2014年9月22日月曜日

【News】ミャンマーは男のロマンが通用しない国?

最初にミャンマーに来た外国人の多くは、この国の何もなさに限りない可能性を感じます。
この国で、自国には当然のようにある、あんな事業やこんなサービスを提供したら、競合のないこの国での成長は天井知らずではないか?、と夢を見てしまうわけですね。

でも、そうした事業やサービスがないのには、それなりに理由があります。外国人にはとうてい理解不能の規制当局の対応や、合理性や効率性を重んずる資本主義的な労働観に馴染んでない労働者、貧弱なインフラ等々、思い描いた夢の先には多くの障害が現れます。あまりメディアでは表立って語られませんが、この国で多くの外国人が、こうした環境の中で日々苦闘しています。

夢見た事業が実現できず、この国を去りたいのだけど、それも理由不明の出国禁止でかなわない、手持ちの資金は尽きる寸前で、どうにもならないという状況のコスタリカ人起業家のニュースがあったので、ご紹介します。
この人は、たぶんロマンチストだったんだろうと思います。自然が残された手付かずのミャンマーのビーチを見て、小さな自分の王国の建設を夢見たのでしょう。
この人の悲劇は、自分の夢を追うあまり、地元の有力者とのコネクションや、噂好きの地元民と良好な関係を築くという、ミャンマーで生きていくために必須となる現実的な側面を見落としていたことが原因ではないかと推測します。

夢を見る気持ちは良く分かるのですが、 勝手に外からやってくる外国人に気持ち良く夢を見させてくれる程、この国も甘くないです。
外国人の描く理想や夢は、そこで暮らす人々の日常や生活とは関係ないのですから。
このコスタリカ人起業家は、本当に気の毒だと思いますが。

『Myanmar Times』2014年9月15日~21日 より記事転載(原文は英文)

Business dream turns to nightmare for stranded Costra Rican entrepreneur 

夢見た起業が悪夢に 囚われのコスタリカ人起業家

Text by Thomas Kean, Ye Mon

Gunter Oteroが2012年に初めてガパリビーチに行った時、彼は夢心地となった。
「それはまさに僕が少年時代を過ごした、旅行業界がブームになる前のコスタリカそのものだった」。
世界中の旅行業界で10年程働いた後に、彼はこの場所こそが自分が腰を落ち着けて、自らのビジネス ー 旅行者向けのレストランとロッジ ー を始める場所だと心を定めた。
彼に先立つ多くの起業家同様、Otero氏の夢は早々に潰えた。100,000 USドル以上を事業につぎ込んだが、もう彼はこの国を出たいと願っている。そうしていない理由はただ一つ、彼の出国が許可されないからだ。

彼は、7月に偽造文書作成の疑いで裁判にかけられた。彼によれば、罪状は今年の初めに、彼の息子が生まれたThandweの病院での出生証明の発行に関わる誤解から生じている。
判決は区の裁判所で8月28日に結審したが、彼の名前は入国管理局のブラックリストに載ったままで、出国ができない状況だ。 それと同時に、Thandweの地域入国管理官は、なぜ彼はオーバステイしているのかの説明を求めている。彼のマルチプルビザは、9月8日で約70日の滞在になっている(訳注:ビジネスビザでの最大滞在日数は70日)。
出国ができないため、Otero氏は自分の海外にある銀行口座からの引き出しもできず、シンガポールやバンコクのコスタリカ人コンサルタントの支援も受けられない。この状況を彼は理不尽極まりないと憤る。
「僕は疲れ果てた。肉体的にも、精神的にも、経済的にも」と、先週、彼はミャンマータイムズに語った。「どうすることもできない。友達みんなからお金を借りた。でも、これ以上は無理だ。こんなに追い込まれたのは、人生で初めてだ」。
彼の問題は、自分で建てた浜辺を望む丘の上の家に住もうとした時から始まった。2013年8月に入国管理管の深夜の訪問があり、その家に住むことも、居住地として登録することもできないと告げられた、
それ以来、 彼はガパリビーチのホテルに泊まっている。状況は、彼がThandweに住むラカイン出身の女性との結婚が、地元の活動家の目を引くことでさらに悪化した。彼らは、Thandweを移動する彼をつけ回し、彼の妻へ迷惑電話による嫌がらせを行い、地方政府や地方裁判所の役人へ、彼へさらなる法的措置を取るように働きかけた、と彼は言う。
「これは明らかな人種差別だ。彼らは、僕がローカルの女の子と結婚したことが気に食わないんだ」。 

ラカイン国民党Thandwe事務所のスポークスマンのU Myint Ooは、Otero氏の問題について憂慮しているが、ラカイン国民党の党員は誰もこの件に関わっていないと語った。彼は、ラカイン国民党が政府の役人にプレッシャーをかけたり、Otero氏をつけ回したという意見を否定した。「彼のことについて、党のいかなる会合でも話題にしたことがない」。
入国管理局Thandwe事務所のトップU Aung Tunは、当局がOtero氏の出国を許可しないことに関知していないと語った。
「もし、外国人が犯罪を犯せば、政府は国外退去させるだろう。しかし、Otero氏は罪を犯していないから、自由に国を去ることができるはずだ」と、U Aung Tunは9月8日に語った。
Otero氏のThandweを拠点とする弁護士Daw Nway Nway Nyeintは、同じく彼の移動が禁じられていることに当惑していると語った。
「もし係争中の外国人であれば、出国は許されないでしょう。しかし、Otero氏はいかなる犯罪にも手を染めていません。なぜ、政府が出国を許可しないのか理解できません」。
ラカイン州の外にある地方の、ある入国管理官は、出国禁止をネピドーの政府が取り下げないのは、判決のコピーをまだ受け取っていないからかもしれないと語った。 Otero氏は係争のあった裁判所に、入国管理局の責任者に対する推薦状の発行を依頼したが、裁判所は、それは通常の手続きではないと拒否した、と語る。ネピドーにいる入国管理局の責任者は、多忙のため、この件についてのコメントはできないと答えた。

いたずらに時間と費用を費やす中で、Otero氏の手持ちの資金が尽きようとしている。彼は自分に降りかかったこの一年の災難は、この国への投資、とりわけラカイン州での事業を考える外国人への注意を喚起すべき事例だと言う。
「これが、最初に起こったことでないことは分かっている。僕の望みは少しでもお金を取り戻し、妻と子供を連れて出国することだ。僕はここでスモールビジネスを立ち上げたかった。それは地元に雇用を生んだはずだったのに」。

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