2015年8月27日木曜日

ミャンマーで『マッドマックス 怒りのデスロード』について考えた

先週末に近所のDVD屋で買った『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観て以来、毎晩のように、この映画を見返しています。
また、この映画についての感想や評価について検索してみると、夥しい数のWebに行き当ります。視点や評価のポイントも多種多様です。
趣味性の高いアート系映画の場合、世間ではマイノリティの見巧者(もしくは自らを見巧者と任ずる人)が書く衒学的な批評が、ネットに出回ることがありますが、この映画はそうしたタイプの映画ではありません。ビックバジェットのハリウッドの娯楽作品です。映画の構造はシンプルで、小難しいところは何もありません。
なぜ、この映画が趣味嗜好を越えた、多様かつ多くの人(自分も含めて)たちの心を揺さぶり、多義的な論議を起こしているのかを考えてみました。

自分が気がついたポイントを以下に列挙します。

ネタバレになりますので、ご了承ください。というか、あらすじの説明はしていないので、観ていないと、書いてることが分かりません。


1. 神話の変奏としての『マッドマックス 怒りのデスロード』

まず、『マッドマックス 怒りのロード』がこれだけ多くの人たちを引き付けて離さないのか、何が人をこの映画について語ることへと駆り立てるのかについて触れます。
それは、この映画が古典的な神話の変奏であり、人間の意識の奥底に沈んでいる記憶の古層を刺戟するからではないでしょうか。

映画のストーリーは、父王殺し、放逐された貴種の故郷への帰還、英雄の遠征からの凱旋といった、神話のフォーマットを忠実に踏襲しています。
また、主人公のマックスが前半の気狂いのような状態から、放浪を重ねる中で正気と人間性を取り戻していく過程は、『アーサー王と円卓の騎士 (福音館古典童話シリーズ (8)) 』に出てくる騎士のエピソードを思い出しました(読んだのが小学生の時だったので、記憶が定かでありません)。

実際に監督自身も、インタビューでストーリーが神話と通奏していることを認めています
皆が共鳴したのは、ジョゼフ・キャンベルの著作「千の顔を持つ英雄」に見られる古典的な英雄神話と通じるものがあったからだろう。

2. エクストリーム・アクション映画としての『マッドマックス 怒りのデスロード』

とてつもなく凶悪な面構えの改造車とか、お手製の原始的な武器とかのデザイン・造形が緻密かつリアルで、作中の世界観が見事に統一されています。
また、そうした精巧な大道具・小道具を惜しげもなく横転、炎上、爆発させます。
スタントで驚いたのは、車の後部に立てた、左右にしなるマスト状の棒の先端にぶら下がった敵の戦闘員が逆さまになって襲いかかって来るシーンです。
よくこのアイディアが実現できたな、スタントマン怖かったろうな、と思いました。
とにかくエクストリームで、一画面あたりの情報量の密度が異常と言えるほど高い。




3. 文明批評としての『マッドマックス 怒りのデスロード』

荒廃した世界の中で、貴重な水を独占することで、独裁者として君臨している王イモータン・ジョーが支配する砦は、様々なメタファーとして深読みすることが可能です。
たとえば、男性原理が支配し成員に過剰な束縛を強いる家父長制、または、少数の利権参加者のみが富を独占するグローバル資本主義、あるいは役職に代表される権威によって不合理が罷り通るヒエラルキー的なシステムの企業や役所など、人は砦に対して様々なメタファーを投影することができます。
実際、原始的な社会集団では、イモータン・ジョーの砦のシステムのように、王や酋長が女や財産を独占している形態も珍しくないので、社会的生物としての人間の存在そのものを問うているとも言えます。
アマゾンの熱帯雨林で暮らすインディオの探査旅行の体験を綴った文化人類学者レヴィ=ストロースの名著『悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス) 』でも、多くの部族が酋長が女や財産を独占するシステムを作り上げていることが記述されています。


4. フェミニズム映画、もしくはガーリー映画としての『マッドマックス 怒りのデスロード』

今回のマッドマックスが、普段はアクション映画に興味を示さないタイプ(私もそうです)の人々、とりわけ女性から、数多く語られているのは、この点が大きいと考えます。
砦の中で、産む機械として扱われている女性達(劇中ではワイヴス)が 、稀少財であるが故に享受できている特権的で、ある意味居心地の良い状態から逃れ、自由を求めて荒野の中に飛び込んで行きます。
監督はこのプロットが必然的に、フェミニズム的な視点を映画が内包することになったとインタビューで語っています

ただ、『「マッドマックス 怒りのデスロード」には中年のオバチャンが出てこない 』というブログを読んでから気になっているのは、女戦士フュリオサが救済を試みるのは、若く美しい女たち(ワイヴス)だけです。


そう言えば、冒頭で乳牛扱いされている中年女性のグループが出てきます。
飲料となる母乳を搾乳機で絞りとられている彼女たちも、十分に抑圧され、搾取されているだろうに、救済対象になっていない。


いろいろと理由を考えてみたのですが、 ワイヴスが逃亡した後の部屋のシーンで、積み上げた本やグランドピアノが映ります。劇中で書物が登場するのは、この場面だけです。
ワイヴスは、稀少財として特権的なポジションにいたため、自由意志を育む教育機会と教養を持ち合わせていたので、隷属的な状態から逃れることを選んだのではないかと。


ワイヴスたちの森ガール的(いまでも、この単語使われているのか?)なヒラヒラしたガーリーな存在感は、ソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイド』を彷彿とさせます。『マッドマックス』と『ヴァージン・スーサイド』って、いままで内容も客層も対照的な映画だったはずですが、この『マッドマックス』最新作では、ヒャッハー!なテイストとガーリーな感性が、奇跡的なマリアージュを成就しています。
ワイヴスに、蒼井優や二階堂ふみとか入ってても違和感ないくらいに。


5. ミャンマー在住外国人としての『マッドマックス 怒りのデスロード』

上述の論点は、おそらく全部誰かが言ったり書いたりしていることでしょうから、ミャンマー在住者としての視点を加えてみます。
在ミャンマー日本人にとって、イモータン・ジョーの砦は何を指すのでしょう?
政府高官とクロニーが利益を独占する歪な経済体制?、出自による貧富の差が固定化した閉鎖的な社会システム?、客が日本人だけの日本食レストランで群れるミャンマー社会から隔絶した微温的な日本人村社会?
考えていますが、答えは出ていません。

独裁者を倒したフュリオサたちは、砦の麓に住み、イモータン・ジョーが時折、自分の権威を示すために水を与えていた襤褸を着た下層民を何人か砦に引き上げています。



こんなことして大丈夫なのでしょうか?
前例ができると、他の人々も砦に上がる権利があると考えるのではないでしょうか?
冒頭のシーンで見ると、下層民の群衆は数万人単位ですが、これだけの人口を養うだけの食料生産力や水の供給量が砦にあるのかは疑問です。

不合理な独占状態からの解放や貧困からの自由は、基本的に豊富な資源や生産力を背景として成立します。平等に分配するリソースが不足している場合、国家や権力者が強権的にリソースを分配しないと、混乱と紛争が多発する状態に陥いる可能性が高いです。そして多くの場合、イモータン・ジョーの組織や、かつてのミャンマーのように、権力者がリソースを独占する専制的なシステムが採用されます。
独裁制からの解放による民衆の祝祭的な気分が去った後、フュリオサは砦とそれを取り巻く下層民に対して、現実的な資源配分を実現できるのでしょうか?
フュリオサの姿が、アウンサンスーチ女史の姿に重なりました。

最後にマックスは、仲間と共に砦に入らずに、一人荒野の中に歩み出て行きます。
魅力的で優れた作品は、「これは私(俺)だけに宛てて作られた作品だ!」という誤解を受け手に与えます。
若きウェルテルの悩み (新潮文庫) 』を読んで、「ウェルテルは俺だ」と思った、当時のドイツの若者が、作中のウェルテルを真似て黄色のチョッキ着て、相次いで自殺したように。『風と共に去りぬ 第1巻 (新潮文庫) 』を読んで「スカーレットは私よ」と感じ、因習に縛られた南部の白人社会から出奔する南部女性が後を絶たなかったように(想像)。『ノルウェイの森 上 (講談社文庫) 』が、日本でベストセラーになった時は、ワタナベ君気取りのナルシスティックな男子が大量発生したように(事実)。
「マックスは俺だ」と映画から宛てられた啓示に(ちなみに主演のトム・ハーディーとは1ミクロンも似てません)、 どう応えれば良いのでしょう?
再び荒野の中に彷徨い出たマックスに、安住の地はあるのでしょうか?
まだ、答えは見つかっていません。
もしかすると、それを求めて毎晩DVDを観ているのかもしれません。

おまけ

この視点は自分にはなかった。マドッマックスは深い。
水耕栽培農家の視点から見る「マッドマックス 怒りのデス・ロード」


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【朗報】ミャンマーラム Sailors が帰ってきた

外国人が楽しめる娯楽が乏しいミャンマーでは、夜はもっぱら飲酒タイムになります(酒飲みに限る)。
外国産のお酒は値段が高い上、今では輸入規制がかかってスーパーマーケットの店頭にも並ばなくなったので、主にミャンマー産のお酒を飲んでいます。

ミャンマー産のウィスキーは、金属的な味わいでふくらみがないので、ローカルで製造された酒から選ぶとなると、種類はビールかラムに落ち着くことになります。
以前から銘柄買いをしていたのが、ミャンマーラムのSailorsでした。
雑味がなくて、濃厚な味わいで気に入っていました。
しかし、この銘柄がここ一年くらいの間、店頭から姿を消していました。製造中止もしくは製造元がなくなったのかなと思っていました。
小さな小売店で在庫を見つけた時は、買い溜めて飲んでいたのですが、やがて市場の在庫も尽きたようで、どこにも見つけることができなくなっていました。
諦めて他の銘柄のミャンマーラムを飲んでいたのですが、最近になって、ローカルのスーパーの棚に新しいSailorsのボトルが並んでいるのを発見しました。
お値段も大瓶が、2,200MMKと安心のミャンマー価格。
素直に嬉しい。これでまた、充実したミャンマー飲酒ライフが送れる(笑)。

飲み方は、ライムとミントを入れて、ミャンマー・ソーダーで割って、モヒートにして飲んでます。
こうして飲むと、翌日も結構体調が良くて、飲み過ぎても二日酔いになることも少ないです。

 

今まで、ミャンマーでビールと言えば、ミャンマービールが鉄板だったのですが、最近になって他社の参入が相次ぎ銘柄も増えました。
今のお気に入りは、TUBORGというビールです。
淡い香りがあって、ベルギービールみたいな風味があります。


ビールについては、近年、外資系企業がミャンマーに進出してきているので、選択肢が増えました。質の高いミャンマー産のウィスキーやラムも増えて欲しいです。

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2015年8月11日火曜日

Tシャツから考える文化成熟度、あるいは屈折する星屑の上昇と下降

ビジネスヴィザの滞在期限が切れたので、先週、バンコクへ一時出国していました。
特に観光するわけでもなく、部屋で洗濯機を回して、空いた時間に街のショップを見て回ってました。
バンコクに行く時は、スーツケースの中にバスタオルとかシーツとかジーパンとか、ミャンマーでは満足のいく洗濯ができない大型の洗濯物を詰めて行きます。部屋に強力な洗濯機と乾燥機があるのが、バンコクでの滞在先を選ぶ基準になってます。

今回の滞在では、何故かTシャツが気になったので、街ではTシャツばかり見てました。
ミャンマーでは、面白いデザインのTシャツはほとんどありませんが、バンコクでは結構面白いものが多かったので、ご紹介します。

まずは、デヴィッド・ボウイのTシャツ。


アラジン・セインの頃のボウイですね。高校生の頃、このアルバム良く聴いてました。収録されているストーンズのカヴァーが格好いい。



スタンリー・キューブリックの映画『時計じかけのオレンジ 』に登場する主人公アレックスのTシャツ。


こいつは映画史上に残る極悪なキャラクターとして有名ですね。

 


ボウイもアレックスもサブカル的なアイコンとして、日本ではメジャーですが、タイでもボウイとかキューブリックの映画は、良く知られているのかどうかちょっと気になります。
ミャンマーはサブカル的な土壌がまったくないので、飛行機で一時間あまりの隣国に、こうしたサブカル関連のグッズがあるのは興味深いです。

こちらは、バンコク・アート・アンド・カルチャー・センターの売店で売ってたTシャツ。


たぶんタイの現代美術作家がデザインしたものです。
私がバンコク・アート・アンド・カルチャー・センターに行った時は、タイの現代美術家が製作したグッズの展示会が開催されていました。



All Bastard Greedy! Governments are Own Economics!(世の中がめつい奴ばかり。政府は経済の奴隷)をデザインした文字がプリントされています。
先進国で拡がっている嫌資本主義的な感覚は、タイ人の間でも芽生えているのでしょうか。



以前のブログで紹介しましたが、面白Tシャツ不毛の地ミャンマーにも、笑えるTシャツを作ろうとデザインしたことがあります。
需要がないのか、センスに難があるのか、今のところ大した反響はありません。
こちらで販売しているので、お時間あればお立ち寄りください。


しかし、せっかくの一時出国なのに、Tシャツばっかり見てるのは自分でもどうかと思います。
バンコクの紀伊国屋で20%オフになっていたので買った本『旅はときどき奇妙な匂いがする: アジア沈殿旅日記』に、こうした旅先での何だか割り切れない気持ちを上手く表現した一節があったので、引用します。
 きっと、この町のどこかに、旅慣れた人たちの集う居心地のいい民宿があるにちがいない。そこでは、旅慣れた人たちがテラスで旅慣れた会話をし、旅慣れた現地のおつまみとか食いながら、旅慣れたげっぷをしたり、旅慣れたフットマッサージをお互いに試したりして、この町で旅慣れた人が訪れるべき秘密のスポットや、次の目的地にある旅慣れた民宿について情報交換しているのだろう。

 そして私は、その場所を知らないまま時を過ごし、この町の持つ最良のものを手に入れることなく、日本に帰ってしまうのである。
 こんな残念なことがあるだろうか。


この気持ちよく分かります。
カオサンとかシュムリアップのパブストリートとかで、旅慣れた(ように見える)欧米人たちがゲストハウスのテラスで談笑してるのを見ると、俺はここで見るべき、重要で、興味深く、深い感興を催す何かを、決定的に見落としているのではないだろうか、という焦燥と無力感が入り交じった感情が湧き上がってくる時があります(笑)。

嗚呼、私も旅慣れたい。

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2015年7月19日日曜日

ミャンマー縫い子物語

現地の新聞にミャンマーの縫製工の女性のインタビューが掲載されていました。
こうした工場労働者となる階層に属する人々は、海外メディアからは、外資系企業がミャンマーに進出する大きな要因である「低廉な労働者」 としてひとくくりにされています。
また、ミャンマー国内でもこうした階層の人々には、社会的な発言の機会がほとんどありません。
いわば顔も声も持たない、集合的な存在として扱われている人々なのですが、当然、こうした人たちも個別の人生を歩み、それぞれの喜びや悲しみをそれぞれの人生の中で経験しているはずです。
こういった人々のライフストーリーは、外国人にはなかなか知る機会のないので、ご紹介いたします。

読んでて意外だったのが、記事中の女性が同じ職場で9年も働いていたことです。
ミャンマーでは、長くても2、3年で仕事を辞めることが一般的です。
やはり事情があって家族を背負っている人は、ミャンマーでもそう簡単に職場を去らないのが分かりました。

少し記事を補足します。
記事中の女性は、生地屋を開業したいと語っていますが、ミャンマーの婦人服はオーダーメイドが主流で、生地屋で布を購入し、仕立て屋に持ち込んで服を作るのが一般的なため、生地屋はミャンマーの女性にとってポピュラーな小売店です。

ミャンマーの生地屋兼仕立て屋

ちなみに、少数民族が作る貴重な手織りの布を外国人向けに販売しているショップもあります。


Textile House Myanma
No.86/B 1st, Shinsawpu Street, Sanchaung Township, Yangon

ミャンマーの少数民族が作る布を紹介した本が、日本でも出版されています。



それでは記事をどうぞ。

『Myanmar Times』ISSUE 17 | JULY 10 - 16, 2015 より記事転載(原文は英文)
  Made to measure 縫い子物語 Text by Nyein Ei Ei Htwe

 


朝早くから彼女は大忙しだ。一番年下の妹の弁当を用意し、シャワーを浴びるよう急き立て、教科書を準備したかを大声で尋ねる。Wai Wai Tunは、二人の妹とヤンゴンのThingangyu地区の村で暮らす23歳だ。彼女と二番目の妹Kalayamiは、通勤に15分程かかる場所にあるThuwunna地区の縫製工場で働いている。

お世辞にも、仕事は創造的な関心が満たされるものとは言えないが、Wai Wai Tunは、多くの人が職を見つけられない中で、自分が働けていることを幸運だと感じている。
他界した両親は、ともにヒンズー教徒で、その血統はWai Wai Tunの漆黒の肌と目の色に現れている。下の妹二人はヒンズー風の名前つけられているものの、彼女は自分のミャンマー風の名前を気に入っている。

「私は9年前にこの仕事を始めました。私の友達が、年齢を偽って仕事を見つけるのを助けてくれました。私はその頃には背が高かったので、うまくいきました。それ以来、ずっとここで働いています」と彼女は語る。
彼女の父親U Mu Tuは彼女が12歳の時に亡くなり、母親が2年後に後を追ったため、彼女は一家の大黒柱となることを余儀なくされた。彼女は、一番下の妹Endaraniの学費を賄うため、二番目の妹Kalayamiも自分が働く縫製工場の仕事につけた。
彼女たちは、両親が暮らし世を去った家に住むため、ひと月に20,000チャットを家賃として払っている。
「だいたい朝の5時に起きて、お弁当を準備しなければなりません。そして家に帰ったら、夕飯の準備です」。
彼女のシフトは朝の7時15分から夕方4時までだが、残業して7時まで働いている。彼女の手取りは120,000チャットだ。80人から90人からなる縫製工のグループが16組あり、9年働いた彼女は、みんなの名前を覚えている。

「最初の5ヶ月はヘルパーから始めて、熟練工が縫製するところを見て、昼休みの間に練習します」。彼女は自分が熟練した縫製工として認められていることに、誇りを感じていると語った。
就業時間中に事故が合った場合に備えて、工場には小さな診察室がある。生産的な縫製工にはボーナスが与えられ、誕生日のお祝いもある。
新聞記事によく載っている、工場で働く労働者が疎外されているような雰囲気はあまり感じられない。

「お給料にも満足しています。Endaraniが学校へ通うお金も作れましたから。彼女は今6年生です。私たちは、彼女には良い教育を受けて欲しいと思ってます。私は学校を13歳で止めなければならなかったし、Kalayamiは私より早く4年生の時に止めました。だから私たちは、Endaraniには出来るだけ長く学校へ通わせたいと考えています」。

Kalayamiは今20歳で、背丈もWai Wai Tunと同じくらいになり、Wai Wai Tunへ時々口答えするくらい成長した。
「私は妹たちに優しく接しようと思ってますが、時々Kalayamiが大声で口答えするので喧嘩になります」とWai Wai Tun。「でも、私たちはお互いのことをよく理解しています」。

両親の死後、3人の少女はSouth Dagon区の親戚を頼って移り住んだが、これは上手くいかなかった。
「親戚の人たちは、私たちよりさらに貧しく、私たちにお金を要求しました。さんざん言い合った後、故郷の郊外へ引っ越しました」とWai Wai Tun。
Nga Moe Yeik川のほとりの掘建て小屋に2ヶ月住むことになった時は、雨期の満月と新月の夜に川の氾濫が2回あった。そのときは祖母のように慕っていた、大家の女性の家に泊めてもらった。

Wai Wai TunとKalayamiは、飲食、喫煙、喧嘩、窃盗を禁じている、工場の規則を遵守している。そうした行為は、解雇につながるからだ。休みの日は、土曜の午後からと日曜の終日だ。Wai Wai Tunは今の職場に満足しているものの、独立するために十分なお金を稼ぐことを夢見ている。
彼女の夢は、将来、生地店を開くことだ。 時々、彼女は9年間もの間、毎日同じ縫製作業を繰り返していることにうんざりする。「デザインがとても奇妙だと感じるときもあります。韓国へ輸出するジャケットは、羽飾りがついていました。それと同じ物を韓国の昼メロで見たことがあります」。

彼女は今の職場を去れば、同僚を失うので辛いとも言う。疲れている時に両親のことを思い出し、彼らが生きていたら、自分ももっと良い教育が受けられて、妹たちの面倒を見る責任からも解放されたのに、と考えることもある。
「でも、私は今の環境を受け入れています。私は働かなければならないし、働かないのは無用だと言うことですから」。
去年、彼女はボーイフレンドと別れた。でも、彼女と妹たちのことを考えてくれる男性が見つかれば、いつかは結婚することも考えている。

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2015年7月16日木曜日

ミャンマーのファッションブランド

ミャンマーの婦人服は、注文服が主流です。
生地屋で気に入った布を買って、仕立て屋に持ち込んで自分の好きなデザインをオーダーするのが一般的です(仕立て屋が生地を扱っている場合もあります)。
かかる費用は、生地代と縫製代を合わせて、25,000MMK(約2500円)程度が一般的です。高級な生地になると価格も上がりますが、縫製代は15,000MMK(約1500円)程度が中心の価格帯です。


 ミャンマーの生地屋。カラフルな柄が主流です。
 
 ミャンマーの仕立て屋。小規模な工房がたくさん街中にあります。

ミャンマーの既製服ブランドで、認知度の高いものはまだないようです。
デザイナーも一般的に知られた人はいないようですが、現地の雑誌でMoe Homさんというデザイナーが紹介されているのを読んだことがあります。ニューヨークでファッションを学んだ後、現地でブランドを運営し、祖国の民主化をきっかけにミャンマーに戻り、ブランドを運営している方です。
今年の7月3日に青山で開催され、日本の首相とミャンマーの大統領も参列した「ミャンマーのクリエーションを通して同国の魅力を紹介」するイベントにも、Moe Homさんのショーが披露されたとニュースで伝えられています
伝統工芸的な意匠を、現代的なスタイルに取り込むのが彼女の持ち味のようです。
ギャラリーのTS1で、彼女のブランドの服が展示・販売されているのを見たことがあります。半袖のシャツが75USDくらいで、ミャンマーにしては高価だなと思った記憶があります。価格を落としたデフュージョンラインもあるようですが、売っているのを見たことがありません。自分で着れないレディースは、普段からあまりチェックしないので、リサーチが足りないのだけかもしれません。
ちなみにMoe Homさんの名前を知ってるかどうか、周りのミャンマー人女性に聞いてみましたが、誰も知りませんでした。もっとも。日本を代表するデザイナー川久保玲を、日本人がどれだけ知ってるかも心もとないので、必ずしも知名度とデザインのクリエイティビティやビジネスの規模がリンクしているとは限りませんが。

TS1で展示・販売されていたMoe Homさんの服

そんな発展途上のミャンマーの既製服市場ですが、先日、看板を見ておやっと思いました。


"Clothing For Modern Myanmar Women" 

そんな需要がミャンマーにあるのか?、Modern Myanmar Womenってどんなタイプの人なんだ?、そもそもどんな服が置いているのだろう?、という疑問がむくむく湧いてきて思わず入ってみました。


ブランド名は "Ci Ci" です。思ったよりモダンな服が置いています。
ワンピースが20,000~30,000MMK、Tシャツが15,000MMKと価格帯も手頃です。
ユニクロやGAPと同じ価格帯ですね。
デザインもプレーンで、合わせやすいモノが多いと感じました。
ミャンマーのご当地ブランドは珍しいので、お土産にも良いかもしれません。
縫製のレベルを確かめるため、商品を裏返したりして調べることができませんでした。 ミャンマーは店に入ると、常に店員が背後霊のようにピッタリくっついて来るので、買う気がないのに細かいところをチェックするのは難しいです。
ショップの場所は、サンチャウンのシティマートの裏手です。




今のところミャンマーには、ファッションやエンターテイメント等の消費の選択がライフスタイルを形作るような、都市型のライフスタイルを送っている消費層は存在しません。そうしたライフスタイルの前提となる、選択の幅のある多様な消費形態や、成熟した消費市場が存在しないからです。
これから外資系企業の進出が進み、オフィス・ワーカーの数が増えるとModern Myanmar Women層がミャンマーに生まれるのでしょうか。

そう言えば、先に日本の経済産業省がミャンマー政府に提言したレポート『ミャンマー産業発展ビジョン』もサブタイトルが "Next Frontier in Asia: Factory, Farm and Fashion" でした。頭文字をFで揃えたかったのもあるでしょうけど。
ミャンマーのファッション産業は、これからクオリティの向上や市場の発展が期待できる分野かもしれません。
先進国では人件費の問題から難しくなったオートクチュールも縫子さんの多いミャンマーでは可能です。
また、日本で新人デザイナーが自分の新規ブランドを立ち上げるのは、工場発注の最小ロットの大きいため難しいですが、ミャンマーでは小規模なテーラーがたくさんあるため少量生産にも対応できます。


 ミャンマーのテーラー。通りにひとつは必ずあります。

デザイナーがミャンマーで新規ブランドの立ち上げに挑戦するのも面白いビジネスモデルかもしれません。

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