2021年8月25日水曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーヴァードライブ』1 2019年4月 福岡市中洲(2)

2 二〇一九年四月 福岡市中洲(2)

 席に着いた彼女がウェイトレスにコーヒーを注文して、話し始めた。「すみません。突然上司に言われてここに来たので、事情がわかってないんです」
「こちらこそ貴重なお時間をいただいて、恐れ入ります。友人の親族のコネクションを通じて、東南アジアの現代美術を担当する学芸員さんを紹介していただくようお願いしました」
「それで本日はどういう御用件なんでしょうか?」
「銀座の画廊に勤めてましたが、一か月ほど前に退職しました。こちらで東南アジアの現代美術専門のギャラリストとして独立することを考えています。フリーのギャラリストとして何かお手伝いできることはないかと思い、お訪ねいたしました」
「ご存知かもしれませんが、まずは当館についてご説明させてください。当館は、南アジアの現代美術を収集、保存、展示する、世界唯一の美術館として一九九九年に開館しました。約三四〇〇点の作品を所蔵し、随時、展覧会などで展示しています。福岡市のアジアの美術関係者との交流は長い歴史があります。日本で最初のアジアの現代美術展『アジア美術展』が、福岡市美術館により開催されたのが一九七九年です。その頃から福岡市美術館によるアジアの現代美術の収集は始まっています。南アジアの現代美術の作品の多くは、西欧美術とは文脈が異なり、既存の美術館ではコレクションの展示がなじまなかったため、福岡市美術館から枝分かれする形で、当館『福岡南アジア美術館』が開館されました。開館を記念して、開館と同年の一九九九年に『第一回アジア美術トリエンナーレ』が開催され、その後、原則三年に一度、トリエンナーレはこれまで計五回開催されています。残念ながら諸事情で、二〇一四年を最後にトリエンナーレの開催は休止していますが、少なくとも、南アジアの現代美術に、世界で最も早く注目して、最初に取り上げたのは福岡の美術関係者であったことは確かです。早くから福岡市の学芸員が現地を訪れ、調査の上、アーティストを選抜、招聘し、展覧会を開催して、時には作品を購入したことで、南アジアのアーティストや学芸員には当館はよく知られた存在です」
 おそらくあちこちで何度も説明して慣れているのだろう。よどみなく流れるように一気に話し切った。 
「もちろん、公的な美術関係者には広く認知されているし、これまでの活動も高く評価されてるでしょうね。でも最近バンコクなどの東南アジアの大都市に増えている独立系のギャラリーの活動はご存知ですか?」
 彼女は、少し悪戯っぽく微笑んだ。「私どもが公務員だからといって、時流に疎いとは限りませんよ。美術の専門家としていつも現地の情報はフォローしています」
「失礼しました。ただ、東南アジアの新進のアーティストは、独立系のギャラリーが主な発表の場で、現地の公的な美術機関や美術関係者とは交流がないケースの方が多いです。私はそうした中からめぼしいアーティストやギャラリーを見つけて、関係を築いている最中です」
「もちろん存じています。そうした場所も海外出張した時の調査対象に入れています」
 彼女と話していると、東京のアートマーケットに属する人々と接していた時に感じていたのと同じ印象を受けた。社交的で、にこやかで、万事そつない。弾力性のある透明な繭のような膜に覆われていて、それより先に近づくとやんわりと押し戻される。
 地元出身者でないことは、言葉遣いや立ち振る舞いでわかる。美術館の学芸員は、オーケストラの楽団員と同様、極端な買い手市場だ。一定以上の規模の都市で、組織に欠員が出て、補充の求人を出すと、全国から応募者が殺到する。美大や音大からは、毎年確実に卒業生が送り出されるが、彼らが学んだことに関連する職種の求人は、同じ割合で増えていないからだ。彼女も相当な競争率を勝ち抜いて今の職を得ているはずだ。
「もしかしたら、私が知っている東南アジアのアーティストやギャラリー、現地の美術運動で、こちらの学芸員さん達がまだご存知ないものもあるかもしれません。よろしければ無償で現地の情報をご提供させていただけませんか?」もう少し粘ってみることにした。美術館の展示や購入を仲介する立場になれば、現地のアーティストやギャラリーから得られる信用や協力もずいぶん違ってくる。直接の収入にはならなくとも、やってみる価値はある。
「アジアの美術関係者の中では、当館のプレステージは、こちらで想像するよりずいぶんと高いです。東南アジアの現代美術家の中には、当館での展覧会の開催や、当館が中心となってキュレーションするアジア美術トリエンナーレへの参加を、自国外での認知を広める最初のステップと考えているアーティストも一定数います。そのため、先方から展示や購入のオファーも少なくありませんが、こちらで集客を望めるアーティストの作品でない限りお断りせざるを得ないのが現状です。もちろん無料で情報をご提供くださることはお断りしませんが」
「では後ほど、メールでレポートをお送りします。もしご興味のあるアーティストやギャラリーがあればお知らせください。来月、タイとミャンマーに行く予定です。ご紹介したアーティストの作品の展示や購入をご検討されるなら、私が彼らに美術館の意向をお伝えしますし、簡単な交渉なら代理としてお引き受けします」
「あまり期待されないでくださいね。ご存知の通り、当館は市営で予算も限られています。現代美術を扱う公立の美術館でも東京現代美術館なんかと比べれば、使える予算の桁が違います。正直言って、ここでは現代美術に関心のある人々の数は限られていますし、その中でも扱っているのが南アジアの現代美術ですから。東京やアジアの美術関係者には、世界で唯一の南アジアの現代美術に特化した美術館であることを評価されていますが、市民の皆さんの関心が高いとは言えません。西欧絵画、たとえば印象派やキュビズムのように、鑑賞のしかたが広く知られた分野でもないですし。どうしたら市民の皆さんに南アジアの現代美術をもっとご理解していただけるかについては、私たち学芸員もいまだ手探りです」
「いまのお仕事を始めてどれくらいなのですか?」
「二年になります。東京の美大を卒業して、しばらくフリーのキュレーターをやっていました。今の仕事が決まって、福岡に引っ越しました。まだ、こちらのことは知らないことばかりで」
「私も戻ってきたばかりですが、よろしければご案内しますよ。いちおう地元なので土地勘はあります」
 もう一度、彼女が微笑んだ。今度は、相手から何の感情も読み取ることができなかった。「ご親切にどうもありがとうございます。でも、職場の皆さんが気にかけてくださっているので、ご心配には及びません」
 彼女を覆う透明の膜が、再びやんわりと私を押し戻すのを感じた。

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