2020年8月3日月曜日

東南アジア的な視点から、北九州市の活性化について考えた(1)

6月、7月とここ2ヶ月の間、北九州市の小倉に滞在しています。
こんなに長く日本にいるのは、ミャンマーに住みだしたここ8年ではじめてです。北九州市にこんなに長くいるのも30年ぶりくらいです。実家は北九州にあるものの、これまで年に一度、一週間程度一時帰国した時は、国際空港の近い福岡市に滞在していました。見つかったバイトが北九州市だったので、ここに滞在しただけで、それ以上の理由はありませんでした。
今回の滞在で気がついたのは、30年前とは街の雰囲気が変わりつつあることです。
過去の衰退した工業地帯都市独特の荒廃した雰囲気がだいぶ薄らいでいる。
昔は、夜に女性の一人歩きができないような、暴力的で殺伐とした雰囲気の街でしたが、今はなんだかゆるくて、ほのぼのしています。

ほんの20年くらい前までこの地は、暴力団組合員のプレイを断ったゴルフ場のグリーンに重油を撒かれて、マネージャーが胸を刺されて死亡したり、入店を拒んだクラブのママが顔を刃物で切られたり、入店を拒まれた別の店では手榴弾を投げ込まれたりする事件が相次いでました。
2006年より福岡県警が本気で暴力団の摘発に取り組み、現在では、ほぼ暴力団の活動は根絶されたようです。


今では、自治体が過去のイメージを払拭して、移住者を増やすためのプロモーションビデオまで作られています。


そもそも北九州市の小倉は、先の大戦で空襲を免れたため、戦後復興が最も早かった都市でした。その後、工業都市として、1950年代の朝鮮戦争の特需で潤い(空襲を免れたため、軍需工場が残っていたらしい)、日本が西側の製造業を担うアジア唯一の工業国だった1960年代には隆盛を迎えました。日本で初めてアーケード商店街ができたのも、北九州の小倉です。このアーケードは、政府の補助金ではなく、商店街の店主達によってその建設費が賄われました。

ロバート・アルトマン監督の朝鮮戦争を舞台としたブラック・コメディ映画『MASH』では、不良アメリカ人軍医達が、息抜きに、戦場から近い日本の地方都市の小倉でゴルフや芸者遊びを楽しむシーンがあります。私がこの映画をビデオで観たのは1990年代でしたが、なぜ登場人物達が福岡に遊びに行かないのか不思議に思ったものです。映画を観た当時は知りませんでしたが、朝鮮戦争があった1950年代には、小倉の方が福岡よりも圧倒的に拓けた都会だったからです。


日本の経済成長に伴い人件費が上昇し、北九州の主力産業であった鉄鋼業などの製造業が競争力を失ない、産業構造が変化しはじめた1980年代から街の衰退がはじまります。近隣の地方都市・福岡市との人口が逆転したのが1979年です。
北九州のダウントレンドと福岡市のアップトレンドが交差したこの時から、現在に至るまでこのトレンドは継続し、今では商業施設の集積度や人口で大きな差がついています。街を歩いて、両市を見比べてみると、別に統計の数値に頼らなくても、街の活気や洗練度や多様性で大きな差があることが体感できます。

北九州市には、工場や製造業を中心とする企業が去った後も、工場労働者的あるいはブルーカラー的なエートスは残りました。企業の管理職はその場所での仕事がなくなれば転勤によってその地を去りますが、現業に従事する労働者の多くは、その地に残り続けるからです。

工場労働者を支えるエートスについては、イギリスの文化社会学者ポール・ウィリスによるエスノグラフィ『ハマータウンの野郎ども』がその嚆矢とされています。
実は読んでないので、ググった記述を以下に貼って、本書の概要を説明します。
ウィリスが行ったフィールドワークは,イギリス中部のある伝統的な工業都市を舞台にしている。『ハマータウンの野郎ども』のなかで〈野郎ども〉the lads と自称したのは、当該地域のセカンダリー・モダン・スクールに通う白人労働階級出身の若者たちである。彼らは,教師への反抗やからかい、飲酒、喫煙、逸脱的なファッション、笑いふざけなどを「反学校の文化」として実践する。
 『野郎ども』は学校で勉強をするのを忌避し馬鹿にしているが、自分たちはパブやケンカなどでの「社会勉強」のほうが重要と考えているのであって、むしろ学校の机での勉強しかしていない奴よりかはよっぽど社会のしくみに長け、人間としては上であると考えている。

 勉強とか、先生の言うことばっかり聞くことで、青春という人生の大切な時間が失われるなんて馬鹿げている。青春時代こそ自分のやりたいように生きるべき。 

彼らの「成人した男性労働者の世界=職場の文化」に対する憧れ,イメージは、次のようである。すなわち,「異性にかかわる欲望や『大酒喰らう』性癖や『ズラかろうぜ』という暗示や、その他さまざまな感情を、野放図にとまではゆかいないまでもほどほどに自由に表現できる場所、職場とはそういうところでなければならない。

日本のヤンキー的な価値観と極めて酷似しています。
統計はないでしょうが、かつての北九州市は、おそらく日本一ヤンキーの多い都市でした。
こうしたブルーカラー的な価値観が、世代を超えて継承されていくところも、日本のヤンキー文化と共通しています。

そして『ハマータウンの野郎ども』では、彼らが必ずしも反社会的な価値観の持っているわけではなく、むしろ社会を下支えする階層として、資本主義システム内に組み込まれている構造が明らかにされています。
野郎どもは学校の体制や教師に反発するけど、学校に行くこと自体は否定しない。いや、学校へは仲間に会えることや面白いネタがあることなどにより、むしろ喜んで通っている。

単純労務作業は、普通ならばだれでも嫌がる。仕事はキツイのに給料や社会的地位は低い。でも、それをこなせるやつだからこそ、『真の男』と認められるのだ。
つまり学校や職場といった場所や制度そのものには、異議申し立てはしない、むしろ伝統的・保守的な価値観を持った階層であり、それゆえ資本主義システムを構成する工場労働者として制度の中に組み込まれていた。これも北九州市の工場労働者の在り方と共通しています。
産業構造の変化により、イギリスから工場という職場が失われた1970年代後半に、労働者階級発のユースカルチャーとして、既存のシステムそのものを否定するパンク・ロックが登場したのは示唆的です。
奇しくも『ハマータウンの野郎ども』が出版された1977年に、パンク・ロックというジャンルを決定づけたセックス・ピストルズの1stアルバムがリリースされています。
ちなみにローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズはインタビューでミュージシャンになった理由を聞かれて、「工場で働いて、上司に『イエス、サー』というだけの人生を送りたくなかったから」と答えています。

いま日本でベストセラーになっている在英日本人ブレディみかこさんの『ワイルドサイドをほっつき歩け --ハマータウンのおっさんたち』は、「野郎ども」の50年後の現在が描かれてたエッセイです。
今では元「野郎ども」現「おっさん」は、自分の子供や年少者に「いま俺のやっている仕事は、これからAIに代替されてなくなるから、お前は大学行け」と過去の労働者階級のイギリス人なら絶対に言わなかったであろうことを言うようになっているそうです。


こうしたヤンキー的・「ハマータウンの野郎ども」的なエートスが街に漲り、加えて暴力団などの実際に反社会的な組織が幅を利かせる地域であったため、北九州市は「修羅の国」というありがたくない名称をネット内で拝命することになってしまいました。ちなみに2012年に実施された、同市の若者アンケートでは、北九州市のイメージについての回答で最も多かったのは、「暴力・犯罪」が一位で、62.5%をマークしています。

でも、2ヶ月ほど滞在していみると、30年前とはずいぶんと様相が違うことに気がついてきます。

北九州市のたどった経緯をざっと振り返るだけで、かなり紙(モニター)幅を費やしたので、今はどんな風に変わってきているのかについては次回に書くことにします。

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