2021年1月14日木曜日

50年前の世界から、これからの世界のあり方を考えた

おそらく今回は長い投稿になります。お時間ある時にお読みください。

年末年始に読んだ、今の日本でベストセラーになっている本を三冊読んで、これからの世界のありようを考えてみます。
ここにあげる三冊は、パンデミックが起きた現在でないとベストセラーになることはなかったでしょう。いやむしろ今の時期だからこそ、執筆されたというべきでしょうか。

まずは、佐久間由美子著『Weの市民革命』から。


本書は、「ギル・スコット・ヘロンの名曲『革命はテレビ中継されない』にかけて、『どうやら革命は中継されるらしい』書いたのは、ニューヨーク・タイムズ紙の黒人ジャーナリスト、チャールズ・ブロウだった」という一文から始まります。

The revolution will not be televised
The revolution will be no re-run, brothers
The revolution will be live. 
 
革命はテレビ中継されない
革命は再放送されないんだ、ブラザー
革命は目の前で起きている

この曲が収録されたアルバム、"Peaces of a man"がリリースされたのは1971年。ちょうど今から50年前です。当時と違い、個人のメディアを持つ現在の我々は、たとえテレビ中継されなくとも、SNSを使って情報発信ができます。

The revolution must be SNSnized


ニューヨーク在住の著者による現地を中心とする本書では、ミレニアム世代とそれに続くより「コラボレーションや団結に興味がある」Z世代の消費性向から、企業文化の変更を迫られている現状が報告されています。この二つの世代は、高い購買力と発信力を持つため、無視できない消費層だそうです。
従来の株主利益を最大化を目指すのが正しいという企業像から、「株主へ利益を還元することよりも、『社会全体の利益』を優先する企業形態が登場し、社会や地域全体を自分のコミュニティーとみなし、それを守るための経済活動にコミットする企業が増えてきた」と言います。興味深いのが、ジェントリフィケーションー「もともと荒れていたり裕福でなかったりする地域に白人を中心としたアーティストやクリエイティブ層が流入し、それがきっかけとなって商業が栄え、結果として家賃が上がり、それ以前から存続するコミュニティが圧迫される循環的現象」ーにより家賃を払って営業することが難しくなった地域で、ライブハウス、ラジオ局、ギャラリーやワークショップを開催する機能を兼ねた複合施設などが、非営利団体として運営されている事例です。政府や企業から独立した文化施設が地域の公共財として設立され、地域の人々により運営されるという現象が一般化するかどうかは分かりませんが、あり方として新しいと感じました。
コロナ禍によってサプライチェーンが分断されことで、現在のシステムの脆弱性と、我々の消費が、途上国の労働者と生産システムによって支えられていたことが露わになった今、エシカルであることサスティナブルであることの意味を、様々な個人や企業の実践例を通して考えさせられます。 

5年前、同じ著者による本『ヒップな生活革命』を手掛かりに、日本でミャンマーを考えた 〜「ヒップな生活革命」という記事を投稿したことがありました。

次は、斎藤幸平著『人新生の「資本論」』です。

本書では、かなり過激な主張がされています。
「SDGsは大衆のアヘンである!」と断じ、資本主義というシステムにビルトインされている富の増殖=成長そのものを手放さないと、もはや地球が生物が住める環境ではなくなることを様々なデータをあげて例証しています。
そして、資本主義の後を継ぐべき社会システムとして、「脱成長コミュニズム」が提唱されています。
コモンー「社会的に人々に共有され、管理されるべき富」、自然、電力・上下水道などのインフラ、教育・医療・法律などの社会システムーを市民の手に取り戻し、自主管理することで、すべてのモノが商品化される以前の世界に存在した「ラディカルな潤沢さ」を取り戻し、真の意味での自由な世界を構築する。たとえば、水はコモンを通じて無料で手に入るものでしたが、水源を資本に囲い込まれ、ミネラルウォーターという形で、貨幣を介して購入するモノへと商品化されました。こうした資本によりコモンが貨幣・商品関係に置き換えられた社会システムを、労働者が生産システムを取り戻し、放埒な消費を自制し、真の意味での精神的な自由な共同体を作り上げる。
実例として、自動車産業の衰退により荒廃したデトロイトが、都市型の有機農業により、地域コミュニティと緑が再生したこと、脱成長的なマニュフェストを掲げ、飛行機の近距離線を廃止し、市街地での自動車の速度制限を時速30キロに定め、水道や電力等のコモンの運営を市民参加型のシステムに変更したバルセロナなどがあげられています。
正直、実現可能性はどうだろう?と感じます。
自己増殖を内在化する資本主義が、無限の成長を目指すことで、富の偏在や環境問題を引き起こしていることは事実ですが、我々の生活が資本主義の果実を享受していることによって成立している事実も否定できません。
現に、今このブログ書くために使っているコンピュータは、元々、第二次世界大戦時に弾道計算のために開発された機械ですし、インターネットは核攻撃を受けた時に機能する分散型の通信システムとして冷戦時に開発された、いうなれば帝国主義的なシステムから産み出された産物です。
先進国に住む人間が、こうした技術に依って暮らしている原罪性から逃れることはできないし、その疚しさをどう引き受けるのかは、もっと論じられてもよいのではないかと感じます。
また、SDGsの欺瞞性を説きながら、紹介されている「脱成長コミュニズム」が実践されている場所の多くが、デトロイトやコペンハーゲンといった先進国の都市であるのも説得力にやや欠けます。
実際、ミャンマーには市場原理とは縁の薄い、村落共同体が数多く残っていますが、そこに「ラディカルな潤沢さ」が存在するかといえば、かなり疑問です。
最低限のインフラや教育といった社会共通資本が存在しなければ、「ラディカルな潤沢さ」は実現不能だからです。途上国へ最低限の社会共通資本を構築するためには、先進国から途上国への何らかの所得移転が必要になるかと思いますが、それについては詳しく論じられていません。
腑に落ちない部分もいろいろとありますが、資本主義の後に続く社会像を提示したという点で新しいし、こうした本が書店に平積みされて、数多くの読者を得ていることにも時代の変わり目であることを実感させます。

最後に、山口周著『ビジネスの未来――エコノミーにヒューマニティを取り戻す』です。


本書の前提は、先進国において、「物質的な生活基盤の整備という、人類が長らく抱えてきた課題」が解消された現在、「不可避なゼロ成長への収斂の最中にある」という認識です。
著者は、この社会の状態を「高原社会」と呼んでいます。
物質的な生活基盤を整備して、成長の余地がなくなったことは、達成であり、低成長は成熟の証であり、こうした状態に達したことを我々は言祝ぐべきだという視点から本書は論を進めます。
高原社会においては、経済合理性限界曲線の内側の課題、すなわち解決して利益の上がる問題は、ほぼ残されていないという事実に突き当たります。
残されているのは、「問題解決のハードルが高過ぎて投資が回収できない」か「問題解決によって得られるリターンが小さ過ぎて投資を回収できない」問題のみです。市場とは「利益が出る限り何でも行うが、利益が出ない限り何も行わない」システムなので、市場原理的な価値観では、この問題は放置されたままとなります。
人が経済合理性限界曲線の外側にある問題を解決するためには、二つの前提が必要となります。
一つは経済的に困窮しないこと、何しろやっても儲からない問題に取り組むのですから、生活が破綻しない裏付けないとやっていけません。困窮しても、なおかつチャレンジする鉄の意思の持ち主もたまに見かけますが、希少性の高い人材のみに解決を頼るのは現実的ではありません。
もう一つは、活動が経済合理性を超えた「人間性に根ざした衝動」に基づいていること。活動それ自体が精神的な報酬になる、内発的な動機に基づいていることです。
前者の経済的な裏付けとして、著者はユニバーサル・ベーシックインカムを提唱しています。
高原社会での労働は、労働それ自体が「愉悦となって回収される社会」になると著者は予想しています。
それは、以下の二つの活動として、集約されます。

  1. 社会的問題の解決(ソーシャルイノベーション実現)
    :経済合理性限界曲線の外側にある問題を解く
  2. 文化的価値の創出(カルチュアルクリエーションの実践)
    :高原社会を「生きるに値する社会」にするモノ・コトを生み出す

これは、個人的に腹落ちする結論です。
ミャンマーにおいて解決すべきなのは、1の「問題解決によって得られるリターンが小さ過ぎて投資を回収できない」問題だからです。具体的には、電力・上下水道などのインフラ、医療・法律・教育などの制度資本の確立です。こうした社会共通資本の基盤がないと、利益を目的としたビジネスは行えません。そして、こうした問題は、経済合理性で推し測ることができない分野です。原理的に万人に遍く広く行き渡るべきコモン=公共財だからです。
今まで「お金儲けが目的なら、ミャンマーに来ない方がいい」と言って、さんざん在住者や視察に来た人々の座を白けさせてきましたが、ようやく自分の中で理論化できました。
著者は、「『システムをどのように変えるか』という問いではなく、『私たち自身の思考・行動の様式をどのように変えるのか』と問」うべきだと主張します。
その問いによって、「資本主義をハックする」という行先が示されています。
成長という神話の終焉を前提としているという点では共通するものの、社会システムの変更を主張する前掲書とは立場を異にしています。

冒頭に紹介したギル・スコット・ヘロンの"Peaces of a man"がリリースされた同年の1971年に、マーヴィン・ゲイは、ポップ史上最も重要で影響力のあるアルバム、"What's going on"をリリースしました。ベトナム戦争や環境問題を取り上げたメッセージ性の高い歌詞とコーラスとストリングスを重ねた多層的で洗練されたサウンド・デザインは、後のポップミュージックへ多大な影響を与えました。
【Wikipediaより引用:アルバムは『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500』(2020年版:大規模なアンケートによる選出)では1位にランクされている。また、2013年に『エンターテインメント・ウィークリー』誌が選出した『史上最も偉大なアルバム100』では13位となった。】



Picket lines and picket signs
Don't punish me with brutality
Talk to me, so you can see
What's going on

デモ行進そしてプラカード
荒っぽいやり方はごめんだよ
話しておくれよ、そうすれば分かり合えるよ
いったい何が起きてるんだ

また、本年1月4日付の日本経済新聞朝刊に、50年前の同日に同紙に掲載された、経済学者、宇沢弘文の寄稿についての記事が掲載されていました。

宇沢経済学のメッセージ 「社会の幸福」、再考の時

個人がそれぞれの利益を追い求める結果、市場を通じて資源の配分が最も効率的に行われる――。当時の主流経済学に対する懐疑だった。

経済学者は〈目的の正しさ=倫理〉を語る資格はないのか。公平や平等という価値をどのように経済分析に取り込めるのか。困難な道筋だが、避けて通ることはできない、と真摯に語った。

従来の主流派経済学(新古典派経済学)では、自然や第三世界を外部化しています。それゆえ、環境破壊や途上国の搾取といった問題が引き起こされる一因となりました。
ベトナム戦争の遂行に経済学の概念が利用されたことや企業の利潤追求の結果として水俣病などの公害が引き起こされたことが、宇沢先生の理論に大きな影響を与えたことは、2019年に出版された大部の評伝に詳しく書かれています。
そうした問題意識は、社会共通資本ー自然環境(大気、森林、河川、土壌など)、社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど)、制度資本(教育、医療、司法、金融など)ーの概念として結実します。
宇沢先生は、社会共通資本を経済合理性の外側に置くべきであり、市場原理に委ねるべきではないと論じました。

今から50年前にマーヴィン ・ゲイが問いかけ、宇沢弘文が提起した問題に我々は答えるべき時期に差し掛かっています。

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2020年12月30日水曜日

9年振りに日本で過ごす年末で、2020年を振り返ってみる

今年も残すところ一日となりました。
本当に思いもよらない一年となりました。
4月末に一時帰国して、せいぜい2、3ヶ月でミャンマーに戻るつもりでしたが、12月の末の現在になっても日本に留まっています。
航空便の運行状況も不安定で、いつになったらミャンマーに戻れるのかの目処も立っていません。当分日本でのバイト生活が続きそうです。
2011年にミャンマーに渡って以来、日本で年末年始を過ごすのは初めてです。

自分のブログを見直したら、3月8日にMakers Marketに出店したのが、ミャンマーで仕事らしい仕事をした最後の日でした。

今回のパンデミックで世界の様相が一変しました。突風で船の進路が大きく変わったり、新しいOSへの更新のためにコンピュータが強制的にリブートされたような感があります。
何らかの形で、今後、社会のあり方やシステムの変更を余儀なくされるでしょう。

書店に平積みされている本やAmazonのベストセラーをチェックしていても、そうした時代の気分がひしひしと伝わってきます。

   

いずれの著作も、グローバル資本主義あるいは新自由主義といった、今まで世界を駆動していたシステムの終焉、地球環境の保全、マルクス経済学の読み直し、コモンの再生、定常経済の試行といったテーマがそれぞれの切り口から論じられています。

そういえば私自身も4年前のちょうど今頃に、同様のテーマでブログに投稿しましたが、まさかこんな形で世界がリセットされるとは想像すらしませんでした。

おそらく経済的な意味でのフロンティアではないミャンマーが、フロンティアである理由 (3)

ざっと自分の書いた物を読み直しましたが、経験値や見識の差、文章の巧拙を別とすれば、問題意識の在り方は、上にあげた三冊とほぼ同じです。
なんらかの形で社会システムの変更を迫られていることは、かなり前から肌感覚で感じてましたが、今回のような形で無理矢理リセットされるとは予想もしていませんでした。

ニーチェが約100年前に「神は死んだ」と宣言したのは、産業革命以降、工業文明に移行した社会や経済のシステムの中で、中世の農耕社会の中で機能していたキリスト教は、最早ヨーロッパ人にとって生の意味を与える有効性を失ったためです。
ニーチェは、耐用年数を過ぎたキリスト教を棄てた後に人々が陥るニヒリズムを、鷲の勇気と蛇の知恵を備えた「超人」となって乗り越えろ主張しましたが、これは新古典派経済学が想定する合理的経済人、すなわち人は「自己の経済的効用の最大化」する独立した存在であるという人間観と通じるものがあります。
個人は野放図に自己利益を追求していいし、それは市場の「神の見えざる手」によって解決されるという世界観は、環境問題や格差の拡大を生み出し、見直しを迫られています。
個人の自由より世界全体の人権を重んじ、過去に抑圧されてきた人たちの真の社会的平等追求することが自分たちの『共同責任』」という意識が若い世代を中心に共有されつつあります。
そして、一周回って、現在の言論人や識者の共通のテーマとなっているのが「コモンの再生」です。

ここで参照したいのが、日本が生み出した宇沢弘文という「知の巨人」です。
環境問題、社会共通資本としのコモン、定常経済への移行、現在俎上にあがっている問題は、すべて宇沢先生によって30年前に論じられています。最近、きっかけがあって、宇沢先生の本を立て続けに読んでいます。

最初ににあげた三冊はベストセラーになっていますが、こうしたテーマに興味がある」人は、ぜひ本書も読んで欲しいです。
今になって急速に前景化している問題は、すべて宇沢先生によって30年前に予見されていたし、それぞれに何らかの処方箋が示されていることに驚かされます。

社会共通資本としてのコモンについては、本書をお勧めします。
自然資源(山、川、海など)、社会的インフラストラクチャー(交通、道路、水道、電気など)、制度資本(法律、教育、医療など)は、安易に競争原理を導入するのではなく、専門家と関係者により最適かつ平等に人々に行き渡るべきだと明快に論じられています。

今暇なので、つらつらと昔のことを思い出す機会が多くなりました。
そういえば、大学3、4年時のゼミの担当教授が宇沢先生の教え子だったと言ってたような記憶があります。当時は、学校でやってることにまったく関心がなかったので、ふーんと聞き流していました。何で俺あんなに勉強しなかったんだろう?、と今になって不思議に思います。
社会に出たことがないので、人間が織りなす世界の成り立ちとか、経済問題に興味がなかったからでしょうけど。

固い話になったので、今年になってよく聴いた音楽のことを書きます。
最近、イギリスのジャズが面白い。
西インド諸島にルーツをもつ移民のプレイヤーが多くて、レゲエやカリプソなど、アメリカのジャズにはあまりない要素が入っていて新鮮です。


今年にファーストアルバムをリリースした、Nubya Garcia。 いろんなメディアで、2020年の
ジャズのベストアルバムに選ばれています。

これはイギリスのジャズ・シンガー、Zara McFarlane。アメリカのジャズ・シンガーとは趣が異なります。 


そんなわけで、2020年も残すところあと一日となりました。
私は明日の大晦日はバイトです。
皆さん良いお年をお過ごしください。

【追記】(2021年1月4日)
2021年1月4日の日経新聞朝刊に、宇沢先生の再評価ムーブメントについての記事が掲載されていました。

昨年から今年にかけ、各界の第一人者が、それぞれの立場から宇沢が問題提起した「社会的共通資本」の今日的な意義を読み解く連続セミナーが開催されている。

宇沢経済学のメッセージ 「社会の幸福」、再考の時

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2020年12月2日水曜日

ミャンマーのゴスガールにワンピースを着てもらった

おそらく一年くらい前に、インフルエンサーになってもらいたいミャンマー人の女の子に商品を渡していました。
彼女はメイクアップ・アーティストで、ミャンマーではメジャーな映画やCMの仕事を手がけています。ミャンマー人では珍しいゴス系の子で、視覚的なインパクトも強いので、商品を着てもらったらどうかなと思い、イベントで会った時に似合いそうなワンピースを選んで渡していました。




鼻ピアスをして、バリバリにタトゥーが入った、一見威圧的な見かけの子ですが、中の人はミャンマー人らしい朗らかな子でした。
時間が経って、そろそろ忘れかけていたのですが、昨日になって着用写真を送ってくれました。


 

遠景過ぎて、服のディテールが分かりにくいですが、着用商品はこれです。
チェックのメンズ用のロンジー生地で作りました。




日本でバイト生活をはじめて半年以上経つと、ミャンマーで自分が何をやっていたのか、そもそもミャンマーに住んでいたことさえ定かでなくなってきましたが、久しぶりに思い出しました。
現状、いつになったらミャンマーに戻れるのか、戻ったところで経済活動ができるのかもわかりません。
とりあえず、バイト生活しながら気長に様子見するつもりです。
ブランドのコンセプトを変えようと思っていたところなので、リセットするのに良い機会だったと思うことにしています。

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2020年9月13日日曜日

コロナの影響でヤンゴン地区の独立国家化が進んでいる

ヤンゴン地区でのコロナ拡大に伴い、タウンシップ(日本でいうところの区(世田谷区、渋谷区 etc.))間の移動が制限されているようです。これを受けて、在ミャンマー外国人の間で、タウンシップを独立国家に見立て、新しくデザインされた国旗がFacebook内で拡散しています。
「新しい国のビザはどこで取ればいいの?」とか「ヤンキンは何国になったの?」とかのコメントがタイムラインに飛び交っています。
新国家の国旗は、25近くあるようですが、そのいくつかをここでご紹介します。
サンチャウン連邦
私が戻ったらここの国民になります

ミニゴン諸島
ミニゴンは、サンチャウン区内の地区ですが、自治区として独立したようです。
 
サン・ミニゴン
同じくサンチャウンのミニゴン地区にできた自治区
外国人が多いエリアなので、租界みたいに自治区が多いのかもしれません

インセイン共和国

ノースダゴン王国
 
パソーダン州

ノース・オカランド共和国
 
ダラ島
独立国家となったようです

タムウェイ共和国

ダゴン国

たぶん、みんなステイホーム中で暇なので、国旗のデザインとか始めたんでしょう。
なかなか洒落が効いていて面白いので、ヤンゴンに残ってる皆さんは、新国家の国旗のデザインをしてみたらいかがでしょう。
今のところ、日本人のこのムーブメントの参加者は見あたりません。

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2020年8月8日土曜日

東南アジア的な視点から、北九州市の活性化について考えた(3)

ここで近隣の九州では最大の都市、福岡市と北九州市の関係について考えたいと思います。
日本が工業国であった1960年代までは、北九州市の方が圧倒的に大都市でした。
最初の投稿でも書いたように、1950年代の朝鮮戦争の時、アメリカ人将校が遊びに来る街は博多ではなく小倉でした。
その後、平地や河川に乏しいため工業地帯になれなかった福岡市が、1970年以降に起こった日本の産業構造の変化に対応して、サービス業と商業施設の集積に特化したことが功を奏し、両者の地位が逆転します。 両市の人口推移を比較すると、1979年に人口が逆転して以来、清々しいくらいくらいの差が開いています。しかも40年前に始まった、北九州のダウントレンドと福岡市のアップトレンドは、今をもって継続中です。


日本全体で11年連続人口が減少し、ほとんどの自治体の人口減が続く中で、人口が増加し続けている数少ない地方都市として、近年、福岡市は注目を集めています。日本における数少ない成長都市として、福岡に関する書籍も増えてきています。





世界的にも認知度が高まり、イギリスのライフスタイル・マガジン『MONOCLE』では、定点観測する日本の都市として、東京、京都と並び福岡が選ばれています。同誌では2008年に、福岡が世界で最も買い物がしやすい街として選出されています。
ちなみに、2019年福岡市における外国人入国者数は269.5万人に対して北九州市は69.1万人でした。

北九州市と福岡市の関係は、ミャンマーのヤンゴンとタイのバンコクとの関係に似てなくともないです。
ヤンゴンも1980年くらいまでは、バンコクを凌ぐ都会だったと言われています。バンコクの駐在員が、休日はヤンゴンまで日常品の買い出しに訪れていたという、今となっては信じられない話も伝えられています。バンコクが商業施設の集積の集積によって都市としての魅力を高め、多くの観光客や居住者を海外から引き付けているところも福岡と似ています。
雑誌『BRUTUS』がバンコクや福岡の特集を組むのは、両市にグルメやショッピングといった消費の楽しみが都市の中にあるからでしょう。



北九州も福岡に劣らず、食べ物は美味しい(しかも福岡よりも1、2割安い)ですが、ショッピングはちょと厳しい。北九州の若者は高校生くらいになると、高速バスの回数券(JRより運賃が安い)で、福岡までショッピングに出かけるようです。 この辺りも、お金を持ったヤンゴンの若者は、バンコクで買い物するところに似ています。北九州もヤンゴンも消費する都市としての煌びやかさに欠けるところも共通しています。北九州の大型の商業施設では、テナントが埋っていないため閑散とした印象を与えます。
これだけ差が開いた今では、商業施設の集積で福岡市と競争する意味はないため、北部九州の都市として棲み分けを図るべきでしょう。
そもそも、地勢上工業地帯が作れなかったため、サービス産業を中心とする商業地域として発展したきた福岡市と、重工業を中心とする製造業で過去に繁栄した北九州市では歴史的な経緯が異なります。北九州市は、生産地であったことが都市の成り立ちに大きな影響を与えています。
そこで基本に立ち戻り、北九州市を生産者にとって魅力的な街として再生してはどうかという提案です。
といっても大きな工場を誘致しようとか、そういう話ではありません(そういう活動は、すでにやっているでしょうし)。
シェアアトリエpopolato3comichiかわらぐちといった遊休不動産をリノベーションして、地場のクリエイターや独立自営業者に提供する試みを拡大して、東南アジア地域からもテナントを誘致してはどうかという提案です。

前の投稿にも書きましたが、生産年齢人口が減少が続く地方で、個性的で魅力的なテナント候補となるクリエイターや個人事業主を次々と見つけるのは、簡単なことではないと推測します。そしてプレイヤーの層が薄いため、魅力的なテナントが去った後に、同じレベルのテナントで埋めるのは難しい。ならば、生産年齢人口が日本に比べて多く、経済成長が続く東南アジアから人材を呼び込めれば、魅力的な場作りを通じて、街の再生へと繋がるのではないでしょうか。

たとえば、タイのバンコクには、チャトチャック・ウィークエンドマーケットのような、テント形式のテナントが1万5000店舗を超える巨大な市場があります。出店者のすべてが自社ブランドの商品を販売しているわけではありませんが(おそらく10%弱がオリジナル・ブランド)、ここを出発点として、成長ステージ毎に売り場をグレードの高い商業施設へと出店・移転してゆくブランドも散見します。創業時は、チャトチャック・ウィークエンドマーケットのみの出店だったのが、認知度が上がりと売り上げが伸びると、ターミナル21やサイアム・センターなどの中心街のショッピングモールにも出店する。プレイヤーの層が厚いため、仮に成長したブランドが去った後も、別のブランドが後を埋めて、売り場の新鮮さを保っています。外国人旅行者のみならずタイ人の買い物客も多いのは、商品やブランドの入れ替わりが適時あるからでしょう。


 チャトチャック・ウィークエンドマーケットの独立系ブランドが並ぶ一角

インキュベーションを目的として作られたわけではない雑多な商業施設が、独立自営業者やスモールビジネスの登竜門として機能しているのは興味深いです。
たしかに東南アジアらしい怪しげなコピー商品も多いのですが、独立系ブランドの商品のクオリティは、日本の地方物産展などで展示されている商品よりもデザインが洗練されていたりします。
普段はミャンマー在住で、約2ヶ月毎にビザランでバンコクへ行くため、5年以上定点観測していますが、ここ4、5年の間に、クオリティの高い独立系ブランドが増えているのを実感します。
バンコクには他にも同規模の巨大なナイトマーケットが5つくらいあります。これは外国人旅行者を含めた巨大な消費者層がいることはもちろん、売り場を埋めるだけのプレイヤーが存在するから成立しています。
規模はずっと小さくなりますが、ミャンマーにもThe Makers Marketという地場の素材を使用した独立系ブランドの展示即売会が月に一度開催されています。


 ミャンマーのローカルメイドの物産展のThe Makers Market

現在、北九州では、遊休不動産をリノベーションして、地場のクリエイターや独立自営業者に提供する地域活性化策が地元の有志によってなされていますが、これを地理的に近く、プレイヤーの層が厚い東南アジアからクオリティの高い独立系ブランドにも開放すれば、より魅力的で集客力のある空間になりそうです。
福岡市の福岡アジア美術館内にロンファという東南アジアのグッズを販売しているセレクトショップがありますが、こちらが平場でそれぞれの国の物産を販売しているに対して、ブランド毎にブースを区切って、ブランドの世界観を見せる施設とすれば差別化できるのではないでしょうか。

実現させるには、通関や検疫などの問題をクリアする必要もあるし、仮に外国人が居住してビジネスをするとなると在留資格をどうするかなどの問題も生じるでしょうけど。経済特区として例外措置を認めるなどの、行政の協力も必要になるかもしれません。

それ以前に、頼んでも来てくれるかどうか不明です。タイのイベント・オーガナイザーや独立系ブランドのオーナーは、富裕層が趣味でやっている場合も多いです。タイ人富裕層は、大方の日本人よりも遥かにゴージャスで洗練されたライフスタイルを送っています。ヨーロッパの高級ホテルを泊まり歩いたり、東京に来た時はヨウジヤマモトとコムデギャルソンをまとめ買いしたり、九州で温泉巡りする時は車をチャーターして各地の高級旅館に泊まりながら九州を横断したりと、今の日本人の多くができないような(私を含む)ラグジュアリーなライフスタイルを謳歌しています。地味な日本の地方都市に、彼らが進出する魅力を感じるかどうかは分かりません。とりあえず人が来るかどうかは別として、商品だけを置かせてもらえるように交渉するのが現実的かもしれません。

望みがあるとすれば、タイではビームスやユナイテッドアローズなどのセレクトショップが若者に人気なことです。海外のスタイルを日本的にアレンジする、日本人の編集力が評価されています。逆に言うと、ビームスやユナイテッドアローズも知らないようだと相手にされません。タイに住んで長い日本人の方が、昔は自分が日本人ということで、日本の情報を聞いていてくれたが、今の若いタイ人からまったく相手にされないとこぼしていたのはこうした事情によります。


タイで出版された九州のガイドブック
西新の裏道にあるパン屋から大名のマンションの一室に構えたセレクトショップなど内容が異様にマニアック
おそらく福岡在住タイ人による取材

北九州エリアは、人口が減少し続けているため、中心地にも遊休不動産があるという福岡にはない環境を強みに変えてはどうでしょうか。
現在の北九州で起こっているリノベーションによる街の再生プロジェクトのテナントとして、東南アジアから広義の生産者(独立系ブランドのオーナー)加われば、多様性の広がりとクオリティの向上によって、より魅力的で集客力のある空間になりそうです。
検疫、通関、在留資格等の法律的な問題と共に、こうしたプロジェクトに理解のある物件オーナーを見つけるのもそう簡単ではないかもしれませんが。

タイとミャンマーなら日本に持って来ても競争力のある独立系ブランドをいくつか知ってますので、ご関心のある方はお声がけください。おそらくベトナムにもありそうですが、ベトナムの事情は知りません。
東南アジアからから生産者が集まる集積地となれば、もしかしたら今の北九州に広がる広大な工場跡地の使い道も見つかるかもしれません。東南アジア諸国の独立系ブランドの小規模な工場が、製鉄所の工場跡地に並んでいる未来の光景を想像したら楽しくなりませんか。

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2020年8月6日木曜日

東南アジア的な視点から、北九州市の活性化について考えた(2)

前回の投稿では、北九州市の気風やそれが形成された経緯について述べました。 製鉄業を中心とする重工業産業が、この街から去って久しいですが、そうした産業が隆盛だった時代の痕跡を未だに街を歩けば目にします。

たとえば、24時間営業のうどんを中心とする定食屋の「資さんうどん」や、こちらも24時間営業の海産居酒屋「磯丸水産」。



いずれも夜勤明けの工員達のために終日営業としていたのでしょうが、今も客層を変えながら同じ営業形態で続けているのは驚きです。工員向けの店だっただけあって、やたらご飯の盛りが多い。最初は、頼んだものが出てきた時に、「あれ、大盛頼んだっけ?」と途惑ったものです。
日本に全国チェーンではない、こうした地場の24時間営業の飲食店や居酒屋がある場所は、今ではそうないのではないでしょうか。

その一方で、代官山とか福岡の大名にありそうな、コーヒースタンドを備えたセレクトショップが出来ていたりします。


そうはいっても、製造業が去った後の主力産業が見つかっていない都市なので(人口減と高齢化の予測値は政令指定都市の中で一位)、街の中心地でも空きテナントが目立ちます。


製造業の撤退による人口減や高齢化、そして生産年齢人口の減少による活気のなさなどは、80年代からずっと続いてきた傾向なので、特に驚きはありません。
しかし、今回、久し振りに北九州で暮らしてみて気がついたのは、以前には見かけなかったタイプの個性的なお店や施設が増えてきていることです。

こちらは、古い長屋をリノベーションしたcomichiかわらぐちというプロジェクトです。


テナントの一つにアウトドアセレクトショップがありました。今年の6月1日に新しく入ったテナントです。



カウンターもあって飲食ができる作りになっています。店主にお話を聞いたところ、「北九州には、パタゴニアもノースフェイスもないので、自分でアウトドアショップを作りたかった。街のコミュニティ・プレイスとして機能させたい」ということです。


テナントの中には角打ちもあって、私が行った時に、ちょうど昼飲みを終えて出てきた労務者風の酩酊した初老の男性を見かけました。こうしたお店があるのも北九州らしいです。
北九州には昼飲みができるお店が多く、休日は昼からはしご酒をして、早い時間に帰って寝て、翌日の出勤に備えるという文化があるようです。これも工場労働者が沢山いた時代の名残りなのでしょう。


この物件のリノベーションを手掛けているのは、北九州家守舎という、北九州市内の遊休不動産解消の為、リノベーションを通じた街の再生、事業の創出、人材の育成をミッションとする企業体です。この物件の他にも、北九州でのリノベーション・プロジェクトを手掛けています。

これらのプロジェクトは、通常の建築案件のように、設計して、施行した完成物件を引き渡して終わるのではなく、 オーナー・設計者・テナントの3者でリノベーション費用を分担して、設計者(北九州家守舎)はオーナーから一括して借りた物件を各テナントへサブリースして、テナントからもらう賃料とオーナーに支払う賃料の差額から、建築費用を回収するという仕組みで運営されています。設計した側がリスクと責任を取る代わりに、きちんとテナントが入れば継続的に利益が得られるという仕組みです。
遊休不動産を、地場の個人事業主やクリエイターの活動の場となるようリノベーションし、物件のオーナー、設計者・仲介者(北九州家守舎)、個人事業主・クリエイター3者がそれぞれ利益を上げ、魅力的な場作りによって地域を活性化する試みです。
中央の大手資本が店舗が入居することは、オーナーにとっては魅力的ですが、そうした大手資本は地域の活性化や共同体への寄与には無関心なため、会社の求める最低限の収益性を見込めなければ出店しないし、仮に出店しても当初の収益予想が外れればすぐに撤退します。現に小倉駅前の大型商業施設は、伊勢丹が撤退した後テナントが埋まらず、建物の三分の二程度が空きテナントとなっています。人口の減少が続く北九州市のような立地では、小売業などの業種では、経済合理性だけで事業を継続するのは困難です。

北九州家守舎の存在と活動は、この会社の代表取締役の一人でもある嶋田洋平氏の著書を読んで知りました。
人口が継続的に減少して、遊休不動産が増加し続けている環境では、新築の物件を建てる社会的な意義は失われており、むしろ効果的な既存物件のリノベーションを施すことが、地域の発展、地場資本によるビジネスの活性化、地元で創業する人材の育成などに寄与するという、「建てない建築家」嶋田氏の主張と実践が紹介されています。
少子高齢化と生産年齢人口減少が進む日本の中で、処方箋の一つとなる、示唆に富む内容の本なので、そうした問題に興味のある方にはお勧めです。


ただし、いくら理念や志が素晴らしくても、現実的に実践して、運営していくのはかなり難しそうです。
複数の物件を見ていて感じたのですが、テナントのクオリティを保って、物件の価値を維持するのが難しい。最初は個性的な地場のクリエイターをテナントとして誘致して、物件の価値を向上させ、地域を刺激することができても、そのテナントが出た後に同等のクオリティの新規テナントで埋めることがなかなかできないように見えました。競争力のあるテナントは、出店してある程度目途が立つと、ネット通販に切り替えたり、東京へ進出してしまうことがあるようです。
地方だとプレイヤーの層が薄いので、個性的で魅力的なテナントとなるクリエイターや個人事業主を次々と見つけるのは簡単ではありません。かといって、収益性を重視して、一定のクオリティに達していないテナントを入居させると物件の魅力は下がるし、地域の活性化にも繋がりにくい。
そもそも生産年齢人口が縮小の一途を辿っている北九州市のような都市で、新たな候補が次々と育ってくるという予想も立てにくい。

だったら、生産年齢人口の相対的な比率が日本よりも高く、絶対数も多い東南アジアからクリエイターや個人事業主をこのようなリノベーション物件に誘致してはどうだろうというのが、本稿の趣旨です。
そのアイディアの詳細については、次回の投稿に書くことにします。

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2020年8月3日月曜日

東南アジア的な視点から、北九州市の活性化について考えた(1)

6月、7月とここ2ヶ月の間、北九州市の小倉に滞在しています。
こんなに長く日本にいるのは、ミャンマーに住みだしたここ8年ではじめてです。北九州市にこんなに長くいるのも30年ぶりくらいです。実家は北九州にあるものの、これまで年に一度、一週間程度一時帰国した時は、国際空港の近い福岡市に滞在していました。見つかったバイトが北九州市だったので、ここに滞在しただけで、それ以上の理由はありませんでした。
今回の滞在で気がついたのは、30年前とは街の雰囲気が変わりつつあることです。
過去の衰退した工業地帯都市独特の荒廃した雰囲気がだいぶ薄らいでいる。
昔は、夜に女性の一人歩きができないような、暴力的で殺伐とした雰囲気の街でしたが、今はなんだかゆるくて、ほのぼのしています。

ほんの20年くらい前までこの地は、暴力団組合員のプレイを断ったゴルフ場のグリーンに重油を撒かれて、マネージャーが胸を刺されて死亡したり、入店を拒んだクラブのママが顔を刃物で切られたり、入店を拒まれた別の店では手榴弾を投げ込まれたりする事件が相次いでました。
2006年より福岡県警が本気で暴力団の摘発に取り組み、現在では、ほぼ暴力団の活動は根絶されたようです。


今では、自治体が過去のイメージを払拭して、移住者を増やすためのプロモーションビデオまで作られています。


そもそも北九州市の小倉は、先の大戦で空襲を免れたため、戦後復興が最も早かった都市でした。その後、工業都市として、1950年代の朝鮮戦争の特需で潤い(空襲を免れたため、軍需工場が残っていたらしい)、日本が西側の製造業を担うアジア唯一の工業国だった1960年代には隆盛を迎えました。日本で初めてアーケード商店街ができたのも、北九州の小倉です。このアーケードは、政府の補助金ではなく、商店街の店主達によってその建設費が賄われました。

ロバート・アルトマン監督の朝鮮戦争を舞台としたブラック・コメディ映画『MASH』では、不良アメリカ人軍医達が、息抜きに、戦場から近い日本の地方都市の小倉でゴルフや芸者遊びを楽しむシーンがあります。私がこの映画をビデオで観たのは1990年代でしたが、なぜ登場人物達が福岡に遊びに行かないのか不思議に思ったものです。映画を観た当時は知りませんでしたが、朝鮮戦争があった1950年代には、小倉の方が福岡よりも圧倒的に拓けた都会だったからです。


日本の経済成長に伴い人件費が上昇し、北九州の主力産業であった鉄鋼業などの製造業が競争力を失ない、産業構造が変化しはじめた1980年代から街の衰退がはじまります。近隣の地方都市・福岡市との人口が逆転したのが1979年です。
北九州のダウントレンドと福岡市のアップトレンドが交差したこの時から、現在に至るまでこのトレンドは継続し、今では商業施設の集積度や人口で大きな差がついています。街を歩いて、両市を見比べてみると、別に統計の数値に頼らなくても、街の活気や洗練度や多様性で大きな差があることが体感できます。

北九州市には、工場や製造業を中心とする企業が去った後も、工場労働者的あるいはブルーカラー的なエートスは残りました。企業の管理職はその場所での仕事がなくなれば転勤によってその地を去りますが、現業に従事する労働者の多くは、その地に残り続けるからです。

工場労働者を支えるエートスについては、イギリスの文化社会学者ポール・ウィリスによるエスノグラフィ『ハマータウンの野郎ども』がその嚆矢とされています。
実は読んでないので、ググった記述を以下に貼って、本書の概要を説明します。
ウィリスが行ったフィールドワークは,イギリス中部のある伝統的な工業都市を舞台にしている。『ハマータウンの野郎ども』のなかで〈野郎ども〉the lads と自称したのは、当該地域のセカンダリー・モダン・スクールに通う白人労働階級出身の若者たちである。彼らは,教師への反抗やからかい、飲酒、喫煙、逸脱的なファッション、笑いふざけなどを「反学校の文化」として実践する。
 『野郎ども』は学校で勉強をするのを忌避し馬鹿にしているが、自分たちはパブやケンカなどでの「社会勉強」のほうが重要と考えているのであって、むしろ学校の机での勉強しかしていない奴よりかはよっぽど社会のしくみに長け、人間としては上であると考えている。

 勉強とか、先生の言うことばっかり聞くことで、青春という人生の大切な時間が失われるなんて馬鹿げている。青春時代こそ自分のやりたいように生きるべき。 

彼らの「成人した男性労働者の世界=職場の文化」に対する憧れ,イメージは、次のようである。すなわち,「異性にかかわる欲望や『大酒喰らう』性癖や『ズラかろうぜ』という暗示や、その他さまざまな感情を、野放図にとまではゆかいないまでもほどほどに自由に表現できる場所、職場とはそういうところでなければならない。

日本のヤンキー的な価値観と極めて酷似しています。
統計はないでしょうが、かつての北九州市は、おそらく日本一ヤンキーの多い都市でした。
こうしたブルーカラー的な価値観が、世代を超えて継承されていくところも、日本のヤンキー文化と共通しています。

そして『ハマータウンの野郎ども』では、彼らが必ずしも反社会的な価値観の持っているわけではなく、むしろ社会を下支えする階層として、資本主義システム内に組み込まれている構造が明らかにされています。
野郎どもは学校の体制や教師に反発するけど、学校に行くこと自体は否定しない。いや、学校へは仲間に会えることや面白いネタがあることなどにより、むしろ喜んで通っている。

単純労務作業は、普通ならばだれでも嫌がる。仕事はキツイのに給料や社会的地位は低い。でも、それをこなせるやつだからこそ、『真の男』と認められるのだ。
つまり学校や職場といった場所や制度そのものには、異議申し立てはしない、むしろ伝統的・保守的な価値観を持った階層であり、それゆえ資本主義システムを構成する工場労働者として制度の中に組み込まれていた。これも北九州市の工場労働者の在り方と共通しています。
産業構造の変化により、イギリスから工場という職場が失われた1970年代後半に、労働者階級発のユースカルチャーとして、既存のシステムそのものを否定するパンク・ロックが登場したのは示唆的です。
奇しくも『ハマータウンの野郎ども』が出版された1977年に、パンク・ロックというジャンルを決定づけたセックス・ピストルズの1stアルバムがリリースされています。
ちなみにローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズはインタビューでミュージシャンになった理由を聞かれて、「工場で働いて、上司に『イエス、サー』というだけの人生を送りたくなかったから」と答えています。

いま日本でベストセラーになっている在英日本人ブレディみかこさんの『ワイルドサイドをほっつき歩け --ハマータウンのおっさんたち』は、「野郎ども」の50年後の現在が描かれてたエッセイです。
今では元「野郎ども」現「おっさん」は、自分の子供や年少者に「いま俺のやっている仕事は、これからAIに代替されてなくなるから、お前は大学行け」と過去の労働者階級のイギリス人なら絶対に言わなかったであろうことを言うようになっているそうです。


こうしたヤンキー的・「ハマータウンの野郎ども」的なエートスが街に漲り、加えて暴力団などの実際に反社会的な組織が幅を利かせる地域であったため、北九州市は「修羅の国」というありがたくない名称をネット内で拝命することになってしまいました。ちなみに2012年に実施された、同市の若者アンケートでは、北九州市のイメージについての回答で最も多かったのは、「暴力・犯罪」が一位で、62.5%をマークしています。

でも、2ヶ月ほど滞在していみると、30年前とはずいぶんと様相が違うことに気がついてきます。

北九州市のたどった経緯をざっと振り返るだけで、かなり紙(モニター)幅を費やしたので、今はどんな風に変わってきているのかについては次回に書くことにします。

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2020年7月11日土曜日

ただいま日本でバイト中~昭和の仕事はゆるかった?

6月に引き続き日本の某地方都市で、特別定額給付金のデータ入力のアルバイトをしています。
当初は、8月までこの仕事がある予定でしたが、入力作業が予想より早く終わって、7月末で業務がなくなりました。
大量のアルバイトを雇って、一日10時間投入作業に従事させて、さらに途中から追加の人員まで補充していたので、請負会社の予想より1ヶ月以上前倒しで、ほぼデータ入力が完了しました。当初の契約通りの日数を出勤していますが、先週から作業時間より待機時間の方が長くなりました。一か月前に、肩こりと眼痛と戦いながら、長時間ぶっ通しでPC入力作業に従事していたのが遠い過去のように思われます。

ひたすら入力作業をしていた時期につらつら考えていたのは、「そういえばこうした仕事も昔は正社員がやってたな」ということです。私が公社系の電話会社に新入社員として入った頃、アルバイト先の仮設オフィスで行われているデータ入力作業もコールセンター業務も正社員の仕事でした。
今では、派遣会社と契約したアルバイトが同じ作業をしています。
アルバイトを統括するグループリーダーもどうやらアルバイトです。バイト長みたいなものですね。

昔の会社員は、今ではアルバイトがしている作業に従事して、それほど豊かではないものの、家のローンや子供の教育費を何とか賄えるだけの賃金を貰ってたことを考えると隔世の感があります。
もちろん、コールセンターなどの部署を束ねる管理者も、正社員の課長でした。

これだけを見ると、昔はゆるい仕事で生計が楽に立てられたように見えます。
タイムリーに、以下のようなニュースがありました。

「昭和時代にサラリーマンをやりたかった」という投稿に反発相次ぐ 「普通に働いていればそれでよかった」というのは本当なのか

しかし、必ずしも「昔はゆるくて良かった」と言い切れるものでもありません。
上のニュースにもありましたが、全員正社員・終身雇用が前提だと、とにかく組織の同調圧力や村社会ぷりが激しく、風通しの悪いことこの上ないというのが、当時の実感です。
社内の飲み会は強制参加、結婚式の仲人は直属の上司、特に仲が良くなくても同じ部署の社員の結婚式には出席、管理職の引っ越し作業に休日返上で参加、長くその部署に居る人間が牢名主化していてうかつに逆らえない等々、もはや会社は仕事する場というより一種の村社会的な共同体でした。
仕事とは直接関係ないのに、これらの不文律を破ると、仕事や人事評価に影響するという極めて透明性の低い場所でもありました。
バイトでもできる作業の管理に正社員の課長を据えていたのも、昔は労働組合がやたらと強く、現場の管理職に解決不能な無理難題を要求したり、組合員による鬱憤晴らしの突き上げなどが頻繁していたからという面があります。
事務能力の有無よりも、理不尽な罵詈雑言に耐える我慢強さがのある中年男性が、こうした部署の中間管理職として選ばれ、上層部へ組合員の突き上げが波及する防波堤となっていました。
私が入社する前は、一部の組合員が調子に乗って、中間管理職に暴言を吐いたりすることもよくあったと聞きました。

90年代に入ってから、業務や作業の内容による賃金の国際標準化が進み、単なる作業従事者が非正規雇用者に取って代わられ、生計のための十分な賃金を得ることは難しい時代になりました。
地域コミュニティの破壊とか、環境負荷の増大とか、あくなき利潤追求のため安全性の棄損とか、いまや諸悪の根源とされるグローバル資本主義ですが、単なる作業しかしていない人間が夜郎自大に威張り散らすという状況がなくなったのは、グローバル資本主義の正の側面だと個人的には考えています。こうした国際標準化の圧力にさらされているのが、現業の従事者だけで、経営層に及んでないことは大きな問題ですが。

では、今の方が良いかというとこれも微妙です。
最近、ナイキの創業者フィル・ナイトの回顧録『SHOE DOG(シュードッグ) 』を読んだのですが、ナイキがアメリカの銀行から取引を中止されて、1975年に会社が潰れかけた時に、資金を提供して会社を救ったのは、日本の商社日商岩井の駐在員でした。

当時のナイキの取引銀行バンク・オブ・カリフォルニアに、日商岩井の駐在員 伊藤氏が、創業者フィル・ナイトと共に訪れた部分を引用します。
イトーはあごを撫でながら自分で切り出そうとした。彼は直ちに本題に入った。忌々しい本題に。彼はホランドしか相手にしていなかったが、「みなさん」と前置きした。「私の理解では、ブルーリボン(註:ナイキの前身)との取引を今後は中止とするようですが」
ホランドはうなずいた。「そのとおりです。ミスター・イトー」
「それならば、日商岩井がブルーリボンの借金を返済します。全額」
ホランドが目を凝らした。「全額……?」
イトーは低く、声にならない声で返事をした。私はホランドをにらみつけた。私は、これが日本人だと言ってやりたかった。言葉を詰まらせながらでも。(同書 P386-P387)

これは銀行の横暴を見かねた伊藤氏の義侠心(とナイキの将来性を信じた)から出た判断で、上層部の許可を得ていない独断でした。後日談として、伊藤氏はこの独断によって、本社から一度は解雇と帰国命令を発令されています。


ちなみにナイキのポートランド本社には、この故事を感謝して、日本庭園 日商岩井ガーデンが敷地の中心部に造園されています。
昭和の時代は伊藤氏のように、馘首されるリスク取ってまで挑戦するサラリーマンがいたのには驚かされます。今のサラリーマンは汲々として、自己利益と自己保身しか考えられない小役人タイプが跋扈しているので。
日本経済全体が右肩上がりだった時期と、人口が減って縮小しつつある現在との環境の違いもありますが。
ただ、日本からこうした義侠心に富んだり、リスクテイクできる人間が完全に払底されたわけではなく、職業選択の幅が広がって、そうしたタイプの人間はサラリーマンを職業として選ばなくなったという要因も大きいです。起業や独立自営業なども、ネットの発達で、昭和の時代に比べれば、格段に始めやすくなっていますし。

価値観や美意識は時代を経ると変わる事もあり、物事には正負の両面があるので、一概に比較はできません。ただ、真面目で従順なだけなのが取り柄の人でも食いっぱぐれなかった時代から、何らかの新しい価値観や美意識を提供できないと食い詰める可能性が高い時代に移行しつつあることは確かです。

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