2021年7月27日火曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーヴァードライブ』プロローグ 2

プロローグ

2014年11月20日、サザビーズ・ニューヨークのオークション会場で「アメリカン・アート・セール」が開催された。
この日の出品作品で最も注目されていたのは、ジョージア・オキーフの「Jimson Weed/White Flower No. 1(チョウセンアサガオ/白い花No.1)」だ。ニューメキシコ州サンタフェのジョージア・オキーフ・ミュージアムからの出品だった。
48×40インチ(121.9 × 101.6 cm)のカンヴァスに描かれた1932年制作のこの油彩画は、オキーフの花をモチーフとした一連の作品の中でも、例外的に大きなサイズの作品であるため希少性が高い。
原寸6.5cmから9cmの花をカンヴァス全体を使って巨大に描いたこの絵の前に立つと、見る者は、自己が消失し、花と一体化したかのような感覚に入り込む。今の瞬間、この刹那に、花と同一化した自分が世界の内に存在していることを認識させられる。人工物に囲まれた生活の中で忘れがちな、かつて人間が自然の一部であったことをも思い出させる。

サザビーズの出した落札予想価格は、1000万ドルから1500万ドル。オキーフの作品のそれまでの最高落札額は、2001年5月クリスティーズ・ニューヨークでの620万ドル、当時の女性アーティストの最高落札額は、ジョーン・ミッチェルが2014年5月にクリスティーズ・ニューヨークのオークションで記録した1190万ドルだった。
競売(オークション)は、七人の入札者(ビッダー)で始まった。オークションでは、三人以上が入札に参加すると最低落札額を越えると言われているので上々の滑り出しだ。
入札額が2000万ドルを超えると、壇上の競売人(オークショニア)の宣言する価格が50万ドル刻みで上がっていく。
二人にまでふるい落とされたラリーを制したのは、電話で参加した匿名の入札者だった。落札者の代理人は、サザビーズの会長リサ・デニソンが勤めた。落札価格(ハンマー・プライス)は4440万5000ドル、落札予想価格の約三倍、女性アーティストとしては史上最高の落札額となった。競売の所要時間は、約8分間だった。
後に落札者は、ウォルマート創業者サム・ウォルトンの娘で、相続人でもあるアリス・ウォルトンが創立したアーカンソー州ベントンビルのクリスタル・ブリッジ・ミュージアムだったことが判明した。 

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2021年7月19日月曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーヴァードライブ』プロローグ 1

プロローグ

戦後間もない頃、草間彌生は、長野県松本市の古本屋で手にした画集の中に、ジョージア・オキーフの作品を見つけた。
カンヴァスの中央に牛の頭蓋骨が大きく描かれた、『牛の頭蓋骨: 赤、白、青』と名付けられた1931年に描かれた絵画だった。背景の左右両端は赤く塗られ、中央の白地からはグラデーションのかかった青が放射状に外へと伸びている。左右に拡がった牛の角は、人間の腕をも思わせ、それはキリストの磔刑図を連想させた。その絵は、現生を超越した宗教的なヴィジョンを帯びていて、草間の魂を激しく揺さぶった。それは、同じ画集の中の他の作品では感じることのできない感興だった。

その頃、草間が知っていたアメリカの画家は、オキーフだけだった。6時間かけて松本駅から新宿駅まで出て、それから赤坂にあるアメリカ大使館へと向かった。そこでMarquis社の発行する名士録『Who's Who in America』を借りて、オキーフの住所を調べ、彼女の住所を書き写した。松本へ帰ってから、一面識もないオキーフへ手紙を出した。アーティストとしての心のありようを尋ね、アメリカへ行きたいという気持ちを切々と訴えた。自分の描いた水彩画も何点か同封した。驚いたことに、オキーフから返信が来た。暖かい心遣いへの感謝の念を伝えると、またもや激励の手紙が届いた。

第二次世界大戦直後のその当時、ジャクソン・ポロックに代表される、アメリカの抽象表現主義がアートの新潮流として世界を席巻しはじめていた。美術の中心地は、パリからニューヨークへ移ろうとしていた。草間はどうしてもアメリカへ渡りたかった。
当時、アメリカに渡航するには現地の見受引受人が必要だった。なんとか身内の伝手をたどって、シアトルで成功した日系一世のビジネスマンの未亡人を紹介してもらった。ヴィザ取得のための渡航目的は、シアトルで個展開催のためとした。最初のアメリカの地、シアトルにたどり着いたのは、1957年11月18日、草間が28歳の時だった。
1957年12月、シアトルのズゥ・ドゥザンヌ・ギャラリーで開催した個展では、水彩画、パステル画を26点出品した。

翌年、草間は引き止める人たちを振り切って、ニューヨークへ転居した。
ニューヨークは、物価も高く、競争も熾烈だった。無名のアーティスト達は、誰もが生き延びるため、競争相手から抜きん出るために、現実と格闘していた。日々の食事も欠く中で、絵具代とキャンバス代を捻出しなければならなかった。魚屋が捨てた魚の頭を裏のゴミ箱から漁り、八百屋の捨てたキャベツの切れ端を拾い、屑屋から10セントで譲り受けた鍋でそれらを煮たスープで、毎日の飢えをしのいだ。
住居も兼ねたアトリエの窓は破れ放題で、凍てつく夜は寝ることさえままならなかった。空腹と寒さに耐えかねて、深夜に起き上がっては絵を描いた。

募る侘しさに押しつぶされそうになった夜は、一人でエンパイアステートビルに登った。
草間がそこに立つおよそ30年前に、スコット・フィッツジェラルドはニューヨークの街に別れを告げるため同じ場所に立った。フィッツジェラルドは、当時、建設されて間もないこの摩天楼からの眺望に驚愕した。街は無限に広がるビルの宇宙だと想像していたのに、現実には、大地の限られたエリアに人工物が立ち並ぶ、都市化された区画に過ぎなかった。
狂騒の1920年代に、都会の風俗を巧みに描き、時代の寵児となったかつての流行作家は、1929年に起こった大恐慌を境にすっかり世間から忘れ去られていた。零落した作家は、後に、街のちっぽけさを、かつて手にした自らの富と名声の儚さ、脆さと重ね合わせた。
しかし、野心以外何も持たない草間には、遠く下方で瞬く夜景は、自ら希望と可能性を燃え立たせ、成功へと誘う、街の甘美な目配せと映った。眺めている間は、常につきまとっていた空腹さえ忘れるほどだった。

1959年10月、草間は念願だったニューヨークでの最初の個展を「オブセッショナル・モノクローム展」をブラタ・ギャラリーで開催した。この時発表した作品「無限の網」は、草間のキャリアを通じた代表作のひとつとなる。
カンヴァスに描かれた、縦2m、横4mを少し超えるモノトーンのシリーズ5点は、大きな反響を呼び、小さなギャラリーは来場者で溢れた。ニューヨーク・アート界の大立者も訪れ、美術評論家によるレビューが『ニューヨーク・タイムズ』誌にも掲載された。
アイボリー色の下地に、それより少し濃い色の単色の斑点を無数に反復させた作品は、全体を律する中心がなく、図と地が同時に世界を表象していた。流動的に反復する色付いた斑点である図は律動する個体の集合であり、斑点の狭間で白い網目となった地はネットワーク化された全体として認識できる。生滅を無限に繰り返す無常の世界を、あたかもカンヴァスの上に投影したかのようだった。そこには、ミクロとマクロが等価であり、実体と無が同時に存立する世界が現出していた。
オキーフが超越的なヴィジョンをキリスト教の黙示録的な世界観で表出したのに対して、草間は縁起や空といった仏教的な世界観を通じて同じ事象を描き出したかのようだった。

ジョージア・オキーフが、ニューヨークの草間のアパートメントを訪れたのは1961年のことだった。ニューメキシコからのはるばるの訪問だった。手紙のやりとりはあったものの、草間がオキーフに会うのはそれが初めてだった。
後ろにひっつめた白髪、意志的な額、鋭角的で高い鼻筋。頬に刻まれた深い皺は、彼女が絵画のモチーフに用いる風化した動物の骨と似た印象を与えた。樹齢を重ねた巨木のようながっしり体躯はドレープのかかった、ゆったりとした黒のコットンドレスに包まれていた。胸元には友人の彫刻家アレクサンダー・カルダーから贈られたブロンズ色の幾何学形のブローチが付けられ、ウエストはネイティブ・アメリカンの銀細工で飾られた革ベルトで締められていた。フェラガモにオーダーしたスウェードの黒のモカシンは、甲の部分に葉脈のようなエンボス加工が施されていた。
オキーフの佇まいは、森の奥深い修道院で、厳格な戒律を守りながら暮らす修道女を思わせた。彼女は1949年にニューヨークを離れてから、ニューメキシコの荒野に立つ一軒家に住み、世間からは隠遁者として見做されていた。実際に会ってみると、彼女は厳格で気難しい一面はあったものの、率直で機知に富んだ人物だった。草間の身を案じて、ニューメキシコで一緒に暮らさないかとまで提案してくれた。
この街に魅せられ、ここでの成功を夢見ていた草間は、残念ながら断わざるを得なかった。


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2021年5月23日日曜日

とりあえず小説を書くことにした

去年の4月末に日本に帰国した時は、2、3ヶ月したらミャンマーに戻るつもりでした。
ところが、コロナは収まらないわ、さらにはクーデターは起こるのわで、戻る目処がまったく立っていません。
日本でバイト生活を始めて一年が経とうとしています。
バイト先では、ひたすらPCに顧客データを入力していますが、創造性のない作業をずっと続けるのもさすがに倦んできたので、小説を書くことにします。

日本に戻る直前に、ミャンマーで見た明晰夢をベースにプロットを組み立てます。
夢の中で、現代美術のコレクターの自宅のコレクションを眺めていた時に、不思議な体験をしたことが構想のベースです。

資本主義と仏教と現代美術の交差する部分に、ポスト資本主義や上座部仏教の修行者が目指す涅槃(ニルヴァーナ)に近しい世界があるのではないかという直感があるので、それについての世界観を描き出してみたい。


小説の手掛かりになっているモチーフをいくつか以下に列挙します。

マルクスは価格は、価値と使用価値とよって決定されると論じました。
しかし、アートは使用価値=実用性がないにも関わらず、実用品よりも遥かに高額で取引されることがあります。マルクスの言う価値は、その商品を製造するのに要した時間を指す概念ですが、アートの市場においては、これも作品の値付けとは関係がない。評価の高い作家が短時間で創った作品は、無名の作家が長い時間をかけて創った作品よりも高額で取引される。キャリアを時間として想定してみても、例えばピカソの初期の作品は、晩年のそれよりも二十倍程度高額の市場価値があるので、価値=製造に要した時間という概念が当てはまらない。

十九世紀、産業革命の初期に現れた、ジョン・ラスキンのユートピア思想、それを具体化したウィリアム・モリスのアーツ&クラフツ運動。

華厳経の世界観を示す重々帝網と二〇〇二年ワシントンのナショナルギャラリーが百万ドルで購入した草間彌生の作品「Infinity Nets Yellow」(一九六〇年)の類似性。

経済学、現代美術、仏教の関連資料を読み込んでますが、いま住んでるゲストハウスがかなり立地が良いため助かってます。


同じビルにブックオフがあり、通りを挟んだ向かいは北九州で一番大きな書店、その200メータ先は図書館なので、あまりAmazon頼る必要がない。

問題は、テーマが壮大過ぎて、ちゃんと書き切れるかどうかなんですが、あまり完成度に拘らずにやってみることにします。悪い時のフィリップ・K・ディックみたに、異様な世界観だけ提示されて、ストーリーが破綻しているみたいな出来上がりになるかもしれませんが。

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2021年4月28日水曜日

そろそろミャンマーの革命の話をしよう(2)

前稿の続きです。
前稿では、今回起きたミャンマー国軍によるクーデターは、ミャンマーの政治経済システムに内在する力学が剥き出しの形で露呈しただけで、偶発的・突発的なものではないことを指摘しました。
本稿では、こうした政治経済システムの不安定性を内在する民族的な気質について深堀りしてみたいと考えます。

ここで援用するのが、人類学者エマニュエル・トッドの仮説です。
トッドは、各地域の家族制度が、自由主義・共産主義・社会主義といった イデオロギー(宗教もそこに含まれる)を特徴づけると論じました。
つまり、下部構造(家族制度)が上部構造(イデオロギー)を規定するという分析です。
トッドは家族構造の類型を「権威主義的家族」、「平等主義核家族」、「絶対核家族」、「外婚制共同体家族」、「内婚性共同体家族」、「非対称共同体家族」、「アノミー 的家族」の7つに分類しました。

上の7つの分類から4つを選んで、以下に説明します。
分析は、主に家族制度が平等か不平等か、親子関係が権威主義か平等かの二つの軸によってなされます。

たとえば、日本がカテゴライズされる「権威主義的家族」は、 子どものうち一人が跡取りとなり、全ての遺産を相続する家族制度です。こうした家族形態は、親子関係が権威主義的であり、兄弟関係が不平等主義的といった特徴を持ちます。戦前日本のイエ制度や、江戸時代以来続く、暖簾を守るといった家業に基づく長期的・継続的な商人道のあり方は、こうした家族制度に由来している可能性があります。

イングランド,オランダ,デ ンマークなどの北ヨーロッパが属する「絶対核家族」の家族構造は,子どもたちは独立していきますが,遺産の相続は親の遺言・信託によって決定されます。親 子関係は自由主義的であり、兄弟関係は平等への無関心によって特徴付けられます。資本主義が誕生した国家が属するカテゴリーですが、株式や契約等の証書を根拠とした社会システムは、こうした家族制度のあり方を、家族の外部(社会)に敷衍した結果という見方もできます。

「外婚制共同体家族」は、ロシア、中 国、ヴェトナム、旧ユーゴ地域等の共産主義化した国に見られる家族制度です。子どもは成人・結婚後も親と同居し続けるため,家族を持つ兄弟同士が、家父長の下に暮らす大きな家族形態を取ります。遺産は平等に 分配され,権威主義的な親子関係と平等主義的な兄弟関係となります。
このような家族制度を持つ地域・国家が共産主義化したことは、イデオロギー・社会システム(上部構造)という擬制(フィクション)は、家族制度という民族・地域に自然発生した、本来的・根源的な制度(下部構造)の上に立脚するというトッドの仮説を強く補強する事実です。

さて、ミャンマーは、タイ・カンボジア・ラオス・マレーシア・フィリピ ンなどの東南アジア諸地域が属する「アノミー的家族」に分類されています。この形態は、親子関係と兄弟関係 が共に不安定なため、人々は共同体主義と個人主義の間の緊張状態の中で生きることを強いられます。これは政情不安にも繋がり、トッドは、ポル・ポト率いるクメール=ルージュによるジェノサイドは、こうした緊張状態が現象化した事例として指摘しています。カンボジアは、対立野党の解体などフンセンによる事実上の独裁が現在も続いており、いまなお混乱した政情です。そして、タイでは、周期的に軍事クーデターが起きています。
トッドの説に従うなら、現在、起きているミャンマー国軍による弾圧もこうした家族制度に起因していることになります。
個人的に不思議なのは、タイで軍事クーデターが起きても、経済活動や為替への影響が極めて軽微なのに対し、ミャンマーでは毎回災厄レベルのダメージを被ることです。
タイにあってミャンマーにないものー交通・上下水道・電気等の社会的インフラと教育・医療等の制度資本ーの差が、軍事クーデターの社会に与える深刻さの軽重に繋がっているのではないかと推測していますが、明快な結論はまだ出せていません。
世界の成長エンジンとして期待されてきた東南アジア諸国ですが、文化人類学的な見地では、この地域には、社会の不安定性が構造的にビルトインされていることに、投資を考える際には意識的になるべきでしょう。

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2021年4月26日月曜日

そろそろミャンマーの革命の話をしよう(1)

2月1日に起こったミャンマー国軍のクーデターから約3ヶ月が経とうとしています。
随時、TwitterやFacebookで現地の状況を追っていますが、現場にいるわけでもないので、速報性のある情報や一次情報は伝えられません。タイムラインには、国軍に拷問されたり、虐殺された犠牲者の目を覆いたくなるような映像が流れてきていますが、ここでは転載しません。

現在のミャンマーで起こっている事象を、現地速報との差別化のため、もう少し長い射程で考えてみることにします。
ここ3ヶ月間考えていたのは、今回のクーデターは偶発的・突発的に起こったものではなく、むしろミャンマーの社会システムに内在する既存の力学が、剥き出しの形で顕在化したということです。

ミャンマーの政治経済は、ビルマ族を主体とする国軍により支配されてきたのは、周知の事実です。
国会の4分の1の議席に軍人議員の割り当て枠があり、内務省、国防省、国境省の主要3省の大臣の任命権は国軍司令官にあります。
経済についても、国家の主要な収入源であるガス・木材等の天然資源の権益・利権を握っているのはMEHL (Myanmar Economic Holding Limited) やMEC (Myanmar Economic Corporation) といった国軍系の企業群です。
国会議員の議席の割り当ても、国軍系企業による透明性の低い収益も、一部の軍の高官が独占しています。既得権益の受益者である国軍の高官は、民族的マジョリティであるビルマ族によって占められています。
つまり、ミャンマーという国家の政治経済の構造は、国軍のビルマ人高官の政治権力・経済的利益を最大化するように設計されています。
約10年前に、「アジア最後のフロンティア」としてミャンマーへの投資熱が高まった時期がありましたが、その頃のミャンマーに多数居た日系コンサルタントたちが、こうした社会構造の不安定性を説明していたとは思えません。

こうした政治経済システムの下で、昨年11月の国軍系政党のUSDP(連邦団結発展党)の大敗を受けて、これまで享受してきた利権や権益を失うことを怖れた軍の高官たちが、今回の武力による実力行使に踏み切ったことは、それほど驚くべきことではないのかもしれません。
彼らにとっての関心事は、国家の安定や発展ではなく、あくまで自分たちの利権や権益の維持・拡大だからです。彼らのような既得権益の受益者にとって、国軍は、自らの地位や利権を保全のために存在するもので、国防や国民の安全を図ることはおそらく視野に入れていません。
こうしたミャンマー国軍に内在する力学や理念(と呼べるかはさておき)を鑑みると、日本政府が持つとされていた国軍との独自の外交ルート(パイプ)が、今回の国軍による市民の弾圧の抑制・中止に無力であったことは納得できます。自らの権益の拡大に繋がるODA等の海外からの投資については話を聞く気になっても、利権の縮小を招く、民主化や社会の透明性の向上などを聞き入れる余地は、彼らにはないからです。彼らにとって、一般国民の安全や生命よりも、自らの利権の方がはるかに重要なので、人権の遵守を求める他国からの勧告を聞く耳は持ちません。国軍がODA等の日本からの投資について対話に応じていたのは、それが彼らの権益の拡大に資するからです。外国資本による投資の多くは、国軍系の企業を通して、軍の高官の懐へ流れ込んでいることは容易に想像がつきます。

これまで、国軍は天然資源の利権(とおそらく麻薬の原料となるケシの権益)を巡って、国境周辺の少数民族武装戦力と戦闘を繰り広げていました。国軍による弾圧で、最も規模が大きくなったロヒンギャ族への武力行使では、2017年7月の死者は6,000人、2019年時点での難民は91万人に達したと伝えられています。
こうした国軍による弾圧は、国境地帯の少数民族へ向けられていたため、これまで可視化されにくく、また、都市部に住む多くのミャンマー人、特にマジョリティであるビルマ人にとっては、遠くの場所で起きていることとして、大きな関心を集めることはありませんでした。
軍のクーデター以降、民主主義の回復を主張するデモ隊の市民に、国軍兵士が銃口を向け、活動家を拉致し、拷問にかけ、惨殺する事態となって、都市部の市民の多くは、国軍が一部の高官の利益を保全するための暴力装置であることを強く認識しはじめました。
SNSでは、「国境地帯の少数民族が武装している理由が初めてわかった」とか「いままで少数民族の武装組織をテロリストと思ってたけど、テロリストはミャンマー国軍の方だったんだ」といった投稿が、国軍による弾圧が強まり、死傷者が増加しはじめた時期に目立ちました。いまでは、ミャンマー国軍は、SNS上でテロリストと呼ばれるのが慣例化しています。1988年、軍事独裁体制に対する大規模な民主化運動(8888民主化運動)が起こった時は、軍の弾圧で数千人の民衆が犠牲となったと言われていますが、現在の民主化運動とSNSでの情報発信の主体となっているZ世代にはリアリティが薄かったようです。

これまで国境周辺の周縁部に居住する少数民族に向かっていた国軍による暴力が、いまでは都市部のマジョリティであるビルマ族へも及ぶ事態となりました。周縁に発動されていた暴力が、中心へと向かうことは、発動される方向性が変わっただけで、暴力を支える力学は変わっていません。
ただし、ミャンマーという国家の政治経済システムが、軍の高官の権力と利益の維持・拡大を目的とし、国軍という暴力装置がそれを下支えしているという構図が、今回の弾圧で誰の目にも明らかになりました。都市部の住民、とりわけZ世代のような若い世代にとって、これは初めてのことかもしもしれません。

国軍による正当性のない暴政に対抗する組織として、4月16日にNUG, National Unity Government(国民統一政府)が結成されました。
NUGのスポークスマンとして積極的に情報発信しているのは、チン族のDr. Sasaであり、副大統領にカチン族、首相にカレン族が任命されています。また、Dr. Sasaは前政権では不法移民として扱われていたロヒンギャ族をミャンマーの仲間と呼びかけました。SNS上でも、ビルマ族により、これまでの弾圧を謝罪する声が上がりはじめています。
NUGによる連邦軍の創設の構想に伴い、KIA, Kachin Independence Army(カチン独立軍)やKNU, Karen National Union(武装民族カレン国民連合)などの少数民族武装戦力との共闘・合流も取り沙汰されはじめています。

少数民族の自治権を保障する連邦国家の創立は、1947年に2月のバンロン協定により同意されましたが、同年7月のアウンサン将軍の暗殺により、実現されませんでした。
現在起こっている軍事独裁に対する抗議運動は、Spring Revolution(春の革命)と呼ばれています。革命と呼ばれるのは、この運動の目指す先が、クーデター前の政体に戻ることではなく、少数民族の自治権を認める、多民族による連邦国家の創設という、これまでにない新しい国体を構想しているからです。
これから先、国軍とNUGの対立がどのように展開するのか予想もつきませんが、今回は過去の弾圧とは異なり、民衆側に妥協する意思が感じられません。これまで通り、一部のビルマ人国軍高官による政治経済の支配体制が続けば、彼らの利権が脅かされるたびに、現在起きているよう国民への弾圧が起こり得るからです。国軍の蜂起は、1962年、1988年、2007年に続いて今回で4回目なので、国民も学習しています。一部のビルマ人高官の利権を支えるために存在している、既存のミャンマー国軍を解体しない限り、大多数のミャンマー国民にとって希望の持てる未来はありません。それゆえ、国軍の国民への弾圧は、日を追うごとに苛烈さを増していますが、国民を服従させる効果は薄そうです。
良いニュースとしては、国軍から離反者が現れつつあり、内部告発も始まっていることです。

ミャンマーがこうした不安定な社会にならざるを得ない社会学的な理由についての仮説も書くつもりでしたが、長くなったため、次稿にゆずります。

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2021年1月14日木曜日

50年前の世界から、これからの世界のあり方を考えた

おそらく今回は長い投稿になります。お時間ある時にお読みください。

年末年始に読んだ、今の日本でベストセラーになっている本を三冊読んで、これからの世界のありようを考えてみます。
ここにあげる三冊は、パンデミックが起きた現在でないとベストセラーになることはなかったでしょう。いやむしろ今の時期だからこそ、執筆されたというべきでしょうか。

まずは、佐久間由美子著『Weの市民革命』から。


本書は、「ギル・スコット・ヘロンの名曲『革命はテレビ中継されない』にかけて、『どうやら革命は中継されるらしい』書いたのは、ニューヨーク・タイムズ紙の黒人ジャーナリスト、チャールズ・ブロウだった」という一文から始まります。

The revolution will not be televised
The revolution will be no re-run, brothers
The revolution will be live. 
 
革命はテレビ中継されない
革命は再放送されないんだ、ブラザー
革命は目の前で起きている

この曲が収録されたアルバム、"Peaces of a man"がリリースされたのは1971年。ちょうど今から50年前です。当時と違い、個人のメディアを持つ現在の我々は、たとえテレビ中継されなくとも、SNSを使って情報発信ができます。

The revolution must be SNSnized


ニューヨーク在住の著者による現地を中心とする本書では、ミレニアム世代とそれに続くより「コラボレーションや団結に興味がある」Z世代の消費性向から、企業文化の変更を迫られている現状が報告されています。この二つの世代は、高い購買力と発信力を持つため、無視できない消費層だそうです。
従来の株主利益を最大化を目指すのが正しいという企業像から、「株主へ利益を還元することよりも、『社会全体の利益』を優先する企業形態が登場し、社会や地域全体を自分のコミュニティーとみなし、それを守るための経済活動にコミットする企業が増えてきた」と言います。興味深いのが、ジェントリフィケーションー「もともと荒れていたり裕福でなかったりする地域に白人を中心としたアーティストやクリエイティブ層が流入し、それがきっかけとなって商業が栄え、結果として家賃が上がり、それ以前から存続するコミュニティが圧迫される循環的現象」ーにより家賃を払って営業することが難しくなった地域で、ライブハウス、ラジオ局、ギャラリーやワークショップを開催する機能を兼ねた複合施設などが、非営利団体として運営されている事例です。政府や企業から独立した文化施設が地域の公共財として設立され、地域の人々により運営されるという現象が一般化するかどうかは分かりませんが、あり方として新しいと感じました。
コロナ禍によってサプライチェーンが分断されことで、現在のシステムの脆弱性と、我々の消費が、途上国の労働者と生産システムによって支えられていたことが露わになった今、エシカルであることサスティナブルであることの意味を、様々な個人や企業の実践例を通して考えさせられます。 

5年前、同じ著者による本『ヒップな生活革命』を手掛かりに、日本でミャンマーを考えた 〜「ヒップな生活革命」という記事を投稿したことがありました。

次は、斎藤幸平著『人新生の「資本論」』です。

本書では、かなり過激な主張がされています。
「SDGsは大衆のアヘンである!」と断じ、資本主義というシステムにビルトインされている富の増殖=成長そのものを手放さないと、もはや地球が生物が住める環境ではなくなることを様々なデータをあげて例証しています。
そして、資本主義の後を継ぐべき社会システムとして、「脱成長コミュニズム」が提唱されています。
コモンー「社会的に人々に共有され、管理されるべき富」、自然、電力・上下水道などのインフラ、教育・医療・法律などの社会システムーを市民の手に取り戻し、自主管理することで、すべてのモノが商品化される以前の世界に存在した「ラディカルな潤沢さ」を取り戻し、真の意味での自由な世界を構築する。たとえば、水はコモンを通じて無料で手に入るものでしたが、水源を資本に囲い込まれ、ミネラルウォーターという形で、貨幣を介して購入するモノへと商品化されました。こうした資本によりコモンが貨幣・商品関係に置き換えられた社会システムを、労働者が生産システムを取り戻し、放埒な消費を自制し、真の意味での精神的な自由な共同体を作り上げる。
実例として、自動車産業の衰退により荒廃したデトロイトが、都市型の有機農業により、地域コミュニティと緑が再生したこと、脱成長的なマニュフェストを掲げ、飛行機の近距離線を廃止し、市街地での自動車の速度制限を時速30キロに定め、水道や電力等のコモンの運営を市民参加型のシステムに変更したバルセロナなどがあげられています。
正直、実現可能性はどうだろう?と感じます。
自己増殖を内在化する資本主義が、無限の成長を目指すことで、富の偏在や環境問題を引き起こしていることは事実ですが、我々の生活が資本主義の果実を享受していることによって成立している事実も否定できません。
現に、今このブログ書くために使っているコンピュータは、元々、第二次世界大戦時に弾道計算のために開発された機械ですし、インターネットは核攻撃を受けた時に機能する分散型の通信システムとして冷戦時に開発された、いうなれば帝国主義的なシステムから産み出された産物です。
先進国に住む人間が、こうした技術に依って暮らしている原罪性から逃れることはできないし、その疚しさをどう引き受けるのかは、もっと論じられてもよいのではないかと感じます。
また、SDGsの欺瞞性を説きながら、紹介されている「脱成長コミュニズム」が実践されている場所の多くが、デトロイトやコペンハーゲンといった先進国の都市であるのも説得力にやや欠けます。
実際、ミャンマーには市場原理とは縁の薄い、村落共同体が数多く残っていますが、そこに「ラディカルな潤沢さ」が存在するかといえば、かなり疑問です。
最低限のインフラや教育といった社会共通資本が存在しなければ、「ラディカルな潤沢さ」は実現不能だからです。途上国へ最低限の社会共通資本を構築するためには、先進国から途上国への何らかの所得移転が必要になるかと思いますが、それについては詳しく論じられていません。
腑に落ちない部分もいろいろとありますが、資本主義の後に続く社会像を提示したという点で新しいし、こうした本が書店に平積みされて、数多くの読者を得ていることにも時代の変わり目であることを実感させます。

最後に、山口周著『ビジネスの未来――エコノミーにヒューマニティを取り戻す』です。


本書の前提は、先進国において、「物質的な生活基盤の整備という、人類が長らく抱えてきた課題」が解消された現在、「不可避なゼロ成長への収斂の最中にある」という認識です。
著者は、この社会の状態を「高原社会」と呼んでいます。
物質的な生活基盤を整備して、成長の余地がなくなったことは、達成であり、低成長は成熟の証であり、こうした状態に達したことを我々は言祝ぐべきだという視点から本書は論を進めます。
高原社会においては、経済合理性限界曲線の内側の課題、すなわち解決して利益の上がる問題は、ほぼ残されていないという事実に突き当たります。
残されているのは、「問題解決のハードルが高過ぎて投資が回収できない」か「問題解決によって得られるリターンが小さ過ぎて投資を回収できない」問題のみです。市場とは「利益が出る限り何でも行うが、利益が出ない限り何も行わない」システムなので、市場原理的な価値観では、この問題は放置されたままとなります。
人が経済合理性限界曲線の外側にある問題を解決するためには、二つの前提が必要となります。
一つは経済的に困窮しないこと、何しろやっても儲からない問題に取り組むのですから、生活が破綻しない裏付けないとやっていけません。困窮しても、なおかつチャレンジする鉄の意思の持ち主もたまに見かけますが、希少性の高い人材のみに解決を頼るのは現実的ではありません。
もう一つは、活動が経済合理性を超えた「人間性に根ざした衝動」に基づいていること。活動それ自体が精神的な報酬になる、内発的な動機に基づいていることです。
前者の経済的な裏付けとして、著者はユニバーサル・ベーシックインカムを提唱しています。
高原社会での労働は、労働それ自体が「愉悦となって回収される社会」になると著者は予想しています。
それは、以下の二つの活動として、集約されます。

  1. 社会的問題の解決(ソーシャルイノベーション実現)
    :経済合理性限界曲線の外側にある問題を解く
  2. 文化的価値の創出(カルチュアルクリエーションの実践)
    :高原社会を「生きるに値する社会」にするモノ・コトを生み出す

これは、個人的に腹落ちする結論です。
ミャンマーにおいて解決すべきなのは、1の「問題解決によって得られるリターンが小さ過ぎて投資を回収できない」問題だからです。具体的には、電力・上下水道などのインフラ、医療・法律・教育などの制度資本の確立です。こうした社会共通資本の基盤がないと、利益を目的としたビジネスは行えません。そして、こうした問題は、経済合理性で推し測ることができない分野です。原理的に万人に遍く広く行き渡るべきコモン=公共財だからです。
今まで「お金儲けが目的なら、ミャンマーに来ない方がいい」と言って、さんざん在住者や視察に来た人々の座を白けさせてきましたが、ようやく自分の中で理論化できました。
著者は、「『システムをどのように変えるか』という問いではなく、『私たち自身の思考・行動の様式をどのように変えるのか』と問」うべきだと主張します。
その問いによって、「資本主義をハックする」という行先が示されています。
成長という神話の終焉を前提としているという点では共通するものの、社会システムの変更を主張する前掲書とは立場を異にしています。

冒頭に紹介したギル・スコット・ヘロンの"Peaces of a man"がリリースされた同年の1971年に、マーヴィン・ゲイは、ポップ史上最も重要で影響力のあるアルバム、"What's going on"をリリースしました。ベトナム戦争や環境問題を取り上げたメッセージ性の高い歌詞とコーラスとストリングスを重ねた多層的で洗練されたサウンド・デザインは、後のポップミュージックへ多大な影響を与えました。
【Wikipediaより引用:アルバムは『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500』(2020年版:大規模なアンケートによる選出)では1位にランクされている。また、2013年に『エンターテインメント・ウィークリー』誌が選出した『史上最も偉大なアルバム100』では13位となった。】



Picket lines and picket signs
Don't punish me with brutality
Talk to me, so you can see
What's going on

デモ行進そしてプラカード
荒っぽいやり方はごめんだよ
話しておくれよ、そうすれば分かり合えるよ
いったい何が起きてるんだ

また、本年1月4日付の日本経済新聞朝刊に、50年前の同日に同紙に掲載された、経済学者、宇沢弘文の寄稿についての記事が掲載されていました。

宇沢経済学のメッセージ 「社会の幸福」、再考の時

個人がそれぞれの利益を追い求める結果、市場を通じて資源の配分が最も効率的に行われる――。当時の主流経済学に対する懐疑だった。

経済学者は〈目的の正しさ=倫理〉を語る資格はないのか。公平や平等という価値をどのように経済分析に取り込めるのか。困難な道筋だが、避けて通ることはできない、と真摯に語った。

従来の主流派経済学(新古典派経済学)では、自然や第三世界を外部化しています。それゆえ、環境破壊や途上国の搾取といった問題が引き起こされる一因となりました。
ベトナム戦争の遂行に経済学の概念が利用されたことや企業の利潤追求の結果として水俣病などの公害が引き起こされたことが、宇沢先生の理論に大きな影響を与えたことは、2019年に出版された大部の評伝に詳しく書かれています。
そうした問題意識は、社会共通資本ー自然環境(大気、森林、河川、土壌など)、社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど)、制度資本(教育、医療、司法、金融など)ーの概念として結実します。
宇沢先生は、社会共通資本を経済合理性の外側に置くべきであり、市場原理に委ねるべきではないと論じました。

今から50年前にマーヴィン ・ゲイが問いかけ、宇沢弘文が提起した問題に我々は答えるべき時期に差し掛かっています。

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2020年12月30日水曜日

9年振りに日本で過ごす年末で、2020年を振り返ってみる

今年も残すところ一日となりました。
本当に思いもよらない一年となりました。
4月末に一時帰国して、せいぜい2、3ヶ月でミャンマーに戻るつもりでしたが、12月の末の現在になっても日本に留まっています。
航空便の運行状況も不安定で、いつになったらミャンマーに戻れるのかの目処も立っていません。当分日本でのバイト生活が続きそうです。
2011年にミャンマーに渡って以来、日本で年末年始を過ごすのは初めてです。

自分のブログを見直したら、3月8日にMakers Marketに出店したのが、ミャンマーで仕事らしい仕事をした最後の日でした。

今回のパンデミックで世界の様相が一変しました。突風で船の進路が大きく変わったり、新しいOSへの更新のためにコンピュータが強制的にリブートされたような感があります。
何らかの形で、今後、社会のあり方やシステムの変更を余儀なくされるでしょう。

書店に平積みされている本やAmazonのベストセラーをチェックしていても、そうした時代の気分がひしひしと伝わってきます。

   

いずれの著作も、グローバル資本主義あるいは新自由主義といった、今まで世界を駆動していたシステムの終焉、地球環境の保全、マルクス経済学の読み直し、コモンの再生、定常経済の試行といったテーマがそれぞれの切り口から論じられています。

そういえば私自身も4年前のちょうど今頃に、同様のテーマでブログに投稿しましたが、まさかこんな形で世界がリセットされるとは想像すらしませんでした。

おそらく経済的な意味でのフロンティアではないミャンマーが、フロンティアである理由 (3)

ざっと自分の書いた物を読み直しましたが、経験値や見識の差、文章の巧拙を別とすれば、問題意識の在り方は、上にあげた三冊とほぼ同じです。
なんらかの形で社会システムの変更を迫られていることは、かなり前から肌感覚で感じてましたが、今回のような形で無理矢理リセットされるとは予想もしていませんでした。

ニーチェが約100年前に「神は死んだ」と宣言したのは、産業革命以降、工業文明に移行した社会や経済のシステムの中で、中世の農耕社会の中で機能していたキリスト教は、最早ヨーロッパ人にとって生の意味を与える有効性を失ったためです。
ニーチェは、耐用年数を過ぎたキリスト教を棄てた後に人々が陥るニヒリズムを、鷲の勇気と蛇の知恵を備えた「超人」となって乗り越えろ主張しましたが、これは新古典派経済学が想定する合理的経済人、すなわち人は「自己の経済的効用の最大化」する独立した存在であるという人間観と通じるものがあります。
個人は野放図に自己利益を追求していいし、それは市場の「神の見えざる手」によって解決されるという世界観は、環境問題や格差の拡大を生み出し、見直しを迫られています。
個人の自由より世界全体の人権を重んじ、過去に抑圧されてきた人たちの真の社会的平等追求することが自分たちの『共同責任』」という意識が若い世代を中心に共有されつつあります。
そして、一周回って、現在の言論人や識者の共通のテーマとなっているのが「コモンの再生」です。

ここで参照したいのが、日本が生み出した宇沢弘文という「知の巨人」です。
環境問題、社会共通資本としのコモン、定常経済への移行、現在俎上にあがっている問題は、すべて宇沢先生によって30年前に論じられています。最近、きっかけがあって、宇沢先生の本を立て続けに読んでいます。

最初ににあげた三冊はベストセラーになっていますが、こうしたテーマに興味がある」人は、ぜひ本書も読んで欲しいです。
今になって急速に前景化している問題は、すべて宇沢先生によって30年前に予見されていたし、それぞれに何らかの処方箋が示されていることに驚かされます。

社会共通資本としてのコモンについては、本書をお勧めします。
自然資源(山、川、海など)、社会的インフラストラクチャー(交通、道路、水道、電気など)、制度資本(法律、教育、医療など)は、安易に競争原理を導入するのではなく、専門家と関係者により最適かつ平等に人々に行き渡るべきだと明快に論じられています。

今暇なので、つらつらと昔のことを思い出す機会が多くなりました。
そういえば、大学3、4年時のゼミの担当教授が宇沢先生の教え子だったと言ってたような記憶があります。当時は、学校でやってることにまったく関心がなかったので、ふーんと聞き流していました。何で俺あんなに勉強しなかったんだろう?、と今になって不思議に思います。
社会に出たことがないので、人間が織りなす世界の成り立ちとか、経済問題に興味がなかったからでしょうけど。

固い話になったので、今年になってよく聴いた音楽のことを書きます。
最近、イギリスのジャズが面白い。
西インド諸島にルーツをもつ移民のプレイヤーが多くて、レゲエやカリプソなど、アメリカのジャズにはあまりない要素が入っていて新鮮です。


今年にファーストアルバムをリリースした、Nubya Garcia。 いろんなメディアで、2020年の
ジャズのベストアルバムに選ばれています。

これはイギリスのジャズ・シンガー、Zara McFarlane。アメリカのジャズ・シンガーとは趣が異なります。 


そんなわけで、2020年も残すところあと一日となりました。
私は明日の大晦日はバイトです。
皆さん良いお年をお過ごしください。

【追記】(2021年1月4日)
2021年1月4日の日経新聞朝刊に、宇沢先生の再評価ムーブメントについての記事が掲載されていました。

昨年から今年にかけ、各界の第一人者が、それぞれの立場から宇沢が問題提起した「社会的共通資本」の今日的な意義を読み解く連続セミナーが開催されている。

宇沢経済学のメッセージ 「社会の幸福」、再考の時

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2020年12月2日水曜日

ミャンマーのゴスガールにワンピースを着てもらった

おそらく一年くらい前に、インフルエンサーになってもらいたいミャンマー人の女の子に商品を渡していました。
彼女はメイクアップ・アーティストで、ミャンマーではメジャーな映画やCMの仕事を手がけています。ミャンマー人では珍しいゴス系の子で、視覚的なインパクトも強いので、商品を着てもらったらどうかなと思い、イベントで会った時に似合いそうなワンピースを選んで渡していました。




鼻ピアスをして、バリバリにタトゥーが入った、一見威圧的な見かけの子ですが、中の人はミャンマー人らしい朗らかな子でした。
時間が経って、そろそろ忘れかけていたのですが、昨日になって着用写真を送ってくれました。


 

遠景過ぎて、服のディテールが分かりにくいですが、着用商品はこれです。
チェックのメンズ用のロンジー生地で作りました。




日本でバイト生活をはじめて半年以上経つと、ミャンマーで自分が何をやっていたのか、そもそもミャンマーに住んでいたことさえ定かでなくなってきましたが、久しぶりに思い出しました。
現状、いつになったらミャンマーに戻れるのか、戻ったところで経済活動ができるのかもわかりません。
とりあえず、バイト生活しながら気長に様子見するつもりです。
ブランドのコンセプトを変えようと思っていたところなので、リセットするのに良い機会だったと思うことにしています。

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