2020年1月1日水曜日

(1) ミャンマー人の行動と気質を理解するための統一理論について考えた

明けましておめでとうございます。
去年の投稿では「 ミャンマーでは、善良であることと誠実であることは別の概念であることを考えた」が飛びぬけてアクセス数が多かったです。私の投稿でアクセス数が400近くあるのは珍しいことです。
せっかくなので、新年最初の投稿として、このトピックを深堀りしてみることにします。

まずは、前回までの考察をおさらいします。

前回の投稿で、ミャンマーでは、真面目さと勤勉さ、善良さと誠実さは別の概念であることを論じました。

前者は、その表出が瞬間的に観察される心性の有り様なのに対して、後者は、もっと長い時間軸の中で継続的に観察され、当該者の行為・行動の蓄積により、それらが当該者の持つ資質の発露であると事後的に認められる心性の有り様である。
ミャンマーでは、継続的・長期的に人が評価される社会的な基盤や価値観が希薄なため、後者(勤勉さ、誠実さ)の資質は育ちにくい(ゼロとはいいません)。
そのためミャンマーでは、儒教文化圏の東北アジア人には、多くの場合、自明とされている、前者(真面目、善良)に後者(勤勉、誠実)が包括される、あるいは同一の集合に属するという概念は当てはまらない。
真面目な人物が怠惰であったり、善良な人物が不誠実であるということもあり得るし、真面目で善良だと思っていたミャンマー人から裏切られた、騙されたというケースもしばしば仄聞する。

これは、彼ら・彼女らが、真面目で善良な仮面の下に邪悪な魂を隠し持っているからではありません。
北ヨーロッパの推理小説なんかでは、陰惨な殺人事件を起こしている犯人は、登場人物中、最も善良で悪意のなさそうな人物であるのが常道ですが、そうした自らの邪悪さを善意の仮面で覆って他者を欺くような複雑さ、狡猾さ、陰険さはミャンマーには存在しません。
理由は、おそらく、もっと単純です。
それは、彼ら・彼女らの世界観では、時間軸で評価する文化が希薄なのではないか、という仮説を立てています。
人物が、時間の経過を伴う行為・行動の中で、蓄積的・累積的に評価される社会的な土壌があまりない。
そして、個人単位でも、時間の経過の中で、行為・言動に一貫性や整合性を失っても、自己矛盾や齟齬に悩まされることは少ない。

通常、人間には自己同一性(アイデンティティ)を保つため、自らの行為・言動に一貫性・整合性を持たせる心理機構が存在します。
この心理機構を利用したセールス・テクニックを『影響力の武器』という本で読んだことがあります。
ずいぶん前に読んだ本なのでうろ覚えですが、著者の体験したこんなエピソードが実例として紹介されていました。

ある日著者の家に、タンクトップを着た魅力的な若い女性が、アンケートに協力してもらえませんか?と訪ねてきた。魅力的な女性の申し出なので、とりあえずアンケートを了承した(著者は男性)。あなたは健康とライフスタイルの充実に留意してますかとの問いに、イエスと答えた(魅力的な女性の前でいい格好したかった要素が多分にある)。すると、では、あなたはこれを買う必要がありますねと、健康食品か健康器具を売り込まれた。著者は、健康とライフスタイルの充実に留意していると言った手前、自らの発言を裏切れずに、その商品を買う破目になった。


これは、 自己同一性を維持するため、自らの言動の一貫性・整合性を保とうとする心理機構を利用したセールス・テクニックですが、ミャンマー人に同様の営業をした際、どういう結果が出るか興味があります。

以前の投稿で書いたAさんから、メッセンジャーで、クリスマスカードやら新年祝いの画像が頻繁に送られてきますが、彼女は自分の行為に矛盾や齟齬を感じていないため、こちらに対して後ろめたさや罪の意識はまったくなく、これまでと同様に接してくるのでしょう。
ちなみに、彼女が持ち出したネームタグは、年末に買い取りました。出自のよくわからない物にお金払うのは、抵抗がありましたが、知らない所で勝手に使われてブランド価値を棄損されても困るため、持たせておくわけにもいかなかったので。

あくまでここに書いているのは仮説ですが(fMRIで、実際に脳の活動を観察した実証実験をしたわけでもないので)、これまでの仮説を補強するエピソードとして、以下のようなケースを実際に見たことがあります。

ミャンマー人実業家Mさんと中小企業社長の日本人Iさんは、20年以上の付き合いがあった。
Iさんは、これまで一緒にMさんとは仕事をしたことはないが、交友歴が20年以上あるので、Mさんとは信頼関係が構築できていると考えていた。6、7年前のミャンマー投資ブーム時に、Mさんの元に日本の投資家が日参するようなった。中には、個人で数十億円を動かせる投資資金を持つ投資家もいた。Iさんも当時のミャンマー投資ブームに乗じて、Mさんとの共同事業の提案をした。Iさんは20年来の交友関係があるので、信頼関係がある自分が優先されるものと信じていた。しかし、Mさんは、知り合ったばかりの潤沢な投資資金を持つ日本人投資家との関係を重視し、大きな投資資金を持たないIさんを次第に疎んじるようになり、Iさんから電話があっても居留守を使うようになった。

このケースは、上述した、時間軸のない世界観から導き出された典型的な行為として観察し得ます。
時間を伴う行為・行動の蓄積(ここでは20年以上の交友関係)よりも、目先の利得を優先するのは、Iさんが考えていたのとは異なり、Mさんにとっては、長期にわたる交友関係には大した価値がなかったからでしょう。
行為・行動が蓄積されて、累積的に信用という形で評価される東北アジア人的な価値観と、その時々の利害関係によって、毎回関係性がゼロクリアされるアジア東南アジア人的な価値観がすれ違った典型的なケースと言えます。

ここまでが、前回までのおさらいです。
少し肉付けしたり、実例を入れて実証性を補完したので長くなりました。
いままで、ミャンマー人の行動様式を時間軸という概念を用いて説明してきましたが、もっと包括的かつ明示的に説明できそうな方法を思いついたので、本稿を書き起こしはじめました。
おさらいが長くなったのと、書きながら考えていて疲れてきたので、新しい説明方法については、次回の投稿で書くことにします。

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