2021年12月31日金曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーバードライブ』11

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  待ち合わせの場所は、ダウンタウンのギャラリー〈Burm/art〉だった。マハバンドゥーラ通りの東端にあるそのギャラリーは、現地に住むアメリカ人女性が運営していると聞いた。
 ギャラリーでは個展が開催中だった。磁器の立体作品がいくつかの台座の上に置かれていた。壁に取り付けられた作品もある。台座の上の作品群は、植物と女性像や人体パーツが融合した不思議なフォルムのものだった。ぱっくり開いた大きな傷口を持つトルソーには、内部から伸びた枝が複雑に交差し、葉を茂らせ、棘を尖らせ、花を咲かせていた。壁に取り付けられた蛇をモチーフにした作品群も胴部から触手のような突起が飛び出し、葉と花が絡みついた内臓を備えていた。
 面会の約束をしていたSoe Mayの作品だった。彼女はアメリカのアート誌に「注目すべき三〇歳未満の三〇人のアーティスト」の一人に選出されたこともある。日本でその記事を読んだ私は、今回の面会を申し込んでいた。アメリカとミャンマーを行き来している彼女は折良く私のミャンマー訪問時に一時帰国していた。
 ギャラリー内の壁で仕切られた事務スペースから二十代後半の中国系の女性が現れた。
「Soe Mayさん?」と私は声を掛けた。
「連絡してくれた日本の人?」と彼女は言った。
「そうです。お会いできて嬉しいです」
 背は高くないが恰幅が良い体型で、セミロングに伸ばされた髪は額で横分けされていた。化粧気はない。Vネックのシンプルな黒のワンピースを着ていた。
 彼女の促すままに傍のテーブルを挟んで向かい合わせてに腰掛けた。
初対面の挨拶を済ませると展示されている彼女の作品について尋ねた。「磁器の立体作品ばかりなのは何か理由はあるの?」
「私は中国系ミャンマー人の三世としてここで育ったの。私の実家は、ここの近所のチャイナタウンにある。家には先祖の代から伝わる花瓶や茶器があって、磁器は身近な素材だった」
「自分の民族的なアイデンティティを反映させるためにこの表現を選んだ?」
「最初はそんな深い理由はなかった。創作を始めたのも化学を学ぶつもりでシアトルに留学したんだけど、定員いっぱいで入れなくてファインアートの学科に入ったのがきっかけ。いろいろと試してみたけど、絵筆でカンヴァスをなぞるより、手で直接粘土を捏ねる方がしっくりきたの」
「人体のパーツと蛇が作品のモチーフになってるけどこれはなぜ?」
「人体パーツの作品はある種の自己像ね。伝統的なミャンマーの社会が求める女性性に対する違和感や自分の内側にある他者性が表れている。蛇はいろんな意味に表彰化されることに惹かれるの。邪悪さの象徴とも吉兆とも見られる。ミャンマーの神話では守護神のひとつでもある。そしてわたしの干支は蛇なの」
「二つとも君のアイデンティティに根ざしてるんだ。どちらのモチーフにも内部が露出してて中に植物のようなものが見えるね」
「自分の経験や精神性のいろんな要素が出てきたみたい。受けた傷と生命力、死と再生、儚さと永遠性、どうとでも解釈できるけど自然に湧き出てきたものなの。作ってるうちに自分のアイデンティティが自然に現れた感じ」黒めがちな瞳を真っ直ぐに向けて彼女は答えた。「故郷を離れて創作を始めたアメリカでの孤独感や疎外感、それ以前にも、ビルマ人がマジョリティであるミャンマー社会に、中国系ミャンマー人として完全に溶け込めなかったことも関係してるかもしれない」
 対立する多様な要素を含みながら、それらを一体化した彼女の作品は彼女の出自や経験も反映されているようだ。「君の作品にはミャンマー的な土着性と同時に世界に繋がる普遍性も感じさせる。閉じられた部分と開かれた部分が両立している。それは君が中国系ミャンマー人であることやアメリカでの経験が反映されたからなんだ」
「おそらくそうなんだろうけど、あまり自己分析はしないことにしてるの。それが足枷になって作品の幅が狭まるのを避けたいから」
「それもそうだね」と私は答えた。「ところで僕は日本の福岡というところに住んでる。あまり知られてないけどヤンゴンの姉妹都市でもある。ここに福岡南アジア美術館という南アジアの現代美術に特化した市営の美術館がある。ここに作品を収蔵することに興味がある?」
「その場所もその美術館のことも知らないけど、公営の美術館に私の作品が展示されるのは魅力的ね」
「それにASEAN各国からレジデンス・アーティストも招聘している。一定期間住んで、創作活動のためのアトリエが提供されるし、ワークショップを開催することもできる。よかったら向こうに、いま受け入れ枠があるかどうか確認してみるよ」アメリカのアート誌に取り上げられた実績のある新進アーティストなら美術館側も受け入れに積極的だろうと予想して提案してみた。
「制作拠点にしてるアメリカとASEANで最大の現代美術のマーケットのあるシンガポールでの活動で手一杯だから日本のことは考えたことがなかった」と彼女は戸惑いがちに答えた。「ミャンマーには条件に合う窯と粘土素材がないからシアトルの工房を借りて制作してるんだけど、そうした制作に必要な環境は用意してもらえるの?」
「大丈夫だと思う」
「考えてみるわ。アメリカよりも日本の方が近いから制作拠点としては便利だし」
「それに東京より福岡の方が南アジアに立地が近い分、文化的な親和性がある。日本で初めてアジアの現代美術展が開かれたのも福岡だし」さらにひと押ししてみた。彼女の創作するユニークな立体作品を東京よりも先に紹介したかった。「帰国したら担当の学芸員と相談してみる」 
「わかったわ。まだ、決めてたわけじゃないけど。日本に行くことは考えたことがなかったし」
「できるだけいい制作環境が準備できるよう交渉してみる」
「ありがとう。条件次第で考えてみるわ」

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2021年12月27日月曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーバードライブ』10

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 翌朝、窓から差し込む日射しで目を覚ました。外を見ると燕脂色の僧衣に身を包んだ托鉢僧達が近隣の民家を回っていた。在家の住民達が僧が抱えた鉢の中に米を注いでいる。ミャンマーで毎朝繰り返されている光景だ。
 バスルームで洗顔して外を散策することにした。ホステルのある路地から大通りに出ると向かいにカンドージー湖が見える。通りを横切って、湖のある柵内の敷地に入った。敷地内には湖を囲んで公園やレストランが点在している。
 湖上に渡された木製の遊歩道を進むうちに、賑わっている場所があるのを見つけた。そちらを目指して歩くと〈Yangon Farmers Market〉と入口に垂れ幕が掛かった広場に行き着いた。入ってみると三十あまりのテントが設置され、テント毎に様々な野菜や果物が販売されていた。見たこともない南国の果物を並べられたテントもある。フレッシュジュース、ジャム、コーヒー豆などの加工した食品も売られている。この場所で定期的に開かれている朝市のようだ。看板やパッケージに、オーガニックであること、地場産であることを謳っているのが目立った。訪れている客は、外国人とミャンマー人が半々だった。民生移管後に外国人居住者が増えて、こうしたオーガニック食品の需要も生まれているのだろう。ひと通りテントを眺めて、来た道を引き返した。
 
 宿に戻ると、一階のカフェにビル・ブラックがいた。
「おはよう、どこかに行ってたの?」そう言って、テーブルの上のMacBookから顔を上げてこちらを見た。
「湖の周りを散歩してた。朝市をやってたよ」と言うと、「ああ、あれは毎週末やってるんだ」と彼は答えた。 
 私も彼の近くのテーブル席に座った。「オーガニックとかローカル・メイドとかを強調した店が多かったけど、そういうのがこちらでは盛んなの?」と訊いてみた。
「ここに住む外国人と一部の裕福なミャンマー人相手の商売だね。まあ、うちのカフェの客層もそうなんだけど」
「ここを始めてどれくらい経つの?」と私は尋ねた。
「一年半くらいだね。その前はここの1LOで働いてたんだけど」
「ミャンマーは住んで長いの?」
「八年くらいになるね。イギリスの大学でビルマ語を学んだから、ミャンマーに来るのは当然の成り行きだった。君は観光に来たの?」
「ミャンマーは三回目なんだ。東南アジアの現代美術のリサーチのために来た。日本でアート関係のビジネスをしている」近くにいたミャンマー人のスタッフにスムージー・ボウルとカプチーノを頼んだ。
「共同経営者のプーがギャラリーをやってるからよければ紹介するよ。彼女は今シンガポールに行ってるけど、今週戻ってくる。たしか君の滞在は一週間だったよね?」
「ここには一週間泊まる予定だ。それから瞑想センターに行くつもりなんだけど。ギャラリーをやっている君の共同経営者に会えると嬉しいな。いろんなツテがあった方がいいから」
「戻ってきたら教えるよ。彼女もミャンマーにいるときは、だいたいここにいるから」
 スムージー・ボウルとカプチーノが運ばれてきた。スムージーにはスライスしたマンゴーとバナナとキウイがトッピングされていた。スプーンですくって口に含むとココナッツ・ミルクと果物の甘い香りで口内が満たされた。「ありがとう。瞑想センターに行くのは君の共同経営者に会ってからにするよ」と私は答えた。

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2021年12月14日火曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーバードライブ』9

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 チェックアウト時間の十一時前に部屋を出て、レセプションにキーを返した。コンドを出ると、スーツケースを引いてコンドと同じブロックの裏手にあるカフェ〈ブルーダイ・カフェ〉に入った。ミャンマー行きの飛行機は夜の便なので、それまで時間を潰すつもりだった。
 トンローの住宅街の一画にあるそのカフェは、近隣の若いタイ人が主な客層だった。MacBookでグラフィック・デザインをしたり、動画を編集している独立系のクリエイターらしき若者も数人いた。梁の横木が剥き出しになった天井と寄木張りのフローリングのウディなインテリアの店で、四分の一程度が物販スペースになっていた。アメリカのヴィンテージ・ウェアの古着を吊るしたラックと地元の作家による陶器が並べられた棚が置かれている。木枠のガラス窓から前庭に植えられたパームツリーとシダ植物が見える。とりあえずパスタとカプチーノを頼んだ。昨日ビールを飲んだ〈ロイヤルオーク〉の隣にあった日系の古本屋で買ったフィリップ・K・ディックの小説を読んだ。
 カフェには二時間ほど滞在した。スーツケースを引いてスクンビット通りに出て、歩道脇のエレベーターで高架を登り、トンロー駅の改札に達するまで十分くらいだった。トンロー駅からBTSに三十分ほど乗車してモーチット駅に着くと、高架を降りてバス停へと向かった。ドンムアン空港行きのエアポートバスのバス停にはすでに十人くらいのバックパッカーが列をなしていた。行列の最後尾に並んでバスを待った。午後の日射しが容赦なく肌を刺した。たえず行き交うバスやタクシーが吐き出す排ガスが周囲に沈殿していた。熱気と息苦しさで意識が朦朧としてくると、いったい自分がどこに居て、どこに向かおうとしているのかも分からなくなってくる。空港行きのA1バスが来るまで二十分ほど待った。頭がぼうっとしたままバスに乗り込んだ。スーツケースを荷物置き場に置いて、なんとか空いていた座席に座る。タイ人二割、外国人が八割くらいの割合でバスは満席だ。女性の車掌が乗客一人ひとりを回って、個別に三〇バーツを徴収して、バス券を渡していく。高速道路を三十分ほど走った後、バスは空港への連結路に沿って旋回しながら国際線ターミナル前に到着した。
 ドンムアン空港国際線ターミナル1は搭乗手続きを待つ旅行客でごった返していた。L C Cの旅客数が世界最多であるこの空港は、ASEAN各国と中国各地との定期便が発着の大部分を占めている。スーツケースを持った旅行客の行列が、チェックイン・カウンター・エリアの外側に設けられた柵を幾重も取り巻いている。通路が人とスーツケースや手荷物カートで塞がれているため、空港内を歩くのもままならない。私の搭乗便の出発時刻は午後七時半で、空港に着いたのが 午後三時半頃なので時間の余裕はあるはずだが、この様子だと搭乗手続きのためチェックイン・カウンターにたどり着くのにどれだけ時間が掛かるのかも分からない。とりあえずチェックイン・カウンター・エリア入口の反対側まで達した列の最後尾に並んだ。私の搭乗便の受付はまだ始まってなかったが、列で待っているうちにその時間になるだろう。
 二時間あまり並んで、チェックイン・カウンター・エリアの内側に入った。カウンターで搭乗手続きを済ませ、スーツケースを預けた。搭乗時間まで一時間半程度あったので、空港内のフードコートでグリーンカレーを食べ、シンハービールを飲んだ。
 搭乗ゲート前のロビーの座席もほぼ満席で空いてるシートは少なかった。床に座り込んでスマートフォンを触っている乗客も多い。
 搭乗ゲートから離れた場所の空いている席を見つけて座った。搭乗時間まで一時間あまりあるので、カフェで読んでいたフィリップ・K・ディックの小説の続きを読んだ。荒廃した火星で日々の暮らしに苦闘する地球からの移住者や未来を幻視する自閉症の少年が登場するが、移動で疲れているせいかストーリーの展開が頭に入らない。
 読書に集中できなくなると周囲を見渡した。ミャンマー行きの複数の定期便のための搭乗ゲート並ぶ出発ロビーなのでここで待つ乗客はミャンマー人が多かった。ある程度裕福なミャンマー人にとってバンコクは手近な買い物エリアとなっている。特に若いミャンマー人にとっては、最新のファッションや風俗に触れられる先端エリアとして人気が高い。
 予定の出発時間を三十分ほど過ぎてから搭乗開始のアナウンスがあった。搭乗ゲートをくぐって、外に横付けされたランプバスに乗り込む。駐機場を横切って、タラップの付けられた機体前にバスが着くと、乗客はめいめいバスを降りて、タラップを登り、機内に入っていく。
 ノックエアDD4238便は定刻より三十分あまり遅れて離陸した。バンコクの高層ビル群と渋滞した車のヘッドランプの連なりが織りなす夜景が遠ざかると、窓の外は闇に包まれた。離陸して一時間ほどで機体はヤンゴン上空に達した。街の上空を飛んでいるはずだが眼下の光はまばらだった。ただ、ライトアップされて黄金色に輝く巨大な仏塔シュエダゴン・パゴダだけが闇の中で光を放っていた。
 ヤンゴン国際空港に到着したのは午後九時前だった。イミグレーションの列に並ぶ人間の数はそう多くなく、十五分ほどで入国できた。空港で手持ちの米ドルを現地通貨のチャットに両替し、スマートフォンを使うために五〇〇〇チャット分のプリペイドカードを買った。ミャンマーに来るのは三回目で、現地キャリアのS1Mカードはすでに持っているため、必要分をチャージをすればいい。
 スーツケースを引いて入国ロビーに出るとタクシーの運転手が次々と群がってくる。ミャンマーでは、タクシー運賃は料金交渉をして決める。空港発のタクシーは、相手側が強気になるため、運賃が割高になる。スマートフォンで配車アプリのGrabを起動してみたがディスプレイ上に車が現れない。空港からの利用客には相場より高い料金を請求できるため、システムが料金を自動計算するGrabを使わせないのが不文律となっているようだ。空港の敷地外の通りまで出てGrabを使うという方法もあったが、朝からの移動で疲れていたので気が進まなかった。何人かのドライバーと交渉して、宿まで一万チャットで折り合った。相場より二、三割割高だがしかたない。
 空港を出発した車はピーロードを南下して進んだ。まばらに並んだ蛍光灯の街灯が街路を仄暗く照らしている。インヤー湖に差し掛ると湖の尽きるところで左折してインヤロードに入った。前方に黄金色に輝くシュエダゴン・パゴダが見える。パゴダを覆うのは本物の黄金で、肉眼では見えないが尖頭部分の装飾にはダイヤモンドやルビーなどの宝石が七〇〇〇粒以上ちりばめられていると聞く。ASEAN最貧国であるこの国の富のすべてをこの仏塔が吸い込んでいるような気がしてくる。
 タクシーが予約していたホステル〈Bodhi Taru〉の前に停車した。通りの両側に四、五階建てのローカルアパートメントが並ぶ裏通りだった。僅かな街灯に照らされた薄暗い通りの先に、黄金色のシュエダゴン・パゴダが輝いている。
 ホステルは一階がカフェで、二階が宿泊施設となっている。一階部分は一面のガラス張りなので、天井から吊るされた暖色の白熱灯に照らされた内側が見渡せた。十席ほどの木製のテーブルとソファが三席、奥は右側がキッチンカウンター、左側に二階の宿泊施設に通じる階段が見える。カフェの営業時間は過ぎていりようで客はいなかったが、三十代半ばの白人男性が奥のテーブルでMacBookを開いていた。
 中に入って「今夜から宿泊予定なんだけど」と声を掛けると、立ち上がって「ああ、予約していた日本人だね。ようこそ。僕はオーナーのビル・ブラック」と言った。立つと身長が百八十センチ近くあるのがわかった。金髪の長髪を後ろで縛ってポニーテールにしていた。細面の顔にボストン型の眼鏡が載っていた。欧米人にしてはスリムな体型だった。どことなく三十代の頃のジョン・レノンを思わせる風貌だ。アクセントと雰囲気からおそらくイギリス人だろうとあたりをつけた。
「案内するよ」彼はそう言って、カウンター下からキーを取り出した。彼の後に付いて奥の階段を登った。ドミトリーが二室、個室が二室の小規模なホステルだ。宿泊サイトで予約したが、空いていた個室を予約していた。キングサイズのダブルベットが置かれたシンプルな内装の部屋だった。バスルームとトイレは共用のため部屋内にはない。テラスに面した窓からミントグリーンに塗られた向かいの民家が見えた。
「じゃあ。明日の朝も下のカフェにいるから何か用事があれば遠慮なく言って」そう言うと下に降りて行った。
 ビールが飲みたかったが周囲に買えそうな売店はなかった。朝からの移動で疲れていたので、共用のバスルームでシャワーを浴びて、歯を磨くとすぐに寝た。

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