2015年4月25日土曜日

カンボジアでミャンマーを考えた2〜雑貨編

前回に引き続き、カンボジア旅行の所感を書き留めます。
今回は、カンボジアのシュムリアップの土産物屋で見た雑貨についてです。

土産物屋はミャンマーに較べて、洗練されたショップが多いことが印象に残りました。
ミャンマーの場合、外国人旅行者にも馴染みやすい垢抜けたお店は、今のところPomeloくらいしかありませんが、カンボジアではそれほど珍しくないようです。
Pomeloはヨーロッパ人のご婦人方がNPO的に運営していますが、カンボジアの洗練されたお店もやはりヨーロッパ人や日本人のNPOが運営しているところが多かったです。


再生ナイロンを素材としてバックを製作しているイタリア人経営のブランドSmateriaはカラーやデザインがポップで、十分普段使いになりそうな実用性も備えていました。
空港にもショップがありましたが、街のショップのほうが2割くらい安かったので、買うなら市中で買った方が良いでしょう。


日本のNPO法人かものはしプロジェクトのショップは、カンボジアのい草を素材に製作した雑貨もカラーリングが楽しく、なかなか魅力的でした。


その他、タンタングッズがけっこう売ってるのが目につきました。
フランスが宗主国だったことの影響でしょう。


ツボにハマって買ってしまった、タンタン・イン・タイのパネル。もちろん原作でタンタンがタイのゴーゴーバー行くエピソードはないでしょうからパロディーです。6USDでした。ローカルの土産物屋では、価格は交渉制なので、もっと安くなるかもしれません。


こちらはタンタンTシャツ。3USDでした。


一般的なローカルの土産物屋はレイアウトが整理されてなく、ミャンマーとそんなに変わりません。土着的などんより感も共通しています。


洋服も夏服として日常的に着れそうなこなれたデザインの服が揃ってました。


陶器類も外国人が喜びそうなシックなデザインのモノが並んでいます。


バンコクのカオサンによくあるカウンターカルチャー・自分探し系の本が並ぶ古本屋。この街の雰囲気なら必ずあるだろうと探していたら、やはりありました。


ジャック・ケルアック、ハンター・トンプソン、村上春樹とバンコクのカオサンの古本屋と並ぶ本のラインナップが同じ(笑)。


オールドマーケットは、食料品売り場も併設していて、訪れた日が東南アジアの大晦日にあたったため、地元の買い物客でごった返していました。


旅行客が訪れる、オールドマーケット・パブストリートエリアの雰囲気はバンコクのカオサンとよく似ています。ヒッピー的な風貌の外国人が集まり、外国人向けの飲食店の数が多いところなどが。
こうしたユルい雰囲気が好きな方なら、きっと気に入る場所になるでしょう。


次回、シュムリアップのレストラン・カフェ編へ続きます。

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2015年4月23日木曜日

カンボジアでミャンマーを考えた1〜概要編

カンボジアのシュムリアップに4月10日〜4月16日 の間行ってきました。
6泊7日で、移動時間を除く実質滞在期間は5日でした。
ミャンマーでの水掛け期間中の、大型スピーカーでガンガンレベルの低い音楽かけてうるさい、ホースで水掛けられるので外歩けない、しかも店閉まってて不便、という三重苦を避けるのが目的です。
最初はバルセロナに行くつもりでネットで適当な便を探していたのですが、安価な航空便がなく、旅費が20万円近くかかるため断念しました。代わりに、まだ行ったことないという理由で、カンボジアのシュムリアップに行き先を変更しました。
そんな訳で、カンボジアに関して何の予備知識も思い入れもなく行ったわけですが、意外にもミャンマーのことを改めて考える様々な知見を得られました。
やっぱり、時々は外に出てみないと、客観的にその土地のことを認識できなくなりますね。
特に投資先・旅行先として、ミャンマーは他のASEAN諸国と比較されることが多いので、近隣の東南アジアの国へ行って、いろいろと自分の目で確かめることは重要だと思いました。著名な経営コンサルタント大前研一氏も、日系企業のタイに続く投資先として、ミャンマーとカンボジアを比較してますし。
観光客も仏教遺跡に興味があれば、バガンとアンコールワットのどちらにするか比較するでしょうし。

ヤンゴンからシュムリアップまで、バンコク・ドムアン空港経由のAirasiaの預け荷物なしの一番安い便を使いました。宿泊先はホテルではなく、Airbnbで探した個人のアパートメントです。
シュムリアップで旅行業を営むオーストラリア人のDeanさんが三階建ての自宅を改装して、三部屋を宿泊施設として貸し出しています。一泊25USD程度ですが、清潔だし、個室でプライバシーは確保されているし、自由に使える屋上があってビール飲むのに便利だしで、これからシュムリアップ行く方にオススメです。屋上などの共有スペースを占有できるので、ホテルより居心地がいいかもしれません。ホストのDeanさんも、とても親切なナイスガイでした。



Deanさんのアパートの屋上。ソファ、椅子、テーブルがあってビール飲む時に重宝しました。


さて、シュムリアップ空港に到着したのは22:00だったのですが、イミグレの対応が最悪で、この時は、これは間違った国に来てしまったかなと早くも後悔しました。
入国の手順は、1)空港入口で下痢・発熱などがない旨の健康に関する用紙を提出して、黄色いスリップを貰う、2)アライバルビザの取得の申込用紙に記入して、ビザ発行カウンターに用紙とパスポートを提出し、ビザを取得(空港で入国ビザを取る場合)、3)アライバルビザの番号を、入国審査用の用紙に記入して入国審査官に提出(空港で入国ビザを取った場合)の三段階に分かれています。

左から1)、2)、3)の記入用紙
 
1)の段階で、空港入口で係員が用紙を手配りしていて、所定の用紙の置き場所がないため、用紙を求める旅行客がごった返して軽くカオス。記入するための机も用意されてないため、空港入口で、みんな座り込んだり、壁に用紙を押し付けながらして用紙に記入している。
2)の段階では、用紙置き場のラックが空で、旅行客がそれぞれ用紙を配っている係員を探し求めて、入国エリアが混乱状態。当然、動線とか人の流れとかまったく考えていない。
3)については、アライバルビザを発行する段階で、所定の用紙提出についてのインストラクションがなかったため、愛想のない入国審査官にパスポートを突き返されて、ようやくその存在を知る。どこにその用紙があるのかを数人の係員に聞いても、みんな知らないと答える。
ここイミグレだろ?、どうやってその用紙を入手するのか聞かれたら返事くらいしろよ。
入国審査の前列に並んでいたアメリカ人のグループも同じ問題で、右往左往していたので、彼らに聞いてようやく用紙をゲット。機嫌の悪い入国審査官の手続きを経て、ようやく入国。着いてから入国するまで、1時間強かかった。

事前に用意してもらったツゥクツゥクで空港からアパートへ移動。移動時間は約30分で、料金は5USDでした。

翌日の午前中にとりあえずアンコールワットとその周辺の遺跡巡り。離れた場所の遺跡もあるため、アンコールワットのチケットで行ける遺跡を全部踏破するのに2日かかりました。
いろんな人がブログに書いてるだろうし、学術研究もあるので、遺跡巡りの詳細については割愛します。個人的には、巨大な菩薩の顔を象った塔がそびえ立つバイヨンと、日本の古刹みたいな趣があるタプロームが見所がありました。


やはり世界的に有名な観光地なので、いろんな国から観光客が来てます。
多いのは地元カンボジアと欧米人で、だいたい同数で観光客全体の八割くらい。
アジア人だと中国人と韓国人をよく見かけました。日本人はあまり見かけませんでしたが、HISの観光バスは駐車場で見かけました。

アンコールワットで塔の後ろから登る朝日を見るのがお約束らしいので、2回目の遺跡巡りでは、5:30くらいに現地に行きました。早朝にもかかわらずけっこうな数の観光客が朝日が登るのを待っていました。


朝靄の中でしきりにポーズを取ってたアメリカ人の女の子たち。


ソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイズ』を思い出す。


遺跡巡り以外では、土産物屋で雑貨をチェックして、カフェでお茶飲んで、レストランで食事して、バーでダラダラ酒飲んで過ごしていました。

土産物屋については、ミャンマーに較べてかなり洗練されたショップが多数ありました。
ヨーロッパ人や日本人のNGOが経営している店は、垢抜けていて、商品の完成度も高かったです。
もちろんミャンマーでは一般的な、どんよりした土着感漂うお店の方が多く、そうしたタイプの店が全体の八割くらいでしょうか。



民度はミャンマーよりやや高めな印象で、街中にポイ捨てされたゴミは少なめ。
ヤンゴン市内にこんな市中を流れる川があったら、たちまちペットボトルやビニール袋で川面が覆われるでしょう(笑)。


意外だったのが食のレベルの高さです。
ビザもパスタもハンバーガーも標準以上に美味しかったです。
しかも5USD程度の料金。ミャンマーでは、この値段でレベルの高い外国料理は食べられません。
カンボジア料理も、観光客の多いエリアはおそらく外国人向け味付けで、初めて食べても美味しかった。


カンボジアもミャンマーと同じく上座部仏教の国ですが、文化的にミャンマーより開放的な印象を受けました。観光客も含む外国人の数が多いからでしょう。
ミャンマーでこんな入れ墨を彫ったら、即刻国外退去です(前例があります)。


小洒落た雑貨を売ってるショップはあるし、食事は美味しいし、気の利いたカフェやレストランは多いしで、入国時の不快感も忘れて、シュムリアップでは快適に過ごしました。
ビジネスビザの滞在期限が切れてバンコク行くときもそうなんですが、ミャンマーにはまだそうした場所が少ない、もしくは存在しないので、国外へ出るとここぞとばかりそういう場所に通い詰めて、想定以上にお金を使ってしまいます。

ショップとレストランやバーを巡る、夢のような日々は儚くも足早に通り過ぎ、早くも帰国日となりました。
アパートの前でツゥクツゥクを拾い、シュムリアップ空港へ向かう。空港に着いたら、今は正月だから10USDだとドライバーが主張。
空港からアパートまで5USDだったと言うも、なかなか譲らないので、仕方ないので8USDで手打ち。
やっぱ東南アジアだわ。乗る前にちゃんと料金交渉しなかったのが悪いんだけど。

16日夕刻、ヤンゴン空港に着くと、さらなる試練が待ち受けていました。
正月休みでタクシーの数が少ないのをカサにきて、15USDとか15,000チャットとかドライバー吹っかけてくる。通常、空港発のタクシーはカルテルを組んでいて、7,000チャットがドライバーの言い値です。アパートの近所でタクシー拾って空港に行くときは、4,000~5,000チャットなんですけどね。
どうも帰って来るのが、1~2日早過ぎたようだ。
ただでさえ高い空港からのタクシー代相場のさらに二倍以上の値段を吹っかけてくるので、とても使う気にならず、徒歩でタクシー拾える場所まで移動することにする。
バックパック背負って一人無人の空港前の道路を歩く。
預け荷物なしの最安値便にしていて良かった。スーツケース持ってたら、徒歩で移動できなかったろうから。
200~300m歩いたところで、ミャンマー人の中年夫婦が乗った自家用車が寄せて来て、タクシー?と尋ねる。
サウンチャンまで5,000チャットで交渉するが、なかなか譲らないので、ここも8,000チャットで手打ち。
街中に入ると、水掛け祭は18:00までなので、もう終わってるはずなのだが、19:00過ぎてもまだギャーギャー騒いでホースで水を掛けまくっていた。
来年からは、この時期に国外に出た時は、帰国日を水掛け祭最終日ではなく、水掛け祭が終わった正月明けにしようと誓う。


水掛けのステージを避けて、ミャンマー人の夫が運転する車がどんどん知らない道に入り込んで行く。何か街の外れに連れて行かれて、身ぐるみ剥がれるんではないかと嫌な予感が頭をよぎる。
途中、水掛けで渋滞して車が進まないことに主人が業を煮やし、車から降りて停車中のタクシーのドライバーと交渉をはじめる。何やら札を交換し、取引が成立したようで、8,000チャットの料金据え置きのままミャンマー人夫婦の車からタクシーへ乗り換え。
通常、30~40分の空港からアパートへの移動が、この日は90分くらいかかりました。

タクシーを降りる時に、10,000チャットを出すと、ドライバーが釣りを1,500チャットしか出さない。この日はいい加減ボラれるのにウンザリしていたので、大人気ないと思ったが8,000チャットなんだから釣りは2,000チャット出せと言う。しぶしぶドライバーが、濡れてぐしゃぐしゃになった札で500チャット出した。

遺跡の憶いでに浸りながら悠久の時に思いを馳せ、美味なる食事の記憶を反芻しつつ、帰路につくつもりだったのだが、やっぱりそんなに甘くなかった。外国人のロマンチシズムを打ち砕いたり幻滅させるのは、この国の人たちの得意とするところだし(笑)。

次回、疾風怒濤のカンボジア雑貨編、浪漫耽美のカンボジア・ナイトライフ編へと続きます。

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2015年3月24日火曜日

工芸からアートへ〜ヤンゴンの工芸品展に行ってきた


3月21日〜3月25日の間、"From Craft to Art ~ An Exhibition of Comtemporary Crafts"という展示会がドイツ大使館の関連施設Gothe Villaで開催されていたので行って来ました。
この展示会は、イギリス大使館、地元アーティスト支援を目的とするNPO New Zero Art Space、スイス大使館の後援で開催されています。


会場で配られていたパンフレットには、展示会の趣旨がこんな風に述べられています。
「このプロジェクトは、高品質なデザインの工芸品の製作のみならず、ローカル市場の立ち上がりを支援し、最終的に世界市場で通用するモノ作りへと道を拓き、生産者自身による中核地域が創造されることを目的としている」。
前の投稿のテーマと重なるところがあり、みんな同じ問題意識を共有しているのが分かります。地域経済圏の創造とか、ローカル性を武器にしたグローバル市場への参入とか。

趣旨はさておき、実際の展示品は、よく言えば大らかで素朴、悪く言えば大雑把で精巧さに欠けるミャンマーの工芸品の特徴が目につきました。
パンフレットには、プロジェクトの一環として、品質向上のための施策として、カナダ人インストラクターによるワークショップが開催されたと説明されていますが、なかなか一朝一夕では、このクオリティーの問題は解決されないようです。


少数民族が織った布は、ミャンマー工芸品の中で最もクオリティーが高いと思います。
しかし、こうした素材を使用して、実用品として落とし込んだ商品がないのがミャンマーの残念なところ。布だけだと、マーケットが布のコレクター(欧米人に多い)に限られるので。


展示会は即売会も兼ねていましたが、「SOLD」の札がいちばん貼られていたのは、シルバー・アクセサリーでした。中心価格が30USDと値段も手頃な上、商品としての完成度も高く、展示品の中でいちばん市場性がありそうでした。


展示会にイギリス大使館が関与していることは、19世紀に生きたイギリス人で、工業デザイナーの始祖とも言える人物ウィリアム・モリスを想起させます。
モリスは、当時のイギリスで産業革命による機械化が進展し、生産システムが大量生産に最適化される中で、プロダクト・デザインから、産業革命以前の生産品に備わっていた繊細さや精妙さが失われつつあることを批判し、職人技と手工芸の復興を訴えたアーツ・アンド・クラフツ運動を提唱者として知られています。今回の展示会のタイトル"From Craft to Art"も、モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に引っ掛けているのかもしれません。

約130年前のイギリスで起こった職人技消滅の危機と同様の事態が、現在のグローバリゼーション押し寄せるミャンマーでも起こりつつあることを考えると、時宜を得た展示会であると言えるでしょう。

日本にも世界に誇るべき工芸家柳宗悦がいます。また、彼の提唱した民藝運動のような、日常的に使用される工芸品の美や価値を再定義・再評価した思想・哲学もあるので、こうした活動は日本や日本人が貢献できる分野でもありますね。

そういえば、この前日本に帰った時に読んだ本、岡本仁『果てしのない本の話』の中に、柳宗悦とミッド・センチュリーを代表する工業デザイナー チャールズ・イームズの交流があったというエピソードがあって、世界はいろんなところで繋がっているのだなと、改めて実感しました。

  

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2015年3月17日火曜日

日本でミャンマーを考えた 〜「ヒップな生活革命」

先週末まで、10日程確定申告のため日本へ一時帰国していました。
滞在期間中は、主に福岡の大名・今泉周辺で過ごしていたのですが、だいたい本屋行って、セレクトショップで商品眺めて、カフェで本読んで、時々友人と酒を飲んでいたら、あっと言う間に10日間が過ぎてしまいました。
今回は、そのときに感じた、日本とミャンマーの市場、市場が向かっている傾向の差異と共通点について、つらつらと書き留めます。

ポートランド・ブルックリン化する商業地区

日本に滞在中で読んだ本で、大変興味深かったのが『ヒップな生活革命 (ideaink 〈アイデアインク〉) 』です。
本書は、ポートランド、ブルックリンといったアメリカのリベラルな地域で、現在進行中の消費トレンドの変化についてのルポタージュです。
ここでレポートされているのは、グローバリゼーションの影響やグローバル企業の提供する商品・サービスに対するオルタナティブとして、地域の多様性や個々人の嗜好を評価し、地域経済への貢献を促進するライフスタイル、ビジネス、消費活動です。
グローバル企業の提供する商品やサービスは、コストが低い場所(途上国)で生産・製造されたモノを、消費地(主に先進国)へ輸送するため、消費地である先進国での雇用創出に繋がらないことや、流通経路で生じる環境負荷の高さが問題になっています。また、グローバル企業は、租税回避のため税率が低い地域で法人登記をするケースが多く、会社の収益が向上しても地域経済へ寄与しないとことも指摘されています。

同書によると、ポートランドの地元民は、スターバックスのようなチェーン系の店より、豆の選別と自家焙煎にこだわった、地場資本の店を選ぶことを好みます。
NY市内に位置する都会のブルックリンでさえ、NY近郊の農場で収穫された無農薬の農産物を使うレストランが人気だそうです。
アパレルでも、途上国の廉価な労働者によって大量生産されたファーストファッションより、地元のデザイナーが企画し、デザイナー本人や地域の縫製業者により、家内製造業的に製造された衣服を着ている方が、情報感度の高い人(つまりヒップ)と評価される傾向があります。
他にも、本を買うときはAmazonよりも地元民の嗜好を理解した棚作りをした、地域密着型の地元の書店で買う、アナログ盤を販売するレコード店が増えているなどのムーブメントがあるそうです。

ポートランドにも、ブルックリンにも、行ったことはありませんが、こうした地産地消・スローフード・スローファッションなどのムーブメントは、日本でも街に出ると肌で感じます。
4年前まで住んでいた下北沢には、地元資本の飲食店やアパレルショップが健闘しているエリアですし、今回滞在していた、福岡の大名・今泉地区でも同様の傾向があります。

今泉では一軒家を改装したセレクトショップや、こうしたタイプの店に置いている地元産の民芸的な雑貨を、街を散策していてよく見かけました。



日本で生産されたことを強調する商品もかなり店頭に並んでました。


無印良品とTSUTAYAの進化が止まらない

こうした消費動向に対応した、大手資本の店も目立ちました。
とくに無印良品は大手企業なのにも関わらず、エコロジー・地域経済的な価値観に非常に上手く対応しています。シンプルで簡素というのが無印のブランドイメージですが、原産地を大きくうたった食品、日本の地方産の陶器や、インド地方産の生地による雑貨等、特定の産地のイメージを打ち出した商品も数多く店頭に並んでいました。

少し前まで、無印はシンプルな雑貨店というイメージでしたが、今は本屋あり、カフェあり、家作りありで、無印の旗艦店が一軒あれば、衣食住すべて事足ります。無印的なライフスタイルを提案しながら、個人の生活を全てをフォローする総合店舗と化しています。
20年程前は、家具も家電も実際に買って使ってみると、けっこう微妙だった商品もありましたが、今では店舗に行く度に進化していて、コストパフォーマンスやデザインのレベルで、普通の家具屋や洋服屋が追いつくのが難しいレベルにまで達してます。
今回見に行った時は、IDEEの家具の販売やメンズスーツのオーダーメイドまでやっていて、もうかつての無印とはある意味別物です。




ヤンゴンにも欲しいわ。当分、来ないだろうけど(笑)。

同じく大手資本で、TSUTAYAの進化も目を見張るものがあります。
代官山蔦屋書店の全国展開なのでしょうが、本屋にカフェ併設で新著をコーヒー飲みながら読み放題だし、弁護士や行政書士が常駐する起業・スタートアップの無料相談窓口まであります。これはもう、意識高い系の人には堪えられない空間ですね。個人の起業の促進し、地場経済へ貢献する、ローカリゼーション的な価値観に対応したサービスでしょう。

両者ともインテリアのコンセプトが似ていて、木目調のエコ・ロハスな印象を与える作りになっています。
今はかなり情報感度が高くないと、大手資本のサービスやコンセプトを陵駕するのが難しいと実感します。
むろん個人だとユニバーサルなサービスを提供する必要がないので、特定の分野で一点突破という方法論がありますが。

20年くらい前、サンフランシスコの本屋でお客がコーヒー飲みながら、店の本を座り読みしているのを見た時、こういう本屋が日本にも欲しいと思った覚えがありますが、まさか無印とTSUTAYAが始めるとは、当時は思いもよりませんでした。なんか胸熱ですね。

ミャンマーで「ヒップな生活革命」は進むのか?

それでは、私が今住んでるミャンマーで、ポートランド・ブルックリン化は進むのでしょうか?
通常、こういうサスティナブルとか、エコフレドリーとか、手仕事への評価とか、地場資本への配慮とかの消費性向は、あるレベルまで成熟した消費者や市場が存在するのが前提とされています。
現在のミャンマーにそれがあるかと言えば、かなり疑問です。
以前、Facebookでヤンゴン在住の外国人が、H&Mの不用品のワンピースを無料であげると投稿した時は、もの凄い勢いでミャンマー女子が食いついていたのを見ても、ファーストファッションに対して、搾取や環境破壊を生み出す主体として抵抗感を持っているとは考えにくいです。
また、無農薬農業を推進している日本のNGOの方にお話を聞いたときも、ローカルには安全な食品に対する問題意識や需要がないため、今のところミャンマー在住の外国人が顧客になっていると言われてました。

ここまで書くとミャンマーでは「ヒップな生活革命」は時期尚早ということになります。
しかし、消費市場から生産現場に目を移すと違った風景が見えてきます。この国の生産現場には、先進国にはない強みがあります。

まず大幅に産業の機械化が遅れているため、織物や縫製などの手工業に手仕事の伝承が豊富に残されていること。
ミャンマーの地方では、まだ伝統的な製法による織物の製造者がかなり残っています。ヤンゴンのような都心でも、婦人服は既製服よりオーダーメイドが主流です。つまり手仕事により少量生産したプレミアム商品へ対応できる製造基盤があります。



次に流通網が未整備なため、中抜きの中間業者がほとんど存在しないこと。
中抜きの業者がいないため、直接、企画・販売者が生産者と繋がることが容易です。日本のように、流通業の業界慣行や規制に悩まされることがありません。

そして、ヒップな経済活動の実践者が現れはじめていること。
数日前に私も知ったのですが、ミャンマーで注文婦人靴を製造している日本人の方がいます(白星製靴)。
日本で展示会、採寸をして、ミャンマーの工房で製造した後、日本へ納品というプロセスでビジネスを進めています。 納品まで半年待ちということなので、かなりのバックストックを抱えているのでしょう。
他にも婦人服の分野で、オーダーメイドの婦人服事業を準備している日本人の方もいます。

少量生産によるプレミアム商品を製造できる職人や技能が残されていることは、ミャンマーにとって貴重な財産であり、先進国に対する強みです。
ミャンマーには、ヒップを評価する市場はなくとも、その市場へ対応できる生産現場があります。
先進国の先端的な消費市場へ、ミャンマーの生産現場の強みを生かして切り込んでいくのは、なかなかエキサイティングなアイディアではないかと思います。

ミャンマーの人々にとっても、低廉な労賃を目的に進出し、大量生産・大量消費の商品を製造するグローバル企業の代替可能な労働者になるよりは、独立自営業者として個人の技能や個性を認められる少量生産のプレミアム市場への供給者となる方が幸せではないでしょうか。
グローバル企業は、労賃が上がれば生産拠点を移転するという雇用の不安定さを抱えている上、キャリアにおいても個人の技能の向上がマーケットから評価されることも少ないです。中国産のユニクロより、ミャンマー産のユニクロの方が味があると評価されることはありません。

白星製靴さんのようなヒップな実践者が現れはじめているのは、ミャンマーの将来にとって示唆的だと感じています。こういった事例が増えてくれば、ミャンマーは先端市場への供給者としての地位を確立できるかもしれません。

もしかすると、ミャンマーの生活革命は、他の先進国のように消費者サイドではなく、生産者サイドからはじまるのかもしれません。



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