2017年12月20日水曜日

ミャンマーで読むべき雑誌(1)〜Myanmore magazine

私は、本フェチであると共に雑誌ジャンキーなので、何か面白い雑誌がないかと、常に本屋を徘徊しています。
これまでも、中学生の時は『ミュージック・マガジン』『POPEYE』、高校生の時は『宝島』『rocking' on』など、その時代ならではの旬な情報を発信する勢いのある雑誌に惹かれてきました。

ミャンマーに移住してからは、そうした雑誌になかなか巡り会えなかったのですが、ここ一年程前から新刊が出るたびに探す雑誌が出てきました。
そのような雑誌は今のところ2誌ですが、今回はそのひとつの『Myanmore magazine』を紹介します。

この雑誌はフリーペーパーですが、アート・ディレクションがしっかりしていて、ヴィジュアルの完成度が高いです。ミャンマーの市販の雑誌でも、このレベルのヴィジュアルのものはなかなかありません。
内容もミャンマーの新しいカルチャーを紹介した記事が含まれていて、この地の新しい文化動向を知るソースのひとつとして使えます。

最新号では、ミャンマーで有名なゲイのファッション・デザイナー、Pauk Pauk氏のロング・インタビューが掲載されていました。
ミャンマー・セレブ御用達のデザイナーであると同時に、テレビスターであるという、ミャンマーのマツコ・デラックスのような立ち位置の有名人のようです。


インタビュー読むと、この人なかなか苦労人です。
ゲイだったため学校ではイジメに遭い、ルビーを扱っていた実家の家業が傾いたため、大学進学を諦め、モゴクからヤンゴンに出てきています。ヤンゴンでは、映画産業に潜り込みヘアメイクとして働きながら、実家の弟と妹を経済的に援助しています。
映画界でヘアメイク・アーティストとして頭角を現した後、ウェディングドレスのデザイナーとしてマンダレーで経済的に成功しています。
イタリアでファッションの勉強ができる機会を得ると、マンダレーの事業を人に譲り、単身ミラノへ向かっています。



「彼女」がイタリアに着いた時の感慨は、次のように描かれています。
彼女がミラノに着いたとき、すべてのタクシーがストライキに入っていた。そのため、スーツケースを持って地下鉄を昇り降りするはめになった。ぐったりしてベンチに座った彼女の前に、カフェやホームウェアの店やブティックがあった。彼女の目は、アルマーニの看板に吸い寄せられた。

「お前はミャンマーでは有名かもしれないけど」
彼女はその時の思いを振り返る。
「ビジネスマンでもあり、起業家でもあり、アーティストでもある彼と比べてごらんなさい。お前は何者でもないわ」
彼女の目は、天井の一点を見つめている。
「最初に気がついたのは、私は何者でもないってこと」
ミャンマーでは、世界的な評価基準の中で自分がどの位置にいるかを考える人は少なく、ミャンマー国内の序列でしか物が見れない人がほとんどなので、こうした感覚の持ち主は珍しいです。

正直に言って、写真を見る限り彼女のデザインセンスは微妙なのですが(少なくとも私からすると)、独力で今の地位と立場を築き上げたのは立派としか言いようがありません。

このインタビューを読んでいる時、ルー・リードが歌った「ワイルドサイドを歩け」が脳内で鳴っていました。こんな歌詞の曲です。
"Holly" came from Miami, F.L.A.  
Hitch-hiked her way across the USA   
「ホリー」は、フロリダ州のマイアミから N.Y.に出てきた
ヒッチハイクで 彼女はアメリカを横断した

Plucked her eyebrows on the way
Shaved her legs and then he was a she   
道すがら 眉毛を抜いて
すね毛を剃って 彼はいまの「彼女」になった

She says, Hey babe   
Take a walk on the wild side   
Said, Hey honey Take a walk on the wild side      
彼女は言う、ねぇ、坊や
ワイルドサイドを歩きましょうよ
ハニー、危ない方を行きましょうよ
名盤「トランスフォーマー」に収められています。未聴の方は是非聴いてみてください。いい曲がたくさんあるので、できればアルバム単位で聴くことをお勧めします。なお、アルバムのプロデューサーは、デヴィッド・ボウイです。


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