2016年1月20日水曜日

ミャンマーでデヴィッド・ボウイについて考えた

デヴィッド・ボウイが1月10日に亡くなりました。
先週は、Facebookのタイムラインが、ボウイ関連の話題で埋め尽くされていました。
ただ、ミャンマー在住日本人やミャンマー人は、まったくと言っていいほど無反応だったので、一人くらいこの件について書いても良いかと思い、この投稿をします。

1. デヴィッド・ボウイと私

私が初めてボウイを聴いたのは、15歳位だったと思います。
『ロック名盤百選』みたいなガイド・ブックを読んで、当時、すでに名盤として評価されていた『ジギー・スターダスト』を知り、有名なアルバムらしいから聴いてみようと思ったのがきっかけです。
当時、厨二病真っ盛りの私は、当然のようにハマりまくりました。
思春期の自我の目覚めや、ロックリスナーの感じるマイノリティとしての疎外感といった当時の心情に、ボウイの楽曲がピッタリと寄り添うに感じられたのですね。今、思い出すと、気恥ずかしいですけど(笑)。
それから、『アラジン・セイン』、『ロウ』とアルバムを聴き進み、すっかり私の思春期時代のアイドルの一人となりました。
地方の中途半端な進学校で、抑圧的で鬱屈した青春を過ごしていたため、ボウイは、そうした状況から精神的に解放されたいという願望を仮託する対象であると同時に、その存在のあり方が権威的なものからの解放の象徴として感じられた訳ですね。
ティーンエイジ・アイドルとしてのボウイ受容の典型的な例だったと思います。

高校を卒業して大学生になると、環境が変わり、すっかり能天気になったため、いつしかボウイを聴く機会も少なくなってしまいました。『レッツ・ダンス』以降のアルバムは、ほとんど聴いていないので、忠実なファンとはとても言えませんね。

ボウイについて詳しく知りたい方は、NHKサウンドストリートの放送の書き起こし「渋谷陽一、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)を語る」をどうぞ。私のボウイ観は、大部分、渋谷陽一氏に影響されています。この放送もリアルタイムで聴いていたはずです。







2. デヴィッド・ボウイと仏教

ボウイのキャリアの特徴として、アルバム毎にコンセプトを明確に設定して、楽曲もヴィジュアル・イメージもキャラクターも次々と変化させていったことがあげられます。
中性的な衣装に身を包んだ地球に落ちてきた異星人(グラム期)--> カルロス・アルマーやルーサ・バンドラスといったアメリカのソウル/R&B畑のミュージシャンを起用したブルー・アイド・ソウルマン(プラスチック・ソウル期)--> ブライアン・イーノとベルリン三部作を製作した耽美的なアーティスト(退廃的ヨーロッパ人期)--> シックのナイル・ロジャースをプロデューサーとして抜擢したポップスター(MTVポップスター期)と時代や本人の興味の変遷につれて、サウンドやイメージやキャラクターが目まぐるしく変化して行きます。

現在、原始仏教について、理論・実践の両面から、明晰かつ簡略な解説・説明がなされていると評価の高い『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』という本を読んでいますが、読んでいて分かり辛かった部分が、ボウイのキャリアをイメージしたことで理解が進みました。
この本で説明されている、「我・無我」についての部分です。
ブッタは、「常一主宰」の「実体我」を否定しています。
それでは、ブッタの「自らを島とし、自らをよりどことして、他をよりどころとせず」という発言の「自ら」とは何?、という疑問が生じます。加えて、仏教の謂う輪廻転生があるなら、「実体我」のない世界での輪廻の主体は何か?、という疑問も生じてきます。 
本書では、ブッタは「常一主宰の実体我ではない経験我については、必ずしも否定していない」、仏教で言及される自己とは、「縁起の法則にしたがって生成消滅を繰り返す諸要素の一時的な(仮の)和合によって形成され、そこで感官からの情報が認知されることによって経験が成立する、ある流動し続ける場のことである」と述べられています。
これを読んでも、いまいちピンと来なかったのですが、ボウイについて、それぞれの特定の活動期(ex.グラム期)の中に実体を探すのではなく、変化・流動し続ける運動体として捉えることで、アーティストとしての全体像を結ぶことをアナロジーとして考えたことで、腑に落ちた気がします。

仏教の理解にも役立つとは、ボウイの偉大さを改めて認識します。



3. デヴィッド・ボウイとミャンマー

冒頭にも述べた通り、ミャンマー国内ではボウイの訃報に関してのリアクションはほとんどありませんでした。試しに、事務所の子にボウイを知っているかどうか聞いてみたのですが、やはり知らないとのことでした。1962年から2011年までのボウイのキャリアを占める大部分の期間を、事実上の鎖国をしていたので当たり前と言えば、当たり前ですが。
ただ、ミャンマーのジャーナル『Myanmar Times』には、ボウイについての記事が掲載されていました。英『Guardian』誌からの転載記事ですが。



そう言えば、半年くらい前にバンコクで買ったボウイTシャツをミャンマーで着ていても、突っ込まれたことがありません。先週、イギリス人が経営する近所のカフェ&バーRough Cutで、これを着ていたら軽くプッとされたのが、唯一の反応らしい反応です。


まだまだ、ミャンマーに来る外国人のタイプもビジネス一辺倒の人が多く、アートとか音楽とかファッションとか文学とか、つまりボウイが一人で総合化して、体現したような分野に興味がある人が少ないようです。
私も話し相手が欲しいので、そういう人が増えてくれたら嬉しいです。
ゴルフと買春の話題には、まったく興味がないので。 

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2016年1月2日土曜日

サンチャウンに完全ブルックリン仕様のカフェ&バーが出来ていた

新年明けましておめでとうございます。
ミャンマーで過ごす、元日も5回目となりました。
ミャンマー人にとっての新年は、4月の水祭の時期なので、ヤンゴンの街では、特別な年末感や新年感はありません。
ミャンマーの暦では、この時期は休日ではないので、いつも通りに過ごしています。

さて、新年早々驚いたことがあったので、ブログを投稿します。
ミャンマーで難儀なのは、行くお店の選択肢が非常に少ないことです。
休日に読みかけの本を持って、座り心地の良いソファでくつろぎながら読書に没頭できるようなカフェは、非常に少ないです。とりわけ私が住んでいる地域のサンチャウンには、今まで、まったくと言っていい程ありませんでした。
そんなカフェ不毛の地サンチャウンに、もの凄く居心地の良いカフェ&バーがいつの間にか出来ていました。



Facebookページで偶然見て、存在を知ったのですが、サンチャウンの裏通りにこんなブルックリンぽい空間が作られていたことに驚きました。




ラフだけど趣味の良いインテリアや、店主の趣味が反映されたブラック・ミュージック中心のBGMなど、従来のミャンマーのカフェには無かった卓越したセンスです。壁のレンガを剥き出しにした内装は、いま流行のブルックリン風カフェに通じるさりげない格好良さを感じさせます。


店主は、ミャンマー滞在歴5年のイギリス人です。自分の行きたい店が、ミャンマーには無かったので、自ら作ったとのこと。内装もほぼ自分一人で仕上げたようで、この完成度に持って行くには、ずいぶん手が掛かっただろうと思います。
オープンして3ヶ月あまりとのことですが、近所にも関わらず、今まで気が付きませんでした。サンチャウンの居住者でも、あまり行くことがない裏通りの奥まった場所にあるので。
とりあえず、これからのサンチャウンで時間を過ごす時は、このお店に行くことに決めました。今まで、ミャンマーにこんなお店があったらいいなと思っていた理想のカフェが、こんな近所に出来ていたとは、嬉しい驚きです。

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2015年11月28日土曜日

ミャンマー・ドリームの終焉

先日、INSTITUT FRANÇAIS de BIRMANIE(ミャンマーのフランス文化センターみたいな所)で、昨年に引き続き2回目のWorld Music Festivalが開催されました。

2014年11月
2015年11月

欧米人の観客がメインのイベントなのですが、去年に較べて外国人の数が減っているような気がしました。
在ミャンマー外国人の情報交換のためのFacebookページYangon Connectionでも今年に入ってから、ミャンマーから出て行く外国人が家具や電化製品を売るためのガレージセールの告知が目立つようになっています。
統計データがないので、あくまで体感なのですが、ミャンマー在住外国人口は絶対数が減っているのではないかと推測します。この一年は、ミャンマーからの外国人の転出数の方が、転出数より多いのではないでしょうか。

ミャンマーの軍事政権が民主化へと舵を切った時には、ミャンマーは「アジアのラストフロンティア」とさかん喧伝されました。たしかに、先進国では当然あるような商品やサービスの多くはこの国には存在しないため、最初にこの国を見た時には、競合の存在しない手付かずの広大な市場が拡がっているように思えます。
ただし、 実際にビジネスを始めるとなると、難易度は相当に高いと言わざるを得ません。
電気・ガス・上下水道等のインフラが未整備な上、事業に関する法規制も運用が曖昧な場合が多く、行政手続き等が必要な場合は、申請方法が不透明で、非常に時間を要することも良くあります。
特に問題が頻発するのが、人の問題です。
合弁等で現地企業と事業する場合、現地パートナーが契約を守らない、適切な会計を実施しない等のトラブルが起こり得ます。そもそもミャンマーでは、従来、文書よりも口約束で仕事を進めることが多かったため、契約書や財務資料の重要性を認識していないことが多々あります。たとえば、契約を締結しても内容を読んでいないため、当然のように契約を守らないといったケースもあり得ます。
また、現地で従業員で雇用する場合も、先進国企業の要求水準に達した能力を持つ人材を探すのは極めて困難です。ミャンマーの教育制度に問題がある上、就業経験を通じて一定水準のスキルに達した人材は極めて稀です。よくある例をあげると、飲食店だと器の中に指を入れて配膳しないように注意しないといけないし、デスクワークだとエクセルのシートを作る時は、電卓で計算した値をセルに打ち込むのではなく、計算式を入れて自動計算させることを教える必要があります。
日本からミャンマーへ進出する業種として、飲食業が多いことが目立ちます。製造業等と比較して設備投資の金額が少ないため、個人経営者でも参入が比較的容易であることや、インフラの脆弱さから受ける影響が小さい等の理由からでしょう。
ただし、経営を継続するだけの売上を確保することは難しいようで、一年足らずで撤退するケースが相次でいます。
ミャンマー進出の際にはさかんにプレスリリースを発表したものの、ひっそりと撤退した居酒屋チェーンハンバーガーチェーンもあることから、個人経営に較べて資金・人材等のリソースが豊富な企業体にとってさえ経営が難しいことが伺えます。

最近では、途上国を先進国の市場化することは原理上不可能という説も出始めているようなので、「アジアのラストフロンティア」という認識は、元々無理があったのかもしれません。
以下にそうした議論のひとつをWebから引用します。
そこで先進国によってかつて徹底的に“低開発化”された途上国が先進国のかわりに成長して、先進国を下から押し上げてくれるんじゃないかという都合のよい期待が出てきました。“周辺”が“中核”になっていくという、世界システム論の視点からすればありえない矛盾したストーリーが21世紀になってもてはやされるようになったのです。
<中略>
最初は鳴物入りだったこの議論も、最近は思ったような成長発展が見られず、ずいぶんと旗色が悪くなってきています。結局、“低開発化”された“周辺”は“中核”とは異なる道を歩んでいるので、同じような成長をすることはできないのです

1年足らずで閉店したサンチャウン通りのトリンプ。日本資本であったかどうかは不明


ミャンマーへの製造業進出の切り札と見られていたティラワ工業団地も、工場建設のコストがベトナムと比較して四割程度割高で、経済合理性の観点から大規模な工場の建設に踏み切れないと伝え聞いたこともあります。

近所の友人から話を聞いたところ、最近では企業体力のない中小企業はミャンマーを去り、代わって中堅企業・大企業が長期的な展望のもとに進出を始めたとのことです。
現在のミャンマーのビジネス環境では、短期的に利益を上げるのは非常に難しいので、企業体力のある中堅企業・大企業の進出が中心となってきているのは、必然かもしれません。
ゴールドラッシュ的な射幸心に誘われてミャンマーにやって来た外国人が経済的に報われたケースは、私の知る限り見受けられません。 「アジアのラストフロンティア」としての、ミャンマー・ドリームはもう終わったのかもしれません。今や、ユーフォリア的な夢から目覚め、現実のミャンマーと向き合う時期に来ています。

これからは、企業体力のある中堅企業・大企業がミャンマー進出の主流になるのでしょうが、それだけでは寂しいので、個人起業家にも奮起してもらいたいものです。
エコツーリズムや少数民族の製造する民芸品の企画・販売等は、市場規模が小さく大手の参入する余地が少ないので、ミャンマーでは個人のビジネスチャンスのある業種ではないかと思います。開発途上国のミャンマーには、手付かずの自然や、古来からの文化や伝統を受け継ぐ少数民族が数多く残っています。
エコツーリズムの分野では、面識はありませんがこの人に注目しています。異様な行動力があるし、男気(女性だけど)もあるし。
人のことばっかり言ってないで、自分でもやらなきゃとも思いますが、現実のミャンマーを見続けているとなかなか踏み切れないのが辛いところです。

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2015年11月16日月曜日

ミャンマーでキラキラ女子について考えた

グーグルのキーワード検索数ランキングを眺めていたら、1位が「ミャンマー」だった。選挙が終わって、日本でもずいぶん注目されているんだなあと実感。
でも、2位の「ばびろんまつこ」って誰?

 Google先生に聞いてみた。
ばびろんまつこは、そのキラキラしたツイートで知られた人物。
ブランド品や海外旅行、高級マンションに高級料亭などを誇示し、わかりやすいセレブツイートを連発しては多くの人からの支持を集め、キラキラ系には憧れの存在となっていた。
こういうツイートをしていた人物らしい。 ずいぶん強気だ。
 「正直な話年収が1500万超えたあたりから自分より年収が低いであろう異性は自然と身近にいなくなる。いてもコンビニの店員さんとか宅急便の配達員さんくらい」
「若かりし頃に一度だけエコノミーでヨーロッパに行ったんだけど、まるで奴隷船のようでわくわくぎゅうぎゅうな感じが楽しかったな」
「秋冬物のお買い物は、アイテム一つに余裕でOL1ヶ月分のお給料か飛んでいく」
偽ブランド品をネットオークションに出品し、京都府警に逮捕された無職の女(26)は、セレブ生活を自慢する「キラキラ女子」としてネット上で話題になっていたらしい。
そして、 偽ブランド品をネットオークションに出品したことが発覚して、逮捕されたことで、Twitterフォロワー以外にも知られることになり、 グーグルのキーワード検索数ランキングでミャンマーに次ぐ2位になっていた模様。

いつもなら、ふーんで終わるトピックなのだが、今回は引っ掛かるところがあった。この人の教育的バックグラウンドが私と非常に近いのだ。
卒業した大学は同じ(学部は違うけど)、高校も自分と同じく九州の地方公立校。しかし彼女は、そうした教育的バックグラウンドを持つタイプの一般的な人物像から、言動とか行動形態が、ずいぶんとかけ離れている。
私の学生時代の友人・知人の八割くらいは、自分も含めて地方公立高校-->地方国立大学という進学コースだったので、こうしたコースを歩むタイプの人達の行動様式とか思考パターンはかなり知っているつもりだ。
良く言えば質実剛健で堅実、悪く言えば地味でいささか退屈な行動様式や思考パターンの人が多い。学生時代から堅実で、あまり冒険や無茶をしない。卒業してからの就職先も、地方公務員や地銀や地元の公立校の教員などの堅実なところを選ぶ傾向が強い。ベンチャー企業や外資系企業などの華やかそうではあるが、浮き沈みが激しい会社を希望することはほぼない(希望しても、入れるかどうかはさておき)。生活様式も地味で堅実で、民間よりも政府機関、株式投資よりも郵貯、メガバンクよりも信用金庫、外車よりも国産車、紀伊国屋よりも生協、みたいな選好をする傾向が強い。
要するに、ばびろんまつこさんがさかんにツイートしていたような、ラグジュアリー・ブランドのバックをたくさん持ったり、ハイエンドなリゾートホテルに宿泊したりするライフスタイルから、かなり遠い場所に位置するセグメントである。

どうして、彼女は地方公立高校-->地方国立大学という出自が必然的に導く、地味で地道なジミジミした価値観・ライフスタイルから、キラキラしたラグジュアリーな世界へと転向を試みたのだろう?
テレビのワイドショーでもこの事件が取り上げられたようなので、識者やコメンテーターがテレビでコメントしたり、コラムニストが週刊誌に論評を書いているだろうが、おそらく、彼女の心理の深層には踏み込めてはいないと思う。
そうしたマスメディア内で情報発信する職業や立場にある人の中に、地方公立高校-->地方国立大学という出自を持つ人はほぼいないから。
地方公立高校-->地方国立大学の進学者に共通した心象風景を持たない人々が、この事件について語ってもリアリティがないように思う。
サイレントマジョリティという言葉は元々、知識人層が持つような属するクラスを代表するスポークスマン・語り部を持たない、アメリカの物言わぬブルーカラー・労働者階級を指していたようなのだが、 地方公立高校-->地方国立大学といった出自を持つ人々も同様に、その数は多いものの語り部を持たない階層だと思う。
あなたの周囲や親戚の中にも、地元の国立大学出て、地方公務員や地銀に勤める人はきっといるだろうが、そういった人々は大抵SNSもブログも熱心にやってないないはずだ。所属組織や地域社会が居場所である彼らにとって、不特定多数に情報発信する必要性もインセンティブもないから。
でも、彼女の置かれた環境や文化的背景を理解できる当事者が一人くらい、この件について書いた方が良いだろうと思ったのが、この投稿のきっかけだ。
同じ出自を持つ一人として、なぜ彼女がキラキラした世界を目指したのかを考えてみた。
おそらく、彼女は地方の日常に潜む継続性や予測可能性を、退屈さや凡庸さとして嫌っていたか、もしかしたら憎んでいたのではないかと推測する。昨日の生活が今日も繰り返し、そして明日にも繰り返される。代わり映えのしない日常は未来永劫繰り返し、それは自分が地域の共同墓地に親族と共に葬られるまで続く。地に足が着いた人間としては当然の与件として受け入れるべき条件だが — 地方公立高校-->地方国立大学の人間の多くにとっては社会生活の前提条件 — 彼女には耐えがたかったのではないか。

ファースト風土が土地を覆い、ヤンキー・ギャル的な価値観・美意識が幅を利かす地方に馴染めず、東京へと脱出を図るものの、突出した才能や能力が無ければ、やはり東京に居ても何者にもなれない。そうした、地方と東京とに引き裂かれた地方出身者の状況や心理を、地方に住む10代から30代の女性の日常を通して鮮やかに描いた連作短編集が数年前に話題になった。
本のタイトルが『ここは退屈迎えに来て』なのは象徴的だし、本当に秀逸なタイトルだと思う。



でも、地方で待っていても都合良く、誰かが迎えに来てくれるわけはないので、彼女も自分から出て行くしかなかった。地方での職を捨て、東京に出た彼女は、キラキラ生活を支えるパトロンを探していたようだが、生活全般に渡って面倒を見てくれる太客はどうも見つからなかったようだ。
デヴィ夫人や叶姉妹ほど大胆不敵になれないところが、地方国立大的な中途半端さと振り切れなさを感じさせて、愛おしさすら感じる。そういえば、ガブリエル・ココ・シャネルも貧しい出自から、愛人家業で得た資金で自らのブランドを立ち上げ、モードの帝国を築き上げたのだった。

この人のツイートをちょっと見てみたが、シャネルやデヴィ夫人や叶姉妹のような底辺から成り上がった人物特有の底の見えない怪物性は感じられなかった。良くも悪くも普通の女の子が、ネットで別人格を演じているうちに、気がついたら戻れない場所まで来てしまったという印象。もちろん犯罪はいけないことだけど、詐欺が発覚したため、事態がさらにエスカレートする前に中断して良かったのではないかと感じる。
中には諧謔味や自虐性を感じるツイートもあり、設定したキャラクターが時々ブレているのも微笑ましい。



私は、自分と共通する彼女の教育的バックグラウンドから、彼女の言動について考えてみたが、もちろん違った観点からの見方もある。

某掲示板の鬼女板で、いかにも盛り上がりそうなトピックだなと思って、見てみるとやはりそうだった。なるほどと思った書き込みを抜粋。
地方の進学校から国立行くような子は「ウブ」なのよ。女のヒエラルキーとかに無知なの。
がんばって勉強したら、その努力に見合った成果を受けられるとか信じてるの。

そういう子が都会に出て、
「女はどれだけいい男を捕まえるかが勝負」
「女を売って世渡りした要領いいゲスが勝つ」
「女はしょせん男社会の売春婦」
こういう現実を初めて理解して、実家の財力と育ちで最初から格差が決まってるということもわかって
22過ぎてから慌てて軌道修正して女磨きすると、アサッテの売春路線にすっ飛んでいくわけよ。

というか、地方出の貧乏娘が都会で勝負しようとしたら売春するしか道がないから、ほとんどみんなそうなる。「女の勝ち」を目指す子は。

「女の勝ち」を求めず、「自分なりの勝ち」を目指す真面目な子ももちろん大勢いるし、そっちが多いわけだが「女の勝ち」に行く子もいると。
なるほど「女の勝ち」ね。 こういう見方もあるんだ。

でも、彼女はずいぶん善戦したと思う。事件前から、Twitterのフォロワー数も1万を越えていたようだし(事件発覚後の11月16日現在では、約3万フォロワー!)、外資系金融機関のエリートが出席するプライベートなパーティーにも出入りしていたようだし(東京に10年住んでいたが、そんなものがあるとは知らなかった)。勝負する土俵の選択の正否はさておき、何の人的コネクションも地縁もない場所に、一人で徒手空拳で乗り込んでの成果だから、相当の達成だと思う。私にはできない。

最後にいちOBとして、ばびろんまつこさんの今後の身の振り方について提案いたします。
出所後は、ミャンマーにいらっしゃるのは如何でしょうか?
物欲や他人からの賞賛に飢えるのは、仏教でいうところの我執・執着です。
ミャンマーは、我執・執着を捨てるのに、うってつけの国です。
ヴァンクリーフ&アーペルもカルティエも売ってないので、物欲に身を焦がすことがありません。ラグジュアリーブランドはおろか、店に行っても欲しい物がほとんど見つからないので、物への執着は明らかに減ります。
ツイートを読むと、ばびろんまつこさん自身も、うすうすご自分がなさっていることが、無間地獄の中でもがいていることに過ぎないと自覚されてますね。


思い切って、ミャンマーで出家するのも、我執を捨てるひとつの方法です。
上座部仏教では、出家・還俗のハードルが低いため、一週間のプチ出家も可能です。
出所後は、僧院でしばらく修行して、我執を捨ててみては如何しょうか?



それから、お勧めはしませんが、ばびろんまつこさんが東京で培ったオヤジ転がしの手練手管は、ここではもの凄く効くのではないでしょうか。バビロンシティ・トーキョーでは、強力な競合がひしめいていて、あまり上手く行かなかったようですが、ミャンマーでは(ry
うーん、ここでやっても高いワインとか飲めないし、ラグジュアリーな生活もできないから、意味がないですね。もし、ミャンマーにいらっしゃったら、やっぱり我執・執着を捨てて、地道に地味に生きられるのがよろしいかと。
人間、地道にコツコツと生きるのが一番だと思います。
あまり面白い結論ではありませんが、事実です。

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2015年11月11日水曜日

【幸せ】ミャンマーで断捨離【Happy】

11月9日午後3時半から午後4時半くらいの間、激しい豪雨があった。雨期はすでに終わったというのに。
約一ヶ月前に自宅が浸水したこともあり、少しばかり心配になる。あの時は、蔵書が泥まみれになって泣く泣く50冊以上の本を捨てたし、カバンにも靴にも服にもあらゆる持ち物に泥が入り込んだため、大変な思いをして復旧した。
まさか、あんなことが二度も起こるわけがない。しかも、すでに雨期は終わっている。

甘かった。ここはミャンマー。
いつも想定外のことが起こる国。

仕事帰りにビールを引っ掛けて、ほろ酔い気分でサンチャウン通りを歩いていると、自宅が近づくにつれて、住民が家の中から水を掃き出す光景が目に入るようになる。
不安でだんだん動悸が激しくなる。


自宅の門前に立つと、もの凄く嫌な予感がする。
恐る恐る鍵を開けると、暗くてよく部屋の中が見えないものの、異様な状態になっているのが臭いや雰囲気で分かる。
とりあえず玄関口に戻って、入口に5分程座って、動揺した気持ちを落ち着かせる。
それから覚悟を決めて、中に入ることにする。
膝まで水に浸かって、壁伝いに移動して、手探りで電気のスイッチを入れた。


果たして部屋は、再びウォーター・ワールドと化していた。


よしツイている。前回とは違って、キャビネットが濁流に倒されてテレビが水没していない。キャビネットとテーブルの上に置いた物も、無事のようだ。
今は、水が引いて水深30cmくらいだが、壁に残った泥の後を見ると、最大時70cm程度だったことがことが分かる。要するに70cm以下に置いた物は、すべて濁流に呑まれている。洗濯機と冷蔵庫はベッドは、今回も濁流に流されてひっくり返っている。
前回同様、本棚の二段目までに置いた本は泥まみれになっていた。 ビジネス本は二段目に置いていたので、今回の浸水でほぼ全滅した。DVDは今回もけっこうやられた。
文芸書は三段目以上に置いていたので、無事だった。よしツイている。


大量の泥水で部屋が満たされいて、一人ではとても復旧できないので、人を呼んでもらって、四人掛かりで復旧の作業をする。バケツで泥を掬い、外へ出す。3時間くらいで、汲み出しは完了。思ったより、早く済んだ。ツイている。


人が帰った後、2時間くらい一人で作業をしてると日付が変わっていた。
なんとか座れるようになった部屋で、ミャンマー・ラムを飲みながら、この出来事は何を自分に教えてくれているのかをつらつらと考えた。

物が損なわれて、気持ちが落ち込むのは、物に執着しているから。
仏陀が言うように、形ある物は必ず変質する。物はいつしか壊れる、人は必ず死ぬ。
そして、人間は形ある物にとらわれるから苦しむ。
二度の浸水は、物への執着を捨てることを促しているのではないか。
前回もそう思ったが、それ以降も新たな本や服を買ったりして、相変わらず物を増やしていたので、季節外れの豪雨が起こした浸水で、執着を捨てることをもう一度思い起こさせてくれたのか。
いわば、天から贈られた断捨離。
流石、上座部仏教の国。自然現象が起こす具体的な体験で、仏の道へと導いてくれるのか。
よし、もう物を買うのは止めよう。
生活に必要な最小限の物だけで、生きて行こう。今風の言い方をすると、これからはミニマニストとして生きて行こう。
積ん読本ももう買うまい。冷蔵庫も壊れたけど、どうせビールを冷やす以外の使い方をしていないから、修理もすまい。
残された本だけを読みながら、これから生きて行こう。
ビジネス本が全滅した後に残っている本は、カフカとかニーチェとかボルヘスとかで、こんな本ばかり読んでいるとさらに偏向した人間になりそうだけど、それが仏の教えなら仕方あるまい。
良かった。物への執着を捨てて、自由になる道筋ができた。

 

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2015年11月6日金曜日

ミャンマーで暮らすことは幸せなのか?

ミャンマーは外国人にとって、住みやすい国ではないことは多くの人が認めることでしょう。
ミャンマーのローカル新聞Mynamar Timesに、外国人居住者向けのSNSInternationsが、様々な国に住む外国人居住者に対して、住みやすさを調査し、レポートを作成したことが、記事として掲載されていました。 記事によれば、ミャンマーは設問者が設けたそれぞれの指標で、64カ国中「レジャー(61位)、交通機関(61位)、健康・安全(60位)」となっています。
ただし、住みやすさや生活のしやすさと、個人の幸福度は、必ずしも相関性がないようです。「個人的な幸福度」については、64カ国中8位と上位グループに入っています。
幸福かどうかは、客観的な指標というより、個人の主観的な心持ちですから。
他者から見て、どんなに劣悪な環境や苦痛に満ちた状態にあっても、本人が幸福と感じることは可能だし、あり得ます。
そして、記事中の調査回答者の一人が言うように、「冒険と挑戦を好み、ここでしか感じられない現在進行形の変化を楽し」める人にとっては、ミャンマーは住んでいて面白い国です。
母国と同様の生活ができないことを嘆く、文化的なキャパシティの狭い人や、異文化の中で生活する中で、これまでと違った視座を持つことに面白味を感じない人にとっては、確かにここに住むのは苦痛だと思います。
私もミャンマーで日本食レストランに行ったら負けだと思っているので、ミャンマー国内では、少なくとも2年以上は日本食レストランに行ってません。 何と戦っているのかは、自分でもよく分かりませんが(笑)。

『Myanmar Times』ISSUE 33 | OCTOBER 30 - NOVEMBER 5, 2015 より記事転載(原文は英文)
What are the best countries for living abroad [Hint: Myanmar isn't one of them]? 
外国人がいちばん住みやすい国はどこ?(ヒント:ミャンマーは入ってません)
Text by Charlotte Rose 


たとえインターネット環境が改善して、メキシカン・レストランの突然のブームが起きて、食事の選択肢が増えても、ミャンマーで外国人が暮らすことは容易とは言い難い。
交通渋滞や、午後11時に店が閉まるため、タコスを慌ててお腹に詰め込まなければいけないことはともかくとして、Internationsが今月の始めに発表した、外国人居住者によるレポートによると、事態はもっと深刻なのかもしれない。
外国人居住者の2015年版インサイド・レポートは、すべての大陸に暮らす外国人の生活全般を記録し、生活水準・住みやすさ・労働環境・家族生活・収入・生活コストといった海外での様々な日常生活の項目について、回答者の満足度に基づき、外国人が住むのに最高の(そして最低の)国をランク付けしている。14,000人を越える国外居住者による、170カ国を代表した195カ国の国外居住者が、2月23日から3月9日に実施された、同種の調査の中で世界的にも大規模となったオンライン調査に参加した。
どの国が国外居住者にとってトップだったか? すべての国のランキング中、2014年に勝利を収めたエクアドルがトップの座を守った。生活コストの低さ、医療費の安さ、人々の友好度、友人の作りやすさ、社交のしやすさが評価されたのは明らかである。 「驚くべきことに、エクアドルの94パーセントの外国人居住者が、現地で楽しめるレジャーに満足している。そして、91パーセントの外国人居住者が、生活コストに満足している」とレポートは述べている。メキシコとマルタが2位3位とエクアドルの後に続き、4位に生活水準の高さ、医療水準の高さ、交通機関の発達、言語による障壁の低さで知られるシンガポールがランクされる。
今年初めて調査対象に含まれたミャンマーは、芳しい成績を収めていない。全体の成績一覧の中では、64カ国中48位となっている。評価項目によっては、レジャー(61位)、交通機関(61位)、健康・安全(60位)と最下位グループに属している。だが、こうした傾向は、調査に回答したミャンマーに住む71人の外国人居住者にとって、必ずしも重要でないことが見て取れる。サブカテゴリーの「個人的な幸福度」については、64カ国中8位にランクされているからだ。
今年始めにミャンマーに移住した、チェコ共和国出身のコマーシャル・マネージャーMartin Zdarekは、ミャンマーが誰にとっても移住先の第一候補となる国ではないことを認めるが、「個人的な幸福度」の項目について、高いスコアを出したことについて、驚きはないと言う。
「ミャンマーはどんな人にとっても暮らしやすい国とは言えません。インフラの整備も入手可能なサービスや商品も、大抵の国より遅れています。もし、リラックスできて、家族が暮らしやすい、秩序がしっかりした先進国に住みたいのなら、ミャンマーはお勧めできません。でも、この国にやって来た人たちは、冒険と挑戦を好み、ここでしか感じられない現在進行形の変化を楽しんでいるように見えます」。
しかし、 生活水準については高い評価を得ていないものの、ローカルの人々の友好度については、他の国を上回っている。ミャンマーは、人々の友好度については一位で、昨年一位だったメキシコよりも高い。
ヤンゴンでヨガのインストラクターとして働く、アメリカからやって来たTaylor Harveyは、ローカルの人々の友好度の高さは、外国人居住者がミャンマーで感じる幸福度の高さの主な要因だと語る。
「私がここで体験していることは、大抵は素晴らしいことです。くたくたになるほど活気に満ちていて、インスパイアされて、ダイナミックで、美しく、興味深い(少なくとも退屈はしません)。そして、私の出会ったにローカルの人々の多くが、創造性に富み、起業家精神と勤勉さと継続性を備えていることに感銘しています」
外国人居住者によれば、ミャンマーの人々は世界で最も友好的かもしれないが、ここで友人を作るのはそんなに簡単ではない。ミャンマーは、「友人の作りやすさ」では39位、「受け入れられている感覚」では48位だ。この一因は、言語習得の困難さにあるのかもしれない。「暮らしやすさ」の指標の中で、調査の回答者は現地の言語の習得のしやすさを質問されているが、ミャンマーは64カ国中45位である。
また、ミャンマーでの生活コストについては、 外国人居住者にとって最悪の部類にランクされている。レポートによれば、外国人居住者の家賃の高さについては、香港、モザンビーク、ルクセンブルクに次ぐ4位だ。一方、隣国のタイは、エクアドルに続いて家賃が最も安い国の2位にランクされている。
しかし、どの国が外国人居住者にとって最低の国なのだろう? クエートが全体のランキングの最低の場所、64位を占めている。特に、「暮らしやすさ」の項目の評価が低い。実際のところ、53パーセントの回答者が、ローカルの人々の友好度について不満を感じている。ギリシャは全体の63位で、15パーセントの外国人居住者が、そこでの生活に不満を感じている。ナイジェリアは「生活水準」の項目で最低で、全体では62位となっている。回答者は、特に旅行の機会と、交通機関のインフラや政治的な安定性、個人の安全性について不満を感じている。
Internationsの創業者で共同経営者のMalte Zeckは、レポートは海外で新しい生活を始めることを考えている人々にとって有益なガイドになると語っている。
「外国人居住者のインサイド・レポートは、海外での彼らの生活や、仕事をつまびらかにしている。より詳細な、家族生活、仕事満足度、総合的な幸福度は、外国人居住者の生活への広範囲に渡る洞察を与えてくれる」。

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2015年10月30日金曜日

日本の問題点、そしてミャンマーに不足しているもの

先日、日本へビザ更新のため一時帰国していました。
今回の申請では、ビザ取得の必要書類が、新たに追加されていました。
現在のミャンマーのビジネス・ビザの取得申請には、ミャンマーへの航空チケットと、招待状を交付したミャンマー企業の会社登記の写しも必要とされます。例によって、在日本ミャンマー大使館でのWeb等では周知されていません。
大使館へ必要書類とパスポートを郵送して手続き行いましたが、追加で上記の書類を大使館へFAXで送るように指示されました。急いでFAXで送った書類も職員に見落とされていたようで、それだけで処理に3~4日の遅延が生じました。ミャンマーへ帰る日が決まっているので、間に合うかどうかヒヤヒヤしました。

久々の日本でしたが、感じたことの一つとして、少子高齢化が本当に進んでいることを実感しました。ミャンマーでの街角の風景に目が馴染んでいるので、通りに子供が少なく、一部の繁華街を除いて若者より中高年やお年寄りが多い風景が異様に映ります。多くの人は、加齢と共に新しい分野への好奇心や挑戦する意欲を失う傾向があるので、こうした人口構成だと新しい流行やムーブメントは日本では生まれにくいと感じました。

フェーズが違う事柄なのですが、日本で提供されているAirbnb物件のレベルが一般に低いことにも落胆しました。
私が滞在した福岡市では、アジアからの観光客が増えてホテルが満室もしくは高騰しているため、Airbnbで提供されている物件を複数利用したのですが、そのうち一軒が非常にお粗末でした。
部屋にある家具は、安っぽいちゃぶ台のみ。椅子も机もソファもベッドもなし。座布団や座椅子がないため、固い床に直接座るとお尻が痛くなる。さすがにこの状態では、部屋でくつろげないので、座椅子はホストに頼んで用意してもらいました。Wifi環境と冷蔵庫はありましたが、このレベルの物件で一泊4,000円は高過ぎます。
バンコクのAirbnb物件だと、一泊35~50USD程度で洗濯機・乾燥機などの電化製品、テーブル・ソファ・ベッド等の家具完備のプール付きの50平米クラスのコンドミニアムが利用できます。もちろんタイと日本では、物価水準や不動産事情が違うので、一概に比較はできませんが。
それを考えても、日本では単に賃料の安いアパートを借りて、必要最低限の初期投資やサービスレベルの維持を怠ったまま、収益を得ようする安易なAirbnb物件が多いような気がします。
ホストとして宿泊先を提供するなら、最低限の設備投資を実施し、客観的なレベルで満足できる利便性や快適さを担保すべきでしょう。利用者の多くはホテルの代替として、Airbnbを利用しているので、同じ宿泊料のホテルと同等のグレードか、もしくはそれ以上の利便性や快適さを求めています。
同等の金額で利用できるAirbnbのグレードでは、タイと日本では格段の格差があり、当然、それはその国に滞在して感じる快適さにも影響します。
観光で訪れるなら、文化やエンターテインメント等の他の要素も加味されますが、私の場合、ビザの関係で必要に迫られてミャンマーから一時出国して、宿泊先でPCで作業する時間が長いので、日本の宿泊施設の貧弱さが特に気になりました。
どうも観光立国とか言う割には、唱導する理念に、現実のオペレーションが追いついていないように感じます。
少子高齢化が進む中、観光業は日本で伸びしろがある数少ない産業なので、観光地の整備と共に宿泊施設のレベルアップも重要な課題です。 Airbnbのホストは、そうした日本の課題を背負った問題解決者であるべきことを強く自覚すべきでしょう。
日本国内でさかんに喧伝されている「おもてなし」や「クールジャパン」も、国外から見ると内輪の自己満足・自画自賛に過ぎないと、率直に指摘している本や雑誌を本屋で見つけたので、以下にご紹介します。





また、日本におけるミャンマー・ブームもそろそろ終わりつつあることを感じました。
「アジアのラストフロンティア」などと喧伝されて、ミャンマーへの進出・投資ブームが 一時は起こりましたが、大半の企業は一年余りで撤退を余儀なくされていると聞きます。事務所を構えたものの、現地法人の設立さえできずに同地を去る企業も多いようです。
さらに、ミャンマーで一番期待され、必要とされている製造業の進出はなかなか進んでいません。
代わりに目立つのは、日系企業の進出を当て込んだ、日系の弁護士事務所や会計事務所です。製造業に代表される実質的な産業の進出が少なく、それをサポートする補助的なサービス業の数の方が増えているという不思議な現象が起きています。実質的な産業をミャンマーに事業を立ち上げ、運営するのは、法的・人的・インフラ的にもかなりハードルが高いので、資本リスクが少ないサービス業の進出が目立つのは、ある意味必然かもしれませんが。
最近は、ミャンマー進出の実態が日本でも共有されつつあるようで、一時のような経済フロンティアとしてユーフォリア的な幻想を抱かなくなってきたようです。
おそらく、これは日系企業に限った現象ではないと思います。
近隣ASEAN諸国との比較の中で、ミャンマーが真に投資や進出に値する国なのかが、これから本質的に問われる局面に入ったのことを感じます。

今回、日本で10日余りを過ごして、ミャンマーでの生活で足りないものをありありと実感した瞬間がありました。
ミャンマーで足りないもの、それはブルックリン・パーラー
ご存じない方に説明すると、ブルックリン・パーラーは、剥き出しのレンガの壁を使用したブルックリン風の内装のカフェで、趣味の良いJAZZかR&BのBGMが大きめな音量で流れ、食事はそこそこ旨く、ワインもビールもカクテルも飲めて、ウェイターもウェイトレスも普通の店より垢抜けていて、ライブラリーとしてサブカル本やアート本が置いている飲食店です。

ライブラリーにあるのは、この種の本。



さきほど店のWeb見たら、店のコンセプトが「人生における無駄で優雅なもの、ぜんぶ」となっていました。
自分が何を求めてこの店に行くのかが、腑に落ちました。
そしてミャンマーには、「人生における無駄で優雅なもの」があまりにも不足しています。
これは人間の生存にとって必須の精神的な栄養素なので、私はミャンマー滞在が2ヶ月を越したあたりで、毎回、精神的な栄養失調のような状態に陥ります。
ビザの関係で、70日に一度はタイに一時出国しているので、なんとか乗り切ってますが。
正確に言えば、ミャンマーにも「人生における無駄で優雅なもの」は存在します。
多くのミャンマー人にとって、仏教行事への参加やお坊さんの法話を聴くことがそれに該当します。ただし、コミュニティやバックグラウンドの違う外国人には、それを共有できないため、どうしても「人生における無駄で優雅なもの」の不在を強く意識せざるを得ません。

やっぱり、ミャンマーにも「人生における無駄で優雅なもの」を体現した店が欲しい。
付随的なサービス業ばかり増えて実質的な製造業が少ないと書きながら、なぜか自分が一番現実的ではないという、謎の展開になりました(笑)。

ただ、ミャンマーで娯楽の選択肢の少なさを嘆く外国人は多く、つまり「人生における無駄で優雅なもの」を求める在ミャンマー外国人は少なくないので、実現したい方はご一報ください。

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