2021年8月31日火曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーヴァードライブ』1 2019年4月 福岡市大名(1)

3 二〇一九年四月 福岡市大名(1)

 福岡市の大名の雑居ビル内にあるバー「スモール・タウン・トーク」には、私以外の客はまだいなかった。バーテンダーの背後のスピーカーからダニー・ハサウェイの『L1VE』が流れている。午後七時の店内の空気はまだ酔客に掻き回される前で澄んでいた。  
 今夜、重野聡とここで待ち合わせをしていた。浄水通りの彼の祖父の邸宅で会ってから二週間あまりが過ぎていた。福岡南アジア美術館で学芸員との面談をセッティングしてくれた礼も直接会って言いたかったが、重野が多忙で、なかなか彼の時間が取れなかった。
 私がその間にしたことといえば、せいぜいタイとミャンマーの現代美術についてのレポートをまとめて、福岡南アジア美術館の学芸員、山本良恵へメールを送ったくらいだった。
 ギムレットを一杯飲み終わる頃に、重野がやって来た。私の隣のカウンター席に腰掛けて、ブラントンのオンザロックを頼んだ。いつの間にか、ターンテーブルの上の音盤がカーティス・メイフィールドのライヴ盤に変わっていた。今夜の選曲ははライヴ盤を中心に組み立てるらしい。 
「遅れて悪い。いろいろと立て込んでてね。大学は新学期が始まったばかりで、いろいろと行事がある。会社は、祖父さんが亡くなってから、新体制になったので、役員会が頻繁に開かれてる」
 仕事帰りの重野はヒューゴ・ボスのグレーのスーツで、茶色のコードバンのウィングチップを履いていた。私はデニムジャケットとチノパンツにスニーカーという普段着だった。
 「この前は、福岡南アジア美術館への口利きありがとう。おかげで学芸員に会えたよ」
「どうだった?」
「何とも言えないね。こちらは何の実績も肩書きもないわけだし」
「しかし、お前はなんで経済学部を卒業して、アートの仕事なんか始めたんだ?」重野が尋ねた。 
「いろいろと理由はあるけど、経済学的な観点からだと価格形成の面白さに惹かれたということになるかな。
 たとえば、アダム・スミスやカール・マルクスの唱えた労働価値説、つまり商品に投入された労働量によって価格が決まるという理論はあてはまらない。ピカソは九十一年の生涯でおよそ一万三五〇〇点という大量の絵画を描いているが、一枚当たりに要した時間は非常に短いと言われている。知ってのとおり、ピカソは美術市場で最も高い値段のつく画家の一人だ」
「キャリアの長さを考えれば、生涯を通じて投入された労働量は多いだろ」
「ところがそうとはいえないんだ。ピカソの評価は、キャリアの前半の方が圧倒的に高い。美術愛好家でもある経済学者デイヴィッド・ギャレソンが調査したところ、ピカソの二十代半ばに描いた絵は平均して一点につき、六十代に描いた絵の四倍の値がついている。つまりアートのマーケットでは労働価値説はあてはまらない」
「新古典派の限界効用説は適用できるだろう。供給量の限られた希少品だから、作品を一つ購入することによって得られる満足度が高い」
「必ずしもそうともいえないんだ。特に現代美術については。作り過ぎてもだめだが、寡作すぎるとマーケットで市場が形成されない。いまの傾向だと、マルティプルしやすい–––平たく言うとグッズ化しやすい–––アーティストの作品の価格が上がりやすかったりする。草間彌生も村上隆もルイ・ヴィトンとコラボレーションしているけど、そうした傾向とは無関係ではないだろうね」
「家の祖父さんはオリジナルのコレクターだったけどな。複製品の人気がオリジナルの評価に逆流してるってことか」
「そうとも言える。さっきの質問にもう一度答えると、古典派や新古典派経済学の枠に収まらない人間の欲望について関心があるからということになるかな」
「ずいぶんご大層な理由だな」重野が笑いながらまぜっ返した。「で、それで食えそうなのか?」
「正直まだわからない。競合が少ない東南アジアの現代美術に専門化するつもりだ。もうすぐリーサーチのため、タイとミャンマーに行く」

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