2018年11月7日水曜日

ミャンマーで経営と美意識の関係について考えた

少し前に日経ビジネスオンラインで、西武百貨店の経営者であり、無印良品などを世に出した故堤清二氏についての特集記事が組まれていました。
生前堤氏と社内、社外で仕事関係にあった諸氏や社会学者や著述家に、堤氏が残した業績や迎えた蹉跌、そして経営や意思決定の基盤をなしていた哲学や思想について各人の視点から語る形式で、堤氏の多面的な人物像を様々な角度から浮き彫りにするという企画です。
読んでいて、かなり早い段階から現在では個人消費の主流となっている自己実現型の消費について意識的で、非常に先見性の高い人だったことを再認識しました。

1980年代前半にコピーライターの仲畑貴志氏との協業で生み出された「なーんだ、探していたのは、自分だった。」といったセゾンカードの広告コピーは、消費による自己実現という現在の消費形態を早い段階で見抜いていたことを直裁に示しています。


こうした消費形態のあり様は、フランスの思想家ジャン・ボードリヤールが1970年に発表した著書『消費社会の神話と構造』で明示的に言及されたことが嚆矢とされています。
ボードリヤールは、先進国の消費をその商品がまとうコード(記号性)を他者に示すことで、「自分らしさ」(オリジナリティ)を主張し、他者との差異及び個人のアイデンティティを社会の中に位置づける行為と定義しました。

私が最初にこういった消費形態を自覚したのは、高校生の頃に雑誌『POPEYE』の創刊のエピソードを何かで読んだ時です。
同誌がアメリカのサーフカルチャーを中心とした西海岸のサブカルチャーを紹介する雑誌として創刊を準備していた時に、周囲の出版関係者の反応は冷ややかだったそうです。その時代に日本のサーファーの数は3000人程度で、そんな小さなマーケットを対象とした雑誌が売れる訳がないというのが大方の関係者の予想でした。
しかし、いざ1976年に『POPEYE』が創刊されると大方の予想を裏切る形で売り切れする書店が続出し、その後の日本のユースカルチャーのあり方を大きく変える契機とさえなりました。
この成功は、読者が実際にサーフィンをやっているとかアメリカ西海岸的なライフスタイルを送っていることとは関係なく、その時代の若者が求めていた無意識の欲望や、なりたい自己像の要求に応えたことに起因しています。『POPEYE』を読んで、こんなことを知っている自分は、こういう人というアイデンティティ形成の道具として購入されたからこそ、当時のサーフィン人口の数十倍の規模で雑誌が売れることになりました。

通常のマーケティング的な視点を無視して同誌を創刊した初代編集長の木滑良久氏には、これが当時の日本の若者の多くが求めている自己像(アイデンティティ)だという確信があったのでしょう。

このような論理を超えた意思決定の基盤を成す事象を、一般に美意識とか審美眼とか哲学と呼ばれています。そして、こうした感覚の礎となるのは、アート、哲学、音楽、文学などの人文科学の素養です。先に述べた日経ビジネスオンラインの特集で、堤氏について以下のように語られています。

今の経営者はなぜ「月」の夢しか抱けないのか
でも、(筆者註:今の経営者は)一様に文学的、社会科学的な想像力が脆弱すぎる。 堤清二と今の経営者の違いは何だろうと考えながら、改めて彼の本を読み直して痛感したのは、マルクス主義とロマン主義(文学)の素養です。現代の経営者はそこをちゃんとやって来ていない。
今年の二月にビザの申請に一時帰国した時に読んだ山口周著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)』にも同様の指摘がありました。


以下は、この本を底本にして論を進めます。
著者の山口氏は、近年、欧米諸国のエリートがアートの勉強を熱心にしていることを冒頭で述べています。
これは、別に彼らが単に教養を身につけたいからというわけでなく(多少はそれもあるでしょうけど)、業務の遂行上必要だからです。

必要である理由は、次の3点に要約されます。

1) MBA的な論理的な方法論から導かれる解のインフレ化が著しい
昔と違い今や論理的な思考や経営理論はコモディティ化しています。もちろん論理は必要ですが、論理だけをベースにして競争すると導かれる解が競合他社と同じになるため、必然的に過当競争の中に身を投じることになり、価格競争や営業力に過度に依存する体力勝負のビジネスとなり社員が疲弊します。
国民の平均年齢が若くて、相対的に賃金の安い国ならその戦略もしばらくは有効でしょうが、少子高齢化が進み成熟国家となった今の日本では無理です。
今の日本に蔓延する閉塞感は、老馬に鞭打って馬車馬を早く走らせようとするような旧態依然とした経営スタイルに依るところが大きいです。
近年相次ぐ、東芝、三菱自動車、電通などのコンプライアンス違反は、他社と差別化した有効な経営戦略を打ち出せない経営陣が、現場に実現不能な目標を突きつけて達成を求め続けた結果、現場が不正に手を染めざるをえなくなったということに原因があります。
同様な事件が何度も後に続いていることからも、多くの日本企業に共通する問題だと言えます。
高度成長期には、アメリカという目に見えるお手本があったため、日本企業にはヴィジョンなど必要なかったわけですが、成熟国家となった1990年代から途上国・中進国と同様のキャッチアップ戦略を取ることは難しくなりました。
そのため、美意識や哲学をベースとしたヴィジョンから生み出される、独自性を備えた付加価値の高い財やサービスを市場に提供することが求められて久しいです。

2) 世界的な規模でボードリヤールが言及した自己実現市場化が進んでいる
技術のコモディティ化、製造業のモジュール化が進み、それによって人件費の安価な途上国でも工業製品が製造できるようになったことも相まり、便益や機能で差別化して価格に反映させることが難しくなりました。
そのため、「現代社会における消費というのは、最終的に自己実現的消費に行き着かざるを得ないということであり、それは消費されるモノやサービスはファッション的側面で競争せざるを得な(P104)」くなっています。
「アップルが提供している価値は『アップルを製品を使っている私』という自己実現要求の充足であり、さらには『アップルを使っているあの人は、そのような人だ』という記号(P104)」であるなら、アップルはもはやIT企業というより、むしろファッション企業に近いとも考えられます。実際にアップルは、2013年に英国のバーバリーのCEOだったアンジェラ・アーレンツを小売・オンラインストア部門のヘッドとして抜擢しています。
こうした社会で必要となるのは「何がクールなのか」という分析的な知性よりも、「これがクールなのだ」と宣言するような創造的な態度です。
現代の経営で「リーダーの美意識」言い換えればヴィジョンが問われる場面が増えたのは、このような背景があります。

3) 環境の変化に法等の社会的ルールが追いつかない
もちろん、ヴィジョンには人を共感させるような真・善・美が含まれていなければいけません。
日本のネットベンチャー企業(?)がコンプガチャなどのサービスで、事後的に社会的に指弾され追求されたのは、経営陣に収益性以外の審美的・倫理的な価値基準を持っていなかったからです。
対して、Googleは、「邪悪にならない(Don't be evil!)」という社訓を掲げています。AIの研究に関しても「人工知能倫理委員会(AI ethics board)」を設けています。
著者は視座・見識の高さで、日本のネットベンチャーとは「『格が違う』と感じずにいられません(P136)」と述べています。

現代の経営には、真・善・美に基づくヴィジョン、あるいは創造的な財やサービスを生み出す基盤となる美意識が必要となっている。しかし、多くの日本企業はそうした環境変化に対応できていない。そして、それは社会を覆う閉塞感の原因ともなっている。

こうした事情は、日本の大企業や役所に身を置いた経験がある人は経験則で知っていることとも言えます。簡単に言えば、そうした組織には「勉強のできるバカ」が多い。
ここでは、「勉強のできるバカ」を「偏差値の高い大学を卒業しているが、アート・文学・音楽などの人文科学的な教養のバックグラウンドのない人」と定義しています。
自分が学生時代に勉強ができなかったひがみを差し引いても、私もサラリーマン時代に日常的にそれを感じていました。日本の会社組織には、体系的な教養を下敷きにした審美眼・美意識の高い人が少ないし、仮にそうした人がいても重要な意思決定ができるポジションまで上りつめることは滅多にない。
著者は戦略系コンサルティングファームに属していた時期に、高学歴の同僚がほとんど文学に親しんでなかったと述べています。また、オウム真理教の元信者達にインタビューした作家の宮内勝典氏が、世間的には高学歴である彼らがほとんど古典文学を読んでいなかったことに異様さを感じたことについての記述を宮内氏の著書からも引用しています。
著書によれば、戦略系コンサルティングファームとオウム真理教は、組織が「極端に階層的でシステマティック」という点で極めて類似していると指摘しています。

では、創造的な事物を生み出す基礎となる美意識なり審美眼とはどういったものなのでしょう?
本書では、カントの著書『判断力批判』の以下の言葉が引かれています。
美とはなんらかの対象の合理目的性の形式であるが、それは当の合理目的性が目的の表象を欠きながら、その対象について知覚されるかぎりのことである。
超訳すれば、「美意識は意思決定に役立つ感覚だけど、それはこれという理由や裏付けがなく、それについて何となく感じられる概念のこと。」とでもなるのでしょうか?

かなり曖昧な概念で、これを基として重要な意思決定をするのは非常に難易度が高いです。「アート(=美意識、審美眼)」と「サイエンス(=ロジック、データ)」が議論すれば、サイエンス側が有利なのは当然です。過去の事例もデータもなく、「何となくこれがいいから」、「これが美しいと感じるから」という感覚で他者を説き伏せることはほぼ不可能です。
そのため、著者は組織において「アート」を「サイエンス」の上位に置く必要性を説いています。スティーヴ・ジョブズにしても盛田昭夫にしても、創業者であった経営者は、たとえ自社の役員が反対しても、自らの美意識に基づく大胆な意思決定ができたわけですが、サラリーマン経営者だとそれは難しい。それを実現するためには、CEOに直属するCCO(チーフクリエイティブオフィサー)のポジションを組織内に設ける等の何らかの組織的な仕組みが必要となります。
同時に、やはり経営陣自らの美意識も鍛えなければならない。世界のエリートがアートなどを体系的に学んで美意識を鍛えているのは、こうした理由があります。
著者は、「ごく日常的な日々の営みに対しても『作品を作っている』という構えで接することが必要」だと説いています。

また、著者は侘び茶というコンセプトで茶の湯を体系化した千利休は世界初のCOO(チーフクリエイティブオフィサー)であり、世界が巨大な「自己実現欲求の市場」になりつつある現在、こうした人物を生み出した日本の高い美意識は強力なアドバンテージだと論じています。
私はサラリーマン時代に、自分が属する組織内で高い美意識の持ち主を見たことがほとんどないのでそこまで楽観していませんが。もちろんこれは私がエリートでなかったため、そのようなレベルの人たちとしか接し得なかったこととも関係しているでしょうけど。

そんなの途上国のミャンマーには関係ないじゃないかという向きもあるかもしれませんが、iPhoneの最新型を欲しがるミャンマー人の若者などを見ると「自己実現欲求の市場」の波はミャンマーにも押し寄せていることが、住んでいると皮膚感覚で伝わってきます。
いや、市場環境に合わせることを考えるのではなく、自らの美意識の発露として「『作品を作っているという」志を持って市場に臨むことが、むしろ本稿の提示する結論として正しいでしょう。

最後に、無印良品のアートディレクターとして堤清二氏とも協業した原研哉氏の著書から引用して、本稿を結びます。
センスの悪い国で精密なマーケティングをやればセンスの悪い商品が作られ、その国ではよく売れる。センスのいい国でマーケティングを行えば、センスのいい商品が作られ、その国ではよく売れる。商品の流通がグローバルにならなければこれで問題はないが、センスの悪い国にセンスのいい国の商品が入ってきた場合、センスの悪い国の人々は入ってきた商品に触発されて目覚め、よそから来た商品に欲望を抱くだろう。しかしこの逆は起こらない。(中略)ここに大局を見る手がかりがあると僕は思う。つまり問題は、いかに精密にマーケティングを行うかということではない。その企業が対象としている市場の欲望の水準をいかに高水準に保つかということを同時に意識し、ここに戦略を持たないと、グローバルに見てその企業の商品が優位に展開することはない。
原研哉著『デザインのデザイン』


こちらの本は読んでないのですが、同じような内容と思われる本。
たぶん美意識を鍛える必要性が、日本のビジネスパーソンに急速に広がってきているのでしょう。


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2018年10月30日火曜日

Working House Cafeはサンチャウンのカフェ難民の救世主となるのか?

約一ヶ月前にオープンした、サンチャウンのWorking House Cafeが近所の在緬外国人の間で話題になっています。
The rough cutが去年の10月に閉店して以来、開放的で、リーズナブルで、趣味の良いカフェがサンチャウンから消えて久しいので、サンチャウン・カフェ難民の一人である私も店の建設中から注目していました。





Myanmar Timesの週末号にこのカフェについて、やけに力の入ったレビューが載っていたので以下に翻訳します。
何でこんなに力が入っているのかとも思いますが、それだけヤンゴンに雰囲気が良くて、フードとドリンクの質が高く、かつローカル価格のカフェやレストランが稀少だからでしょう。
ダウンタウン周辺には、小洒落れたカフェ・レストランが増えましたが、ほとんどが観光客もしくは駐在員向けの価格帯の店なので、ローカル・ライフを送っている外国人の足はあまり向きません。
メニューの料理が、5,000チャット以下で、衛生的で、開放的で、インテリアの趣味が良く、Wifiも提供しているというお店は、これまでのミャンマーの飲食店ではかなり画期的です。
あと下記の文中でBGMの趣味の悪さについて、評者が苦言を呈していますが、これはオーナーの選曲ではなく、オーナーがいない時に、勝手にスタッフが自分の好きな曲を店内で流していたのだと思われます。
ミャンマーではこれはよくあります。店の選曲センスが、店内の雰囲気を決定付け、客が店の美意識を推し量る一つの要素であることに、普通のミャンマー人スタッフは無頓着なので。


サンチャウンは記者がよく訪れる街で、そこには、さりげないクールさとリラックスした雰囲気と楽しげな美学が息づいているからだ。ふんだんなローカル・フード・カルチャーとWin Starのように夜に飲み歩きができる場所があり、ローカル的かつ陽気で、いつも小さなローカル店が新たに開店している。すべてが特筆すべきとは言えないまでも、こうした活況は、この街が進もうとしている方向性に貢献している。ヤンゴン政府がサンチャウン・ストリートを歩行者専用にしたら、この場所はナイトライフの中心として発展することだろう。いつものように、勇敢なる記者は、サンチャウン・ストリートをバンパーとバンパーの間をすり抜け、縫うように歩きながら、満足できるローカル・カフェ文化の基準を作ったと皆が薦める店に向かった。そう、Working House Cafeだ。

Working Houseは、目抜き通りの中心からはやや離れているものの、入口の前に立つと、その店構えに印象づけられるであろう。外観はビジネス的だが、一歩店に足を踏み入れると、味のあるモダンな家具とお洒落な照明器具に彩られた、よく考えられた趣味の良い、明るい空間を目の当たりにする。ローカル店が「クール」であろうと頑張り過ぎたときにありがちな、細々とした小物で雑然とした、悪趣味な折衷主義とは一線を画している。中央にはタイルが貼られた台を素敵な木枠で囲った、ウエイターのための基地が設えられている。部屋の空間は非常に効果的に使われているため、実際より広く感じる。それは、快適な照明効果にもよるのだろう。だが、オーナーの紛うことなき趣味の良さからかけ離れた奇妙なBGMが流れていたため、いささか雰囲気を損なっていたことは指摘しておかねばなるまい。

心地よさを感じつつ、記者はメニューを一覧した。鉄板焼き、イタリアン、世界の料理から、選り抜いたアジア料理や軽食まで、ヴァラエティに富んでいて興味深い。最初に目についたのは、ほとんどの料理が5,000チャット以下で、低価格だということだ。このカフェが、幅広い層のローカル客を惹き付け満足させようとしているのか、料理の量と質を反映した結果なのかは、この時点では不明だ。かくして試みに記者とデートのお相手は、焼き飯付きの串焼き鶏、ビーフスープ、キノコをソテーしたガーリックトースト、フルーツドリンク二種類を頼むこととする。

程よい時間を経て、焼き飯付きの串焼き鶏、ビーフスープがやってきた。料理の量に関する懸念はすぐに一掃された。適切な量であるにのみならず、盛り付けにも工夫の跡が見えた。串焼きは、キノコが巻かれた焼鳥だった。添えられた焼き飯は、黄金色に香ばしく炒められ、過度に油ぽくもなく、熱い状態で届けられた。スィートコーンがまぶされ、新鮮な卵がトッピングされていた。 これは注文して正解だった。ちょっと薄味だったので、ミャンマー・ソースで味を足した。リクエストすればチリソースを持って来てくれて、料理と相性が良かった。

ビーフスープは、新鮮で、軽い口当たりで、食しやすく、過度に脂でベトベトしていることも、脂肪の塊が入っていることもなかった。かといって、物足りないというわけでもなく、極めて適切に調理されていた。塩加減も申し分なかった。甘さがある割に、バランス良い後味が舌に残った。記者とデート相手は、この料理に非常に満足したが、入念に重ね合わされたように見える、愛らしい小さなスナックも試すことにした。キノコをソテーしたガーリックトーストだ。

トーストが届くまでの間、評者とお相手は飲み物について論じ合った。
一人は、レモンミント・ジュース、他方はアイス・レモンティーを楽しんでいた。双方とも、フレーバーもフレッシュさも料金に見合っていた。甘過ぎないのは、大変有り難かった。リフレッシュのために頼んだソフトドリンクを気持ち良く飲むための必要条件だ。

そうして、それが到着すると、それは評者がこのところ食した中でもベストと言えるスナックであった。カリカリしていて、薄く、エレガントにスライスされたガーリックトーストの上に、薄切りの揚げたキノコがふんだんに載っている。これは驚きの逸品で、記者とお相手の食欲は再びぶり返すこととなった。あっさりしたキノコの肌理の細かい食感とカリッとしたトーストとこってりしたガーリックバターの組み合わせは、やみつきになりそうだ。

かくして、結論はくだされた。Working House Cafeはおそらくサンチャウンで最高のレストランだ。おそらくヤンゴンでも最高のレストランの一つと言えるであろう。驚くべき満足度の高さに加えて、Wifiも提供している。評者は、残りのメニューもテストすべく必ずここへ戻ってくるであろう、この店が提供しうるサービスの全容を掴むためにコーヒーも試すつもりだ。そして、彼らはデイタイムのオプションもはじめるという。Working House Cafeの食事は、記者には、素晴らしく、ヴァラエティに富んでいて、満足のいくものだった。お時間を取って、ここを訪れることを自信を持ってお勧めする。

Working House Cafe is located at No. 13 A Shae Gone St, Yangon. Reservations: 09 953 388081


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2018年10月19日金曜日

ミャンマーでポストカードを印刷したらもの凄く疲れた

販促用のポストカードのデータをAdobe Illustratorを使って作成しました。
表がカラーで、裏がモノクロの両面印刷のポストカードです。
リーズナブルで、質がそこそこ高いプリント屋をヤンゴン市内で探しましたが、どこも横並びでほぼ同じ価格のようです。だいたい日本の1.5倍くらいの値段で、正直割高感があります。
ならば近所で一番繁盛している店なら安心だろうと、データを持ち込みました。
結果として、もの凄く疲れました。
ミャンマーの仕事の大雑把さを改めて思い知らされました。



持ち込んだのは、上のような折りトンボ(印刷位置のガイド)付きのAdobe Illustrator(ai)データです。原稿サイズはポストカードサイズ。

データを渡してプリント屋のオペレーターの女の子の作業手順を見ると以下のようでした。

1) Adobe IllustratorのデータをAdobe Photoshopのファイルにコピペ
2) コピペ先のPhotoshopのファイルはA4サイズ。ポストカードサイズの画像をA4サイズのファイル上に、一段目は横向きに一つ、二段目は縦向けに二つの計三つを並べる。
3) 2)の手順で作ったPhotoshopデータをPDF形式に変換して、A4サイズの印刷データとする。
4) 上記のPDFファイルのデータは、上述したように一段目は横向きに一つ、二段目は縦向けに二つの計三つの画像があり、A4サイズに印刷された3つの画像を厚紙から手作業で切り抜き

ここでどういう問題が起きたかというと、
1)の作業途中でミスって画像を鏡面反転させる。
2) で、ポストカードサイズの画像をA4サイズに配置する時に、きちんと折りトンボ(印刷位置のガイド)をトレースして合わせないので、3つの画像のポストカード枠内の中の印刷位置がズレる。
また、両面印刷なので、そうした不正確な位置合わせだと、3種類のポストカードの画像・文字の両面の印刷位置がそれぞれ異なる。

DTPについての詳しい説明は省きますが、私の入稿データは、文字データ(ソフトウェア、OS、プリンター依存の描字形式)を全部アウトライン化(画像データ化) しているので、このようにPhotoshopでビットマップデータに変換する必要はありません。
たぶんミャンマーでは、文字データをアウトライン化することが知られていないか、一般的ではないのでしょう。
そのままIllustratorからPDF化しても問題ないと言いたかったですが、作業している女の子がDTPの理屈を理解しているようには見えなかったので、言っても混乱するだけだと思い改善提案は断念。
A4サイズに、画像をコピペして、3つポストカード・サイズを配置するのは、プリント屋にポストカードの用紙がないからでしょう。


鏡面反転のミスは、下のプリントです。
データ作った後に、印刷テストをさせて良かった。
こちらがチェックして、気がつかなかったらこのデータを大量印刷して、後で揉めたはずです。
試し刷りでミスったこのカードにも、その時点で課金しようとしたので、軽くキレました。
訂正させようとすると、一番上のフォントだけ反転させたりします。
違うだろ。このデータ全部が反転してるだろ、人物の向きが逆になっているだろ、と指摘しながら、ああこれはまともに話が通じる相手ではないなとわかる。
ミャンマーあるあるです。
 
とにかく作業が雑で、後ろから見てるとイライラします。きちんと印刷表示されるように折りトンボ(印刷位置のガイド)付けているのに、ガイドラインを付けてきちんと並べない。
時間を掛けて作り込んだデータを、こんな風に粗雑に扱われるのは非常にストレスが堪ります。
いくら周到に事前準備しても、最終工程や実作業がいい加減で、出来上がりの完成度が低くなるのも、ミャンマーあるあるです。

データ渡して、しばらく様子を見て、大丈夫そうなら、昼ご飯食べてから完成品を取りに来ようと考えていましたが、これは無理。

とにかく上の2)の印刷データ作成作業が雑なため、3回試しても3種類の画像データの印字位置が異なり、特にそのうち一つの表面は美観上許容できないほど上に寄っていました。

このオペレーターの子に、これ以上修正させるのは能力上無理だと判断し、とりあえずこのデータで印刷して、4)の切り抜き作業のとき、表面の画像が中央に来るように調整するように注文する。


その結果、裏面に切り抜き用のガイドの枠が残る結果となりましたが、表の写真が中央から大きくズレるよりは、こちらの方がマシなので、妥協しました。


私が指示を出している間にも、他の客が割り込んで来て、オペレーターがその客の名刺データ作りはじめて、何度もこちらの作業が中断しました。こちらとしては、先客である私の作業に集中して欲しかった。並行作業できるほど、能力高くないわけだし。
また、プリントの終わった客のおばさんが、狭い店内のカウンター上で、ホッチキス留めを時間をかけてやりはじめて、申し訳ないけど邪魔でした。それは家でやれば良くない?、と思いましたが、何かあの場所でせざるえない、特別な事情があったのでしょう。
ミャンマーあるあるです。

とりあえず、プリント屋には、ポストカード・サイズの用紙がないのがわかったので、次回ポストカードを作る時は、A4サイズにポストカード・サイズのデータを3つ並べたデータを作成すべきとわかったのが、今回の収穫です。

あと救いだったのは、リーダー格の女の子がしっかりしていて、こちらの要望を理解して、最終工程の切り抜きで、なんとか見れる完成品を作ってくれたことです。
だいたいどんなグループにも、一人だけはしっかりした子がいるのも、ミャンマーあるあるです。

いろいろと書きましたが、この店が近所で一番繁盛しているので、おそらく地域で一番信頼できる店だとミャンマー人には認識されているはずです。
私も以前同じ通りの他の店に行ったことがありますが、そのときはUSBスティックを編集作業中に引き抜かれました。
たぶん、ここが一番サンチャウン周辺では、しっかりしたプリント屋なのではないかと。

このお店の名誉のために書いておきますと、ネットで調べたら、今はaiファイルよりもPDFファイルで入稿するのが一般的だそうです。
2018年度版 イラストレーター(Illustrator)入稿のポイント 
勉強になりました。常に情報をアップデートしておかないと、持っている知識が陳腐化してしまいますね。
あのお店に感謝します。

ああそれから、いま指摘されて、ミススペルを二か所発見しました。
もう、印刷したのに。 本当に人には偉そうにできません。

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2018年10月14日日曜日

ミャンマーの謎のファッション雑誌『POSH』について考えた

ミャンマーで発行されている季刊のファッション雑誌『POSH』には、いろいろと謎が多いです。
『POSH』は、ミャンマーで最も洗練されかつ尖ったファッション・グラビアを掲載している雑誌です。日本だと『GINZA』や『Nuero TOKYO』のようなハイファッションに焦点を当てたファッション雑誌にあたります。
コム・デ・ギャルソンのデザイナー川久保玲についての記事が掲載されたことがあるのは、ミャンマーではこの雑誌だけでしょう。
何でこんなハイファッションを扱った雑誌が、ミャンマーで発刊されていること自体が謎です。



昨日、最新号を書店で見つけました。


まず、この雑誌は置いている書店があまりありません。
以前は、ダウンタウンにあるヤンゴンで最大の書店Bookworm Booksで入手できましたが、最近は扱っていません。
新刊が出たと思しき時期に、ヤンゴンのあちこちの書店を探して回りますが、なかなか置いている店がありません。
今回は、レーダン・センターの中の書店で見つけました。
おそらく発行部数が少ないのではないかと推察します。
その割には、ファッション・グラビアにお金がかかっています。
広告もそんなに載っていないのに、どうやって雑誌を発行する経費を賄っているのかが見えません。



ミャンマーにもこんな服を作るようになったんだ、と思ってクレジットを見たらPRADAとMiu Miuでした。
通常、ファッション雑誌にブランドの服を掲載する時は、スタイリストがブランドのプレス(広報)を通じて服を借りて、モデルに着せて、撮影します。
PRADAもMiu Miuもミャンマーでは売ってないので、商品を借りるルートや窓口はないはずです。
まさかこの撮影のために一着20万円を越えるハイブランドのドレスを買うはずもないし、どうやって撮影する服を調達しているかが分かりません。




最新号では、ミラノでロケしたグラビアページが載っています。その経費はどこから出てくるのでしょう?
繰り返しますが、発行部数も少なそうだし、しかも広告収入もそんなになさそうなのに。



毎回エスニシティを強調したグラビアの特集があります。今回は、京劇がテーマとなっています。
他の雑誌を見る限り、ミャンマーのアートディレクターはレベルが高いとは言えないのですが、この雑誌だけクリエーションのレベルが飛び抜けているのは何故でしょう?


ミャンマーの民族衣装とイッセイミヤケ風のデザインをミックスしたと思われる特集。
80年代に『VOGUE』で発表された、ファッション写真の大家アーヴィン・ペンとイッセイミヤケのコラボレーションを彷彿とさせます。
毎回、引用している元ネタからも、かなりファッション史に詳しい人物が関わっていると思えますが、私はそういう人にはミャンマーで会ったことがありません。
どういう人物が、何の目的で、この雑誌を作っているのでしょう?




カックー遺跡をロケ地に選んだグラビア・ページ。
毎号、テーマ毎の特集が、五つくらい掲載されていますが、通常のファッション雑誌だと、制作費がかかるので雑誌独自の企画はたいてい一つです(ブランド側が広告主となって特集ページを作る場合を除く)。
デザイナー、スタイリスト、カメラマンのチームをそれぞれ特集毎に用意する、そうとう贅沢な作りになっています。これを3,000チャットで販売して元が取れるとは思えません。
季刊とはいえ、採算性のない雑誌を約二年間に渡って発行し続けている理由は何でしょう?



これは、前号のページですが、なんでメンズになるとこんなにいきなりレベルが落ちるのでしょう?
何か、メンズのページだけ別の目的で作っているようにさえ思えます。

そんなわけで、いろいろと謎の多い雑誌の『POSH』です。
もし、この雑誌の発行者や制作背景についての情報をお持ちの方いれば、お知らせください。

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2018年10月8日月曜日

【YANGON CALLNG】Vネック Iラインのタイトフィット・ワンピース再入荷しました

サイズ切れになっていた、Vネック Iラインのタイトフィット・ワンピースを再入荷しました。
インレー地方のロンジー生地を使用しています。
涼しげな薄手の生地ですが、裏地付きなので透けません。


内側に裏地が付いています



サイズや価格などの情報は、オンライン・ショップでご覧になれます。
YANGON CALLING ONLINE SHOP

ロンジー生地で作ったドレス
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2018年10月4日木曜日

【長文】ミャンマーで50年前に起こった革命と今起こっている革命について考えた

私はミャンマーの素材を使用して、ミャンマーで製造した服を、ミャンマーで販売しています。
縫製産業はミャンマーの製造業において、最大にして、唯一といってもよい輸出部門です。
ただし、多くはファースト・ファッション・ブランド向けの縫製請負業で、海外(主に中国)から輸入した素材を縫製して、完成した商品を消費地の欧米や日本に輸出するというビジネスモデルを取っています。
ミャンマーは、現地の低廉な労働力を提供しているに過ぎず、商品にミャンマー独自の布文化や、制作者の美意識などが反映される余地はありません。そもそも、それらの商品を製造しているミャンマーの地で消費されることすら想定されていません。
こうした地域文化と乖離した大量生産システムや経済活動への違和感が、ミャンマーの素材を使って、 ミャンマーで製造して、ミャンマーで販売するアパレル事業をはじめる契機のひとつとなっています。
私はデザイナーでもなく、デザインに関して独創的なビジョンがあるわけではないので、自分の足で市場を回って、魅力的な現地の素材を見つけたら、その素材に合いそうなデザインを当て嵌めることで商品を企画しています。
ここのところ、イメージのソースを得るため、ファッション史や文化史を調べていたところ、1960年代中頃から後半にかけての文化的な影響力の強さと、それが今なお継続していることに改めて気付かされました。

第二次世界大戦後、世界のファッションに大きな影響力を与えたのは、1960年代中頃から後半にかけて起こった、スィンギング・ロンドンあるいはスィンギング・シックスティーズと呼ばれた英国発のムーブメントでした。
この戦後ベビーブーマーを担い手とした文化革命は、その後、文化的なスタンダードとなる新たなアート・音楽・ファッションを生み出しました。特に音楽はこの文化運動において大きな位置を占め、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、フー、キンクスといったバンドによる、今となっては準古典となったポップ音楽は、この時代に産み落とされました。
戦後生まれのベビーブーマー世代が消費を担う年齢に達したこと、戦後復興期であったための好景気、男性の兵役が免除されたことにより、若い世代が自由で享楽的なライフスタイルを謳歌することが可能となったことなどが重なり、この時代のロンドンは、ポップ音楽とファッションの発信地として世界に名を轟かせました。
ネットのない時代の極東の地日本にさえ、数年遅れで、このムーブメントに影響を受けたグループサウンズという音楽形態が現れています。

この時代に登場したファッションの特徴として、カラフルでポップな色使い、ミニスカート、タイトなAライン・ドレスがあげられます。
ムーブメントを代表するデザイナーの一人マリー・クワントのデザインした服を着たTwiggyJean Shrimptonが、当時のファッション界における文化的なイコンでした。
このムーブメントから派生した、モッド呼ばれたサブカルチャー・グループの音楽やファッションは、今なお周期的にリバイバル・ブームが英国でも日本でも起きています。
ムーブメントが起きてから、50年以上経った今でも、復元性と今日性を維持しているのは、われわれが現在日常的に触れている文化的創造物のフォーマットが、この時代に生み出された証左でしょう。

映画『ナック』や『さらば青春の光』で、この時代のファッション、音楽、雰囲気を映像として確認できます。



こうした文化背景を顧みて、マリー・クワントのロゴに似たミャンマーのロンジー生地を見つけたので、モッド的なタイトなAライン・ドレスを制作しました。





さて、流行の輸出基地となったロンドンから、ビートルズを先兵として多くのバンドが、大西洋を渡ってアメリカ市場のヒット・チャートを席巻することになりました。この現象は、「ブリティッシュ・インヴェーション(英国からの侵略)」と呼ばれました。

ビートルズが1964年にアメリカ上陸して以来、アメリカのポップ音楽の市場はビートルズと後に続く、ローリング・ストーンズ、キンクス、アニマルズといった英国のバンドに占領され、音楽的にも強い影響を受けました。

潮目が変わったのは「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれた、1967年にサンフランシスコで起きた文化革命からです。
同年に、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、そしてドアーズのデビュー・アルバムが、それぞれリリースされています。後年から見ると、途方もないロックの当たり年だったことがわかります。
北米各地、ヨーロッパなどから10万人もの若者がヘイトアシュベリーを中心としたサンフランシスコに押し寄せ、ヒッピー・カルチャーを形成した1967年の運動は、「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれました。
この現象は、1964年以来ユースカルチャーの分野で、イギリスから押されぱなしだったアメリカからの回答とも、反攻とも取れます。
このあたりを境に、ユースカルチャーの震源地は、ロンドンのキングス・ロードやカーナビ・ストリートから、サンフランシスコのヘイトアシュベリーに移行しはじめます。
単純に言い切ってしまうと、流行の主役がロンドンのモッドから、アメリカ西海岸のヒッピーへと移った時代とも言えます。日本で喩えると、アイヴィー・ファッションに身を固めた銀座のみゆき族から、新宿の風月堂にたむろするフーテンへの移行期と相似をなしています。

このムーブメントの支持した、ドアーズなどの米国のロックバンドの音楽は、先行する英国のバンドに比べて、よりヘヴィーで、ドラック・カルチャーの影響の強いものでした(そもそもドアーズのバンド名自体、オルダス・ハクスレーによる、幻覚剤によるサイケデリック体験の手記と考察の書『知覚の扉』(The doors of perception)から取られている)。
これらの音源を現在聴くと、時代的には数年古いはずのイギリスのビート・バンドより時代性を感じさせます。両者ともアメリカのブルースやリズム&ブルースなどの黒人音楽を母体としていたのは共通していますが、イギリスのバンドがそれらをポップとして解釈したことで、結果的に時代を越えた普遍性を獲得したのに対して、アメリカの場合、多くはLSDなどの薬物による幻覚体験などの、同時代の特定地域で共有された文化と経験を色濃く反映した表現だったからではないでしょうか。

この時代のファッションは、当時のヒッピー・カルチャーの影響を受けて、ゆったりとしたフォークロア調のものが目立ちます。
ヤンゴンのダウンタウンのマーケットで、フォークロア調のカラフルなテープを見つけたので、これとシャン州産のコットン合わせて、当時のヒッピーが着ていたフォークロア調のドレスを再現してみました。



FacebookグループのYangon Connectionに、このドレスを投稿したところ、コスプレ魂を刺戟されたのか、複数のヤンゴン在住外国人からの問い合わせが入りました。
問い合わせをしてきたのは、トルコ人やスウェーデン人のご婦人で、北米以外の人々にもこの時代のファッションや風俗が、文化的記憶として共有されていることは興味深いです。

当時は、ベトナム反戦運動が最も激しかった時期でもあり、音楽による革命で、愛と平和に満ちた未来が到来するという幻想が流布した時代でもありました。

こうした幻想は、肥大化したムーブメントが、ドラッグの過剰摂取による事故の多発や、カルト化したコミューンが極端に反社会化するなどの弊害を生みだしたことで、急速に剥がれ落ちていく結果となりました。
幻想を終焉させた象徴的な事件として、チャールズ・マンソンの主催するコミューン”ファミリー”を実行犯として起きた1969年8月9日、映画監督ロマン・ポランスキーの妻で当時妊娠8ヶ月だった女優のシャロン・テートら5人の無差別殺害や、1969年11月7日カリフォルニア州オルタモントの、ローリング・ストーンズ主催のフリーコンサートで黒人青年が会場警備をまかされていたヘルス・エンジェルスのメンバーにより殺害された事件『オルタモントの悲劇』が有名です。
2019年には、マンソン・ファミリーによる事件をモチーフとした映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が公開予定になっています。この事件が、愛と平和による理想郷の実現という幻想の果ての悪夢として、事件から50年を経た現在も生々しい記憶として刻印されていることが窺えます。

60年代後半のサンフランシスコを拠点に活動した、黒人・白人の混成ファンクバンドで、愛と平和と人種統合の理想を高らかに歌い上げて、時代の寵児となったスライ&ザ・ファミリー・ストーンは、1971年に、潰えた理想を鎮魂するかのようなダウナーなアルバム『暴動(There's a Riot Goin' On)』をリリースします。


このアルバムは鬱ファンクの名盤として、ダウナーなブラック・ミュージックのマスタピースとなり、時代を経る毎にその評価を高めています。
80年代のプリンスの一連のアルバムも、2000年代以降のR&Bの方向性を決定付けたディアンジェロの『Voodoo』もこのアルバムなくして誕生しませんでした。


スライの"There's a Riot Goin' On(暴動は続いている)"のRiot(暴動)"を"Revolution(革命)"と置き換えると、その後の時代を予見したいのではないかと思わせます。
サマー・オブ・ラブやヒッピーカルチャーの終焉の後、元の学校や職場や故郷に戻ったことで、反権威的な精神や、魂の自由の探求という精神的な種子は、様々な地域、分野に蒔かれることになりました。

あなたが今このブログを読むために使っているパーソナル・コンピュータやスマートフォンも、この時代の精神が生んだ産物です。

パーソナル・コンピュータは、もともとIBMやAT&Tのような巨大企業が独占する情報を人民へ奪還するという、極めてカウンター・カルチャー的、反権威的な思想の元に生まれました。

こうした思想をベースに1975年にシリコンバレーで結成された初期のコンピュータを趣味とする人々の団体(ユーザーグループ)ホームブリュー・コンピュータ・クラブ(Homebrew Computer Club)には、元ヒッピーの青年スティーブ・ジョブズと、後にジョブズと共にアップルコンピュータを創業するスティーブ・ウォズニアックが参加していました。
アップルは、ジョブズ在籍時においては、"Power to the people"というスローガンや、クリエイティブで自由な精神を持つ個人のためのツールといった、ロック的な哲学、ヒッピー的な理想の実現を目指した企業です。これから先はどうなるかはわかりませんが。

"There's a Revolution Goin' On(革命は続いている)"の結果として、われわれはテクノロジーの恩恵を受けているわけですね。
話が長くなるので割愛しますが、インターネットもGNUやLinuxなどに代表される、アイディアやコードの共有という、ある意味ヒッピー的な共産的文化に基づいて発展した技術的産物です。そういえば、一時「IT革命」というフレーズがよく使われていました(20年くらい前?)。

革命は続いているものの、現在進行中の革命と約50年前に起きたサマー・オブ・ラブとは、革命の質が異なっていることを近年実感しています。
革命の質の変化に意識的になったのは、3年前に『ヒップな生活革命』を読んだときからです。


50年前の革命のテーマは、反戦、反資本主義、反帝国主義などの、既存の秩序やシステムへの反対運動でした。
現在起こっている革命は、 もっとソフトで洗練された形で進行しています。
『ヒップな生活革命』で紹介されている、ブルックリンやポートランドの新たな地産地消的な地域経済の担い手は、ことさら反グローバリゼーション的なスローガンを打ち出すのではなく、地域の文化や特性に根差した上で、グローバル企業が提供するそれよりも、より洗練され、質の高いサービスや商品を提供することで、顧客の支持を集めています。
あくなき効率性と収益性の追求の帰結として、環境や地域文化や地域経済を破壊するグローバル企業を、教条主義的に糾弾するのではなく、それとは別種の経済活動を自ら実践して、しかも提供するサービスや商品が、より魅力的であるため顧客に選択され、結果的に環境保護や地域経済、あるいは地域文化の保全に寄与するというあり様です。
地元で採れた食材で調理した人気の自然食レストランは、グローバル・チェーン店の出す料理より安全で美味しく、しかもインテリアが洗練されていて、居心地が良いから選ばれているわけで、必ずしも経営理念に共感しているからではありません(少しはそれもあるでしょうけど)。
つまり革命の質が、50年前のアンチ(既存のシステムへの反対)から、オルタナティブ(別の選択肢を提案する)へと変化しています。
近年、メディアで伝えられるようになった若者の地方回帰や帰農などに見られる、脱資本主義的な運動も同様のエートスに根差しているのでしょう。


私も成り行きで、ミャンマーで、現地の素材を使用して、現地で製造した服を、現地で販売していますが、微力ながら世界で同時多発的に興っているこうした運動の一員となれればと願っています。

最後に、もういちどスライに話を戻します。
今年の8月に、FM放送の特別番組として、作家の村上春樹氏がラジオでDJをした時に、スライの言葉が引用されていました。
「最後に僕の好きな言葉を。スライ・ストーンの言葉なんですけどね。『僕は音楽を作りたい。誰にでもわかる、バカにでもわかる音楽を。そうすればみんなバカじゃなくなるから』良い言葉ですよね」

これを自分のやっていることに当てはめると、こうなるのかな?
 「僕は服を作りたい。誰にでも着れる、ダサくても着れる服を。そうすればみんなダサくなくなるから」

うーん、ちょっと違うかも。
地域に根差したローカル・ビジネスをやりたいだけで、みんなが着れるようになるほど規模を拡大する気はないから。
ただ、「ダサい」の言葉の定義を、狭義の「ファッション・センスがない」ではなく、「自分の消費のあり方に無意識で、無関心」と広義に解釈すれば、成り立つかもしれません。

私の活動にもしご関心があれば、YANGON CALLINGのFacebook Pageをご覧ください。

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2018年9月29日土曜日

ミャンマーは不況だというけれど

最近、ミャンマー国内は不況だという話をよく聞きます。
たしかに、3ヶ月前までは常に満席だった近所のビアステーションWin Starも、ここ1月ほどは週末でも八割くらいの客入りとなっています。

先日ブログにも書いた、ミャンマー初の屋内型ナイトマーケットのUrban Villegeはやはり一年を待たずに廃業したようです。先週、見に行ったところ、ゲートは閉鎖されたままで、特に工事や改築をしている様子はありませんでした。


ヤンゴン国際空港のボーディング・エリアがガラガラだという投稿がFacebookにも上がっています。


こうした不況は、海外投資の鈍化、ラカイン問題による欧米を中心とする観光客の減少、ミャンマー国内通貨のチャットの急激な通貨安などの複合的な原因に拠ります。
5、6年前のミャンマー投資ブームの時に、国際社会や海外企業のミャンマーへの期待が、おそらくそのポテンシャル以上に高まった時とは、市場のセンチメントが様変わりしました。

ただ、過去のミャンマー投資ブームの時に活況だった商取引は、不動産売買と輸入中古車売買がその中心で、安く仕入れたものを高く売るブローカー中心の投機的な鞘取りに関心が集まっていました。このようなバブル的な経済活動は、産業の高度化や、成熟され洗練された消費者層の形成には寄与しませんでした。
通貨安は輸出産業にとって好都合なはずですが、天然資源、農産物、労働集約的な縫製過程のみを請負う縫製工場以外に輸出部門を持たないミャンマーでは、現在の通貨下落は経済に大きな打撃を与えています。潤沢に外資が流入した5、6年前に、もの作りの基盤を整備して、国内消費を賄える分だけでも製造できる技術力と生産力を蓄えておけば事情は違ったはずです。今のように、スーパーマーケットで売っている商品の約八割が輸入品という状況だと、通貨安が物価上昇と消費停滞に直結します。消費材よりも高度な製造技術を要する生産材においては言わずもがなです。

しかしながら、過去のような投機的な経済活動で利鞘を稼ぐことが難しくなったことで、地に足が着いたベンチャー企業がミャンマーにも現れはじめたようです。こうしたベンチャー企業の多くは、20代、30代の若手経営者によって創業されています。

今月の『Myanmore magazine』では、こうした不況下で着実にビジネスの基盤を固めつつある若手起業家たちが紹介されていました。
人材マッチングのテックベンチャー、外国人旅行者をターゲットにする旅行会社、複数のカフェ・レストランを経営する外食産業のオーナーの三組です。


二人の姉妹により創業されたテックベンチャーのChate Satは、フリーランスの通訳・技術者などとクライアント企業を、マッチング・サイトとアプリを通じて橋渡しをしています。姉は元Huaweiのエンジニアだったとのこと。
不況下では、企業は人を雇用するよりもフリーランサーに外注する傾向が高まってくるので、現在の経済環境は追い風です。


外国人旅行者を主要な顧客とするPro Chitは、ラカイン問題でこれまで顧客の中心だった英米人の客数が二割近く減少したことで、マーケットをウクライナやリトアニアといった東欧にシフトしています。SEOを活用して検索エンジン上位に表示されるよう工夫したり、英文のブログでミャンマーの観光地を積極的に紹介することで、減少した従来のマーケットの穴埋めを図っています。


Rangoon Tea Houseの共同創業者のHtet Myet Oo氏は、より低価格帯で若者向けのレストラン・チェーンMr Wokとインターナショナル・スクール向けの学食Buthee事業を拡大しつつ、Rangoon Tea Houseのメニューを顧客の反応を確かめながら改訂したり、新しい料理を追加するなど、リピーターを離さない施策を地道に続けています。

2012年の年末にイギリスから帰国して、4年前にRangoon Tea Houseを開業し、一躍ミャンマー外食産業界の寵児となった現在28歳のHtet Myet Oo氏は「経済環境について不満を言うのは簡単だけど、そういうことを言う人は、景気は自分のやり方次第で良くもなるし、悪くもなるということを知らないのかもね」という内容のことをインタビューで語っています。


こうした記事を読むと、バブルに湧いた5、6年前よりも面白い若手起業家が現れてきて、産業界もタレントを輩出しつつあるように見えます。
現在の不況下は、投機的な経済活動には不向きですが、実業的な新規事業やテックベンチャーなどにとってはむしろ有利なような気がします。外資の流入が細り、競合も出てきにくい環境の上、ミャンマーには革新的な事業を興すアイディアやビジョンを持つ、資金力のある中堅以上の実業家がほぼいないので。

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