2018年8月5日日曜日

ミャンマーでベストセラーになっている自己啓発本を読んでみた

以前の投稿で、ミャンマーでここ2ヶ月程の間、ベストセラー1位になっていて、書店に入荷とするとすぐに売切れになる自己啓発本『The Subtle Art of Not Giving a F*ck: A Counterintuitive Approach to Living a Good Life』を紹介しました。
私はだいたい、ミニゴンのシティマート内の書店でミャンマーで売れ筋の本を定点観測しているのですが、先週、ゴールデンヴァレーのシティマートでチェックしたところ、こちらでは同書がレビュー付きで平置きされていました。ずいぶんと息の長いベストセラーです。アメリカ人の著者は、自著がミャンマーで長らくベストセラーになっていることをおそらく知らないでしょう。



街の書店では、原著のペーパーバックのコピー版が販売されているのを見かけました。4,000チャット(約300円)で売られています。この値段なら、国外の版元から輸入したものではないでしょう。売れ筋の本なので、商魂逞しい国内の出版業者が、原著のコピー本の売り出しをはじめた模様です。


私はミャンマー語が読めないので、 英語版を購入して、いま読んでいます。
冒頭部分を読んだ内容から、日本語のタイトルを付けると、『どうでもいい努力をしないための方法:より良い人生のための反直感的なアプローチ』とでもなるのでしょうか。
この本の冒頭部分で登場するのが、「酔いどれ詩人」のチャールズ・ブコフスキーです。自堕落で放埒の限りを尽くした、日本で言えば無頼派にあたる、アメリカの作家・詩人です。『七つの習慣』なんかに代表される、一般的な自己啓発本の薦める自己規律的な生き方の真逆の人生を送った人です。

ブコウスキーの詩集のミャンマー語訳を書店で見かけたことがあります(左側)
ちなみに右側は、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』のミャンマー語訳

ブコフスキーは90年代に日本でもブームになったことがあるので、私も小説を二、三冊読んだことがあります。だいたい、アルコールやドラックで酩酊状態の男が、狼藉の限りを尽くして、オチも救いもないという内容だったように記憶しています。
『町でいちばんの美女』は、発見された美女の死体を、酩酊状態で正気を失っている町の男たちがみんなで屍姦するという、とんでもない話でした。



The Subtle Art of Not Giving a F*ck: A Counterintuitive Approach to Living a Good Life』で、ブコウスキーについて書かれた、冒頭の3ページを日本語に訳してみました。

第一章 頑張るな

チャールズ・ブコウスキーは、アル中で、好色で、ギャンブル中毒で、粗暴で、金に困っていて、借金漬けの最悪の日々を過ごしていた、詩人だった。彼はおそらく、これまで人生指南で目にする、あるいは、あらゆる種類の自己啓発本に登場することが絶対にないタイプの男だ。
なぜ、彼のことからはじめるのが最適なのか?、話を続けよう。
ブコウスキーは作家になりたかった。だが、数十年の間、彼の投稿した作品は、ほとんど全ての雑誌、新聞、ジャーナル、エージェント、出版社から拒絶されてきた。彼の作品はひどい代物だと、みんなが言った。卑猥で、内容に乏しく、品性に欠けると。そして、掲載を拒否された紙束は積み上がり、その失敗の重みは、彼をアルコール漬けの失意に押しやり、そうやって彼は人生の大半を過ごした。
ブコウスキーは、食うために、郵便局の仕分け人として働いていた。
彼は僅かな金を受け取り、その大方を大酒を飲んで費やした。残りは、競馬場で使い果たした。夜は一人で飲み、ときおり、くたびれた古いタイプライターに詩を叩きつけた。しばしば、彼は夜更けに床の上で目を覚ました。
30年がこんな風に過ぎ去り、そのほとんどをアルコールによる酩酊とドラッグとギャンブルと売春婦の中で無為に過ごした。そうして、ブコウスキーが、失意と堕落の日々の中で50歳を迎えた時、小さな独立系出版社の編集者が、なぜか彼に関心を持った。編集者は、ブコウスキーに多額の金の提示することも、売れ行きの保証もしなかった。しかし、彼はアル中の負け犬に、奇妙な好感を抱き、ともかく彼にチャンスを与えることにした。それは、これまでの彼にとって、最初のチャンスだったし、おそらく、これが最後であることもわかっていた。ブコウスキーは、編集者に手紙を書き綴った。「俺には選択肢が二つある。郵便局に留まり発狂するか、そこを飛び出して作家になって、飢えるかのどちらかだ。俺は飢える方を選ぶことにした」。
契約を済まして、ブコウスキーは最初の小説を三週間で書き上げた。タイトルはシンプルに『郵便局』にした。献辞には、「誰にも捧げない」と書いた。
こうしてブコウスキーは、小説家兼詩人となった。彼は創作と発刊を続けて、六つの小説と数百の詩を書き、二百万部以上の本を売った。彼の人気は、世間の人たちにとって予想外のことだったし、とりわけ彼自身にとってそうだった。
ブコウスキーのような逸話は、我々の文化の物語として精神的な糧である。ブコウスキーの生涯は、人が自分の望むもののために戦い、決して諦めずに、最後に途方もない夢を実現するというアメリカン・ドリームを体現している。実際、映画を観てるときは、みんなそれが起こるのを待っている。我々は、ブコウスキーのような物語を見て、こう言う。「見たか? 奴は諦めなかった。奴は決して、挑戦を止めなかった。常に自分を信じていたんだ。困難に立ち向かい続け、そうやって成し遂げたんだ」。
でもそれでは、ブコウスキーの墓石に刻まれた墓碑銘が「頑張るな(Don't try)」というのは、不思議だ。
本の売上や名声に関わらず、ブコウスキーは負け犬だったのを見ればいい。彼は知っていた。彼の成功が、勝者であろうとする決意から生じたものではなく、自分が負け犬という事実を認め、それを受け入れて、それについて率直に書いたことからもたらされた。彼は自分以外の者になろうとはしなかった。ブコウスキーの作品の美点は、信じ難い困難を乗り越えたり、文学的な光輝を追い求めたりしたことにはない。むしろ、その逆だ。彼の徹底的で、断固とした率直さというシンプルな能力によるものだ。特に、彼の最悪な部分においてそうだったし、自分の失敗を晒すのに、ためらいも隠しもしなかった。
これが、ブコウスキーについての本当の成功の物語だ。自分が負け犬であることに居心地の良さを感じていたし、成功するために無用な努力もしなかった。名声を得てからですら、彼は詩の朗読会で聴衆を罵り、場をぶち壊しにして見せた。自分の真の姿を公衆の面前に晒し続け、手当たり次第、目につく女と寝ようとした。名声も成功も、彼をまともな人間にしなかった。まともな人間になっていたら、彼は有名にならなかったし、成功もしなかった。

いままで、ミャンマー人の文化的な嗜好については、単純なサクセスストーリーが好きだと言われていました。実際、「引き寄せの法則」とか「こうやってリッチになる」的なアメリカの自己啓発本を書店で見かけることが、今まで多かったのですが、現在、こうしたリアリズムに則した、少なからず露悪的な内容の本が長らくベストセラーになっているのは、ミャンマー人の感性も変わりつつある証左かもしれません。
それにしても、ミャンマーで、チャールズ・ブコウスキーのことを思い出すとは思いませんでした。


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