2020年7月11日土曜日

ただいま日本でバイト中~昭和の仕事はゆるかった?

6月に引き続き日本の某地方都市で、特別定額給付金のデータ入力のアルバイトをしています。
当初は、8月までこの仕事がある予定でしたが、入力作業が予想より早く終わって、7月末で業務がなくなりました。
大量のアルバイトを雇って、一日10時間投入作業に従事させて、さらに途中から追加の人員まで補充していたので、請負会社の予想より1ヶ月以上前倒しで、ほぼデータ入力が完了しました。当初の契約通りの日数を出勤していますが、先週から作業時間より待機時間の方が長くなりました。一か月前に、肩こりと眼痛と戦いながら、長時間ぶっ通しでPC入力作業に従事していたのが遠い過去のように思われます。

ひたすら入力作業をしていた時期につらつら考えていたのは、「そういえばこうした仕事も昔は正社員がやってたな」ということです。私が公社系の電話会社に新入社員として入った頃、アルバイト先の仮設オフィスで行われているデータ入力作業もコールセンター業務も正社員の仕事でした。
今では、派遣会社と契約したアルバイトが同じ作業をしています。
アルバイトを統括するグループリーダーもどうやらアルバイトです。バイト長みたいなものですね。

昔の会社員は、今ではアルバイトがしている作業に従事して、それほど豊かではないものの、家のローンや子供の教育費を何とか賄えるだけの賃金を貰ってたことを考えると隔世の感があります。
もちろん、コールセンターなどの部署を束ねる管理者も、正社員の課長でした。

これだけを見ると、昔はゆるい仕事で生計が楽に立てられたように見えます。
タイムリーに、以下のようなニュースがありました。

「昭和時代にサラリーマンをやりたかった」という投稿に反発相次ぐ 「普通に働いていればそれでよかった」というのは本当なのか

しかし、必ずしも「昔はゆるくて良かった」と言い切れるものでもありません。
上のニュースにもありましたが、全員正社員・終身雇用が前提だと、とにかく組織の同調圧力や村社会ぷりが激しく、風通しの悪いことこの上ないというのが、当時の実感です。
社内の飲み会は強制参加、結婚式の仲人は直属の上司、特に仲が良くなくても同じ部署の社員の結婚式には出席、管理職の引っ越し作業に休日返上で参加、長くその部署に居る人間が牢名主化していてうかつに逆らえない等々、もはや会社は仕事する場というより一種の村社会的な共同体でした。
仕事とは直接関係ないのに、これらの不文律を破ると、仕事や人事評価に影響するという極めて透明性の低い場所でもありました。
バイトでもできる作業の管理に正社員の課長を据えていたのも、昔は労働組合がやたらと強く、現場の管理職に解決不能な無理難題を要求したり、組合員による鬱憤晴らしの突き上げなどが頻繁していたからという面があります。
事務能力の有無よりも、理不尽な罵詈雑言に耐える我慢強さがのある中年男性が、こうした部署の中間管理職として選ばれ、上層部へ組合員の突き上げが波及する防波堤となっていました。
私が入社する前は、一部の組合員が調子に乗って、中間管理職に暴言を吐いたりすることもよくあったと聞きました。

90年代に入ってから、業務や作業の内容による賃金の国際標準化が進み、単なる作業従事者が非正規雇用者に取って代わられ、生計のための十分な賃金を得ることは難しい時代になりました。
地域コミュニティの破壊とか、環境負荷の増大とか、あくなき利潤追求のため安全性の棄損とか、いまや諸悪の根源とされるグローバル資本主義ですが、単なる作業しかしていない人間が夜郎自大に威張り散らすという状況がなくなったのは、グローバル資本主義の正の側面だと個人的には考えています。こうした国際標準化の圧力にさらされているのが、現業の従事者だけで、経営層に及んでないことは大きな問題ですが。

では、今の方が良いかというとこれも微妙です。
最近、ナイキの創業者フィル・ナイトの回顧録『SHOE DOG(シュードッグ) 』を読んだのですが、ナイキがアメリカの銀行から取引を中止されて、1975年に会社が潰れかけた時に、資金を提供して会社を救ったのは、日本の商社日商岩井の駐在員でした。

当時のナイキの取引銀行バンク・オブ・カリフォルニアに、日商岩井の駐在員 伊藤氏が、創業者フィル・ナイトと共に訪れた部分を引用します。
イトーはあごを撫でながら自分で切り出そうとした。彼は直ちに本題に入った。忌々しい本題に。彼はホランドしか相手にしていなかったが、「みなさん」と前置きした。「私の理解では、ブルーリボン(註:ナイキの前身)との取引を今後は中止とするようですが」
ホランドはうなずいた。「そのとおりです。ミスター・イトー」
「それならば、日商岩井がブルーリボンの借金を返済します。全額」
ホランドが目を凝らした。「全額……?」
イトーは低く、声にならない声で返事をした。私はホランドをにらみつけた。私は、これが日本人だと言ってやりたかった。言葉を詰まらせながらでも。(同書 P386-P387)

これは銀行の横暴を見かねた伊藤氏の義侠心(とナイキの将来性を信じた)から出た判断で、上層部の許可を得ていない独断でした。後日談として、伊藤氏はこの独断によって、本社から一度は解雇と帰国命令を発令されています。


ちなみにナイキのポートランド本社には、この故事を感謝して、日本庭園 日商岩井ガーデンが敷地の中心部に造園されています。
昭和の時代は伊藤氏のように、馘首されるリスク取ってまで挑戦するサラリーマンがいたのには驚かされます。今のサラリーマンは汲々として、自己利益と自己保身しか考えられない小役人タイプが跋扈しているので。
日本経済全体が右肩上がりだった時期と、人口が減って縮小しつつある現在との環境の違いもありますが。
ただ、日本からこうした義侠心に富んだり、リスクテイクできる人間が完全に払底されたわけではなく、職業選択の幅が広がって、そうしたタイプの人間はサラリーマンを職業として選ばなくなったという要因も大きいです。起業や独立自営業なども、ネットの発達で、昭和の時代に比べれば、格段に始めやすくなっていますし。

価値観や美意識は時代を経ると変わる事もあり、物事には正負の両面があるので、一概に比較はできません。ただ、真面目で従順なだけなのが取り柄の人でも食いっぱぐれなかった時代から、何らかの新しい価値観や美意識を提供できないと食い詰める可能性が高い時代に移行しつつあることは確かです。

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