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調べてみると、瞑想センターによってメソッドや指導法にかなり違いがあることがわかった。瞑想のメソッドはサマタとヴィパッサナーの二つに大きく分けられる。サマタは呼吸などの対象へ一点集中することによって禅定の状態に達することを目指している。ヴィパッサナーは集中力を使わずに、心身の観察によって気づきを得る瞑想法だ。ただし、ヴィパッサナーから枝分かれして、サマタのような集中没頭型の瞑想法を開発した比較的新しい分派もある。伝統的な指導法として、サマタ瞑想によって禅定の状態に達し、意識にニミッタと呼ばれる光が現れるようになった後に、次の段階としてヴィパッサナー瞑想に入るメソッドを採る瞑想センターもある。このメソッドでは、光が現れるようになるまで次の段階に進めないため、何年も先の見えない修業を続ける瞑想者もいるようだ。
いずれの瞑想法も最終的な目標は解脱して涅槃に達することを目的としている。
解脱とは、条件付けられた欲望や本能から超出した、認知の転換を意味する。人間も生物として、他の生物と共通する欲望や本能を備えている。自己保存を図るため快を求め不快を避ける欲求や、自らの遺伝子のコピーを増やす衝動に基づく生殖本能は他の生物と変わりない。進化の自然選択によって獲得されたこうした形質は、個体の自己保存と遺伝子の拡散を目的とするもので、それは必ずしも個人の幸福とは結びつかない。
最初期の仏教は、通常の世間の人々の考える、欲望により形作られた世界を解体し、そこから超出するラディカルな理論と実践の体系として出発した。これは仏教が、古代インド北部の王国の王子として生まれ、容姿にも才能にも恵まれ、物質的には何不自由ない環境で暮らしていた青年、ゴータマ・シッダールタによって開かれたことに由来している。世俗のレイヤーでは悩みようのないこの青年ですら逃れられなかった「苦」–––パーリ語の「ドゥッカ」の翻訳に漢字のこの文字が当てられた。単なる苦痛というよりもより射程の広い意味を持つ。英語では「不満足(unsatisfactoriness)」と訳されいる–––から解放されるため、六年に及ぶ思索と修行の果てに証得したのは、「世の流れに逆らう」智慧だった。ゴータマが達したのは、生物的な本能に根ざした、快適な状態を望み、いとおしいものを愛で、危険や不快から遠ざかる感覚を「苦」を形作る煩悩として滅尽し、世俗のレイヤーの価値観が織りなす世界から別の次元、涅槃へと超出することで、真の自由を獲得できるという結論だった。
「覚者」仏陀となったゴータマが完成させた、欲望や本能による条件付けから解放された領域、涅槃に到達するための理論と実践の体系である仏教の、実践の分野を担う修行が瞑想だ。
こうしたオリジナルの仏教が持つ、反直感性やラディカルさは、五百年から千年あまりの歳月をかけて伝播し、それぞれの地域の固着の習俗や宗教と習合した東アジアでは薄められたり、変質したりしているが、南アジアの上座部仏教では、その原初の特質を色濃く残している。私が南アジアの仏教に興味を持ち、瞑想センターへの滞在を決めたのもそうした部分に惹かれたからだ。
どの瞑想センターに滞在するかについては、ずいぶんと考えた。
対象を一点に絞って集中するサマタ瞑想や、観察の対象を瞑想時の足の痛みに集中するヴィパッサナー瞑想の分派である集中没頭型のメソッドを採用する瞑想センターは、指導者が攻撃的なことがよくあるようだ。一つの対象に集中没頭して、力づくで思考や感情を無効化するこのメソッドは、精神的な消耗度が高いため、それに耐えられるのは偏執的な性向の人物である場合が多い。そして外部の環境や内的な思考・感情を無視して一点に集中する修行を続けた結果として、ある種の不寛容さや独善性を招きやすいようだ。ミャンマーで、第二次世界大戦後に開発されたヴィパッサナー瞑想の分派である集中没頭型のメソッドは、短期間の修行で解脱者を続出させたことで、一躍注目を浴び、一時はミャンマーの仏教界で瞑想法の主流をなすまでになった。しかし、独善的な傾向をもつ指導者を多数輩出し、異なるメソッドを採用する瞑想センターを激しく批判したため、ミャンマーの仏教界を混乱させる弊害も生んだ。そして、このメソッドを採用する瞑想センターには、外国人の修行者に評判が良くないところが少なからずある。勝手がわからずまごつく初心者の外国人が、指導者から怒鳴られることも珍しくないからだ。
一方、伝統的なヴィパッサナー瞑想のメソッドを採用する瞑想センターは、穏やかな雰囲気で、指導者も温厚なようだ。ヴィパッサナーとはパーリ語で明確に観ることを意味している。ヴィパッサナー瞑想は、集中力を使わずに、心身の状態をニュートラルに観察する瞑想法だ。この瞑想法は集中没頭型のように短期の瞑想修行で解脱することはない代わりに、人格的な成熟を促す副次的な効果も期待できるという。仏陀は、瞑想法についての経典『大念住経(マハーサティパッターナ・スッタ)』を残しているが、この経典に最も忠実と言われているシェ・ウ・ウィン瞑想センターを選ぶことにした。この瞑想センターの創設者のシェ・ウ・ウィン師は、もともと集中没頭型の瞑想法を学んだ人物だった。しかし、このメソッドで解脱した指導者の多くが攻撃的で、その排他性から他の瞑想法を批判したことで、ミャンマーの仏教界の混乱と民衆の困惑を招いたことを深く憂慮した。ミャンマーは、人口の八割以上が仏教徒であり、敬虔な上座部仏教の信徒が多いため、僧侶とりわけ解脱者である指導者の社会的な影響力が強い。こうした状況を省みて、シェ・ウ・ウィン師は、戦後に主流となった集中没頭型の瞑想法を封じ、伝統的なヴィパッサナー瞑想を伝える自らの名を冠した瞑想センターを創立した。
ヴィパッサナー瞑想は、観察による気づきの実践を主眼としているが、この「気づき」はマインドフルネスと英訳されている。二十一世紀になって西洋社会で注目されているマインドフルネス瞑想もヴィパッサナー瞑想がベースとなっている。ただしシリコンバレーの1T企業の経営者などが推薦している世俗的なマインドフルネス瞑想は、判断力の向上などの現世的な実利を目的としているため、瞑想の基盤となる仏教経典の教えとの結びつきは弱い。オリジナルの仏教では、ヴィパッサナー瞑想により得られた気づきにより、瞑想者は三相–––無常、条件付けられた苦、無我–––といった世界の真理を認識する智慧へと到達するとされているが、西洋で流行しているマインドフルネス瞑想の多くは、こうした現実をメタ認知するという視座の獲得は目指していない。このような測定可能な効果を求める世俗的なマインドフルネスは、仏教的マインドフルネスにあった真理との関係を切り離し、世俗的な価値基準へと矮小化しているとの仏教界からの指摘もある。そもそも解脱つまり涅槃への到達を目標とする瞑想の実践は、「役に立つ」とか「人格がよくなる」のような世俗の世界が織りなす物語の中で上手に機能することを求める文脈から超出することを本質としている。修行により解脱の最終段階に達した阿羅漢は、欲望により形作られた世界から完全に逸脱した存在となる。そのため、世俗の生活を営むことはもはや不可能となり、選択肢は出家して残りの一生を瞑想寺院・瞑想センターで送るか死ぬかしかない。それを肯定するのが仏陀の説いた仏教と、そのエッセンス受け継ぐ南アジアの上座部仏教のラディカルなところだ。
五月の上旬の福岡発––バンコク着とその一週間後のバンコク発––ヤンゴン着の航空券をネットで検索して購入した。シェ・ウ・ウィン瞑想センターに五月中旬からの滞在は可能かどうか尋ねるため、Webサイトで連絡先やeメールを調べたが、センターでは予約の受付はしていなかった。直接現地へ行って滞在できるかどうか尋ねるしかないようだ。
タイもミャンマーも三十日以内ならビザ無しで滞在できる。
福岡南アジア美術館の学芸員、山本良恵からeメールで返信があった。送ったレポートについての礼に将来性のありそうなアーティストやギャラリーがあれば繋いで欲しいと書き添えてあった。こちらの情報収集力も少しは認められたようだ。
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