2017年9月11日月曜日

ミャンマーの奥の細道〜ミャンマーの翻訳出版事情について考えた

定期的にミャンマーの本屋を回って、どんな本が翻訳されているのかをチェックしています。
最近、新たに村上春樹の『1973年のピンボール』と『めくらやなぎと眠る女』のミャンマー語訳が出ているのを見つけました。長編に関しては、ほとんどの村上作品がミャンマー語に訳されて出版されています。
ただし、短編集に関しては『象の消滅』と『めくらやなぎと眠る女』しか見たことがありません。この二冊はアメリカ市場向けに編まれたアンソロジーなので、英語版からの重訳だと思われます。
また、『1973年のピンボール』が日本で出版されたのは1980年ですが、正式な英訳が出たのが比較的最近なので、最近出版されたミャンマー語訳もおそらく英語版からの重訳でしょう。
ミャンマーでも英語話者の方が、日本語話者よりも圧倒的に多いので、日本語の元本からの翻訳よりも、英語版からの重訳が多くなるのは当然かもしれません。そして英語圏でもポピュラーな作家である村上春樹の作品が、ミャンマーでも数多く翻訳されているのも商業的な理由からも必然でしょう。ただし、版権・著作権等はクリアしてないと思いますが。

ミャンマー語版『1973年のピンボール』

ミャンマー語版『めくらやなぎと眠る女』


そして最近、オーストラリアの作家 リチャード・フラナガンの"The Narrow Road to the Deep North"のミャンマー語訳を本屋で見つけて、こんな本も翻訳されるようになったんだ、と感慨深いものがありました。2014年にマン・ブッカー賞を受賞した、英語圏で評価の高い長編小説です。リチャード・フラナガンの小説は、長編2冊が日本語に翻訳されていますが、本書は今のところ未訳です(たぶん)。
2年前に香港の空港でトランジットした際に、空港の本屋でこの本を買いました。英文で450ページ近くある長編なので、私の英語力ではなかなか歯が立たずに、少しづつしか読み進めなかったのですが、ミャンマー語訳も出たこともあり、これを期に一気に読み通しました。
私の拙い英語力でどこまで理解できているかどうか不明ですが、以下に本書を紹介します。

ミャンマー語版"The Narrow Road to the Deep North"


松尾芭蕉の『奥の細道』の英語訳のタイトルは、The Narrow Road to the Deep Northだそうで、この長編小説のタイトルはそこから付けられています。
主人公のドリゴ・エヴァンズはオーストラリア人医師で、軍医として参加した第二次大戦時に、戦争捕虜としてタイービルマ鉄道(泰緬鉄道)建設現場に送られた過去があります。
タスマニアの田舎でただ一人の大学進学者としてメルボルンに出てきたこと、物資も食料もない中で、鉄道建設に従事させられたオーストラリア兵が次々と死んで行くのを止めることことができなかった無力感と贖罪意識、捕虜収容所での無私のオーストラリア兵たちへの貢献から戦後、国民的英雄に祭り上げられたことへの居心地の悪さなどが、戦前・戦中・戦後の時系列をランダムに前後しながら語られます。作品中大きな主題をなしているのが、戦前に体験した激しい恋愛が、戦争によって切り裂かれたエピソードです。
泰緬鉄道建設キャンプでの日本兵と在日韓国人兵からのオーストラリア兵への虐待も克明に描かれています。満足な道具も食料もないまま、強制労働に従事させられ、飢餓やコレラで衰弱して次々と命を落としていく捕虜や、体調不良を理由に作業に従事しなかった捕虜が一日中殴打された末に死に至る描写などは、読んでいて辛いものがありました。
今のいい方で言えば、究極のブラック企業的な環境だと言えます。
企業なら辞めれば済みますが、このケースだとサボったり逃げたりすると、殺される可能性が高いので(ほぼ殺される)、逃げ場がありません。
日本の組織にありがちな、いつの間にか手段が目的化する、戦略の欠陥を現場の努力と犠牲(戦術)で補わせるという問題は、泰緬鉄道建設キャンプで起こっていたと考えてよいでしょう。
インドービルマの国境で実施された、インパール作戦の大日本帝国陸軍の従軍経験者も最大の敵は、日本軍であったと語っていたくらいですから。
この作戦では、兵站・補給を度外視して、食料の入手が困難なジャングルを縦断するという戦略自体に欠陥があったにも関わらず、現地調達という命令のもとに兵士が前線に送られ、大多数の死者が敵軍との戦闘ではなく、餓死と病死により命を落としたと伝えられています。

陰惨な暴力や、悲惨な死が描かれているものの、作品に起こった出来事を告発するトーンはなく、淡々と物語は語られます。虐待する側の日本の軍人も悪逆非道な人間だからという理由ではなく、大本営からのプレッシャー、そして皇軍の威光を示すためにも鉄道を予定内に完成させる必要に迫られているため、人命は二の次とせざるを得ない事情が説明されています。

以下に少しばかり日本語に翻訳します。邦訳されていない小説なので、日本語になるのは最初かもしれません。
時刻は真夜中に近かった。彼は目の前に整列した700人に向かって、これから100マイル先のサイアムのジャングルを行軍して別のキャンプに移動する100人を選ぶのが自分に課せられた仕事だと説明した。選抜者は朝の行軍の後、すぐに出発することになる。
男たちは何度も何度も点呼された。何度かは帳簿の数字と合わなかった。何人かの男がよろめいて、列から外れたため、さらに事態は混乱した。軍医は誰を送るべきか、留めるべきか、そして留める理由をどう言うべきかを考えた。福原との間に激しい応酬があった。彼はこの遅い時間にも関わらず、清潔な軍服を着ていた。そして何人かのオーストラリア人兵が張り倒された後に、警備兵による点呼が再開された。
中村少佐は福原と共に、一時間早く彼の所にやって来て、スリー・パゴダ付近のキャンプまで行軍する100人を選抜するように命じた。
もうこれ以上、誰にもそんな要求は出せません。ドリゴ・エヴァンズは抗議した。そんな行軍に耐えられる捕虜は、このキャンプにはいません。
中村少佐は、100人を選抜すべきであると譲らなかった。
あなた方が捕虜の待遇を変えない限り、全員が死ぬことになるでしょう。
中村少佐は、オーストラリア人の大佐がそうしないなら、自分が選ぶとほのめかした。
全員が死んでしまいます、ドリゴ・エヴァンズは言った。
再度、福原中尉が通訳した。中村少佐はこう言っておれられる。
それは結構なことだ。それで日本兵のための米が節約できる。(P435)
ちなみにこの中村少佐は、終戦直後には戦犯指定されて、偽名を使って生活し、ポン引きを殺して米兵の持っていたドルを奪うところまで一時は零落します。
かろうじて生き残ったオーストラリア人もトラウマから、いつも戦友とつるんでアルコール漬けになる者もいます。
ある意味、誰もがあまねく平等に戦争によって人生を狂わされ、心に傷を負っています。その中には、徴兵され戦地に送られた者だけではなく、その家族や恋人まで含まれています。勝者も敗者もいない、英雄も悪漢もいない、そこにあるのは無作為に降りかかる暴力と死だけという戦争観は、クリント・イーストウッド監督の戦争映画にも通じるものあがあります。


タイトルが芭蕉の代表作から取られているのは、主人公のドリゴ・エヴァンズと副主人公の中村少佐が、俳句の愛好者であることが理由だと思われます。

作中では、小林一茶の俳句の英訳が引用されています。
A world of dew and within every dewdrop a world of struggle
露の世の 露の中にて 喧嘩かな
残念ながら「露の世の喧嘩」は、今も世界各地で起こっています。
マーヴィン・ゲイが "What's going on" と歌い、スライ・ストーンが "There's a riot going on" と無音の曲で抗議したように。

 

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