なぜミャンマー企業と外国企業との共同事業はトラブルになるのか?
~ Pomeloで起こった紛争をケース・スタディとして考える
ミャンマーに住んでいるとミャンマー・ローカル企業と、ミャンマーに投資機会を求めてやって来た外国企業との紛争の話題に事欠きません。
よくある話では、外国企業が投資したお金が本来の目的に使用されず、JV相手のミャンマー人経営者の懐に入るとか、何の前触れもないまま、経営権を一方的にミャンマー企業に奪われとかというケースがあります。
日本食レストランや日系の自動車整備工場が、ミャンマー人経営者から投資資金を奪われたり、一方的に経営権を剥奪されたという話もかなりの頻度で仄聞します。
一般的にミャンマー人経営者は、契約の履行や、企業の公益性や、社会的な役割といった事象に関心がなく、即物的な損得勘定で行動するので、こういうケースが後を絶ちません。もちろん、そうでないミャンマー人経営者もいるのでしょうが、4年程のミャンマー在住暦で、そうした個人的な私利私欲を越えた、大きな経営的なヴィジョンを持ったミャンマー人経営者には、まだお目に掛かったことがありません。
今回、紹介する記事は、そうしたミャンマー・ローカル企業と、外国企業と生じる典型的な紛争例であり、地元メディアの『ミャンマー・タイムズ』によって、詳細な取材がされているため、図らずも恰好のケース・スタディとして、読み取ることができます。
しかも、事件の舞台がミャンマーで最も成功していると目されていた、ソーシャル・ビジネス企業のPomeloなので、なおさら資料的な価値があります。
Pomeloは、ミャンマーの少数民族や地方在住のローカルに雇用創出と、自活のための収入源を提供することを目的に、ミャンマー在住のヨーロッパ人女性を中心に創業されたソーシャル・ビジネス企業です。かつては、ノーベル平和賞を受賞した、バングラディシュのグラミン銀行創業者ムハマド・ユヌスが店舗を訪れたこともありました。
そうした輝かしい実績を持つミャンマーのスタートアップ企業が、ミャンマー人と外国人との間で、関係者を巻き込んだ諍いが起こったことに、ミャンマーで創業することの困難さが現れています。
記事は、欧米人によって書かれているため、いくぶん、欧米人側に対して同情的なスタンスで書かれていますが、基本的に関係者に対して中立的な態度でインタビューしているので、それぞれの関係者の立場を勘案し、行間を読みながら、事態を把握すれば、なかなか表に出てこないミャンマー・ビジネスの実態が窺い知れると思います。
ここ数ヶ月の肉体的な暴力、脅迫メール、公的な中傷が続いた後の帰結として、Pimeloの未来のヴィジョンを巡って、創業者の一部が放逐されることになった。『ミャンマー・タイムズ』の記者RJ Vogtはソーシャル・ビジネス企業としてヤンゴンで最も愛された会社に何が起こったのかを取材した。
ヤンゴンで最も人口に膾炙していたソーシャル・ビジネス企業のPomeloが、将来の戦略についての根本的な相違があったことで、経営権を巡る紛糾が起こった。
以前は創業者であり、ゼネラル・マネージャーで、主要デザイナーでもあった人物によれば、自分達は職場から追い出され、締め出され、揉め事がエスカレートする中で肉体的な暴力さえ受けたと語っている。
一方、ミャンマー人のパートナーによれば、Pomelo Company Limited (PCL)の会社登記とそれに続く経営体制の変更は、ローカル・パートナーを外国人による支配から守るために必要な措置だったと主張している。
『ミャンマー・タイムズ』によるインタビューで、Daw Thea Theaによれば、PCLはPomeloの本来の目的であった、生産者主導の市場という理念を守るために、会社登記を行ったと語った。
「企業統治の変更のプロセスで最もいただけなかったのは、彼らが外国企業として登記しようとしたことです。それは外国人が会社を乗っ取ろうとする行いに思えます。みんな、どうして外国人が経営権を握るのかを疑問に思っていました」。
だが、共同創業者のRachael Storaasは、Pomeloは経営権を外国人に受け渡そうと意図したわけではないと語る。彼女とそのチームは事業を成長させるためにジョイント・ベンチャーを立ち上げるつもりだった。それは、会社の成長にもつながる上に、増加している生産者にも学習と利益の機会を提供することになる。常に私達は非営利団体だったし、ミャンマー人のためになることを常に考えてきた、と彼女は主張する。
いがみ合いと混乱の2月を経て、両者は法的措置に踏み切った。『ミャンマー・タイムズ』はPCLのアドバイザーから、受取人は長期的な訴訟と、国外退去のリスクにさられるとの脅迫的なe-mailを受け取った。2月17日付の店舗の監視カメラはPCLのアドバイザーが主要デザイナーであったUlla Kroeberに対して口論の末、暴力的な行動を取った映像を記録している。
紛糾の最中で、50を越す生産者は蚊帳の外に置かれていた。ただ、自分達が作ったものを売れる機会が訪れるのを待つばかりだ。
シャン州の生産者の一人Pau Sonは、スタッフの変更についての知らせを受けたものの、他の生産者の多くは情報を得ていないと語る。
2月24日のインタビューで彼は語った。「本当にとんでもないことだし、悲しいことだ。これをミャンマー人のやり方だとは思って欲しくはない。がっかりしたのは、彼らが事前に何も知らせてくれないことだ」。
主張の食い違い
今回の紛争は、Pomeloが2013年に共同創業者のRachael StoraasとAnnie Bellにより、ミャンマー人生産者に対して、リサイクルのノートブックや装飾品などを生産委託する、持続可能性のある土産店として創業されたことに端を発している。しかしながら、ミャンマーはソーシャル・ビジネス企業が登記する法的なインフラが欠けているため ― そして現在もそのインフラは存在しない ― Daw Thea TheaとYangon City Development Committee(YCDC)へ登記するためチームを組んだ。
Pomeloは、外国人が土産物店として登記することができないため、Daw Thea Theaの名義で会社登記がなされた。
Daw Thea Theaは、彼女は2008年からPomeloの創業を考えていたと主張する。その後の会社登記につながる2012年の話し合いは、彼女が主導したと主張する。
「みんなでビジネスを始めることが、私たちの夢でした」。
たった2年間で委託生産者をひとつから50まで、拡大することができた。主要デザイナーとしてドイツ人建築家のUlla Kroeberが参加した。Paula Cambaは、ボランティア・スタッフとして関わる前は、ゼネラル・マネージャーとして貢献したが、その後、Natalie Ortizが後を継いだ。会社は、英語や他のスキルの傍ら、生産者へのプロダクト・デザインのトレーニングを課すことから始めた。店舗は観光客による客足が望めるモンスーン・レストランの上階(後に隣の建物に移転)に設けられた。店舗はすぐに『ニューヨーク・タイムズ』や『ロンリー・プラネット』や『トリップ・アドバイザー』に取り上げられるようになった。
2015年まで、Pomeloはまさに破竹の勢いだった。アメリカからの大量注文があった際には、私企業が法人口座を銀行に作るのが事実上不可能なことが分かった。輸出のためには、輸出ライセンスが必要となるが、土産店はそれを申請できない。Pomeloは正式な役員会を持たずに、ただMs StoraasとMs BellとDaw Thea Theaとその他のボランティアによって各々運営されていた。それは、生産者への専属的な契約が、各々によって結ばれることにもなった。Ms Storaasは、懸念していたことは、土産店という業種上、適正な税金を払えなかったことを述べている。
Ms Storaasと彼女のチームは、会社組織の変革のために、国際的な法律事務所のBaker & McKenzieにコンサルティングを依頼した。
Ms Storaasが2月25日に語るところによると、「Pomeloを、Ulla Kroeber、Paula Camba、もちろんDaw Thea Theaの経営権の元、よりミャンマーの現状に則した組織として登記するため、法律事務所に相談しました」。
ブリティッシュ・カウンシルのアドバイザーDon MacDonaldによれば、Pomeloは、そもそもまったく見解の異なるグループによって始められていた、と語る。一方は、外国人によるジョイント・ベンチャー企業として、Pomeloのすべての商品開発や生産者の訓練、販路拡張を図っていた。他方は、小売店を商う、純粋な地元資本による地場企業だ。
「我々の業務は定款の文書を作成することだった。それはローカルの生産者を含むと同時に、マーケティング計画とローカルの生産者との利益の配分計画も含まれていた」とMacDonald氏は語る。
しかし、この提案はDaw Thea Theaと何人かのPomelo関係者には納得のいかないものだった。彼女の言うところによれば、彼女はこのプロセスとは関わっておらず ― Ms Storaasは否定していることだが ― 意思決定から外されていると感じた。彼女にとっては、Pomeloを外国人オーナーシップへ移行することは、創業以来のミャンマーの地方の人々へ奉仕するという目的から遠ざかることだった。彼女は生産者のグループ、ミャンマー人のオーナー達、外国人アドバイザーの三者に権力を分割することを主張した。彼女によれば、この時から、外国人達は彼女を締め出しにかかったと言う。
しかし、Ms Storaasによれば、提案した変更はローカルの生産者の利益を保護する重要な条項を含んでおり、会社はローカルの生産者のみへ利益を供与し、その利益は生産の開発に再分配されることについてであった。しかも今回の措置は、ミャンマーの法律がソーシャル・ビジネス企業をより良い方法で登記できるようになるまでの一時的な措置だった。
彼女によれば、Daw Thea Theaは12月11日のミーティングで明確に「すべての利益は会社へ再投資する」ことを約束したと言う。そして一週間後に、その考えを翻した。この提案をフォローするミーティングは開かれることはなかった。そして、1月中旬に新しいPomeloが、投資・企業設立委員会(Directorate of Investment and Company Administration)へ登記された。DICAのWebサイトによればPCLは、Ms Bell により運営されている生産者グループHelping Hands を住所に、Daw Thea TheaとAkhaya Women’s AssociationのDaw Htar Htarが役員として登記されている。
敵対的な関係に発展する
2週間後にDaw Thea Thea とDaw Htar Htarは、Ms Kroeber、Ms Camba、Ms Bell、Ms Storaasへこれまでの貢献を感謝すると共に、彼女達の専門性は、今となっては必要ないことを文書で通知した。
Ms Kroeberは、2月4日の店舗での彼女の解雇のやり方は「強引だった」と述べる。Daw Thea TheaとDaw Htar Htarは、Ms BellとNeil MacIntyre,を伴いやって来た。Neil MacIntyre,は、ネット上では子供向け栄養ドリンクの会社の創業者だが、それ以前にPomeloとの関わりはない。
Ms Kroeberの受け取った文書は、4時間以内に、パスワードや鍵等のすべての会社の情報を手渡すように告げていた。ヤンゴンでの仕事がある間は、Pomeloのオフィスに住んでいた彼女は、住む場所を追われた。
Pomelo唯一の給与を貰っていたフルタイム従業員のMs Ortizも似た内容の文書を受け取った。彼女は解雇されない替わりに、PCLの役員にすべての案件を直接リポートすることを義務付けられている。
今回の紛争が、最初に人に知られるようになったのは、Ms Storaasが2月7日に彼女の立場から、今回の紛争と店舗の将来の方向性について、「意見の相違」があると大量のeメールを送ってからだ。
このeメールは、PCLの新しい体制は、「今のPomeloは、元からあったものとは別物」であり、「今のチームは自分達とは関係ない上、生産者のコミュニティとも関係がない」と告げている。
「Pomeloは損なわれる大きなリスクを抱えている。今まで達成した成果が無に帰すリスクがある。増え続けていた、生産者のボランティア・グループによって生み出された収入に大きなリスクがある」と彼女は書いている。
それからしばらくして、脅迫がはじまったと彼女は語る。彼女は、名誉毀損や電子取引法への違反の法的措置が取られる可能性を告げる、Pomelo役員会署名のeメールを受け取った。
Mr MacIntyreは2月15日にノルウェー語で、Ms Storaasが語ったことへの対策についてのeメールを送った。
「我々は貴殿がこの国に留まることを求めることを決議した。貴殿は名誉毀損で訴えられる可能性があるためだ」と彼は書いた。「この措置には時間を要するため、貴殿がこの国から退去を望むなら、現時点でそれは可能である」とも。
Mr MacIntyreは、実際に名誉毀損の訴訟を起こしたかどうかについて、明言することを避けた。
『ミャンマー・タイムズ』は、Mr MacIntyreがMs Kroeberと彼女の夫Mr Hans ten Feldを押している、2月17日のPomelo店内での監視カメラの映像を確認した。
コメントを求められたMr MacIntyreは、eメールで「ミャンマーの刑法には、本人及びその他の人物に対する犯罪及び、資産もしくは人物に対する損失から守るための穏当な力の行使は認められている」と書いている。
紛争の申し立てから、2、3日後、地元警察がやって来て、ショップ・スタッフへ店舗の鍵をPCLの役員へ渡すように命じた。店舗の借主は、Daw Thea TheaでもPomeloでもなく、ミャンマー人従業員の名義になっている。2月20日に、この従業員はBotahtaung警察署へ出頭を求められ、彼女はMs KroeberとMs Storaasを伴い出頭した。彼女達はPCLが事務所を占拠する正当性に対する疑念から、警察の念書なしに鍵を渡すことを拒否した。
警察は文書の発行を断り、Daw Thea TheaとDaw Htar Htarは鍵を手にせずにその場を去った。
2月22日に、追放された外国人側によれば、ショップの鍵は取り替えられた。
これからPomeloはどうなる?
Pomelo Company Limitedは、昨日の午後には、通常通りの姿に見えた。旅行客は最近の紛争とは無関係に、紙製のキリン人形やお洒落なクッションを物色していた。ただWebサイトのみが、トップに“pomelopartnerships”から送られるeメールは、過去4年間に日々のオペレーションをしてきたグループから送られて来ていないことを告知しており、その変化を知らせている。
Daw Thea Theaは、過去の年月はまるで悪夢であり、今のような状態を望んだ訳ではないと語った。外国人達が以前の仕事から離れるのは残念だが、Pomeloの理念を守るためには仕方がないと感じている。
「誰が正しいわけでも、悪いわけでもありません。ただ、それが起きたということだけです」。
プレスに対する説明として、PCLの役員は「ミャンマーがもっとオープンで社会的になる変化の時が来た。Pomeloはミャンマーのソーシャル・ビジネス企業として力強い先行例として、その役割を果たすだろう」と語った。
「Pomeloは、正しい人物の手中にあります。そして、役員は素晴らしい仕事をして来た、スタッフや生産者達、いまも協力してくれているコミュニティに感謝しています」。
Ms Storaas,、Ms Ortiz、Ms Kroeberの三人は、Pomeloに対して、店舗内の在庫、これまで投資した金額についての法的な主張はしていない。
なぜなら、Daw Thea Theaの名義で登記された土産物店であり、法律関係者からもうPomeloは諦めて、別のビジネスをはじめることをアドバイスされているからだ。
Ms StoraasはPomeloから給与は貰ったことはないし、最初に投資した6,000US$も取り戻していないが、1億1千9 百万チャット (95,967US$)が今PCLの管理下にあると語った。
しかし、彼女はPomeloのチームによって提供されたサービス、アイデア、デザイン、サポート、トレーニングは、もう店舗によってではなく、PCLによって運営されていると指摘した。
このPomeloのチームは、新しいソーシャル・ビジネスの計画を練っており、サポートしてくれる新しいパートナーを探している。サポートは生産者によるものもあるが、24の業者は2月22日に、ビジネスの変更について抗議する文書を発行した。
「私達はPomeloにいる外国人の専門家に新商品の開発を頼っていました。それは、Pomeloを成功させる要因であったし、この成功をローカルの生産者だけに任せて台無ししたくはありません。私達は、店舗が2月4日以前と同じように再び運営されることを望んでいます」と、そこでは述べられている。
Pau Sonは2月24日の『ミャンマー・タイムズ』のインタビューで、このサポートについて繰り返し語った。
「今のビルマ人の連中とは絶対組みたくないね」と彼は言う。「Ulla [Kroeber]は我々にとって母親みたいな人だった。彼女は優しかったし、魅力的な人だった。連中が彼女にしたことは、到底受け入れることができない。どうせならUllaと一緒に働くことを選ぶよ」と彼は語った。
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貴重なレポートをありがとうございました。
返信削除最近BLOgがはやる前、そして民主化前に、「アカ」さんというペンネームの方が、ミヤンマーでの事業の難しさを紹介されていました。貴重なレポートでしたが、自ら削除されました。「アカ」さんは、まだ、ミャンマーにおられると思いますが。また、ペンネーム「小山 美助」さんも、同様にレポートされていました。小山さんは、ミャンマーから追い出されたようでした。
そこには、ミャンマー人は、利益が出ると「ころっ」と変わるとか、パートナーシップを組むな、名義を借りるなとか貴重なアドバイスがありました。
Pomeloのレポートを見て、思い出しました。
投稿ありがとうございます。トラブルから、ミャンマーから退場する方も多いようですね。Pomeloから追い出された人たちは、新たに自分達のソーシャル・ビジネスを再度立ち上げるようですが。
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