2014年4月23日水曜日

【News】なぜミャンマーで外資系企業は苦戦するのか?

外資系ホテルのコングロマリットが相次いで、ミャンマーへのホテル建設のプロジェクトを進めています。もちろん、ミャンマーへの外国人旅行客が急増することを見込んでのことです。
ところが、今回ご紹介するニュースによると、ヒルトン、ノボテルなどは、当初の完成期日を過ぎても一向に完成の目処が立っていないようです。私もホテル建設に関わるあれやこれやを見聞する立場にいたので、ある程度、内情の見当はつきます。
とはいえ、世界中にホテルを建設したノウハウがあり、かつ財務、人材、技術、法務等の豊富なリソースを持ったホテル界の巨人達でも、やはりミャンマーでは苦戦するのか、との感慨もあります。

ホテル業界に限らず、ミャンマーに進出した外資系企業が、共通して直面する事態でもあるので、以下にどのような問題が起こりうるかを記します。

1.法律・許認可が不透明
各種ライセンスを取得するのに、手続きが明文化されていないため、相当に手間取ることが多々あります。多くの役所のいろんな部門に、根回しが必要な局面もあります。
現地特有の事情により、認可の取得が困難な場合もあります。たとえば、アルコール提供の認可に関しては、現在、新規のライセンス発行がなされていないため、ライセンス保持者からライセンスを買い取り、名義の書き換えて対応することになります。この場合、適正な価格でライセンスを譲ってくれるライセンス保持者を、どこからか探し出さなければなりません。事情を知るヤンゴン市内の居住者だとふっかけられるので、世情に疎い地方のライセンス保持者を探すのがベターだと言われています。

2. 現地企業にペーパーワークができる人材がほとんどいない
ミャンマーのローカル企業間では、契約書や文書を交わさず口約束だけで、ビジネスを進めることが多々あります。基本的に、文書をやりとりしてビジネスを進める習慣がありません。メールでデータを交換して、プロジェクトを進展させることは、ほぼ不可能です。質問表などを作成してデータを求めても、無視されることの方が多いです。特に、複雑な内容であったり、相手側に取って面倒だったり、都合が悪い内容の場合は、ほぼスルーされます。もっとも、ローカル企業に文書作成能力を持ったスタッフはいないことの方が多いので、対応できないのも当然かもしれません。
よって、すべての局面で、直接対面で話し合う必要があります。

3. 期限・納期に対する感覚の違い
何が何でも、納期や設定した期限までに、仕上げなければならないという概念は、ここにはありません。 たとえば、業者が3日で出来ると言っていた工程が、一週間経ってもできていないというケースはざらにあります。多くの工程で、このような遅延が生じるので、どんどん完成が先送りになっていきます。

4. 完成度に対する拘りのなさ
不思議になるほど、作業が雑です。建具の扉がきちんと閉まらなかったり、図面を無視して、自分のやりやすいように電気配線をしたり、といった事態が多発します。すべての工程を、入念に確認する必要があるため、工事監督者の負担は非常に大きいです。特に配管や水回りは、現地の要求水準が低いため、要注意です。配管が適切でないため、水漏れするケースが多発します。また、バスルームの排水という概念がないため、事前に勾配をつける等の指導しないと、バスルームに水溜りができる仕様となってしまいます。ローカルの施工業者には、竣工時に完成図面を提出するという習慣もないので、常に工事監督者が作業を確認して図面に落とし込む等の対応も求められます。

5. 物品調達が困難かつ複雑
一定水準以上の建物を作るためには、ミャンマーでは入手できない備品や部品を海外から輸入する必要があります。物によっては、輸入するためにライセンスの取得を求められるものがあります。また、例によって税関での手続きが不透明なため、時間を要することもあります。

6. 現地マネジメントの難しさ
これは良く言われていることですが、こちらの人は怒られるとすぐ辞めることが多いです。作業結果が気にいらないからといって、感情的な対応するとさらに事態が悪化します。翌日になって、業者や作業員が現場に来なかったり(笑)。もっとも日本式のマネジメントは、世界でも例外らしいのですが。「子供の頃からバカでも褒めるというやり方が一般的でありますので、厳しいやり方への 免疫がありません」というのは、ここミャンマーでも当てはまります。

それでは、記事をお読みください。外資系企業の皆さん、大変な苦労をされています。具体的な問題については、それぞれの立場もあり、あまり語っていませんが。言外の部分を忖度して、読んでいただければ、彼らの直面している困難さがお分かりになると思います。

『Myanmar Times』724号 2014年4月7日~13日号 より記事転載(原文は英文) 

ヤンゴンの大規模ホテル開発プロジェクト完成が延期
ヒルトン、ノボテル、マリオット、ペニンシュラなどのホテル業界のビックネームが、ヤンゴン参入へ向けたプロジェクトが進行中。しかしがら、各社ともホテル開業が思ったよりも困難なことを思い知る。
Text By Tim Mclaughin
Additional reporting by Aung Shin


2013年の初め、ミャンマーで開催された最初の国際観光会議の中で、国際的なホテル・チェーンのヒルトンは、早期のミャンマーへの参入を表明した。
声明は3月6日に発表され、ヒルトンはタイを拠点とするLPホールディングスと、ダウンタウン・エリアのセンター・ポイント・タワーの複合商業施設に建設予定のヒルトン・ヤンゴンのマネジメントについて合意したと、ヒルトンは語った。
この声明は一連の改革に伴い、ミャンマーへの経済的な将来への楽観が広がったことを反映していた。観光ブームが過熱し、ホテルの需要は急激に高まった。さらにアメリカの経済制裁は解除され、アメリカの巨大企業が知名度の高いブランドを市場へ投入した。
センター・ポイントについては、21年前の開始時からプロジェクトは難航していた。ヒルトンは、LPホールディングスが長らく約束していたハイエンドのホテル建設に必要とされる、投資とノウハウを提供する救済者と見なされていた。
しかしながら、アナウンスから一年以上経過しても、スーレー・パゴダとMerchantロードのコーナーにできるはずの21階建てタワーの建設は遅々として進んでいない。
プロジェクトが突き当たる困難さは、ミャンマーへ進出する外資系企業が直面する、チャレンジに対して引き起こされる共通の症状だ。一年前のスピーディーで円滑な市場への参入という期待は、現地のビジネス環境のリアリティの前に潰えた。
「よくこの国のことを見て欲しい。これを強調するのには、いつも少しばかり気をつけているのだが、問題はミャンマーにあるのではなく、外資系企業の期待が問題なのだ。この国が一夜にして上手く行くようになるはずがない」とミャンマーの不動産会社Colloers Internationalの経営者Tony Piconは言う。
センター・ポイントでは、金属製の板壁が、一等地にあるタワーの建設現場を取り囲んでいる。壁のすぐ側の舗道では、ちいさな木の木陰で手相見達が歩行者に将来のアドバイスをしている。数人の建設労働者が、ビルの入口で、中断した現場をぶらぶらしている。建物へは、最近になって重機や電気システムが備えられた。
ホテルは当初は、先月、開業予定だった。今のところ、6階のディスプレイ用の部屋一室のみが準備されている。ベッドルームからガラスの壁で隔てられたバスルームは、クロームの金具と巨大な自立式のバスタブが占拠している。部屋の中央に置かれた、深い色の木枠のキングサイズのベッドは、建設現場からの埃から保護するため、ビニール・カヴァーに覆われている。
LPホールディングスのディレクターRichard Mayhewは、モダンでオープン・プランな客室は、完成すればヤンゴンで最も広いものとなるだろうと語る。
ところが「ホスピタリティー体験の質に対する基準」となるだろうと、2013年3月にヒルトンが約束したホテルは、6ヶ月以上の遅延を経て、300室のみが基準に達することが明らかになっている。
ヒルトンの関係筋は、2014年内に150室程度を部分的に開業することを目指している、とミャンマー・タイムズに語った。
業務の遅延は、ヒルトンの品質基準を適えるため輸入する、ホテルの必要物品の停滞が原因となっている。 一方、LPホールディングスは作業員の確保に苦労している。関係筋の語るところによると、タイから連れ来た作業員の多くが、ヤンゴンの労働環境に不満で、すぐに帰ってしまった。
Mayphew氏は、最近のインタビューで、プロジェクトが直面している具体的な問題について、コメントを控えた。
しかしながら、ホテル建設の遅延は、センター・ポイント関連の作業の遅れの最新のものに過ぎない。 同所は一等地にも関わらず、LPホールディングスが目指している開発に、現在まで失敗してきた。
センター・ポイントは、1990年代前半、最初の外資系企業の呼び込みへの失敗となった、記念碑的な建物だ。1992年、Than Shwe将軍は軍部の実権を握ると、限定的な改革に着手した。
ホテル観光省は1993年11月に、LPホールディングスとセンター・ポイントに関して、BOT(Built, Operate and Transfer)契約を締結した。ホテルの建設は2年後の1995年に開始されたが、1998年のアジア通貨危機による景気後退の影響を受けて中止された。
フランスのホテル・グループAccorのラグジュアリー・ブランドSofitelが、元々、このプロジェクトに参加していたが、まもなくミャンマーの人権侵害に関する懸念から、撤退した。
プロジェクトは、2005年に再開されるまで、休止されていた。2006年にオフィス・タワーが建設されたとき、プロジェクトのコストは100万USドルまで膨れ上がっていた。4年後の2010年1月、Mayphew氏はミャンマー・タイムズに、ホテルは同年の11月に開業するだろうと語った。2010年6月、開業日はさらに2011年初頭に延期された。あるヤンゴンに長く住む外国人は、ホテルのソフト・オープンまで4年かかっていると冗談の種にする。
しかしセンター・ポイントとヒルトンだけが、停滞したホテル事業というわけではない。
ヒルトンがミャンマーに参入した同じ頃、Accorがミャンマーに戻ってきた。 マックス・ミャンマー・グループのU Zaw ZawとヤンゴンにNovotel Yangon Maxを、マンダレー、ネピドーにも同様にホテルを建設するパートナーシップを結んだ。
同社は、British American Tabaccoやエリクソン、ペプシなど1990年代に同地を去って以来、再参入を果たした企業のひとつである。
未だアメリカのブラック・リストに載るマックス社とパートナーシップを組んだことは、同地のクロニー(訳注:軍事政権との関係が深かった政商が経営する企業)と提携することへの評判リスクが低くなったことと、この種のビジネスマン達が享受しているコネクションの役得が高いことを示している。 Accorにとって残念なことに、2カ所で進めている開発をスピード・アップすることはできていない。
マックス社の提携がアナウンスされた時のウェッブ・サイトの記事には、Pyayロードのノボテル・ホテルは、遅くとも2013年12月に開業されると書かれている。しかし、Accorのスポークスマンは、特定できない様々な建設の遅延によって、2014年終わりまでに「完全に完成」すると、先週に語った。予定より、まる一年の遅延である。
マックス・ミャンマー・ホテル・カンパニーのプロジェクト・マネージャーのU Bo Chan Tunは、最初のうちはヤンゴンのホテル建設が遅れていることを否定した。
「遅れてはいません。我々はプロジェクトの誰にも期限を定めていません」と彼は語る。
 マックス社のウェッブ・サイトの記事に書かれていたことについて尋ねると、彼はホテルのデザイン変更に伴う遅延を渋々認めた。
Accorがパートナーシップを結んだ、もう一つの企業ネピドーのMGalleryホテル・グループも設定した期限を守ることができないでいる。自慢のシガー・バーやイタリアン・レストランを備えた119室のホテル・プロジェクトは、2013年にフルオープンを予定されていた。2013年12月に開催されたシーゲーム(Southeast Asian Games)では、部分的に営業して宿泊客を入れた。今は入口は閉ざされ、工事が再開されている。
バンコクを拠点とする、Accorのスポークスマンによると、現在は、2014年の第4四半期にオープンすることが、予定されている。
気質の違いが引き起こす問題は、別のホテルのパートナーシップにも降りかかっている。それは、ヤンゴンの象徴的な植民地様式の建物に対する、再開発と再利用を目指したものだ。
Serge Punの肝いりで、築100年のビルマ鉄道省の建物の再開発を含む、400万USドルの複合商業施設のランドマーク・プロジェクトは、鉄道省からのリース期限の延長の許可が下りないため、実施に取りかかれずにいる。
First Myanmar Investment(FMI)、Serge Pun & Asocciates、シンガポール上場企業Yoma Strategic Holdingsの会長であるPun氏は、昨年12月にミャンマー・タイムズに、1995年で期限切れのリースを、現行法で最長となる70年の延長ー50年と2回の10年延長ーの申請をしたと語った。
しかし、ここ数年で、鉄道大臣が二回交代する中、リース延長の認可を得るのは難しいことが証明された。昨年7月のU Zeyar Aungは、U Than Htayに交代し、長い間、副大臣を勤めたThura U Thaung Lwinは、他省へ異動となった。
Pun氏は、このプロジェクトに関するコメントを拒否した。鉄道省の高官は、最近、ネピドーでリースの延長についての会議が開かれたが、進展はなかった、とミャンマー・タイムズに語った。建設予定地は閉鎖され、Grand Mee Ya Hta Executive Resindencesビルディングの周りを、丈を伸ばした雑草が生えるにまかしている。
計画の行き詰まりにも関わらず、Yoma Strategicは、1880年代のペニンシュラ・ホテルにまで遡れるHongkong and Shanghai Hotelsと、3月10日に鉄道省の建物の開発に関する業務提携にサインした。
HSHグループの不動産ディレクターMartyn Sawerは、「今ままでの進展に満足している」と語った。
「我々のパートナーYoma Strategic Holdingsはミャンマーで長い経験があり、両者ともこのプロジェクトに対して、長期的な展望を持っている 」とSawyer氏は言う。
このような計画の遅延はホテル・チェーンの意欲を削ぐかもしれないが、ミャンマーへの旅行者、とりわけビジネス関係の旅行者は、着実に増え続けている。
ホテル観光省は、飛行機でヤンゴンに到着した旅行者が、全体の2分の1以下にも関わらず、2013年に200万人の旅行者がミャンマーを訪れたと発表した。 2014年には、300万人になると予想されている。
こうした旅行者の増加を背景に、ロンドンに拠点を置く、World Travel and Tourism Council(WTTC)は、3月に発表したレポートの中で、ミャンマーの旅行産業は、2014年に9.4%成長し、971万USドルに達すると予測している。
最近になって、マリオットが、Kanbawzaグループとの提携から撤退した。品質管理に関してのいざこざが原因だ。これに対して、スイスのホテル・チェーンKempinskiがすぐに割って入った。
Kanbawzaグループの副社長U Moe San Aungは、マリオットのネピドーのホテル建設現場での厳格な監査は、プロジェクトを遅らせた、とミャンマー・タイムズに語った。マリオットは、この件に関してコメントを控えた。
U Moe San Aungによると、Kempinskiは3月末に、Kanbawzaの全所有となる施設の管理に関する契約を、Kanbawzaと交わした。Kempinskiネピドーは、翌月に開催されるASEANサミットに先駆け、5月1日にオープンを予定されている。
Kempinskiのスポークスマンは、「ミャンマーはKempinskiが関心を持ち、参入の機会を探っている市場だ」とのみ語った。
Accorのスポークスマンは、マックスに代わって、Myat Min Companyと開発を進める判断は、現在起こっている遅延とは無関係と語った。Accorとの取引前には、Myat Minは農業関連の企業だった。
ヒルトンの非公式の情報として、アジア開発を業務とするディレクターのKieran Bestallは、グループはバガン、ネピドー、マンダレーについてのプロジェクトについて検討していると語ったが、具体的な情報は明かさなかった。
「ミャンマーへの関心は特別なものだよ」とBestal氏は言う。

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