2020年3月4日水曜日

ミャンマーでジャン=リュック・ゴダールがこんなにわかっていいのかしら!?

ジャン=リュック・ゴダールの映画は、私にとって長いあいだ鬼門でした。
何しろ、見始めて30分くらいで寝落ちする。
学生時代に、ずいぶんレンタルビデオ店で借りたものですが、すぐに寝落ちして、目が覚めてから続きを観るため、どの作品も、ほぼ冒頭の30分と後半の30分しか観れていませんでした。
『勝手にしやがれ』『女と男のいる舗道』『軽蔑』『アルファヴィル』『気狂いピエロ』、ゴダールの主要な作品を観ようとしたものの、すべて同じ結果になりました。
映画史に残る重要な作品は、一般教養として観ておかねば、という義務感に駆られて何度か挑戦しましたが、集中して最後まで観ることは、この時は叶いませんでした。

ゴダールの映画の見方がわかった(と思った)のはミャンマーに来てからです。
近所のDVD屋にゴダールの作品がけっこう揃っていたので、久しぶりに観てみるかと、5、6年前に試しに観たところ、なんだかスルスルと内容が入ってくる。
20代の頃に、いくら目を凝らして観ていても、いつの間にか寝ていたのが嘘のようです。

わかったのは、ゴダールの映画は、映画作品による映画批評ということです。
その意味では、ポストモダン文学と似ている。
架空の詩人の詩についての注釈書という体裁を取ったウラジーミル・ナボコフの『淡い焔』、「あなたはイタロ・カルヴィーノの新作『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている」という書き出しから始まるイタロ・カルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』、スタニスワフ・レムによる実在しない書物の書評集『完全なる真空』。
いずれの作品も、作家自身が小説というジャンルに対して自己言及的かつ批評的で、メタ視点を作品に導入することにより、フィクションというジャンルの枠を乗り越えようとする創作的な冒険が試されています。
自らが属するジャンルの自明性を越境しようとする意思が、明瞭に作品内へ込められています。

  

白状すると、この三冊とも途中で読むのを挫折して、十年以上積読中ですが、そのうち完読します。
ゴダールの映画も観れるようになったことだし(言い訳)。

ミャンマーに来てから最初に観たゴダールの作品は、『気狂いピエロ』です。
若い頃、この作品が理解できなかったのは、ストーリーの整合性や前後の繋がりを追って観ていたからです。
あくまで私の解釈ですが、ゴダールにとって、作品内での整合性や連続性は重要ではなかった。
むしろ、映画的なモチーフを次々とたたみかけることで、映画の構造やジャンル的な特性を明らかにすることに力点が置かれている。

冒頭近くのシーンで、主人公に「映画とは何か?」とパーティーで訊かれたアメリカ人の映画監督はこう答えます。

映画は戦場のようなものだ。『愛』『憎しみ』『暴力』、そして『死』、つまり感動だ

そして彼の言う通りに、それ以降の場面が展開していきます。
豊かだが退屈な生活に倦んだ男が、ファム・ファタール(宿命の女)に導かれるように、社会から逸脱していく。殺人、事件、逃避行、女の裏切り、そして死。
そうした場面が、大した脈絡もなく断片的に示される。
筋を追って観ていくと何がなんだかわからないのですが、ゴダールの「ねえ、映画ってこういうもんだよね?」という目配せに気づけば、昔は単に難解としか思えなかった映画が、ポップで茶目っ気に満ちていることに気がつきます。
パーティーのシーンに出てくる映画監督が、アメリカ人であるのも理由があります。第二次世界大戦中にハリウッドで製作されたフィルム・ノワール(犯罪映画)は、ゴダールらが属したフランスの映画運動ヌーヴェル・ヴァーグに強い影響を与えているからです。
昔はこの場面を観て、なんでフランス人ばかりのパーティーに、アメリカ人が入ってるんだと違和感を覚えていましたが、これはフィルム・ノワールからヌーヴェル・ヴァーグへの架橋を詳らかにする意図だと読み取れます。
実は、これについては、今この投稿を書いていて気づきました。
このアメリカ人の映画監督が語るように、その後の場面が展開する(「愛」「憎しみ」「暴力」、そして「死」)ところも含めて、映画作品によって映画の構造や歴史が明かされるという、この作品の持つ自己言及性と批評性が明快に示されています。




遅まきながら、ゴダールの映画の持つ自己言及性と批評性に気がついたのは、最初に観た時とは異なり、その後にクエンティン・タランティーノの映画を観ていたからです。
タランティーノは、私の学生時代には、まだ映画監督としてデビューしていませんでした。
その頃のタランティーノは、ビデオショップ「マンハッタン・ビーチ・ビデオ・アーカイブ」で店員をしていたはずです。ちなみに私も同じ時期に、岡山のレンタルビデオ店でバイトをしていました。
場所は違えど、同時期にビデオ店で働いていた二人が、片やハリウッドで最も評価の高い映画監督の一人で、片やミャンマーで食うや食わずの生活を強いられている、この差はどこから生まれたのでしょう?
慢心?、環境の違い?
答えはわかりません。

話を戻すと、ゴダール同様に、タランティーノの作品も、自己言及性と批評性に特徴があります。
去年公開されたタランティーノの最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では、ハリウッド映画によってハリウッド映画史が語られるという、極めて自己言及的かつ批評的な構造になっています。

このように、ゴダールとタランティーノは映画製作における姿勢(と愛)が近いのですが、ポピュラリティについてはかなり差があります。
これは、タランティーノの作品が、あくまで娯楽として成立するラインに踏みとどまっているのに対し、ゴダールはそれに頓着しないからです。両者の作品内では多くの文化的ガジェットが引用されていますが、タランティーノの引用元がキッチュなB級映画やサブカルチャーが多いのに対し、ゴダールの場合は高踏的で衒学的なアートや文学や哲学が多い。
そして、タランティーノが娯楽としての映画の自明性に対して異を唱えないのに対して、ゴダールの場合、それをも大胆に逸脱するという破壊性を孕んでいます。
こうした創作態度からして、商業的な意味での成功を収めているのはタランティーノなのですが、ゴダールがタランティーノに与えた影響は大きいはずです。
タランティーノの映画で、いきなり爆音と共に場面展開したり、手持ちカメラを振ってパンしたり、突然脈絡のなさそうなシーンが挿入されたりするのは、おそらくゴダールの影響です。
ミャンマーに来てからゴダールの作品にすんなり入り込めたのは、それまでにタランティーノがゴダールから影響されて使い回していた映画技法に、いつの間にか慣れ親しんでいたからでしょう。
つまりタランティーノという補助線を引くことで、はじめてゴダールの映画が持つ世界像を浮かび上がらせることができた。

なんでこんなことを延々と考えているかと言うと(ミャンマーでジャン=リュック・ゴダールについて深く思い巡らすのは、あまり一般的な行為ではありません)、『気狂いピエロ』にヒロインとして登場するアンナ・カリーナが着ているワンピースをミャンマーのラカイン産の生地で作ったからです。


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