2021年10月25日月曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーバードライブ』6(2)

第二章
6(2)

 約束の時間が近くなったので、二階から降りて一階の入り口に面した部屋まで戻った。大理石でできた丸テーブルの傍で、三十代前半の洗練された雰囲気のタイ人女性がスタッフらしき中年女性と話していた。
「Myria Aromdeeさんでいらっしゃいますか?」と私は話しかけた。
「Myriaです」と彼女は答えた。
 意志的な眼差しと、くっきりした眉が印象的だ。化粧気はない。長く伸ばされた黒髪は額の中央で分けられ後ろに束ねられている。中肉中背の引き締まった体は黒のプラダのナイロンドレスで包まれていた。ノースリーブのドレスから伸びる腕には無駄な贅肉がなく、適度な筋肉が付いていた。おそらくジムで鍛えているのだろう。靴はナイキの黒のスニーカーだった。
「メールで面談のお約束していた小林です」
と私は言った。近づくとウディ系のフレグランスの香りが漂ってきた。
「ああ、日本の方ね」と彼女は言った。「たしかタイの現代美術をリサーチしているとメールに書いてたわね」
「ええ、東南アジアの現代美術を日本のコレクターに紹介するつもりです。タイの有望な作家がいれば。南アジアの現代美術を専門とする日本の美術館へ購入や展示を仲介しますよ。逆に日本の作家の作品をタイのコレクターに販売することも考えています」
 彼女はフロア奥にあるチーク材でできた八人掛けのテーブル席を指し示した。私が椅子に座ると、テーブルを挟んだ向いの椅子に腰掛けた。「日本にタイの現代美術は知られているの?」
「残念ながらまだあまり知られていません。東南アジアの現代美術は未開拓な分野です。だからやり甲斐があるとも言えます」
「日本への進出は考えたことがなかったわ。来年、アートバーゼル香港に参加するのを検討してたけど。ここで売ってる陶器は日本で買い付けた物もあるの」
 地酒の容器が含まれているセレクションからしてしっかりした骨董品店で購入してはないだろう。おそらく買い付けは古道具屋などでされていると予想したが、もちろん口には出さなかった。日本にもヨーロッパの蚤の市で買い付けた日用雑貨を、ヴィンテージやアンティーク風に装って売りつける業者がいるのでとやかく言えない。
「日本の福岡という場所に住んでますが、ここには福岡南アジア美術館という南アジアの現代美術に特化した、世界で唯一の美術館があります。モンティエン・ブンマーの作品もここに収蔵されてますよ」
ふうんと彼女はあまり興味のなさそうな返事をした。「私は美術館で扱うような作品よりも、もっとコンテポラリーなものに関心があるの。ここで新しい作家を育てて、世界的に有名にするのが目標よ」
「なるほど。このスペースは作ってどれくらい経つのですか?」と私は話題を変えてとっかかりを探した。
「完成したのは去年ね。昔、祖父母が住んでた屋敷をリノベーションしたの。見ての通り敷地までの道が狭いから工事や物品の搬入は大変だった」
「お会いする前にひと巡りしましたが、個人宅としてはとても大きいですね」
「祖父は貿易商として成功していたわ。元あった家にも、世界中から集めた工芸品や雑貨で埋めつくされていた。小さい頃、両親に連れられてこの家に来ていた私はいつもそれを興味深く眺めてた。それが海外の大学に行った理由のひとつだったかもね」
「どこの国の大学に行きました?」と私は尋ねた。
「十年前にFⅠT(Fashion Institute of Technology)を卒業したわ。ニューヨークにある学校よ。知ってる?」
「名前くらいは」と私は答えた。
 話し方や態度から、私との会話に気乗りしないのが窺えた。おそらく彼女の早口のアメリカン・アクセントの英語を聞き取れずに何度も聞き直したのも関係しているだろう。東南アジアで英語が不自由な人間は、教育水準と社会階層が共に低い人間とみなされる。日本のような翻訳文化がないこれらの国では、英語力は受けた教育の程度を示す指標であり、文化資本にアクセスするための必要不可欠なツールだからだ。英語が堪能でないと、相対性理論もニーチェもダミアン・ハーストも知らない人間だと自動的にカテゴライズされる。
「FⅠTではヴィジュアル・プレゼンテーションと展示デザインの学科を選んだ。そこで学んだことはここを作るときに役立ったわ」
「卒業後はすぐにタイに戻ってきたんですか?」
「それから五年間、ロウワー・イースト・サイドのギャラリーで働いたわ。ニューヨークのギャラリーには行ったことがある?」
 ないと答えると、彼女の私に対する評価はさらに目減りしたようだった。
「現代美術の仕事をしてるなら行くべきね」と彼女は言った。
「経済的な余裕ができれば行きたいと考えてます。ニューヨークの滞在費は、私には高過ぎる」
「タイだとアート関係者は、ほぼお金持ちなんだけど日本ではそうじゃないみたいね」
「日本は別にお金がなくたって文化情報にアクセスできる国ですよ。公営の美術館がタイよりも充実してる。英語が得意じゃなくても、ガゴシアンやハイザー&ワースがニューヨークのトップギャラリーであることは知ってる」と私は答えた。
 彼女は相変わらず、私の言うことには関心がないようだった。これ以上ここに居ても進展が望めないので、面談に応じてくれた礼を言って、外へ出た。湿度の高い空気が体を包み、熱帯の日射しが肌を刺した。

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2021年10月19日火曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーバードライブ』6(1)

第二章
6(1)

 スマートフォンでグーグルマップを見ながら目的地を探したが、それらしき建物が見当たらない。チャオプラヤー川沿いの、元は倉庫街だったエリアにあるギャラリーが目的地だった。昼過ぎの日射しを浴びながら、最寄り駅のサーバタクシンからここまで歩く間に汗まみれになった。
 辺りを何度か行きつ戻りつしていると、車一台がようやく通れる幅の小道があるのに気が付いた。道の両側は植えられたシダ類の熱帯植物が繁茂している。個人宅の引き込み道かもしれないので躊躇ったが中に入ることにした。五〇メートルくらい前に進むとガラス張りの大きな二階建ての木造建築が現れた。入り口の上に「Warehouse 54」という真鍮製の切り文字が取り付けられている。ここで間違いなかった。
 大きなガラスのドアを開けて中に入った。人影が奥のカウンターに見えたが、約束の時間には間があったので、建物内をひと巡りすることにした。元は広大な邸宅だった物件をリノベーションして展示スペースやギャラリーに転用したようだ。床はコンクリートの打ちっ放しで、入り口近くに直径が二メートル近い大理石の丸テーブル、その後ろに八人掛けのチーク材で作られたダイニングテーブルが置かれている。吹き抜け構造の建物の中庭は四面をガラスで囲まれていて、内側にガーデンテーブルとチェアが置かれている。奥の窓からは熱帯植物の生い茂った庭園が見渡せる。庭園内に木製の支柱に支えられた祠が見えた。
 動線に従い中庭を回り込んで反対側の部屋に出ると展示スペースが広がっていた。部屋の両側に天井まで達する棚が置かれ、色とりどりの陶器が展示・販売されている。床には様々なオブジェが置かれている。タイの神話を反映したのであろうトーテムポール、木造の立体作品、壁に吊るされた民族柄の織物の間をくぐって、中庭を見下ろしながら奥に見える木製の階段を登る。
 二階は、壁を白く塗ったギャラリースペースとなっていた。こちらの床は、古材を使ったフローリングだ、絵画、写真、インスタレーションなどジャンル毎にそれぞれ別の部屋に展示している。私の他に若いタイ人のカップルが二組いた。
 タイ人アーティストによる絵画作品の横には、タイ語と英語で作家の説明文が貼られいる。複数の作家の作品が数点づつ展示されている。名前を知らない作家ばかりだった。
 壁で仕切られた一画にはインスタレーション作品が展示されていた。扇風機の作る風で大きな布がはためいている。後ろの壁には、プロジェクターでモノクロームのタイの古い風景写真が映されている。河畔を行き交う渡し船、青果市場の賑わい、タイの伝統的な様式で建てられた邸宅などが数秒壁に映っては次の写真に切り替わる。
 個人所有のスペースとしては破格の規模だ。一階の棚で展示・販売されている陶器の中には、日本の地酒の古い容器などヴィンテージとしては首を傾げるものも含まれていたが、大した瑕疵ではない。建物、調度品、什器、展示のすべてが個人の美意識により貫かれている。いったいどんな人物がこの施設を作ったのだろう?

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2021年10月14日木曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーバードライブ』5 (2)

 第二章
5(2)

 〈タイランド・ストレージ〉のオーナー、Kullaya Wongrugsaと会うのは今回で二回目だった。裕福な中国系タイ人の家系に属する三十代半ばの女性だ。ギャラリーの他に自らがディレクションするファッションブランドも立ち上げている。今日は自ブランドの赤のゆったりとしたフレアドレスを着ていた。彼女のふくよかな体型を反映してか彼女のブランドの服はルーズなシルエットが特徴だ。ドレスの色に合わせて、真紅のリップを塗っていた。パンプスの色も同系色の赤だ。ただしセクシャルな雰囲気ではない。フレームの太い黒のスクエアタイプの眼鏡を掛けた丸顔のせいか、なにかのアニメーションのキャラクターめいた印象を与えていた。
 東南アジアの富裕層は中国系が多く、家業を継ぐのは男性の兄弟であることがほとんどだ。そのため、富裕層の家系の二代目、三代目の女性が、実業を離れて趣味のアートやファッションや音楽の世界に進むのはよくあるケースだ。彼女もそうした東南アジアの富裕層に属する女性の典型例だった。
 ギャラリーでは、タイ人のグラフィック・アーティストの個展が開かれていた。極彩色のシンメトリーな幾何学模様で描かれた植物や昆虫の図像の作品が壁一面に掛けられている。どことなく田名網敬一の作風を連想させた。再会の挨拶をして、最近のタイの現代美術のトレンドを尋ねた。
「相変わらず新しいギャラリーがあちこちでできてるわ。プラ・スメン通り辺りが若い人に人気ね。ただきちんとアートを学んでないオーナーが作ったギャラリーもあるから、全部がちゃんとしたところというわけでもないけど。まだタイでは体系的に美術を学んだ人は少ないの」そう言って、肩をすくめた。  
 たしかにタイは現代美術の展示が中心で、西洋の近代美術を収蔵・展示する美術館はない。日本で人気の高い印象派やピカソやマティスのような巨匠の作品の実物を目にする機会もない。
「私は今、日本の福岡というところに住んでますが、ここには福岡南アジア美術館という南アジアの現代美術に特化した美術館があります。南アジアの現代美術を専門に扱う世界で唯一の美術館です。もちろんタイのアーティストの作品も収蔵しています」
「そこにチェンマイのアーティスト、モンティエン・ブンマーの作品が購入されて、展示されたと聞いたことがあるわ。行ったことはないけど」
「チャーチャーイ・プイピアの作品も収蔵しています。映像作家として有名なアピチャッポン・ウィーラセタクンは、福岡アジア文化賞を二〇一三年に受賞しています。福岡は、日本でアジア美術や文化の紹介に最も熱心な地方ですよ」
「面白そうな所ね。日本は東京しか行ったことがないけど。東京には時々ショッピングに行くの。ヨウジヤマモトの古着を買ったりするため。タイにはヨウジの服を手頃な値段で買えるお店はないの」
「日本のネット通販業者は国外への配達に対応してない場合があるし、英語のページすらないことも多いですからね。もし、気に入った服があったら私が買って、こちらに来る時に届けますよ」と私は返した。彼女の属するタイ人の富裕層ネットワークには、このギャラリーの顧客以外の現代美術のコレクターも含まれているはずだ。日本人アーティストの作品をタイ人コレクターに販売できるコネクションを作れる可能性を考えれば、ここで恩を売っておくのも悪くない。
「それは助かるわ。年に何度も東京に行くわけにはいかないから」
「日本の服もいいけど、日本の現代美術の作品に興味がありそうなタイ人のコレクターはいませんか? 最近、タイ人が日本の現代美術を扱うギャラリーに来ることが増えています」と私は尋ねた。
「あたってみるわ。私のクライアントはタイ人アーティストの作品を買う人しかいないけど、彼らのコレクター仲間にそういう人もいるかもしれない」と彼女は応えた。「逆にタイ人アーティストに関心のある日本人コレクターいる?」
「東南アジアの現代美術は、日本ではまだ一般的ではありません。ただ一部でタイやシンガポールのアーティストの作品を扱うギャラリーも出てきています」
「どういうタイプのアーティストが日本では人気があるの?」
「タイだとアレックス・フェイスとか良さそうです。奈良美智なんかに通じるキャッチーさとポップさがあって、マルティプルしやすいから。そういう意味で、ウィスット・ポンニミットのイラストは、すでにキャラクター商品化されて日本でも人気ですよ」
「あの絵はアレックスが五年前に描いたの」と彼女はカウンター後ろのスペースに描かれた壁画を指さした。曲がりくねった松の木を描いた絵だった。日本の屏風絵によく描かれるモチーフだが、タイで見たのはここだけだ。色使いやフォルムがポップなのは伊藤若冲の影響かもしれない。「アレックスは今は活動の拠点をLAに移してバンコクにいないし、新作は、作品購入の順番を待っている専属ギャラリーのウェイティングリストに載っていなければ、いつ買えるかも分からないわ」
「今から買うには、もう遅過ぎるかもしれませんね。世界デビューから間もないから、セカンダリー市場に作品が出てくる段階でもないですし」
 彼女のコネクションを通してアレックス・フェイスの作品を購入できるなら、福岡南アジア美術館へ購入の提案をする腹づもりだったが、あてが外れた。他にマルティプルしやすいキャッチーさやポップさを持つ新進タイ人アーティストがいないか訊いてみた。
 しばらく考えてから、「いますぐ思いつく人はいないわね」と彼女は言った。福岡南アジア美術館へ購入を推薦する作品を探していると彼女に伝えた。念のため、美術館に収蔵されればアーティストのプレステージが上がることも付け加えた。考えておく、その美術館がタイのアーティストによく知られているかどうかはわからないけど、と彼女は応えた。
 一時間あまり話したところで、彼女は手首の腕時計で時間を確かめた。スクエアタイプのピンクフェイスのカルティエだった。 
「約束のディナーまで時間があるから、その前に一杯やりたくなったわ」と彼女は言った。「よかったらご一緒しない?」
 私でよろしければ、と私は応えた。彼女は一人いた女性スタッフに何かをタイ語で伝えると外に出た。私は後を追った。
 行き先は、BACCから高架歩道に出て、一〇分ほど歩いた先にある、こちらも高架歩道と直結した複合商業施設だった。クロームのルーバーで覆われたファサードが目立つ四階建ての建物は、高級腕時計、宝飾品、ハイブランドなどのショップなどで占められている。完全に富裕層に特化したコンセプトのモールだ。
 入ったのは二階にあるワインバーだった。二階といっても天井が高い構造なので、四、五階程度の高さがある。入って左の壁一面に背の高いワインセラー置かれている。棚は隙間なくボトルで埋められていた。彼女の顔馴染みらしいウエイターが我々を窓際のテーブル席に案内した。窓からはバンコクの悪名高い渋滞が見下ろせた。
 ワインのリストを渡された彼女は私に尋ねた。「ピノ・ノワールの赤でいい? それからちょっとサイドディッシュも」
 私は頷いた。ワインには不案内なので、何も言えることはない。彼女はタイ語でウェイターに注文した。
「ここにはよく来るのですか?」と私は尋ねた。
「時々ね。ディナーの約束までの時間潰しとかに使ってるわ。今日もシェラトンのレストランで会食なの」
 ウェイターが、ミートソースを絡めたフェットチーネとトマトとモッツァレラチーズにバジルを添えたサラダの皿を運んで来た。ソムリエがボトルのラベルを彼女に見せてから、ソムリエナイフで器用にキャップシールを剥がし、コルクを抜いた。ワインがそれぞれのグラスに注がれ、我々は乾杯した。ミディアムボディに属するであろうそのワインは、私が普段スーパーマーケットで買い求めるものに比べてずいぶんと重厚な味がした。
「いま友達が九州の温泉巡りを計画してて、私も誘われてるの。行くのは来月くらい。車をチャーターして湯布院、黒川、別府の旅館に泊まるつもり。もちろん私達は日本語が話せないから通訳も連れていくけど」
 日本は中流以上のタイ人にとって手頃な観光地だ。距離的に近く、移動が楽な上に、東南アジアとは異なる異国情緒も味わえる。旅行にかかる費用もアメリカやヨーロッパに比べればずいぶん安い。東京や京都といった定番の観光地をひと通り体験したタイ人は、日本の地方都市を訪れる傾向にある。 
「楽しそうだ。九州に来るなら福岡も案内したいけど、ただ来月だとミャンマーにいる可能性が高いですね」
「ミャンマーは一度行ったことがあるわ。二泊しただけだけど。知り合いの旅行会社にモニターを頼まれたの。広報用のレポートを書くのを条件に、ホテルも移動も面倒見てもらえたわ。費用も向こう持ちだった。泊まったのはヤンゴンのストランドホテル」
 ストランドホテルは、東南アジアで最もプレステージの高いホテルのひとつだ。イギリス植民地時代に建てられたヴィクトリア様式の建物は、かつての大英帝国の威光を偲ばせる。このホテルはジョージ・オーウェルやサマセット・モームが逗留したことでも知られている。もちろん予算的に私が泊まれるグレードのホテルではない。
 ワインのボトルが空になる頃、ⅰPhoneをBAOBAOのバックから取り出して操作した。誰かにメッセージを送っているようだった。
「約束の時間が近いから、そろそろ出るわ。あなたはどうする?」と彼女が訊いた。
 私も出ると答えると、彼女はウェイターを呼んで会計を告げた。ウェイターが勘定書を持ってくると、それを一瞥して彼女はカードを渡した。勘定は私の月々の生活費の半分程度ではないかと想像した。
 ご相伴に与った礼を言うと、「いいわ。今度、日本に行く時にいろいろと教えて欲しいこともあるし」と応えた。
 エスカレーターで一階まで降りて建物を出ると、目の前の通りにシルバーのBMW7シリーズが止まっていた。小型の潜水艦みたいな車だ。彼女は軽く手を振るとリアドアを開けて、後部座席に乗り込んだ。車がゆっくりと発進するのを見送って、私はBTSの改札口のある高架歩道に向かって歩いた。

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2021年10月8日金曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーバードライブ』5 (1)

 第二章

5(1)

 ゴールデンウィーク明けの五月晴れの朝、私はバンコク行きの飛行機に乗るため、福岡国際空港へ向かった。マンションを出てスーツケースを一〇分ほど引きずって地下鉄大濠公園駅へ行く。荷物があるため、通勤客のいる時間帯を避けて遅めに出発した。地下鉄線に乗って一五分で福岡空港に着く。空港内のシャトルバスで国際線ターミナルまで一〇分。市内の自宅から四〇、五〇分で空港に行けるのが福岡の都市として利点だ。東京に住んでいた時に成田空港を利用していたような移動のストレスはない。
 十時頃に家を出て、十一時三十五分発のタイ国際航空TG649便のチェックイン・カウンターで搭乗手続きを済ませたのは十一時前だった。
 機内の乗車率は見たところ六割程度だった。半分はスーツを着たビジネス客だ。連休明けのハイシーズン直後だからだろう。昨晩自宅で遅くまで酒を飲んでいた私は席につくとまもなく眠りに落ちた。
 機内でうとうとしているうちに窓からの景色が東南アジア独特の風景に変わっていた。点在する農村や田園を縫うようにメコン川が蛇行している。機体がバンコクに近づくと、眼下に高層ビル群が唐突に現れ、地上に道路や車やビルボードのような人工物の数がにわかに増えた。 

 飛行機はスワンナプーム空港にほぼ定刻に到着した。福岡を発ってから約五時間半が経っていた。二時間の時差があるので、現地時間は十五時あたりだ。イミグレーションの前には世界各国からやってきた旅行客が列をなしている。タイが東南アジアで最も観光客の多い国であることを実感させる。イミグレーションのカウンターにたどり着くまで三〇分ほど並んで待った。パスポートを出して、係員にスタンプを押してもらい、スーツケースを拾うためターンテーブルへ向かう。スーツケースを受け取ると、同じフロアで旅行者用S1Mカードを買った。今回の滞在予定は一週間のため、七日間有効のカードを選んだ。 
 空港直結の高速鉄道エアポート・レール・リンクに乗り、パヤータイで高架鉄道BTSスカイトレインのスクンビット線に乗り換え、トンローで降りた。電車からホームに出ると湿気を帯びた熱気が一気に体を包んだ。タイの季節が本格的な雨季に入る前で、雨は降っていないものの湿度は高い。
 宿泊場所はAⅰrbnbで予約したトンロー駅のコンコースに直結したコンドミニアムだ。駅に近く移動しやすい立地なので、これまでバンコクに来た時に何度か利用している。コンドミニアムは三十三階建て、五〇〇室あまりの部屋数の建物だ。建物内にある共有施設のプールとフィットネスジムも無料で使える。バンコクによくあるタイプの富裕層向けの分譲コンドだ。一階のレセプションで部屋番号を告げて、カード式のキーを受け取る。エレベーターに乗り十七階の部屋に着いたのは、スワンナプーム空港を出て一時間あまり、福岡の家を出てから約八時間後だった。
 部屋の広さは五〇平方メートル程度で、洗濯機やキッチンも付属しているので、一週間の滞在で不便はなさそうだ。バルコニーに続く、天井まで達する大きな掃き出し窓からは、バンコクの高層ビル群が望める。一泊四〇ドル以下でこうした場所に泊まれるのは悪くない。
 部屋に入るとシャワー浴びて汗を流してから、MacBookをWⅰ–Fⅰに接続し、メールやメッセンジャーでアポイントメントを取ったアート関係者に、予定通り到着したことを知らせ、面会日時を再確認した。夕刻になると近所のフードコートでガパオライスを食べて、ビールを飲んだ。一五あまりの屋台が半露天の敷地を取り囲み、内側にテーブル席が一〇席程度置かれている。客は近隣に住むタイ人と欧米人の半々くらいだった。その日は移動で疲れていたので、コンドに戻るとすぐに寝た。

 翌朝、BTS高架下に連なる屋台でザクロのフレッシュジュースとカオマンガイ買って、部屋で朝食を摂った。コンドのプールで一時間程度泳いでから、ランチに外へ出た。リーズナブルでありながら小綺麗なインテリアで外国人に人気のトンローのタイ料理店〈シット・アンド・ワンダー〉でグリーンカレーを食べた。店を出るとBTSスクンビット線に乗り、面談の場所のあるサイアムで下車した。約束の時間は午後四時なので、二時間ほど先だ。しばらく街を歩いて時間を潰すことにした。
 サイアムの街の賑わいは渋谷を思わせる。ただしショッピングモールの規模はこちらの方が格段に大きい。サイアム駅に直結したモールの一つ、サイアムセンターに入った。このモールは、タイのローカル・ファッションブランドをテナントの主体としているところに特色がある。他のモールが欧米のハイブランドやファーストファッション中心なのとは一線を画している。ディスプレイもそれぞれのショップが趣向を凝らしている。中には、名和晃平の作品を思わせる、動物を形取った大きなオブジェが置かれたショップもあった。床面積当たりの売り上げをシビアに問われる日本では、こんな贅沢な空間の使い方はなかなかできない。日本ではコム・デ・ギャルソンのオンリーショップでくらいでしか見たことがない。
 足の向くままショップを巡って、タイのトレンドやタイ・ブランドのオリジナリティについてリサーチした。数年前までは、デザインの詰めや縫製の作りが甘かったが、ここ二、三年で大幅に改善されている。新たに開業された商業施設の多くにハイブランドのショップが店を構え、日常的にそうした商品を目にする機会が増えたからかもしれない。バンコクに来る度に巨大なショッピングモールが新たに建設されているのにいつも驚かされる。

 約束の時間が近くなったので、サイアムセンターに直結した高架歩道に出て、バンコク・アート&カルチャー・センター(BACC)に向かう。BACCの建物も同じ高架歩道と繋がっていて、サイアムセンターから徒歩で一〇分以内で行ける。BACCは、ニューヨクのグッゲンハイム美術館を思わせる螺旋構造を持つ九階建ての現代美術館だ。行先は、この建物にテナントとして入居しているギャラリーだった。BACCはバンコク都庁の所有物件で、運営資金の六割は都庁からの補助金で賄われている。残りの四割は運営組織が独自で調達する必要があるため、公営の美術館でありながら、民間のギャラリー、物販店、飲食店などがテナントとして数多く入居している。テナントからの賃料収入は、美術館運営のための収益源の柱となっている。各フロアに、五〇平米メートル程度のテナント用スペースが四、五箇所設けられている。私がこれから訪れるのも、この建物の三階に店を構える個人経営のギャラリーの一つだ。

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