2021年5月23日日曜日

とりあえず小説を書くことにした

去年の4月末に日本に帰国した時は、2、3ヶ月したらミャンマーに戻るつもりでした。
ところが、コロナは収まらないわ、さらにはクーデターは起こるのわで、戻る目処がまったく立っていません。
日本でバイト生活を始めて一年が経とうとしています。
バイト先では、ひたすらPCに顧客データを入力していますが、創造性のない作業をずっと続けるのもさすがに倦んできたので、小説を書くことにします。

日本に戻る直前に、ミャンマーで見た明晰夢をベースにプロットを組み立てます。
夢の中で、現代美術のコレクターの自宅のコレクションを眺めていた時に、不思議な体験をしたことが構想のベースです。

資本主義と仏教と現代美術の交差する部分に、ポスト資本主義や上座部仏教の修行者が目指す涅槃(ニルヴァーナ)に近しい世界があるのではないかという直感があるので、それについての世界観を描き出してみたい。


小説の手掛かりになっているモチーフをいくつか以下に列挙します。

マルクスは価格は、価値と使用価値とよって決定されると論じました。
しかし、アートは使用価値=実用性がないにも関わらず、実用品よりも遥かに高額で取引されることがあります。マルクスの言う価値は、その商品を製造するのに要した時間を指す概念ですが、アートの市場においては、これも作品の値付けとは関係がない。評価の高い作家が短時間で創った作品は、無名の作家が長い時間をかけて創った作品よりも高額で取引される。キャリアを時間として想定してみても、例えばピカソの初期の作品は、晩年のそれよりも二十倍程度高額の市場価値があるので、価値=製造に要した時間という概念が当てはまらない。

十九世紀、産業革命の初期に現れた、ジョン・ラスキンのユートピア思想、それを具体化したウィリアム・モリスのアーツ&クラフツ運動。

華厳経の世界観を示す重々帝網と二〇〇二年ワシントンのナショナルギャラリーが百万ドルで購入した草間彌生の作品「Infinity Nets Yellow」(一九六〇年)の類似性。

経済学、現代美術、仏教の関連資料を読み込んでますが、いま住んでるゲストハウスがかなり立地が良いため助かってます。


同じビルにブックオフがあり、通りを挟んだ向かいは北九州で一番大きな書店、その200メータ先は図書館なので、あまりAmazon頼る必要がない。

問題は、テーマが壮大過ぎて、ちゃんと書き切れるかどうかなんですが、あまり完成度に拘らずにやってみることにします。悪い時のフィリップ・K・ディックみたに、異様な世界観だけ提示されて、ストーリーが破綻しているみたいな出来上がりになるかもしれませんが。

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