2021年8月19日木曜日

【小説】『ニルヴァーナ・オーヴァードライブ』1 2019年4月 福岡市中洲(1)

 2 二〇一九年四月 福岡市中洲(1)

 重野に会った約一週間後、私は福岡市の中洲にある福岡南アジア美術館で人を待っていた。福岡南アジア美術館は、南アジアの現代美術に特化した世界で唯一の美術館だ。美術館は、福岡市の歓楽街、中洲の商業ビルの中にある。建物の上層フロアの二階(正確には高さを維持するため三階分のフロアを使用している)がこの美術館に割り当てられている。一〇〇〇平方メートルを少し超えるギャラリー二つと約四〇〇平メートルにシアターホール、図書室、カフェなどを備えた文化施設だ。
 
 私が福岡に移住した理由の一つに、東京よりも立地がアジアに近いことがあった。東南アジアのアーティストを専門にするギャラリストとして活動すれば、他の同業者との差別化ができるのではないかと考えたのだ。
 東京のアート・マーケットは、買い手も売り手も、ほぼ富裕層のネットワークに属していた。東京の中で連綿と資産や文化資本を受け継いできた人々だ。彼らの多くは、学費の嵩むリベラルな校風の私立高校の卒業生で、同じような服を着て、同じような話し方をし、(概ね誰とでも社交的であるものの)親しく付き合うのは同じ階層に属する人々とだった。直接の交流がない業界内の人物でも、仕事上の必要性が生じれば、知人や親族を通じて、比較的容易にコンタクトをとることができた。こうした地縁、血縁で結びついたネットワークの外にいる地方出身者で、名を知られた現代美術のアーティストとも特別なコネクションを持たない私が、東京で独立してアート・ビジネスを営むのは難しいと考えた。
 そこで、市場での評価がまだ完全に定まっていない東南アジアの現代美術に特化して、既存のアートディーラーとの差別化することを考えた。福岡は、アジアの現代美術を専門に扱う福岡南アジア美術館があるほか、アジアの二十数カ国の現代美術が一同に会する福岡アジア美術トリエンナーレを開催していた。アジアの現代美術がほぼ無視されていた時代から、市営美術館がアジアのアーティストの作品を購入していた歴史もある。

 今日この美術館へ来たのは、南アジアの美術を担当している学芸員にヒアリングするためだった。市の関連部署に電話をしても、メールを送っても思うような反応が得られなかったので(こちらに何の実績もないので当然ともいえるが)、重野の祖父の生前の美術関係者との伝手を頼って面談にこぎつけた。
 美術館併設のカフェでコーヒーを飲みながら待っていると、約束の午後一時半ぴったりに学芸員が現れた。
「お約束していた、小林天悟さんでいらっしゃいますか?」声の主は、三十代前半の女性だった。「はじめまして、山本良恵と申します」
「はじめまして、小林です」互いに名刺を差し出して、交換した。
 市営の美術館の職員だが、地方公務員にありがちな、個人の特性がまったく見えてこないタイプではなかった。むしろ正反対だ。sacaⅰのミリタリージャケットに同系色のカーキのタイトスカートを合わせている。髪はミディアムショートで、首筋のあたりで綺麗に切り揃えられていた。よく手入れされた爪には、ナチュラルカラーのマニキュアが塗られていた。ブラウンのミディアムカラーのアイシャドウに縁取られた二重の大きな目がくるくると動き、知的好奇心をもって外の世界を観察している。
 この日、私が着ていたのは、ジュンヤワタナベのグレンチェックのジャケットとチノパンツで、靴はグレーのニューバランスのスニーカーだった。スーツだと硬い印象を与えるのではと思い、それ以外で所有する数少ない比較的フォーマルな服をワードローブから選んでいた。この相手なら、今日の衣服の選択はそうは外していないはずだ。もちろん私のワードローブの極めて限られた選択肢の中での話だが。 

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