2015年5月1日金曜日

ミャンマーと村上春樹

現在まで、ミャンマー語に翻訳されている村上春樹の著作は、『ノルウェーの森』、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、『象の消滅』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』(ミャンマーでの出版順、というより書店で見かけた順)の5作です。
これは書店で定点観測している範囲のデータで、版元や取次等でデータを調査したわけではありません(出版物に対する包括的なデータがないため、おそらくミャンマーでその種の調査はできません)。
いずれの訳書も正規に版権を取得して翻訳されたものではないと思われます(そのような版権ビジネスは、ミャンマーにまだ存在しないでしょうから)。ミャンマーでの性に対する保守性や検閲を意識して、いずれの訳書も原書のセックスに関する描写は削除されて翻訳されているはずです。そのせいもあってか、いずれの訳書も原書の2分の1以下のページ数です。




ミャンマー人が村上春樹の作品を読んで、どんな感想を持つのかに興味があり、事務所の20代の女の子にミャンマー語訳『ノルウェーの森』読ませてみましたが、あまりピンと来なかったようです。
ただ『象の消滅』については、「日本の小説じゃないみたい。アメリカ人が書いた文章みたい」といった意味の感想を話していました。初期の村上春樹の短編のバタ臭さというかアメリカ的な雰囲気が、ミャンマー語に翻訳されても読み手に伝わるのは面白いですね。



ミャンマーに在住して三年以上経ちましたが、今まで村上春樹の作品が好きというミャンマー人は一人しか会ったことがありません。もっとも、「村上春樹は好きか?」とミャンマー人に聞いたことはありませんが。

そのミャンマーでは貴重な村上春樹のファンは、20代のミャンマー人男性で技能実習生として日本に三年滞在したことがあり、(ミャンマー語訳の)ベケットやカフカが愛読書で、自費出版で詩集を出しているという、ミャンマー人としてはかなり変わった男の子だったので、ミャンマーで村上春樹のファンといのは、かなり特殊なことだと想像できます。

愛読書のミャンマー語訳『ノルウェーの森』と撮影

東アジアで村上春樹の作品が急速に読まれるようになったのは、高度経済成長が一段落し、都市に記号的な消費形態が現れた後だと言われています。

こうした状況を中国人のコラムニストが、鮮やかに切り取っている文章があるので、以下に引用します。
02年にネットで流れた「小資指南(プチプルになる方法)」にはこう書いてあった。
「君が『小資』になりたいのなら、村上春樹とマルグリット・デュラス、ホルヘ・ルイス・ボルヘスを必ず読んで、スターバックスへ行ってカプチーノを飲み、ジャズかエニグマを聞き、ハーゲンダッツのアイスクリームを食べ、『ニューヨーカー』を読まなきゃいけない(実際に読んで分からなくてもいい)。映画はもちろんウォン・カーウァイだ」。
村上春樹は当時、まさに中国「小資」の父だった。
<中略>
北京や上海、広州、南京、杭州といった大都市に住む若者は、突然スターバックスのコーヒーやハーゲンダッツのアイスが買えるようになった。「村上式生活」を送るための物質的基盤だ。
安替『Newsweek日本版』(2013年5月21日号・阪急コミュニケーションズ)
余談ですが、香港の映画監督ウォン・カーウァイの作品『恋する惑星』(1994年)は、村上春樹からの影響がよく指摘されています。たしかに、「その時、彼女との距離は0.1ミリ。57時間後、僕は彼女に恋をした」といった(ちょっとキザな)台詞に、初期の村上作品にある詳細な時間や数量の記述に通じるものを感じます。
この映画は、ミャンマーでもDVD屋で入手できるので、最近観直してみました。今観るとかなりくすぐったくなる部分も多いですが、やっぱりキュートで良い映画でした。何よりこの時期のフェイ・ウォンが奇跡的に可愛い(笑)。



今のところ、欧米や東アジアと異なり、ミャンマーで村上作品が幅広い層の読者を獲得していないのは、「村上式生活」を送るための経済基盤や文化的インフラが整備されていないのもひとつの理由だと考えられます。セロニアス・モンクとかビーチボーイズのこと書かれても、ミャンマーでは何のことか分からないでしょうし。もちろん村上作品の魅力は、そうした文化的ガジェットの記述の面白さに依るだけではありません。

村上文学の普遍性や世界性はどこにあるのかを内田樹氏の考察に依拠すると(自分では考えつけなかったから)、伝統的な権威が失墜し、従来型の成長・成熟モデルが説得力を持ち得なくなった時代に、個人が手探りで自分なりの世界像と自己認識を確立する物語が語られているからと説明できます。
 作中に頻出する文化的ガジェットは、登場人物の輪郭をクリアに切り取って見せるためのツールであり、作品の根源的な核は別のところにあるのでしょう。

今のミャンマーには、消費の嗜好・選択がある種のステートメントとなるような記号的な消費文化は存在しません。
そのうえ、伝統的な村落共同体や宗教的価値観が(中世並みに)ばりばりに機能しているので、村上作品が今のミャンマーで広く読まれていないのも当然のような気がします。

そういえば、先に書いた村上ファンのミャンマー人は、ヤンゴン生まれ、ヤンゴン育ちの都会っ子で、ミャンマー人には珍しくパゴダにも行きませんでした。周囲がしょっちゅうパゴダに行ったり、仏教行事がやたらと多いのを、前近代性の現れとして嫌っていたふしがあります。こうしたメンタリティーの持ち主でないと、主体的な個人が世界に対峙する中で新たな自己像を作りあげるという、村上春樹に特徴的な物語へすんなりと入り込めないのかもしれません。

ミャンマー以外のASEAN諸国で、村上作品はどの程度受容されているのかも気になります。
比較文化論の題材として、欧米や東アジア、スペイン語圏での村上作品の読まれ方は研究対象になっており、時々その研究成果を雑誌等で読むことがありますが、東南アジア地域が研究対象として取り上げられているのは、寡聞にして読んだことがありません。
東南アジアの中では経済的に成熟している国のシンガポールやタイで人気が出ても良いような気がしますが、実際のところどうなんでしょう?
ミャンマー語の翻訳があるくらいなので、(版権を正式に取得したかどうかはさておき)タイ語、マレー語、ベトナム語訳もきっと出版されているはずです。



また、東南アジア諸国の国民に読まれいるかどうかはともかく、バンコクのカオサンやシュムリアップのパブストリートなどのバックパッカーが集まるエリアの古本屋には、ジャック・ケルアックやハンター・トンプソンなどと共に村上春樹の本が並んでいることがよくあります。自分探し中の旅人の心情にぴったっりハマるのかもしれません。

カオサンの古本屋の棚

シュムリアップの古本屋の棚

ところで、ファン交流サイト「村上さんのところ」にこんな記述を見つけました。
ヴェトナムはさぞや暑いでしょう。僕は一度冬場のミャンマーで走って、暑さにめげました。ぼおっとして走っていて、間違えて大統領官邸に入りそうになって、武装した衛兵に睨まれました。
どうして、村上さんはミャンマーでジョギングしていたのでしょう?
推測するに、現在ミャンマー在住の村上作品の初期の英訳者アルフレッド・バーンバウム氏を訪ねたのではないでしょうか。いつ頃の話なのかも分かりませんが。

せっかくなので、この投稿を機に、ASEAM (Association of Southeast Asia Murakamians:東南アジア村上主義者連合)を結成したいと思います。
入会資格は、(1) ASEAN加入国在住者であること(国籍は問いません)、(2) 村上春樹の著作を三作品以上読んだことがあること(作品単位でカウントします。ex.『ねじまき鳥クロニクル』なら一〜三巻読んでひとつ、『海辺のカフカ』なら上下巻読んでひとつ。どの言語で読んだのかは問いません)の二つのみです。
今のところ、入会金や運営費も徴収する気はないので、入会希望者の方はお気軽にお知らせください。三ヶ国以上代表が集まったら、第一回ASEAM会議をヤンゴンで開催します。
活動内容はまだ考えていません。

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