2018年8月17日金曜日

ミャンマーでアレサ・フランクリンについて考えた

昨夜、Facebookのタイムラインで、アレサ・フラクリンが亡くなったことを知りました。
私がブラック・ミュージックを聴くきっかけとなったミュージシャンの一人で、個人的な音楽体験の中でも大きな位置を占めていた人だったので、一時代が終わったような喪失感を感じています。

余は如何にしてアレサ・フラクリン信徒となりし乎

1960年代生まれで洋楽を好んで聴いていた世代では、パンク/ニューウェーヴという同時代のポップ・ミュージックが変遷する影響の下で、リズム&ブルース、ソウル、ジャズなどのブラック・ミュージックの過去の音楽遺産に突き当たり、白人中心のロックから、ブラックミュージック全般にも音楽的嗜好が広がっていったのが、同世代における音楽遍歴の一つの典型でした。もちろん、ブラック・ミュージックに興味が向かわなかった人や、他の契機でブラック・ミュージックを聴き始めた人もたくさんいたとは思いますが。
これはパンク・ムーブメントの中から出発したバンドやミュージシャンが、音楽的な成長や進化を試みる中で、そのアイディアや音楽的発展の源泉を過去のブラックミュージックに求めたことに起因しています。

特にパンクは、アイディア勝負の一発芸的なところがある音楽ジャンルだったので、同じスタイルを続けるとどうしても一本調子になるし、マンネリ化が避けられないため、多くのパンク出身のバンド・ミュージシャンが、音楽性を広げ、賦活する源泉として、過去のブラック・ミュージックに着想を得て、新しいスタイルを確立することを模索していました。
代表的な例として、パンク・ムーブメントの中でデビューしたバンドJamのリーダーだったポール・ウェーラーが、ブラック・ミュージックからの直接的な影響を感じさせるユニットのStyle Councilを結成したことがあげられます。


Style Councilの2ndアルバム『Our Favorite Shop』の裏ジャケットには、レノン/マッカートニーのポートレイトと一緒に、Sly & Family Stoneのベスト・アルバムが写真に収まっています。この時代にはスライは、ほぼ忘れられた存在で、当時チャートを賑わせていたPrinceとの関連で音楽評論家から影響を指摘されるくらいでしか、名前を目にする機会はありませんでした。

パンク/ニューウェーヴ世代より一世代上の英国人デヴィッド・ボウイが、ディスコ・バンドのChicのベーシストだったアフリカ系アメリカ人ナイル・ロジャースをプロデューサーに迎えてアルバム『Let's Dance』を制作し、悲願だったアメリカでの商業的な成功をキャリア史上初めて収めたのもこの頃でした。

アレサ・フラクリンとの関連では、その頃、一世を風靡した英国のニューウェーヴ・バンドScritti Politti が、1985年に発表した曲「Wood Beeze」の歌詞に、彼女の名前が使われたのが話題になりました。この曲を通して彼女の名前を知ったという同世代の人も少なくありません。

Each time I go to bed I pray like Aretha Franklin
ベッドに入るといつもアレサ・フラクリンみたいに祈るんだ



この曲のプロデューサーは、アレサ・フラクリンのブロデュースも多数手がけた、アリフ・マーディンです。シーケンサーなどを多用した、当時最先端のサウンド・スケープと16ビートのブラック・ミュージック的リズムの融合が、その頃は非常に斬新で、ピーター・バラカン氏などのうるさ方の批評家からも高い評価を得ていました。

さらに遡ると、1980年に発表されたSteely Danのアルバム『Gaucho』収録曲の「Hey Nineteen」にもアレサの名前が出てきます。

Hey Nineteen 
That's Areetha Franklin 
She don't remember the Queen of Soul 
It's hard times befallen 
The sole survivors 
She thinks I'm crazy
But I'm just growing old

ねえ、19歳の君
アレサ・フラクリンだよ
ソウルの女王を知らないんだ
年寄りにはきついね
たった一人の魂の生存者さ
彼女は俺のことをバカだと思ってる
だけど俺は年を食ってるだけさ



すでに80年頃から、彼女は生ける伝説と化したのが確認できます。その分、同時代的なセールスでは苦戦していたようですが、話が逸れるので、ここでは言及しません。

Steely Danは別として(彼らは、キャリアの最初からブラック・ミュージック寄りだった米国人ユニット)、こうしたパンク/ニューウェーヴ出身のミュージシャンが、徐々にホワイト・ソウル/ブルーアイドソウルへと軸足を移していく時代風潮の中で、自分の音楽的な興味も、白人中心のロックからブラック・ミュージックへと推移していきました。
ただし、正確を期すと、この時代にもSmithとかCureとかEcho & the Bunnymen とかの思春期拗らし系のニューウェーヴ・バンドも健在でした。ただ、その辺りのバンドの音が、ブラック・ミュージックに触れた後の自分にとってリアルに響かなくなったので、以前のように英国ロックにハマることは少なくなりました。
しかしながら、2010年代の今になって、Blood Orange とか Weeknd とか The Intenet のような、おそらく上にあげた、思春期拗らし系のニューウェーヴ・バンドに影響を受けた可能性のあるブラック・ミュージックが現れたのはちょっと驚きです。

80年代中頃は、70年代のソウル系のレコードは、マーヴィン・ゲイやスティービー・ワンダーの代表作を除くと軒並み廃盤になっていて、中古盤屋で見つけても、プレミアム価格が付いていることが多く、なかなか手が出せませんでした。カーティス・メイフィールドなどの70年代ソウルの盤が手軽に入手できるようになったのは、渋谷系ブームでCDリイシューが進んだ90年代半ば以降だったと記憶しています。

一方、50年代、60年代のリズム&ブルースは、この頃でも比較的入手しやすく、輸入盤屋でそれなりに適正な価格で買うことができました。アレサの代表作に数えられる、67年のアトランティック・レーベルからのデビュー作『I Never Love S Man (The Way I Love you)』や2ndアルバム『Lady Soul』は、普通のレコード屋で国内盤も売っていました。

そうした事情もあり、二十歳前後の学生時代に一番良く聴いていたのは、ブラック・ミュージックから影響の強い同時代のニューウェーヴ・バンドと50年代、60年代のリズム&ブルースでした。巷で流行っていたのはユーミンでしたが、その頃から今に至るまで、ちゃんと聴いたことがありません。
若かったので、未知の音楽に対する好奇心が非常に強く、とりあえず片っ端からリズム&ブルースのレコードを聴き漁っていました。この盤に自分の知らないすごい音楽が詰まっているかもしれないと思うと、財布の事情を無視して購入して、急いで帰ってレコード・プレイヤーに載せていました。レコード屋の良い養分だったと思います。
いろいろと聴いた中でも、やはりサム・クック、アレサ・フラクリン、レイ・チャールズなどのビック・ネームは、表現力や歌の上手さや、バックのサウンド・プロダクションの完成度が別格だなぁと感じていました。
こうしたリスナーとしての遍歴から、音楽の善し悪しを判断する基準点の一つとして、1960年代後半にリリースされたアレサ・フラクリンのアルバムが、自分の中で機能しています。この時期に、自分の中でアレサを聴く以前と以後で、音楽の評価軸に断絶が出来てしまったようです。もちろん、それだけが原因だったわけではなく、複合的な要素があったと思いますが。

今日は彼女の追悼記事をずっと読んでいましたが、彼女のキャリアを要約した記事があったので、ご興味があればお読みください。
女性解放運動、波乱続きの私生活、アレサ・フランクリンの生涯を振り返る

本当はもっと射程を広く取った内容の文章を書くべきなのかもしれませんが、音楽・文化史的な側面からだと、他にふさわしい人がたくさんいるに違いないので、どうしてゴスペルともブラック・カルチャーとも無縁な極東の島国の住人が、彼女の歌を聴くようになったかの個人史に焦点を絞って書きました。

ネットの追悼記事を読んでいて誰かが指摘していたのですが、アレサの命日がエルヴィス・プレスリーと同日でした。生前からのプレスリーの呼び名が「King」で、アレサは「Queen of Soul」です。王国でない国のキングとクィーンが同日に亡くなったのは、不思議な機縁を感じます。
二人とも思想信条は保守的だったと言われていて(プレスリーは、徴兵に応じて、二年間兵役を勤めた。また、ベトナム反戦活動をアメリカで広げていたジョン・レノンに対して、批判的だったとも伝えられている)、表立って政治的な発言はしなかったにも関わらず、その存在感や彼らの歌唱の力によってのみ、時代の転換期のアイコンになったのも—前者はロックンロールという人種融合的な新たなユースカルチャーの勃興の、後者は人種差別撤廃に向けた公民権運動や女性の権利向上の—共通しています。彼らの歌声には、本人すら意識していない、豊かな多義性を聴いた人に呼び醒ます何かがあったからだと思います。この不思議な能力によって、彼らは仮象の王国のキングとクィーンとして、政治とは異なる次元で、人びとの心の中に君臨したのでしょう。

アレサの死をきっかけに、20歳前後の頃、お目当てのレコードを探して、外盤屋や中古盤屋巡りをしていたことを思い出しましたが、今もヤンゴンの生地屋を回って、ほぼ同じことをしているので、人間の気質は、結局死ぬまで変わらないのかもしれません。

最後に、もし、これから初めてアレサ・フラクリンを聴いてみようと思う人のために、お勧めの三枚を選びました。個人的には、これらのアルバムを聴いた方が、明らかに人生における感動の幅が広がると思っています。未聴の人で、少しでもご興味があればお試しください。

「Queen of Soul」と同様に彼女の呼び名であった「Lady Soul」をタイトルにした、コロンビアからアトランティックに移籍後の2ndアルバム。アトランティックでの1st『I Never Love S Man (The Way I Love you)』と共に名盤の誉れ高いアルバムですが、最後のトラックAin't No Wayが大好きなので、こちらを選びました。

彼女のキャリアのピークを記録したフィルモア・ウエストでのライブ・アルバム。
最初に聴くなら、このアルバムが良いかもしれません。 ソウル・ミュージックの最良のエッセンスが詰まったアルバム。バーナード・パーディーやコーネル・デュプリーなどの腕利きミュージシャンによるバッキングも最高です。

たしか倉庫から発見されたアウト・テイクで作られた編集盤。正式テイクとは異なる、ピアノの弾き語りなどの生の彼女の歌声が堪能できます。

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