2019年1月20日日曜日

【長文】欧米のお洒落系NGOのセミナーに参加して、日本の難点について考えた

先週の木曜日に、TURQUOISE MOUNTAINという欧米系のNGOが主催するセミナーに参加しました。私も今まで知らなかったのですが、歴史的建造物の乱開発からの保護や途上国の伝統工芸の伝承などの活動を数カ国で運営しているNGOです。
参加したきっかけは、いきなり電話がかかって来て、マーケティングのセミナーに参加しないかと尋ねられたことです。
私のヒアリング能力では、英語がよく聞き取れなかったので、何か有料のセミナーの営業活動かと思いましたが、とりあえずメール送ってと返事して、後で送られて来た文面読むと、アメリカから講師を招いて、ファッション産業についての無料のセミナーを開催するという内容でした。
講師はフルブライト奨学金で、アメリカでファッション・デザインとマーケティングの学位を取ったミャンマー人です。
私もミャンマーに住んでそこそこ長いので、経験則でこういう場所に行くと、どんなことになるのかはだいたい見当がつきます。
お洒落系欧米人が集まっていて、ミャンマー人以外のアジア人は自分一人で、アウェイ感半端なくて、身の置き場のないボッチ状態になるのは目に見えています。
とはいえ、加齢で鈍感力が身に付いたのに加え、長年のミャンマー生活でぼっち耐性が相当についているで、行ってみることにしました。それに無料だしね。

当日、会場のNGOの事務所に着いて、建物の格好良さに驚きました。
歴史的建造物の保存活動をしている団体だけあって、古い英国植民地時代の建物をスタイリッシュにリノベートして、オフィス、工房、カンファレンスルームとして利用しています。ミャンマー物件をスタイリッシュにリノベーションしたお手本みたいな建物です。



外観とグランドフロア

屋上のテラスはなんかギリシャぽい



セミナーの講師の方は、30代の中国系ミャンマー人の女性でした。普段はシアトル在住で、このセミナーのために招聘されて、来緬したようです。フルブライト奨学金を獲得できたので、相当に優秀な人なのでしょう。
受講者は、ミャンマー人8割、外国人2割くらいでした。予想通り、ミャンマー人以外のアジア人は私一人でした。

以前の投稿、「2018年時点での、ミャンマーのローカル・ファッションブランドを比較してみた」で紹介したCharlotte Barjou Designやlillaの人たちも参加していました。
上の投稿で紹介した5ブランドのうち、私も含めて3ブランドが来ています。
ミャンマーは、業界のプレイヤーの数が少ないので、イベントやセミナーなどでは、いつも同じ顔ぶれと出くわします。

セミナーの内容は、マーケティングの基礎概念(4Ps等)と実践方法(ブランンディング等)、世界的な業界動向(グローバルなファースト・ファッションとローカルなクラフト系ブランドの二極化等)とEVERLANEなどの新たな顧客とのコミュニケーション手法を開拓した新興企業の紹介などでした。
EVERLANEは、委託工場や生産コストなどの情報をすべてオープンにした、透明性の高いエシカルな企業として、数年前に日本でも話題になりました。


マーケティングの概念は一通りは知っているし、世界的な業界動向は、随時ネットで追っているので、とりわけ目新しい情報はありませんでした。ただ、周りのミャンマー人は、すごく熱心にメモを取っている人もいたので、ミャンマーでこうした体系的なマーケティング戦略の話が聞けるのは珍しいことなのかもしれません。

ただし気になったことが一点。
セグメント化したマーケットの中で、自社のポジショニングする説明のくだりで出てきたマトリクスで、日本企業のブランドがいつも中低価格帯の汎用品(高級ではない)カテゴリーにマッピングされています。

縦軸が価格(高<-->低)、横軸が(汎用品<-->高級品)のファッション・ブランドのマトリクス
ユニクロが原点近くにある

縦軸が価格(高<-->低)、横軸が(汎用品<-->高級品)の自動車ブランドのマトリクス
ホンダ、トヨタの2社が原点の真下あたり

正確を期せば、アパレルに関してはご存知の通り、日本にもComme des Garcons、Yoji Yamamoto、SACAIらの高価格でデザイン性の高い、上のマトリクスで右端に位置しているMarc Jacobsと同等がそれ以上のブランドがあります。
自動車に関してはレクサスくらいでしょうか。ただし、トヨタの派生ブランドなので、微妙なところです。

私がこのマトリクス作るならComme des Garconsも入れるでしょうけど(過去に随分お布施もしたし)、日本人以外から見たイメージは、比較的安価な中級品を作っているブランドが日本を代表していると見られているのが、この図から伺えます。

かつては、日本企業の家電も中級品のカテゴリーでドミナントでしたが、今や中韓のメーカーにキャッチアップされて、ほとんど世界市場の中で存在感を失ないました。
自動車に関しても、EVが主流となって、部品が標準化され、組み立て製品として汎用化(コモディティ化、モジュール化、アセンブリ化)すると同じ現象が自動車産業でも起こるのではないかと危惧されています。

洋服は1950年代あたりからコモディティ化が始まった商材なので、ファッション産業では、実施的な機能よりも感性やイメージに訴求することで価格を維持し、低価格競争に巻き込まれ、利益が縮小することを回避することを目的としたマーケティング手法が開発され、採用されてきた歴史があります。

そして今や、以前の投稿「ミャンマーで経営と美意識の関係について考えた 」でも引用した、山口周著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)』に書かれている、下記のような現象があらゆる産業で生じてきています。
技術のコモディティ化、製造業のモジュール化が進み、それによって人件費の安価な途上国でも工業製品が製造できるようになったことも相まり、便益や機能で差別化して価格に反映させることが難しくなりました。
そのため、「現代社会における消費というのは、最終的に自己実現的消費に行き着かざるを得ないということであり、それは消費されるモノやサービスはファッション的側面で競争せざるを得な(P104)」くなっています。
日本の労働生産性がG7で最下位なのや、先進国と比較して労働者の給与水準が極めて低いのは、イメージ創造やデザイン力などで、高く売る仕組み作りを怠ってきた結果とも言えます。
高く売れないため、利幅が少なく、それを労働量と現場の頑張りで補おうとするため、長時間労働につながりやすく、その結果が時間当りの給与や生産性の低さとなって現れています。
市場が変化した今では、必要なのは戦略の転換なのにも関わらず、従来の仕組みのまま戦術(主に現場の頑張り)で乗り切ろうとするので、さまざまな軋みが社会の中に生じています。極端な例をあげると、ブラック企業や過労死のように。

明確な戦略のないまま、廉価な中級品のカテゴリーの中にいつまでも留まっていると、商材がコモディティ化、モジュール化すれば、いずれ新興国にキャッチアップされて、熾烈な価格競争に巻き込まれます。
そのため、国の経済がある程度発展し、社会が成熟した段階で、コモディティの財や商品で利益を上げるためには、ブランンディングに代表される、高く売る仕組みを作る必要があります。
しかしながら、総じて普通の日本人は、ブランンディングが苦手なのではないかと感じています。
私の運営しているブランドも在緬フランス人が手がけているCharlotte Barjou Designやlillaと比較すると、二分の一、三分の一の価格で販売しているので、もっとブランンディングを工夫して高く売れる仕組みを作る必要性を感じます。私の場合、英語力に制約があるので(特にヒアリング)、英語での外国人マーケットへのマーケティングが難しいのにも原因がありますが。

日本企業の多くが陥っている現在の停滞は、世界的な規模で起こっている、上記の自己実現的消費に対応できていないことに多くの原因が求められます。
なかんずく、日本の場合、意思決定に関わる組織の上層にいる人たちの美意識や審美眼の低さが目立ちます。
四年に一度のオリンピックの開会式のユニホーム・デザインに、自国の世界的デザイナーがまったく起用されないのは日本だけではないでしょうか?
他国のユニホームのデザイナーは、アメリカならラルフ・ローレン、イタリアならドルチェ・アンド・ガッパーナなどの妥当な人選がされています。
おそらく政府ナントカ審議会とかに入って、行政組織のインサイダーになっていないと、国家行事の仕事には起用されないのだと思います。
その辺の事情は、上記の本の同著者の山口周著『劣化するオッサン社会の処方箋 なぜ一流は三流に牛耳られるのか (光文社新書)』に詳しく説明されているので、ご興味のある方はご一読ください。


そんなことをつらつらと考えたのは、セミナー会場となったリノベーションされたNGOの本部の建物がスタイリッシュで、えらく格好良かったからです。
日本のNGOで、こうした来訪者の美意識に訴えかけるような見せ方をしている組織は、少なくともミャンマーにはないのではないでしょうか。
現地に根差した地道で実直な活動を継続しているのには、本当に頭が下がりますが、やはり見せ方をブラッシュアップしないと、一般的な認知度が上がらないし、格別ボランティアには興味の無い普通の人(そうした人が大多数だと思います)には刺さりません。
こんな風な格好良さがあると、ホリエモンやZOZOの社長のような、セルフブランディングに余念のない新興IT成金の寄付などが、今までのドナーとは桁違いの金額で入るかもしれません。彼らのような人たちは、セルフイメージと対外的な自己イメージが高まりそうな、目立つ対象に寄付をする傾向があります。

上に引いた同著から再び引用すれば、 こうした表現もあります。
「アップルが提供している価値は『アップルを製品を使っている私』という自己実現要求の充足であり、さらには『アップルを使っているあの人は、そのような人だ』という記号(P104)」
もちろんこのNGOは、歴史的建造物の保護や途上国の伝統工芸の伝承などが活動領域なので、専門分野でもありますが、彼我の差に愕然としたのは事実です。
これだけ大規模なリノベーションができるということは、相当の寄付が流れ込んでいるはずです。欧米と日本では、NGOが成立する環境の違いも大きいのかもしれません。

この建物は、一階にアパレルのアトリエ、三階にアクセサリーの工房が併設されていました。私が訪れた時は、一階のアトリエは作業していませんでしたが、三階の工房では彫金等の作業が行われていました。






こういう格好良い場所で作ってると、もっともらしいので、高くても納得して、思わず買ってしまいそうな雰囲気です。
日本のNGOが作っているのモノで、これ格好良いから欲しいなと思ったことは(制作過程と商品を含めて)、残念ながらほとんどありません。

ブランンディングは広い意味でマーケティングに含まれるわけですが、営利組織、非営利組織に関わらず運営には資金が必要なので、認知度の向上や、購買や寄付へ結びつけるためのヴィジュアリゼーションの力は侮れないないと、改めて痛感しました。

今回の経験は、マーケティングのセミナーに行って、講義内容とは別の体験から、今の日本と自分の抱える難点にいやおうなく気付かされることになりました。
そんなに簡単に解決できる問題ではありませんが、目を逸らさずに地道に取り組むべき課題です。

なるほど日本人はもっとヴィジュアリゼーションとブランンディングに
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2 件のコメント:

  1.  なるほど、そうですか。
     日本人の場合、DNA的に、ファッションセンス・創造力がないとは思いたくありませんが、「巧言令色、仁少なし」で「まじめに・地道に」が善で有り、飾り立てるのは、徳がなく、そのため外見で惹きつけるのだとか言う意識があって、尊敬されない雰囲気があるような気がします。極めつけは、江戸時代の「お歯黒」です。年でもないのに女で有りながら「婆さん」の格好をしていたのですから。目立たないのが徳です。
     いまも、学校教育の「美術・音楽」は付けたりです。
     もっとも、安土桃山のような奔放な時代もあり、はでで、センスが良いのが金儲けになるという時代風潮になれば、変わってくると思いますが。

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    1. 安土桃山時代に、茶道の侘寂のコンセプトを作った千利休は、世界初のアートディレクターと言われていますね。続く江戸時代にも、儒教的な倫理観から華やかさは戒められていたとは言え、浮世絵や歌舞伎などの視覚文化があったので、この時代まではそれなりに華やか文化が支持されていたように思います。ヴィジュアルが軽視されるようになったのは、富国強兵・殖産興業に舵を切った明治以降のことではないでしょうか。
      いずれにせよ、あらゆる産業でモジュール化が進んで、機能に限れば同等の品質のモノが世界中で作れるようになった今では、「地道さ」「堅実さ」だけではなく、デザインやイメージ戦略等で差別化して、途上国や中進国との熾烈な価格競争に巻き込まれないように、別の価値観を立ち上げることが、成熟した国の産業のあり方ではないかと思います。

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