2019年12月14日土曜日

ミャンマーでは、善良であることと誠実であることは別の概念であることを考えた

ミャンマーに来た頃、最初に感じたのは、ここでは真面目であることと、勤勉であることは、別の概念だということです。
そもそも、勤勉であることが美徳と見なされているのは、儒教文化圏、あるいは仏教では大乗仏教が主流になっている東北アジアの国々、及び北ヨーロッパのプロテスタントが信仰されている国々で、上座部仏教やカソリックが信仰されている国では価値観が異なります。
上座部仏教が熱心に信仰されているミャンマーで最も尊敬されているのは、修行を重ねて解脱した僧侶です。解脱した僧侶は、労働も再生産(生殖)もしない、究極の無為の人です。
カソリックでは、労働は神から与えられた罰と考えられています。
一時期イタリアで暮らしていた村上春樹は、この時期に書かれた紀行文『遠い太鼓』の中で、イタリアの郵便局の職員がいかに怠惰かが縷々述べています。郵便局員がまともに働かないから、長蛇の列がいつまで経っても短くならない。たまに例外的に勤勉な職員がいて、てきぱきと事務処理をして、その時だけ一気に行列の人数が少なくなるが、そういう人物が特に評価されている風でもなく、「あいつは、ああいう風に働くが好きなんだろう」くらいの受け止め方しかされていないように見えると書いています。


作家兼実業家で「金儲けの神様」と呼ばれた邱永漢も、「仏像が寝ている国は、工業生産に向いていない」とどこかに書いていたように記憶していますが、これも上座部仏教が信仰されている国を指しているのでしょう。

最近、それとは別に、ミャンマーでは「善良さと誠実さは別の概念である」と気づかされる案件が発生したため、今回はそれについて書きます。

二か月ほど前に、縫製をお願いしているNGOの縫製部門のマネージャーAさんが辞職しました。彼女は20年ほどこのNGOに勤務していて、ベテランとして信頼され、スタッフから頼りにもされていました。私も複雑な縫製を頼むときに、彼女が作業手順などを縫製担当のスタッフに説明してくれたお陰でずいぶんと助けられました。
ふくよかでいつもニコニコしている、絵にかいたような善良そうなビルマ系の中年女性です。自分の子供も他人の子供も同じように可愛がるし、ペットとして飼ってる犬を大切にするところなどを見ると、彼女が心優しい善良な人物であることを疑うのは難しいです。
辞めるときは突然で、引継ぎや事前の連絡などはまったくありませんでしたが、それはミャンマーでは当たり前のことなので、特に驚くことではありません。

私のブランドのネームタグの製作も、彼女を通して業者に頼んでもらっていました。自分で管理していないと危ないな、とは時々感じていましたが、何となく今まで先延ばしにしていました。
彼女がいなくなった後、ネームタグを使い切ってなくなったとの連絡が、約一ヶ月前にNGOのスタッフからありました。
最後に注文したネームタグの数とそれ以降生産した商品の数を計算すると、足りなくなることはないはずです。計算が合わないので、前任者のAさんに聞いてみてもらえないかとNGOのスタッフの方にお願いしました。彼女が誤って持ち出したかもしれないと思ったからです。NGOのスタッフがAさんに訊ねたところ、自分は持っていないと答えたとのことでした。
釈然としないまま、作成してくれるところを探して、新たにネームタグを作りました。
この時は、前任者のAさんに今まで頼んでいた業者をNGOのスタッフの方に聞いてもらって、その店に行ったのですが、「前からここにお願いしていたはずなんだけど」と言っても全然話が通じず、結局Aさんから教えてもらった店では同じものが作成できないことが判明しました。プリント屋が密集しているエリアなので、近隣の店に聞いて回って、作れる店が無事見つかったので、事なきを得ました。
自分に利益が生じないことを聞かれると、面倒がって、確度の低い、その場しのぎの回答をするという対応もミャンマーではよくあることなので、この時も特に何とも思いませんでした。

AさんとはNGOとの仕事を通して3年間程度の付き合いがあり、相手がこちらのやり方を知っていて、意思疎通がしやすいため、縫製の仕事を外注できないかと考え、コンタクトは継続しています。
現在、新商品のサンプルの作成を彼女に依頼中で、一昨日受け取る約束をしていましたが、当日の約束時間の一時間前になってキャンセルの連絡が入りました。キャンセルの連絡があるだけこの時はましな方で、今まで約束の時間に家に行っても留守だったことが3回ほどありました。
こちらも相手を完全に信用しているわけでもないので、サンプルの作成を頼んでいるのは相手にとってコピーする意味のないメンズの新商品です。裁断、縫製を依頼する時に、相手に商品の型紙を渡すので、コピーする気になれば簡単にできてしまいます。
レディースの商品だとミャンマー人の女性にも売れる可能性がありますが、メンズ・ファッションのミャンマー人マーケットは存在しないので、コピーする価値はありません。彼女の顧客は、ミャンマー人女性が中心で、在ミャンマー外国人の男性へ販売するルートを彼女は持っていません。
サンプル作成を頼んでから一ヶ月以上経ちますが、遅々として作業が進行しないのは、コピーする価値がないため、あまりやる気がでないのかもしれません。

この時に、おいおいと思ったのが、キャンセルの連絡と共に、「あなたのネームタグ750枚、私持ってるけどいくらで買う?」というメッセージと写真が送られてきたからです。

メッセンジャーに添付されていた写真

あなた、前の職場の人に聞かれたときに、持ってないと答えたんじゃなかったっけ?、と普通考えますよね。
何か怪しいとは思っていたけど、やはり持ち出していたわけです。
私は在庫を作りたくないので、いつも100枚単位でしか発注してないのに、彼女が750枚持っているということは、おそらく桁を間違えて誤発注したのではないかと推測します。
作成を頼んだのは彼女がNGOに勤務していた時ですが、この時彼女が誤発注した余剰分を自腹で補填したのか、NGOの経費で支払ったのかは不明です。
後者だとすると、こちらに売ろうとするのはおかしいことになりますが。
たぶん、そんなこと深く考えてないと思います。おそらく、在庫持ってるから、現金化したいとしか考えていません。
いつもニコニコしていて、子供や小動物に優しく、悪辣さや邪悪さとはまったく無縁に見える人物が、なぜこうした挙に出るのか?
その問いを解くにあたって「善良さと誠実さは別の概念である」という、ミャンマーを含むおそらく東南アジアに共通するマインドセットが鍵になりそうです。
善良さと誠実さは似た概念ではありますが、時間軸を尺度とすると、顕在、表出の仕方が異なります。
善良さは、他人に悪意を持たない、穏やかであるなど、その表出が瞬間的に観察される心性の有り様です。
そして誠実さは、もっと長い時間軸の中で継続的に観察され、行為・行動の蓄積により、それらが当該者の持つ誠実さの発露であると事後的に認められる心性の有り様です。あの人はいつも約束を守る、今まで嘘をついたことがないなど、誠実さが認められるまでには、一定の時間軸を伴う蓄積的な評価が必要となります。
そして、ミャンマーを含む東南アジアエリアでは(行ったことないけど、おそらくアフリカなどでも)、継続的・長期的に人が評価される社会的な基盤や価値観があまり存在しないように思われます。
話を戻すと、Aさんが一度は持ってないと答えたネームタグを実は持っていて、いくらで買う?と訊いてきた件については、おそらく彼女の心中には、齟齬や矛盾や葛藤、後ろめたさは存在していないのではないかと推測します。
持っているかと聞かれたときは、持っていると自分が誤発注したことがバレるので、持ってないと答えた。しばらくして、現金が必要になってきた時に、これを売れば金になるのではないかと考え、買わないかと持ち掛けた。この言動の間に一ヶ月程のブランクがあるので、この二つは彼女の中では繋がっていないのでしょう。
ミャンマー人が、一貫性とか整合性を勘案して、自分の言動や人格に同一性を保持しようと意識することは少ないのではないでしょうか。

真面目さの中に勤勉が、善良さの中に誠実さが含まれていないというのは、おそらく東北アジア人には理解しにくい心性です。
だから、「国民性に惚れた」とかの理由で進出した日系企業が、這う這うの体で撤退するような事態が、ミャンマーブームだった5、6年前に度々起こっていたのでしょう。

今回の件については、正論を振りかざして、相手を裁くようなことは言わずに、穏便にネームタグを取り戻す予定です。事を荒立てて、腹いせに勝手にネームタグを使われたり、横流しされてブランド価値を棄損するような事態は避けたいので。
メンズの新商品のサンプルも粘り強く交渉して、彼女の工房で完成させたいです。今まで、頼んでいるNGOが人出が足りなくて、生産量が限られているので。

今日も、Aさんからゴールデンヴァレーのシティマートに出店するから、委託販売したいなら、商品持って来ていいよと言われてましたが、開店時間に行ってみたところ彼女は来ていませんでした。腕の怪我をしたからというのが理由です。怪我については、嘘はついてないと思いますが。直接会って話さないまま、スタッフに商品預けたりすると後でまた話が拗れるので、商品を置くのは諦めて帰って来ました。
他店なら話に乗らないですが、ゴールデンヴァレーのシティマートは富裕層が住むエリアなので、チャンスがあれば必ず出品するようにしています。

ミャンマーで全面的に人を信用することはできませんが、だからと言ってミャンマーで仕事をする以上、まったくミャンマー人と関わらないことも不可能なので、常にリスクを最小化して事を進める必要があります。

とりあえずこれからミャンマーに仕事で来る人には、真面目と勤勉、善良と誠実はここでは別概念であることを念頭に置いていらっしゃることをお勧めします。

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4 件のコメント:

  1. >ミャンマーでは、善良であることと誠実であることは別の概念である
    これは、なかなか考えさせられる洞察です。
    そうなんですよね。ミャンマー人って、良い人が多いですが、だからと言って信頼できるわけではないというのが私の印象です。
    きっと悪気はないと思うんですが、おそらく、長いスパンで物を考えていないというか、刹那的に生きているんでしょう。

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    1. 会計で言うとフローはあるけどストックがない。P/LはあるけどB/Lがないというところですね。他の国の人間空すると裏切ってるとしか思えないんだけど、事の当人は無自覚というケースが多いですね。

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  2. P/Lでは利益が出てるのに、キャッシュがすっからかん、っていう感じでしょうか。
    来月の春節にミャンマー(ヤンゴン)に行きますので、人間観察してこようと思います。

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    1. 当期利益=善意、自己資本=誠実さ、みたいな感じです。
      次にミャンマーにいらっしゃったら、人間観察してブログにお書きください。この投稿のアクセス数が多かったので、近日中にもうちょっと突っ込んだ記事を書こうと思います。

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