2020年1月26日日曜日

【2月2日(日)】ローカル物産展 The Makers Market #10 に出店します

今年最初の開催となるミャンマー・ローカル物産展のThe Makers Marketに出店します。
10回目となる今回の開催日は、2月2日(日)です。開催時間は、いつもと同じ16:00~21:00です。
今年は一月中の開催はありませんでした。主催者の意向により、在ミャンマー外国人のバケーション・シーズンが終わってから始めることになりました。

The Makers Marketは、ローカルメイドの工芸品やファッション・ブランドが一堂に会する、ミャンマーでは貴重なイベントです。
タイのようにナイトマーケットが充実していないミャンマーでは、こうしたローカルブランドに触れる機会はそう多くありません。このイベントに参加するような独立系小規模事業者は、アクセスの良い商業地に店舗を構える余裕はなく、在住者でも商品を目にする機会が少ないのが実情です。
そのため、ミャンマーのローカルブランドが一望できるThe Makers Marketは、ミャンマーでしか手に入らない工芸品や服飾品をまとめて見れる機会を提供するイベントとして、在ミャンマー外国人にとって人気が高く、広く知られています。


主催者のFacebookページに、今回出店するローカル・ファッションブランドの一つとしてYANGON CALLINGも紹介されています。
この分野での日本人の出店者は私一人なので、日本を代表して参加してきます(笑)。

The Makers Marketは、主催者が出店者を事前に選定しているため、会場で販売されている物品に、一定のクオリティが保証されています。
主催者側のスタッフが会場を巡回していて、人気のないお店は、次回の出店者として選出されないこともあります。 
ここには、ミャンマーのローカル・マーケットにありがちな、中国製の安価な衣料品や非正規コピーのキティちゃんやドラえもんのぬいぐるみなどは販売されていません。
出店者の販売する商品が、ミャンマー製であること、環境を配慮した製品であること(会場内でのプラスティックの使用は不可)、大量生産品ではないことが参加条件となっています。回を重ねる毎に、飲食店の出店者も増えてきていて、軽い食事もできるようになりました。

開催場所は、いつも通りKaraweik Gardenです(公園内のKaraweik Palaceの手前)。 会場の公園に入場する際に、入場料の300MMKを入口で徴収されます。


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2020年1月11日土曜日

ヤンゴンの本好きにはたまらない季節がやってきました

今年の一月も去年に引き続き、ヤンゴンで世界最大の本の展示即売会のBig Bad Wolf Book Saleが開催されています。
東南アジア各地を巡業しているイベントで、開催元はマレーシアの企業のようです。
自分のブログで確認すると、去年は1月18日~1月29日に開催されていました。
今年の開催日は、1月10日から1月20日の間です。
今年は去年とは場所が変わって、Fortune Plaza内のMyanmar Expo Hallで開催されています(場所の詳細は後述)。

ヤンゴンには、国際空港内の紀伊國屋書店しか海外の書籍が買える大きな本屋がないので、ここに住んでいる活字中毒者は、だいたい本に飢えています。
なので、活字中毒の在住者にとっては、干天の慈雨のようなイベントです。
去年は開催中日に2、3回行った記憶がありますが、今年は気合を入れて、初日の朝から行ってきました。


価格帯は、ペーパーバックで5,500MMK、ハードカバーが7,000~9,000MMK、ビジュアル・ブックは値段にばらつきがあって15,000~25,000MMKくらいです。
市価の半額以下なので、バンコクへ一時出国した時に買うよりも安い。








今年の傾向として、ビジネス書はあまり目ぼしいものがありませんでした。
そのかわり、文芸書が充実していました。
おそらくここで販売されているのは、出版社や取次から余剰在庫を低価格で大量に買い取った本です。
フィクションでは、村上春樹とかポール・オースターとか、ノンフィクションでは、マルコム・グラッドウェルとかユヴァル・ノア・ハラリのような、普通の本屋に平積みしているような売れ筋の本はありませんが、ある程度の目利き力があれば、面白そうな本を手頃な値段で入手できます。

ウィリアム・バロウズの『ソフトマシーン』も5,500MMK。
ミャンマーでバロウズ読む人間がいるのか?

今年の戦果をいくつかご紹介します。

ガブリエル・ココ・シャネルの伝記。
日本のビジネス書の分野では、ベストセラー作家の出口治明氏が、よくシャネルの言葉を引いて、教養の必要性を説いています。
「私のような大学も出ていない年をとった無知な女でも、まだ道端に咲いている花の名前を一日に一つぐらいは覚えることができる。一つ名前を知れば、世界の謎が一つ解けたことになる。その分だけ人生と世界は単純になっていく。だからこそ、人生は楽しく、生きることは素晴らしい」

出口氏はシャネルを敬愛していて、彼女の伝記本はすべて読んでいるとどこかに書いていました。それを知った時に、ビジネスマンがシャネルの生き様に興味を持つのは意外な気がしました。

日系アメリカ人作家による長編デビュー作。
21世紀に入ってから、アメリカ文学界で活躍するアジア系・アフリカ系の作家が増えていますが、アジア勢はインド系・中国系が中心で、日系人は影が薄い気がするので、どうなんだろうと思って。

イタリアの作家イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』とドイツのカフカの『城』。今回は、フィクションのコーナーに、カルヴィーノの小説がたくさんありました。いま東南アジアでカルヴィーノ・ブームが起きているのか?


カルヴィーノの『見えない都市』は、フビライハンに仕えたマルコ・ポーロが、主君に、これまで訪れた奇妙で不思議な都市を語るという断章で綴られた短編集です。私の知る限り、世界で最も美しい、宝石箱のような小説です。東京大学の米文学の元教授で、現在は翻訳家の柴田元幸氏も、翻訳小説のヘヴィー級チャンピオンはガルシア・マルケスの『百年の孤独』で、ミドル級チャンピオンがこのカルヴィーノの『見えない都市』だと、東大駒場祭で開催された講演会で語っていました。

フィリップ・K・ディックの『パーマエルドリッチの三つの聖痕』と『火星のタイムスリップ』。


私が中学生の時、最もハマっていた作家は、筒井康隆とフィリップ・K・ディックでした。久しぶりに読んだらどんな感想になるのか、興味があったので。

ジェニファー・イーガンの『マンハッタンビーチ』。


前作の『ならずものがやってくる』から7年ぶりの新作。未読ですが、『ならずものがやってくる』は、よくカオサンの古本屋で見かけるので、どんなものか興味があったので。しかし英語圏の作家は、本当に創作ペースがゆっくりです。カズオイシグロなんかも、新作出るの5年おきくらいだし。英語で書かれた本は読者数が多いため(英語が母語でない国でも読まれるので)、頻繁に新作を発表しなくても食えるので、じっくり時間をかけて書けるんでしょうけど。

今回の目玉はこの本。見つけたら絶対買うべき本です。
ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生 』。


ドミニカ系アメリカ人作家による、ドミニカ系アメリカ人の日本オタクの青年が登場する長編小説。ウルトラマンとか小松左京原作『復活の日』の角川映画が作中に出てくるのは、この作品だけでしょう。日本語訳を読んだとき、ガルシア・マルケス ミーツ カート・ヴォネガットという感想を持ちました。
ピュリツァー賞、全米批評家協会賞をダブル受賞、英米で100万部のベストセラーとなった話題作なので、ヤンゴンに住む外国人もこの小説のことを知っている人が結構います。
昨日Facebookで、イベント会場にチェックインして、この本の表紙をアップしたら、「この本いいよね!」とヤンゴン在住のケニア人からレスが入りました。
21世紀になってから発表された私が読んだ小説の中で、今のところ、これがベストの作品です。
この作家は、親日家で、下北沢のサブカルチャー事情にも詳しいです。福岡のラーメン店事情を世界の知るところになったのは、この人が雑誌に寄稿したコラムによるところが大きいです。関心のある方は、Junot Diaz Ramen Fukuokaでググってみてください。

それでは、会場への行き方をご案内します。


上記地図の通り、会場はFortune Plaza内のMyanmar Expo Hallです。
ヤンゴン郊外の場所なので、市内中心部からタクシーを使うと往復10,000MMKはかかります。
そんな交通費使うより一冊でも多くの本を買いたいという人(私です)のために、バスでの行き方をご案内します。
バスだと片道200MMK、往復400MMKなので、25分の一の交通費で行けます。

ダウンタウンから行く場合は、マハバンドゥーラ公園前のバス停から、 4、5、9、33、81、85、89のいずれかの番号のバスに乗って、タカタ橋を渡ってから二つ目か三つ目のバス停 Wet Su 下車です。バス停から会場までは100メーターくらいです。
大型バスは4番と81番で、あとはマイクロバスになります。本数の多い、4番で行くのが一番無難でしょう(私は行き帰りとも4番を使いました)。



20日までの開催で、まだ間があります。本が好きな方にはご来場をおススメします。

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2020年1月8日水曜日

【YANGON CALLING】メンズパンツ、ドレスの新色が入荷しました

メンズ・ショート・パンツとドレスの新色が入荷しました。

メンズのパンツはラカイン産のロンジー生地を使用して作られています。
ラカイン産のロンジー生地は、厚手で丈夫なのでボトムスに向いています。




今年からサイズ設定を広げて、現在、SサイズからXXXXXLサイズまで展開しています。

サイズ設定は以下の通りです。
S =78cm, 30inch
M=82cm, 32inch
L=86cm, 33inch
XL=90cm, 35inch
XXL=94cm, 37inch
XXXL=98cm, 37inch
XXXXL=102cm, 40inch
XXXXXL=106cm, 42inch

お買い上げできるカラーやサイズの在庫は、YANGON CALLINGのオンラインショップで確認できます。
https://www.ygncalling.com/men

シャン州産の生地を使ったフレンチ・スリーブのサイド・タック・ドレスの新色も入荷しました。


こちらも在庫状況は、オンラインショップでご覧になれます。
https://www.ygncalling.com/women

新年だしミャンマーの素材で作った服を着て
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2020年1月2日木曜日

(2) ミャンマー人の行動と気質を理解するための統一理論について考えた

前編「(1) ミャンマー人の行動と気質を理解するための統一理論について考えた」の続きです。

これまで、ミャンマー人の行動様式を、時間軸という概念を用いて説明してきましたが、一昨日あたりに、もっと上手く説明できる方法があるのではないかと思いつきました。
経済や会計の概念である、フローとストックを援用すれば、より包括的かつ明示的な説明がつきそうです。

Wikipediaでは、「フロー(Flow)とは、一定期間内に流れた量をいい、ストック(Stock)とは、ある一時点において貯蔵されている量をいう」と説明されています。

Dynamic Stock and flow diagram

上図では、流れたフロー(当期利益)がダム状のストック(自己資本)として貯まり、それがまたフロー(消費・投資)として、 ダムから流れ出します。

会計の分野では、複式簿記において、期間の損益状況をあらわす損益計算書P/L(収益・費用)がフロー、特定時点での財産状況をあらわす貸借対照表B/S(資産・負債・資本)がストックにあたります。

ミャンマーのローカル企業の会計では、複式簿記を採用していないため、フロー(P/L)は見ていますが、ストック(B/S)は見ていないケースが多いです。
つまりミャンマーには、フローの概念はあるが、ストックの概念はあまり一般的ではないとも考えられます。複式簿記を採用しないのは、単なる会計上の習慣ではなく、ミャンマー人の世界観に根差した、民族的な深層意識に由来する選択である可能性があります。

これまで、ミャンマーでは、真面目さと勤勉さ、善良さと誠実さは別の概念であることを論じてきましたが、この先、フローとストックの概念を導入して、説明をしてみます。
<フロー>真面目、善良 <-- その場において観察される資質
<ストック> 勤勉、誠実 <-- フローが蓄積した結果として事後的に認められる資質
として捉えてみると、ミャンマーはフローの流出量は多いが、それがストックとして蓄積されていないと言えます。
上図のイメージで言うと、水量(フロー)は多いが、ダムの貯水できる容量が非常に小さいため、十分なストックが形成されない。

真面目さと勤勉さ、善良さと誠実さという人間的な資質を説明するに限らず、ミャンマーで起こっている事象全般をこのフロー・ストックの概念を適用して考えてみましょう。
  • 植民地支配から独立して以来、発電施設、上下水道、都市計画などのインフラを自力で立ち上げたことがほとんどない --> 社会資本(ストック)の概念がないから
  • 公営の充実した図書館や美術館がない --> 文化資本(ストック)の概念がないから
  • 安易に他社のデザインや商標やソフトウェアのコピー・模倣をする --> 無形資産(ストック)の概念がないから
  • 辞職する際に業務の引継ぎをしない --> 事業の継続性(ストック)の概念がないから
おお、全部説明できそうだ。

正確を期せば、2006年に旧首都ヤンゴンに代わる首都ネピドーが建設されていますが、あの都市は政府庁舎が点在するだけで、公共交通・商業施設と居住区のバランスと利便性、娯楽や文化施設などの都市としての魅力を考慮して建設されていないため、ここでは除外します。
1961年に発表された都市論のバイブルと呼ばれる、ジェイン ジェイコブズ 著『アメリカ大都市の死と生』では、都市の様々な機能や用途 ー 居住区・オフィス地区・商業施設・公共の文化施設など ー が相互に絡み合い、多様な生態系を形成することにより、活気や魅力が生まれ、イノベーションが発生し、あたかも有機体のように都市が成長・発展するプロセスが活写されています。
都市を建設するにあたっては、成長・発展の萌芽となる、複合性や多様性をいかに設計するかが、現在の都市計画においては重要な要素となっています。
1960年に遷都されたブラジルの首都ブラジリアは、建設にあったて、そうした都市の発展の条件を考慮していなかったため、自然発生的な成長・発展が果たせなかった都市の代表的なケースとしてよく挙げられます。
ネビドー同様、巨大な建造物と広大な道路が広がる整然とした巨大な計画都市ですが、市内の移動は自動車による移動を前提にしているために、実際の市民生活を送るには不便なことや、直線的な道路が広く長く伸びる設計であるため、コミュニティが生成する区画(ブロック)や路地が存在せず、都市としての自然な繁栄を遂げることができませんでした。イノベーションの発生には、クリエイティブな人材の重層的・複合的なコミュニティの存在が不可欠とされています。このため、現代の先進的な都市作りでは、徒歩や自転車で移動が可能な、利便性が高く緊密なコミュニティ生成の場を作ることが重要な課題となっています。
ブラジリア建設から46年後に建設されたネピドーは、ブラジリア同様に都市の発展プロセスに対してこうした洞察を欠いているのは否めません。


東南アジア人と東北アジア人の気質の違いは、イソップ童話の「アリとキリギリス」寓話によく喩えられますが、これにもフローとストックの概念が適用できます。
  • アリ(東北アジア人) --> 食べ物(フロー)の途絶える冬がある -->食べ物(フロー)がある夏の間に食料を貯蔵する --> ストックの概念が育ちやすい
  • キリギリス(東南アジア人) --> 食べ物(フロー)の途絶える冬がない -->常に葉っぱが茂っている(フローが豊富)ため、食料を貯蔵する必要がない --> ストックの概念が育ちにくい
ミャンマーは、旅行者には概ね好印象なのですが、ここで実際にビジネスを営んでいる外国人にはけして評判が良いとは言えません。
これは通りすがりの旅行者が体験するのは、フロー(真面目さ、善良さ)であるのに対し、実際にこの地に足を付けて事業を営むのにあたっては、事業者は被雇用者にストック(勤勉さ、誠実さ)を求めることに起因します。
ミャンマーに進出した外資系企業の成功例がいまだに少ないのは、視察時にフローの部分だけを見て、投資判断をすることも大きな理由の一つではないでしょうか。
あるいは、自国のストック(上図では、ダムの貯水量)と同様のキャパシティ(ダムの容量)がミャンマーにもあるという、誤った前提で投資判断をしている可能性もあります。

いずれにせよ、これからミャンマーの様々な事象を読み解くにあたって、補助線としてフローとストックの概念を用いるのは、 正確なミャンマー像を把握するのに有用な試みではないかと個人的には考えます。

<追記:2020年1月3日>
本稿を書き上げた後、フローとストックの概念で説明できる代表的・典型的なケースをさらに思いついたので、ここに追記します。
一つ目は、ミャンマーに投資する投資家や、進出する外資系企業の成功例が少ない理由です。
株式投資に喩えると、彼らは、 フロー(損益計算書P/L)だけを見て、ストック(貸借対照表B/S)を見ずに、投資を決めていたケースが多いのではないかと推測します。
もう一つは、11世紀頃に建造された歴史的な価値のあるパゴダに、コンクリートやモルタルの現代の素材で補修したり、新たに建て増ししたりするケースです。
これは、迸る信仰心や、より良き来世への熱望といった個々人のフローが大量に流れ出した結果、先人の遺した遺蹟や文化・歴史的な価値のある建造物といったストックが押し流されている状態であるとも説明できます。

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2020年1月1日水曜日

(1) ミャンマー人の行動と気質を理解するための統一理論について考えた

明けましておめでとうございます。
去年の投稿では「 ミャンマーでは、善良であることと誠実であることは別の概念であることを考えた」が飛びぬけてアクセス数が多かったです。私の投稿でアクセス数が400近くあるのは珍しいことです。
せっかくなので、新年最初の投稿として、このトピックを深堀りしてみることにします。

まずは、前回までの考察をおさらいします。

前回の投稿で、ミャンマーでは、真面目さと勤勉さ、善良さと誠実さは別の概念であることを論じました。

前者は、その表出が瞬間的に観察される心性の有り様なのに対して、後者は、もっと長い時間軸の中で継続的に観察され、当該者の行為・行動の蓄積により、それらが当該者の持つ資質の発露であると事後的に認められる心性の有り様である。
ミャンマーでは、継続的・長期的に人が評価される社会的な基盤や価値観が希薄なため、後者(勤勉さ、誠実さ)の資質は育ちにくい(ゼロとはいいません)。
そのためミャンマーでは、儒教文化圏の東北アジア人には、多くの場合、自明とされている、前者(真面目、善良)に後者(勤勉、誠実)が包括される、あるいは同一の集合に属するという概念は当てはまらない。
真面目な人物が怠惰であったり、善良な人物が不誠実であるということもあり得るし、真面目で善良だと思っていたミャンマー人から裏切られた、騙されたというケースもしばしば仄聞する。

これは、彼ら・彼女らが、真面目で善良な仮面の下に邪悪な魂を隠し持っているからではありません。
北ヨーロッパの推理小説なんかでは、陰惨な殺人事件を起こしている犯人は、登場人物中、最も善良で悪意のなさそうな人物であるのが常道ですが、そうした自らの邪悪さを善意の仮面で覆って他者を欺くような複雑さ、狡猾さ、陰険さはミャンマーには存在しません。
理由は、おそらく、もっと単純です。
それは、彼ら・彼女らの世界観では、時間軸で評価する文化が希薄なのではないか、という仮説を立てています。
人物が、時間の経過を伴う行為・行動の中で、蓄積的・累積的に評価される社会的な土壌があまりない。
そして、個人単位でも、時間の経過の中で、行為・言動に一貫性や整合性を失っても、自己矛盾や齟齬に悩まされることは少ない。

通常、人間には自己同一性(アイデンティティ)を保つため、自らの行為・言動に一貫性・整合性を持たせる心理機構が存在します。
この心理機構を利用したセールス・テクニックを『影響力の武器』という本で読んだことがあります。
ずいぶん前に読んだ本なのでうろ覚えですが、著者の体験したこんなエピソードが実例として紹介されていました。

ある日著者の家に、タンクトップを着た魅力的な若い女性が、アンケートに協力してもらえませんか?と訪ねてきた。魅力的な女性の申し出なので、とりあえずアンケートを了承した(著者は男性)。あなたは健康とライフスタイルの充実に留意してますかとの問いに、イエスと答えた(魅力的な女性の前でいい格好したかった要素が多分にある)。すると、では、あなたはこれを買う必要がありますねと、健康食品か健康器具を売り込まれた。著者は、健康とライフスタイルの充実に留意していると言った手前、自らの発言を裏切れずに、その商品を買う破目になった。


これは、 自己同一性を維持するため、自らの言動の一貫性・整合性を保とうとする心理機構を利用したセールス・テクニックですが、ミャンマー人に同様の営業をした際、どういう結果が出るか興味があります。

以前の投稿で書いたAさんから、メッセンジャーで、クリスマスカードやら新年祝いの画像が頻繁に送られてきますが、彼女は自分の行為に矛盾や齟齬を感じていないため、こちらに対して後ろめたさや罪の意識はまったくなく、これまでと同様に接してくるのでしょう。
ちなみに、彼女が持ち出したネームタグは、年末に買い取りました。出自のよくわからない物にお金払うのは、抵抗がありましたが、知らない所で勝手に使われてブランド価値を棄損されても困るため、持たせておくわけにもいかなかったので。

あくまでここに書いているのは仮説ですが(fMRIで、実際に脳の活動を観察した実証実験をしたわけでもないので)、これまでの仮説を補強するエピソードとして、以下のようなケースを実際に見たことがあります。

ミャンマー人実業家Mさんと中小企業社長の日本人Iさんは、20年以上の付き合いがあった。
Iさんは、これまで一緒にMさんとは仕事をしたことはないが、交友歴が20年以上あるので、Mさんとは信頼関係が構築できていると考えていた。6、7年前のミャンマー投資ブーム時に、Mさんの元に日本の投資家が日参するようなった。中には、個人で数十億円を動かせる投資資金を持つ投資家もいた。Iさんも当時のミャンマー投資ブームに乗じて、Mさんとの共同事業の提案をした。Iさんは20年来の交友関係があるので、信頼関係がある自分が優先されるものと信じていた。しかし、Mさんは、知り合ったばかりの潤沢な投資資金を持つ日本人投資家との関係を重視し、大きな投資資金を持たないIさんを次第に疎んじるようになり、Iさんから電話があっても居留守を使うようになった。

このケースは、上述した、時間軸のない世界観から導き出された典型的な行為として観察し得ます。
時間を伴う行為・行動の蓄積(ここでは20年以上の交友関係)よりも、目先の利得を優先するのは、Iさんが考えていたのとは異なり、Mさんにとっては、長期にわたる交友関係には大した価値がなかったからでしょう。
行為・行動が蓄積されて、累積的に信用という形で評価される東北アジア人的な価値観と、その時々の利害関係によって、毎回関係性がゼロクリアされるアジア東南アジア人的な価値観がすれ違った典型的なケースと言えます。

ここまでが、前回までのおさらいです。
少し肉付けしたり、実例を入れて実証性を補完したので長くなりました。
いままで、ミャンマー人の行動様式を時間軸という概念を用いて説明してきましたが、もっと包括的かつ明示的に説明できそうな方法を思いついたので、本稿を書き起こしはじめました。
おさらいが長くなったのと、書きながら考えていて疲れてきたので、新しい説明方法については、次回の投稿で書くことにします。

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