人の嗜好に合わない、現地の生活様式に合わせているためテーブルや椅子の高さが低過ぎて使えない等の問題があります。どのお店でも置いている家具が、画一的なローカル向けにデザインされたもので、仕上げも雑な場合が多いです。
チーク材などの良質な木材が入手し易く、手作業を担う家具職人の数が多いにも関わらず、ミャンマーでの家具購入の選択肢は意外に少ないです。近年、外国人が増えたため、Facebookでもミャンマー在住外国人向けのフォーラムで、「どこか良い家具屋はないのか?」という質問を見かけるようになりました。
昨日、見学に行った家具工房がデザイン・品質ともに非常にレベルが高かったので、ご紹介します。
ヤンゴン郊外の北側に工房があり、林の中の奥まった場所に工房を構えています。
空港よりの場所で、ヤンゴン中心部からタクシーで30分程の距離ですが、街の喧噪から離れた閑静な所で辿り着くとほっとしました。
オーナー一押しの自信作のディレクターチェアです。1930年代のデンマークで作られた家具を研究して復刻したもの。背もたれと台座は上質なレザーを使用しています。
こちらは現在企画中の折り畳み椅子。背もたれの部分のデザインと畳んだ時の噛み合わせが良くないことに満足がいかず、研究開発中とのことです。このような完成度へのこだわりを持った工房は、ミャンマーでは貴重です。同地の製品は、概ね大味で雑な仕上がりなので。
ガレージに置いていた1952年式のジャガー。オーナーのこだわりや美意識が垣間見えます。
工房は大通りから奥まった場所にあるので、ちょっと分かりにくいです。販売用の在庫は置いてないので、注文販売となります。Webを見て気に入った商品があれば、前もって予約して、完成後に取りに行った方が効率が良いかもしれません。原則、配送はしていないとのことです。オーナーがいない場合もあるので、事前予約してから行った方が良いでしょう(英語可)。
家具難民になっているヤンゴン在住の外国人には、この工房はありがたい存在だと思います。
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ローカルの家具店に置いている商品は、やたら大きくて場所を占有する、過剰に装飾的で概してシンプルなインテリアを好む外国人の嗜好に合わない、現地の生活様式に合わせているためテーブルや椅子の高さが低過ぎて使えない等の問題があります。どのお店でも置いている家具が、画一的なローカル向けにデザインされたもので、仕上げも雑な場合が多いです。
チーク材などの良質な木材が入手し易く、手作業を担う家具職人の数が多いにも関わらず、ミャンマーでの家具購入の選択肢は意外に少ないです。近年、外国人が増えたため、Facebookでもミャンマー在住外国人向けのフォーラムで、「どこか良い家具屋はないのか?」という質問を見かけるようになりました。
昨日、見学に行った家具工房がデザイン・品質ともに非常にレベルが高かったので、ご紹介します。
ヤンゴン郊外の北側に工房があり、林の中の奥まった場所に工房を構えています。
オーナー一押しの自信作のディレクターチェアです。1930年代のデンマークで作られた家具を研究して復刻したもの。背もたれと台座は上質なレザーを使用しています。
こちらは現在企画中の折り畳み椅子。背もたれの部分のデザインと畳んだ時の噛み合わせが良くないことに満足がいかず、研究開発中とのことです。このような完成度へのこだわりを持った工房は、ミャンマーでは貴重です。同地の製品は、概ね大味で雑な仕上がりなので。
職人さん達の作業風景。
ガレージに置いていた1952年式のジャガー。オーナーのこだわりや美意識が垣間見えます。
Sir. Bo Ni furnishings
826-C, Aungzaddy St. (Off Pyay Rd.)
10th Mile, Sawbwagyigone
Insein Tsp, Yangon
Ph: 09 420158693
Email: sirbonifurnishings@gmail.com
Open: Mon-Fri 8 am to 6 pm
家具難民になっているヤンゴン在住の外国人には、この工房はありがたい存在だと思います。
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Yangon, Myanmar
ミャンマー ヤンゴン
2014年7月14日月曜日
カチン料理屋に外国人客が集まる理由
行きつけだった近所のカチン料理屋が、Sanchaung地区から移転してしまいました。数少ない外食の選択肢が減ってしまい苦慮していましたが、同じSanchaung地区に別のカチン料理屋を見つけたので、今はそこへ通っています。
さて、前に行きつけだったお店もそうでしたが、いま足繁しく通っているお店でも、外国人客を良く見かけます。行けばたいてい一組以上の外国人客がいます。近所にミャンマー人向けの英会話教室があるのを勘案しても、ローカルレストランにしては、異例の外国人比率の高さです。彼ら彼女らが、ここへ来る理由は、おそらく私が通っているのと同じかと思われます。
以下に、その理由を列記します。
(1)英語のメニューがある
観光客を対象としていないローカル料理屋には、大抵英語のメニューがありません。ミャンマー語が読める外国人は極めて少ないため、当然、外国人の足は遠のきます。ところが、カチン料理屋にはなぜか英語のメニューが用意されています。しかもオーナーになると英語話者の場合も珍しくありません。これはカチン族は、キリスト教徒がマジョリティであることも関係しているのかもしれません。
(2)ローカルのミャンマー料理屋と比較して、油分が控えめ
日本人がミャンマー料理に躓くのは、その極端にオイリーなところに依る所が多いです。さらに、味付けがすべて同じなので、常に同じ味なのに飽きて、滞在が長期になると食べる気がしなくなるという側面もあります。
カチン料理は、ミャンマー人が食する一般的なビルマ料理と比較すれば、油分が控えめです。といっても日本食に比べれば、相当にオイリーなわけですが、現地で可能となる選択肢の中では、油分が他と比べて控えめというのは、大きな魅力です。
(3)価格帯がローカル料理屋の範囲にある
では、日本食のレストランに行けばいいじゃないかという意見も出て来るかもしれません。日本食レストランは、ここ1、2年で急激に数を増やし、ヤンゴンだけで約200店になったと言われています。しかしながら、日系資本の経営による日本食レストランの多くは、日本で食べるのと価格がそれほど変わりません。翻って、ミャンマー現地採用の日本人の日系企業での給与相場は、10~15万円がヴォリュームゾーンと言われています。現地の所得水準を考えると、多くの今の日本食レストランの値付けは、大部分のミャンマー人のみならず、ミャンマーに根を下ろす日本人にとっても響かないものになっています。
本国と同じ値段を気にせずに、レストランに通える客層は、大使館等の政府機関関係者や、ミャンマーへ転勤で来ている本社採用の駐在員の人たちです。駐在員の家族を含めたミャンマー在住の推定2,000人の邦人の一割が、本国と同等の(もしくは在外手当がつくため、本国以上の)可処分所得があると想定すると、本国と同じ価格帯のレストランの対象となる潜在顧客は、ミャンマー駐在員とその家族を含めた約200名と、日本からの出張者しかいないことになります。
プレスリリースで「現地の富裕層も対象に」というフレーズを頻繁に見かけますが、現地の富裕層でも、本格的な日本料理は口に合いません。ミャンマー料理の味付けと日本料理のそれは、あまりにも開きがあり過ぎて、海外で育った人物でもない限り、薄口の微妙な味わいはミャンマー人の嗜好に合いません。ただし、 和牛はミャンマーの富裕層の中でブランド化しているため、高級焼肉店はそこそこ人気があります。
そして上述しましたが、現地の所得水準に準じた、現地採用の日本人、現地のローカル企業に勤務する日本人、NPO・NGOに勤務する日本人の足は、本国と同じ価格帯のお店に頻繁には向きません。
ミャンマーに2年あまり住んで身に付いた、現地で妥当と感じる価格帯は、一皿が上限4,000チャット、客単価がアルコール抜きで5,000チャット未満、アルコール入れての客単価合計が7,000チャット程度です。
さて、カチン料理屋に話を戻します。
このお店の価格帯は、ローカルレストランの中では、やや高めというところでしょう。
ご飯類は2,000チャット(約200円)。ミャンマーの典型的なチャーハンに比べると、油分控えめです。
麺類は2,500チャット(約250円)。日本で言うと肉ソバ。カチン族は、ミャンマーでは珍しく、牛肉を常食としています。
ちなみにミャンマービールは、大瓶1,800チャット(約180円)です。
お店の情報は以下の通り。Sanchaung地区の消防署の近くです。
上に書いた値頃感に則しているのも、現地在住の外国人ーその多くは近所の英会話学校の講師ーが数多く訪れる大きな理由でしょう。ミャンマーでの英会話講師の給与水準については知りませんが、現地の授業料を勘案すれば、それほど高いとは思えません。この前は、店にワインを持ち込んで飲んでいる強者の外国人を見かけました。外国人が多いと書きましたが、他の日本人客は見たことがありません。Sangchaung地区の日本人の皆さんは、自炊派が多いのでしょうか。
現地のレストラン相場のご参考に、同じくSangchaung地区にある家鴨料理の人気レストランをご紹介します。
ここは家鴨の肉入りソバが、700チャット(約70円)。ローカルフード価格です。
調理は、屋外に張り出したテントの下でされています。
さすがに衛生面の不安があるためか、このお店では外国人を見たことがありません。ですが、いつもローカルのミャンマー人で賑わっています。ちなみにメニューは、ミャンマー語表記のみです。
これからミャンマーへレストランの出店を考えるなら、たとえ日本人でも、業態は日本食レストランにこだわる必要はないかと思われます。日本料理を提供するとなると、食材や調味料等の調達にどうしてもコストが嵩みます。加えて料理人の育成などにも時間とコストを要するため、ローカルレストランに競争力のある価格を提示することは難しいでしょう。
発想を変えて、現地で容易に調達できる食材で調理できるミャンマー料理を、外国人向けに提供することを検討しては如何でしょう?
外国人にターゲティングしているわけでもないカチン料理屋に、外国人が集まっていることからも、英語のメニューがあり、油分を控えた、リーズナブルなレストランに大きな潜在需要があることが読み取れます。年々、外国人のミャンマー在住者が増えてきているので、この需要は今後も右肩上がりでしょう。
外国人の嗜好にマッチした、ローカル価格のミャンマー料理屋、そんなお店が近所にあれば私も通います(笑)。さらに、インテリアを、東京とかロンドンにあるカフェぽい内装にして、アルコールも含めたドリンク類を充実すれば、観光客にも人気が出るのではないでしょうか。
最後の方は、ミャンマーで生活する者として、存在して欲しいお店の願望になってしまいました(笑)。
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さて、前に行きつけだったお店もそうでしたが、いま足繁しく通っているお店でも、外国人客を良く見かけます。行けばたいてい一組以上の外国人客がいます。近所にミャンマー人向けの英会話教室があるのを勘案しても、ローカルレストランにしては、異例の外国人比率の高さです。彼ら彼女らが、ここへ来る理由は、おそらく私が通っているのと同じかと思われます。
以下に、その理由を列記します。
(1)英語のメニューがある
観光客を対象としていないローカル料理屋には、大抵英語のメニューがありません。ミャンマー語が読める外国人は極めて少ないため、当然、外国人の足は遠のきます。ところが、カチン料理屋にはなぜか英語のメニューが用意されています。しかもオーナーになると英語話者の場合も珍しくありません。これはカチン族は、キリスト教徒がマジョリティであることも関係しているのかもしれません。
(2)ローカルのミャンマー料理屋と比較して、油分が控えめ
日本人がミャンマー料理に躓くのは、その極端にオイリーなところに依る所が多いです。さらに、味付けがすべて同じなので、常に同じ味なのに飽きて、滞在が長期になると食べる気がしなくなるという側面もあります。
カチン料理は、ミャンマー人が食する一般的なビルマ料理と比較すれば、油分が控えめです。といっても日本食に比べれば、相当にオイリーなわけですが、現地で可能となる選択肢の中では、油分が他と比べて控えめというのは、大きな魅力です。
(3)価格帯がローカル料理屋の範囲にある
では、日本食のレストランに行けばいいじゃないかという意見も出て来るかもしれません。日本食レストランは、ここ1、2年で急激に数を増やし、ヤンゴンだけで約200店になったと言われています。しかしながら、日系資本の経営による日本食レストランの多くは、日本で食べるのと価格がそれほど変わりません。翻って、ミャンマー現地採用の日本人の日系企業での給与相場は、10~15万円がヴォリュームゾーンと言われています。現地の所得水準を考えると、多くの今の日本食レストランの値付けは、大部分のミャンマー人のみならず、ミャンマーに根を下ろす日本人にとっても響かないものになっています。
本国と同じ値段を気にせずに、レストランに通える客層は、大使館等の政府機関関係者や、ミャンマーへ転勤で来ている本社採用の駐在員の人たちです。駐在員の家族を含めたミャンマー在住の推定2,000人の邦人の一割が、本国と同等の(もしくは在外手当がつくため、本国以上の)可処分所得があると想定すると、本国と同じ価格帯のレストランの対象となる潜在顧客は、ミャンマー駐在員とその家族を含めた約200名と、日本からの出張者しかいないことになります。
プレスリリースで「現地の富裕層も対象に」というフレーズを頻繁に見かけますが、現地の富裕層でも、本格的な日本料理は口に合いません。ミャンマー料理の味付けと日本料理のそれは、あまりにも開きがあり過ぎて、海外で育った人物でもない限り、薄口の微妙な味わいはミャンマー人の嗜好に合いません。ただし、 和牛はミャンマーの富裕層の中でブランド化しているため、高級焼肉店はそこそこ人気があります。
そして上述しましたが、現地の所得水準に準じた、現地採用の日本人、現地のローカル企業に勤務する日本人、NPO・NGOに勤務する日本人の足は、本国と同じ価格帯のお店に頻繁には向きません。
ミャンマーに2年あまり住んで身に付いた、現地で妥当と感じる価格帯は、一皿が上限4,000チャット、客単価がアルコール抜きで5,000チャット未満、アルコール入れての客単価合計が7,000チャット程度です。
さて、カチン料理屋に話を戻します。
このお店の価格帯は、ローカルレストランの中では、やや高めというところでしょう。
ご飯類は2,000チャット(約200円)。ミャンマーの典型的なチャーハンに比べると、油分控えめです。
麺類は2,500チャット(約250円)。日本で言うと肉ソバ。カチン族は、ミャンマーでは珍しく、牛肉を常食としています。
ちなみにミャンマービールは、大瓶1,800チャット(約180円)です。
お店の情報は以下の通り。Sanchaung地区の消防署の近くです。
Jing Hpaw Myat
No.2(B), Kyun Taw Street, Sanchaung Township, Yangon
Tel: 01-524525, 01-503521
上に書いた値頃感に則しているのも、現地在住の外国人ーその多くは近所の英会話学校の講師ーが数多く訪れる大きな理由でしょう。ミャンマーでの英会話講師の給与水準については知りませんが、現地の授業料を勘案すれば、それほど高いとは思えません。この前は、店にワインを持ち込んで飲んでいる強者の外国人を見かけました。外国人が多いと書きましたが、他の日本人客は見たことがありません。Sangchaung地区の日本人の皆さんは、自炊派が多いのでしょうか。
現地のレストラン相場のご参考に、同じくSangchaung地区にある家鴨料理の人気レストランをご紹介します。
ここは家鴨の肉入りソバが、700チャット(約70円)。ローカルフード価格です。
調理は、屋外に張り出したテントの下でされています。
さすがに衛生面の不安があるためか、このお店では外国人を見たことがありません。ですが、いつもローカルのミャンマー人で賑わっています。ちなみにメニューは、ミャンマー語表記のみです。
これからミャンマーへレストランの出店を考えるなら、たとえ日本人でも、業態は日本食レストランにこだわる必要はないかと思われます。日本料理を提供するとなると、食材や調味料等の調達にどうしてもコストが嵩みます。加えて料理人の育成などにも時間とコストを要するため、ローカルレストランに競争力のある価格を提示することは難しいでしょう。
発想を変えて、現地で容易に調達できる食材で調理できるミャンマー料理を、外国人向けに提供することを検討しては如何でしょう?
外国人にターゲティングしているわけでもないカチン料理屋に、外国人が集まっていることからも、英語のメニューがあり、油分を控えた、リーズナブルなレストランに大きな潜在需要があることが読み取れます。年々、外国人のミャンマー在住者が増えてきているので、この需要は今後も右肩上がりでしょう。
外国人の嗜好にマッチした、ローカル価格のミャンマー料理屋、そんなお店が近所にあれば私も通います(笑)。さらに、インテリアを、東京とかロンドンにあるカフェぽい内装にして、アルコールも含めたドリンク類を充実すれば、観光客にも人気が出るのではないでしょうか。
最後の方は、ミャンマーで生活する者として、存在して欲しいお店の願望になってしまいました(笑)。
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Yangon, Myanmar
ミャンマー ヤンゴン
2014年5月19日月曜日
いまヤンゴンで一番クールな場所
少し前からWebの記事やFacebookページで見て気になっていた、ショップ兼ギャラリーのTS1に行ってきました。Webで見たときには、今までのミャンマーにはないアーティスティックで、スタイリッシュなスペースだと感じました。こうした場合、プレスリリースの写真は格好良くても、実際行ってみると、そうでもないことが往々にしてあるものですが、ここは予想以上にクールな空間でした。
入り口から、無造作に撮った写真でも、こんな感じです。ここだけ見ると。ニューヨークのSOHOにあるアート・スペースと言っても違和感ありません。それを意識して作っているのでしょうけど。立地も、川沿の倉庫街だし。
広々とした、贅沢な空間の使い方です。天井が高い上、半透明の屋根から、自然光が入る仕様で、開放感があります。
ニューヨークの設計事務所のアメリカ人建築家に設計を依頼したと、カタログに書いてました。カタログも立派で、スタイリッシュな作りです。ミャンマーでは珍しい、お金とセンスを惜しみなく注ぎ込んだ格好良さです。脇の甘さや、隙がありません。
アパレル・コーナーもあります。ここだけ見ると、コム・デ・ギャルソンの店内みたい。半袖シャツが一枚85USDとお値段もお高め。
家具も売っています。中目黒のデザイン家具屋みたいなテイストの家具です。たいていのミャンマーのローカル家具屋は、無駄に大きくて、過剰に装飾的な家具しか売ってないので、趣味の良い家具屋は貴重です。ただし、価格も中目黒価格。写真のサイド・テーブルとソファが共に400USDとローカル価格とは一線を画してます。うーん、せめて半値ならすごく魅力的なのだが。
雑貨類も置いています。色調とかデザインが、外国人向けにお洒落。小物類も、ひとつ約30USDとお高め。ちなみに写真のテーブルは、750USDでした。
ショップの隣にギャラリーを併設しています。ミャンマーのギャラリーは、印象派風の絵画、つまり19世紀末くらいの技法で描いた絵画を扱った店がほとんどです。率直に言って、当地のアートシーンは、やや古臭い感があります。ここは従来のギャラリーとは違い、ミャンマーのモダンアートを専門にキュレーションしています。ミャンマーで、ローカルのアーティストの現代美術を見る機会は少ないので、非常に新鮮です。
いまのヤンゴンで、いちばんスタイリッシュで、クールな空間であることは、おそらく間違いないでしょう。
住所は、以下の通り。周囲に何もない場所なので、タクシードライバーに探してもらうのに、けっこう手間取りました。
Transit Shed No. 1, Between Lanthit Jetty and Kaing Dan Jetty No.1, Oo-Pa-Sa Street, Seik Kan Township
行って感心すると共に疑問に感じたのが、今のミャンマー(ヤンゴン)にこの種の格好良さへの需要があるのだろうか?、ということでした。
ローカルの富裕層は、金ぴかで、過剰に装飾的なデザインが好みですし、ミャンマーを訪れる外国人はビジネス客が中心でアート的なことに関心を持つ層は、かなり限られるのではないかと推測されます。
ニュースによると、投資したのは香港生まれの実業家ですが(たぶんミャンマーの富豪のセルジュ・プン氏の子息か係累。オックスフォード大、NYヴォーグ勤務という輝かしい経歴の持ち主)、ここまで、資金とセンスをふんだんに注ぎ込んだ贅沢なスペースは、ミャンマーでは初めてなので、今後の現地での反応や、将来の展望が気になります。
これからのミャンマーのセンスや嗜好、そして消費動向がどう変化するかを占う上でも、定点観測したいと思える場所でした。
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入り口から、無造作に撮った写真でも、こんな感じです。ここだけ見ると。ニューヨークのSOHOにあるアート・スペースと言っても違和感ありません。それを意識して作っているのでしょうけど。立地も、川沿の倉庫街だし。
広々とした、贅沢な空間の使い方です。天井が高い上、半透明の屋根から、自然光が入る仕様で、開放感があります。
ニューヨークの設計事務所のアメリカ人建築家に設計を依頼したと、カタログに書いてました。カタログも立派で、スタイリッシュな作りです。ミャンマーでは珍しい、お金とセンスを惜しみなく注ぎ込んだ格好良さです。脇の甘さや、隙がありません。
アパレル・コーナーもあります。ここだけ見ると、コム・デ・ギャルソンの店内みたい。半袖シャツが一枚85USDとお値段もお高め。
家具も売っています。中目黒のデザイン家具屋みたいなテイストの家具です。たいていのミャンマーのローカル家具屋は、無駄に大きくて、過剰に装飾的な家具しか売ってないので、趣味の良い家具屋は貴重です。ただし、価格も中目黒価格。写真のサイド・テーブルとソファが共に400USDとローカル価格とは一線を画してます。うーん、せめて半値ならすごく魅力的なのだが。
ショップの隣にギャラリーを併設しています。ミャンマーのギャラリーは、印象派風の絵画、つまり19世紀末くらいの技法で描いた絵画を扱った店がほとんどです。率直に言って、当地のアートシーンは、やや古臭い感があります。ここは従来のギャラリーとは違い、ミャンマーのモダンアートを専門にキュレーションしています。ミャンマーで、ローカルのアーティストの現代美術を見る機会は少ないので、非常に新鮮です。
いまのヤンゴンで、いちばんスタイリッシュで、クールな空間であることは、おそらく間違いないでしょう。
住所は、以下の通り。周囲に何もない場所なので、タクシードライバーに探してもらうのに、けっこう手間取りました。
Transit Shed No. 1, Between Lanthit Jetty and Kaing Dan Jetty No.1, Oo-Pa-Sa Street, Seik Kan Township
行って感心すると共に疑問に感じたのが、今のミャンマー(ヤンゴン)にこの種の格好良さへの需要があるのだろうか?、ということでした。
ローカルの富裕層は、金ぴかで、過剰に装飾的なデザインが好みですし、ミャンマーを訪れる外国人はビジネス客が中心でアート的なことに関心を持つ層は、かなり限られるのではないかと推測されます。
ニュースによると、投資したのは香港生まれの実業家ですが(たぶんミャンマーの富豪のセルジュ・プン氏の子息か係累。オックスフォード大、NYヴォーグ勤務という輝かしい経歴の持ち主)、ここまで、資金とセンスをふんだんに注ぎ込んだ贅沢なスペースは、ミャンマーでは初めてなので、今後の現地での反応や、将来の展望が気になります。
これからのミャンマーのセンスや嗜好、そして消費動向がどう変化するかを占う上でも、定点観測したいと思える場所でした。
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