2020年5月15日金曜日

COVID-19騒動の中での日本への帰国体験記を書いた

4月24日から、日本に一時帰国中です。
帰国してから、3週間が経とうとしています。こんなに長く日本に滞在するのは、2012年にヤンゴンに住むようになってから初めてです。
帰国して2週間は、Airbnbで取った新宿御苑のアパートで待機していました。
東京に滞在するのも、8年振りでした。新宿の街は、紀伊國屋書店も伊勢丹新宿店も閉まっていて閑散としていました。
今は、福岡の大濠公園の近くに住んでいます。
福岡では、多くの人々が大濠公園でジョギングする姿も見られ、現在の東京ほどの閉塞感と圧迫感は感じません。こちらでも、飲食店の多くは、閉まっていたり、テイクアウトのみの営業だったりはしますが。
最近、ミャンマーの日本語フリーペーパーから、日本へ帰国した時の状況について書くように依頼されました。以下に書いた記事を転載します。このまま採用されるかどうかは不明です。
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COVID-19騒動の中での日本への帰国体験記

4月24日午後11時、私は、成田国際空港第一ターミナル到着ロビーにいました。周囲には、私も含めて5,6人がロビーのベンチで過ごしています。私と同じく、ヤンゴン発のANA NH814便で成田に到着した人たちです。海外からの帰国者は、公共交通機関の使用禁止を要請されているため、明日の迎えが来るまで、皆ここで一晩過ごすのでしょう。
一か月前まで、自分がこの時期に、この場所にいるとは思っていませんでした。

3月中旬時点での、私の4月の計画は、次の通りでした。
4月5日 The Makers Marketに出店
4月8日 ヤンゴン-->チェンマイ ティジャン(水祭り休暇)
4月19日 チェンマイ-->ヤンゴン ミャンマーに帰国

4月5日に開催予定だったThe Makers Marketは、毎月一回ヤンゴンで開催されている、ローカルメイドの工芸品や雑貨を集めたナイトマーケットです。タイのようにローカル・マーケットが充実していないミャンマーで、ここでしか手に入らないローカル・ブランドの商品が購入できるイベントとして、在緬外国人に人気のイベントです。毎回、3000人近い来場者を集客しています。


3月8日に開催されたThe Makers Marketの様子

しかし、3月末になって、コロナウィルスの感染拡大の影響により、状況が次々と変わり、当初の計画はすべて覆りました。
まず、タイ政府の発令により、3月26日から、すべての国境ルートから、外国人の入国禁止となります。続く3月31日には、ミャンマー政府により、国際空港への旅客航空便の着陸禁止が発令されます。さらに、ミャンマー政府が4月中のイベント自粛を要請したことで、4月5日開催予定だったThe Makers Marketは中止となります。

タイへの外国人の入国禁止となった時点で、予約していたヤンゴン、チェンマイ往復航空便は運航休止になりました。
前回のビザランで3月末にバンコクから戻って来た時、ミャンマーへはノービザで入国していました。いつもは滞在日数70日のビジネス・ビザで入国していますが、この時はティジャンの休暇が近く、2週間程度の短期滞在になるからです。
この安易な判断が、仇となります。
ノービザで入国すると、滞在延長の申請ができません。よって、滞在期限が切れるまでに、どこかへ出国する必要があります。しかし3月末時点で、周辺のASEAN諸国は、ほぼ封鎖中となっていました。
こうなると、日本人の私が入国できる国は、日本しかありません。
実家のある福岡行のチケットをネットで探しましたが、これが見事にない。ハノイや香港経由のメジャーなトランジット便は全便休航となっています。
では、日本への直行便しかないとANAのウェブサイトへ。
検索すると、滞在期限前の運航便の片道チケットの価格が15万円から20万円へと高騰しています。日本からミャンマーへの往路は全席空席なので、しかたないのでしょうけど。やむえず、オーバステイになっても、できるだけ安い価格のチケットを探して、約1か月先の4月24日ヤンゴン発の片道8万円のチケットを購入しました。

さて、今の環境下で、日本に帰国するとどういう状況になるかを、先にミャンマーから帰国した知り合いや周囲の友人へ聞いたところ、ものすごく面倒なことになっていました。

政府は、海外からの帰国者へ、以下の要請をしています。
- 海外からの帰国者は、もれなく2週間の待機を命じられる
- 日本帰国から2週間の待機期間中は、公共交通機関の使用禁止

そして、2週間待機の宿泊場所は、自己解決かつ自費で賄う必要があります。
この条件だと、関東近辺以外の居住者は、空港からアクセスできる場所に自費で宿を取り、しかも、その場所まで公共交通機関を使わずに行き着く必要があります。こうした条件を課すなら、政府が宿泊施設と移動手段を用意するのが筋ではないかと思いますが、残念ながら、個人での自己解決が求められています。
しかたなくAirbnbで、東京に2週間待機する宿を取りました。
問題は、宿泊地までの移動手段です。
先にミャンマーから帰国していた千葉の知人に頼んでみたところ、快く引き受けてもらえました。しかし、承諾から3日後に断りの連絡があります。家族に話したところ、猛反対に遭い、車のキーを取り上げられたとのことです。
となると、残る選択肢は、空港発の予約制リムジンバス・サービスくらいしかない。しかし、これが公共交通機関に入るのか、入らないのかの判断に苦しみます。小学生の頃、遠足のおやつはX円までという教師からの指示があった時、「先生、バナナはおやつに入るんですか?」とお約束のように聞く児童のような疑問です。
考えあぐねていたところ、4年くらい会っていない、以前ミャンマーに住んでいた友人から突然メールが入りました。私のブログを読んで、ミャンマーにスタックしていることを知り、メールをくれたようです。空港から宿泊地への移動手段に困っていると伝えたところ、ご親切にもレンタカーを借りて迎えに来てくれると言ってくれました。ありがとうHさん。あなたがいなければ、移動で詰んでいた。

航空チケットは取った、2週間宿泊する待機場所も予約した、空港から宿泊場所までの移動手段も確保した。でも、これで一安心とはいきません。
ビザの問題が残っています。
この頃、突然国境を閉鎖されたため、私同様にオーバーステイを余儀なくされた在緬外国人のトラブルが続発していました。地元の英字フリーペーパーでは、外国人が移民局へ延長申請のために赴いても、役所をたらい回しにされて、結局延長ができないケースが多発していることが記事になっていました。ビザの滞在期限が切れると、法律上、賃貸住宅へ居住することはできず、かと言ってホテルにも宿泊することもできません。住処を失ったある在緬外国人男性が、ミャンマー人女性のガールフレンドのアパートに転がりこんだところ、借主である女性の勤務先からクレームがついて追い出され、文字通りホームレスになってしまったケースも報告されています。
ミャンマーは異性間のモラルが厳格なため、周囲の住人や関係者は、未婚のミャンマー人女性と外国人男性が同居することを快く思いません。幸いにして(と言うべきか)私は、女性と縁がなく、アパートへの女性の出入りもないので、近隣の住人の反感を買い、密告されて住居を追い出される可能性は低そうです。しかし、そうは言っても、安心はできません。

その後、今回の特例で、ビジネス・ビザ以外でも、移民局で延長申請が可能になったとの情報を得ました。4月上旬に、パソーダン通りの移民局に着くと、建物前から優に100メーターは続く長蛇の列ができていました。どうやら、みんなビザの延長申請に来ているようです。私も一時間以上列に並んで、担当官に必要書類を提出しました。手続きが完了したら、電話するということでしたが、結局、連絡はありませんでした。

4月上旬、移民局前にできていた行列

移民局からの連絡を待つうちに、夜間外出の禁止令が発令され、外出に対する規制がさらに強まっていきました。こうした中で、処理されているかどうかもわからない申請を、再度一時間以上列に並んで、移民局で確認する気にもならなかったので、ビザの延長申請は立ち消えになりました。こうした状況で多くの外国人が、ビザの延長を果たせず、運の悪かった人が路上に放り出される事態に陥ったのでしょう。
タイ政府は、ビザの種類に関わらず、手続きなしで滞在期限を自動延長する救済措置を発表しましたが、残念ながらミャンマーは、そこまで外国人に対して配慮がされる国ではありません。

こうなると、オーバーステイの延長料金を空港で払うしか方法はありません。
夜間の外出禁止など、規制が日に日に増していく中で、宙ぶらりんな立場で過ごすのは、あまり気分の良いものではありませんでした。
まいったのは、夜間外出禁止令の発表により、ANA NH814便の運行時間が突然変更されたことです。ANAに確認したところ、その時点では、フライトが半日後ろ倒しになる予定だとの回答でした。それでは、移動をお願いしているHさんの都合がつかない日時に到着するので、やはり移動で詰む。繰り返しますが、公共交通機関の使用はできません。
果たして、フライト3日前になってANAから届いたメールを開くと、半日前倒しのスケジュールへと変更となっていました。このスケジュールなら、早く着くぶん待ち時間は長くなりますが、Hさんが迎えに来れる時間には成田空港に着いています。迎えが無理となった場合、レンタカーのキャンセルも発生するので、直前までHさんとやりとりをしていました。

4月24日、出発の日のヤンゴン国際空港は未だ封鎖中で、閑散としていました。どうやら運航しているのは、ANAの臨時便だけのようです。搭乗手続きを終え、スーツケースを預けて、イミグレーションのフロアに移動します。気になっていた、オーバーステイの手続きは、イミグレーション前の窓口で、一日当たり3USDのオーバーステイ料金を払うことで、難なく終わりました。以前も同じ手続きをしたことがありますが、ミャンマーでは、唐突にシステムが変更することがよくあるので、実際やってみるまで気が抜けませんでした。
ANA NH814便の搭乗率は、10%程度でした。帰る必要のある邦人はすでに帰国していて、これから帰国する在緬邦人はあまり多くないのでしょう。午後1時半に、ヤンゴン国際離陸した飛行機は、定刻通り。夜10時半に成田国際空港へ着陸しました。
機内で4、5枚の書類を渡され、それぞれに2週間の待機期間中の宿泊地の住所や、日本での連絡先を記入します。宿泊地の管轄保健所からの連絡方法について、Lineのスマートフォン・アプリを使うか、保健所からの電話を受けるかの選択項目もありました。とりあえず、アプリでの報告へチェックを入れておきましたが、ミャンマーは入国制限対象地域の国ではないため、保健所からの確認はないようでした。
飛行機から降りると、イミグレ前に待機していた検疫官に記入した書類を渡し、簡単な問診を受けた後、入国審査カウンターへと進みます。搭乗客が少なかったこともあり、飛行機を降りてから、検疫、入国審査を経て、到着ロビーに出るまで要した時間は30分程度でした。

そして、到着ロビーのベンチで、翌日午後2時に迎えが来るまで、13時間待機します。成田空港の到着ロビーも閑散としていました、ロビーにいるのは、私と同便で到着して、翌日まで迎えを待つ5、6人の人たちと空港のスタッフのみです。ちなみに到着ロビーに着いてから、移動の規制はありませんでした。迎えを頼める親族・友人が見つからず、他に方法がなければ、やむえず公共交通機関を使う人がいてもおかしくはありません(私もそうした可能性がある)。そのような事態を招かないためにも、政府が何らかの移動手段を用意すべきではないか、と到着後も改めて思いました。

4月24日、成田空港第一ターミナル到着ロビー

出国と到着の経緯を書いたところで、指定の字数をとうに過ぎました。
私がミャンマーで取り組んでいるプロジェクトについても、少しお伝えしたかったのですが。
私のミャンマーでのミッションは、「ミャンマーの素材を使って、世界で通用するブランドを、ミャンマーで作る」ことです。世界のどの都市でも通用するクオリティを持った、ミャンマー発のブランドを作ることを目標としています。
お時間があれば、私のブランドYANGON CALLINGのWebサイトとFacebookページを見ていただけると嬉しいです。
Webサイト:
https://www.ygncalling.com/
Facebookページ:
https://www.facebook.com/ygncalling/




5月中旬の現時点で、ミャンマーへいつ戻れるか状況は不透明ですが、ミャンマーへ入国できる環境が整いしだい、帰る予定です。また、The Makers Marketなどのイベントで、皆さんとお会いできる日が訪れることを心待ちにしております。
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