2020年3月28日土曜日

【悲報】僕、コロナのせいで4月の計画がむちゃくちゃに

世界各地で多くの問題を生み出しているコロナウイルスにまつわる騒動ですが、この影響で予定が狂った人も多いはずです。
ご多分に漏れず、私も巻き込まれました。
2月末時点での3月、4月の私の計画は、以下の通りでした。
  • 3月17日 ビザランから帰国 バンコク-->ヤンゴン
  • 4月5日 イベント The Makers Market出店
  • 4月8日 ビザラン ヤンゴン-->チェンマイ
例年、4月上旬から中旬にかけて水祭りで、一週間以上の休業に入るローカルの店舗・企業が大多数のため、この時期は水祭りの喧噪を避けて、ミャンマー国外へ出る外国人が多いです。
私もミャンマーに来て最初の3年は水祭りの時期も、ミャンマーに残っていましたが、他の機会・場所では存在価値を示せないような連中が、ここぞとばかり街場でイキってるのを見るのが不快、かつ毎日五月蠅くてうんざりするので、ここ5年はミャンマー国外へ出るようにしています。

通常eVISAで70日滞在可能のビジネスビザを使ってミャンマーに入国していますが、3月17日の入国時は、どうせ一か月以内に出国するからと、70USDケチってビザなしで入国しました。ビザなしだと、滞在可能日数は30日です。
見通しが甘かった。
ミャンマー政府が4月中のイベント自粛を発令したため、4月のMakers Marketは中止。
タイ政府も、3月26日に海外からの旅行者の入国禁止を発令したため、4月8日のチェンマイ行きは不可能になりました。
滞在期限が切れる前にどこか一時出国できる国を探しましたが、周辺のASEAN諸国はほぼ封鎖。
カタール航空がこの時期もヤンゴン線を就航していることをネット広告でアピールしていますが、カタールは物価が高そうだし、そもそも入国できるかどうかも不明(調べてません)。
最後の選択肢として、ヤンゴン-->福岡のチケットをネットで探しましたが、これが見事にない。ハノイや香港経由のメジャーなトランジット便は全便休航の模様。
見つかるのは、中華系航空会社とLCC二つ乗り継いで、移動時間が20時間以上かかる便のみ。
移動時間はともかく、この時期に複数の国でトランジットするのは、かなりリスキーです。
九歳の子供を連れたロシア人の女性が、Air Asiaで、ロシアからマレーシア経由でタイに着いたものの、コロナの陰性証明書か罹患時に10万USD以上をカバーする保険証を持っていないかで、マレーシアに戻されて、どこにも出国できずに、クアラルンプールの空港内に閉じ込められて、進退窮まったケースもFacebookで話題になっています。

こうなると割高でも、ミャンマー-->日本の直行便しかないかとANAのウェブサイトへ。
検索したら、滞在期限4月16日までの運航便の片道チケットの価格が15万円とか20万円とかの鬼価格。
ないわ。
もう何年も新しいMacbook Pro買うの我慢しているのに、そんな金は払えん。
仕方ないので、オーバステイになってもそれより安い価格のチケットを探して、4月24日発の片道8万円のチケットを購入。
通常時ならベトナム航空で往復4万円代なので、片道で2倍の値段になるのも納得いかんが、他に選択肢がないので仕方ない。
とりあえず、このチケットを押さえておいて、4月16日までに出国できる航空券を直前まで探してみます。

不幸中の幸いだったのは、Airbnbで予約したチェンマイの宿は、この期間中の特別措置として全額返還されたことと、Trip.comで予約したヤンゴン<-->チェンマイ便も、運航中止となったため、返金されたことです。

トランジット便を利用する場合は、コロナの陰性証明書が必要となるので、よくドレス買ってくれるミャンマー人のお客さんが医師だったのを思い出して、証明書発行できるかどうか聞いてみましたが、彼女の関わる医療機関では発行できないとのことでした。
ミャンマーでも 陰性証明書を取得して、タイのトランジットを経て、他国へ帰国している外国人の報告もネットにあるので、発行してくれるミャンマーの医療機関はあるはずです。
こちらが聞いたついでに、彼女がこぼしていたのは、彼女もこの時期にペンシルベニア州に住む身内を訪ねるつもりで、ヤンゴン<-->NYCの往復航空券を買っていたのが、キャンセルとなり、しかも返金されるかどうかが不明だということです。
NYCの旅行代理店からチケットを購入したので、その代理店に問い合わせ中ですが、気の毒なことに、先方からの返信はないそうです。

今回の混乱で、こうしたケースも多発しているはずです。
ミャンマーを含む東南アジア諸国の水祭りの時期は、この地域最大のバケーション・シーズンで、海外旅行を計画していた人が多いはずですから。

しかし今回気づいたのは、ミャンマーに住んでると、タイへの依存度が高いなということです。タイへビザランができないとなると、いきなり社会生活が破綻する。
ミャンマーから見て、安近短、かつ都市的な娯楽や消費が楽しめる場所は、今のところタイ以外にありません。

それから、今回の報道で覚えた英単語が、 quarantine(隔離)です。英文のニュース読んでると毎回出てくるので。
Wikipediaでペストの項を見ていたら、語源が載ってました。イタリア語が語源だそうです。
14世紀の大流行は中国大陸で発生し、中国の人口を半分に減少させる猛威を振るった。当時ユーラシアの一大勢力を築いていたモンゴル帝国ではチンギス・ハーン末裔の諸家どうしの権力抗争が続いていたところへ流行が襲い、諸家の断絶を招いて帝国を衰亡させる要因となった。ペストは1347年10月に(1346年とも)、中央アジアからイタリアのシチリア島のメッシーナに上陸した。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミが媒介したとされる。流行の中心地だったイタリア北部では住民がほとんど全滅した[6]。疫病の原因が「神の怒り」と信じたキリスト教会では、ユダヤ人が雑居しているからとして1万人以上のユダヤ人を虐殺した。1348年にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼした。 1377年にヴェネツィアで海上検疫が始まった。当初30日間だったが、後に40日に変更された。イタリア語の「40」を表す語「quaranta」から、「quarantine(検疫)」という言葉ができた。
今回は、650年前のペスト禍に比べれば、ずいぶん被害が小さいはずです(なにしろペストは、当時の致死率が60%から90%だった)。
先人の経験した壊滅的な災厄に比すれば、乗り切れないわけがないと心安んじるしかありません。

とりあえず、今できることをやって乗り切ろうと思ったらクリック!
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2020年3月10日火曜日

The Makers Market #11へ出店しました

今週の日曜日に、今回で11回目の開催となるThe Makers Marketへ出店しました。今のところ全回参加していますが、もう11回目になるのかと考えると感慨深いものがあります。
今回は同じ敷地内であるものの、3日前にいきなり場所の変更の周知がありました。これについては、出店者へのメールやFBグループでの通知はなく、公式のFacebookページで一回告知があっただけでした。
変更について、事情の説明もないので、理由は不明です。
同日に、いつも開催している広場で、別のイベントが開催されていたので、会場側がダブルブッキングしたのかもしれません。



今回の会場は、カラウェイクガーデン入口近くのデッキでした。
デッキの板がところどころ剥がれいたり、外れていたりで、足場が悪く、設営にいつもより手間取りました。




いつもより狭い敷地へテントを押し込んでいるため、通路幅が狭く、動線が悪い場所だとお客さんの入りが悪そうでした。私が割り当てられた場所も、ちょっと来場者の回遊性が低そうな位置でした。
そのため、今回は厳しいかな、と設営しながら感じていました。設営終了直後に最初に来店した、アフリカ系アメリカ人の男性に、サイズ設定の説明を正確にできなかったため、販売機会を逸しました。
これは幸先が悪い。今日は出店料や移動費を考えると赤字かも、と嫌な予感がよぎります。
結果的には以前お買い上げいただいた日本人のお客様や、ミャンマー人の知り合い、撤収直前になって駆け込み的に買っていただいたお客様がいたため、なんとか黒字は確保できました。
ここへ来る労力と無店舗で運営していることを勘案すると、もう二倍くらいの売り上げが欲しいところですが、マーケティングが相変わらず課題です。商品力は他のブランドに対して優位だと思いますが(あくまで当社比)、マーケットでのブランド認知度が他のヨーロッパ人運営のブランドに比べて、相当に低い。だいたいいつもこのイベントに来てるけど、今回初めて見たというフランス人のご婦人がいたくらいですから。


デッキスペースは、カンドジー湖を挟んで、シェゴダンパゴダを臨める眺望のため、飲食スペースのロケーションは、いつもより良かったかもしれません。

急な場所の変更とか、出店者の選考結果発表日と出店料の振込締め切り日が同日とか、いろいろと運営上ではありますが、The Makers Marketがいまのところミャンマーで唯一成功しているナイトマーケットであることは確かです。
ミャンマーの屋内型ナイトマーケットとして始まったUrban 86は、運営のまずさと集客力のある質の高いテナントが集まらなかったことで、一年を待たずに閉鎖しました。
Strand Streetのナイトマーケットのテントは出店者もまばらです。
去年の雨期に始まったPansodan Streetのナイトマーケットは、その後どうなっているか話を聞きませんが、今も継続しているのかどうか不明です。 私の知る限り、特に話題になっていないようです。
上にあげたナイトマーケットの盛り上がらなさ加減に比すれば、11回目を数えるまで継続し、しかも毎回着実に集客しているThe Makers Marketの成功は、ミャンマーでは例外的と言っても良いかもしれません。

個人や中小企業が、ミャンマーでBtoCビジネスを場合、市場構造や特性を観測する絶好の機会でもあるので、ミャンマーでこうした業態にご興味があれば、ご来場をお勧めします。
このイベントでの日本人の来場者数の比率が、ミャンマーの外国人マーケット全体における消費者の比率と見ても、そう大きな誤差はないはずです。
また、ミャンマーの外国人消費者層に加えて、ミャンマーの国産品に関心を持つ0.1%のミャンマー人富裕層も観測することができます。
それを除く、ミャンマーの99.9%の消費層はミャンマーの国産品に対する消費選好はありません。
ファッションに例を取ると、ミャンマーの99.9%の消費層は、国産品よりも、H&MやZARAやユニクロなどのファーストファッションの方に関心があります。ちょっと無理をすればバンコクへ行ける程度に裕福な中産階級の若者は、H&MやZARAやユニクロを現地のショッピングモールへ買い出しへ行きます。
ミャンマーの伝統的な服飾文化をエッセンスに加えたローカルファッションに興味を持つミャンマーの消費者層は、日常的に海外へ渡航しているため、世界の主要都市のどこにでも売っているファーストファッションに、あまり有難味を感じない0.1%の富裕層のみです。

次回12回目の開催は、4月5日(日)ではないかと予想しています。

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2020年3月6日金曜日

3月8日(日)Makers Marketの開催場所の変更と打ち上げ開催のお知らせ

今度の日曜日3月8日に開催のThe Makers Market #11の場所が変更となりました。
Karaweik Garden敷地内での開催は変わりませんが、敷地中ほどの広場から、入口近くのデッキへと移りました。


出店者側への事前の通知はなく、いきなり昨日Facebook Pageで告知されたので、変更の理由は不明です。
通常なら出店者側へ通知してから、一般の来場者への周知という順番なのですが、ミャンマーにはそうした常識がないので、突然、Facebookで情報が発表されます。
これまでも、出店者への選考結果の通知前に、Facebook Pageで出店者の紹介を始めたり、プレスリリース掲載用の出店者情報を募集したりするので、自分は選考から落ちたのかか?とか、選考結果の発表は終わったのか?とかの問い合わせが、特に外国人の出店者から入るケースが何度もありました。
こうした場合、問い合わせても、ほとんどの場合スルーされるのが、ミャンマー流の運営です。
ミャンマー人出店者は、こうした時にあまり慌てません。ミャンマーでは、こうしたことは珍しくないからです。
今回の場所の変更も、それに類する、ミャンマーでよくあるケースの一つです。
しかも今回は、出店料の振込締め切り日が、出店者への選考結果の通知日と同日だったので、慌てて銀行振り込みに行く必要がありました。
選考結果の通知が2月25日の午前1時23分で、振込締め切りが同日だったので、ビザランなどでその日にミャンマーを離れていたら、振込の締め切りに間に合いませんでした。


おそらく、これは日付表記のミスでしょうけど。
今回で11回目の開催なので、いい加減運営がこなれてきてもいいのではと思いますが、ここにはストック(=ノウハウの蓄積)の概念が少ないので、手変え品替え同様の問題が発生します。
こうした問題が、どのようなロジックから発生するかについてご興味があれば、以下の投稿をご覧ください。


そんなこんだで、いろいろとミャンマーらしいことがありますが、ミャンマーの消費市場を観察する絶好の機会なので、ミャンマーでしか手に入らない工芸品・ローカル物産、あるいはミャンマーの消費者市場にご関心のある方にはご来場をお勧めします。

以前の投稿「ミャンマー・ビジネスの難しさについて、近所のカフェ閉店から考えた」で、個人や中小企業が参入できるミャンマーのBtoC市場は、二つしかないと書きました。
ひとつは、ミャンマー総人口およそ0.1%の割合の主に欧米で高等教育を受けて帰国した富裕層の子女に在ミャンマー外国人所得上位10%を加えた層です。
もう一つは、ミャンマー人全体のおそらく20%程度の中産階級の層です。
The Makers Marketは、前者のセグメントの消費者が一度に集まる、今のところミャンマー唯一のイベントです。

いつもThe Makers Marketのイベント終了後に、サンチャウンのビアガーデンWin Starで打ち上げを開催しています。
3月8日(日)の午後8時半にYANGON CALLINGのテントに来ていただければ、そこからタクシーに荷物を積んで、サンチャウンに移動して9時過ぎから打ち上げを始めます。
ビールが飲みたかったり、ミャンマーのBtoC市場の話が聞きたかったり、アートや文学や音楽の話がしたい人は、3月8日(日)午後8時半に、Karaweik GardenのYANGON CALLINGのテントまでお越しください。

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2020年3月4日水曜日

ミャンマーでジャン=リュック・ゴダールがこんなにわかっていいのかしら!?

ジャン=リュック・ゴダールの映画は、私にとって長いあいだ鬼門でした。
何しろ、見始めて30分くらいで寝落ちする。
学生時代に、ずいぶんレンタルビデオ店で借りたものですが、すぐに寝落ちして、目が覚めてから続きを観るため、どの作品も、ほぼ冒頭の30分と後半の30分しか観れていませんでした。
『勝手にしやがれ』『女と男のいる舗道』『軽蔑』『アルファヴィル』『気狂いピエロ』、ゴダールの主要な作品を観ようとしたものの、すべて同じ結果になりました。
映画史に残る重要な作品は、一般教養として観ておかねば、という義務感に駆られて何度か挑戦しましたが、集中して最後まで観ることは、この時は叶いませんでした。

ゴダールの映画の見方がわかった(と思った)のはミャンマーに来てからです。
近所のDVD屋にゴダールの作品がけっこう揃っていたので、久しぶりに観てみるかと、5、6年前に試しに観たところ、なんだかスルスルと内容が入ってくる。
20代の頃に、いくら目を凝らして観ていても、いつの間にか寝ていたのが嘘のようです。

わかったのは、ゴダールの映画は、映画作品による映画批評ということです。
その意味では、ポストモダン文学と似ている。
架空の詩人の詩についての注釈書という体裁を取ったウラジーミル・ナボコフの『淡い焔』、「あなたはイタロ・カルヴィーノの新作『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている」という書き出しから始まるイタロ・カルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』、スタニスワフ・レムによる実在しない書物の書評集『完全なる真空』。
いずれの作品も、作家自身が小説というジャンルに対して自己言及的かつ批評的で、メタ視点を作品に導入することにより、フィクションというジャンルの枠を乗り越えようとする創作的な冒険が試されています。
自らが属するジャンルの自明性を越境しようとする意思が、明瞭に作品内へ込められています。

  

白状すると、この三冊とも途中で読むのを挫折して、十年以上積読中ですが、そのうち完読します。
ゴダールの映画も観れるようになったことだし(言い訳)。

ミャンマーに来てから最初に観たゴダールの作品は、『気狂いピエロ』です。
若い頃、この作品が理解できなかったのは、ストーリーの整合性や前後の繋がりを追って観ていたからです。
あくまで私の解釈ですが、ゴダールにとって、作品内での整合性や連続性は重要ではなかった。
むしろ、映画的なモチーフを次々とたたみかけることで、映画の構造やジャンル的な特性を明らかにすることに力点が置かれている。

冒頭近くのシーンで、主人公に「映画とは何か?」とパーティーで訊かれたアメリカ人の映画監督はこう答えます。

映画は戦場のようなものだ。『愛』『憎しみ』『暴力』、そして『死』、つまり感動だ

そして彼の言う通りに、それ以降の場面が展開していきます。
豊かだが退屈な生活に倦んだ男が、ファム・ファタール(宿命の女)に導かれるように、社会から逸脱していく。殺人、事件、逃避行、女の裏切り、そして死。
そうした場面が、大した脈絡もなく断片的に示される。
筋を追って観ていくと何がなんだかわからないのですが、ゴダールの「ねえ、映画ってこういうもんだよね?」という目配せに気づけば、昔は単に難解としか思えなかった映画が、ポップで茶目っ気に満ちていることに気がつきます。
パーティーのシーンに出てくる映画監督が、アメリカ人であるのも理由があります。第二次世界大戦中にハリウッドで製作されたフィルム・ノワール(犯罪映画)は、ゴダールらが属したフランスの映画運動ヌーヴェル・ヴァーグに強い影響を与えているからです。
昔はこの場面を観て、なんでフランス人ばかりのパーティーに、アメリカ人が入ってるんだと違和感を覚えていましたが、これはフィルム・ノワールからヌーヴェル・ヴァーグへの架橋を詳らかにする意図だと読み取れます。
実は、これについては、今この投稿を書いていて気づきました。
このアメリカ人の映画監督が語るように、その後の場面が展開する(「愛」「憎しみ」「暴力」、そして「死」)ところも含めて、映画作品によって映画の構造や歴史が明かされるという、この作品の持つ自己言及性と批評性が明快に示されています。




遅まきながら、ゴダールの映画の持つ自己言及性と批評性に気がついたのは、最初に観た時とは異なり、その後にクエンティン・タランティーノの映画を観ていたからです。
タランティーノは、私の学生時代には、まだ映画監督としてデビューしていませんでした。
その頃のタランティーノは、ビデオショップ「マンハッタン・ビーチ・ビデオ・アーカイブ」で店員をしていたはずです。ちなみに私も同じ時期に、岡山のレンタルビデオ店でバイトをしていました。
場所は違えど、同時期にビデオ店で働いていた二人が、片やハリウッドで最も評価の高い映画監督の一人で、片やミャンマーで食うや食わずの生活を強いられている、この差はどこから生まれたのでしょう?
慢心?、環境の違い?
答えはわかりません。

話を戻すと、ゴダール同様に、タランティーノの作品も、自己言及性と批評性に特徴があります。
去年公開されたタランティーノの最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では、ハリウッド映画によってハリウッド映画史が語られるという、極めて自己言及的かつ批評的な構造になっています。

このように、ゴダールとタランティーノは映画製作における姿勢(と愛)が近いのですが、ポピュラリティについてはかなり差があります。
これは、タランティーノの作品が、あくまで娯楽として成立するラインに踏みとどまっているのに対し、ゴダールはそれに頓着しないからです。両者の作品内では多くの文化的ガジェットが引用されていますが、タランティーノの引用元がキッチュなB級映画やサブカルチャーが多いのに対し、ゴダールの場合は高踏的で衒学的なアートや文学や哲学が多い。
そして、タランティーノが娯楽としての映画の自明性に対して異を唱えないのに対して、ゴダールの場合、それをも大胆に逸脱するという破壊性を孕んでいます。
こうした創作態度からして、商業的な意味での成功を収めているのはタランティーノなのですが、ゴダールがタランティーノに与えた影響は大きいはずです。
タランティーノの映画で、いきなり爆音と共に場面展開したり、手持ちカメラを振ってパンしたり、突然脈絡のなさそうなシーンが挿入されたりするのは、おそらくゴダールの影響です。
ミャンマーに来てからゴダールの作品にすんなり入り込めたのは、それまでにタランティーノがゴダールから影響されて使い回していた映画技法に、いつの間にか慣れ親しんでいたからでしょう。
つまりタランティーノという補助線を引くことで、はじめてゴダールの映画が持つ世界像を浮かび上がらせることができた。

なんでこんなことを延々と考えているかと言うと(ミャンマーでジャン=リュック・ゴダールについて深く思い巡らすのは、あまり一般的な行為ではありません)、『気狂いピエロ』にヒロインとして登場するアンナ・カリーナが着ているワンピースをミャンマーのラカイン産の生地で作ったからです。


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