2021年4月26日月曜日

そろそろミャンマーの革命の話をしよう(1)

2月1日に起こったミャンマー国軍のクーデターから約3ヶ月が経とうとしています。
随時、TwitterやFacebookで現地の状況を追っていますが、現場にいるわけでもないので、速報性のある情報や一次情報は伝えられません。タイムラインには、国軍に拷問されたり、虐殺された犠牲者の目を覆いたくなるような映像が流れてきていますが、ここでは転載しません。

現在のミャンマーで起こっている事象を、現地速報との差別化のため、もう少し長い射程で考えてみることにします。
ここ3ヶ月間考えていたのは、今回のクーデターは偶発的・突発的に起こったものではなく、むしろミャンマーの社会システムに内在する既存の力学が、剥き出しの形で顕在化したということです。

ミャンマーの政治経済は、ビルマ族を主体とする国軍により支配されてきたのは、周知の事実です。
国会の4分の1の議席に軍人議員の割り当て枠があり、内務省、国防省、国境省の主要3省の大臣の任命権は国軍司令官にあります。
経済についても、国家の主要な収入源であるガス・木材等の天然資源の権益・利権を握っているのはMEHL (Myanmar Economic Holding Limited) やMEC (Myanmar Economic Corporation) といった国軍系の企業群です。
国会議員の議席の割り当ても、国軍系企業による透明性の低い収益も、一部の軍の高官が独占しています。既得権益の受益者である国軍の高官は、民族的マジョリティであるビルマ族によって占められています。
つまり、ミャンマーという国家の政治経済の構造は、国軍のビルマ人高官の政治権力・経済的利益を最大化するように設計されています。
約10年前に、「アジア最後のフロンティア」としてミャンマーへの投資熱が高まった時期がありましたが、その頃のミャンマーに多数居た日系コンサルタントたちが、こうした社会構造の不安定性を説明していたとは思えません。

こうした政治経済システムの下で、昨年11月の国軍系政党のUSDP(連邦団結発展党)の大敗を受けて、これまで享受してきた利権や権益を失うことを怖れた軍の高官たちが、今回の武力による実力行使に踏み切ったことは、それほど驚くべきことではないのかもしれません。
彼らにとっての関心事は、国家の安定や発展ではなく、あくまで自分たちの利権や権益の維持・拡大だからです。彼らのような既得権益の受益者にとって、国軍は、自らの地位や利権を保全のために存在するもので、国防や国民の安全を図ることはおそらく視野に入れていません。
こうしたミャンマー国軍に内在する力学や理念(と呼べるかはさておき)を鑑みると、日本政府が持つとされていた国軍との独自の外交ルート(パイプ)が、今回の国軍による市民の弾圧の抑制・中止に無力であったことは納得できます。自らの権益の拡大に繋がるODA等の海外からの投資については話を聞く気になっても、利権の縮小を招く、民主化や社会の透明性の向上などを聞き入れる余地は、彼らにはないからです。彼らにとって、一般国民の安全や生命よりも、自らの利権の方がはるかに重要なので、人権の遵守を求める他国からの勧告を聞く耳は持ちません。国軍がODA等の日本からの投資について対話に応じていたのは、それが彼らの権益の拡大に資するからです。外国資本による投資の多くは、国軍系の企業を通して、軍の高官の懐へ流れ込んでいることは容易に想像がつきます。

これまで、国軍は天然資源の利権(とおそらく麻薬の原料となるケシの権益)を巡って、国境周辺の少数民族武装戦力と戦闘を繰り広げていました。国軍による弾圧で、最も規模が大きくなったロヒンギャ族への武力行使では、2017年7月の死者は6,000人、2019年時点での難民は91万人に達したと伝えられています。
こうした国軍による弾圧は、国境地帯の少数民族へ向けられていたため、これまで可視化されにくく、また、都市部に住む多くのミャンマー人、特にマジョリティであるビルマ人にとっては、遠くの場所で起きていることとして、大きな関心を集めることはありませんでした。
軍のクーデター以降、民主主義の回復を主張するデモ隊の市民に、国軍兵士が銃口を向け、活動家を拉致し、拷問にかけ、惨殺する事態となって、都市部の市民の多くは、国軍が一部の高官の利益を保全するための暴力装置であることを強く認識しはじめました。
SNSでは、「国境地帯の少数民族が武装している理由が初めてわかった」とか「いままで少数民族の武装組織をテロリストと思ってたけど、テロリストはミャンマー国軍の方だったんだ」といった投稿が、国軍による弾圧が強まり、死傷者が増加しはじめた時期に目立ちました。いまでは、ミャンマー国軍は、SNS上でテロリストと呼ばれるのが慣例化しています。1988年、軍事独裁体制に対する大規模な民主化運動(8888民主化運動)が起こった時は、軍の弾圧で数千人の民衆が犠牲となったと言われていますが、現在の民主化運動とSNSでの情報発信の主体となっているZ世代にはリアリティが薄かったようです。

これまで国境周辺の周縁部に居住する少数民族に向かっていた国軍による暴力が、いまでは都市部のマジョリティであるビルマ族へも及ぶ事態となりました。周縁に発動されていた暴力が、中心へと向かうことは、発動される方向性が変わっただけで、暴力を支える力学は変わっていません。
ただし、ミャンマーという国家の政治経済システムが、軍の高官の権力と利益の維持・拡大を目的とし、国軍という暴力装置がそれを下支えしているという構図が、今回の弾圧で誰の目にも明らかになりました。都市部の住民、とりわけZ世代のような若い世代にとって、これは初めてのことかもしもしれません。

国軍による正当性のない暴政に対抗する組織として、4月16日にNUG, National Unity Government(国民統一政府)が結成されました。
NUGのスポークスマンとして積極的に情報発信しているのは、チン族のDr. Sasaであり、副大統領にカチン族、首相にカレン族が任命されています。また、Dr. Sasaは前政権では不法移民として扱われていたロヒンギャ族をミャンマーの仲間と呼びかけました。SNS上でも、ビルマ族により、これまでの弾圧を謝罪する声が上がりはじめています。
NUGによる連邦軍の創設の構想に伴い、KIA, Kachin Independence Army(カチン独立軍)やKNU, Karen National Union(武装民族カレン国民連合)などの少数民族武装戦力との共闘・合流も取り沙汰されはじめています。

少数民族の自治権を保障する連邦国家の創立は、1947年に2月のバンロン協定により同意されましたが、同年7月のアウンサン将軍の暗殺により、実現されませんでした。
現在起こっている軍事独裁に対する抗議運動は、Spring Revolution(春の革命)と呼ばれています。革命と呼ばれるのは、この運動の目指す先が、クーデター前の政体に戻ることではなく、少数民族の自治権を認める、多民族による連邦国家の創設という、これまでにない新しい国体を構想しているからです。
これから先、国軍とNUGの対立がどのように展開するのか予想もつきませんが、今回は過去の弾圧とは異なり、民衆側に妥協する意思が感じられません。これまで通り、一部のビルマ人国軍高官による政治経済の支配体制が続けば、彼らの利権が脅かされるたびに、現在起きているよう国民への弾圧が起こり得るからです。国軍の蜂起は、1962年、1988年、2007年に続いて今回で4回目なので、国民も学習しています。一部のビルマ人高官の利権を支えるために存在している、既存のミャンマー国軍を解体しない限り、大多数のミャンマー国民にとって希望の持てる未来はありません。それゆえ、国軍の国民への弾圧は、日を追うごとに苛烈さを増していますが、国民を服従させる効果は薄そうです。
良いニュースとしては、国軍から離反者が現れつつあり、内部告発も始まっていることです。

ミャンマーがこうした不安定な社会にならざるを得ない社会学的な理由についての仮説も書くつもりでしたが、長くなったため、次稿にゆずります。

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