2019年5月31日金曜日

ミャンマーでミッドセンチュリー風のワンピースを作ってみたら、歴史について思いを馳せてしまった

男性用ロンジー生地で、ミッドセンチュリーを代表するデザイナー アレキサンダー・ジラード風のテキスタイル・デザインを見つけたので、半年前くらいから、市場で見かけるたびにコツコツと買い集めていました。

アレキサンダー・ジラードは、イームズ夫妻やジョージ・ネルソンと並ぶ、ミッドセンチュリーのデザインを決定付けた、影響力と世評の高いデザイナーです。チャールズ・イームズとは、ハーマン・ミラー社で同僚でした。
ジラードの他の二者との違いは、テキスタイル・デザインに積極的に取り組んだこと、現代的・未来的なものだけではなく、フォークロア的なものにも目を向けたことがあげられます。



アレキサンダー・ジラードがハーマン・ミラー社のためにデザインしたテキスタイル


アートディテクションを手がけたブラニフ航空の機内用毛布

とりわけ評価が高いのは、1965年にブラニフ航空のリブランディングのためのアートディレクターを勤めた仕事です。彼はチケットのデザインから、空港の什器・家具、飛行機のカラーリングまで航空会社に関わるすべてを監修し、徹底したコーポレート・アイデンティティを創りあげました。
家具はイームズ、乗組員の制服はエミリオ・ブッチが採用されました。






この未来感は、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』と相通じるものがあります。調べてみたら『2001年宇宙の旅』は、1968年初公開なので、ブラニフ航空の方が3年早いです。1960年代中頃にこうした先鋭的なCIが実現していたのは、今となっては驚くべきことです。



ジラードやキューブリック(そしてイームズやネルソン)らの1960年代のデザインに見られる未来感(映画『2001年』は製作当時からすると未来が舞台でしたが)は、この時代の彼らにあるべき、あるいは期待されるべき未来像が確固として存在したからではないからではないでしょうか。
1970年代に入ると、環境問題や資源の枯渇等が前景化して、こうしたピカピカで希望に充ちた未来像は思い描きにくくなります。

70年代に科学技術による副作用が認知された後、長らくの間、酸性雨の降りしきる中で、都市に蝟集する人びとが陰気な顔で、ハイテクなガジェットを操作している(あるいは、うどんを啜っている)『ブレード・ランナー』的な未来像の方がリアリティを持ちえていました。

ただし、最近になって潮目が変わりつつあるのを感じます。
今年の5月15日に開業した、JFK空港に併設する話題のホテル TWAのデザインには、過去のブラニフ航空や『2001年』を参照していることが伺えます。







このホテルのデザインを見ると、かつて構想された、あるべき「輝かしい未来像」を丹念にトレースしているような印象を持ちます。
考えてみれば、人類の歴史は、過去の事績を足がかりにして、新たな価値を創造してきた、過去と未来を繋ぐ過程と言えるので、彼らが 1960年代に構想された「輝かしい未来像」を参照点にしたのは、自然なことかもしれません。

 たとえば、孔子は自分の同時代から500年遡る古代王朝 周の徳治をロールモデルとして、自らの思想体系を構築しました。

内田樹先生のブログに投稿した『時間感覚と知性』を以下に引用します。
仁者も預言者も、創造の現場には立ち会っていない。彼らは自らを「起源に遅れたもの」「世界の創造に遅れたもの」と措定する。そして、祖述者・預言者とし ておのれに先んじて存在した「かつて一度も現実になったことのない過去」を遡及的に基礎づけようとしたのである。白川静はこう書いている。
「孔子においては、作るという意識、創作者という意識はなかったのかも知れない。しかし創造という意識がはたらくとき、そこにはかえって真の創造がないと いう、逆説的な見方もありうる。(・・・)伝統は追体験によって個に内在するものとなるとき、はじめて伝統となる。そしてそれは、個のはたらきによって人 格化され、具体化され、『述べ』られる。述べられるものは、すでに創造なのである。しかし自らを創作者としなかった孔子は、すべてこれを周公に帰した。周 公は孔子自身によって作られた、その理想像である。」(『孔子伝』)
孔子における周公は預言者における「造物主」と構造的には同じものである。重要なのは「私は遅れて世界に到着した」という名乗りを通じて「遅れ」という概念を人々のうちに刻み付け、それを内面化させることだったからである。
14世紀のヨーロッパで興ったルネッサンスは、ヨーロッパ文化の起源として、ギリシヤ・ヘレニズム文明を掲げていましたが、こうした文明の成果は、中世のカソリック教会の価値観が支配する中で、ほぼロスト・テクノロジーと化していました。
ユークリッド幾何学、ヒポクラテスの医学、アリストテレスの哲学などギリシア・ヘレニズム文明が、再びヨーロッパにもたらされたのは、11世紀の十字軍のイスラム文化国家への遠征(正確を期して書くとほぼ略奪)により、アラビア語に翻訳されていたギリシア・ヘレニズム時代の文献が流入した結果です。

いずれも、想像上の過去の理想郷を起点に、新たな思想や文化の体系を立ち上げたことが共通しています。

TWAの1960年代の先取りされた理想の未来像を引用しながら現在に召還する、過去に構想された輝かしい未来を現実化する、「遅れてきた未来」を現在に立ち上げるという作業は、歴史の経緯を眺めてみると、極めて人間的な行為に思えてきます。

長らく現実感に乏しかった、1960年代中頃に構想された、明るく、輝かしい未来像が、今になって召還されているのはなぜでしょう。
個人的には、インターネットから派生した技術や事業によって、楽観的な未来を思い描くことが可能になったからではないかと推測しています。
自動運転が普及して、ネットで車をシェアリングできれば、車を所有する必要がなく、その分、浮いたお金を余暇や趣味に費やせる。定型的な(でも、面倒な)作業は、クラウドのシステムに任せて、コアな業務に集中できる(会計業務とか、すでにそうなってますね)。AIの発達によって、人間にとって魅力的ではない、単純作業から解放されて、そうした分野の人手不足も解消する。ブロックチェーン技術の普及により、属人性や個性を反映した商取引が可能になる(地獄の沙汰も金次第という時代が終わる)。
他にもたくさんあるでしょうが、先端技術が人間を幸せにする存在として信じられる時代が、再び巡ってきた感があります。もちろん、いつの時代もあったように、新しい技術の副作用もあるでしょうけど。

話がずいぶん逸れました。アレキサンダー・ジラード風の生地を見つけたので、それで作ったワンピースを紹介するつもりだったんですが。
ただ、半年前から、ジラード風の生地をヤンゴンの市場でコツコツ集めていたのは、こうした時代の気分と共振していたからかもしれません。 

今回は初回なので、ジラードがキーカラーとしてよく使っていたオレンジ色を基調とした生地を使いました。




未来感を出すために、コクーン形のシルエットになるデザインを採用しています。
価格・サイズなどの詳しい情報は、YANGON CALLINGのサイトでご覧になれます。
https://www.ygncalling.com/shop

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